学園祭2日目の学園長室では、近右衛門を始めとした何人もの魔法使いたちが集まり、情報を交わし合っていた。

 当然議題はサウザンドレインとそれに加担していると思われる3−Aの事だ。

 

 

「ほう、3−Aに強力な魔力防壁が張ってあった、とな?」

 

「ええ、非常に巧妙に偽装されており、近くを通っただけでは何の変哲も無いようにしか見えません。しかしドアや窓などは一切開かず、物理的に破壊して中に入ることも出来ません。どうやら教室内の様子にもフィルターが掛かっているようでして、教室内に何かある物と…。」

 

 

 確かに怪しい情報ではあるものの、おそらく千雨の居る『別荘』は無いだろう、と近右衛門は睨んでいた。そんな分かりやすく、見つかりやすい場所に置くはずがない。おそらくは戦力分散用の囮だ。一応可能性がある以上、人を寄越さねばならないだろうが、2〜3人で充分だろう。

 

 

「そういえば、魔力を持った関西訛りの人間の目撃情報が相次いでいます。この学園祭に乗じて、サウザンドレインの首級を挙げるつもりなのかも…。」

 

「関西呪術協会が壊滅してから侵入者の数と回数はだいぶ多くなったな。しかし、何の行動も起こさないので不気味に思っていたが…。まさか、この学園祭の下調べをしていたのか…?」

 

 

 関西の術者と思しき人間たちの侵入は、協会壊滅以来増えてはいるものの、以前のように襲撃や破壊工作といった行動に出ることは全くと言って良いほど無くなった。

 京都の一件で麻帆良が世界中から注目を浴びる事になってしまったため、関西の人間たちの不気味な行動に不安感を覚えるのは当然の帰結ではあるが、宮崎のどかという少女の存在を知る近右衛門は、今彼らが口にした予想が絶対に有り得ない物である事を知っている。

 

 

(長谷川千雨と超鈴音が手を組んでいると言う事は、宮崎のどか率いる新生関西呪術協会も戦列に加わっているのは間違いないじゃろうな。)

 

 

 関西呪術協会が新生復興しているという事実は未だ公表されていない。というよりも、当の関西が公表していない。すでに関西が一枚岩の結束を結んでいる事実は、関西以外では近右衛門のみが知り得る事だが、それを口にすれば、近右衛門自身の痛い腹まで探られることになってしまう。それを見越して関西は―――いや、宮崎のどかは、関西呪術協会の新生復活を秘密にしているのだ。

 そして当の宮崎のどかは、退院(・・)し麻帆良に帰ってきて以来、一ヶ月間休みなく堂々と登校してきている。

 

 

(手を出せるものなら出してみろ、と。出せば大義名分はこちらにある、と、そう語っているんじゃろうな。全く、忌々しい…。)

 

 

 近右衛門の脳裏に、一か月前の会談でのどかが見せた自信に満ちた笑顔が浮かびあがり、同時に千草の見せるおぞましく嫌らしい笑顔も思い出した。

 重ねたくもない綺麗(プラス)醜悪(マイナス)の両極端が脳内で重なろうとしたその瞬間、部屋の扉が叩かれ、近右衛門の思考を打ち切った。その事に安堵しつつ、ドアの向こうの魔力を探る。

 

 

「ああ、シスター・シャークティかね?入ってよいぞ。」

 

 

 失礼します、という声と共に扉が開き、修道服を着た女性が部屋に入ってくる。

 

 そして、その後ろ。

 少し不貞腐れた様子でシャークティに着いて歩く少女に、全員の視線が集中した。

 

 

「ふぉっふぉっふぉ。緊張しておるかね、春日君?」

 

「…別に。する必要もないっしょ。」

 

 

 少女―――春日美空は、シャークティより一歩前に出て、近右衛門に向き直る。面倒臭い、と言わんばかりの投げやりな返事からは、あからさまな警戒心が見て取れた。

 しかし近右衛門、そして美空を取り巻く魔法使いたちの視線には、それ以上の敵意が込められていた。

 

 

「さて春日君。知っての通り3−Aは現在、凶悪犯罪者サウザンドレイン・ザ・ホーンフリークの隠匿の容疑がかかっておる。じゃが儂等は、君の口からサウザンドレインの情報を耳にした覚えはない。」

 

 

 美空を睨む近右衛門の双眸は鷹のように鋭い。ただその眼光だけで、美空の命を刈り取ってしまいそうな程に。

 

 

 

