作戦本部には、静かな嗚咽が木霊していた。

 超が肩を震わせ、静かに号泣している。世界樹の魔力の使用権を奪取した事に、作戦の成功に、2年半にも及ぶ労苦が報われた事に。

 そして何より、今この時代に自分が居る理由が―――礎となって死んだ仲間たちの想いが報われた事に、溢れる感情を堪え切れず、突っ伏して咽び泣いていた。

 

 

「ほら…超さん。気持ちは分かりますけど、まだ終わってないですよ?ちゃんと、世界樹の魔力を使って、強制認識魔法を作動させないと。ホラ、後はエンターキーを押すだけですから。」

 

 

 そう言いながら背中を擦るハカセもまた、もらい泣きで目を真っ赤に腫らしている。

 超は目頭を押さえたまま頷き、立ち上がろうとしたが、泣き過ぎで身体に力が入らない。やむなくハカセに肩を借り、最後のプログラムを発動させるべくパソコンの前に座った。

 ちなみに千草は、どうでもよさげに煙草を吸っていた。

 

 ここに来るまでに超が犠牲にしてしまった仲間たちの笑顔を思い浮かべながら、その一人一人に心の中で感謝を告げる。

 そして最後に、自分と同じく未来からやって来た、しかし全く関わりの無い、物騒でおっかない元殺し屋のクラスメイトの、不貞腐れたような顔が浮かんできた。

 

 

(…私は私の役目を、戦いを終えたからナ。後は貴方が勝つだけダ。そうすれば全部、ハッピーエンドで終わるんダ…。ここまで来て、醜態を晒すなヨ。)

 

 

 少し厭味ったらしいが、彼女が負けるとは微塵も考えていないし、何より彼女の力失くして自らの勝利は無かった。だから彼女を嫌ってはいても、感謝する思いは誰よりも深いつもりだ。

 

 深呼吸して涙を拭い、パソコンの画面を見つめる。まるでこれまでの超の苦労を労うつもりの無いような、味気のないありがちな『OK』のボタンが浮かんでいた。

 

 

(天国の皆…私、やったヨ。)

 

 

 超は万感の想いを込めて、エンターキーを押し込んだ。

 

 

 

 ―――そしてこの瞬間、魔法はその秘匿の意味を失くし、全世界にその存在が知れ渡る事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…世界樹が、魔力が…。」

 

(…やり遂げたみたいだな。おめでとう、超。)

 

 

 呆然とする近右衛門と、艶然とする千雨。これまでの二人の激しい戦いを全く目にしていない人間でも、どちらが今優位に立っているか一目で判別出来る状況だった。

 とはいえ、両者とも手酷い傷を負っている状態だ。千雨は全身火傷の上に脇腹に穴、近右衛門も同じく脇腹の片方が不自然に凹み、袴は血だらけだ。互いに長時間戦い続けられる体では無くなっている。

 

 それは千雨も近右衛門も重々承知している事実であり、それ故に、今千雨が展開した7体の妖精たちは、千雨が一気に勝負を決めるための切り札である事は明白だった。

 

 

(…問題は、あの妖精がどちらの(・・・・)能力を持っているか、という事じゃの。)

 

 

 アーティファクトは主に本人の秘められた力を目覚めさせる物であるが、千雨の場合その性質が“補強”という形に偏っている。

 十字架ならば“防御能力及び近接戦闘能力の補強”、翼ならば“空戦能力及び飛行能力の補強”、糸ならば“身体能力の補強”、といった感じだ。分かりやすく言えば、“隙潰し”である。

 

 それを踏まえれば、自ずと千雨の切り札の正体が見えてくる。

 すなわち、“攻撃の補強”。千雨が得意とする中遠距離攻撃、衝撃波を補う能力を持ったアーティファクト。

 

 問題は、『千雨の放った攻撃を補助する』のか、『妖精それ自体が攻撃を仕掛ける』のか、どちらなのかということだ。

 

 

(前者ならばこちらの動きを封じる動作、後者ならば追尾式のビーム兵器か、本人同様の衝撃波…。いずれにせよ、奴の演奏の時間稼ぎを行うための代物!)

 

 

 その予想通り、千雨の十字架が姿を消し、背中に回していた再度サックスを手に取った。

 その換装の隙を見逃さず、近右衛門が急加速して接近する。千雨が衝撃波攻撃を狙っているのなら、近接戦闘を仕掛ける以上の妙手は存在しない。

 

 

「神鳴流―――――決戦奥義!!」

 

 

 世界樹からの魔力供給が途絶え、強力な魔法を無制限に放つ事が出来なくなった今、出来るだけ魔力は節約したい今、高威力の剣技が揃う神鳴流の技は正にうってつけだ。

 

 

「真・雷光けっ――――――――!?」

 

 

 しかし、千雨まで後数十センチと迫った所で、異様な眩暈に襲われる。

 三半規管が雑巾の如く捩られたような感触。平衡感覚を完全に潰され、墜落しているか上昇しているかも分からないまま、飛行能力を喪う。

 

 

(超、音波っ…!動きを封じることは、予測出来ていたがっ…!)

 

 

 内側から頭が弾け飛んでしまいそうな、想像を遥かに超える強烈な頭痛と錯誤感に、思わず剣を取り落としてしまいそうになる。

 

 だが、墜ち行く間際、反転するその視界に、サックスを咥える千雨の姿を捉えた事で、思考が一気に澄み渡った。

 定まらぬ視界と平衡感覚のまま、魔力知覚だけを頼りに突き進む。勝手に蛇行しようとする体を必死で制御し、最高速で千雨に迫った。

 

 

(―――感覚酩酊状態で、よくもまぁそれだけ動けるもんだ。ちょっと自信失くすぜ。)

 

 

 間違いなく超音波は近右衛門の感覚を麻痺させているはずだが、近右衛門は千雨目掛けて直進してきている。内心舌を巻きながら、千雨は沈む夕陽の光をサックスで反射させた。金色の光が、一瞬近右衛門の視界を埋め尽くす。

 

 次の瞬間、近右衛門は背筋に走った悪寒に従うように、剣を振り上げていた。

 

 

「神鳴流奥義、百烈桜華斬!!」

 

 

 円の軌跡を描いた剣が、近右衛門を挟みこまんとする十字架を弾く。

 近右衛門の目の前には、自ら接近戦を仕掛けてきた千雨が居た。何故、という疑問が近右衛門を染める。わざわざ苦手とする接近戦を挑んでくる必要など無いはずだった。超音波で攪乱したその隙に衝撃波を放てばいいはずなのに。

