ついてない。

雲翳る月光の下、蒼き槍兵は独りため息を吐いた。
しかしその俊足は翳ることなく、ただ目的地まで突き進む。

具に見ればその身に数多の傷が生生しく残っていることが分かっただろう。
今夜、彼は戦っていたのだ。

そこに不満はない。
それについては、彼は自身を寧ろ幸運だったと評しただろう。

強敵であった。どこの誰とも分からないが、全力を以って相対するに相応しい敵であった。
神話の時代、戦場でさえなければ敵であっても酒を酌み交わした彼にとって、強敵とは同時に尊敬すべき友であった。


いけ好かない現マスターの、全てのサーヴァントと戦って、一度目は倒さずに生還すべしという命のため、彼自身は一度目の相手に全力戦うことは出来ない。
他のサーヴァントと戦い、適度に離脱しつつも彼は己の境遇を嘆いた。
戦うために、サーヴァントは呼び出される。にも関わらず自己のこの待遇はなんたることだ。

己の望みは血を焼き、胸を焦がす戦闘だというのに、今回の聖杯戦争はあまりに外れだ。

そして、深夜の屋上にて、黒髪のマスターと対峙し――アーチャーらしき者と出会ったのだ。
らしき、の如く曖昧な表現は、相手が余りに異質だったからに他ならない。

短剣を使う弓兵。

確かに、弓兵だからといって、弓以外を使わない道理はない。だが、弓以外の獲物を扱うことが出来るのと使いこなすことが出来るのは別の問題である。
見たところ、アーチャーはあの短剣を極限まで使いこなしているようには思われなかったが、それでも弓兵が余技として扱うにしてはその技量は異常に過ぎた。
ランサーの穂先は閃光のソレである。弓兵の余技にて閃光を受け切ることは不可能である。
たとえランサーが全力で戦うあたわざる現状であっても、それは変わらない。

しかし、それだけならばランサーはアーチャーを「不可解」と区切りで囲うだけだっただろう。
元来、サーヴァントは特異な能力な稀有な才能を持つ、英雄と呼ばれた人間の昇華したものである。
ならば、不可解な業を持つ者は多分に存在するのが道理、面白いとは思うが、それだけだ。

だが、アーチャーは螺旋剣を扱ったのだ。
形は変わってはいたがそれは確かに、カラド・ボルグだった。

それは本来あってはならない事実。そして――かの螺旋剣こそ、ランサーを驚愕させた事実だった。

驚愕させた、というのは正しくないのかもしれない。ランサーはあの時確かに「止まった」のだ。
かつて、ランサーはかつての誓約のために、カラドボルグに一度負けなければならなかった。
その誓約ゆえに、ランサーの体は止まったのだ。そしてアーチャーはそれを見逃すほどに甘くはない。

だが、アーチャーはわざとソレをはずした。

わざと、手を抜いた。その事実にランサーは怒った。
サーヴァントは殺し合いの道具として召還されるとは言え、英雄の誇りはまた別である。

手を抜かれるなどということは、英雄の矜持が許せることではなかった。

しかしそんなランサーの心情とは裏腹に、彼のマスターからは帰還の命が下る。

「この勝負、次に預ける」

駆け出すランサーに、アーチャーの放つ矢が迫る。
まるで吸い込まれるかのよう。当たったとイメージしたとき、その矢は相手に当たっている。
それゆえのアーチャー。それゆえの英雄。

しかし。

矢はランサーに吸い込まれる直前に、真紅の旋風に打ち落とされた。
ランサーとしては打ち落とす必要すらなかった。流れ矢の加護ゆえである。

気に入らない。いけ好かないマスターのいけ好かない命令に従うことは実に気に入らない。
だが、マスター替えを了承させられた以上、従わざるを得ない。
それに――まだ一つやつには令呪が残っている上に、前回の――。
苦々しい思いが口いっぱいに広がるが、ランサーは哀れな犠牲者に向けて槍を放とうとし――紅の極光に遮られた。

