月詠が自分の頭を掴む死者の手を握りつぶそうとしていた時、千草たちはすでに裏口に辿り着き、エンジンをかけたまま停まっている一台のワンボックスカーに乗り込んだ。運転席には環が、後部座席には調が座っている。

 

本来は千草たちの脱出後、宿から出ていく姿を見せつけ、囮として動く予定だったのだが、緊急連絡が入ったことで、千草たちを乗せて逃げることになった。

ようやく姿を現した千草たちを見て、響いてくる爆音の一つ一つに戦々恐々としていた調たちも安心したようだった。


「安心してる場合やあらへん。運転はウチがやる!環はん、助手席に移り!」


千草が強い口調で催促し、栞も運転席の真後ろから「速く!速く!」と急かしてきた。

とにかく状況がかなり切迫しているのは間違いないらしく、環が助手席に移るやいなや、千草が車を急発進させた。車内のほぼ全員がよろけるも、千草は意に介さず、猛スピードで車を走らせた。


「…焦っているところ悪いんだけど、チグサ、さっきの月詠の背中の刺青のこと、説明してもらえるかな?」


旅館の正面玄関まで差し掛かった時、フェイトが口を挟んだ。ただ、フェイト自身は、「後で説明する」と返されるかと思っていたのだが、思いの外あっさりと千草は口を開いた。


「アレは関西の禁術の一つでな、『刺青紋様・式化術印』っちゅう術式や。簡単に言えば、人間を式神化する術で、アレを身体に刻まれると、主人たる人間の言うことを何でも聞くようになる。刻まれた本人の抗魔力とか抵抗力とかで、効き目に差が出るけどな。ま、あのキチガイ娘が抵抗なんぞするとは思えへんし。刻むんも一苦労やったろうけど、その分性能はお墨付き、っちゅうことやろうな。」


一苦労、と千草は軽く言い放ったが、他の全員は背筋に寒気が走った。彼女に刺青を刻むために、一体何人が生贄(エサ)となったのか。


車は旅館の玄関を出て、車道を爆走していく。目の前の橋―――嵐山随一の観光名所、渡月橋の手前の信号は赤だが、千草はスピードを緩める気配は無い。このまま突っ切るつもりらしい。車の揺れに耐えながら、フェイトは続けざまに話しかけた。


「…ねぇチグサ。クライアントが彼女をよこした理由って…。」


「ああ、十中八九ウチらの監視やろ。月詠の目と耳を通して、ウチらの会話聞いとったんやろな。」


千草はフェイトと話しながらも、赤信号を突っ切り、見事なハンドルさばきで横から来る車を避けていった。遅れて響く抗議のクラクションを無視し、車は渡月橋に差し掛かる。


次の瞬間、対向車線から迫って来ていた車が、爆発した。





#19 ビッグブリッヂの死闘



「じゃあお前は京都に入ってから、ずっとあの月詠っていう女を追いかけてたのか?」


「ハイ。正直、月詠という少女の存在は、関西内部の都市伝説みたいなものだったのですが…。運よく見つかったのは良いですが、途中で彼女が転移した時は、背筋が冷えましたよ…。」


千草たちを追いかけながら、千雨は刹那から事情を聞いていた。何でも、出発前日に関西から緊急招集がかかり、ひと足先に京都入りしていたとのこと。


「で、京都でお前の…長、だっけ?その人に知らされたと。天ヶ崎千草と月詠について。」


「ハイ。天ヶ崎千草が神鳴流の忌み子を抱え込み、和平崩壊を狙っているとのことでした。間違いなく天ヶ崎は3−Aを狙うでしょうから、ずっと陰から動向を見張っていたのです。長谷川さんは気付いていたようですが…。」


バレバレだったしな、と呟く千雨に、刹那は苦笑で返す。


「ただ、和平反対派も一枚岩では無かったようで、多くの人物があの手この手で妨害を行っているようです。なので、天ヶ崎を雇った人物と、清水寺に罠を仕掛けた人物は別口かと思われます。長が燻り出しをしているはずですが。」


千雨は納得しつつも、先ほどの千草が漏らそうとしていた情報は、あまり価値が無かったことになる、と考えていた。天ヶ崎が首謀者全員の名前を言っていたとは思えないからだ。


