灼熱の夢を見る。紅い……太陽が空を覆って、周囲は業火の渦に消える。

真っ黒に焦げた遠くの死体と近くの死体。死体死体死体死体死体死体死体死体死体。
理不尽だった。どうして自分は生きているのだろう。記憶はすっぽりと燃え尽きて、喉も命のカラカラに渇いていた。
多分、両親も友人もいたのだろう。だけど彼らは屹度真っ黒に虚ろになってしまっていた。

脆弱な自分が生きて、どうして彼らは虚になってしまったのか。

許しがたい吐き気……のようなものを堪えながらのろのろと歩く。熱い。熱い。熱いなんてものじゃない。
体の内側から腐っていくような、爛れていくのを通り越して腐敗していくような、耐え難い不快感と、鈍痛。
否、希望の欠片なんか一片もなく。それでもただ歩き続けなければならないという強迫観念にも似た焦燥は、鈍痛と疼痛が波のように押し寄せるこれは、屹度これは――絶望というのだろう。
息が出来なくて喉を掻き毟りそうになる。けほっと、咳いて呼吸をすれば花びらのような火の粉が喉を焼いた。

「ァ――あ、ア――ぁあ?」

空を太陽が覆っている。否、あれは本当に太陽なのだろうか。
天球の三分の一を占める巨大な塊。不吉とでも言おうか、それが空から墜ちてくる。

灼熱の中で倒れこんで、二三度咳をした。動けなかった。
世界は、紅かった。紅い世界はとてもとても残酷なほど美しくて、涙が出そうだった。
空には孔が……いや、あれは太陽だ。どす黒い程に真っ赤に燃えて、死体を乾かしている。

この世界には、何もない。希望が欠片もない。

生きているのなら、生き延びなくちゃ――――。

子供心に、そう思った。だけど、一面の焼け野原。
現実は残酷で、燎原は空を焼いていて、最早のろのろと歩くことさえも出来なくなってきていた。

この世界には、何もない。

友人も――家族も――記憶も――命も――ああ、そうとも、自分自身さえも。

―――死ぬのかな。

当たり前のことを、不思議に思ったのを覚えている。なんて愚か。気づかなかったのか。
お前はとっくの昔に死んでしまっていることに。ほら、記憶がすっぽり燃え尽きて、思いもさっぱり消えうせて。
どうやっても、憶えてないのだろう?
以前のお前は、そこで死んだのだから。

黒い太陽が祝福する。さぁ、誕生日おめでとう。君は今ここで生まれて、ここで死ぬ。

「…………」

もう、熱いという感覚もなくなって――ただぼんやり空を見上げた。
灼熱という言葉が、今思えばだが、しっくりくる光景だった。遠くは燈色でゆらゆらゆれていて、蜃気楼みたいだった。
近くはもっと硬い。硬い炎が地を舐めてちろちろ蛇のように威嚇している。時節思い出したように火の粉が飛んだ。
ポリエステルの衣類が溶けて、肌に張り付いた。皮膚も屹度溶けているのだろう。

「…………」

痛みはなくなったけれど、耳は聞こえた。どうでもいい。ぱちぱちと炎の踊る音がした。
息も出来ずに、ただ空を見上げた。ぱちぱち炎の踊る音がした。

苦しいなぁ。痛みが何だかわからずに、ただ苦しいと思った。
屹度、もう動かなくなってしまった人たちも、こう思ったはずだった。
でも彼らはもう喋れない。でもまだ――まだ、自分は生きている。だから彼らの代わりに、苦しい、と、呟いた。

炎の踊る音に紛れて誰かの足音が聞こえる……。

幼い俺は空を見上げるのをやめた。広がる視界には瞳に涙をためた男が写っていた。



赤色の、夢を見る。今は――まだ。







masked justice.






「――うわ、最悪だ」

目を開けてみると、天井が見えた。嫌な気分だ。額に触れると、大粒の汗が滲んでいた。

時計を見る。もう6時を過ぎていた。
衛宮邸の朝は早い。今は多少疎遠になってはいるものの、親友の妹、桜は既に朝食を作り始めているだろう。

やばい、完全に寝坊だ。

家主としては客人に朝食を作らせて安穏としているわけにはいかない。桜、今日も早いな、なんて感心している場合じゃない。

気だるい体に喝を入れて、衛宮士郎は立ち上がった。





いつもの朝食。相変わらず大人か子供か判然としない藤ねえ通称タイガーと最近大人びてきて反応に困る後輩間桐桜と食卓を囲む。
桜は虎の餌付けにずいぶん前から成功したらしく弁当の催促を受けている――まあちゃんと食費は貰っているからいいのだが、この人自分で料理したりしないのだろうか――?