「―――!?」

投擲武器ならば、相当の技量でなければランサーに傷をつけることは出来ない。
確かにアーチャーのクラスの技量ならば、ランサーを一撃必殺できるスキルがあっても異常ではない、が、先ほど放たれた赤釘にはそのような脅威は感じなかった。
それは経験に裏付けられた確信にも似た直感である。魔中が跳梁し魔術が跋扈する異形の戦場で生き抜いたランサーにとってそれは信頼に値するものだったのだ。

ゆえに――あの赤釘はランサーにとって脅威に値しないはずだった。

しかしながら前方、仰臥せる男子生徒とランサーの合間には隔絶された空間が存在していた。
砂埃と白煙を巻き上げながら、砂を砕き小石を溶かす熱は確かにランサーを傷つける破滅を内包していた。



何だこいつは?



驚愕と共にその疑問が湧き上がり―――そして綺麗さっぱり消え去った。
その直感は実に突然だった。
思えば、疑問だらけだった。

この弓兵の態度は、まるで自分を以前より知っているような風ではなかったか?
一瞬硬直する自分になぜアーチャーわざとその一撃を外した?
いや、そもそもどうしてこんなに気安く宝具を見せてくる?

こいつは、ランサー(おれ)を誰であるか知っていて、それゆえに正々堂々と戦うためのお膳立てをしてくれているのではないのか?
だとすれば納得がいく。わざと手の内を明かし、これで対等だと、そう言っているのではないのか。
一度は負けなければならないカラド・ボルグを外し、これで俺が一度撤退すれば負けるという誓約を取り除きうると考えているのではないか。

「ほんとにわけのわからんサーヴァントだな、てめえ。
それに目撃者は消す。魔術師の鉄則だろ?なんで助けようとするかね?」

ランサーは湧き上がる衝動に、思わず笑みを漏らした。
こいつ、面白いやつだ。騎士道なんて聖杯戦争には似合わないし、世知辛いこの時代にはとっくに廃れたと思っていたが――割とそんな事もないのかもしれない。

「何のこともない。そいつを殺すのは私でなければならない。それに――君はソレを殺したくなどないのだろう」

そしてランサーはアーチャーの飄々とした物言いに笑みを深くした。
ああ、あのくそマスターの命令に従うのは癪だ。別にこんな小僧殺したくもないしな。

ランサーは基本的に気分やである。先ほどの怒りなど、今この全身を支配する高揚感の前には塵とかし消えていた。
槍を握る手に力が入る。ここで闘いたいのは山々だ。
だが、このまま戦うと色々と不都合が生じる。名残惜しいが、撤退しなければならない。
だがその前に――。

「やっぱり面白いな、お前。いいだろう。

クー・フーリンの名においてここに誓約しよう。俺は必ず貴様と再戦する。じゃあな、アーチャー」

最早、隠すことも出来ずに、ランサーは笑い出した。愉しい。
こんな楽しいのは今回召還されてから初めてじゃないだろうか。いけ好かないマスターの下でいけ好かない命令をきいていなければならなかった今回の聖杯戦争、それでもこいつと戦えるというのなら、召還されてよかったというべきか!
対してアーチャーもク、と口元を歪めた。

「相変わらずだな、君は。名を明かすことはできないが、君の誓約確かに受けた」
「あ、やっぱりおめえ、俺のこと知ってやがるな?薄々そうじゃないかと思ってたぜ。フェルグスじゃないし、誰なんだよ?」
「ああ、君だけとなら語らってもよいのだが、私の凛と違い、隠れて出てきやしない臆病者のマスターがいるのだろう?盗みぎかれるのはお互い癪ではないのかね?」
「ははは、違いねえ!」

実に愉快。
ランサーは笑いながら闇夜を駆け――憂鬱なねぐらに帰ろうとしたのだが――。

「くそ、何が確実に始末してこいだ。てめえでやれよくそが」

蒼い獣は独り愚痴る。
時節顔を出す白い月は優しい光で雲を押し分けてランサーを照らした。
その顔は不機嫌そうに歪んでいる。
しかしその脚は止まらず、家々と飛び越えかけぬけ、一直線に突き進む。
その右手には真紅の長槍、触れなば切られん殺気と纏い、蒼い獣は突き進む。