「さて、春日美空君―――君は、儂等の敵かね?」

 

 

 

 静かに問いかける近右衛門の声は、虚偽の答えを見抜き、糾弾するだけの力を感じさせた。

 美空とて馬鹿ではない。見習いとはいえ自分が学園所属の魔法使いである以上、そしてあの計画に加わっている以上、こうして呼び出され、尋問されるであろうという事は分かっていた。

 

 学園に味方するのなら、知る限りの情報を吐く。

 千雨に味方するのなら、この場で捕縛する。

 

 虎穴なんて表現では生温い、閻魔大王の掌の上だ。

 

 

「黙っていては分からんぞい、美空君。さあ―――どっちかね?」

 

 

 近右衛門が、そしてシャークティが、取り囲む魔法使いたちが、視線で急かす。

 

 イエスか、ノーか。

 答えは―――とうに決まっている。

 

 

 

「それは、もちろん―――――。」

 

 

 

#45 ノーガール・ノークライ

 

 

 

 

 

 

 麻帆良祭二日目の龍宮神社は、人でごった返していた。

 まほら武道会―――かつてより麻帆良祭の伝統行事として開かれ、近年めっきり形骸化と参加者の激減が進んでいたはずのこの大会は、超の介入によって優勝賞金一千万円の大規模な格闘大会として復活し、この二日目だけでなく、麻帆良祭全体を通してのメインイベントの一つとして、開催前から参加者や見物人が殺到していた。

 

 そして、その控室―――神社の本殿近くに設けられた選手用特設テントの中で、明日菜はじっとパイプ椅子に座っていた。

 

 

「ふぅぅぅぅ…。」

 

 

 身を包む緊張感から、長く大きく息を吐き出す。傍らに立つネギが優しくその背中を擦った。

 

 

「…緊張してますか、アスナさん?」

 

「まーね。そりゃ緊張すんなって方が無理でしょ。」

 

 

 テントの中にはネギと明日菜以外誰も居ない。外から響く歓声と実況が、興奮ぶりを如実に伝えてくる。おそらく決着までもう少し。その試合が終われば明日菜の出番だ。

 

 

「超さんには無理言っちゃったからね。どうせ負けるにしても、やられっ放しにならないようにしないと。アルビレオさんにも後押しされたし。」

 

「渋ってましたもんね、超さん。明日菜さんの気持ちは汲んでくれてましたけど。」

 

 

 明日菜がこのまほら武道会に参戦したいと願い出た時、超はかなり渋った。一応明日菜は戦力であるため無駄な負傷はしてほしくないし、対戦順への介入はスポンサーという立場的に避けたかった。

 というのも、明日菜は武道会での対戦相手を―――とんでもない相手を指名したからだ。

 

 

「身勝手なのは分かってるけどさ。計画の成否に関わらず、二度と会えなくなるから…。だから、ここで済ませておきたいんだ。別れを。」

 

 

 寂しそうにそう語る明日菜の眉間に、ネギの人差し指が突き付けられる。その指先には、少し強めに力が込められていた。

 

 

「眉間に皺寄せるなんて、アスナさんらしくないですよ。それに、成否なんて言っちゃ駄目です。絶対、成功させるんですから。」

 

 

 ネギはそのあどけない顔立ちを顰め、両手を腰に当てて明日菜を見つめている。

 明日菜は数秒間、試合直前で緊張していた事も忘れて呆けてしまった後、自分がネギに叱られたのだと気付き、堰を切ったように笑いがこみ上げてきた。

 

 

「ぷっ…あははははははははは!まっ、まさかアンタに怒られる日が来るなんてね!いつも逆なのに!アタシがアンタ怒る方なのに!あっはははははは!」

 

「そ、そんなトコからかわなくてもいいじゃないですかー!」

 

 

 テントの中に愉快な笑い声と可愛らしい怒り声が響く。一頻り笑った後、明日菜は自分の頬をパンと叩いて、自分を押し潰しかけていた弱気を追い払った。

 

 

「ありがと、ネギ。おかげで元気出てきた。緊張も吹っ飛んだし。」

 

 

 そう言って微笑みながら、いつも彼にするように頭を優しくポンポンと叩く。その感触が心地良くて、そして明日菜の力になれた事が嬉しくて、自然とネギの顔もほころんだ。

 

 そして会場から聞こえる歓声が一段と大きくなり、実況が試合終了を告げた。

 

 

「さて、それじゃ行ってくるわね、ネギ。応援してて。」

 