 千雨と目が合うと同時に、超音波の効果が薄れ始め、元の感覚が近右衛門の中に戻り始めた。

 

 千雨は、笑っている。まるで、悪戯が成功した子供のように。

 

 

 

 その時、近右衛門は自分の背中に気配を感じた。

 それは人間にしてはあまりに小さく、だが少なくない魔力を帯びており―――まるで、妖精のような。

 

 

 

「っ、まさか――――――――」

 

 

 近右衛門の推測は間違っていなかった。百点満点で換算すれば、最低でも90点は取っていただろう。

 では、残る10点は何だったのか。

 

 

 

 ―――それは、解答はどちらか一つ、と絞ってしまった事だ。

 

 

 

(超音波、衝撃波、声、足音。私の奏でる全ての音を――――――)

 

 

 近右衛門の背後に付けた、4体の妖精の口が、開く。

 その円らな瞳を、真っ直ぐ近右衛門に向けたまま。

 

 

 

 

(―――――“録音”し、“再生”する。それが私のアーティファクト、“妖精合唱団(ショアーラ・メディオクリーザ)”。)

 

 

 

 

 妖精たちの口から、その小さな身体には全く不釣り合いの、爆撃音のような最大音量の衝撃波が容赦なく放たれた。

 距離が離れているならまだしも、くっ付くような距離で、しかも4体分放たれた衝撃波の威力は、最早戦艦の砲撃にも匹敵しかねない物となった。

 

 

「ぐふっ…!?」

 

 

 その直撃を喰らった近右衛門は、まるで車に撥ねられたかのように背中を僅かに反らして吹き飛ばされ、再び血反吐を撒き散らしながら、羽を捥がれた鳥のように初等部の校舎へ墜落していった。

 墜ち行くその様子を見ながら、千雨は荒々しく舌打ちをした。

 

 

(…チッ、あの野郎、追撃を悟って逃げやがった…!)

 

 

 7体の妖精たちが千雨の周りに集い、ひらひらと踊るように旋回している。何処となく不満気なのは、使用する千雨の感情が伝わっているからかもしれない。

 

 衝撃波を喰らった直後に、脇腹の傷口に思いっきり十字架を振り抜いてやるつもりだったのだが、それを察した近右衛門が、墜落を利用して一気に距離を離してきた。同時に体勢も立て直すつもりなのだろう。

 

 

(さっきまで結構焦燥感露わにしてたくせに、最悪の選択肢が間近に迫ってる時の咄嗟の判断力は凄まじく鋭いな…。経験故の本能ってやつか。)

 

 

 千雨も近右衛門に勝るとも劣らぬ判断の速度と鋭さを持っているが、本人にしてみればそれはノーマンズランドという環境があってこそ身に付いた産物だ。あの世界とは比較する事すら馬鹿らしくなるほど平和なこの世界で、自分に匹敵する反応力を磨いた事は、驚異に値する実績だ。

 

 

(…って、あれ―――――?)

 

 

 突如、千雨の身体が空中でバランスを崩し、大きく傾いた。

 すぐに姿勢を取り戻したが、身体が重く、脳が掻き乱されるような感覚が千雨を蝕む。

 

 

(火傷の症状か…!神経系全体が鈍く…!)

 

 

 火傷による血圧の低下が、猛毒のように千雨の鋭敏な神経を侵していく。慌てて燕尾服から治癒符を取り出し、傷を少しでも癒そうとしたが、そこで思いもよらぬ現実を目の当たりにした。

 

 

(治癒符の印字が滲んで消えてる!?嘘だろ!?)

 

 

 取り出した治癒符の印字や術式らしき魔法陣が、すっかり湿気ってしまっていたのである。当然、魔力を込めても何の反応も無い。考えられる原因としては、間違いなくあの水蒸気であろうが、さすがの近右衛門も狙ってやった訳ではないだろう。

 

 

(…てことは、燕尾服の防御術式も意味無くなってるって事だよな…。元からそこまで防御力に期待はしてなかったけど、本当に単なるお洒落になり下がっちまったってのは…。)

 

 

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、後頭部を掻き毟った。そうこうしている間にも体力が摩耗していくのが分かる。近右衛門との戦闘で反応が鈍くなるのは致命的だ。何より火傷も脇腹の傷も、放っておけば死に至る重傷だ。

 

 

(あのジジイの事だ、この妖精(アーティファクト)の弱点も見破ってるだろうな…。これ以上戦いが長引けば、確実に私が負けることに変わりは無いわけだ。)

 

 

 そして千雨は、“糸”を全て展開し、自らの体内に張り巡らせる。

 

 

(多少無茶な方法を取ってでも―――確実に、かつ一気に、決着(ケリ)を付ける!!)

 

 

 

 

 

 

 一方、未だ焦げ臭さと蒸し暑さの残る初等部の校舎、その一階部分の廊下で、近右衛門は荒い息を吐いていた。

 

 

「まさか、この儂が、無様にも背中を見せて、敵前逃亡することになるとは…。」

 

 

 呼吸さえまともなら、罅が入らんばかりに歯軋りしていたかもしれない。それほど今の近右衛門は、肉体的にも精神的にも深手を負っていた。体内に衝撃波用の保護魔力膜(コーティング)を施していなければ、心臓も肝臓も潰れていただろう。

 

 しかし、近右衛門を何よりも追いつめたのは、千雨の繰り出したアーティファクトの、その恐るべき性質だ。

 

 “妖精合唱団(ショアーラ・メディオクリーザ)”は、強力な戦闘用アーティファクトという訳ではない。その能力自体は、オーディオプレイヤーとほぼ同じだ。

 しかし、彼らの録音機能を用いて千雨の奏でる音―――衝撃波や超音波を“貯め込む”ことで、千雨の弱点を補う最凶の兵装へと生まれ変わる。

 

 何よりも、妖精たちの“再生”する衝撃波には、千雨が衝撃波を放つ時の、息を吸い込む動作が存在しない。引き金を引くより速く銃弾が飛び出すかのように、一切の隙なく即時に衝撃波を放てるのだ。

 それが何と、7体も存在している。

 

 ただし衝撃超音波(ウルトラ・ショック・ソニック・ウェイブ)のような、固有振動を利用するなどの複雑な音波攻撃は出来ない。空気や風向き、固有振動などに囚われない、最も単純な形の衝撃波でしかない。質量を伴う轟音、と言い換えてもいいだろう。

 とはいえ録音されたそれは、千雨が最大限まで肺に空気を溜めこんだ末に放つ威力を持ったものだ。それを口笛を吹くような気軽さで放てるとなれば、そのメリットはとてつもなく大きい。超音波にしても、演奏している間千雨本人は動き放題になれるのだ。