月光の下に集う運命を、彼はまだ知らない。





「これで6体目のサーヴァントが揃った。残りはあと一枠……恐らくは、セイバーか」
「ふん。ようやく来るかセイバー。10年も我を待たせるとは戯けた女だ」

闇よりも深い暗黒の中、形をなしたそれは、じり、と身動きした。
暗い。
僅かな光さえも漏れでない、そこはまるで地下牢。そこに響く男の声は密室の中で反響しやがてエコーを残して消えた。
コツコツ、と革靴が石畳を打つ音がする――。
月光は遥か空に。その恵みを峻拒する地の神殿の中には、闇よりも暗い暗黒と共に黄金の光があった。
反射すべき光さえかしこにも見えず、しかしそれは宛も自ら光を発するが如くに煌めいていた。

「行くのか、英雄王」
「あれは我のモノだ。故に我が愛でるのも道理であろう」

コツリ――。

石畳に反響する音が、止まる。

「セイバーを喚ぶのが衛宮士郎であるのなら――しばらくは手出し無用だ」
「……ふん、まあよい。10年待ったのだ。今しばらく待ってやる。
だが、その様を見る分には文句はあるまい?」
「ああ、問題はない」

コツリ、コツリ。
霊廟の静謐の中、冷たく遠く足音が反響する。足音の主は何か喜ぶべきものを見つけたように――両腕を天に掲げた。

「追い詰めろ、ランサー。そうすれば必ず召喚はなるだろう。
そして――喜べ、少年。力を得、君の願いはようやく――叶う」




masked justice


<校庭>



「分かった、マスター、建設的に話し合おう」

諦めたようにため息を吐く様が癇に障る。
屹度今のわたしの表情は実に不機嫌そうに歪んでいるのだろう。
場所は二月の半ばの校庭――吹きすさぶ風が心まで冷たくしてくる。

「話し合うことなんてないわ。ソイツは記憶を消して自宅に捨てておくだけ。はい終わり」
「……分かった。変わらないのならば、それでいいのだしな」
「……?まあ何でもいいわ、分かったなら。それじゃアーチャーそいつ持ってきて」
「な、私に運べというのか……!」
「確かあんたわたしの命令に逆らうと能力がワンランク落ちるのよね?」
「了解だ、地獄へ堕ちろマスター」

素直に生徒を担ぐアーチャーの表情は実に不機嫌そうだ。
その様を見てわたしは少しだけ表情を和らげた。
しかし、まるで荷物のように小脇に抱えているというのは、どうなんだろうか。

アーチャーに小脇に抱えられる赤毛の少年は、やはりアイツだった。
なんというか、わたしのトラウマだ。別にこいつが悪いわけじゃないんだけど。
まあ、色々あってわたしはこいつの家を知っている。知っているだけだけど。

「ところでアーチャー。あんた記憶戻ったの?」

寒空の下、衛宮邸に向かう間、わたしには聞きださなければならないことがあった。
幸いアーチャーはわたしの命には逆らわない。
召喚したその日、あまりに不遜なコイツの言動にキレたわたしが令呪を使ったためだ。
それからはこちらの能力を信頼してくれたのか令呪なしでも割ということを聞いてくれる。
と、いうか、皮肉屋なんだけど、こいつどうやら根は素直なやつなのだ。

「ああ、そうだな。召喚直後記憶が混乱していたのは事実だが、あのあとしばらくして自己が何者かは認識していた」
「……いいなさいよ」
「訊かれなかったからな」

……訂正。根もひねくれている。そして女たらしだ。

「それで、あんたは何者だったの?」

こいつはカラド・ボルグを使った。カラド・ボルグの所有者として有名なのはフェルグスだが、その他何名かのアイルランドの英雄が扱ったらしい。
ランサーがクー・フーリンだとすればフェルグスは彼の養父だし、息子が父を見間違えるはずはない。
と、すればアーチャーはフェルグスじゃなくて……。
それだけじゃない。あの紅い釘は聖釘だ。キリストの手足を穿ったという聖遺物……。
それをシンボルとする英雄が、アイルランドにいるのだろうか?