「―――ハイ、ご武運を、アスナさん。」

 

 

 木刀を手に明日菜がテントから外に出る。興奮した大観衆の熱気が明日菜の肌を伝うと共に、実況の大声が轟いた。

 

 

『さあ、続いての試合は、ついに優勝候補が登場だ!デスメガネこと、高畑教諭の登場ですっ!!』

 

 

 

 

 

 

 昼時ともなれば、何処の食堂も人でごった返す。

 ましてやそれが大盛況の学園祭なら尚の事で、当然JAZZ包子も昼食を求める学生や来場者で大混雑していた。嬉しい悲鳴をあげたい所だが、喉を突いて出てくるのは、注文を取る声と忙しさ故の悲鳴だけだ。

 

 

「12番テーブル、肉まんセット烏龍2つオレンジ2つ、持ってって!」

 

「6番テーブル空きました!机の上拭いて次のお客様ご案内!」

 

「14番テーブル、飲み物間違えてるよ!?ジンジャーエール大至急!」

 

「2番テーブルのお客様もう1時間近く居座ってるよ!?ちょっと注意してきて!」

 

 

 などと、戦場に例えても過言ではない程忙しく、目まぐるしく働いていた。それ故魔法使いたちも声をかけるにかけられず、遠巻きに眺めるばかりなのは、幸運というべきなのだろうか。

 しかも働いているのは、3−Aの生徒ばかりではなく。

 

 

「環、餃子出来たら私の方に回して!盛りつけるから!」

 

「ジンジャーエールはまだアルか!?」

 

「大丈夫よ古さん、もう入れ終わる!暦、そろそろあんまん切れそう、蒸しといて!」

 

「オッケー調!小龍包もそろそろよ!」

 

 

 戦場の最前線―――厨房という名の聖域に、環、暦、調の姿があった。

 元々彼女たちは作戦における兵力ではあるものの、3日目の作戦決行時まで特にすべき事はなく、主であるフェイトや司令塔の千草、アルも不在のため、時間を持て余していた。そこに目を付けた3−A生徒たちが、彼女たちを人手として駆り出したのである。

 どうせすべき事もない、下手な動きをすれば目を付けられる、そして初めて経験する学園祭という事もあって、彼女たちは二つ返事で手伝いを了承した。魔法先生たちに気付かれないよう、厨房限定である。

 ちなみに勤務はシフト制で、今ここに居ない焔と栞は目立たないよう気を付けながら、学園祭を見て回っている。

 

 

「おススメ飲茶セットBお待ちどう!よろしく!」

 

 

 調が暦から渡された小龍包を飲み物とセットにしてウエイトレスに渡す。そのまま次の料理に移ろうとしたが、返事が無い事に気付いて、受け渡し口を振り返った。

 

 

「あのー…雪広さん?セット、もう出てるよ?」

 

「えっ?ハッ!す、すみません!今すぐ持って行きますわ!」

 

 

 あやかは名前を呼ばれた途端、セットをひったくるように手に取って、いそいそとテーブルへ運んでいく。何か思いつめているというのが、去り際の横顔だけで分かった。

 

 

「んー…。やっぱり不安なのかな…。」

 

「別に計画の事を心配してるわけじゃないと思うわよ?」

 

 

 去っていくあやかの、少し落ち込んだように丸まっている背中を心配そうに見守っていた調だったが、真横からの否定の声に首を向けた。

 

 

「あ、那波さん。次の注文すぐ出来るから待っててね。」

 

「ええ、大丈夫よ。それよりも―――」

 

 

 千鶴もあやかの背中を見ている。だがその視線は調とは違い、苦笑気味に、まるで素直になれない性格の娘を見守る母親のような眼差しだった。

 

 

「あやかは誰よりも友達思いの子だから、大切な友達が今辛い思いをしている事に胸を痛めてるのよ。その友達が、長年付き合ってきたよく似た性格の子だから、尚更ね。皆それに気付いてるんだけど、指摘したら拗ねちゃうから、言えないでいるのよね。」

 

 

 困ったように微笑む千鶴から視線を外し、忙しく駆け回る生徒(ウェイトレス)たちを見ると、確かにチラチラと心配そうにあやかの様子を窺っているのが分かった。

 調たちも、彼女たちとの付き合いは短いが、あやかが誰の事を心配しているのか察している。そしてその誰かが直面し、乗り越えなければならない事象も、その重さも、知っている。

 

 

「…どうにかしたいね。」

 

 

