それは、断罪の鎌だった。

 

 月詠の放った感卦法の増幅を受けた一閃は、天を衝くほどの大斬撃となり、湖ごと対岸の森まで真っ二つに切り裂いた。斬撃は湖底まで届き、山全体を揺らした。

 

 斬撃で跳ね上げられた湖の水が、豪雨となって降り注ぐ。滝に打たれているかのような大瀑布に、立ち上がることすらままならない。

 だがこの大粒の水飛沫が無かろうと、今の千雨は立ち上がることすらままならなかった。

 

 

「ぐぅっ、あっ……!」

 

 

 避けられない、避ければ木乃香が巻き込まれると分かった瞬間、千雨は空気圧を月詠の刀に当て、斬撃のベクトルを僅かに逸らし、九死に一生を得ていた。

 

 が、予想より遥かに巨大だった斬撃に巻き込まれ、左肩から腰まで深々と斬られていた。致命傷ではないものの、出血が激しく、左手が上手く動かせない。さらに、斬られた後に余波で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたため、背中もジンジンと痛んでいた。

 

 そして、最大の問題は―――――

 

(近衛っ…!!)

 

 そう、近衛木乃香。

 祭壇は斬撃そのものには巻き込まれなかったものの、湖が割れた際の大波で破壊されてしまっていた。その音を、千雨は斬られながらも確かに耳にしている。

 だが、奇跡的に木乃香は生きていた。胸まで水に浸かりながら、祭壇の残骸に服が引っ掛かり、かろうじて湖底に沈むのを堪えている。

 

(だけどそれだけだ、いつ服が千切れて、沈んでもおかしくない…!)

 

 木乃香本人は気絶しているようだが、ひょっとしたら水をかなり飲んでいるかもしれない。何より命綱である服が、先ほどから少しずつ糸がほつれてきているようなのだ。一刻も早く助けにいかなければならない。

 

 

 

「アハッ…!アハハハッ…!ハッ、ハハハハハ…!」

 

 

 

 ―――――ほとんど死に体でありながら、未だ戦意の衰えない月詠を、振り切ることが出来るなら。

 

 

(不味い…!このままだと、近衛が先に沈む…!)

 

 

 月詠は今、千雨への思慕(さつい)を燃料に生きている。なので、木乃香がどうなろうと知ったことではないだろう。千雨が木乃香を助けたとして、よっぽど千雨が下手な真似をしない限り、木乃香が月詠に殺されることは無い。

 ただし、木乃香を助けに走るということは、月詠に絶好の隙を見せるということであり、即ち、千雨は月詠に殺されるということだ。

 

 だが、月詠を相手取れば、木乃香は死ぬ。

 月詠はもう保たない。燃料だけ残った未練がましい廃棄物(スクラップ)と同じだ。残る時間、超音波を奏で続けていれば、立ち上がることも出来ないまま、月詠は息絶える。

 だが、木乃香がそれまで保つとは思えない。千雨の耳には、次第に木乃香の命綱である服の切れ込みが大きくなっていく音が聞こえている。

 

 

 

 

 自分か、木乃香か。

 どちらかの命を―――捨てる。

 

 

 

 

「―――――――っ、おおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 

 

 そう考えた瞬間、千雨は走り出していた。

 湖上に浮く残骸を跳び移り、木乃香の許へ。

 

 

「あああああああああッッッッッ!!」

 

 

 一瞬遅れて、月詠が走りだす。千雨との距離は15メートル程。

 走る度に傷口が疼き、足が縺れる、踏み外しそうになる。月詠との距離がどんどん縮まって行くのを、左半身から溢れだす血を感じながら、それでも走る足を止めない。

 

 

「くそっ……!」

 

 

 木乃香まで後3メートル。

 月詠は後方5メートル。

 

 追いつかれる―――――――!