 

 

「まさに奴専用の“楽団”ということか…。じゃが、あの衝撃波の威力と速射性を鑑みれば、戦闘機の編隊といった方が正しそうじゃの…。」

 

 

 そう呟きながら近右衛門は自分の腹部を強く圧迫し、残り溜まった血反吐を全てその場に吐きだした。

 吐血は水道の栓を捻りっ放しにしたかのように止めどなく、嘔吐物の酸っぱい匂いも混じっている。それだけの量の臓器が潰され、混ぜ合わ(シェイク)されたという事だろう。出血多量に内臓破裂、どちらで死んでもおかしくはない。

 

 ふと、これ程自分が追い詰められた経験がいつ以来の物だったか、という疑問が過ぎった。少なくとも四半世紀は無い。下手をすれば50年近く無かったかもしれない。

 

 

「…儂とした事が、らしくもない。余所事を考えておる暇は無いと、自分で言うたところじゃというのに。」

 

 

 そんな自分の思考を自ら断ち切り、口の中に残った血を纏めて吐き捨てながら、剣を手に持ち立ち上がる。

 

 確かにあのアーティファクトは非常に厄介な代物だが、近右衛門にとっては非常に付け込みやすい弱点が存在している。

 そして千雨の負傷の酷さも知っている。間違いなく千雨は短期決戦に打って出るはずだ。定石としては体力が削れるまで防御と回避に徹する所だが、千雨相手に退かんとすれば、絶好の隙にしか成り得ない。

 何より近右衛門はつい先ほど千雨に背中を見せて逃げ出したばかりだ。これ以上の逃亡は敗北と同義だ。

 

 負けはしない。負けるはずがない。

 武力も権力も、己が人生を賭けて培い、手に入れた物だ。

 

 あんな、殺し屋上りの小娘に、30人ばかりの友人を守るだけの、狭い世界に生きる人間に、負けるはずがない。

 

 否―――――負けてはならない。

 

 

「来い、小生意気な餓鬼め…。年季の違いを、その身に刻みつけてくれる…!」

 

 

 闘志を滾らせ、感覚を研ぎ澄ませる。

 背後には教室、正面の窓には沈みゆく夕陽。左右は瓦礫まみれのリノリウムの床。奇襲即殺を得意とする千雨ならば、何処から攻めてきてもおかしくはない。

 

 警戒心と集中力を最大限まで引き上げ、じっと千雨からの攻撃(アクション)を待つ。

 

 

 そして―――――背後の教室内から窓が割れる音が聞こえてきた。

 

 

 近右衛門は素早く身を翻し、剣を振り上げて―――――

 

 

「―――――浅墓なり。」

 

 

 背を向けた窓側に向けて、斬撃を放った。

 カマイタチのような烈風と、窓の外から放たれた衝撃波によって、挟まれた校舎の壁が粉々に砕け散る。

 

 

風花・神風障壁(フランス・バリエース・アエリアーリス・マーキシム)!」

 

 

 サイクロンのような何重もの風の防壁が、飛び散る瓦礫と、教室内から放たれた衝撃波を、中心に立つ近右衛門に一切寄せ付けないまま弾き飛ばした。

 

 その暴風の守りを掻き消し、千雨が近右衛門の背後から襲いかかる。

 

 

「それも、見えておる!こおる大地(クリュスタリザティオー・テルストリス)!」

 

「な゛…っ!?」

 

 

 近右衛門の周囲から巨大な氷柱が急速に、王冠のように生えて、サックスから十字架に持ち替えた直後の千雨を串刺しにせんとする。

 間抜けな掠れ声を漏らしながらも、千雨は足元に迫る氷柱の先端を蹴り砕き、そこを小さな、一瞬の足場として、2対の十字架を力いっぱい振り回した。

 

 千雨が十字架を突き出す。

 近右衛門が剣を突き出す。

 

 二つの武器が氷を砕いてぶつかり合い、激しい火花を散らす。

 

 

「凍る大地よ、氷樹となりて、芽吹き貫け!」

 

 

 近右衛門がその場で強く足踏みした途端、取り囲む氷柱から一斉に枝のような氷柱が生えてきた。いずれもその尖った先端を千雨に向けている。

 

 

「魔法の射手・氷の199矢!」

 

 

 “こおる大地”から “魔法の射手”への派生攻撃。落とし穴に嵌った獲物を囲み、射止めるように、生え揃った氷の枝から氷柱が千雨目がけて一斉掃射される。

 

 

(それが、どうした――――――――!!)

 

 

 しかし所詮は飛び道具だ。千雨を射止めるには弾数も速度も何もかもが足りない。

 もう一方の十字架で弾かれ、その身で躱され、掠ることすらない。

 

 

(そして、妖精たちによる衝撃波―――――!!)

 

 

 先ほど窓の外から攻め込んだ1体を、近右衛門の背後に回らせた。すでに小さな口をいっぱいに開き、必殺の一声を撃たんとしている。

 

 が―――その直後、千雨と競り合っていた近右衛門の剣から、ガクンと力が抜けた。

 

 力をかける対象が失われたことで、十字架を突き出した体勢のままバランスを崩しそうになった千雨だったが、そこは素早く十字架を引き戻して姿勢を保った。

 何故急に力が抜けたのか、と考えようとして、すぐにその理由が判った。

 

 近右衛門は片手を剣の柄から離していた。

 そして離した手を、真後ろに―――今にも衝撃波を放とうとする妖精の、その矮躯に向けていた。

 

 

(―――――っ!!しまった、このジジイ最初(ハナ)っから、妖精の方が狙いで――――!!)

 

 

 氷柱で千雨を取り囲んだのは、派生呪文で千雨の動作を制限し、かつ自分の動作もわざと封じさせることで、唯一攻撃可能な妖精(そんざい)を自分の背後に回らせるよう仕向けるため。本当の落とし穴は、自分の真後ろに仕掛けていた。

 

 そしてまんまと獲物がかかり―――後は射止めるだけ。

 

 

雷の投擲(ヤクラーティオー・フルゴーリス)!!」

 

 

 近右衛門の手に瞬時に蓄えられた雷が、雷霆となって真っ直ぐ延び、衝撃波を放つ直前だった妖精を飲み込みながら、廊下の果ての壁を破壊した。

 

 雷霆が掻き消えて、妖精は、塵も残さず消え去っていた。

 

 千雨は舌打ちを残しながら、氷柱の森から素早く退いた。追撃を避けたという意味では、先ほどの近右衛門の敵前逃亡と同じだった。

 

 

「…やはり、お主の妖精には、致命的な弱点が2つあったのぅ。」

 