 そう呟いた途端、調の目の前に肉まんが数個と、テイクアウト用の箱が置かれた。

 しかし、持ち帰りの注文は来ていない。怪訝な顔で肉まんを渡した暦を見ると、暦は少し苦笑しながら、親指で厨房の奥で働く五月を指差した。

 

 

「料理長から指令。宅配サービスだよ。武道会の会場に居るネギ先生に、だってさ。」

 

 

 宅配、そして武道会の会場。こう告げられて察せないはずがない。

 何も言わず千鶴が素早くその場を離れ、料理を受け取ろうとするクラスメイトたちを引き離す。

 あやかが振り向いた瞬間に、調が手招きして呼び寄せた。当然あやかはすぐに駆け付けてきた。

 

 

「どうかしましたの、調さん?」

 

 

 そして何も知らないあやかに、肉まんの箱の入った手提げ袋を突き出した。

 

 

「悪いんだけど、これ武道会の会場まで配達してくれないかな?ネギ先生、まだ会場に居るはずだから。」

 

 

 無論あやかも、瞬時にその意図を察した。

 明日菜の試合が始まるのは、予定では20分後。今から行けば、会場まで15分で辿り着ける。多少早く始まっていたとしても、充分間に合うはずの時間だ。

 

 

「で、ですが、今はお店も忙しいですし、私一人抜ける訳には…。ほ、他の人でも大丈夫でしょう!?」

 

「今目が合ったし、ちょうど良いじゃない。配達も仕事のうちでしょ。一人分の穴なら埋まるわよ。何なら栞辺り呼び出してもいいし。」

 

 

 別に試合を見に行け、と行っている訳ではない。武道会の会場に配達物があるから、それを届けろと言っているだけなのだ。あくまで仕事なのだし、断れるはずもない。他の誰かに託そうにも、誰一人近付いて来ようとしない。

 

 

「ホラ、肉まん冷めちゃうから、早く。」

 

 

 調があやかの手を取って、袋を無理矢理握らせる。

 何か言おうとしたあやかは、そのまま言葉を詰まらせ、数秒の逡巡の後、大きく頭を下げた。

 

 

「―――――行ってきますわ。ありがとうございます。」

 

 

 頭を上げるや否や、陸上選手のようなスプリントで駆け出していった。先ほどとは打って変わって、凛と真っ直ぐに伸びた背筋が目映い。

 その後ろ姿が完全に見えなくなるまで視線を送っていた調たちだったが、厨房の奥から響く、パンパンと手を叩く音に、ようやく我に帰った。

 

 

「―――さあ、優秀なウェイトレスが一人抜けてしまった事ですし、気合い入れ直して仕事しましょう。」

 

 

 五月の静かな檄に、調たちも、再度受け取り口に集まって来た千鶴たちも、皆力強く頷く。

 

 この日のJAZZ包子は、終日大盛況であった。

 

 

 

 

 

 

 実況の喚き声も、観客の野次や歓声も、何一つ耳に入らない。

 世界も、心も、色彩を失ったかのようにモノクロで、現実味が無い。踏みしめるリングの硬い感触だけが、失った感覚を伝えてくれる。

 

 目の前に立つ人物が。

 自分の恩人が。

 初恋の人が。

 今目の前で、自分と敵対しているという現実を。

 

 

「君とこうして向かい合う日が来るなんて、思ってもみなかったよ、明日菜君。」

 

 

 目の前の男―――タカミチが声をかけてくる。

 大好きだった頃のままの、優しい声で。

 

 思わず耳を塞ぎたくなる。目を閉じたくなる。逃げ出したくなる。泣き叫びたくなる。

 

 ―――駄目だ。今逃げたら、二度と立ち向かえなくなる。立ち直れなくなる。

 ―――アンタは一生、思い出の中だけの幻像に縋って生きていく気なのか。

 

 そう自分を鼓舞して、両脚に力を込めて踏ん張った。噛みしめた唇の内側から、鉄錆びた味が滲む。

 

 

「…そうね、高畑先生(・・・・)。私も思ってもみなかった。貴方が―――――」

 

 

 利用しようとしていただなんて、という言葉は続かない。喉が詰まり、息まで止まりそうになる。

 

 

「…分かってる。もう全部知ってる。だからもう、何にも言わないで。これ以上何も。」

 

 

 精一杯絞り出せた言葉がそれだった。それだけで、身体も心も、捩子を打ちこまれたかのようにキリキリと痛み出す。

 

