その日、一人の男が燃え尽きた事実は、世人に余りにも知られていない。







彼の生き様は英雄的だった。

別に剣を持って戦ったわけではない。

だが言葉の槍を持って心の城砦へと攻め入り、見事に守門を踏破し本陣に攻め入った。
城郭を埋め尽くし本丸を攻め落とし、軍旗をはためかせて凱歌を歌った男の雄姿を、私は生涯忘れない。

もう、ここに彼はいない。

生徒会室の机の上でノートを広げながら、私は彼を想う。
夕日が綺麗だ。
山の端に入り行く夕日に照らされて、私の影は誰かを探すように長く伸びる。

彼は形容の仕様もないほどに英雄的であった。
それはつまり――我らの言語では彼に対し相応しい言葉を見出すことが出来なかった。
彼を賞賛するということは、言語という記号ではなくして主観と客観の区別のない体感の次元、言語というある種の区分化をされる以前の――或る哲学者の言を借りれば純粋経験というべき陶酔の中でしかありえないと私は確信する。

言語はともすれば下品に失する。

覚えのある人もいるのではなかろうか、誰かを愛するということ、その気持ち、それを外部に表示するその行為、その行為はとても尊いと思えるのに、言葉に出した瞬間に酷くチープなものに感じてしまうあの感覚――あの喪失感に近い。
喪失。失うのだ。言葉は想いに比して薄すぎる。密度がない。軽い。劣化しているようにさえ思える。
だから、私は――私たちは唇に乗せた言葉を、伸ばしかけた手を、曖昧な笑みのうちに隠してしまう。

詩人であるならば、想いを美しくあらわせうるのだろうか。
私は羨ましい、とそう思う。
けれど浅学非才の我が身では感動を、衝動を、煌めく陽炎のような儚き想いを、うまく言葉として表すことはできないのだ。




先ず彼の話をする前に――最初に言っておく。私は義妹派だ。

……否、義妹派だった、というのが正解だろう。

義妹は、萌える。実に。
そこに嘘偽りの入り込む余地などない。私は今でもそれを確信している。
家族と幼馴染の境界、揺れ動く恋心、女性としてあなたを見ているのにどうしてあなたは家族としてしか見てくれないの……この切なさ、愛しさは正に義妹というカテゴリーでしか表せられない芸術だ。
信仰と言ってもいい。宗教告白の自由があるというのは幸福なことである。私は胸を突き上げるこの衝動を全世界に向かって声高に叫ぶことが出来るのだから。

そう、私は義妹をこよなく愛している。
言うまでもなく私に義妹はいないが、脳内には理想の義妹が住んでいる。
その数は最早把握すら出来ないだろう。

だが、彼との討論を経て――私の胸裏には実妹に対する深い情愛が芽生え始めたのだった。
無論断っておくが、私に実妹などいない。
現在する実妹は大抵の場合害悪以外の何者でもない。そこに議論の余地はなく、弁解などあろうはずがない。

おっと、だが彼の実妹だけは別だ。
彼女の存在は――そう、奇跡だった。
この感動をどう形容すべきだろうか?
いても立ってもいられない衝動、突如として襲い来る幻惑のような陶酔、ああ――人はこれをなんと評するのだろうか?

……彼の実妹は、目が見えない。
歩くことも出来ない。
幼いころより体を動かす機会に恵まれず虚弱で、体自体もか細い。
庇護されねば生きていくことのできない、弱い存在だ。
実に保護欲を刺激される――それが実兄ならば尚更であったろう。

彼はずっと、妹を守り続けてきた。
ゆえにシスコンと呼ばれた。
ふふ、あながち間違いとはいえまい。
シスター・コンプレックス。悪くない響きだ。
この言葉だけでご飯三杯いけるだろう。

しかしもし彼の妹が骨太のガングロであったとしたら、私はソレを山に埋め……捨てたであろう。
野生動物は野生で生きていくのが望ましいからだ。

当然ながら、外見というものは萌えの重大なファクターである。
世間には所謂ギャップ萌えというものが存在することは広く知られている事実であるが、その意外性を考慮しても超えられない現実というものは往々にして存在するのだ。
その点、彼の妹君は実に素晴らしかった。
華奢な体躯に可憐な容貌、薄幸の美少女というに相応しく、そこにギャップはなくともむしろ正統派の気品、世の妹共が泣いて羨む調和があった。



そんな完璧な妹を持つ彼はしかし――燃え尽きた。



私はその日のことを克明に記憶している。
生命の火を一瞬のうちに凝縮し、眩い光、生の証左として放ち切ったともいえた彼の命の記憶。

陶酔――?幻惑――?