 

 

「っ――――近衛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 叫びと共に、最後の残骸を思いっきり踏み切る。走り幅跳びの要領で、手を思いっきり伸ばし、木乃香を掴もうとする。

 

 その真後ろに―――月詠が、迫っていた。

 

 

 

「―――――――――――――――あは♡」

 

 

 月詠の手が、指が、千雨の服の襟に触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――ぱきっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「―――――――――え?」」

 

 

 二人分の驚きの声が重なる。

 

 

 千雨はまだ木乃香を救っておらず。

 月詠はまだ千雨を掴んでいない。

 

 

 だが。

 それは文字通り、終焉を告げる鐘。

 

 

 

 月詠の体、その内側から響いた音。

 銃弾を受け、罅入り、それでもなお動き続けたツケが、最後の最後に回ってきた。

 

 

 

 

 真っ先に限界を迎えたのは、月詠の脊椎だった。

 

 

 

 

「あ――――――――――」

 

 

 コントロールを失った体が、崩れ落ちる。

 手も、足も、何一つ動かない。

 一時的に全身麻痺に陥ったにもかかわらず暴走を続けた、当然といえば当然の結果。

 

 

 ゆっくりと。

 どうすることも出来ぬまま、前のめりに倒れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 木の箱の中で、女の人が眠っている。

 

 お姉ちゃんは泣き縋っている。

 ゴメンナサイ、ゴメンナサイと謝りながら。

 

 お父さんは立ち尽くしている。

 許さない、許さないと呟きながら。

 

 木の箱の周りには、キレイな花が敷き詰めてあって。

 女の人は、傷まみれの顔で、幸せそうに眠ってた。

 

 私には難しくてよく分からなかったけど。

 何か大切なものが壊れたような、そんな気がした。

 

 お姉ちゃんは毎日何百回と謝っていた。

 お父さんはお前たちのせいだと怒鳴ってきた。

 私は家から外に出なくなった。

 

 きっとあの日から、私たちは止まったままで。

 

 

 

 

 

 

「―――――お母さん。」

 

 

 そんな呟きが、口からこぼれた。

 それは、本当に単なる独り言だったけど。

 

「月詠ィィィィィィィィィィィ!!」

 

 

 

 最期の瞬間。彼女を呼ぶ声がした。

 近衛木乃香を抱きかかえた長谷川千雨が、サックスを咥え月詠を睨む。

 

 

 ――――お母さんに、任せなさい―――――

 

 

 最期に。

月詠の耳に、そんな快い響きが聴こえた気がした。

 

 

 

 

 

 腹部に強い衝撃が走り、月詠は湖岸まで吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

side 千雨

 

 

 

「…ぐっ、げほ、げほっ!」

 

 

 湖岸まで近衛を運び、心臓マッサージを行ったところ、案の定かなり水を飲んでいたらしく、大量の水を吐いた。数度のマッサージで、多少胃液らしきものも混じり始めた。おそらくこれで、胃の中の水は吐き尽くしたはずだ。

 眠っていることを確認し、立ち上がる。おそらく魔法的な何かで眠らされているのだろうが、ここまでされて意識を取り戻さないのは少々怖い。速めに天ヶ崎に見せるのが無難か。

 

 そう考えながら、もう一人の方へ歩む。

 

 月詠は虫の息だ。心臓の音もか細く、口元から息を吐く音すら聞こえない。

 目を潰した時点で勝負は決していた。だが、この少女の持つ何かが、止まることを許さなかった。

 あれほどの狂気。あれほどの暴威。

 こんな平和な世界で、こんな重い物を抱える人間が居るなんてこと、思いも寄らなかった。

 

 ―――ふと、ミリオンズ・ナイブズの、絶対零度の視線を思い出す。

 

 アイツが嫌悪していた、人間の悪性。月詠も、私も、その体現者だ。奴の思想を批難することなど、到底出来そうにない。

 

 

「ぅ…ぁ…。」

 

 

 だからこそ。コイツをこれ以上苦しめてはならない。

 コイツの痛みが分かるなんて言わない。けれど、コイツは誰よりも私に懐いた。

 その想いが間違ったものだとしても―――せめて、止めは私の手で刺してやるのが、せめてもの弔いだと、信じている。

 

 

「…よぅ。」

 

 

 眉間に銃口を突き付けながら、声をかける。

 

 

「あ…。お母、さん…?」

 

 

「…そうだよ。」

 

 

 月詠は何も見えていない。虚ろな眼窩だけが私を捉える。

だがその顔は、先刻の鬼気迫る悪鬼の姿からは想像も出来ないほど、穏やかで柔らかな微笑みを浮かべていた。

 

 

「…あのね、お母さん…。」

 

 