 大好きだった。この気持ちは、間違いなく恋だった。

 幼い頃から常に一緒に居てくれて、親も兄弟も居ない自分を今日まで育ててくれた。タカミチが居なければ、今の自分は無いと断言出来る。タカミチの存在が、今日まで自分を生かしてくれたのだと、誰よりも感謝している。

 一生一緒に居たいと思った子供の頃の気持ちは、今日に至るまで一度も忘れた事は無い。きっと自分からタカミチの存在を取り除いたら、何も無くなってしまうのだろうと、そう考えていた。

 

 けれどその想いは、1か月前に無惨に断ち切られた。

 

 学園長の計画を聞いたあの日。その計画にタカミチが加わっていると聞いたあの日。自分が、自分の人生が駒のように扱われている事を、タカミチが黙認どころか推奨していると知った、あの日。

 

 崩れ落ちてもおかしくないはずの心は、今もその不格好な気丈さを保ったままだ。

 怒りもある。嘆きもある。けれどそれを吐き出せない。言葉にし難い感情だけが、ずっと心の中で渦巻いていた。

 

 それを偶然出会ったレインに相談して、そこで帰って来た言葉は、容赦なく自分を嬲った。

 

 

 

 ――――貴方は、真実を知った今も、タカミチの存在に縋りついているんじゃないか、と。

 

 

 

「最後に聞かせてほしいな、高畑先生―――貴方にとって、私はどういう存在だったの?」

 

 

 自分にとっては、掛け替えのない存在だった。無くてはならない存在だった。

 彼はいつも通りの、見慣れた優しい微笑みを浮かべて答える。

 

 

「勿論、大切な人だよ。娘のような、妹のような、僕にとっては家族同然の、一番大切な存在さ。今までも、これからも、ずっとね。」

 

 

 明日菜も微笑みを浮かべて返す。

 

 

「―――――嘘つき。」

 

 

 一瞬、タカミチが浮かべた、刺されたような表情をすぐに脳裏から消し去り。

 封じ込めるように心を引き締め、木刀を腰に構えて戦闘態勢に移る。

 

 これは、千雨や超とは一切関係ない、自分だけの戦いだ。

 

 惨めに崩れ去った心の拠り所を、完膚無きまでに壊すための。

 淡く儚い、けれど確かに存在した恋心に、幕を引くための。

 

 そして何より、これから先の彼の居ない人生を歩んでいくための。

 

 神楽坂明日菜(じぶん)にとって、これまでとこれからの全人生を懸けた、決して負けられない戦いだ。

 

 レフェリーが高く掲げた両手を、勢いよく下に振り下ろす。

 

 

「―――――さよなら。」

 

 

 それが何に対して言ったものなのか、本人も分からないまま。

 試合開始の合図と共に、全力で駆け出した。

 

 

「ああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっ!!」

 

 

 雄叫びは高らかに、迷いなく。

 敵を穿つ、ただそれだけに意識を集中させ、直線距離を最速で駆け抜ける。

 

 対するタカミチは、最初の立ち位置から微動だにしない。

 動く必要などない、と言わんばかりのその振る舞いが癪に障る。だが自分が、タカミチに手も足も出ない事は間違いなく事実だ。そんな事分かり切った上で、今こうして戦う事を選択した。

 

 ただ、一矢報いるために。これからの自分のために。

 

 

「てえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいいっっっっっっ!!」

 

 

 タカミチまで後2歩の所まで迫る。距離としては充分。

 もう一歩踏み込むと同時に、腰だめに構えた木刀を勢いよく振るう。

 

 本物の刀よろしく、首にでも当たればそのまま断ち切ってしまいそうな速度と力で振るわれた木刀は、しかし。

 顔色一つ変えないタカミチの、左手で容易く受け止められた。

 

 

「んなモン―――分かり切ってたわよっ!!」

 

 

 掴まれると同時に、木刀から手を離す。

 

 そして最後の一歩。タカミチの革靴に自分の靴先を掠らせる程の距離。

 踏み込んだ足に全体重をかけ、握りしめた拳を弾丸のように撃ち出す。

 

 

「ふっ―――――――――――!!」

 

 

 頬骨を打ち据える音が、明日菜の鼓膜を震わせる。

 

 実況も、観客も、言葉を失う。

 芸術的とすら言える程鮮やかな、渾身の左ストレート。

 ペットボトルロケットの射出のような、綺麗に弾道を描いた一撃は、放った本人をして、人生を懸けたに相応しい最高の一発と確信させる代物で。

 

 

 