「…でも、あの月詠っていうキチガイ女、人に従うタマには見えないぞ?どう見ても、心の赴くままに暴れまわる狂戦士だろ、ありゃあ。」


「ええ、そこは私も長も勘違いしていたのですが、おそらく彼女の本当の『主』は、天ヶ崎千草ではなかった。彼女を『飼って』いた人物が居て、そいつが天ヶ崎に依頼した物と考えられます。月詠を付けたのは、天ヶ崎の監視が目的だったのでしょう。…おそらく、保身のために情報を売ろうとした天ヶ崎千草を始末するよう、命令を受けたものかと。」


千雨が刹那の言葉に納得していると、遠くからブレーキ音が響いてきた。千雨の耳はその音から現在位置を捉えるが、その表情に焦りの色が生まれていた。


「クソっ、連中もう渡月橋だ!月詠もそれに追いついてきてる!このままじゃ間に合わないぞ―――――って。」


すると、急に千雨の焦りが消えた。立ち止まり、後ろを振り返る。刹那も急に千雨が立ち止まったことで、走るのを止め、後ろを振り返った。
二人の視界に一台のバイクが走り寄ってくるのが映った。そして、それを駆る人間も。


「「龍宮!!」」


「二人とも、乗れぇ!!」


言うには及ばず、二人同時にバイクに素早く跨った。


「ナイスだ龍宮!けどコレどうしたんだ!?」


「停めてあったのを拝借した!後で返す!」


やってることは完全に窃盗だが、そんなこと言ってられる状況ではなかったので、千雨は何も言わなかった。


「連中は渡月橋だ、急いでくれ!」


「分かった、しっかり掴まってろ―――――」


だが、真名の台詞は、空中に轟いた爆音で途切れる。音の出所は、たった今行き先として指定した渡月橋に違いなかった。


「っ――――急げ龍宮!!」


「分かってる!!」








爆炎を目の前に、千草が急ブレーキをかけた。車内の全員がつんのめるが、千草の判断が正しいのは明らかだったので、誰も責めたりはしなかった。

というより、千草に構う余裕が無かった、と言った方が正しいだろう。燃え盛る車の屋根で、手が焼けるのも気にせず、獣のような体勢、目付きで歪に笑う、食人鬼の姿 があった。


「時速100キロは出してたはずなんやけどな…。化物が…!」


だが、月詠の姿が千草の視界から消える。ゾクリ、と千草の全身が粟立ち、咄嗟に車から飛び降りた。間髪いれず、千草たちの車が真っ二つになった。爆炎と轟音が、千草の感覚を麻痺させる。


爆炎の中から、二つの人影が飛び出した。月詠とフェイトだ。猛襲をかける月詠を、フェイトが抑え込んでいる。だが、フェイトがいくら攻撃しても、それを悦ぶ月詠の攻撃は、苛烈さを増す一方である。


「千草さん!」


栞が駆け寄ってきた。その左袖は燃え落ちており、二の腕に火ぶくれが出来ていた。立ち上がろうとした千草だったが、足に力が入らない。見ると、爆発した 車の破片がふくらはぎに突き刺さっていた。つい先ほどまで感覚が麻痺していたようだが、気付いた途端に感覚が戻り、激痛が走った。

なるほど、栞が危険を顧 みず近寄ってくるはずだ、と愚鈍な自分を不快に思う。どうにも立てそうに無く、すぐに栞が肩を貸してきたので、それに頼った。向こうから、バッグを抱えた調と、爆発の怪我を治癒符で治す小太郎、環が居た。

 チラッと河原を見た千草は舌打ちする。異常を察した周辺住民が集まってきていた。人除け符を貼っていないので、当然と言えば当然だが。少し遠くから、サイレンの音も響いてきた。


「川ん中に逃げるで。被害を逃れた運転手のフリして、野次馬の中に紛れ込む。フェイトはんなら大丈夫やろ。」


「え…で、でも、そしたらあの子、一般人の中に突っ込んでくるんじゃ…。」


「知ったことか。」


あっさりと言い放つ千草を、栞は非難がましい目で見た。フェイトからは、今回の作戦の総指揮者である千草に逆らわないように、と言われてはいる。しかし、もともと戦災孤児である彼女にとって、罪なき人々を生贄にするような千草の発言は、さすがに看過出来なかった。