「何だ?」

 

 

「…怖い夢、見たの…。」

 

 

 引き金にかけた指が強張る。

 

 

「よく分かんないけど…。真っ暗で、何も見えなくて、なのに、誰かが泣く声だけが、ずっと聞こえてて…。お姉ちゃんも…。お父さんも…。お母さんも…。泣いてた…。」

 

 

 今、月詠は夢を見ている。彼女にもあったはずの、幸せだった日々の夢を。それを邪魔する権利など、私には無い。

 

 ―――今だけ。私はコイツの母になろう。

 せめて安らかに、良い夢を見ながら、眠れるように。

 

 

「…大丈夫だよ、月詠。お母さんが…ずっと、傍にいるから。」

 

 

「ほん、とう…?」

 

 

 息も絶え絶えの少女の、血まみれの手を握る。ひんやりとした感触が伝わってきた。

 

 

「ああ、本当だよ。だから―――もう少し、眠ってなさい。」

 

 

 安全装置を外し、再度引き金を握る指に力を込める。

 

 

「―――――――うん。」

 

 

 そうして月詠は。

 母を慕う、幼い少女の顔で、目を閉じる。

 

 

 

 ―――――――お休みなさい、お母さん―――――――――

 

 

 

 その言葉を、胸にしっかりと刻みつけて。

 引き金を3度引いた。

 

 

 

 無感情な音が、暗い夜の闇に反響し、拡散し、消えていく。

 涙のような返り血が、頬にかかった

 

 ―――甘ったれるな。これは私が招いた死だ。                                               

 逃げるな。背負いこめ。焼きつけろ。踏み躙れ。お前はこうなることを知って、こうなることを望んで、(これ)を手に取ったんじゃないか。

 

 …こんな、基本的な心構えさえ曖昧になってしまうほど、私は耄碌してしまったのか。

 情けない、と呟き、月詠の死に顔を見る。

 

 鼻から上は吹き飛ばされ、ぐちゃぐちゃになっている。だが口元は、安らいだ笑みを浮かべていた。

 

 

「…私には、一生出来そうもない顔だな。」

 

 

 今もまだ、楽しい夢を見続けているかのような、綺麗な笑顔。人殺しの浮かべられる顔では無い、と思う。

 私はこれから先、どんな笑顔を浮かべていくのだろうか?試してみようと思って、すぐに止めた。どうせ、引き攣った気持ち悪い笑みしか出てこない。

 

 ――――あの、平和主義者は。

 百年以上も砂の星を彷徨い歩き、幾度となく人に裏切られ続け、途方も無いほどの辛酸を舐め、街一つ消し飛ばして無辜の民を消し去った、あの男は―――

 どんな笑顔を―――していたんだろう。

 

 

 

 

 そんな、考えたところでどうしようもない思考を打ち切り、銃口を左側の森に向けた。

 

 

 

 

「…見てたんだろ?出て来いよ。」

 

 

 聞こえやすいよう大きめの声で呼ぶ。覗き見していた奴らを、ではなく、少し離れたところで待つ茶々丸たちが、駆け付けやすいように。

 何でコイツらが、と内心で毒づく。一人は知っていたにしろ、もう一人は完全に予想外だ。こういう目に遭わないよう、気を張っていたはずだったのに。月詠との戦闘に気を取られすぎていた。

 

 

 

 

 

 

 人影が姿を現す。暗闇でよく見えないが、口元から漏れる呼吸音が、顔見知りであることを告げていた。

 

 

 

 神楽坂明日菜と、綾瀬夕映が、青褪めた顔で茂みから出てきた。

 

 

 

 

 

 

 


(後書き)

 第27話。この気持ち…まさしく愛だ!!回。当作品の50%は愛で出来ております。残り半分?ご想像にお任せします。

 

 というわけで、千雨vs月詠でした。怪獣大決戦と言いつつ、主に月詠が怪獣でしたけど。月詠・ザ・カーニバル、楽しんでいただけましたでしょうか?とりあえず今回は後書き長いです。前後編に分けたのも、ぶっちゃけ後書きが長くなるからで。

 

