「ネギ先生、少し方向がずれているようだ。もう少し右に進もう。」

 

 

「ハイッ、龍宮さん!」

 

 

 威勢の良い返事をしながら、ネギは杖の向きを操作し、少し右に曲がっていく。

 現在ネギは真名を後ろに乗せ、杖に跨って飛んでいる。ネギが真名と出会ったのは先ほどのことで、簡単な事情説明の後、ネギと共に木乃香が捕まっているという湖の祭壇へ急行している。

 

 …というのは建前で、実際は真名の誘導の下、湖から離れるように動いている。

 今湖に向かっているのは、千雨、茶々丸、そして天ヶ崎一味だ。鉢合わせたら面倒なことになるのは目に見えている。

なので湖に向かっていると言いつつ、実際は途中ではぐれたという明日菜を捜索していた。ネギは明日菜なら大丈夫、と言っていたが、むしろ自分たちが大丈夫ではない。迷ってる間にさらに厄介な事態に陥る可能性だってある。

 

 現在の真名の仕事は、ネギと明日菜を連れて山を脱出することだ。木乃香のことは心配だが、千雨、フェイト、天ヶ崎という、一国を滅ぼせるだけのメンバーが揃っている限り、おそらく大丈夫だろう。

 

 ―――が、そんな真名の思考を打ち切ったのは、ネギの一言だった。

 

 

「速く行かないと…!きっと刹那さんも心配してます!」

 

 

「―――――っ…!」

 

 

 口から漏れそうな声を、必死で喉元に抑え込む。

 

 

「龍宮さん?どうかしましたか?」

 

 

「…いや、何でもないよ。急ごうか。」

 

 

 真名の複雑な感情が溢れだしてしまっていたらしく、ネギが振り返って気遣う。無理やり取り繕った笑顔を浮かべるも、かなり引き攣っているのが自分でも分かったが、ネギは納得したようだった。

 

 

 刹那の裏切りは明白だ。

 天ヶ崎に入れ知恵されなくとも、そのくらいの判断はつく。千雨も茶々丸も、その事実を淡々と受け入れていた。真名とて一端の傭兵だ。裏切り者のことは楓に任せ、自分は目の前の任務に専念すべきだ。

 

 だが、頭でそう分かっていても、どうしてもそんな冷静ではいられない。

 真名は刹那とルームメイトであり、学園の夜間巡回でいつもペアで行動してきた。幾度となく現れた強敵を、その度に二人の力で乗り越えてきた。だからこそ、刹那に対する感情は複雑に入り組んでいて、千雨たちのように易々と真実を受け容れられないのだ。

 

 

(馬鹿野郎っ…!)

 

 もし、自分が刹那の変調を感じ取り、付き添ってやっていたら。刹那の心の動揺を汲み取ってやることが出来たら、刹那もこんな馬鹿な真似をせずに済んだのではないか。

 そう思うと、不甲斐なさで胸がいっぱいになり、瞳の奥から溢れだしそうな何かを押し留める。

 

 

 結局のところ、思っていた以上に自分はあのクラスに愛着があったのだと、今更ながら思い知ったのだ。

 だから今、戦列に加われない真名は、せめて刹那も自分と同じ本心で居てほしいと、願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

#26 広有殴怪鳥事

 

 

 

『修行をつけてほしい』

 

 

 長瀬楓が千雨とエヴァにそう頼みこんだのは、近右衛門との会談の翌日のことであった。

 修学旅行を控え、敵の実力が未知数であることに加え、茶々丸やさよが日々鍛錬を重ね、強くなっていっていることにも影響され、自分一人が安穏としているわけにはいかないと、二人に特訓を付けてもらえるよう頼むことにしたのである。

 

 二人は最初は渋ったが、最終的には楓の気迫に折れた。

 そして案内されたのが、エヴァの持つ『別荘』だった。

 ボトルシップのようなそれに触れた瞬間、中に引きずり込まれる。海上に佇む緑豊かな小島と居心地よさそうなコテージに、まるでバカンスに来た気分になり、知らず楓の心は弾んだ。

 