「ああ、ソレなんだがなマスター。悪いが教えることは出来ない」
「……………あ?」

今、なんといいやがりましたか、このサーヴァントは。

「凛、言葉遣いを直したほうがいいと私は思うぞ」

余計なお世話だ。大体人前に出るときは猫被ってて完璧優等生演じてるっての!

……いや、屹度事情があるのだろう。大方恥ずかしい最期を遂げた英雄か何かだ。
だから真名を知られたくないとか、そんな理由だろう。
わたしはすーはーすーはー深呼吸して息を整えた。

大丈夫。わたし冷静。

大体サーヴァントの真名を知らなくても聖杯戦争は戦え――。

「―――るか、馬鹿ァ!何が、悪いが教えることは出来ない、よ!真名が分からなきゃ作戦の立てようがないでしょうが!」

世闇に叫ぶ。力いっぱい。
頭きた。素直だと思っていたらこれだ。

「ま、待て、落ち着けマスター。君の言いたいことは理解できるが、仕方ないのだ」

当たり前だ。理由もなく真名も言わないのなら最悪を通り越して契約破棄ものだ。
問題はその理由なのだが――ああ、それでも腹が立つ。なんでこいつはいつもいつもわたしの思うように行かないのか。
ああ、もう最初からだ。最高のサーヴァントを召喚しようとしてポカしてケチがついたし、その後予期せず令呪を使ったのもそう。挙句の果てに今夜は「殺すな」なんて令呪を使ってしまった。もうあと一つしかない。
ケチるつもりはな……ない……ないと思う、けど、これではあんまりだ。
屹度不機嫌な表情のままだろうが、叫んで少しだけ溜飲を下げ――目の前の馬鹿を睨みつけながら、訊く。

「……それで、理由は何よ」
「あ、ああ、それなのだが――私は未来の英雄なのだ」








「私は未来の英雄なのだ」

その言葉は妙な程にすとーんとわたしの胸に落ち着いた。
なぜなら理解できてしまったから。つまりこいつが真名を明かさないのは――。

「つまりだ、君が私の真名を知り何らかのアクションを起こした場合、最悪未来に私が存在しないことになる。
バタフライ効果ではないが、私としてもその危険性は排除したいのだ。
もっとも、私はロシア系だから君が直接関わることもないだろうが、それでも念のため姓、名共に明かせないことを許して欲しい」

と、そういうことだ。
おそらくは英雄は現象として固定されている。だから正体が知れたところでこいつが消えることはないだろう。
だが、わたし達の未来において幼いこいつがなるはずだった英雄が、存在しないことになる未来はありえる。
そうしたとき、こいつが将来救うはずだった人たちはどうなるのだろう。
考えるまでもない。そのまま死んでいくはずだ。こいつがその生涯でどれほどの人間を救ったのか、もしくは殺したのか、は知らない。だけど英霊として召喚される以上それなりの功績を世界に認められる必要があるはずだ。
それを否定することは、わたしにはできない。それに、こいつの真名を知ったところで今存在しない英雄の弱点や宝具はわからないから真名を知る必要はな――宝具?

「待った。あんたカラド・ボルグを使ってた。それに多分だけど聖釘も。あんたの真名はいいから、宝具はどうなの?」
「私は生前魔術師でな。詳しくはいえないがとある組織で英雄たちの使った武器や防具の蒐集、修復、保管そして――複製を行っていた」
「英雄の、武器や防具の?」
「そうだ。私はいわゆる通常の魔術は不得手だったが、物質の構造を解析するのは得意でな。つまり私の宝具というのは、私の工房なのだ。かつて組織が蒐集し、私が複製した武器が納められている」
「………」