その視線に気付いた千草を肩から落とし、強く睨みつけた。そして、あらん限りの罵詈雑言をぶち撒けようとした、その時だった。


一台のバイクが、千草たちの目の前でドリフトをかけ、急停止する。ちょうど、千草たちと調たちの間に立ち塞がるように。


跨っているのは3人。先ほど旅館内で対峙した少女たち。だが、少女らしいあどけなさは皆無であり、その身から漂うのは、いずれも歴戦の勇士の如き鋭さ。


「―――さて、追い付いたぜ。よくもまぁ、好き放題やってくれたもんだな?」


一番後ろに居た千雨が、バイクから降りながら凄んだ。千草たちに向ける視線は、月詠のそれとはまた違った恐ろしさを掻き立てる。そして素早い動作で、 ケースから黄金のサックスを取り出す。刹那と真名も、それぞれ刀と拳銃を構え、戦闘態勢に入っている。そしてフェイトと戦っていた月詠も、3人の存在に気 付き、()みをより深くする。
前門の(ちさめ)、後門の(つくよみ)、ここに至り、千草の逃走経路は完全に封鎖された。


「仕切り直し(アンコール)だ。楽しめよ、下衆共。」


千雨は、愛用のサックスを炎に煌めかせながら、親指で首を掻き切る仕草を見せ付けた。



一瞬の沈黙。そして、千草の右腕と千雨の左手が動くのはほぼ同時だった。

千雨の左手の拳銃が火を吹き、符を持つ千草の右手を撃ち抜く。

 

だが、千雨にとって誤算だったのは、千草が符を手放さなかったこと。そのまま千草は、血にまみれた符を発動させる。出てきたのは、身の丈数メートルはあろうかという、巨大な鬼だった。剛腕を唸らせ、千雨に突進していく。

同時に、調、小太郎が動いた。戦闘能力の無い栞と環は、木乃香の入ったバッグを持って橋の外へ身を放りだそうとする。刹那と真名がそれを追おうとするが、調と小太郎に遮られる。そして、栞と環が欄干に足をかけた。


「■■■■■■■■■■■■ーーーーーーッッッッ!!!」


―――だが、迫り来る狂獣の咆哮が、彼女たちの最後の一歩を押し留めた。

 

二人は振り向く。振り向いてしまったのだ。そして、見てしまった。

 

彼女たちの主 であるフェイトが、欄干に苦しげにもたれかかっているのを。彼が抑えていた月詠が、一直線に自分たちの方へ向かっているのを。恐怖に足が縫い止められる。 欄干に足をかけた姿勢のまま、二人は硬直した。


「ッ―――!!前鬼!!」


千草が怒鳴る。千雨を襲おうとしていた鬼が急に方角を変えた。そして、その巨大な掌で月詠を地面に叩きつける。


と同時に、千草が千雨に符を千雨の足もとに投げつける。千雨はそれを一瞥すらせず撃ち抜いた。そして、近づいてきた千草の眉間に突き付ける。千草も、無事な右手で拳銃を構え、銃口を千雨の眉間に突き付けていた。


「…超音波か。フェイトはんの三半規管狂わしたな?随分と機転が利くようやな?」


「ハッ、悪知恵働くやつに褒められても嬉しかねぇよ。」


この攻防に至る僅かな時間で、千雨は周囲の状況を完全に把握していた。


まず、栞と環を逃がしてしまっては元も子もない。だが、自分も刹那も真名も動けない。だからこそ、状況の全てを利用した。

まず、鬼が突進してくるのを目前にして、少し離れた所で月詠を抑えるフェイトに対し、超音波をぶつける。予期せぬ攻撃を受けたフェイトは当然体勢を崩した。無論月詠はその隙を見逃さず、フェイトは致命傷は逃れたものの、思い切り欄干に叩きつけられる。

そして自由になった月詠が、本来の目的である木乃香の方へ向かう。そして千草は月詠 を抑えるため、千雨に向けていた前鬼を、月詠にけしかけざるを得なくなったのだ。
たった数秒の攻防ではあったが、その数秒を千雨は完璧にコントロールしてみせたのである。


が、千雨が急に渋面になる。千草の眉間から銃を引き、真後ろに2回発砲する。


「っっ――――!!?」


銃弾は狙い違わず、再度橋の欄干を越えようとしていた環の太ももと肩に命中する。だが、むしろこれは環本人にとっては僥倖であった。もし彼女が、自身の身の丈以上の大きさのある木乃香入りのバッグを背負っていなければ、2発の銃弾が撃ち抜いていたのは、彼女の頭と心臓だっただろうから。