 が、修行課題を聞いた瞬間、一転して地獄に叩き落とされた。

 

 

『これから私とエヴァの二人がかりで、お前を殺しにかかる。』

 

 

『は?』

 

 

『目標は一つだけだ―――――生き残れ。』

 

 

 瞬間、楓の視界一杯に魔法の射手の弾幕が広がる。

 命からがら逃げ出した先には、千雨の衝撃波が待っていた。

 

 

 千雨は誰かを鍛えたことなど無い。故に、どう鍛えたらよいのか分からない。そもそも体術や基礎身体能力だけで言えば、楓の方がずっと上なのだ。

 なので自分に出来ることといえば、本気で戦ってやることだけ。エヴァと二人がかりで、ギリギリで死ぬ(・・・・・・・)ぐらいの力加減で、『別荘』の中で数日間――現実時間で放課後の数時間――楓を攻撃し続けるという、言葉だけなら非常に単純な物に収まった。

 

 

 だが、楓にとっては地獄と呼ぶのも生温い、平均台のような生死の境に立たされているような日々であった。

 

 何百という魔法の射手が、的確に人体急所を突いてくる銃弾が、自分の周囲数十メートルを悉く凍らせる冷気が、何の前触れも無く脳を揺さぶる衝撃波が、そして無音で迫り来る大質量の魔法やエヴァ本人が、本気で襲いかかってくる。

 

 一つ判断を間違えれば、良くて致命傷、悪くて即死。

 彼女たちに殺す気は無いとしても、間違いなく死ぬだけの攻撃を放ってきている。後は自分自身の問題だ。

 

 本当の意味での生きるか死ぬか(デッド・オア・アライブ)

 楓にとっては常に三途の川を渡りかけるような日々であり―――同時に、これ以上無いほどの修練となった。

 

 

 生き残るために、楓はありとあらゆる手を尽くした。

 

 常に最速の行動を取り。

 常に脳をフル回転させ。

 常に自分の周囲に意識を張り巡らせ続け。

 常に渾身の力を込め。

 常に全速力で攻撃を避け。

 常に相手の数手先の行動を読み。

 常に自分の数手先の未来を予測し。

 常に自分の中で戦略を組み立て続けた。

 

 無論、それらが常に上手く行くはずもない。千雨もエヴァも、楓より遥かに経験豊富だ。時には楓を上回る動きや戦略で、時には真正面から力づくで、楓の行動を粉砕してきた。そしてその度に繰り出される反撃。それにもまた、楓は対応を強いられた。先ほどの自分の行動を振り返り、何が悪かったのかを考えながら。

 こうして、命からがら生き延びる日々を、現実時間で放課後の数時間、これを修学旅行前日まで。すなわち、『別荘』換算で3週間弱。

 

 身に付けたものは圧倒的な戦闘経験と、生存本能。

 生き延びるための最適かつ最小の反射行動と思考回路を、その血肉に宿した。

 

 

 

 

 

 

 

 そして今、刹那と対峙する楓は、苦無を正面に構えたまま微動だにしない。

 両手に苦無を持ち、腕を交差させた構え。両足を軽く広げ、そのまま根を張ったかのようにぴたりと動きを止めていた。

 まるで意味を感じられない、格好付けているだけにしか見えない立ち居振る舞い。しかし薄刃のごとき鋭い眼差しが、楓の持つ煮え滾るような怒りを、戦意を、何よりも如実に表していた。

 

 それと相対する刹那は、狂化してなお感じるその不気味さに、思わず二の足を踏んでしまっていた。

 刹那とて敵の数手先を読むことぐらい造作も無い。戦闘とは即ち手の読み合いだ。敵がどう動くかを察し、有効な手を打つ。刹那が選んだのは、あらゆる手を力づくで打ち破るという、単純かつ強力な手段だ。

 

 だが、そんな今の彼女をして、楓に切り掛ることは躊躇われた。

 見えるのだ。何時、何処に刀を振り上げようと掠りすらせず、逆に苦無で身を断たれる己の姿が。

 

