吸血学園/前編(血を吸う薔薇×リリカルなのは)


CHAPTER・T


  ある日、彼女は見知らぬ部屋にポツリと立っていた。その女性は、薄い紫色の色素が混じったストレートのロングヘアに、白いヘアバンドをしている。
青色の瞳を持ち、恐らく大半の人は「美人」と答える程の容貌の持ち主である。年齢は20代前半ほどで、全体的に御しとやかさもあり、雰囲気からして上品なお嬢様といった印象を与える女性――月村すずかは、見慣れた自分の部屋ではない、どこかビジネスホテルの一室の様にも思える光景に戸惑う。

「ここは、何処かしら・・・・・・」

ふと視線がデスクにある多量の本に行った。おもむろに立てかけてある一冊を手に取ると、どうやら教科書のようだった。
立てかけてあるもの全てが、何かしらの教科書であることから想像するに学生寮ではないか。すずかは手にした本をパタリと閉じて元に戻した――その時のであった。
  静かだった部屋の中で、突然として彼女の後ろで人の気配を感じたのだ。心臓がバクバクとしながらも慌てて振り返ったすずかは、その視線の先にいた人物を捉えて驚いた。

「・・・・・・っ。ケイ・・・・・・ちゃん?」

立っている女性は『ケイちゃん』の愛称で親しまれていた親友だ。その『ケイちゃん』こと野々宮 敬子(ののみや けいこ)は、すずかが高校生時代に通っていた学校のクラスメイトで友人付き合いもあった女子生徒の1人であり、卒業するまでの間はよくお喋りをしていたものである。
彼女は高校を卒業後、海鳴市を離れて県外の大学へと入学を果たした。それが長野県の八ヶ岳山麓にある聖明学園という名の女子専門の大学だった。
  この聖明学園は東京等の名門大学校と比べれば規模こそ大きくはないが、創設から合わせての歴史は古く今年で100年目を迎える名門大学の1つとされている。
すずかとは別の大学に入学となったため、会うことは殆どなくなってしまったものの、時折にメール等のやり取りでコミュニケーションはしていた。
それも日が経つ内に連絡のやり取りもまばらになってしまい、ここ数ヶ月は相手側からの返信も来ないまま連絡が途絶えてしまった。
きっと向こうも忙しいのだろう。それに友人関係としての縁が切れた訳でもないし大丈夫だろう、とすずかは判断していた。
  しばらく会っていない親友の姿を見て安堵するすずかだが、ふと違和感も感じていた。彼女の表情に生気が感じられないのだ。
いつもは天真爛漫と言った雰囲気なのだが、目の前にいる野々宮 敬子は無表情そのものである。すずかは、今の世界が夢の中であることに気づいてはおらず、久々に会った親友に対して親し気に声を掛けようとした。

「久しぶり、ケイちゃん。覚えてるでしょ? 私、すずかだよ」
「・・・・・・」

敬子は無反応だった。目もどこか定まっていない様である。ますます怪訝に思うすずかだが、彼女の胸元に目線が行った途端、そこに赤く小さい斑点が2つ出来ている事に気づく。
白いブラウス越しにでもわかる程に滲んだ赤い染み。それは間違いなく、出血していることを意味している。怪我をしていると悟ったすずかは、敬子に慌てて近づいた。
急ぎ胸元のボタンを外し、斑点のできている所までブラウスを捲る。左の乳房の上辺り――鎖骨と乳頭の中間程に丸い刺し傷の様な物が2つほど、ポツリと存在していた。
  敬子はブラウスを肌蹴られ、すずかに心配されても動じず、相変わらず無表情だ。すずかが呼びかけても反応すらない。

「ケイちゃん、大丈夫? 血が出てるよ!」
「・・・・・・」
「ねぇ・・・・・・どうして、黙ってるの? しかも怪我してるのに・・・・・・」

反応を示さない彼女に対して、すずかは何回か呼びかけ続けた。反応をしないどころか、不意に敬子が小さく一歩前進する。
多少の前進に気にはならなかったが、それが二歩目、三歩目ともなると、さすがにすずかも下がらざるを得ない。
  無表情のままな敬子に、次第に気圧される。心配の声を掛けていたすずかも、言いようのない恐怖感を感じて少しづつ後ずさりをしていく。

「どうしたの、ケイちゃん。お願いだから返事してよ!」
「・・・・・・ス・・・・・・テ」

懸命に訴えるすずかに対し、敬子の口元が僅かに動いた。それも何か言いかけたようで、声量が小さかったために何を言っているのか聞き逃す。
敬子がようやく反応してくれたと安堵する暇もなく、ジリジリとすずかに迫ってくる。普通の状態ではない親友に対し、彼女も次第に恐怖心の方が増大しつつあった。

「タ・・・・・・ケ・・・・・・」

  それでもなお、敬子が再び口を開き、何かを言おうとしている。後ろに下がり続けたが、やがて壁際に背中がピタリと付いてしまう。
これ以上は下がれず、かといって目の前の敬子を突き飛ばすという選択も、すずかにはできない。大事な親友にそんなことが出来る様な彼女ではなかった。
やがては半歩の距離を置いて追い詰められた様な恰好にこそなったものの、敬子は虚ろな目線ですずかに語り続けてくる。
何を言わんとしているのか、半ば恐怖感を覚えながらもすずかは聞き取ろうと集中した。

「タ・・・・・・ス・・・・・・ケ・・・・・・テ・・・・・・」
「助けて?」

  小さな声量だが、目の前にいる敬子が発した言葉は、確かに助けを求めている。それにハッとしたすずかは、親友のSOSを悟り両手で敬子の両肩を掴んだ。
いったい何から助けてほしいのか。それを知るべく、すずかは迫ろうとした、その刹那――。

「ァ・・・・・・ガァッ!」
「っ!?」

突如として敬子は、すずかの肩を掴み返した上に口を大きく開けて呻き声を発し、噛みつこうとしてきたのだ。ギョッとしたすずかは、反射的に押し返そうとした。
  しかし、不意を突いた行動に対応が遅れ、殆どが抱き付かれるような格好になってしまう。そして、すずがは言い知れぬ恐怖感に、何もかもが奪われる。
大口を開けて首筋に噛みつこうとする親友の行動に慄き、左腕を敬子の首に宛がって噛みつかれるのを防ごうとするが、体制に無理が生じてしまう。
さらに後ろは壁、前は凶暴化した親友。逃げ場所もなく、現状も良く把握できないすずかは、渾身の力を込めて敬子を突き放そうと努力する。
  凶暴化した敬子は、己の首もとに宛がわれたすずかの左腕がつっかえ棒になり、噛みつくことができない。これに業を煮やしたのか、組み付いたすずかを思い切り振り飛ばす。

「ぅッ・・・・・・!?」

横に振り飛ばされたすずかは、そのまま床に倒される。普段の彼女とは思えぬ力で、すずかは受け身を上手く執ることが出来ず、床に身体を受け付けてしまう。
慌てて起き上がろうとするものの、再び敬子が襲い掛かって来た。今度はすずかの腹部に跨るようにした馬乗りの状態になり、抵抗できないように両腕を押さえつける。
  かの天真爛漫な、活発的な印象の面影は何処にもない。もはや親友の皮を冠った異形の何かではないか。すずかは、そのようにさえ思った。
それでも不可思議なのは、襲い掛かる親友は行動と言動に反目があり、本心は抵抗し続けていることだ。
すずかを抑えつけて抵抗できなくした敬子は、再び噛みつこうとしている。先ほどとは変わらぬ、あべこべな言動と行動にすずかは懸命に呼びかけた。

「ダズ・・・・・・ゲ・・・・・・デェエエエ!」
「目を覚ましてケイちゃん、ケイちゃんッ・・・・・・!」

必死の呼びかけをするが、敬子の勢いは止まることなくすずかの首元に歯を立てようとした――。

「い、いやあああああ・・・・・・っ!! ぁ・・・・・・ぇ?」


  あまりの恐怖に叫び声を挙げて、そして次に目を開けた時にはいつもの風景があった。いつも自分が寝ている個室とベッド、先ほどの風景とは全く違うものだ。
カーテンから透けて陽の光が差し込んでいる。小鳥の鳴き声も聞こえ、暖かい朝を迎えているようだったが、彼女自身は気分の良かろうはずもなかった。