 当のタカミチが、その一撃を頬で受け切り。

 それでいて顔色一つ変えていない事に、少しだけ落胆した。

 

 

 

 まるで何も起こっていないかのような表情のまま、タカミチは明日菜を見下ろす。

 そのタカミチの視線を受け、明日菜は小さく鼻で笑った。

 

 

 

「―――――ざまあ見ろ、バーカ。」

 

 

 

 心の中で中指を立て、思いの丈を短い罵倒の言葉に乗せる。

 

 その瞬間。

 明日菜の腹部に凄まじい衝撃が奔り、吹き飛ばされた。

 

 それがタカミチの攻撃だと考えるよりも速く、意識は暗闇に没していく。

 タカミチに向けた会心の笑みを、最後まで崩すことなく。

 

 

 

 

 

 

「―――――…そうですか、分かりました。明日菜さんには、よく頑張ったと伝えてください。それでは。」

 

 

 『別荘』内部の砂浜で、アルは傷だらけの身体を横たえたまま、携帯電話での通話を終えた。いつもと変わらぬ表情だが、それが感情を押し殺している物だというのは、少し突き合いのある人間―――例えば千草やレイン等から見れば明らかだった。

 

 

「…神楽坂明日菜と高畑・T・タカミチの試合、終わったのかい?」

 

 

 この『別荘』内に共に籠り続けてきて、それが分かるようになったフェイトが尋ねる。アル同様、身体中に浮かぶ生傷が痛々しく、アルの横で身じろぎせずに横たわっている。

 

 

「…ええ、タカミチの圧勝だそうです。明日菜さんの拳を避けもせずに受け切って、カウンターの一撃で意識を刈り取った、と。」

 

 

 アルは淡々と述べてはいるものの、その表情と同じ忸怩たる思いが、言葉の端々に見え隠れしていた。

 

 

「…嫌な世の中だね。自分の育ての親が自分を利用していて、その末に決別を選ぶだなんて。」

 

「…それは私に対する嫌味ですか?」

 

 

 アルが不愉快そうに尋ねるが、フェイトは肩を竦めるばかりだ。どうも、自分の仲間(ちぐさ)の嫌な所が似てきてしまっているらしい。

 

 

「貴方がそう思うのなら、そうなんじゃないかな。神楽坂明日菜と高畑・T・タカミチの関係については、僕等の知ったことじゃ無いんだし。」

 

 

 嫌味というよりは痛烈な皮肉だった。さすがのアルも感情を隠しきれず、苦虫を数百匹まとめて噛み潰したような、沈痛な表情に変わる。フェイトもそれ以上余計な事は言わず、寝転がったまま空を見上げた。

 

 『別荘』の作り物の空に、様々な音が響いて消える。

 波の音、風の音、椰子の葉がそよぐ音。二人の後方、森の奥から聞こえる音色、銃声、罵声、爆音、悲鳴。

 あまり耳には心地良くないそれらの音を聞き流していると、不意にアルが立ち上がった。

 

 

「“紅き翼”は―――私たちは、アスナ姫の幸福のため、貴方達の魔手を逃れ、彼女に自由を与えた。それについて、私たちは微塵の後悔もありません。ですが―――今彼女は、間違いなく不幸だ。」

 

 

 自分たちが明日菜の寄る辺になろうと、そう誓って自分たちは戦った。その末に仲間の一人は死んだ。それでも、明日菜の存在を守れた事は、最早胸を張れる事のない、泥に塗れた思い出の中で、今でも仄かに光る軌跡だ。

 だからこそ、彼女を泣かすような、不幸に陥れるような愚挙は、見逃してはならない。何より、それがかつての仲間の手による物ならば。

 

 

 

 

「タカミチには、私が引導を渡します。彼女を―――神楽坂明日菜を裏切った罪は、必ずや贖わせねばなりません。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 明日菜が目を覚ましたのは、試合終了から10分後の事だった。

 気付くと選手用テントのベッドの上で、起き上がった途端腹部に鈍い痛みを感じた。しかし我慢できないほどの物でも無かったので、そのままベッドから這いずり出る。

 とりあえずネギを探し、さっさと屋台に戻る事にした。この様子なら2時間も休めば、店の手伝いに出る事も可能だ。

 そんな事を頭の片隅で考えながら、テントを出ると。

 

 

「―――お疲れ様。明日菜さん。」

 

 

 あやかが、待ちかねたように立っていた。

 

 

「あ………。」

 

 