 柄を握る手に汗が滲む。手だけでなく額からも滴り落ちる。大型の肉食獣を目の前にしているような圧迫感。心臓の鼓動を抑え、目を逸らさないことに力を注ぐ。

 だが、脳裏に浮かぶのは一か月前の無惨な敗北。地に伏した自分を容赦なく踏み潰そうとする、悪鬼のような女の姿。

 

 

 

 ―――怖い。

 

 

 

「ウッ――――――――アアアアアアアアァァァァーーーーーーッッ!!」

 

 心の深層から、刹那自身の感情(こえ)が響き渡る。

 瞬間、刹那は駆け出していた。隙や勝算を見つけたわけではなく、己の恐怖心から、弱い心から逃げ出すような、がむしゃらな疾走。

 

 

 しかし一歩目を踏み出した瞬間、楓の姿が視界から掻き消える。

 何処へ―――と考える間もなく、すぐに見つかった。

 

 

 自分の懐に潜り込んでいる楓が。

 

 

「―――――――!!」

 

 

 刹那が駆け出したのとほぼ同時に、楓も刹那に向かって突進していた。しかも刹那とは違い、一歩目を踏み出した時点でトップスピードである。

 その最高速度は、千雨、エヴァとの特訓で、最終的に二人を撒いた程のもの。苛烈極まる二人の攻撃から逃れるため、楓が身に付けた初速にして最高速(トップギア)の脚力。

 

 避けるどころか反応することすら許さない。最高速のまま楓は刹那の胴体に突貫する。

 悲鳴すら漏らせず、苦痛に歪んだ顔のまま吹き飛ばされ、木の幹に背中から叩きつけられた。刹那の口から血反吐が漏れる。

 

 間髪入れず、両手の苦無を投げる。苦無は刹那の服を貫き、体を幹に縫い付けた。そして再度刹那に向けて走りだす。

 

 だが、狂化している今の刹那にとって、その程度の拘束など何の楔にもならない。力づくで引っこ抜き、真正面に迫った楓の拳を避ける。

 ドスンという重く鈍い音が響き、幹が軋む。拳は幹に大きくめりこんでいた。真上に飛んで避けた刹那だったが、その拳を見て少なからずゾッとする。

 

 

 だが、楓の真上という絶好の位置。ここからなら―――!

 

 

「神鳴流奥義―――――」

 

 

 楓が真上を見上げるが、もう遅い。

 

 

「――――――斬岩剣!!」

 

 

 全身全霊を込めた一振りが襲いかかる。狂化によってさらに威力の増した一閃は、楓の肢体を頭から無惨に引き裂き――――

 

 

 

「分身、でござるよ。」

 

 

「なっ――――!?」

 

 

 真後ろから聞こえた声に戦慄する。

 振り返る間もなく、腰に回し蹴りを喰らった。下の茂みに墜落し、再度背中を強打する。一方の楓は悠々と着地していた。刹那が憎らしげに睨みつける。

 

 が、彼女が新たに手に持っていた物に気が付き、またもや驚く。

 

 

 拳銃。忍者であるはずの彼女にはとても似合わない、人類の叡智にして惨忍さの象徴。

 

 

 彼女が銃を手にしたのは、やはり千雨・エヴァとの特訓中のこと。

 二人の攻撃から必死で逃げる中、偶然(・・)それを発見した。特訓を受ける前の楓なら使う気などさらさら無かっただろう。

 

 だが、その時の楓は文字通り生死の極限。生き残るためには、どんな手段であっても縋らなければならなかった。

 

 故に、銃の使用に対する躊躇は微塵も無かった。最初は反動や狙いのズレに苦しんだものの、命のかかった状況がほぼ強制的に使い方を体に叩きこんだ。結果、楓は普通に銃を扱えるようになり、自分の武装の一つとして使用することにしているのである。

 

 

 手慣れた動作で安全装置を解除。銃口を刹那に向ける。

 が、刹那とて撃たれてやるつもりは一切無い。楓が銃口を向けた瞬間、反射的に刀を構えていた。

 

 

「神鳴流奥義、斬空掌・散!!」

 

 