眩暈が、した。
英雄の武器を複製する?どんな天才だったのよこいつ。
人の身で神が創った武装や、年月が鍛えた奇跡を複製する――?
ありえない。ありえないけど――それならば聖釘やカラド・ボルグを使える理由も分かる。
思えばあのカラド・ボルグはまるでユニコーンの角のような形状をしていた。つまりそれは……。

「そして、私は武器を複製するだけでなくそれに手を加えて用途によりその形状・性質を変化させていた。
あのカラド・ボルグも正確にはカラド・ボルグそのものでなく、偽・螺旋剣であり、私が手を加えたものだ」
「――――……」

言葉が出ない。ほんとにこいつ天才だったんだ。
いや、英雄なんてのはそんなモンかもしれない。嫉妬を超えて殺意さえ覚える。
ああ、だからこいつわたしに話したくなかったのかもしれない。
魔術師なんてのは自分本位なものだ。こいつも生前魔術師だっていうのだからこの能力封印指定されたりしたんだろう。
運よく免れたのだろうが、喋る気にならないのも、分かる。

「私の担当は剣だった。防具もあるが私は剣と相性が良かったらしくてな。正確に数えたことはないが、私の工房には3000を超える剣が納められているはずだ」
「ちょ、ちょっと待って!だったらあんたの工房、殆どの英雄に対して弱点になる武器があるってこと!?」
「そうなるな」

なんということだろう。

「最強でないはずがない」

あれは本当だったということ。使い方次第で、こいつは確かに最強のサーヴァントだ。
全ての英霊の弱点をつき、そして突き崩すことのできる唯一の存在。
英霊は知名度によってその能力に修正がかかる。それは取りも直さず英霊は人々の信仰によりその能力を増減させるということだ。こいつは未来の英霊だから、そこはすごく不利なんだけど、信仰、人の想いで能力が変わるのならば、伝承にいう弱点は英霊に対して致命的な隙になりうる。

それに……!

「それだけあるなら一本位売っても大丈夫よね!複製とは言え英雄の武器かあ。
屹度高値で売れるんでしょーね!」

まさに、財布に最強。宝石なんていう無駄に高いものを使う遠坂の魔術に対してこんなおいしいサーヴァントがいたなんて……!

わくわくうきうきするわたしの目の前で、何故かアーチャーは額を押さえていた。失礼な。




衛宮の家は古い日本家屋である。
本屋の他に廊下を伝って離れがあり、居住空間とは別に道場なぞある。
わたしの知る限りこいつは一人暮らし――いや、正確にはあと二人家族同然の付き合いをしている人がいるが――それでもこいついは基本的には独りでこの家に住んでいるのだが、それにしてはこの衛宮の家というのは大きい。

わたしも一人暮らしで無駄にでかい洋館に住んでいるのだが、こいつ固定資産税とか大丈夫なんだろうか。
家族同然の付き合いをしている内の一人はこの地に古くから根を張る藤村組の娘さんだから、そっち方面の圧力をかけているのかもしれないが、一人で住むには広すぎる。

家族、か。
とっくの昔に諦めていたと思っていたし、気にもしていないと思っていたけれど。

―――心の贅肉ね。

わたしははー、と息を吐くと魔術で玄関を開けた。
そこへアーチャーが旅先から帰った若者が荷物を捨てるごとく衛宮士郎を捨てた。

「怪我させないでよ。面倒だから」
「何、人間というものは存外丈夫でな。そうそう壊れたりしない」

なにその理屈。
と、いってもわたしも身に覚えがないわけではない。多少の無茶をしても人間結構ぴんぴんしてるものである。

さて、後はこいつの記憶を消して置けばいいのだが――。

「アーチャー……?」

何故かわたしのサーヴァントの様子がおかしかった。
眉間に刻まれるのは深い皺。その奥には鷹の双眸が細められている。
矢の如き眼光は彼方の月を捉え――。

「……やはり、そうなるか」

刹那。
がらん――、と、鐘の音が鳴った。

「……アーチャー!」

何か、まずい。
直感的後ろに飛ぶ。横目に見やればアーチャーの両手には白黒の、中華風の短剣が握られていた。
それを確認し――理性が理解するよりも早く、玄関を飛び出た。