 月詠の過去。気付けばこれだけで3千字取ってたというw

 ざっとまとめると、母親の目の前で人質に取られる娘二人→娘の命のため、嬲られる母親→死亡→父親発狂→娘のせいだと考える→虐待、という過程です。犯人側の動機とかは省略。字数割くほどの価値はないし。とりあえず、全ての始まりは母親の無惨な死、ということです。虐待期間は大体4年くらい。その間に、気の使い方を無意識にマスターしていった、ということです。

 

 続いて、戦闘シーン。なるべく冗長にならないよう、台詞を入れたり文章を短く区切ってみたりしてみました。エヴァ戦の時より読みやすくなってると嬉しいです。

 千雨ですら避けるのが精一杯な攻撃密度、銃弾ですら貫けない皮膚の硬度、銃弾を歯で受け止める瞬発力、そして衝撃波に対する耐性と、千雨不利な条件揃えまくりです。それでも勝てる千雨も充分化物です。

 月詠は準GUNG-HO級の強さです。強さでは及ばないですが、精神的には加入条件を満たしてる感じです。後10年もすればサイクロプス並の強さにはなれたかと。同じく千雨も準GUNG-HOレベルまで落ち込んでるので、結局どっこいどっこい。ただし月詠はエヴァのように、中距離・遠距離からの攻撃手段が豊富な相手には不利です。なので、千雨、エヴァ、月詠で3竦みになってます。

 

 そして月詠覚醒、最後の月牙です(笑)ただしイメージ的には、ナイブズが4巻で衛星斬った時のヤツですが。

 プロットの時に、感卦法はやっぱり誰かに使わせたいけど、明日菜だと芸無いし、そもそもあんまり出番無いしなぁ…、と考えてる内に、何故か月詠が使うことに。何故だ。ともあれ、やはりファンタジー世界で斬撃が飛ぶのはお約束ですよね!ただしカマイタチとか真空の刃とか、空気利用した物だと千雨バレイならあっさり消せます。月詠が出した、湖ぶった切るサイズじゃないと、千雨には通用しません。

 

 そして最後はお母さん化。これは自分自身予想してませんでした(笑)実の所、脊椎も想定外だったっちゃあ想定外です。当初は月詠が最後に倒れる原因を、出血多量と血液補充(=食人)の度外視からの貧血にするつもりでした。ですが、それだとちょっと呆気なさ過ぎるし、拍子抜けかな?と思い、背骨へし折れる方にしました。そしたら千雨が未婚の母に。これまた何故だ。最期に銃弾が通用したのは、気が薄まっていたからです。3発撃ったことに特に意味は無いですけど。

 

 …ともあれ、月詠死亡です。原作キャラの死亡はこれで3人目になります。相変わらず申し訳ないです。

 

 今回のサブタイは厨二病ホイホ…もとい、lightの18禁PCゲーム「Dies irae ~Acta est Fabula~」より、獣殿ことラインハルト・ハイドリヒの専用曲、「Dies irae "Mephistopheles"」です。Diesキャラの詠唱とか能力とか、どうやって考えてるんだろ。ちなみにこの曲、モーツァルト版の曲のアレンジらしいですけど、モーツァルトも極東の地で自分の曲がこんな風にアレンジされて世に出回るとか想像だにしなかったろうな…。

 

 そしてどうでもいい設定として、もし月詠が将来的に成長したら、ラインハルトさんみたいなキャラになる予定です。千雨との邂逅とか色んなことから、自分自身の狂気を理性に固め直して、理知的かつ刹那主義的な狂人となります。全人類を愛するも、その実「惨殺」と「食事」という形でしか愛せない人。善悪問わず暴れたい時に暴れまくり、殺したい時に殺したいだけ殺しまわる、最強にして最凶、最狂にして最侠なキャラに。実力もGUNG-HO並となります。手には二刀、服に返り血の、ロングヘアーの巨乳美女。今日も今日とて街を闊歩し、カツアゲされてる学生を見て、カツアゲ犯を悪即斬。お礼を言われつつ、「あ、コイツ殺したらどうなるかな」と思いついて善即斬。そのままおやつにいただきます。うん、コレはラインハルトさんじゃねぇな。

 

 次回は(ピー)が(ピー)に(ピー)されて、(ピー)が(ピー)して(ピー)が(ピー)します。いや、何言ったって大事な部分のネタバレにしかならないんですよ…(^_^;)とにもかくにも、また次回!

 

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