「ゆ・・・・・・夢?」

荒い呼吸が、肺の中の空気を多く入れ替えしており、思わず右手を胸に当てて深呼吸をする。さらに、額から顎にかけて汗が数的だけ滴るのが、肌の感触から分かった。
左手で額の汗を拭い、拭った掌を見つめる。相当にうなされた証拠だ。おまけにパジャマも汗で湿っており、背中や脇の下等が肌にペタリと張り付いてしまっている。
外気に晒されて冷たくなった部分が張り付くと、なおさらのこと感触の悪いものである。冬の時期であるし、このままでは風邪をひいてしまうだろう。
  すずかは呼吸を整えると、ベッドから足を降ろして立ち上がろうとしたが、廊下側から慌ただしく走る足音が聞こえて来た。
あんな大きな声を出したのだ。きっと何事かと思って駆けつけて来たのだろう。彼女がそう思ったのもつかの間、外にいる人間がドアを開ける。
薄い紫色の髪でセミショート、キリッとした顔つきがクールさを際立たせる30代前半の女性――ノエル・(綺堂)・エーアリヒカイトの姿があった。
彼女は月村家の世話をするメイド長で、10年以上も月村家に仕えている。同時にすずかを幼少期から、身の回りの世話などをして来た人物で、すずかも信頼するメイドである。
  そんな信頼の厚いノエルは、心配な表情ですずかに尋ねてきた。

「お嬢様、大分(うな)されておりましたが・・・・・・」
「だ、大丈夫だよ。心配かけてごめんね、ノエル」

そう言って誤魔化そうとするのだが、汗びっしょりのすずかを見たノエルが、それで納得するはずが無かった。
小さく歎息し、そしてベッドの元へ歩み寄ると、すずか傍でしゃがみ込んだ。タオルを取り出し、すずかの額の汗を拭いながら彼女の嘘を見抜く。

「嘘を仰いますな、お嬢様。そのように汗をかかれて、まして廊下にまで聞こえる程の声を上げられているのに、どうして大丈夫と納得できましょうか?」
「・・・・・・ノエルに嘘は付けないね」
「当然です。いったい、何年、お嬢様の元でお仕えさせて頂いていますか。・・・・・・まぁ、取りあえずはお召し替えをなさってください。それと、朝食も用意が整っておりますから、召し上がってからお伺いしましょう」
「ありがとう、そうするよ」

  そのままでは風邪をひいてしまいます、と言われるとすずかはそれに従った。汗に濡れたパジャマを脱いで、軽くタオルで身体を拭きとる。
彼女らしい、白いロングスカートに季節に合わせた薄目のブラウンのセーターを纏う。ノエルは、彼女の脱いだパジャマ等を抱えて一端部屋を出る。
  すずかは身なりを整えると、ふと先ほどの夢を思い返した。夢にしては、あまりにも恐ろしいもので、あれがホラー映画だったら可愛げがあったろう。
襲ってきたのが映画に出る様なモンスターではなく、自分の知っている友人なのだから、尚更のこと平常心ではいられなかった。
同時に心奥底で、何か嫌な気持ちが靄
(もや)
となって立ち込め始めている。直感などに近いものだが、あれほどリアルで鮮明な夢だけにだ。
ざわざわとする心内に不安を押しこめ、彼女は朝食が準備されているリビングルームに向かって行った。
  いつものリビングルームへと向かうと、そこにはノエルとは別のメイドがいた。薄紫色のロングヘア、メイド服に身を包み、おっとりした雰囲気。
そんな20代半ばの女性――ファリン・K・エーアリヒカイトは、入って来たすずかに対して挨拶をもって迎えた。

「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、ファリン。いつも有難うね」

ファリンは、先ほどのノエルの妹。彼女もこの月村家にメイドとして働いて10年以上は経っており、やはりすずかの信頼も厚い。
ただしクールでテキパキと作業を熟すノエルに対し、ファリンは20代になってもふとしたことでミスをやらかしてしまう、ドジっ子気質が抜けないのが玉に瑕である。
すずかにしてみれば、そんなところもファリンらしくて好きだ。この姉妹には幼少の頃から世話になっているだけに、親交も深いものがあった。
  しかし、リビングには彼女とメイド数名のみ。彼女の両親はおらず、既に出勤してしまっている。というのも、彼女の両親は機械製造業メーカーの取締役なのだ。
家庭は裕福だが、両親揃って役員の立場にあるが為に忙しく、自宅にいる時間も短い。すずかにとっては、それが今や普通の生活になっている。
別に親子関係が悪い訳でもないし、すずかも両親の立場を理解していた。それもこれも、やはり面倒をよく見てくれたノエルとファリンを始めとしたメイドの存在が大きかった。
  加えて、彼女には姉の忍という女性もいるのだが、彼女は今現在ドイツに移住してしまっており、恋人からめでたく夫婦関係になった高町恭也と仲睦まじく暮らしている。
因みに恭也の妹が、すずかの親友である高町なのはであり、高町家と月村家の親交は深いものがある。すずかも、高町家にはよく世話になっていた。
家族ぐるみで付き合いも良かった姉の忍もまた家を離れてしまい、寂しが増してしまったものだ。しかし、縁が切れた訳でなく、定期的に連絡をくれる上に帰郷することもある。
  そして忍が返ってくるたびに、すずかにこう言うのである。

「すずか、まだお目当ての彼氏はいないのかしら?」

きっと彼女なりに心配してくれているのだろう。忍は18歳で既に恭也と恋人関係になっていたのだ。すずかも19歳、そろそろパートナーが居ても良いではないか。
言われるたびに苦笑し、その内見つかるから、と言葉を濁すのが定例となりつつある。が、そこまで言われる、さしものすずかも落ち着いてはいられなくなるのだった。

「じゃあ、頂きます」
「どうぞ、お召し上がりください」

  今日の朝食は洋食風だった。バスケットに入ったブンパーニッケルと呼ばれる食パン(ドイツでの伝統食品)と、付け合わせとしてチーズクリームが並んでいる。
皿の上にはソーセージや目玉焼き、レタス、胡瓜、トマトといったサラダの盛り合わせがなされている。そしてコーンスープが暖かな湯気を立てていた。
彼女はそれらを次々に手を付け、口に入れていった。が、今朝の夢の事もあって、あまり喉を通ってはくれないため、いつもよりさらにスローペースで食べていく。
  そんな主人の異変に気付いたファリンは、控えめながらも様子を伺いながら尋ねた。

「お嬢様、何かお口に合いませんでしたか?」
「え? あ、いや、違うの。とても美味しいよ。ただ不安があって、ちょっと考え事してたの」
「それは・・・・・・先ほどの件ですか?」

どうやら、自分の声は良く響き渡ってしまったようだ。少し赤面してしまうものの、すずかは頷いて答えた・・・・・・怖い夢を見たのだと。
どのみちこの事はノエルにも話すことであるが、一先ずは朝食を終える事を優先した。ファリンもそれを察してそれ以上の事を聞こうとはしなかった。
  ノエルとファリンに話したのは、それから30分後の事だ。夢の中で久々に友人の顔を見たこと、その友人は蒼白で明らかに様子がおかしかったこと。
さらには助けを求めてきたこと、何かに抵抗しながらも自分に襲い掛かってきたこと。全ての内容を話し終えると、静かに聴き続けたノエルが口を開いた。