思い出すたびに、失禁を禁じえない。

正直に言えば――私は彼が羨ましかった。

完璧な妹がいること――が、というわけではない。
いや、完璧な妹がいることは無論羨ましい。しかし私にも理想の義妹がところ狭しと脳内で自己主張しているし――ふふ、愛い奴らだ――彼の境遇、待遇、生い立ちなど私は特に気にしていない。

私が何を羨んだか、それについては一寸待って欲しい。
いかな紳士の私といえども、心情の吐露、そのハードルは人並みに高いのだ。

いや、紳士であるからこそむしろ恥を知っているというべきか。
聖者の如く――ほかに形容のしようがない――信仰を告白する私を見て、世間の愚昧は白目を向ける。
信仰とは祈りだ。祈りとは愛だ。祈りは恍惚だ。私はそこに愛を知るからだ。私は、私達は預言者のように愛する。
そして世間の暗愚は眉を顰める――。

いつの世も天才は理解されない――私や彼のように。

我々の真価は、歴史が証明するだろう。
価値あるものは、いつまでも記憶の塵に埋もれてはいないのだ。

歴史。
連綿として続くそれ。だが、私を構成する全ては私が生まれてから得たもの、私という限定された時間でしか構成されない。
たとえ確実な資料で過去を知悉し手に取るように把握し、もっとそれを論ずることができようとも、私は私という限界を超える術を持たない。

私が何を羨んだのか。
そう、私はいまだかつて、あれほどまでに激しく胸を衝くものを知らなかった。
だからなのだろう。
紳士としては恥ずべきことだが、私は嫉妬したのだ。大罪だ。



あの日――今日と同じように夕焼けが綺麗だった。



連なる夕雲。山の端に消えゆく赤紫の火輪。揺らめく光は厚さの異なる積乱雲を包み込むように照らし出していた。
薄い雲は明るく橙色に光り、厚い雲は陰のように紫に染まる。
昼と夜の境目の数分間、幻想のような時間。生徒会室にいたのは私と彼の二人きりだった。

ケイソを通して透明な光が鮮やかな赤色へと彩を変える。
生徒会室の全ては橙に染まった。その中で私達の影が黒く、長く伸びていた。
長く伸びる影は誰かを探すように、否、ナニカを探すように壁に映し出され、奇妙なほどに長い手を躍らせた。
当時の私は義妹原理主義者であり――実妹を擁護する者は世界に汚穢(おわい)を振りまく罪悪だと確信していた。

「それでは、君はあくまで実妹に拘るというのかね?」
「当然だ。理想は美しい……分かっている。しかし、天壌を見上げているだけで君は理想を手に入れることができるというのか?
下を見ろ。そこには何がある……形相は常に愛するものの内に見出しうる、と俺は思う」

彼の言葉は余りに真っ直ぐで――それゆえに私の胸に深く突き刺さるものだった。
正直、私は諦めていたのかも知れない。
我が愛しの義妹を愛でながら――実妹という現実に絶望していたのだ。
ないものねだり、というべきか。

「……人は理性の生き物だ。だが同時に理性的な判断さえも容易に変化しうる不安定な生き物だ……人には感情がある。機械ではないんだ。だから、私は敢えて言わなければならない。
萌えは、君の形相論では説明し尽くすことは不可能であると」
「把握する。俺も――ピザを見て萌えるなどという蛮行を犯す気は全くない。だが、だが!
理想を求めようとも、完全を求めようとも――今ここに確かにある、不完全な愛しいものの中に理想を見出しうるならば――」
「立場の相違だ。さらに我々自身の性質の相違でもある。高貴なる趣味は往々にして互いに排斥的なものだ。

そう――ロリと熟女好きが永遠に相容れないように。

想像する――。今ではぶくぶくと肥え太り地球温暖化に一役買っていると思われる特大ピザがかつては天使の雫を零す ょぅι゙ょ だったと。
ああ、吐き気を催す現実、時の経過とはかくも残酷なるべし。
君はこういうのではないか――?そう、腐ってやがる、と。
結局、理想というものはただそこにある形相を超えなければならない。背後にある理想、それが真実なのだ」
「君は――大脳が作り出した幻想こそが真実だというのか――?
現実は、超克されるべき或るものだ。現実を超克してこそ我々の理想は一つの真実にたどり着く。
たとえ……!
今は体重が3ケタを超え一日の平均摂取カロリーが8000kcalを超えているピザだとしても……適切な管理を行えば見れるものになるだろうと確信する――。
それは取りも直さず人類に対する信頼だ。
誰かがやらないのならば、俺がやろう。君には祈りが足りない。愛が足りない。
思い思いの方向に、無限の開花を、俺は望む。世界の誰もが諦めても、俺は諦めない。