猛獣の飼育係に大抜擢された後輩を多少の憐憫の目で見つつ、藤ねえの将来に思いを馳せる。

――ああ、大変だな。

そう思った。

「ところで士郎、今朝遅かったけど何かあった?」

味噌汁を胃袋に収めながら、藤ねえ。
まったく、普段はにぶちんの癖にこういうときだけ鋭いから困る。

「昔の夢を見た。寝覚めが悪かっただけで、ほかは何ともない」
「そっかそっか、いつものことか。なら心配ないね」

十年前、衛宮士郎は全て燃え尽きた。トラウマだったのだろう、当時は割りと酷かったらしい。
しかし月日が流れるにつれ、あの日のことを夢に見ることはどんどん少なくなっていき、今では軽く流せる程度になった。

寧ろ、今見る夢のほとんどはあの日のことではない。霧に包まれたような、幻影のような、そんな剣の夢をみることが多かった。
フロイト様的にいうと――ああ、なんだ、あまり言いたくない事柄になるのだろうが、個人的にはそんなに欲求不満はない、と信じたい。大体フロイト様の汎性欲主義はフロイト自身のプチブル的思想の範疇から逸脱しないわけで――と、誰に言い訳してるんだ俺。

誰ともなく、心中弁解する。

とにかく、当時は紅い世界の夢を見ることが多かった。今でもあの衝撃は忘れていやしない。
そして藤ねえは当時から衛宮邸に入り浸っており当時の様子も知っているわけで、俺のそういう変化には敏感なのだ。

「大丈夫?食欲はある?今日に限って食欲がないならわたしが一品といわず二品おかずをいただいてあげるけど」
「うるさい、人の夢にかこつけて食料の強奪をするんじゃない」
「いいじゃない、ケチ」

分かっている。この人はどこか頼りなくてダメな大人だけど、こちらの心配をしてくれている。
調子に乗るから口には出さないけれど、感謝してる。心の中だけで手を合わせる。

こちらの憤然と――わざといつも通りに振る舞い――している様子に安心したのか、藤ねえはテーブルの皿に手を伸ばした。

「昔のお話ですか?」
「そーなのよ桜ちゃん。士郎も昔は純真無垢って感じで可愛かったのにいつの間にか捻くれちゃったのよぅ」
「はぁ。子供の頃の先輩ですか?」
「そうそう、昔っから切嗣さんに似たのか困っている人を見るとついつい手がでちゃう子でね、大河お姉ちゃんをお嫁さんにすると言ってた頃はかわいかったなぁ。一体いつの間に捻くれちゃったのかしらねー」
「余計なことは話すなよ、藤ねえ。後、事実を捏造するな。お嫁さん云々は言った覚えはないぞ。桜もつまらないなことは訊くな」

にまにま笑う藤ねえに釘を刺す。というか、行かず後家になりそうなこの人を嫁にする危篤な人間は果たして地球上に何名存在するのだろうか。ギネス記録に挑戦とかそーいう問題にさえなりそうだぞ。
先ほどまで藤ねえに合わせていた手を、心の中で解く。やっぱりこの人は藤ねえだ。付け上がらせちゃダメだ。

「む。藤村先生、詳しくお願いします」

俺の態度に不審を持ったのだろうか、やぶへびだったのかも知れない。
桜は見た目に反して意固地な所がある。これはもうほかって置くしかないだろう。

「ふふーん、じゃあ話しちゃおう。実はねー士郎は困っている人を放って置けない性格なのだ。
弱きを助け強きを挫くって奴。勧善懲悪?そんな感じ。
子供の頃の作文なんて、ボクの夢は正義の味方になることです、だったんだからー」
「……先輩、すごい子供だったんですねぇ」

桜が目を丸くしている。
……だからきかれたくなかったんだ。でも、藤ねえのくっちゃべったことは事実だし、その思いは未だこの胸に。
故に口を出さない。またやぶへびになるのが怖いわけではない、断じてない。ないといったらない。