 

 その千雨の反応が悦に入ったのか、近右衛門が満足げな笑みを見せる。

 

 

「一つは、衝撃波を放つ直前の硬直時間。そしてもう一つは、妖精たち自体の脆弱さ。お主程の反応の速さと鋭さを持っている訳ではないが故に、今のような、発動が速い魔法には為す術が無い。彼ら自体は何の防御手段も無いわけじゃしの。」

 

 

 千雨が苛立たしげに顔を顰めた事で、近右衛門はますます愉快そうに笑みを深めた。

 

 近右衛門が指摘した通り、“妖精合唱団(ショアーラ・メディオクリーザ)”は防御力が非常に低い。千雨自身の反応が非常に鋭いため、妖精たちが狙われる前にそれを悟って「逃げろ」と指示し、回避させる事は可能だが、唯一衝撃波を放つ直前だけは、動きたくても動けないのだ。

 

 

(やっぱ見切られてたか…!不味いな、ここから先は妖精たちを重点的に狙われる…!)

 

「お主も長く戦える身体ではない。だからこそ―――――早々に決着をつける!!」

 

 

 一瞬で近右衛門が千雨の背後に回った。

 当然躱そうとした千雨だったが、僅かに間に合わず、額を切られた。その、間に合わなかったという事実が、千雨に何よりもショックを与える。

 

 

(不味い、動きがますます鈍く…!)

 

 

 ぱっくりと裂けた額から勢いよく噴き出る血が、火傷による反応鈍化の影響を如実に表している。

 

 

「そらそらそらそらそらそらそらそら!どうしたどうした、反応が鈍いぞ!先ほどまでの速さはどうした、先ほどまでの威勢はどうした!」

 

 

 千雨の反応力が衰えている事を見抜き、ここぞとばかりに苛烈に攻め立ててきた。

 懸命に十字架で身を防ぐものの、千雨の稚拙な防御では、近右衛門の猛攻を防ぎきる事など到底不可能だ。

 

 

(だったら―――こっちから防御なんざ捨ててやらぁ!)

 

 

 虚を突かれたのは近右衛門だった。

 千雨が近右衛門が次の一撃のために剣を少し引くのに合わせて、大きく一歩踏み込んできたのだ。しかも十字架を一旦消し、完全に無防備な状態で、だ。

 

 訝しむ近右衛門が次に捉えたのは、千雨の右手。弓を放つかのように肘を引き絞っている。

 

 ―――その手の指先が、キラリと煌いた。

 

 ―――次の瞬間、近右衛門の脳裏に甦ったのは、千雨とエヴァの戦いの一幕。

 千雨の指がエヴァの喉に触れた途端、エヴァの首が裂け血が噴き出る、その映像。

 

 

「――――――――!!」

 

 

 ダイヤモンドネイル。

 奇襲性と殺傷力を最高値で融合させた、凶悪極まりない武装。

 

 

「くっ――――――――!」

 

 

 剣で応戦するか迷ったが、回避される可能性が高い。というよりも、回避する自信があるからこそ接近してきたのだろう。躱されれば、後は頸動脈まで一直線だ。

 故に近右衛門は、後退を選んだ。

 

 

 ちょうど、始業式直後の夜の桜通りで、茶々丸が千雨相手にそうしたように。

 

 

 まるでその時の行動を再現するかのように、千雨はほとんど浮き上がりかけた近右衛門の爪先を狙う。

 ただし今度は足払いではなく、妖精による衝撃波だ。

 

 

「ぐああっっ!?」

 

 

 近右衛門の右足首の半分以上が、靴の内側で肉片となって弾け飛ぶ。千雨の手にばかり注目してしまい、足元への注意を疎かにした代償としては、あまりに大きい損傷だ。

 

 しかし近右衛門は、これ程の痛手であっても、体勢を崩しはしなかった上に、やられっ放しで引下がる事もしなかった。

 

 

「―――――“水妖陣”!」

 

 

 靴の中から鮮紅の血が溢れ出し、腕の形を為して、衝撃波を放った直後の妖精の元へ押し寄せる。

 小さな紅蓮の腕の群れはあっという間に妖精を捕まえ、そのまま押し潰した。

 

 

(気持ち悪っ…!)

 

 

 妖精を一体破壊された事よりも、足から腕が生え出てくる姿の気色悪さに嫌悪感を剥き出しにする。視線は近右衛門から一切逸らさず、音だけを聞いて理解しているが故に、ますますグロテスクに感じられた。

 

 

「チィッ…やってくれおるわ、小娘…!」

 

 

 さすがに痛みを堪え切れないのか、息を荒げながら今度こそ後ろに大きく下がった。妖精を潰した血が右靴を覆い、凍りつく。失った足首の応急処置、という事だろう。

 一方で千雨も後退し、二人の距離は大きく開いた。

 

 そして、着地点を踏みしめた途端、互いに武器を振り上げながら駆け寄るのも同時だった。

 

 

「神鳴流奥義、斬鉄閃!」

 

 

 螺旋状の斬撃が、床を、壁を、窓を、天井を、縦横無尽に切り刻みながら千雨に迫る。

 その螺旋の間隙をすり抜け、床や壁の斬痕の間を踏みしめ、反応が落ちたのが嘘のような素早く巧みな動きで、傷一つ無いまま近右衛門に肉薄した。

 

 剣と十字架がぶつかり合う。

 この僅かな時間の間で、互いに聞き飽きるほど聞き、感じ飽きる程感じた音と衝撃が、二人の戦意をますます過熱させていった。

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっっっ!!」

 

「―――――――――――――――――――――!!」

 

 

 近右衛門だけでなく、喉が潰れているはずの千雨すらも、掠れた声を張り上げて吼える。

 銀と灰白色の残像と、激突し合う残響が、両者の怒涛の鬩ぎ合いを語る。

 

 

石の槍(ドリュ・ペトラス)!」

 

 

 千雨が僅かに十字架を引いた瞬間を狙い、近右衛門の足元から千雨に向けて鋭い石の棘が突き出る。

 思わず飛び退く千雨だが、それも近右衛門の想定の範疇だった。

 

 

「せぇいっ!!」

 

 

 近右衛門の剣が空を切る。

 途端に天井に亀裂が走り、クレバスのように天井を引き裂いていく。あっという間に亀裂は千雨の頭上まで達し、不気味な軋みを上げ始めた。

 

 

「―――――ヤッベェ!」

 

 

 その軋みに、渡月橋が崩壊した時の音を想起する。

 千雨は迷うことなく真横の壁を妖精の衝撃波で粉砕し、教室内に飛び込んだ。

 その読みは正しく、度重なる破壊活動に耐えかねた上階層が崩落を始めた。廊下どころか教室の端まで押し潰し、加速度的に崩壊領域を広げていく。

 

 

地を裂く爆流(カタラクタ・クアエ・ディーウィディト・テッラム)!」

 

 

 さらに、隣の教室から溶岩流が、黒板の掛かった壁を破り、床を裂いて押し寄せてくる。

 

 

(舐めんじゃねえ、テメエの動きなんざ、壁で見えなくたって手に取るように分かるんだよ…!)