 途端に、まるで走馬灯のように脳裏に光景が浮かんでくる。優しかったタカミチが、楽しかった頃の記憶が次々と浮かび上がり、台風のように渦を巻き、無理矢理取り繕っていた心を空っぽにして吸い込んでいく。

 

 

「…ケリ、付けてきたよ。」

 

「…ええ。」

 

 

 ぶん殴った。決別の一撃を叩きこんだ。間違いなく会心の一撃だった。

 そして後に残ったのは―――言い知れない虚無感。

 

 

「…っ、いやー、スカッとした!あんの野郎、女の子の扱いがなってなかったわよねー!普通女の子に腹パン入れて気絶させる!?さすが、女の子の人生駒扱いして弄ぶ計画の一味なだけあるわよねー!」

 

「…明日菜さん。」

 

 

 心の中央部に風穴が空いたかのような、背骨を失ったかのような喪失感。

 それなのに、残った心と身体を支えているのは、今はもう思い出すだけで辛い、楽しかった頃の記憶ばかりだ。

 

 

「大体、昔っからそうだったのよ!物臭で、整理整頓もまともに出来なくて、いっつも無精髭生やしてて、清潔感無いんだもの!すぐフラッと何処か行っちゃうし、料理の心得ないから、レトルト食品ばっかり食べてるし!」

 

 

 タカミチと戦った事に、殴りつけてやった事に後悔はない。そうしなければ自分の心が堕ちるか崩れるかするだけだった。徹頭徹尾、自分のための戦いだった。

 

 なのに。

 そのはずなのに。

 惨めに縋りつく自分を、振り払えたはずなのに。

 

 

「ホント私ったら、馬鹿みたいだよねっ!あんな、男がっ…好きだった、なん、てさ…。」

 

 

 ふと、言葉に詰まった瞬間。

 明日菜は自分の瞼から零れ落ちる、熱い涙の滴に気が付いた。

 

 

「あれ…。な、何で…。どうしてっ…。」

 

 

 擦っても擦っても、溢れ出る涙は留まる所を知らない。

 明日菜の胸中で燻り続けていた言い知れない感情が、涙となって足元を濡らしていく。

 

 

「―――明日菜さん!」

 

 

 堪え切れなくなって叫んだのは、あやかだった。

 

 

 

「本当に、本当に、よく頑張りました。お疲れ様でした、明日菜さん。

 だから―――辛い思いを全部吐き出して、目一杯お泣きなさいな。もう、我慢する必要はありませんわ。」

 

 

 

「うっ、あ…うああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 泣き崩れる明日菜の身体を、あやかが肩で支えた。

 育ての親を、長年の想い人を嫌悪し、決別するという辛すぎる選択肢を選び取った明日菜は、今日まで堪えに堪えてきたその感情を、ようやく爆発させた。

 そして彼女の想いの深さを誰よりも理解していたあやかも、そっと自分の頬を涙で濡らす。

 

 途切れることなき慟哭が夕焼け空に響く。

 神楽坂明日菜の初恋は、あまりに切ない形で終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 学園祭2日目が終了し、生徒や来場者が賑わしく帰路に着く夕暮れ時。

 学園長室内は、水を打ったように静まり返っていた。

 

 

「なるほど、春日君。」

 

 

 室内に居る魔法使いたち全員の視線を集めているのは、春日美空だった。部屋の中央に拵えられた最高級ソファに、足を組み踏ん反り返って座っている。

 

 

 

 

「つまり超君の狙いは、世界樹の魔力を利用した、全世界への魔法の暴露なのじゃな?そしてそれには、3−Aの生徒たちやネギ君に加え、サウザンドレインや“完全なる世界”の面々も加わっている、と。」

 

 

 

 

「だーから、ずっとそう言ってるじゃないッスか。」

 

 

 ふてぶてしく、まるで自分が学園長であるかのように、美空は答える。

 

 

「サウザンドレインと“完全なる世界”の連中が実働部隊として、魔力溜まりの各所を制圧、3−A生徒たちが魔法使いたちを陽動して、戦力拡散を図る。魔力溜まり各所の制圧に当たる人間は、さっき説明した通りッスよ。サウザンドレインは学園長、アンタの討伐と秘密の魔力溜まりに向かうそうで。良かったッスね学園長、厄介な敵と局所防衛を兼ねられて、手間が省けたんスから」

 

 