それでも間違っているというのなら。

間違っているのは俺ではない……世界の方だ!」

それは――議論というには余りに幼稚で。
余りに感情的なものだった。
私が得たものはなく、彼が得たものもまた、ない。
しかし、我々の間には確かに何らかの感情のぶれのようなものが生じていた。

あるいは、それは友情といわれるものであったのかもしれない。

手を伸ばせば触れられる距離。
そこで私も彼も、手を伸ばそうとはしなかった。理想が相容れないのならば、あとは争う以外ないのでないか。
手を伸ばせば届く距離で思った。しかし、この僅かな距離……それよりも我々の心は近づいていたのだった。

「君は、変えられるのか……?
欺瞞に満ちたこの世界を。
誰もがあくせくとして、何かを変えようと願って、結局自己の変革さえも成し遂げられないこの世界を?
ロリは ょぅι゙ょ と歓喜の声を上げ、教育委員会にもアムネスのアホ共にも迫害されない世界を?
甘党は糖尿病の心配なくパフェタワーを制覇することなど夢のまた夢のこの世界を?
マヨラーのコレステロール値がやばいこの世界を?
世界のマイノリティが自由と繁栄を享受できる世界を――――創生すると?」
「それこそが理想だ。そして現実は超克されるべき或るものだ。
ゲイはゲイに、ホモはホモに、男色は男色に、衆道は衆道に。

そして実妹道は実妹道へ。

――――優しい世界へ。」

それは……きっと素晴らしい世界。
私の瞳は霞む赤を見つめていた。ゆれる。ゆれて、零れ落ちる。
国家という枠を取り除いた誰もが理想の――誰かである世界。

「君の……妹さんを、見せてくれないか」
「……ああ」

彼はおもむろに懐に手を伸ばした。実妹中毒者の彼のことだ、財布の中に後生大事に妹の写真を入れているに違いなかった。

そして私は驚愕した。

ロリだった。

私は彼を仰ぎ見た!
口元に優しい笑みを浮かべた義兄がそこにいた。
雷電のように――私の脳裏にはまたひとり、新しい義妹が生まれていた。
喉元から歓喜がせりあがってきていた――。

「……わかってくれたか……。現実は決して空虚な妄想ではなく――形を伴った愛しいものを内包していると」
「ああ、現実を肯定することはできないけれど……確かに理想は現実の内にあった……。
君の事を……義兄さんと呼んでもいいかい……?」
「それは断る。ナナリーは俺のものだ」

夕日が綺麗だった。
長く伸びていた私達の影は、一つになっていた。

形相は確かに理想を内包していた。
よもやこれほどまでに完璧な妹がいたなんて……。

世界は、希望に満ちている。


ふと、気づいた。
生徒会室の入り口、戸が開いている。
いつの間にあいたのだろうか。私と彼が熱く語り合っているときであろうか――?
戸の隙間から覗くのは緩くウェーブがかかった薄いブラウンの髪。

つと、その両目は閉じられている。
陶磁器のような肌は小刻みに震えていた。

彼も気づいたようだった――。

そして彼女の薔薇の唇から、言葉は紡がれた。

「お兄様……………」








きもちわるい。








その日――、一人の男が燃え尽きた。
しかし彼は再び立ち上がるだろう、その手に理想の世界を掴むために。

そして私もまた――かの妹君から愛ある罵倒をこの身に一身に受けるため再び立ち上がるのだ。
彼女は完璧だった。
……彼の実妹は、目が見えない。
歩くことも出来ない。
幼いころより体を動かす機会に恵まれず虚弱で、体自体もか細い。
庇護されねば生きていくことのできない、弱い存在だ。

しかしその言霊は私の胸を深く深く抉っていった。最早治療はできない……彼女を除いては!
彼女の言葉は私に消えることのない傷を残した。兄に向けたはずの言葉は私さえも貫いた。

ああ、私は彼女に罵倒されたい。踏んでもらいたい。

一体誰がかの少女からきもちわるいなどという言葉が出てくると思うだろうか。
いや、想像もつかないに違いない。
義兄さんを燃やす尽くした彼女の言葉は私の理性もまた熱情の炎で燃やし尽くしてしまったよ。

ああ、ああ、これこそが究極の――――。









ギャップもえ。




あとがき

オチを考えて、これは短編いける……と思い書き始めたんですが書いてる途中で雲行きが怪しくなり……。
でも、消すのはもったいないし、書き直すには時間ないし違和感を感じつつ無理やり進めていると……何か奇妙なものの出来上がりです。

これから創作してみようって方は私のようにしないよう注意しましょう。


そして5000万hitおめでとうございます!



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