「夢にしては、あまりにも不可解ですね」
「えぇ。何故か、今も胸の奥に不安があって・・・・・・」

心苦しそうに胸を抑えるすずかに、ファリンが提案する。

「でしたら、野々宮様にご連絡を入れてみたらいかがです? それで無事なら安心されましょう」
「えぇ、そうね・・・・・・考えすぎなら良いんだけど」

晴れない気持ちを抱いたまま、すずかは敬子の携帯に電話をかける事にした。お互いに連絡先を変えたこともないので、従来通りの電話番号で問題ない筈だ。
  だが、肝心の携帯には出てはくれず、終いには留守電メッセージが入ってしまう始末。これに、ますますを持って不安は上昇していった。
たまたま繋がらないだけよ、と彼女は思う・・・・・・いや、思いたかった。ならば、彼女の実家にかけよう。そう思い、高校時代の連絡網を引っ張り出して来て繋いだ。
電話番号に間違えは無かったようで、通話が繋がった証拠の音が聞こえる。呼び鈴が数秒続くと、やがて野々宮家の者が受話器を取った。

『どなたですか』
「私、月村すずかと申します。高校の時に敬子ちゃんとクラスメイトだった者ですが・・・・・・」

  声からして母親の様だ。だが何処か生気が感じられないように思える。違和感を感じながらも、すずかは敬子の詳細を訪ねたのだが・・・・・・。

『敬子は・・・・・・もぅ・・・・・・ました』
「・・・・・・え?」

ドキリ、と心臓が大きく鼓動する。女性の声は震え、はっきりと言葉も話せない。嗚咽も交じっているようだが、それでも聞き逃せない言葉が、すずかの全身を支配した。

『敬子は、もう、亡くなりました』


すずかの周囲の時間が、一瞬だけ停止したように思えた――。





CHAPTER・U


  今思えば、全てはあの不思議な夢から始まった。それが単なる偶然に映った夢だったのか、はたまた必然性を持って映された夢だったのか、今はまだ分からない。
レトロな雰囲気を残す電車の走行音と若干の振動をバックミュージックにして、窓辺から見える自然を眺めやりながらも、すずかは夢の事で考え耽り幾度目かの嘆息をする。
いつにない不安を混色させた表情を作らせる彼女に対して、隣に座るメイド長のノエルと、向かい側の席に座っているもう1人の女性が窓辺に頬杖を付きつつ口を開いた。
ノエルは普段のメイド服ではなく、動きやすさを重視したジーパンに白のブラウスと袖なしセーター、その上にコートを着ていた。

「すずか、いくら溜息をしたって、何も変わらないわよ」
「アリサ様の仰る通りですよ、お嬢様」
「分かってるよ・・・・・・アリサちゃん、ノエル」

口でそうは言うものの、すずかの表情が晴れるはずもない。彼女は見た夢のこと、そして行先地でのことに考えを向け始めてしまうばかり。
  それを見た女性もう1人の女性――アリサ・バニングスは、これはダメだ、と被りを振ると続けて小さく歎息してしまった。
アリサは黄色のセミショート、エメラルドグリーンの瞳、と欧米系の血筋が入った若い20代前半ほどの女性であり、すずかの親友の1人である。
御しとやかで大人しい性格のすずかとは対照的で、行動的で活発的な性格の持ち主だ。また強気でもあるが困っている人間を放っておけない性格もあり、今回の事に関しても進んで協力しようと、すずかに同行したのであった。
  夢の出来事でしかない、と他人だったら嘲笑して見向きもしなかっただろうが、アリサは真剣になって親友の声を聴いた。
しかも夢だけで片付けられるような問題ではなく、偶然にしては出来過ぎた事実もあった。それが、なおさらアリサの心を突き動かしていた。
  そんな彼女が、すずかの夢の話を聞いたのは前日の事――ちょうど大学の春休みに入って直ぐで、不安な声色でアリサへ電話を掛けてきたのである。
午前8時頃に携帯電話の着信音が鳴り響き、ベッドの中で夢の世界にいたアリサを現実の世界へと連れ戻し、そして不安げなすずかの声で確実に意識を覚醒させた。

「すずか? なんか声が震えてるけど、どうしたの?」
『実はね、夢を見たの』
「・・・・・・はぁ?」

怖い夢を見て、それでわざわざ掛けてきたというのだろうか。だが、震える声の裏には、何か尋常ではないものが含まれている。
長年の親友の訴えんとすることを聞き入れるため、アリサは電話を切らずにしゃべりだすのを待った。数秒してから、すずかは見た夢の内容を語りだした。

『高校の時のお友達で、野々宮 敬子ちゃんを覚えてる?』
「えぇ、クラスで一緒だった娘よね。覚えてるわ」

  アリサは、すずかの話を聞いていくうちに、次第に表情が強張っていった。夢の話に加えて、合わせたかのような敬子の“死”が、背筋に言い知れぬ悪寒を走らせたのだ。
しばらく会っていなかったとはいえ、敬子がこの世の者ではなくなっていたことに衝撃を受けない筈が無かった。何故、彼女が死んだのか。
すずかは、敬子の両親から聞いた経緯をそのまま伝えた。敬子は大学の寮生活を送っており、定期的に家族へ連絡も入れるなど、マメな娘だった。
  ところが、しばらくしてから、とんと連絡が途絶えてしまう。忙しいのだろう、とすずかが考えていた想像と全く同じ想像を、この両親はしていた。
さらに月日が流れていき、こちらから連絡を入れても出て貰えないことから、流石に黙っても居られず、大学に連絡しようかと迷っていた時だった。

「野々宮さんですね? 私は長野県警察の者ですが、娘さんの敬子さんについてお話があります」

警察から連絡が来て、唐突に娘の行方不明の一報を受けてしまったのである。加えてその後には、登山道のとある場所で、敬子の所持品が見つかったと言う。
増々を持って事件性が疑われ、捜索は続けられた。が、遂に彼女は発見されなかった。誘拐の線も有り得たが、近場には沼が点在しており、そこに足を滑らせて滑落したのはないか、という事故の可能性が急浮上してしまったのである。
  沼地も曰くつきのもので、これまでに脚を滑らせて転落し溺死した者が少なからず存在するという。しかも、その死者が死にきれず怨念とかして、生者を引きずり込む・・・・・・。
そんな噂までが作られる、所謂ホラースポット的な場所にもなっていた。そんな場所に敬子が来ていたというのも、にわかに信じ難い話ではあっただろう。
警察側は沼地周辺や沼地の中まで隈なく捜索したが、やはり見つかることもなく、遂には捜索が打ち切られてしまう事態となったのである。

「原因は滑落と思われますが、ご遺体の回収が望めず、無念ながらも捜索を打ち切り――」

その様な記者会見を行う地元警察関係者。娘の消息が断たれ、目撃情報も有力なものは無く、警察は沼地における転落事故と言う結果を出して操作を切り上げてしまったのだ。
  しかもこの事件は1週間前のこと。すずかの夢に出て来たという、敬子の一変した様子からも何やら因縁深いものを感じざるを得なかったのだ。
すずかは直ぐに行動に出た。大学も休み期間に入ったことであるからして、2人で現地へ行ってみようと提案してきたのである。
彼女らは海鳴駅から新幹線を利用して途中で電車の乗り換えを繰り返し5時間30分近く掛けて目的地の長野県八ヶ岳にある野辺山駅へと向かっていた。
今さら現地に行ってどうなるのか、とすずかは思わないでもなかったのであるが、不可解過ぎる事件もとい事故から、何やら見えざる異物があるように思えた。
  もっとも、すずか、アリサの両名は不可解な出来事に十分遭遇した経験者なのだ。魔法という、現代社会では到底信じたい力を目の当たりにしている。
非常識的な魔法を駆使して事件を解決し、世界の安定を図る時空管理局という組織が、地球人類の知らないところで活動しているのだ。
そんな非日常的な組織に3人の親友が入局している。

「ねぇ、そんなに不安だったら、なのはとか、フェイトにも来てもらった方が良かったんじゃないの?」
「3人は管理局で忙しいし、無理言うのも悪いから」

高町なのは、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン、そして八神はやて、この3名が彼女らの親友だ。小学生からの奇妙な縁で知り合い、中学生以降は本格的にミッドチルダと呼ばれる異星の地へ移り住み、日夜平和の為に活動しているのである。
  そんな3人に今回の事件を相談してみてはどうかとアリサは言ったのだ。大事な親友が死んでしまったと言う事件の解決に、出来れば手助けしてもらいたいのが本音だ。
本音なのだが、すずかとて3人もまた忙しい身であるし、恐らくは管理局の事で手一杯に違いないと考えた末の結果であった。