 嘲るような美空の物言いに、さすがの学園長も顰め面になる。学園長のみに代々受け継がれ、最高機密とされてきた7つ目の魔力溜まりの存在を、説明上仕方ないとはいえあっさりと明かしてくれたのだから、無理からぬ事ではあった。

 そんな学園長の表情を察したのか、単に美空を諌めたかったのか、シャークティの拳骨が美空の脳天に突き刺さった。

 

 

「痛ってぇ!?何するんスかシスター・シャークティ!?今私めっちゃ学園に貢献してるんスよ!?」

 

「それは分かっていますが、少し調子に乗り過ぎです。自重なさい。」

 

 

 殴られた箇所を擦りながらぶつぶつと文句を垂れる美空だったが、その顔には話し始めてからずっと浮かべていた優越感が残ったままだった。

 

 

「…ま、とにかく連中の企みは、今私が説明した通りッス。後どうするかは、皆さんにお任せしますから。あ、褒章の件もよろしく。」

 

「だが…君はいいのかね?クラスメイトを裏切る事に…。」

 

 

 魔法使いの一人がそう疑問を投げかけると、美空は大仰に肩を竦めてみせた。

 

 

「だったら魔法を全世界にバラされた方がいいかって、それは違うでしょ。アタシは怠惰に平凡に、厄介事とは無縁の人生を送りたいんスよ。今回の事なんてモロ厄介事だし、しかも最悪全世界に顔が知られかねない事態になるんスから、手を引くのが当然っしょ。魔法バレもしてない方が楽に暮らせそうだし。そりゃあのクラスには愛着あるけれど、3年間限定の人付き合いにそこまで入れ込むのもどうかと思うんスよね。」

 

 

 まるで誰か、美空が言う所の3年間限定の人付き合いに非常に入れ込んでいる人物を知っているかのような言動に、尋ねた魔法使いは首を傾げるも、それを言葉には出さず、そのまま身を引いた。

 代わりに、退出しようとする美空を引き止めたのは近右衛門だった。

 

 

「待ってくれ。儂等はまだ、大切な事を聞いておらん。

 ―――サウザンドレインが今何処に居るのか、君は知っておるはずじゃの?」

 

 

 ドアノブに伸びようとした美空の手が止まる。

 そして近右衛門たちの方を振り返り、唇の端を吊り上げて微笑んだ。

 

 右手の親指と中指をくっつけて円を作り、見せびらかすようにして。

 

 

 

「…いくら出ます?」

 

 

 

 

 

 


(後書き)

第45話。アスナ、私は牡丹、明日の見えないこの街でどれだけ笑えばいい?回。…書いておいてなんだが、このネタ分かる人ほとんど居ないだろうなぁ…。分かった人は感想またはWeb拍手でこの続きを書いてくだしあ。

 

今回はインターミッション的な感じ。正直3日目までどう繋げようかつい最近まで悩んでたんですが、ふと武道会の存在を思い出し、そこから明日菜とタカミチの絡みに繋げることにしました。考えてみれば、これだけの大事起こすのに、二人の関わりに何の変化も無いじゃおかしいですしね。ちなみに武道会は順当にタカミチ優勝です。アルも出てませんし。

 

明日菜失恋描写は、正直うまく書けた気がしません…。女の子が恋破れて泣くのって、どう書けばいいんですか…。というか失恋描写を読むのが個人的に苦手だったので、克服と挑戦の意味合いで書いたってのもあります。どう苦手なのかと問われれば、文学少女シリーズでななせがガチで好きになったのが始まり、と言えば分かっていただけるでしょうか。

 

にしても最近、あやかが良いとこ取り過ぎますね…。今回は明日菜の親友というキャラクター上、良い立ち位置に居た訳ですが、そうでなくとも使い勝手良いんです、あの子。お嬢様口調の使い方にさえ気を付けていれば、演出上どの場面にも適応してくれますし。

 

そしてここに来ての美空登場。この子って〜ッス口調使ってましたっけ?確認しようと思ってたのに、今日まで確認する機会を逃し続けました。大きく違うようでしたら修正します。

 

今回のサブタイはSTANCE PUNKSの「ノーボーイ・ノークライ」。NARUTOのOP曲でもありました。パンクというとどうしても攻撃的なイメージが付き物ですが、その実人間賛歌、青春への憧憬など清々しい物に満ちてたりする事が多いのが、ちょっと格好良いなー、と思ったり。

 

次回はついに3日目に突入。こっから展開速くなると思います。けれどまだ千雨は出ません。一応年末には千雨VS学園長を投稿出来るようにします。それではまた次回!

 

押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.