 弾丸には弾丸を。気の塊が十数の弾状となり、楓に向かって一直線に飛んでいく。大して、楓の放った銃弾はたった2発。とても勝負にならない。

 楓は舌打ちしながらその場を飛び退く。刹那もその動きに合わせてきた。

 

「忍法、四つ身分身!」

 

 楓の体が一瞬ぶれ、4人に分かれる。その手には拳銃ではなく、苦無が握られていた。4人が4人ばらばらに、不規則な動きで距離を詰めていく。

 

「―――っ!奥義、百烈桜華斬!!」

 

 4人の楓に囲まれた瞬間、円を描くような一閃の結界が、刹那の身を包む。4人は刃の結界に巻き込まれ、あえなく姿を消していく。

 

 

 

 ――――――4人共(・・・)

 

 

 

 その違和感に気付く前に、刹那の体が反応する。本能的に振り翳した一閃は、何かを弾くような派手な音を立て、陰からの銃撃から見事に身を守った。

 

 

 だが、今度は真上から楓本人が降ってきた。刀を振り切った直後なので、反撃は出来ない。後ろに跳び下がり、着地点を避ける。

 

 そして、楓の苦無と刹那の刀がぶつかり合う。金属音と火花を散らし、鍔迫り合いの如く至近距離で睨みあう。楓は静かに憤怒を湛え、刹那は激情を表情に出しながら。

 

 

「卑怯、とはよもや言うまいな?その言葉は、今のお主にこそ相応しいはずでござろうし。」

 

 

「ッ―――――!長瀬…楓ェェェェェェ!!」

 

 

 余裕綽々といった様相の楓が挑発する。

 四つ身分身など嘘八百。本人と合わせて5体に分かれ、自身は陰から隙を狙って狙撃する。以前の楓なら用いなかったであろう卑怯な策だ。

 

 鍔迫り合いの末、刹那が刀を押し切る。同時に楓が苦無から両手を離し、空いた手で銃を握り、素早く撃つ。目を疑うような早撃ちであったが、刹那の斬撃が銃弾を斬り飛ばす。狂化して身体能力を向上させているとはいえ、この距離からの発砲をあっさりと防いでしまう辺り、刹那の剣士としての技量の高さが伺えた。

 

 刹那がほくそ笑むのを胸糞悪いといった気分で見ながら、楓は考える。

 銃が効かないということは、苦無や手裏剣も無意味だろう。となれば接近戦のみだが、相手もさる者、不用意に近付けば餌食になるだけだ。

 

 

 

 ―――となれば。

 やはり不意打ちがベストだろうが、そのためには―――

 

 

 

 

 

 

 生存本能。

 楓が地獄の特訓で身に付けた、窮地において絶対に生き残るための技能。そして、生き残るということは即ち“敗けない”ということに繋がる。戦うことには常に勝利条件が付き纏う。例え負けても目的が時間稼ぎにあったなら、それを達成できれば勝利だ。そして生き残ることは―――勝利の基本である。

 いくら傷つこうと、打ちのめされようと、最終的に生きていられれば、それで勝ちだった。逃走も、反撃も、全ては生き延びるため。生への可能性を最後まで諦めることなく模索する。そのためには、使える物は使い尽し、使えない物は即座に切り捨てる。

 それが例え人であっても―――とは千雨は教えないだろうが。

 

 

 故に――――――

 

 

 

 

 

 

 楓は勢いよく地面を蹴る。次の瞬間には、刹那の真後ろの樹が蹴られる音がしていた。

 刹那が慌てて振り向くも、誰もいない。代わりに、真上の枝から、真横の地面から、他の木々から、楓が元居た位置から、ほとんど同時に蹴立てて跳び回る音が聞こえ続けた。

 無論楓本人の姿は見えない。舞い散る土埃や木の葉が楓の歩跡を伝えるのみだ。それすら目で追える数では無い。

 

 ―――と。その飛跡の一つから、何かが飛んできた。

 咄嗟に刀で防ぐ。苦無だった。

 

 続けざまに5本、10本と、四方八方から苦無や手裏剣、銃弾が飛んでくる。刹那はその全てを刀で弾き続ける。しかしこの程度の飛び道具では何の障害にもならないことなど、楓とて分かりきっているはず。