「何言ってるのよ。下手すると、また魔法とかが絡んだ事件かもしれないじゃないの」
「そうかもしれないけど・・・・・・」

言葉を濁すすずかに変わり口を開いたのはノエルである。

「何かあれば、この私が責任を持って御守いたします故、ご心配なさいますよう」

ノエルはメイド長として月村家を切り盛りしなければならない身であるのだが、すずかが事件の起きた学園へと向かうと知るや否や、同行を求めて来た。
それだけ危険な香りのすることであると、ノエルは直感的に感じ取ったのだ。またその様な危ない場所へ行くことは止めるべきなのだが、すずかの硬い意思は止められなかった。
  であれば、せめて自分が護衛に着いて然るべきではないか。ノエルはそう考え、妹のファリンにメイド長代理を命じて切り盛りをさせる事となったのだ。
ファリンとて20代半ばであり仕事については、ノエルの次に熟知していると言っても過言ではない。彼女にも長としての仕事に慣れてもらわねばならない。
その様なことでノエルは護衛として、すずか並びにアリサに同行しているのだ。

「ノエルさんなら安心できますよ。問題はすずかの方よ」
「う・・・・・・」

確かに、今のすずかは心配事が強すぎて危なっかしく思える。当人も確信を突かれたかのように言葉を詰まらせ、気を逸らす為に再び目線を窓越しの景色へと移した。
  今向かっている聖明学園には、何かと纏わりつく噂が存在する。1〜2年ごとに必ず1人か2人は蒸発してしまうのだというのだが、あまり表だって問題になってはいない。
普通なら学園側の存続問題に関わる事になるだろうと誰しもが思う。それは、ここにいるアリサ、すずかも同じ考えであった。

「どう考えたって変よねぇ、毎年消える人間がいるなんて。何で深く追求しないのかしら」
「あくまで蒸発した学生は、夏休みや春休みといった長期の休みの間に起きているからだと思います。学園内部で事が起きれば学園側の管理責任を問われるでしょうが、その管理外で事件事故に遭ったとなれば、学園に責任を追求することはありません。ですから、今回の野々宮様の一件も、休日に入っていたことの事件として学園の責任はなかったのです」

アリサの疑問にノエルが答えた。彼女もすずかの手伝いをすべく独自に調べ、聖明学園に纏わる事件事故のニュースを洗い直してみたのだ。
その情報からするに、すずか、アリサは勿論のこと、ノエルでさえも聖明学園に対して疑惑を向けざるを得なかった。無論、これを知っている者でも引っ掛るものがあるだろう。
  また聖明学園の学長とやらも秘密主義らしく事件事故は表ざたにはしたがらない。別に珍しいことでもなく、組織を統べる長であれば多くの者が同じ選択をするに違いない。
大抵は自信の名誉や安全を最優先にして問題をもみ消すのだが、それもまた因果としてその人自身に跳ね返ってくるものである。
この聖明学園とやらもそれに準ずることになるのだろうが、今のところはそういうこともないようだった。

「因みに、初代学長の喜元 武三(きもと たけぞう)が私財で創設されて以来100年目を迎えます。今の学長は4代目でして、岸田 志郎(きしだ しろう)という人物がその学長です。そして副学長は、岸田氏の御夫人で岸田 美加(きしだ みか)と言うそうです」
「へぇ、夫婦で学園を運営しているんですね。家族経営みたい」
「そのようです。ずっとその形で来ているみたいですね」

  岸田学長は今年で46歳となる。聖明学園の女学生が行方不明になるという事件によって、彼自身が隠ぺいしているのではないかとのもっぱらの噂である。
加えて表に出てきてはおらず、学園を直接運営しているのは代理の人間だという。この人間もまた秘密主義で、自身の名誉と老後を心配して事件沙汰になるのを嫌っていた。
学長が表に出てこない理由としては長年の持病が原因で学園に出られないとの事だ。それが本当か嘘かは分らないが、それ以上に深いことは不明確のままである。
妻の美加は42歳。こちらも殆ど学園に顔を出すことは無いということだが、学園の入学と卒業、その他学園行事の主だったものについては、夫と共に顔を出すという。
  だがノエルの次の言葉は、2人に衝撃を与えるものだった。

「それと、これは入ったばかりの情報ですが、学長夫人は5日前に交通事故で亡くなられたそうです」
「え?」
「事故って・・・・・・」

耳を疑う話である。新聞にも取り上げられていたようで、夜20時頃に学長夫人を乗せたタクシーが、交差点で信号無視で突っ込んで来た酒酔い運転の車に側面から激突された。
しかも夫人が乗っていた後部座席の左側に突っ込まれてしまい、その衝撃を全身に強く受けて命を落とした。ほぼ即死だったという。
タクシーが横に『くの字』を描くほどの衝撃であり、これで生きている方がよっぽど不思議であろうというものだ。
  またノエルの調べでは、既に学長夫人の通夜は執り行われ荼毘(だび)に付すまでの7日間は、仮埋葬を行ったとの事である。

「だ・・・・・・び? 何ですか、荼毘っていうのは」
「今で言うところの“火葬”でございます。今では大半が使うことのない言葉かもしれません」
「それでノエル、仮埋葬ってどういうことなの?」

昔ながらの古い言葉に首をかしげるアリサと、7日間の仮埋葬という行為に引っかかるすずかの問いにノエルが答える。

「通夜を通して直ぐに火葬せず、7日間ご遺体を安置することです」
「7日間も?」
「はい。その地域の古い習わしのようでございますが、再び目覚めることを願ってとのことです」
「死者が蘇る・・・・・・か」

何やら不穏な空気が冷気となってアリサとすずかの背中に降り立ち、激しく心臓の鼓動を上下させた。本当に単なる蒸発事件なのか。裏に何か潜んでいるのではないか。
確信も証拠もないものの直感がそう告げる。この事件、舞台裏にはとんでもない魔物が潜んでいるのではないかと。

「生徒の蒸発に夫人の事故死・・・・・・何かありそうな気がするわね」
「後は、実際に学園に行ってみるしかないよ」
『間もなく、野辺山駅、野辺山駅に到着いたします――』

あれやこれやと考えている内に、電車は聖明学園に近い駅の野辺山に到着し、足を踏み入れたのである。





CHAPTER・V


  野辺山駅に降り立った3人は、最低限の荷物を抱えて駅から出る。駅そのものは無人駅とまではいかぬものの、都会の様な駅とは段違いの簡素さであった。
またこの町は海鳴市とは違い内陸部にあることからか、あまり活気とは無縁の地のように思えた。ビルなど一つも建ってはおらず民家や商店街などが大半で、悪く言えば閑散、良く言えば穏やかな町並みといったところであろうが、静かに暮らすならうってつけともいえる。

「着いたのはいいけれど、どうする? このまま聖明学園に行ってみるか・・・・・・」
「まずは泊まる宿に入って、荷物を降ろしてからにしましょう。聖明学園は車を使わないと1時間以上は掛かるから」
「そっか、それもそうね。手荷物を持ちながらじゃ動きづらいし、宿に行きましょ」
「畏まりました。タクシーで向かいましょう」

  一端宿泊する宿に向かうことで合意した3人は駅で駐車している1台のタクシーを確保することとなった。一応計算では、宿まで車で約30分は掛かる予定である。
その確保した大分使い古しているようで、10年以上前の型でベストセラーの車であった。都会でも度々見るが、それよりもかなり使い込んだ印象があった。
運転手は座席で首を前後に小さく揺すっており、時折大きくカクンと前に傾ける。明らかに暇が睡魔を運んで運転手をドリームワールドへと誘っているところだろう。
人通りが多い訳でもなければ利用客も多い筈もない。ただひたすら呑気に稀な客を待っているのだが、肝心の客が来ても気づくことはない。
それ程に心地よい世界にいるのだろうかは判別しがたいが、兎に角にもこの運転手に起きてもらわねばならなかった。
  ノエルが運転席側に周り、開けっ放しの窓から運転手を現実世界へ引き戻した。