 

 

 小学生用の小さな机を足場にして溶岩流を跳び越え、そのまま逆登るように机や椅子を踏み越えて黒板に向けて駆けていく。

 

 罅の入った黒板の向こう。近右衛門が壁を突き破って突撃しようとしているのを鼓膜が捉えていた。

 黒板が亀の甲羅のように奇妙に膨らみ、不規則に罅が入る。

 その様子をまるでスローモーションのように目で捉えながら、溶岩流に飲み込まれていない机の上で立ち止まり、妖精2体を黒板周りに配置する。

 

 

(――――――撃て!!)

 

 

 黒板が砕け散り、近右衛門の視界に教室の全貌と妖精の姿が収まり切るその前に、千雨の妖精が近右衛門に向けて衝撃波を放った。

 

 

「ぐふっ―――――!?」

 

 

 教室内に踏み込もうとした近右衛門の身体が吹き飛ばされ、入ってきた方の教室に強制的に戻される。

 

 

(まだまだっ!終わらねえっ!)

 

 

 今近右衛門に向けて衝撃波を放ったのは、2体のうちの1体のみ。残るもう1体は―――近右衛門の頭上、今にも崩れ落ちそうな天井に向けて、放っていた。

 傷口を抉るかのような衝撃波によって、近右衛門の頭上を中心に一気に崩落が速まった。大小の瓦礫が同じく落ちてきた机や椅子と混じり、降り注ぐ。

 

 

「このっ―――――ぐぅぅぅ!?」

 

(―――超音波のオマケ付きだ、誰が立たせてやるか…!)

 

 

 感覚を狂わす超音波や、千雨に向かって降り注ぐ瓦礫を破壊する衝撃波など、千雨の警護役の妖精たちが忙しなく歌い続けている。近右衛門を直接攻撃した2体の妖精たちも、千雨の元に帰ってきた。

 

 

 ―――1体だけ。

 残る1体が、千雨の目の前で、炎の腕に吞まれて消える。

 

 

炎帝召喚(エウォカーティオ・インペラートゥラ)―――」

 

 

 妖精たちを自分の周りに張り付かせると同時に、その炎の腕の先を見る。

 

 地獄の業火の具現のような、燃え盛る炎の巨人が、立ち膝で荒い息を吐く近右衛門を庇って屹然と立ち塞がっていた。

 

 

焼き尽くせ(コントラー・プーグネント)!」

 

 

 灼熱の巨腕が千雨目がけて振り下ろされる。

 火の粉と熱気が千雨を覆い、火傷だらけの肌をさらに熱くひりつかせる。その感覚に顔を顰めながら、団扇のように振るわれる業炎を避け続ける。

 

 だが突然、その腕を止め。

 その全身で千雨に飛び掛かって来た。

 

 

(フライングボディプレスだとぉ!?)

 

 

 まるで黒焦げの教室をリングと勘違いしたかのような攻撃に、さしもの千雨も絶句する。

 だが攻撃方法としてはこれ以上なく有効だ。3階まで届こうかという巨体は、容易く教室と廊下を紅蓮の炎で埋め尽くしてしまうだろう。

 それは分かっていても、逃げ場が無い。何せ屋内だ。

 千雨に残された方法は―――押し寄せる炎の巨人を突き破るのみ。

 

 

(ええい、ままよっ―――――!)

 

 

 妖精たちの衝撃波で突破口をこじ開ける。即座に飛び込んだが、炎が風穴を埋め直そうと波打ち、繋がる。

 

 何とか脱出はしたものの、燕尾服の至る所に火が燃え移っており、その上3体いたはずの妖精も2体に減っていた。

 

 

(―――待て、クソジジイは何をして―――――っ!!)

 

 

 千雨が気付いた時にはすでに、その手に魔力を溜め込んでいた。

 

 

「飛ばせはせんよ―――紫炎の捕え手(カプトゥス・フランメウス)!」

 

 

 教室の床に着地(ダイブ)し、火の海と化して散る直前の巨人の背中から、龍のように炎が立ち昇り、千雨の手足を絡め捕った。

 

 

(っ―――!クソっ、よりによって炎属性の捕縛魔法とは、随分と私の弱点知り尽くしてやがるじゃねえか…!)

 

 

 もし今千雨を捕える捕縛魔法が、水、あるいは地の属性を持った物だったならば、“糸”によって強化された身体能力で、力づくで解く事が出来た。

 しかし炎や風―――すなわち無形の気体であった場合、その鎖から完全に逃れるのにかなり時間がかかる事になる。力づくで解いたとしても、形が無い以上、何度でも捕え直されるのだから。手を封じられている以上、サックスを吹く事も出来なくなる。

 

 故に、今の千雨は、無防備であるのと何ら変わりはない。

 

 

(妖精たち、衝撃波でこの炎を弾き飛ばせ!!急いで!!)

 

「喰らえ―――氷槍弾雨(ヤクラーティオー・グランディニス)!」

 

 

 その名の通り氷の槍と呼ぶに相応しい鋭利な氷塊が、数十もの群れを為して千雨に向けて一斉に放たれる。

 妖精たちの衝撃波が全身を縛る炎の鎖を断ち切るのには間に合ったが、翼を出すには間に合わなかった。

 

 

(ぐうううっっっっ…!!)

 

 

 出来るだけ身体を丸めて、致命傷を防ぐ。

 顔や胸部を庇った腕を、脚を、次々に氷塊が掠め、肉を削り、あるいは深々と突き刺さった。もし喉が無事だったなら、恥も外聞もなく痛みで絶叫してしまっていただろう。

 

 

(けれどまぁ、死ななきゃ安いってモンだ…!行くぜ超音波アンド衝撃波!)

 

 

 歯を喰いしばって激痛を堪え、近右衛門に目を向ける。剣を振りかぶって翔け寄ってくる姿は、格好の獲物だ。

 

 左腕に深く突き刺さった氷塊の陰から羽ばたき現れた妖精が、その小さな口を目一杯に開く。近右衛門がそれを警戒し、一瞬動きが鈍った。

 

 

(残念、コイツは囮――――!)