 

 そう訝しみながら、真正面に来た苦無を弾こうとした時。

 気付いてしまった。目の前の苦無に。

 

 

 

 ピンの抜かれた手榴弾と、弾倉が二つ、括りつけられているのを。

 

 

 

「―――――――――!!」

 

 斬りつければ爆発、斬りつけなくても爆発。

 先ほどまでの投擲は、コイツの目晦ましか、と臍を噛む。

 

 容赦無い閃光と轟音が、刹那の眼前で炸裂する。手榴弾や銃弾の破片が飛び散り、刹那を傷つけていく。その破片の細かさ故に、刀では到底弾き切れない。何より、目に入れば致命的だ。

 

 それ故刹那が咄嗟に両腕で顔を庇うのは、至極当然の動作であった。

 

 

 

 ―――そして、閉ざされた視界の奥から、強い気配が迫ってくる。

 

 

 五感をほとんど封じ込めた上での強襲。今の刹那は無防備に等しい。決定打を与えるならばまたとない好機だろう。

 

 だが、十分対処出来る。目も耳も塞がれていようと、縮み行く自分と楓の距離、そして自分の刀の長さ。この2つさえ感じ取れれば、一直線に向かってくる敵など怖くはない。

 何より、五感を封じられていようと、文字通りの第六感―――気や魔力による知覚能力は健在なのだから。

 

 楓が近付くのを見計らい、刀を腰に構える。

 間違いなく楓は最後の一歩分、爆発的に加速して突っ込んでくる。ならばこちらも、それ以上の速度を以て振るうのみ―――!!

 

 そう考えた瞬間、楓が発する気が脚部に凝縮されるのが分かった。

 

 ―――――読み勝った。

 

 刹那の腕が、楓の体を断ち切る刃が、鞭のようにしなやかに、かつ鋭く振るわれた。

 

 

 

 

 

 

 ―――――が。

 そんな理知的思考を塗り潰す、強烈な悪寒を真後ろから感じる。

 

 

 

 

 

 

 楓は、刹那の真後ろに居た。

 すでに前方の気配は消えている。

 つまり今、自分の後ろに立つ気配は分身ではなく―――――

 

 

 

 

 

 

 慌てて刀を後方まで振るう。

 が、あまりにも力が足りない。あっさりと楓の苦無が弾く。

 

 そして、もう一方の手に持つ苦無による追撃。

 

 

「ガッ―――!?」

 

 

 腕を裂かれ、鮮血が噴き出す。

 

 なおも楓は攻めの手を緩めない。

 手が2本とは思えないかのような怒涛の攻撃。防ぐのがやっとの刹那は、愕然とした心境で目の前の同級生を見ていた。

 

 

 ありえない。

 ほんの一瞬―――刀が振るわれるコンマ数秒で、自分の後ろに回り込むなんて。

 

 確かに、その手の技術が無いわけではないし、例えそれが無くとも似たようなことが出来る。

 死角を利用した移動が正にそれだ。人の視界には必ず死角がある。戦闘中にそこを突いて攻撃、移動すれば、確実に敵を翻弄し、仕留めることが出来る。刹那とて万全の状態なら使える技術だ。

 

 だが、視界を塞ぎ、魔力知覚で確実に位置関係を捉えられる状態でありながら、自分は易々と出し抜かれた。自分が楓の位置を感じ取り、そこにカウンターを決める隙を狙って―――つまり、楓の位置を感じ取るより速く、自分の後ろに回って。

 

 

 ―――――ありえない。

 

 

 気配の知覚を置いてけぼりにするような移動だなんて。

 こちらの知覚速度を、この短い間に完全に見切るだなんて。

 そんな技能、聞いた事も無い―――――!!