「すみません、よろしいですか」
「えぇ? あ、あぁ、すみません! 転寝しておりました」

呼びかけられて仮想から現実へと意識を浮上させた運転手は、その声の主を寝ぼけ眼で見た途端に心臓の鼓動を一際大きく跳ね上げる。
見た目からして60代半ばの初老の運転手で、白髪だがタクシードライバー専用の帽子を被っているため、全体に渡って髪が生えているかは判別しがたい。
また使い古した車や、運転手の年齢と同じように長年に渡って使い続けて来たであろうヨレヨレのブレザーやスラックスを、それとなく着用していた。
  運転手は客が来た事に驚いたが、そのお客が類を見ない美人であったことにも驚いていた。こんな町に何の用で来たのかと、半ば疑問の眼差しを向けそうになる。
跳び起きた反動でズレた帽子をかぶり直した運転手は、改めてノエルの方を向いた。

「運転手さん、この八ヶ岳の山麓にある八ヶ岳ロッジへ向かって頂きたいのですが」
「え、あぁ、八ヶ岳ロッジね。分かりました。トランクを空けますから、そこに荷物を入れてください」
「有難うございます」

トランクを開けると、そこに手荷物を納めてからノエルが助手席に、すずかとアリサが後部座席に座った。前部座席の後ろ側には色々と宣伝紙が載っているのが目につく。
地元の宣伝紙の他には当然のことながら聖明学園の広告も貼ってあった。それを一瞥しながらもシートベルトを締める。

「じゃ、出発しますよ」

そう言うと運転手はエンジンを掛ける。グオン、とガソリンエンジンの唸り声が響き、手慣れた動作でパーキングブレーキを解除しギアを入れる。
今では少数派の存在になりつつあるマニュアル車のタクシーで、クラッチペダルとアクセルペダルを踏み変えて、スムーズに車を走らせていった。
  タクシーの車窓から見える町並みは、やはり簡素な風景であった。住宅や中規模または小規模の店舗などがポツポツと点在するくらいで、驚くくらいに静かだった。
この地域の住人には申し訳ないが田舎町というには相応しい雰囲気であったように思えた。こんな人口の少ない町の大学に、野々宮 敬子が入学したとは驚くばかりだ。

「目的地まで、どれくらいかかりますか?」
「そうですねぇ、大体30分ってところですな」
「山の中となると、結構走るのね」

すずかの問いに運転手が答える。アリサも意外な走行時間に肩をすくめた。やはり山間部に点在するだけあって、駅からはそれ相応の時間はかかるようだ。
ただ混雑する程の車両が道路を走っている訳ではないので、渋滞には困らないのは有り難い話ではあった。
  目的地に着くまでの間で沈黙が続くかと思われたが、運転手がすずか達にそれとなく目的を訪ねて来た。

「お客様は御旅行で、こちらにいらしたんですか?」
「えぇ、そんなところです」

本当は違う。聖明学園で行方不明になった友人を探しに来た等とは言いづらく、旅行という事で話を合わせる。とはいえ情報収集もしておきたい。
  そこでノエルが察して運転手に尋ね返す。

「そういえば、私達の向かう八ヶ岳ロッジの付近には学校施設がありましたね」
「ありますよ。聖明学園という女子専門学校で、この辺りでは一番名の通った大学です」
「そうなのですか。よろしければ、教えて頂けますか?」
「構いませんよ。到着するまでの暇つぶしにもなるでしょうし」

さすがはノエルだ。すずかはノエルのやり取りを見ていて感心した。さりげない質問から聖明学園について情報を引き出していったのである。
大まかな話はノエルが事前に調べていたことと一致しており、例の蒸発事件も話題に上った。地元民なら尚更のこと知っているのであろうが、その蒸発事件について斜め上を行くような違うワードが出てきたことから、すずかとアリサ、そしてノエルの思考がソレに集中する。

「鬼・・・・・・ですか?」
「そうです、鬼です。ほら、昔話とか、地獄の世界に居るとか言われているアレですよ。もっとも、これは老人たちの噂話みたいなものでしてね」

  話によれば蒸発していく生徒達は鬼によって連れていかれた、という今では到底考えられない古い考え方をしているらしい。運転手自身は作り話のでっち上げと言うが。
半ば興味を引かれたのはすずかであった。あまり関係が無いかもしれないが、一応の情報として聞いておきたく思い、その鬼についても尋ねてみた。

「運転手さん、次いでで何ですが、その鬼とやらについて詳しく聞かせていただけますか?」
「おや、お客さんは昔話がお好きで?」
「いえ、まだ到着までに時間があるでしょうし、時間潰しには良いかなと思いまして」
「成程。かまいませんが、まあ、風土化した昔話みたいなもんでしてね。鬼伝説ってここいらでは言われるのですが――」

彼はこの村に伝わる鬼伝説を語り始めた。
  それは西暦1500年代――約500年ほども昔のことだった。加賀国(かがくのくに)(現在の石川県)の沿岸沿いに1隻の異国の難破船が辿り着いたのが始まりだという。
難破船には白人の男が乗っていたが、彼が何処の国の人間かは伝えられてはおらず名前もまた然り。分かっていたことはキリシタン――即ちキリスト教信者であった事だ。
そして神を信じた男は神を捨て、遂には鬼になったと言い伝えられている。何故、その男が鬼になったのかと聞かれると、運転手は答える。

「人の生き血を吸ったからですよ」
「血を吸った・・・・・・」

すずかは息を呑む。まるで吸血鬼の様な事をしたから、昔の人々は鬼と呼んだのだろう。
  その男は日本に流れ着いた矢先、彼の首もとに十字架が掛かっていたことからキリシタンであるという事が判明したのが、次への苦痛の始まりとなる。
当時の日本はキリスト教をターゲットとした、禁教令の前身となるバテレン追放令で徹底した弾圧や追放を行い始めた時期であり、それに運悪く掛かってしまったのだ。
  男は役人達の激しい拷問に遭った。言葉も分からぬ異国の地で、キリスト教を信じるが故に罰せられると言う理不尽な扱いを受けたが、その理由さえも彼には分からない。
神に救われることを強く信じていた男は、神の救いもなく拷問を受け続けたことによって、遂には神を無能者と罵り自身の持っていた十字架を地に投げ捨てた。
叩き付けられた十字架に向かって唾を吐き掛けたことからも、彼が如何に物凄い苦痛を味わったのか、そして神を信じ切っていたのかが伺えた。

「それから男は、宗教を捨てたという理由から役人から解放されたものの、男は半ば気が狂い、日本人を蛮人として恐れて山間部へと逃げ出したそうです」

恐れをなして人里から遠ざかるように、内陸へ、内陸へと歩みを進めた男。蛮人の居ない、救いのある希望の地を目指して歩き続ける途方もない放浪の旅であった。
  飢えと渇きに苦しみつつも歩き続けた。雨が降ればその水を飲んで凌ぎ、よく分からない植物をしゃぶり飢えをどうにか凌いでいたが、それも限界が来る。
数日間の日照りの為に水さえも望めず、遂に地へと倒れ伏した。目指す希望の地など何処にもなく、彼は絶望の淵に片足を伸ばすところまで来ていた。
このままでは餓死することは明白で免れない。森林も湖もない荒れた荒野でただ1人、助けもなく大地に仰向けになって朦朧としたが、彼は数日間凌いだのである。