 

 

 すでに近右衛門の背後に回っていたもう一体の妖精が、同じように口を大きく開けて、そのガラ空きの背中に衝撃波を撃ち込まんとしていた。

 

 

「―――――愚か者。その程度、見抜けんと思うたか。」

 

 

 馬鹿にされた、と言わんばかりの怒気を含んだ声と表情で、真後ろの妖精に向けて人差し指を向ける。

 人差し指に溜まった紫電が集束し、衝撃波を放つための硬直に入った妖精に――――

 

 

 

 ひょいっ、と避けられた。

 

 

 

「な!?」

 

 

 怒気に満ちた表情が一瞬で驚愕に染まる。

 近右衛門の後ろに着いた妖精は、ただ口を大きく開けただけだった。近右衛門に気付かせ、確実に反応させるための囮だった。

 

 と言う事は、本命は――――――

 

 

(そう、本命は、最初に囮に見せかけていたこっちだ―――――!)

 

 

 超音波を奏でていた口が、衝撃波を熱唱(シャウト)する。

 風の防壁も間に合わず、衝撃波を余す所なく喰らった近右衛門は、車に撥ねられたかのように吹き飛ばされ、まだ崩れていない2階の廊下に転がった。

 

 

(まだまだぁっ!!)

 

 

 そこへさらに千雨の追撃が入る。

 十字架同士を繋ぐ鎖を持って振り回し、鞭のようにしなやかに、かつ勢いよく振るう。遠心力のついた十字架は、近右衛門の転がる床を破壊し、崩落させたばかりか、3階部分までもがその巻き添えとなり、ジェンガのように原型を失いながら落ちていった。

 

 一方千雨は、その反対側―――眼下の火の海を挟んで向かいの、崩落していない2階部分に着地した。

 

 そして着地した途端、その場に膝を着いた。

 

 苦しげな息を漏らしながら、千雨は自分の負傷を見る。

 身体に刺さった氷の槍は、全部で5本。右腕、両脚に一本ずつ、そして左腕に2本だ。

 特に左腕は酷い。一本が肘に刺さり、曲げたら千切れかねない状態だ。さらにもう一本も掌を貫通しており、“糸”で縫う事も出来ない。

 

 

(左腕はもう、使い物にならねえな…。早いトコ決着付けねえと、治癒符や回復魔法でも治らなくなっちまう…。)

 

 

 刺さった氷塊は骨や動脈をも抉っており、抜いた瞬間大出血か腕が落ちるかどちらかだ。少なくともこの戦闘中に左腕を酷使する事は出来ないだろう。

 

 

(くそっ…目が霞む…。本気で不味いな、こりゃ…。せいぜい後2分って所か…?)

 

 

 冷静に自分の負傷具合を判断するも、悪化し続ける現状は千雨に不安感しかもたらしてくれない。割り切ろうにも、身体中から伝わる痛みが押し潰されそうな心を掴んで離そうとしない。

 

 こういう時は敵の面を目にするに限るのだ。痛みなど感じている暇もなく、思考も感覚も全て戦闘に注ぎ尽くす事が出来る。

 

 

(来やがれクソジジイ…!次こそ仕留めきる!)

 

 

 そんな千雨の願いを聞き届けたかのように、突如瓦礫の山が破裂し、辺りに大小のコンクリート片を撒き散らした。

 

 その、弾け飛んだ瓦礫の山の跡に、近右衛門が超然と立っていた。

 

 厳めしく、猛々しく、威風堂々と。

 全身を血で染め上げた壮絶な姿は、阿修羅を彷彿とさせる。

 

 千雨もその姿に惹かれたのか、立ち上がって十字架を構え、戦闘態勢を取った。

 二人は眼下の火の海を挟んで向かい合い、崩れた校舎の端に立って静かに睨み合う。

 

 しかし、互いに何かを感じて空を見上げた。

 まだ日の沈み切っていない夕空を、小規模な魔力の塊が流星群となって駆け抜けていく。

 

 超の願い―――そして、この作戦の最終目標、『全世界への魔法の存在の公開』。

 世界樹の魔力を利用した強制認識魔法の光が、夕暮れ空を翔けて世界中へ飛散していく。後数時間もしない内に、世界は魔法という神秘を知り、大混乱に陥るだろう。

 

 その尖兵として駆け抜けていくあの魔力光は、千雨たちの勝利を祝う花火に等しい。

 首謀者たる超の気持ちを、この暴挙に賭けた思いを知っている千雨たちは、この光景が未来の明暗を分かつ大きな一歩である事を、世界中の誰よりも理解している。

 

 

「…成程。どうやら世界樹を賭けた戦いは…。儂等、関東魔法協会の敗北に終わったようじゃのぅ…。」

 

 

 空を彩る勝利の輝きに見惚れていた千雨だったが、近右衛門の不気味なほど静かな声に、意識を臨戦状態に引き戻した。

 

 

「世界は魔法の存在を知り、魔法使いの存在を知り、魔法界の存在を知る。魔法の秘匿は無意味な物に成り下がり、我々関東魔法協会は、その暴挙を防ぎきれなかった咎を一身に被る、と。ほぼ全てが、お主らの思い通りに運んだと言う訳じゃな。」

 

 

 近右衛門の口調はとても静かだが、その身に纏う魔力が沸々と滾っているのが、否が応にも感覚される。

 

 確かに作戦は、千雨たちの勝利に終わった。

 だが、幕が閉じた訳ではない。目の前の男を倒さねば、全て終わった事にはならない。倒してこそ初めて、この流星は勝利の凱歌となり得るのだ。

 

 

「なれば―――最早お主らを斃す以外に道は無い。魔法界のためにも、儂自身のためにもな。」

 

 

 儂自身、という言葉に千雨が引っ掛かりを覚え、小さく首を傾げるも、近右衛門はそれを気にした風はない。答えるつもりなどない、という事だろう。

 

 万夫不当の高みに昇りつめる、という近右衛門自身の野望を口にした所で、千雨は不快感しか催さないし、無駄に戦意を高めさせるだけだろう。分かってもらえるとも思わないし、分かってもらいたいとも思わない。

 今更他者に寄りかかり、支え合うような者に、自分が負けるわけにはいかないのだ。

 

 

「お主を斃し、残る仲間全員も斃す―――首謀者全員を、この手で誅する以外に、最早儂に出来る事は無い!汝等の犯した大罪を、今この場で償わせる以外には!」

 

 

 近右衛門が魔力と殺意を噴出させたのに呼応し、千雨もあらん限りの戦意を弾けさせる。見えない二人の圧力が空気を軋ませ、残骸と化した校舎を痺れたように震わせ、そして―――――

 

 

 ―――音もなく、近右衛門が千雨の懐に潜り込んでいた。

 

 

(――――――――――!!)