 

 

 楓の一方的攻勢は続く。その刃は次第に刹那を捉え始めた。傷が増えると同時に、刹那の焦燥の色も濃くなる。

 

 

 ―――――怖い。

 

 

 同時に、抑え込んでいた感情が体全体に巣食っていく。

 至近距離で競り合う楓が目に入る。高速で振るわれる苦無が刀をすり抜け、鼻先を掠める。

 

 

 ―――――怖い、怖い、怖い、怖い。

 

 

 そして、楓と目が合った。

 普段は閉じられている双眸は鷹のように細く鋭く見開かれ、自分への敵意に満ち満ちている。

 

 

 

 

 ―――――怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!

 

 

 

 

「――――拙者が怖いか?桜咲刹那。」

 

 

 心を見透かすような楓の言葉に、ひ、と小さく悲鳴が漏れる。

 その瞬間気付いてしまった。自身の狂化状態が解けてしまっていることに。恐怖を覆い隠すためにかけた狂化が、より強い恐怖に打ち消されてしまったことに。

 

 

「理解できぬ、とは言わぬよ。拙者も散々、千雨殿やエヴァ殿に怖い思いをさせられた。」

 

 

 言いつつも、楓の攻め手は勢いを増す一方だ。狂化も解け、完全に恐怖心が表に出てしまった刹那には、とてもではないが捌き切れない。

 

 

「だが、それは自分自身で抱え、飲み込み、乗り越えるべきものだ。」

 

 

「お主が千雨殿や木乃香殿にしたように、断じて人に押し付けるようなものではない。」

 

 

 横合いから伸びてきた手が、刀を握る刹那の右手首を万力の如き握力で掴む。

 いつの間にか苦無を手放していた楓の手だ。左手で刹那の手を掴み、右手の苦無だけで刀身を防いでいる。

 

 刹那の打つ手は、完全に封じられた。脅える刹那を見る楓は、冷静さを保ち続けている。

 

 

『常に冷静さを忘れるな。熱を持つのは感情だけでいい。』

 

 

『余裕なんて持つな。いつ死んでも文句の無い様、常に全力をぶつけていけ。』

 

 

 二人の師からの教訓が頭をよぎる。これで終わりだと、改めて気を引き締める。

 掴んだままの刹那の手首を思いっきり捻る。苦しげな悲鳴が刹那から漏れ、なお膨らむばかりの恐怖に体が勝手に震えだしていた。

 

 

「自分の弱さを人に押し付けた、その罪――――――」

 

 

 楓の全身から立ち昇る気が、爆発的に増大する。そしてその総てが、左足と、固く握り締められた右拳に集中していく。

 

 

 

 もし刹那が万全の状態だったとしても、今の楓には太刀打ち出来たかといえば、間違いなく否である。それほど濃密な特訓を、()き師匠たちにつけてもらった。

 

 

「裏切られた木乃香殿の、のどか殿の、そして3−A全員の悲しみ――――」

 

 

 最強の悪の魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 超異常殺人能力集団の一員、ミッドバレイ・ザ・ホーンフリークこと長谷川千雨。

 

 

 世界でも十指に入る実力者二人の薫陶を受けた、最強の弟子(サラブレッド)―――――

 

 

「その身を以て、贖えぇぇっ!!!」

 

 

 ――――それが、長瀬楓。

 “刃の下に心あり”を信条とする、級友想いの女忍者だ。

 

 

 気をこめた左足を思い切り踏み抜く。その先には、手首を返されて動かすことも出来ず、無防備に腹を見せたままの刀。

 左足は文字通りの鉄槌となって、道端の小枝を踏み砕くかのように、あっさりと圧し折れた。

 

 そして踏み抜いた足に重心を移し、右腕に加速を付けて振り上げる。

 全身全霊をこめた右拳が、刹那の頬を捉えた。

 

 

 

「ひッ――――――――――!!?」

 

 

 衝撃を一切逃がすこと無く、思いっきり拳を振り抜く。

 頬骨どころか顎、鼻まで砕け、血と歯を撒き散らしながら吹き飛んでいった。数メートルほど空中を泳いだ後、湿った地面で数回バウンドしながら転がって行き、逆さのまま木の幹にぶつかって、ようやく止まった。

 無論、刹那の意識は無い。が、死んでもいない。ふぅ、と大きく息を吐いて、楓は全身の力を抜いた。

 