「そんなところで、その人はどうやって飢えを凌いだんですか?」

気になったアリサが尋ねると、驚きの返答が返って来た。

「己が血を啜ったんですよ」


己の血を啜った――その事実は、3人を凍結させるのに十分なものであった。普通の人間であれば常軌を逸した行為としか思えないだろう。
  しかし人間とは死の狭間にまで迫った時、生きるために有り得ない行動を起こすのは決して前例がない訳ではない。とある航空機墜落事故でも、似たようなことがあった。
山間部に墜落した航空機で生き残った1人の乗客が、生きる為に死んだ人の肉を喰らったというショッキングな事件があったのだ。
そしてこの元キリシタンの男も、荒野で水もない、食べれそうな植物もない、そんな絶望の淵にあっての究極の選択だったのだろう。
  そうやって飢えを誤魔化して生き延びた男は、遂に一軒の民家を発見する。そこには若い女性がおり、両親が家を離れて1人だけ残っていた。
女性を見つけた男は飢えと喉の渇きを潤わさんがために、その少女を襲い生き血を吸って殺してしまう。男は吸い殺してから、自らの過ちに気づいた。
男は泣き続け、ひたすら泣き続けた。彼女の亡骸を抱きかかえながら歩き彷徨い、そして、どのような手段を用いてか悪魔と契約を施して女性を蘇らせたという。

「蘇った・・・・・・!」
「えぇ。悪魔との契約だとかなんとか、はっきりとしたことは分かりませんが」

アリサの驚きに運転手が答える。死者を復活させたものの、その後の展開もまた非道な未来が待ち受けていた。
  その事実を知った村人達は男を鬼と呼んで恐怖に慄き、多勢に無勢で男と女性に襲い掛かる。死に絶えるまで殴り続けたが、その残虐に対して誰も止めようとはしなかった。
そして蘇ることのない様に頑丈な棺桶に放り込んで埋めたのだが、この数日後に棺桶は解き放たれており、中に居た筈の男女の遺体も消えていたという話である。

「――以上が、この町に古くから伝わる鬼伝説の物語です」
「・・・・・・なんだか悲しい話ですね」

すずかが呟いた。

「そうですなぁ。白人の男も酷い仕打ちを受けて、生きるために地獄を味わったのですからね」
「それで殺してしまった女性と共に、また何処かで生き続けているかもしれない、という事ですか」
「そうなりますな。ま、昔話ですからね。今の蒸発現象とは何ら関係は無いでしょうが・・・・・・おっと、そろそろ到着しますね」

話を聞いている内に、気が付けば目的の宿である八ヶ岳ロッジに到着した。周囲は森林で囲まれており、山間部ともあって空気も済んで心地よいところである。
本当に気分転換に泊まり込むなら最高の場所だろうとさえ思う。残念ながら今回は楽しむために来たわけではないので、そんな余裕は何処にもないのだが。
  荷物を降ろした3人はタクシー代を支払い、宿の玄関窓口で受付を済ませると宛がわれたダブルとシングルの部屋へと移動した。
ダブルにはすずかとアリサ、シングルにはノエルが入る。そこで一旦荷物を置き、それから聖明学園へと向かうこととなった。
部屋の窓から見える景色は絶景とは言わずとも、心安らぐ緑の風景であることは確かだ。

「ほーんと、こんなところに来るんだったら、気分転換に来たいわね。海鳴市は海が綺麗だけど、緑の多い山の中ってのも悪くないわね」
「そうだね。なのはちゃん達と来たいね・・・・・・兎に角は、この事件の真相が分かればいいのだけれど」
「すずか・・・・・・」

友人の死に対して未だに心を切り替えられていないすずか。アリサとて同じ思いだが、いつまでも沈んでばっかりでは先に進めないのだ。

「そうだ、時間も時間だし、お昼を取ってから行かない?」
「え?」
「だってここに着くまで食べてないでしょ。貴女も、少しはお腹に入れて元気にしておいた方が良いわよ」
「うん。そうしよっか。ノエルにも言っておくね」

親友から食事の提案を受けたすずかは、気を取り直してノエルのいる隣室へ内線で呼び出し、やや遅めのお昼を取ろうと告げる。
ノエルもそれに賛同し、一同は八ヶ岳ロッジのレストランに向かい、そこで遅い昼食を済ませていった。





CHAPTER・W


  聖明学園は文字通り目と鼻の先ともいえる距離にある。彼女らが宿初している八ヶ岳ロッジから北東へ僅か300mの距離でしかない。
無論のこと直線状の計測であり道路沿いに行こうとすると約700mは歩くことになるが、近いことに変わりはないだろう。
フロントの受付に鍵を預けて目的の聖明学園へと脚を運ぶこと10分、学園の正門前に到着する事が出来た。正門とはいうが、別に学園を壁で囲ってはいない。
寧ろこんな山林の中に存在する学園に侵入しようとする輩が居ること自体考えにくいだろう。それゆえに、厳重な警備などはやっていないように思われた。

「へぇ、やっぱり田舎の学園って感じがするわね」

  アリサは入り口前でポツリと呟いた。聖明学園は一応の大学としての風格のある建物で、歴史を感じさせる造りであることが感じられた。
そのまま学園領内へと入り込んだ3人は、正面玄関前のロビーに立て掛けられていた校内案内板を見る。彼女らから見て正面が学園の本館で、左手方向には学生寮があって、右手側には運動用のグラウンドなどが整備され、学園の奥側には学長の住まう屋敷が立っているという配置だった。
また山奥という事もあってか沼地も転々と存在するようで、この学園内部にも沼が転々と存在している。
  まずは何処に向かうべきかと考え込む。

「さて、どうしましょうかね、すずか、ノエルさん」
「うーん。来たばっかりだし、気兼ねなく話せる友達は他に居ないし、どうしようか」
「そうですね。常套手段としては事務の方に尋ねるべきでしょうが・・・・・・。野々宮様の事件について、教えてくれるかが問題です。逆に警戒心を抱かせるやもしれません」

目的地云々よりどうやって聞き込むかが問題だった。警察でもないのに聞き込みをしては、それこそ不審人物だと勘違いされるやもしれない。
ましてや蒸発事件からまだ日が浅いのだ。ならばいっそのこと素直に、野々宮敬子は自分の友人であり、その蒸発事件の事で聞きたいと明るみにしておけば怪しまれないだろう。
  そう思ったのだが、やけに学園は静かな雰囲気があった。学生がまばらでも良いので歩いていても良い筈だが、講義中にしてもガラガラとし過ぎだろう。
何故こうも閑散としているのか、と考えたがすぐに答えは出た。何のことは無い、聖明学園も春休みに入っていたのだ。野々宮敬子の調べに夢中になり過ぎて忘れていたのだ。

「不味いわね。こうなれば学園の職員か事務員さんに尋ねるしかないわよ」
「だね。それにしても、休み中でも部活とかサークルで人の気配が僅かにあってもいいと思うけど・・・・・・」
「やはり蒸発事件の影響でしょう。大学側もそれを考慮したのかもしれませんが・・・・・・」

それは事実であった。大学生達――特に寮生の学生達は、この事件も相まって大学に残ることを嫌い大半は実家へと帰ったのである。
  増々を持って聞き込みは難しいと悟らざるを得ない彼女らであったが、そんな3人にふと声をかけて来た男性がいた。

「君達、何をしているのかね?」

天然パーマ気味の黒髪と、やや太めの黒い眉が特徴的な30代後半と思しき男性。赤茶色のタートルネックに焦げ茶色のジャケット、灰色のスラックスという出で立ちだ。
見たところは学生という雰囲気ではなく、どちらかといえば新任教授という印象を持ちやすい。その男性は訝し気な様子で、3人のもとへ歩み寄った。

「もう春休みで大半が帰ったと思っていたんだが・・・・・・」

  どうやらこの大学の学生だと思ったようである。実際は全く違うので、早々に名乗りだした。

「いえ、この大学の学生ではありません。私は海鳴市から来ました、月村すずかと申します。そこの学生です」
「同じく海鳴市から来たアリサ・バニングスです。同じく学生です」
「御2人の付添人のノエル・K・エーアリヒカイトと申します。メイド長を務めております。」
「ほう、海鳴市から・・・・・・」

学生ではないことに驚く男性だが、海鳴市という遠い地方から来たことにも驚いている様子だ。まして2人は他県の学生で1人はメイド長と来たものだ。
異様な組み合わせの3人であるものの、その3人に自己紹介をされた以上は返さねばなるまい。男性も名乗った。