「環ィッ!!」


真名を抑え続ける調の、悲痛な声が響く。同じく橋から飛び降りようとしていた栞だったが、すぐに環の身体を支える。ついでとばかりに栞にも銃口を向けた千雨だったが、千草が発砲してきたため、そちらの応戦に身を回す。


「フェイトはん!」


「分かってる。」


千草が呼びかけるより速く、フェイトが環たちの下に辿り着いた。千雨は内心歯噛みする。これで、木乃香を取り戻すことがまた難しくなってしまった。


「チィッ―――――龍宮!桜咲!何やってんだ!」


「重ね重ね済まない、足を引っ張るつもりは無かったんだが―――!」


千雨はせっかくのチャンスを逃した仲間たちを怒鳴る。あまり褒められた行為ではないが、千雨が千草を牽制しなければならない以上、木乃香奪還は二人の役割だ。事実そのチャンスを活かせなかったのは、目の前の敵を出し抜けなかった二人の責任だった。それが分かっている真名は深く自省する。


―――ここで真名の視界に、隣で戦う友人の姿が目に入った。

刹那は一目で見て分かるほどに、劣勢だった。


「っ―――!?オ、オイ、刹那!?」


「くっ―――大丈夫だ、私のことは、気にするな―――!」


そう語る刹那であったが、そんな軽口でさえ口に出すのがやっと、という状況だった。 

小太郎の怒涛のラッシュを何とか捌けている程度で、反撃に移れる様子ではなかった。だが真名は、その攻撃を捌く刹那の姿に違和感を感じる。そして、すぐにその原因に思い当たった。


(まさか刹那―――攻撃に対して、“反射的に”防御しているだけなのか!?)


千雨の殺人技術が反射的行動にまで昇華されているのと同様に、刹那も剣士としての動きが全身に染み付いている。その技量は女子中学生としては破格のものであり、今現在彼女に接近戦を仕掛ける小太郎は、愚の骨頂であると言わざるを得なかっただろう。


―――そう、つい1ヶ月前の桜咲刹那が相手だったならば。


(刹那…やはり、まだ…!)


真名が声には出さないものの、痛ましげな表情を作る。やはり千雨から受けた精神的ダメージは抜け切っていなかったのだ。

 

一度挫けた心を修復させるなど、 容易いことではない。刹那の心には、千雨に殺されかけた恐怖が未だに強く根を張っている。

死への恐怖が、刹那の剣を大きく鈍らせ、迎撃行動しか取らせなく してしまっていた。剣士としては致命的であると言う他無い。


―――と、その時だった。不意に、場を包む空気が一変した。


「■■…■■■…!」


月詠を抑え続けていた鬼の腕が、小刻みに震えている。そしてその掌の下から響く、亡者のような呻き。鬼がその掌の上にもう一つの手を重ね、倍以上の力をこめる。掌の下のコンクリートに罅が入り、鬼の腕が少し沈み込む。


だが。


「■■■…■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーーーッッッッッ!!」


咆哮と共に、鬼の両腕が縦に切り裂かれる。剣圧に負けて後ろによろめく鬼の体を、情け容赦なく月詠の刀が細切れにした。光の粒子となって消えていく鬼を 一瞥すらせず、月詠は振り返り、木乃香の入ったバッグを持つ環に視線を向ける。三日月状に歪んだ口元から、鋭く尖った犬歯が覗いていた。


次の瞬間には、全員が月詠に武器を向けていた。


千雨たちは言わずもがな、千草たちもすでに月詠の標的だ。ここで殺しておかなければ、命に関わる。


そして真っ先に攻撃に移ったのは―――やはりというべきか、千雨だった。
サックスから放たれた殺人音楽が、月詠の全身を舐める。


「■■■■■■■■■■ァァァァァァッッッッ――――――!!?」


吹き飛ばされ、コンクリートの上を転がっていき、そのまま欄干に叩きつけられた。口元からは、滝のように血が溢れだしてきていた。


「ッ―――!?これでも死なないのか!?」


サックスから口を離し、千雨は驚愕の表情を浮かべる。目の前の少女は、内蔵を潰す攻撃を二度も喰らい、なお命を繋いでいた。今も、ふらつく足でゆっくりと立ち上がって来ていた。