 

 

 虚空瞬動。足に気を集中させる事で、短距離間を超高速で移動出来る、所謂縮地術だ。

 普段の千雨なら、この虚空瞬動にすら反応し、反撃出来ていただろうが、それを懐に入られるまで気付けないほどに、今の千雨は疲弊していた。

 

 

(拙い、防御を―――――!!)

 

 

 反射的に、近右衛門の突き出す剣と自分の胴体の間に十字架を割り込ませる。

 ―――だがここで、予期せぬ誤算が千雨を襲った。

 

 

 近右衛門の渾身の突きが、十字架の中心を直撃した瞬間、ぴきっ、という嫌な音を、その内側から響かせた。

 

 

 千雨の背筋が粟立つ。

 咄嗟に十字架を引こうとしたが、時すでに遅かった。

 

 近右衛門の剣先に込められた破壊力が、酷使に酷使を重ね、限界に達していた十字架を、完全に破壊した。

 木端微塵に砕けた十字架の破片は、そこら中に転がる校舎の瓦礫と交じり、区別が付かなくなる。

 

 

(畜生ッ…!)

 

 

 下唇を噛みながら後方に下がった。繋がる先を失った鎖が、ジャラジャラとけたたましいが物悲しい音を立てている。

 

 そして当然近右衛門は、一気に詰め寄ってきた。

 2本1組の十字架の片方が壊れたということは、もう一方の十字架にも相応のダメージが入っているとみて間違いない。千雨の防御を一気に突き崩す、またとないチャンスだ。

 

 

(―――――怯むんじゃねえ、私…!ここで怯んだら、負ける!)

 

 

 頬を叩いて意識を切り替えたかったが、そんな事をしている暇はない。

 その代わりに―――左足に突き刺さっていた氷柱を、思い切り引き抜いた。

 

 

(何のつもりじゃ…!?わざわざ足にダメージを…!?)

 

 

 千雨の不可解な行動を分析しようとする近右衛門だが、すでに千雨が振り上げた剣の間合いに入っている。

 そして千雨は、痛みを噛み殺した表情のまま、血で真っ赤に濡れた氷柱を、近右衛門に向かって放り投げた。

 

 その千雨の脇には、口を開けた妖精が一体。

 

 

(喰らいな、即席手榴弾―――――!!)

 

 

 衝撃波を浴びた氷柱が爆散する。

 その、大きさも、形も、尖り方も鋭さもまばらな破片が、一番間近に居た近右衛門を襲った。

 

 

「ぐうぅっっ…!」

 

 

 破片が近右衛門の身体に突き刺さる。自分に向けて撃ってくると考えていた近右衛門には、正に不意打ちとなった。

 

 だが―――近右衛門も怯まない。

 突き刺さった氷柱の破片に苦悶の表情を浮かべながらも、剣を持っていない方の手を真っ直ぐに伸ばし、千雨の胸倉を掴んだ。

 

 そして、千雨が振り解こうともがく間もなく、真横の壁に頭から叩きつけた。

 

 

「がっ…!!」

 

 

 壁をぶち破って、瓦礫だらけの教室の床に倒れこむ。掠れ声と、あちこちの骨が砕ける音が、千雨の耳に届いた。

 真っ白になりかけた意識を何とか繋ぎ止めようとして、頭部を伝う生温い感触と悲鳴のような激痛に気付く。

 

 

(…あー、くっそ…。頭、割れてる…。)

 

 

 叩きつけられた後頭部がぱっくりと裂け、湧水のように血を溢れ出させていた。

 即座に“糸”を回し、傷口を縫い付ける。出血は止まったものの、激痛と眩暈は一層酷くなった。

 

 そして、千雨が傷口を縫う間に、近右衛門の剣がその場に取り残された妖精を真っ二つにして、教室内にその刃先を向けた。

 

 千雨が立ち上がろうとして―――大きくふらついた。

 脳を揺さぶられ、一時的に麻痺状態に陥った平衡感覚を、取り戻し切れていなかった。

 

 ふらつきながらも、残った最後の妖精に衝撃波を放たせようとする。

 だが、近右衛門の挙動の方が速かった。

 妖精に向かって傍らの椅子を蹴り飛ばす。妖精の開いた口に椅子の角がちょうど減り込み、一緒になって教室の端まで吹き飛ばされていった。

 

 

「これで―――――終わりじゃ!」

 

 

 近右衛門の剣に力がこもる。

 

 

(終わって、たまるか―――――――!!)

 

 

 千雨が全身の力を両足に込めて踏ん張り、十字架を振り上げた。

 

 

 そして、二つの武器がぶつかり合う。

 

 

 

 近右衛門の剣が、千雨の十字架を地面に叩きつけていた。

 そして、その十字架の先端を、近右衛門の右足が踏みつけ、教室の床に埋めた。

 

 

(――――――――!!)

 

 

 近右衛門の剣は、十字架に乗せられたまま動く様子はない。

 すなわち――――囮。

 最初から、千雨の唯一の武器である十字架を封じることが目的だったのだろう。剣に力を込めているように見せたのも、そのための釣り餌。

 

 

(本命は、左腕の“拳”―――――――!!)

 

 

 魔法を放つよりも速く、重く、確実に命を奪える一撃。

 千雨がそう悟った時には、すでに、近右衛門の左拳が唸りをあげて千雨に迫ってきていた。

 

 

「炎精掌握―――――煉・華・崩・拳ッ!!」

 

 

 渦巻く灼熱の炎を纏った拳が、無防備な千雨の腹部に直撃した。

 

 その一撃で、千雨の胃が、膵臓が、腸の一部が、潰れた。

 掠れた悲鳴すら出せないまま、臓腑の奥からこみ上げてくる何かが、喉にまで競り上がり、口に向けて殺到する。

 そして、ドリルのような拳が、千雨の皮膚を焼き破り、体内へ侵入しようとする。

 

 十字架は封じた。妖精は吹き飛んだ。サックスも翼ももう間に合わない。後はこの拳で、千雨の腹を貫くだけだ。

 

 だが、そう考えた瞬間―――――おかしな事実に気付いた。

 

 

 

 

 

 

 自分は今まで7体中何体の妖精を倒した(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 それに思い至った瞬間、千雨の顔を見た。

 

 今にも血を吐きだそうとする、千雨の顔を。

 

 

(まさ、か―――――――)

 

 

 雷の投擲(ヤクラーティオー・フルゴーリス)で一体。

 足先を潰された時に一体。

 炎帝召喚(エウォカーティオ・インペラートゥラ)で一体。

 そのボディプレスでもう一体。

 千雨を力ずくで叩きつけた直後に一体。

 今椅子ごと吹き飛ばした一体。

 

 

 

 合計で、6体。

 

 

 

 “妖精合唱団(ショアーラ・メディオクリーザ)”を構成する妖精の数は―――7体。

 

 

 

 

 1体、足りない。

 

 

 

 

(まさか――――――――!!)