「聖明学園の心理学教授をしている白木 敏雄(しらき としお)だ。東京から赴任して1ヶ月も経っていない、文字通り新任でね」
「東京から・・・・・・しかも新学期前に赴任されたのですか」
「そうだよ。何分、急な話でね。聖明学園からの要望という事で、急遽駆けつけてきたと言うわけさ」

大学教師というのも、これで中々に大変なようだ。
  それはそうと、白木は肝心の事を聞き逃すまいとして本筋に迫って来た。

「それで、他県の学生が何故ここに? 最近のニュースでも知っていると思うが・・・・・・まして人口の少ない山中だし、観光目当てとも思えないが」
「それは・・・・・・」

本当のことを言っておくべきかどうか迷ったのだが、すずかは怪しまれるよりは本音を言った方が良いと判断した。まして相手は心理学専門の人間である。
彼女はアリサとノエルにも目配りをして相槌を打つと、本心を包み隠さずさらけ出した。

「実は、この学園で行方不明になった野々宮さんの事で、どうしても気になることがあって来たんです」
「え、野々宮君のことで?」
「はい。実は、私とアリサちゃんは、野々宮さんとは高校時代の友人でした。連絡を取り合っていたのですが、ここ最近連絡がパッタリと無くなって・・・・・・そしたら・・・・・・」
「そうか・・・・・・ふむ」

野々宮 敬子の事を話すと白木は何やら渋い顔を作り考え込む仕草をする。これは何かあるのではないだろうか、とノエルは真っ先に感づいた。
  すずかは続けて夢の件を話した。自分が野々宮敬子に襲われた瞬間、助けを求めてきたことをだ。すると白木の表情が渋い表情から驚きの表情へと変化していく。
確実に何かを知っていそうだ、とノエルに続いてアリサも気づく。どうしたのか、と聞いてみようとした矢先に白木の方から先に口を開いた。

「不思議だな・・・・・・」
「何がです?」

すずかが尋ねると、白木は答える前に彼女らと立ち話をするには場所を移した方が良いと判断し、その場から学生寮の舎監室へと案内した。
学生の姿が無いとは言えども外で話をするには何かと気が引ける上に、学生寮も大半が無人で人がいないことから気兼ねなく話せると思ったのだろう。
3人は白木に感謝した。普通なら即座に出ていくように言われるのだが、白木本人もまた事情を知っている様子なので、受け入れてくれたのである。
  学生寮に通された3人はそのまま舎監室へと案内された。部屋の真ん中にはこじんまりとした机と椅子が設置されており、壁の棚には教授らしく書籍が並んでいる。
振り子式の時計や昔ながらの暖炉が置いてあり、どこか時代に取り残されたような雰囲気があった。それもまた味わいなのだろうが、その感想は置いておく。

「こんな狭いところで悪いんだが、まぁ、椅子に掛けて。それと、コーヒーを淹れるから待っててくれないかな。よりによってインスタントだが」
「いえ、お構いなく」
「そうも如何よ。わざわざ友人の為に来た君達に、コーヒーの一杯も出さないのでは失礼だろうからね」

そう言って白木は手際よくインスタントコーヒーをマグカップに淹れると、3人にの前に差し出した。湯気が立ち上ると同時にコーヒーの香りが鼻をくすぐった。
自分のを含めてコーヒーを淹れ終えると、白木も椅子に座ってすずか達と顔を迎え合わせると、早速と話を切り出したのは白木である。

「さっき、月村君は夢の中で野々宮敬子に会ったと言ったね」
「はい。馬鹿らしいかもしれませんが・・・・・・」
「いや、馬鹿らしいとは思わない。寧ろ信じたいくらいさ」
「どういうことですか、白木さん」

  ノエルが尋ねると白木は神妙な顔つきになり、自身が体験したことを口にしだした。

「実はね、この話も馬鹿にされる類かもしれんのだが、僕も野々宮君の夢を見たんだ」
「え?」

偶然なのだろうか。この男もまた野々宮 敬子に会っているというのだが、それはあくまでも夢の中の出来事。しかも彼女だけではなく、死亡した岸田学長の夫人も見たのだ。
彼の見た夢とは次のようなものであった。
  赴任当日に学園に到着した白木は、あいさつの為に学園の責任者たる岸田学長の屋敷へと訪れた。そこで岸田学長と会って直ぐに、彼は驚くべき話を持ち出された。
まだ赴任してきたばかりの白木に対して、次期学長の候補として白羽の矢が立ったと言うのである。無論のこと白木は驚き、赴任したての自分には無理だとして学長候補を辞退を申し立てたのだが、学長の逆らえぬ異様な期待と威圧感で拒否することも辞退することも許されることはなかった。
その晩、白木は屋敷に一晩だけ泊まらせてもらっていたが、ふと聞きなれない歌が聞こえて来た。それは人を誘うセイレーンの歌、という表現がしっくり来るものである。
歌声に導かれるように、とある一室にへと入るとそこに1人の女性が立っており、その女性は胸元から僅かに出血してブラウスを血に染めていた。
怪我をしたのかと思い声をかけたところで、既に亡き学長夫人こと岸田 美加が突如として現れて白木に襲い掛かったのだ。彼は逃げ惑い、そして途中で意識を失った。

「目が覚めれば、自分が寝泊まりしていた部屋にいたんだ。しかし、あまりにも生々しくてね・・・・・・一時は夢として忘れようとしたんだが、そうじゃなかったんだ」
「つまり?」
「夢が、実は本当だった、ということさ」

  その推測にアリサは待ったをかける。

「待ってください、白木さん。その夢が本当だとしても、死んだ人間が蘇ったという事になりますよ」
「いっそのこと、その方がすっきりするんだ。それに、不可思議な事が起きているからね」
「それはいったい、何ですか?」

すずかが気になって尋ねる。白木が赴任した直後から、とある女学生が白木の講義中に貧血で倒れてしまい、完全に回復するまで今なお学生寮にいるという。
それだけなら何ともないのだが、その倒れた女学生――西条 久美(さいじょう くみ)を診察した際に奇妙な傷口が2つ、左の胸元付近に見つかったのが妙に引っ掛かった。
刺し傷にしては妙であり自分で傷つけたとは非常に考えにくいし、寧ろ何かに噛まれたと言う方が納得のいく傷の付き方であった。
  しかも彼にその疑問を強くさせたのが、自身の夢に出てきた野々宮 敬子の傷口の形と同じであったという事だ。これは偶然なのか、と白木は疑問を抱き続けた。

「そこで、僕は聖明学園の校医の下村先生という人物に尋ねたんだ。傷口の件と、奇妙な夢の件をね」
「それで、その先生は何と?」
「信じ難い顔だったが、この町に伝わる妖怪伝説や昔話の鬼との関連付けから、話を半信半疑ではあるが受け入れてくれた」
「鬼・・・・・・鬼伝説のことですか?」
「そうだが、なんだ、君達も知っていたのか」

すずかの口から鬼伝説の言葉が出てきて以外に思うが、彼女はタクシーこの付近の宿へ来るまでに地元の運転手から時間つぶしに聴いていたと説明する。

「それで、関連付けっていうのは?」
「鬼伝説を聞いているなら結末は知っているだろう? それが、本当にあった事なら今もなお生き続け、この事件に深く関与していると下村先生と仮説を立てたんだ」
「まさか・・・・・・!」

鬼伝説に登場した鬼が実在し、今もなお生き続けている。そんな考えにアリサが頬を強張らせるが、無理もない反応だと白木は言う。
まして昔話を真面に信じる人間はいないからだ。普通はそうなのだが、今回の場合はどう考えても不可思議の多い聖明学園にあって、その考えが通る様な気がする。
1年か2年ごとに行方不明になる聖明学園の学生は、昔からずっと生き延びてきた鬼が浚っては血を吸い命を繋いでいるのではないか。
  さらに仮説を立てた白木は、その鬼というのが岸田学長と夫人の美嘉ではないか。突拍子な仮説だが、白木にはそれが本当だと信じているようだ。
無論これには確証も証拠もないのだが、その下村という校医も白木の仮説を100%ではないが概ね信じているようだった。
そして白木がもっとも危惧していることがある。学園に残っている西条という女子学生の身に何か起きるのではないかと心配しているのだ。
白木と下村は彼女の身を危惧して、今晩は学生寮の舎監に泊まり込んで見張りをしようと計画を立てた。無論、警備員にも見張りを頼んでいるのだが、妙な胸騒ぎがするという。