この場に居る誰も知らない事実ではあるのだが、月詠という少女の強さを支えるのは、その狂気だけではなく、非凡極まりない気の才能があってこそである。

気とは人間が体内に秘める生命エネルギーのことであり、これを使いこなすことで、身体強化や高速移動など、魔法と張り合えるほどの力を身につけることが出 来る。楓や刹那もこの使い手だが、月詠はそれらとは一線を画している。
とある出来事により、月詠は幼少の頃からその才能を発芽させ、自然とその使い方を身に付けていった。彼女はそれを意識してはいなかったし、現在に至るまで自らの力を認識したことは無い。

 だが彼女の総エネルギー量は、常人の十数倍。そして使用効率も、刹那や楓のそれとは比べ物にならない。そして何より、それら全てを無自覚のまま使いこなしている。

―――傷つくことが多い己の体を守るために、無意識に働く防御機構。

千雨が放った衝撃波は、間違いなく即死級の威力であった。だが、直撃した瞬間、月詠の防御機構が発動し、月詠の持つ莫大な気が、体内の防御に充てられたのだ。無論ノ―ダメージとはいかなかったが、千雨の殺人音楽を二発も防ぎきったという、破格の保護(コーティング)能力であった。


傷つくことを悦ぶ彼女が、より多く、より永く、痛みを味わうことが出来る、彼女の狂気を象徴する能力である。

 

―――ただし、その能力の礎となった彼女の経験は、あまりに惨たらしく、あまりにおぞましいものではあるが―――


「………………………………アハ♡」


月詠の顔に笑みが浮かぶ。これまで見せていた、痛みを喜ぶ笑顔ではなく、純粋な嬉しさから来る笑顔。これで全身血まみれで無ければ、思わず見惚れてしま いそうな笑みだ。

木乃香を背負う環を襲うことすら忘れ、ゆっくりと千雨に視線を合わせる。獣じみた直感が、今の攻撃が彼女によるものだと確信させていた。笑い声は次第に 大きくなっていく。千雨が追撃とばかりにサックスを咥えようとする。


が、それより速く、ズドン、と大きな音が響く。月詠の両手の剣が、勢いよく地面に突き刺されていた。





「アハハハハハハハハハハッ!アハハハハッアハハハハハハハハハハハ!!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」





月詠の甲高い哄笑が響き渡る。それは、その場に居る全員の動きを止めるのに充分だった。これ以上増しようの無かったはずの狂気が、竜巻のように渦巻き、爆炎のように燃え盛り、地鳴りのように軋み、溶岩のように滲み渡っていく。


「アハハハハハハハハハハ…アァ。」


不意に笑いが収まるが、溢れ出る狂気は留まるところを知らず、触れるだけで窒息し、腐敗しそうな瘴気に成り果てていた。



「――――――――――見ィつけた♡」



ニンマリと嬉しそうに笑う月詠。粘りつくような視線が、千雨に一身に注がれている。


千雨と月詠が一歩目を踏み出したのは、ほぼ同時だった。発砲音と破砕音、金属音など、様々な音が重なり合う。

 

そしてその中心に、両手の拳銃を砕かれた千雨と、双剣を大きく振るう月詠の姿があった。そして目にも止まらぬ斬撃の嵐。距離を取ろうとする千雨だが、月詠の猛攻がそれをさせない。しかも千雨にとっては鬱陶しいことに、千草とフェイトが千雨と月詠をまとめて殺そうと、二人に向けて銃や魔法の射手を撃ってきているのだった。


すでに月詠は、使命も忘れて千雨にロックオンしている。月詠の脳内では、彼女の『飼い主』の声が響いているはずだが、月詠は意に介さない。すでに彼女は、目の前の一人の少女に心囚われている。


「お母さん…!お母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さぁぁぁぁん!見つけた見つけた見つけたァ!アハハッ!アハハハハハハハ!見ィィィ つけた!ねェ!ねェねェねェッッ!アハハハハ!アハハハハハハハハ!お母さんっ!ねぇッ!ねぇねぇお母さんっ!お母さんは、お母さんは!私のこと好き!? 私のこと、愛してる!?ねぇ、愛してる!?ねぇねぇねぇねぇねぇっ!?私は好き!お母さんが好き!ようやく会えたんだもの!ようやく!ようやく!!ずっと 探してた!探してたの!お母さん!お母さんお母さんお母さん!私、お母さんのこと、大好き!だから―――――」