 

 

 千雨の口から、赤い物が溢れ出す。

 その口の端と、瞳は、歓迎します(・・・・・)と言わんばかりに。

 

 

 

 

 

 

 ――――その、口の中から。

 最後の一体が、顔を覗かせた。

 

 

 

 

 

 

 千雨が最初に“妖精合唱団(ショアーラ・メディオクリーザ)”をお披露目し、近右衛門をこの校舎に吹き飛ばした後、追いかける前に腹の中に入れていた。

 常に妖精の内3体以上を自分の背中に張りつかせていたのは、近右衛門に6体しか居な

い事を悟らせないためでもあったのだ。

 

 

(コイツが私の、正真正銘の隠し玉――――――!!)

 

 

 大きく開け放たれた千雨の口の中で、同じく大きく開け放たれた妖精の口が、衝撃波を放った。

 

 当然、今さらガードなど出来ようはずもない。

 衝撃波は千雨の腹を抉る左腕の、肩の付け根に着弾し―――――爆砕した。

 

 

「がああああああああああああああっっっっっっ!!?」

 

 

 近右衛門の絶叫が、廃墟と化した校舎に木霊する。

 千雨を貫かんとしていた左腕が、支えと力を失って、纏う炎を煙に変えながら、教室の床に転がった。

 そして、大きく抉られた近右衛門の肩口からは、消火栓が破裂したかのように大量の血が噴き出していた。

 

 と同時に、二人の足元に大きく罅が入った。

 崩れる前兆を悟り、千雨は翼を、近右衛門は飛行魔法で、それぞれ飛び退き、ついでに校舎の外まで飛び出した。

 

 互いの姿が見えなくなった所で、千雨がほとんど墜落するような形で着地した。

 

 

(…すげえな、まだ生きてる。あのジジイも、私も…。)

 

 

 吐血交じりの荒い息を吐きながらも、近右衛門から聴覚を外す事だけは怠らない。倒れそうな意識を必死で保って、校舎の向こうの近右衛門の一挙手一投足を把握し続ける。

 

 

(…椅子で吹っ飛ばされた妖精は、そのままやられちまったみたいだな…。てことは、妖精も十字架も、あと一つ限りか…。)

 

 

 だらりと力なく垂れ下がった左腕が重い。

 縫合したばかりの頭の傷が疼く。

 燕尾服は絞れば血が出て来そうなほどに朱い。

 その内側は見るも無惨な火傷で覆われている。

 切り傷その他は数え切れない。

 

 満身創痍という言葉が、これ程当てはまる事も無いだろう。

 

 しかしそれは、近右衛門とて同じ事のはずだ。身体も、魔力も、最早限界に到達している事は間違いない。これ以上戦闘を長引かせるのは、近右衛門にとっても自殺行為でしか無いはずだ。

 

 

(次の一撃で…決めるしか、ない。)

 

 

 そして、近右衛門も全く同じ事を考えていた。

 

 

(…今までの人生で、物理的にも精神的にも、他人から腕を奪ってきた事はあったが…。いざ自分の腕を失ってみると、喪失感が尋常では無いのぅ…。)

 

 

 抉れた左肩の傷口を灼いて止血すると、本日二度目となる肉の焼ける匂いが近右衛門の鼻腔を刺激した。二度と嗅ぎたくない、という拒絶感を抱きつつ、傍らの地面に突き立てた剣をそっと撫でた。

 この剣もまた、長年近右衛門の手となり足となって共に戦場を駆け抜けた、片腕にも等しき相棒であるのだが、撫でた瞬間、その相棒が砕け散ってしまいそうな感覚が過った。

 すなわち、千雨の十字架同様、この剣もこれ以上の酷使には耐えきれない、という事だ。

 

 ふぅ、と溜め息を吐こうとして、血を吐いた。身体の方もかなり差し迫って来ているようだ。

 

 

(…これ以上、流暢な事はしていられんか。)

 

 

 千雨の武器は、使い捨て同然の十字架と、脆弱な妖精が一つずつ。

 近右衛門の武器は、使用限度一回の剣と、僅かに残った魔力。

 

 自分も千雨も限界はとうに超えている。

 ここから先は、死の崖っぷちに向けたチキンレース。生のラインで踏み止まりながら、敵を崖に追い落とすデスゲームだ。

 

 

(次の一撃で…決める。)

 

 

 ―――近右衛門が、校舎の向こう側の千雨を睨みつける。

 ―――千雨が、校舎の向こう側の近右衛門を睨みつける。

 

 空は二人の流した血が染み込んだが如き朱色で、廃墟と化した校舎を通り抜ける風以外は、物音一つしなかった。

 

 だが突如、校舎の中から、低い唸り声のような音が響いてきた。

 次第に大きくなるその音は、紛れもなく校舎が崩壊する前兆だった。

 

 そして、一際大きい亀裂が、校舎を縦に引き裂くように走り、校舎が崩れ始め――――

 

 

 

 二人の足が、校舎に向けて同時にスタートを切った。

 

 

 

 

 

 

(アーティファクト解説そのC)

名称:“妖精合唱団”(ショアーラ・メディオクリーザ)

能力:録音と再生

契約主:近衛木乃香

説明:本来は録音、再生機能を持つだけの、戦闘能力皆無の単なる妖精型オーディオ。

…だったのだが、音界の覇者の手によって凶悪無比な音響兵器へと生まれ変わった。

7体それぞれが別々の音を奏でる事も出来るので、超音波を奏でながら衝撃波攻撃をする、という事も可能。

さらに、サックスや翼と組み合わせて、無音化移動、超音波&衝撃波の無音化等、千雨本人の演奏を完璧な物へと昇華させる、正しく最高の楽団。

弱点は妖精本体の防御力が千雨以上に低い事、そして妖精たちの演奏前後の隙。これをカバーするため、7体同時に上手く立ち回らせなければならないので、結構神経を遣う。

ちなみに、これを初めて見たアルやフェイト、超らはこぞって「チート」と称し、茶々丸はその足でハカセのラボに赴き、更なる武装強化を求めたという。唯一のどかだけは、「そこはむしろ蝙蝠ですよね」と笑った。

 

 

 

 

(一言後書き)

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