「しかし、鬼伝説の鬼・・・・・・いえ、血を吸って生き永らえるなら吸血鬼と言うべきでしょうが、その吸血鬼が学長夫妻という確証は未だに無いのでしょう?」
「あぁ、綺堂君の言う通り、確証はない。誰に言っても、それは世迷言だの妄想だのと、馬鹿にされるのがオチなのは目に見えているからね」

すずか達は妄想だとは思わない。既に魔法という存在を知った彼女らからしてみれば、この鬼――もとい吸血鬼という幻の存在が実在すると言われても、否定はしなかった。
 
「なんであれ毎年起きている蒸発事件の裏には、吸血鬼が絡んでいると僕は見ている・・・・・・君たちの友人、野々宮君の失踪事件も同じだ」
「それで、その西条さんが次のターゲットにされている、と」
「そうなんだ。あの傷跡からして狙われる確率は高い・・・・・・さっきも言ったように、俺と下村先生、警備員が護衛に就くがね」

  久美が標的にされるという可能性について考えた時、すずかの背筋に冷気が上下する様な気がした。そして肝心の彼女の身近には護衛が居ないという事になる。
そこですずかは確認の意を込めて白木に話した。

「白木さん、西条さんはお部屋に1人で?」
「あぁ。だが2階にはこの舎監室を素通りしなければならないから、誰かが来ればすぐにわかる」

確かに2階への部屋に行くには舎監室の前の階段を使わねばならない。正面玄関を開けたり階段を昇ろうとすれば足音で気付くだろう。
  とはいえ相手が本当に人間であればそれでも大丈夫かもしれないが、生憎と人間ではない可能性もある。そうなると1人でいるのは非常に不味いのではにか。
そう考えたすずかは、白木に提案する。

「あの、もしよろしければ、私たちが西条さんの看病を致しましょうか?」
「ちょっと、すずか!」

アリサが驚きすずかの顔を見つめる。部外者でもある自分らが此処にいるのもあまり望ましくはない以上、久美の部屋に泊まり込むのは尚更まずいと思った。
しかし部屋に1人きりというのも上手くないだろう。それにその久美という人物からも、野々宮敬子のことでいくつか聞いてみたいこともある。
またノエルもメイド仕事のエキスパートとして、看病の面倒見も良い。

「まぁ、それは有り難いが・・・・・・」

  白木も彼女の申し出に感謝したいが、そうそう簡単にお願いします、と返答するのも気が引けた。どうしようかと悩んでいたところに、もう1人が舎監室にやってくる。

「待たせましたな、白木せんせ・・・・・・おや? 君達はいったい・・・・・・」

50代と思しき中年男性が姿を現した。モミアゲが特徴的なこの男性が、白木の言う校医の下村 武則(しもむ たけのり)である。昔話や妖怪伝説に興味を持つ医者だ。
その彼が舎監室に入った途端に見知らぬ女性3人が居たことに驚きを隠せない。

「下村先生、彼女達は失踪した野々宮君の友人で、はるばる海鳴市から来てくれたんです」
「おぉ、そうですか。いや、びっくりしましたよ。先生がべっぴんさんを3人も連れ込んでいるのですからな・・・・・・あ、私は校医の下村です」
「ど、どうも」

なんだかフレンドリーな感じの医者だ、とすずかもアリサも直感で感じたものである。

「友達想いなんですなぁ、君たちは。そんな友人を持っていながら、こんな事件に巻き込まれたのは非常に残念だ」
「私達は、その敬子さんの失踪に何かあるんじゃないかと思って、やって来たんです」

さらに白木は、すずかの見た夢もまた野々宮 敬子に関するものだと説明する。

「下村先生、この月村君は、僕と同じような夢を見たそうなんですよ」
「本当かね! だとすれば、益々もって奇妙な事だ。白木先生と君の夢が同じという事は、やはり何かあるか・・・・・・」
「それと、下村先生。彼女らが西条君の傍で見守ってくれると言ってくれているんです」
「それはまた有り難い話だが、しかしねぇ」

下村もすずかの提案に歓迎しているが、こんな危険な事件の起きた直後の話だ。まして他県から来た女性たちを無断で学園内の寮で寝泊まりさせた挙句に、事件に関して危険に晒してしまったら親御さんたちに申し訳が立たないと考え、下村は丁寧にかつはっきりと辞退した。

「君達の申し出は感謝するが、ここは我々大人に任せてもらうよ。白木先生もいるし、何よりも君達を危険に巻き込むわけにはいかないからね」
「で、でも」
「月村君、下村先生の言う通りだ」

3人の身の安全を考慮すべきとの意見に白木も賛同し、すずかたちの提案は取り下げられてしまう。
  しかし、次いでということで西条に会ってみないかという事になった。そこで多少の話をしてから、すずかたちは一旦八ヶ岳ロッジへと戻る予定である。
気付けば時間も午後5時を回り、辺りも薄暗くなっている。早いところ済まして帰った方が良いと白木と下村に急かされ、3人は舎監室から2階の久美の部屋へと向かった。
久美は敬子と同じ寮生ということもあって何かと親しい人物であったとの事で、であれば他にも何か分かるかもしれない。そのような希望を持って部屋の前へとたどり着く。
そして白木が先頭に立ってドアノブに手を掛けて開けた瞬間だった。すずか、アリサ、ノエルは勿論、白木と下村も、そこにある恐るべき光景を目の当たりにする。
  見知らぬこちら側に男が背を向けて、久美と思しき女性の胸元に噛みつこうとした瞬間に出くわしたのである。驚くべき光景に空気が張り詰めたのは一瞬のことだ。

「誰だッ!!」

白木が叫んで部屋の中へと飛び込んでいったが、謎の男が一瞬早く動き出して窓ガラスへと飛び出していった。ここは2階の筈である、正気なのかと白木たちは思った。
閉まったままの窓ガラスを突き破った男は、そのまま地上へと着地して何のことは無いと言いたげに走り出し、森の中へと消えていく。
その際、窓辺に駆け寄った下村は男が一瞬だけ振り返ったのを見逃さなかった。その顔を見た途端、彼は叫んだのである。

「が、学長!!」





〜〜〜あとがき〜〜〜
第3惑星人でございます。記念作品ということで書かせていただきましたが、本当であれば完結してから掲載をお願いする予定でした。
しかし中々執筆が進まないゆえに、やむを得ず終わったばかりの前編だけを掲載するに致りました。

さて、東宝映画作品『血を吸う薔薇』と『リリカルなのは』のクロスオーバーとなりましたが、いかがでしたでしょうか。
以前にも吸血鬼ネタで『ゲゲゲの鬼太郎』とのクロスオーバー作品を掲載しましたが、その際に読者様から「月村すずかとも混ぜてほしい」旨を頂いたのが、今回のきっかけです。
とはいうものの、残念ながらすずかはアニメ版基準となり、吸血鬼ではありませんので、ご了承頂きたく思います。

また執筆中に、『血を吸う薔薇』の登場キャラクターを、ヤマト2199のキャラに代行させようかと思いましたが(パロディ的な感じになります)、迷った挙句に原作のままの登場人物たちをそのまま使いました(ただし学長と学長夫人は苗字すらないので、役者の名前や苗字から拝借しています)。
『血を吸う薔薇』は個人的に好きな国産吸血鬼映画でして、吸血鬼役の岸田森氏がはまり役なのが気に入っております。しかもべらぼうに強いと言う・・・・・・。
因みに本当であれば、学生には西条の他に2人居たのですが、クロスオーバーする都合上、西条1人のみとなりました。



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