「―――――美味しく食べてあげる、お母さん♡」

 

 

この時千雨は、この時代に生を受けて初めて、目の前にある死を感じた。

かつてミリオンズ・ナイブズと相対した時のような、GUNG−HO−GUNSの面々と初めて顔を合わせた時のような、一歩間違えれば、一瞬でも油断すれば、あっという間に奈落の底まで堕ち抜いていくような感覚。

 

目の前の少女は―――自分と同じ、怪物だ。


「おこと―――――」



全身の感覚を研ぎ澄ませ、月詠の動きを注視する。振り下ろされる剣の切っ先を、数秒先の未来まで見切る。

かつて、かのGUNG−HO−GUNSの5―――チャペル・ザ・パニッシャーと戦った時のように。

 

 

「―――――わりだぁっっっ!!」



襲いかかる刃は、見切った通りのコース。

片腕を弾いて月詠の後ろに抜ける。無論それを許す月詠ではないが、その動きが読めていない千雨でもない。


千雨がすり抜ける直前に落としていった爆弾が炸裂する。しかもただの爆弾ではない。月詠の斬撃の嵐に追い込まれながらも、しっかりと目的の位置に移動していた。自分たちが乗ってきたバイクの近くに。


爆炎が月詠の真下から広がる。爆炎は無傷のバイクのガソリンに引火し、月詠を巻き込んで一際大きい炎となった。千雨は一瞥すらせず、爆炎を背に一直線に走っていった。間近で広がる爆炎から目を背けている、木乃香を背負った環に向かって。


「――――させない。」


―――が、気付けば千雨のすぐ隣をフェイトが並走していた。

 

先ほどの衝撃波を見て、フェイトは千雨をここで斃すべき相手だと認識していた。すでにその腕には魔力がたまり、今にも放たんとしている。すでに環も視界が回復し、迫る千雨に対する体勢を整えている。

そして木乃香の入ったバッグを、隣の栞に渡す。 栞は橋の欄干に足をかけた状態で、そのバッグを受け取り、川に飛び込もうとしている。

 ―――が、それが間違いだった。

 環が栞にバッグを渡そうとした瞬間、横合いから現れた影が、バッグをひったくっていった。


「「え!!?」」


環と栞の驚愕の声が響く。横合いからバッグを奪った影―――刹那が、バッグを背負ってそのまま走り去っていく。


「龍宮ぁ!!」


千雨の声が響くと共に、全員が再起動した。


「出でよ後鬼!!追え!!」


千草が符を展開しながら、状況を確認する。すると、足を撃ち抜かれ苦しむ小太郎の姿が目に入った。犯人は明白だ、だがいつの間に―――そう考えた千草の視界に、先ほど月詠が破壊した銃の破片が目に入る。


(あの(アマ))…!銃を破壊される直前に、小娘の足止めしとった小太郎を撃ってたんか…!)


千草がギリ、と歯軋りする。

小太郎が撃たれたのを千草が視認していれば、話は違ってきていただろうが、月詠と千雨に集中していた千草とフェイトには、小太郎の姿は視界に入っていなかった。

それを利用し、自分を囮にして刹那のガードを緩ませた。後は、刹那が後ろから急襲するのを邪魔させないよう、邪魔者の相手を一手に引き受けたのである。

そして、真名の姿が見当たらないことにも気付く。先ほどまで真名の足止めをしていた調が真後ろを向いていることから、すでに真名は戦線離脱したのだろう。が、調が逃げていく刹那を睨みつけ、長髪を揺らしながら、バイオリンを構える。


「逃がさない!!」


調の仮契約カード「狂気の提琴(フィディクラ・ルナーティカ)」」。弾き鳴らすことで、物体を粉砕する音波を奏でることのできるバイオリンだ。刹那から一番遠い位置に居る調だが、攻撃が音波である以上、攻撃の速度は音速。直撃まで1秒とかからない。

さらに、それを後押しするように、フェイトも呪文を紡ぎ始めた。


「小さき王 八つ足の蜥蜴 邪眼の主よ!その光 我が手に宿し―――」


フェイトの得意とする石化呪文。彼の指先はしっかりと刹那の後頭部に向けられている。さらに、千草の召喚した鬼も、バッグを背負っているためスピードの落ちている刹那に対し、少しずつ距離を詰めていっている。