銀光は、天井からだった。
その一閃は確かに仰臥するあいつの心臓に吸い込まれて――アーチャーの双剣に防がれた。
火花が散った……!そう思った瞬間にギィン――、と甲高い金属音が鼓膜を突き抜ける。

ざり、と天井から落ちてきたそれは真紅の槍を構え、赤色の弓兵は長躯を踏み出しそれと対峙する。
一合の斬りあい――それだけで衛宮家の玄関は吹き飛んでいた。

「先ほどぶりだなランサー」
「あー、そうだな。わりぃがマスターからの命令でな。そいつを確実に始末しなきゃいけないんだわ」

蒼い月光の下、夜闇よりも蒼い蒼い獣――ランサーがそこにはいた。
見間違うはずもない。先ほどまで相対し――聖杯戦争というものがどんなものか身を以って教えてくれた相手だ。
校庭でアーチャーと戦っていたときよりもかなりやる気がないように見えるが、かといって油断していい相手では、ない。

「お前が殺してくれてればよかったんだけどな、どうやら殺さずに済ますようだからな。
俺も別に殺したくなぞないんだが――文句は俺のマスターに言ってくれや」

やる気の見られない態度とは裏腹に――ランサーは視認さえもできえぬ神速で、魔槍を繰り出す――!
ランサーの穂先は閃光のそれだ。速い。屹度わたしでは何度これを見たとしても、見切ることなどできない。
アーチャーは閃光を辛うじて弾いているが――!

「ち―――ィ!」

だが、時折足元のあいつの心臓を狙ってくる穂先を捌くのに反応が遅れている――!
このままではいずれ、どちらかが死ぬ……。
アーチャーは確かに宝具を無数に持っているのだろう。だが、その発動には多少の時間が掛かる。
今のように間断なく閃光の雨に晒されている現状、カラド・ボルグの如き凄まじい破壊力を持つ宝具は使えない。よし使ったとしても、自分も大きなダメージを負うのは目に見えている……!
そしてここは狭い玄関。場所的にはかなりの不利―――!

駆け出す。
背に腹代えられない。あーもう、今日だけで何回こんな状況になった――!

「アーチャー!!」

姿は見えず、けれど頷く姿は脳裏に浮かぶ。

「―――!」

どごッ、とサンドバックを殴ったような音がして、わたしの頭上を何かがぼろきれのように飛んでいく。
ああ、もう、何かじゃなくてあれは衛宮士郎だ。
あいつの命を助けるためアーチャーに蹴りだして貰ったのだけど……死んでないでしょうね……。
魔術で脚力を強化し、駆ける。
そして落ちてきたあいつの襟首を掴んで、衝撃を殺した。

「げぶっ」

そのまま地面に下ろす。受け止めて分かったのだが、こいつ見た目に反してかなり体が鍛えてある。
アーチャーに蹴られたのが効いたのかげほげほ咳き込んでいるが、障害が残ることはないだろう。この記憶も消しておかなきゃいけないが……それより今は、ランサーをどうにかするのが先だ。

白煙を吐いている玄関を見遣れば、赤蒼のサーヴァントが銀光の中を舞っていた。
それはあの校庭の再現。
間断なく襲い来る魔槍を、アーチャーが裂ぱくの気合を持って迎撃する。
それはまさに、神話の再現。見惚れるほどに美しく、人知を超えて凄まじい。

って、見惚れている場合じゃない。

虎の子の宝石を探る。無限の剣戟、暴風に身を置くサーヴァントに加勢するため、わたしは雷鳴の混沌へと駆け出した。






<土蔵>



何が起きたのか、理解できない。

校庭で人外の戦闘……いや、殺し合いをみたことはおぼえている。網膜を焼き尽くす光の洪水を最後に俺の意識は途切れている。
あの最後の一瞬に、俺は確かに死んだと思った。
けれど今俺が思考できるということは、俺は未だ生きているのだろう。