 楓が顔を上げると、顔面血塗れの刹那が力無く横たわっていた。自分の足元には砕けた刀身の破片が散らばっている。

 

 

 きっと刹那は、この刀に自分を投影していたのだろう。

 己を、近衛木乃香を守る一振りの刃として、それ以外の邪心を全て切り捨てて生きてきた。そのためだけに生きると決めていた。

 

 だからこそ認められなかったのだ。自分が折れてしまったことを。あっさりと存在意義を奪われ、生きていく意味を見失った。そんな時に手元にある、健在な刀を見て、刹那は何を思っただろうか。

 

 気を失ったままの刹那に近寄り、未だ手に握ったままだった刀の柄を奪う。

 楓はそれを放り投げ、空中で蹴り砕いた。後に残るのは、原型をとどめない金属片だけ。

 

「少し剣から離れて、己を見つめ直すことでござるな。」

 

 そう呟き、刹那の傍らに腰掛ける。

 起きてまた自暴自棄になられるのは困るし、このまま放っておくのも寝覚めが悪い。目が覚めるまで付き添うことにした。

 

 ふと、刹那の顔を盗み見る。全身切り傷だらけで、鼻から下は見るも無惨なことになり、整形外科に担ぎ込んだ方がいいんじゃないかと思うほどだ。

 

 けれど、つい数分前までの、醜悪極まりないと罵る他無かった彼女の面影はすっかり薄れ、むしろその時よりはずっと見栄えのする表情にすら思えた。

 言うなれば、憑き物が墜ちたような、そんな感じ。

 

 

「…ま、目が覚めたらもう一度説教でござるけど。」

 

 

 そう言いつつも内心少し安堵しながら、胸元から取り出した治癒符を刹那の顔に当てる。優しいぼんやりとした光が刹那の頭部を包み込むのを見ながら、方角も分からない先にある湖に居る、二人の級友を想う。

 

 

「…千雨殿と木乃香殿は、無事でござろうか。」

 

 

 夜空にかける願い事のような呟きが、静かに吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 


(後書き)

 第27話、渦巻く楓忍法帳の始まりだってばよ回。多重影分身の使い勝手の良さはかなりのモンだと思うんだが。

 

 そんなわけでスタイリッシュフルボッコ回。終始楓のターンでした。単純な力比べ、接近戦なら千雨より強いです。まぁそれで千雨に勝てるかといえば、それは別問題になります。千雨の方が圧倒的に戦闘巧者ですから。

 

 以前から何度か言及していた楓への特訓ですが、単なるサバイバルでした。「殺す気ないけど殺す気で行くから、死なないでねー♪」くらいの感じで千雨&エヴァの無敵タッグから逃げ続ける恐怖。千雨の演奏で無音と化したエヴァの魔法攻撃とか、楓の心境は推して知るべし。けど拳銃とか落としてるあたり、弟子には優しいです。多分。

 

 ついでにネギ先生は迷子センターに保護されましたw残る迷子は後二人!あれ、マ○オストーリーでこんなイベントあったような。

 

 今回のサブタイは東方妖々夢より、5面ボス魂魄妖夢BGM「広有射怪鳥事〜Till when?〜」です。射の字が殴になってるのはご愛嬌。一応読み方としては、「広有り怪鳥を射る事」だそうです。Till Whenは以津真天(いつまで)という日本の妖怪です。…字これで合ってたかな?詳しくはぬ〜べ〜を読んで下さい(笑)

 

 …というか、前のサブタイCANNANのOPでしたね…。何で間違えたんだろ…。Web拍手でツッコミ入れて下さった皆さん、ご指摘本当にありがとうございました。

 

 いやぁ、GW中に投稿しようと思ってたんですが、大スランプに陥っちゃって、書くのが遅れました。本当にゴメンナサイ。次回はお待ちかね、千雨VS月詠の怪獣大決戦です。ただし、冒頭で月詠の過去が入ります。非常に胸糞悪い内容ですので、注意してください。ともかく、最低でも今月中には書き上げますので、よろしくお願いします!それではまた次回!

 

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