―――――だが。あまりにも相手が悪かった。


「災いな――――――――――!?」

「えっ―――――!?う、う、嘘っ、何で!?」


突如、フェイトの詠唱が止まる。そして、調が弾いているはずのバイオリンが響かない。千草や環、栞の声も聞こえなくなる。まるで、世界から音が消え去ってしまったかのように。


そして、全員の視線が一点に集中した。サックスを咥え、炎を背に踊るように吹き奏でる千雨の姿に。


「お前か―――――!!」


千草が発砲し、フェイトが魔法の射手を放つ。無論そんなものが千雨に当たるわけもなく、サックスを咥えたままあっさりと避けていく。無論、調の攻撃を封じつつ、フェイトの詠唱を打ち消しつつ、栞や環の動きにも気を配りつつ。


サックスを咥えながら、耳を澄ませ、千雨は待つ。予想以上に千草の鬼が速いことに少し焦るが、何とか間に合う、そう考えていた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーーーーーーッッッッッッッッ!!!」


が、背後から轟いた咆哮に、千雨の体が強張る。爆炎に全身を焼け焦がしながら、月詠が笑顔で刀を振り上げ、飛びかかって来た。そして、剣が勢いよく振り下ろされる。千雨は―――ニヤリと笑った。


「ギリギリだったぜ、桜咲―――――!!」


千雨が待っていたのは、刹那が自分から離れること。正確には、自分の攻撃範囲から脱出すること。刹那さえ脱出すれば、効果範囲に居るのは敵のみ。味方に自分の攻撃の被害が及ぶ心配は一切無くなる。


肺に溜めこんだ息をサックスに勢いよく吹き込む。放たれた衝撃超音波が、千雨に仇なす全員を悉く蹂躙する。

が、肺の中の息の、最後の一滴を注ぎこもうとした瞬間、千雨の背中に鈍痛が走る。月詠が、衝撃波にもだえ苦しみながらも、千雨の背中を斬りつけていた。 衝撃波を撃ちこんでいた千雨に避ける術は無かったのだ。耐えきれずに、千雨の口がサックスから離れる。最後の一滴が、サックスに注がれることなく外に漏れ ていった。


が、月詠の反撃もそれが限界だった。完璧な物では無かったが、吸血鬼(ノスフェラトゥ)をも沈めた衝撃波に、ただの人間が耐えられるはずがない。最後の着地もままならず、月詠は冷たいコンクリートの上に倒れ伏した。


―――――と、その時だった。千雨の耳が、新たな異音を捉える。ピキ、ピシリ、と何かが罅入る音。


「――――――ヤッベェ!!」


数度に渡る爆発や衝撃など、多大な負担がかかっていた橋は、すでに限界に達しており、そこに千雨の衝撃波がトドメを刺したのだった。千雨が衝撃波を放った場所が、月詠が剣を突き立てた地点だった、というのも大きい。


倒れ伏した月詠を足蹴にして、千雨は全速力で走り出す。千雨の耳には、ピシピシピシ、と罅同士が繋がり合う音が響き続けている。そして一際大きい、バキィッという音が響いた瞬間。


渡月橋が、つい数秒前まで千雨が立っていた地点から、まるで瓦割りのように、真っ二つに割れ始めた。千雨は必死で走るも、橋が崩落する速度の方が速い。千雨の足場が見る間に崩れていく。


「長谷川ぁぁぁっっ!!」


―――が、落ちかけていた千雨の手を掴む者が居た。

千雨が掴まれた手の先に居る人物を見る。真名だった。橋が限界を超えたことを察し、崩れ始めるより一瞬早く引き返し、崩れ落ちていく瓦礫を踏み越えて、千雨を救出に来たのである。


真名に引っ張られ、何とか復帰した千雨は、安全地帯へ向け走りだした。走りながら真名に礼を告げようとする。


「ッッッ、オ゛ガア゛、ザ――――――■■■■■■■■■■■ァァァァァーーーーーーーーーーッッッッッッッッ!!!」


だが、後ろから轟く咆哮に、意識が硬直する。思わず後ろを振り向いた二人の視界に移ったのは、白目を剥き、全身を血で振り乱しながら、素手で追ってくる月詠だった。崩れていく足場を跳躍し、一気に接近しようとして―――――