そう、未だ、だ。

「……悪い冗談だな」

まさか、あの赤蒼の化物が人ン家の玄関で戦争をしているなんて――。

吐き気のする体を土蔵を背もたれにして立ち上がらせる。くそ、冗談じゃない。
目の前で繰り広げられる戦闘は最早視認できる限界を超えつつある。
キィン、キィン、と打ち合う干戈の軽音はその凄まじい合数のために混ざり合い、連続した一音と成り果てている。
まるでやつらの世界だけ時間が圧縮されたよう。
それは一体どんな魔術か。否、どれほどの魔術ならばあの領域に達することができうるのか――?
同じだ。あの校庭と。

あの、確実に死ぬと、殺されると確信したあのときとまるで一緒だ……。

このままでは俺は死ぬ。逃げなければ。
とにかく俺は、まだ、こんなところで死ぬわけにはいかない。
吐き気がする。あの剣戟を見ているだけで自分が酷く不安定な場所にいると確認する。
あの殺気に中てられただけで、足が震えて立っていることさえ億劫だ。くそ、冗談じゃない。
こんなところで、死んでたまるものか……!
俺がここにいるということは、誰かが助けてくれたということ。
ならば、俺には、俺には生き残る義務があるはずだ……!

霞む瞳を向ける。

「………?」

鮮烈な光を放つ魔窟に、今何かおかしなモノが見えた。
あってはならない。黒のロングの髪をリボンで止め、赤い服を纏った女性。
見まごうはずもない。一度目にしたらその姿は鮮烈に脳裏に焼きつくだろう。
屹度記憶が擦れて磨耗しても、思い出せると、そう思えるその姿は。

それは――。

「遠……坂……?」

一瞬は無限に引き伸ばされて――。

最早――轟く金属音も、闇を切り裂く閃光も意識の埒外にあり。
最早――我が身は我が意思を離れて。
近づけば確実に死ぬという確信も、生き残れという本能も、この身を留め得ず。

走っている、そう気づいたときには俺は既に駆け出していた。





<衛宮邸・庭>



かける。魔術で脚力を強化して、一刻も早くアーチャーの援護を……!
ランサーの対魔力はC。
わたしが文字通り心血注いで作り上げた宝石ならば、その防壁を突破してダメージを与えることができるはずだ。

それに、それにわたしには――父が遺してくれた切り札がある。初戦で使うには惜しいが、負けてしまったらどうにもならない。四の五をいっている場合じゃない。

問題はわたしの魔術はコントロールが甘いということだ。
アーチャーの対魔力はD。外したら逆にピンチ。自分のサーヴァント殺しのマスターなんてしゃれにもならない。

「―――アーチャー、退いて!」

わたしの声に振り返りもせず、アーチャーは後ろに飛んだ。
わたしに背を見せるのは、わたしを信頼している証拠。目前には敵を失ったランサー。
月光に魔槍を煌めかせ、引くアーチャーを追撃しようとしている。

かかった。
普段のランサーならばその速度、命中させることは困難だ。しかし。

追撃の姿勢を取ったなら!
次の瞬間に避けることは不可能――!

「Nenu.Achet――!Stil,Beschi――」
「遠坂!」

が――。

突然の衝撃にわたしは横殴りに投げ出され、詠唱は中断された。
その隙は致命的だった。ランサーはわたしを流眄し、アーチャーを追撃、アーチャーは加速をつけたランサーの槍撃を裂ぱくの気合で受け止めるが――、後退しつつ戦うには、槍は相手が悪すぎる……!