下らない四方山話に花を咲かせつつ、衛宮邸の朝食は過ぎていった。











「アーチャー、どう思う?」
「どうもこうもない。分かっているのだろう?」
「そうね、分かってる」

夜――人影すらない屋上に、少女はいた。2月の寒空の下、紅いコートを羽織る彼女の隣には誰もいない。
しかしその声は確かに聞こえていた――。つまり、そこにはいるのだ。見えないだけで、何者かが。

「やってくれるわ、誰の許可を取ってこんな事をしてくれたのかしら」

少女は緑の黒髪で編んだツインテールを振り、不機嫌そうに呟いた。
屹度何か承服できないことがあったのだろう、秀眉を顰めていらただしげに歯噛みする。

「マスターとして、否、人として三流もいい所だ。だが、結界自体は酷く厄介だぞ」
「……ええ、そうね。わたしじゃ発動を遅らせるのがせいぜいね。マスターを探索するのが困難である以上、発動のタイミングを見計らって倒すしかないわ」
「今のうちに物理的手段により校舎を破壊すれば犠牲者は出なくなると私は思うがね」

明らかに苛立っている少女に答える声はむしろ冷たかった。それと同時にどこかからかう響きがあった。
相変わらず、姿は見えない。しかし少女は姿無き声の主を認識しているようだった。

「目立つ行動は慎むべきでしょ。というかまさかあんた私が止められないと思ってる?」
「それこそまさか。この私を召還した君は間違いなく最高のマスターだ。必ず犠牲者は出さないだろうさ」

少女は揶揄するかのような声に一瞬顔を赤らめたが、ふんっ、とツインテールを振り明後日を向いた。

「でも、あんたのいう通りだったわ。まさか学校にわたしの知らない魔術師がいるなんて」
「言ったろう?何事にも例外はあるものだ」

少女は眼下を見下ろした。そこには暗黒の洞がのぞいていた。

「……上等。イレギュラーも含めて全部完ッ璧に対処してやるわ」
「それでこそ私のマスターだ。ところで凛、一つ訊きたかったことがあるのだが、いいだろうか」
「何よ」

少女は姿無き声に少々不機嫌そうにこたえた。自信満々な発言の後に水を差されたのが嫌だったのかも知れない。
それとも、少々赤らんだ頬を見るに、照れ隠しだったのかも知れない。

「君は、運命を信じるか?」

先ほどまでのどこかからかいを含んだ声音ではなかった。
いうなれば、真摯な声音だった。
少女は小首を傾げた。彼が何を思ってそんな事をいうのかが分からなかったのだ。
いや、本当はなんとなく分かる気がした。

校舎に仕掛けられている結界は非常に厄介なものだ。発動すれば魔力により体を守っている魔術師を除いて人間を溶かして食う鮮血の祭壇。それを止める術はなく。ただ発動の刹那にのみ見出しうる。そんな敵を感知することができるのか……?
それに抗うのは運命に抗うことではないのか。それならばその輪廻から最初から外れてしまえばいいではないか。
無論、それは彼女らの信念に反する。しかし最悪の事態というものは常に、考慮しておかねばならないものだ。

少女は息を吸い込んだ。試されている。だったらやってやる。

「信じてるわ、一応ね。でもそれに従うかどうかは、わたしが決めることよ」

自身満々に答える。その言葉には一片の迷いさえ感じられず、ただただ晴れた蒼穹の如き清涼さがあった。
故に――それに答える姿無き声もまた不敵さと自負を含んでいた。

「そうか、実に君らしいな。その言葉を、あいつも聞いたのだろうか」
「あいつ?」
「気にするな。そうだな、ならば私も運命とやらに抗ってみることにしよう、そう言っただけさ」

いつの間にか――そこには紅い外套の騎士が現界していた。185cmを超えるだろう長身に引き絞られた弓のような体躯。
その双眸は鷲のそれ、浅黒い肌とは対照的な色素の抜け落ちた髪。
引き結んだ口元に強い意志を感じさせる中高の面貌。いやが上にも歴戦を感じさせる纏わりつくかのような緊張感。

その姿は正に――英雄と呼ぶに相応しかった。




拍手返信

[1]投稿日:2010年02月08日10:43:24
ナイス・害が現れた!
期待してます。


>害人の害ですね、わかります。
物語が少しは進むかなーというのがまだ少しかかりそうな感じです。
期待していてくれればうれしいです。



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