月詠の右肩に、大きなバッグが命中した。

思わぬ攻撃に月詠はバランスを崩し、真後ろに仰け反り、そのまま崩落に巻き込まれていく。

落ちていく一瞬前、白目が狂気をはらんだ黒目に戻り、千雨をじっと見据える。右手は何かを掴み損ねたようにまっすぐ伸ばしたまま、まるでスローモーションのように、千雨たちの視界から消えていった。


視点を元に戻すと、刹那が何かをぶん投げた体勢のまま固まっていた。背中には眠ったままの木乃香を背負っている。ということは、木乃香が入っていたバッグを投げたのか。


「―――って、暢気に考えてる場合じゃねぇ!」


千雨と真名が我に返って走りだした。少し呆けていた隙に、崩落は千雨たちの足元まで広がっている。しかも、千雨たちの真下から、何やら怪しい音が聞こえてきている。

そしてその予想通り、真下の支柱から、ドゴオン、という致命的な音が轟き、地割れのように罅が全体に広がっていく。罅から噴き出す土煙を踏み しめながら、千雨と真名が必死で走る。

 

 


そして、一層派手な音と共に、千雨たちの走っていた一画が、完全に崩落していく。
川岸の野次馬たちは、崩れ落ちる渡月橋を、絶望的な視線で見ていた。






「た、助かった………。」


四つん這いになってゼイゼイと荒い息を吐きながら、真名が言葉を絞り出した。千雨は地面に倒れ込み、刹那も木乃香を隣に寝かせてへたりこんでいる。


「あそこで刹那の伸ばした手が間に合ってなかったら、完ッ全に瓦礫に押し潰されてたな…。本気で死ぬかと、思った…。」


「た、助けられて、良かったです…。ホントに、全員…、生きて…。奇跡ですね…。」


千雨と刹那も、息もたえだえにお互いの健闘を称え合う。ちなみに4人は現在、川のほとりで目立たないように潜んでいる。ちょうど現場に救急車も到着したらしい。


「…しっかしまぁ、大変な騒ぎになっちまったな…。収拾つくのかコレ?」


「…殺人、誘拐、傷害、道交法違反、建造物破壊、車両盗難、発砲…数えきれないな。関係無い、では済まされないぞ?」


「…長に頑張ってもらうしか…。」


拷問とも言える量の責任問題を押し付けられた長とやらに同情の念がつきない三人であった。


「だけど…な。」


「ああ…でも。」


「ええ…そうですね。」


千雨が何とか余力を振り絞って仰向けになり、三人と視線を合わせる。そして、三人同時にふっと微笑みを浮かべた。
敵はあまりに強く、被害も甚大だ。死を覚悟した瞬間も何度もあった。だが―――こうして、皆生き残れている。


すやすやと眠る木乃香を見た後、千雨がすっと拳をあげる。それを見た刹那も、真名も、拳をあげて、近づける。そして、同時に拳を打ち合わせた。



「「「私たちの―――――勝ちだ。」」」

 

 

 

 

 


(後書き)

 第19話。渡月橋が校舎の仲間入り回。観光名所?修学旅行?何それおいしいの?

 

 てなわけで、ステージぶっ壊れるレベルでの大乱闘でした。スマブラのステージに例えたら…何処だろ?月詠=車と考えて、オネットとか?もしくはミュートシティ?

 

 前回書き忘れましたが、千雨は拘束魔法に弱いです。もともと筋力はせいぜい女子中学生に毛が生えた程度しかないので、前回みたいに一度拘束されてしまうと、自力で脱出するのはまず不可能です。攻撃手段も封じられるので、後は嬲られるだけ。まぁもっとも、千雨を捕まえられたらの話ですが。基本的に一撃必殺系が多く、銃弾を撃たれてから避けれる反射能力を持つ千雨バレイを拘束するなど、エヴァかフェイト並じゃないと出来ません。

 

 今回のサブタイはFF5の名BGM「ビッグブリッヂの死闘」です。ギルガメシュと聞いて何を思い浮かべたかで、その人がどういう人か分かります。TV番組とか答えた人、女性にドン引きされるような行動を取ってませんか?

 

 次回は二度目の超雨会談です。お楽しみに!

 

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