「チ――ィィイ!」

短剣が月下を走る。その一撃を赤い閃光が弾き飛ばした。
次の瞬間にはアーチャーの右手には新たな短剣が出現しているが――。
ランサーは直後後退し、下がりながら守りに徹していたアーチャーとは距離が開いた。

あ、なにか、分かった。

最悪だ。今度のはもう、取って置きだろう。
なんといっても――ランサーの標的がわたしに移ったのだから。
確かに定石。だけど、今までランサーはアーチャーとの闘いを愉しんでいたのだ。

でも今は、マスターの命令を実行するためにここにいる。
そしてアーチャーと離れたわたしは惰弱な人間。

アーチャーが何か叫んでいる。屹度わたしに逃げろとでも言っているのだろう。
いやいや、無理だから。
見事にすてーんと転ばされて、ああ、あの馬鹿、わたしを助けようとでもしたのだろうか。

意味が分からない。
なんで、アイツの背中がわたしの前にあるんだろ。
まるでこいつ、わたしを守ろうとでもしているようじゃないか。

最後の最後まで間の悪い。
こいつを助けようとしたのが、間違っていたのだろうか。
甘すぎる自分に腹が立つ。だけどそれ以上に、なんでこの馬鹿は死にに来た。
せっかく、令呪一個使ってまで助けてあげたというのに、この馬鹿。
それよりなにより、とにかくこの馬鹿に腹が立つ。

鴨がネギ背負ってきてるって、わかんないんだろうか。
わたしの目の前には、所々破れて埃だらけの制服だ。
何を思ったのか、ランサーとの直線上に仁王立ちしているのは――。





「遠坂!」

熱にせかされるように、遠坂を突き飛ばす。
ここは普通じゃない。このままここにいたら、遠坂が死ぬ。
なんで遠坂がここにいるとか、そんなことはどうでもいい。

ただ――誰かを助けられない、なんてのが、我慢できない、それだけだった。

見れば無数の剣戟を繰り返していた赤蒼はその間合いをはなしていた。
蒼いやつが――此方をみた。
獣染みた双眸だった。

殺される。殺される。殺される。

畜生、何か考えがあったわけじゃない。ただ、誰かが傷つくのを見ていられなかっただけだ。
その想いだけで、目前の悪鬼を睨みつける。
見るだけでわかる。あれはヒトじゃない。そして、ヒトでは決してたどり着けない或るモノだ。

「いい子だ……。俺もここでやつとの決着をつけるのは不本意だったんだ。お前が死ねば丸く収まる」

真紅の槍が繰り出される。
それはまるで閃光。避けることあたわず、受けることあたわず。
肉を穿ち骨を砕き、心の臓腑を食らうだろう呪いの魔槍。
繰り出された時点で、最早止める術などありはしない。

俺はここで、死ぬ。

今まで、走り続けてきたつもりだった。体を鍛えて、心を鍛えて、いつか、いつの日にか理想に届くように。
あの赤い世界で、涙を流して俺を助けた男の理想に届くようにと。
まるで、救われたのが俺じゃなくて、自分だというかのように、羨望さえ覚えたその様に届くように。

それも終わり。
どくり、と心臓が脈うった。最後の一回を打ち果たし。
だけど、一つだけ最後にやらなきゃいけないことがある。



ここで衛宮士郎が死のうとも……



それでも、遠坂だけは守ろうとして――。


「何してくれてんのよこの馬鹿!」
「ぐふぅ!?」


吹き飛ばされた。





ああ、なんだか世界がスローモーションに見える……。
すっとんでいく世界の中で、蒼いやつがあっけに取られたような顔をしている……。
と、いうか何ですっとんで……?
ああ、なんか体がくの字に曲がって、その中心に拳がめり込んでいる……。
なんてこった、すごいぞ遠坂。

お前の右は、世界を狙える……!

そんなことを一瞬のうちに考えて――戸を突き破り、俺は土蔵の中まで吹き飛ばされたのだった。




あとがき
紳士が露出するといいつつ、露出できませんでした。
自分の遅筆を現在進行形で再確認しております。
空いた時間で頑張ってるつもりではあるんですが……。

>[4]投稿日:2010年02月20日21:21:32
腹筋が・・・ww
次はいよいよあの紳士が出てくるそうですが楽しみにしています♪
(^▽^)ノ


出せませんでしたorz
次こそは、次こそは必ず露出する……!筈。



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