イグナイトと話をしてから1週間たった。
あの日からサイトは、暇があればイグナイトに武術の稽古をつけた。
彼が強くなりたいと願い、その純粋な想いにおされた結果である。
その間にも国境線の戦況は悪化の一途を辿っている。
レイナールいわく、そろそろ召集がかかるだろうと言っていたし、マティアス中佐以下の将官も同じ意見を出した。
正直、オルニールにきてから三週間だけで新兵の訓練が終了するわけがない。
それでも、召集されたら行かなければならない。
できることなら後1ヶ月は、調練の時間が欲しかった。




「今日はこれまでだ」
日暮れ前の1時間、それがイグナイトに武術を教える時間。
今もイグナイトは野に倒れ伏している。
そばに行き、顔を覗く。
身体のあちこちには真新しい傷から治りかけの傷があった。
「立てないのか」
「いえ、そうではありません。ただ、こうしていると星が綺麗なのです」
つられてサイトも空を見上げた。
北の地の夜空は美しい。
空気が澄んでいるせいか、はっきりと星が見えるのだ。
「そうだな、美しい」
昔、私が生きていた世界の空はこんなに綺麗ではなかった。
サイトはふと、思った。




かつて、サイトがいた世界。
日本と呼ばれる国に生まれ、無為に過ごしてきた。
また、それが当然なのだろうとも思っていた節はある。
自分が大層な人間であるとは思っていない。
いつしか自分にそう言い聞かせ、自分が本当にしたいことすら否定していた。
他愛もない話で友人と笑い、また色々と遊びもした。
しかし、心は満たされなかった。
そしていつの間にか、サイトは17才になっていた。
17才になって、それなりの分別はついた。
ただ、それだけ。
後はまた、代わり映えのない日常を繰り返すだけ、のはずだった。
突如目の前に現れた、光。
その光が眩しく、目を閉じたと思ったらサイトは別の世界、ハルケギニアにいた。




「イグナイト。君にとってのガリアとはどんな国だった」
「突然、どうしたのです?」

イグナイトは起き上がり、背中についた土を払った。

「聞きたくなったのだ」

サイトはイグナイトの隣に腰をおろした。

「興味がある」
「興味、と言われましても。私は物心ついたころには1人でした。日々を生きることが精一杯でした。国について考える暇もなかったです」
「あの子らも、そうなのか」

あの子らとは、当然イグナイトと同じくティファニアが面倒を見ていた孤児だ。

「はい。皆、幼くして親に捨てられティファニア姉さんに拾われたのです」
「ガリアもまた、民は苦しんでいるのか」
「分かりません。ただ少なくとも、私の住んでいた場所は貧しかった」
「トリステインもまた同じだ」
「トリステインが?」
「そうだ。オルニール、この場所に来た時君は何を感じた」
「率直に申しても」
「構わない」
「では。この地は、ガリア以上に貧しいと感じました。いえ、ガリア以上に貧しいのです」
イグナイトが手で草をむしった。
「草ですら、この程度にしか育たないのですから」
「そうだ、この地は死んでいる。いや、正確には死んでいた」

先王の行った侵略により、わずかに耕作できる場所すらも、失われた。
まず北方の民がすることは土地の再生だった。
それも、サイトが来るまでは遅々として進んでいなかった。

「これでも、よくなったのですか」
「そうだ」

サイトもまた草をむしり、その香を確かめる。
今は、草に草の香りを感じることができる。
はじめて来た時には、塩の臭いが充満していて、とても草の匂いなど感じられなかった。

「皆が協力し、沢山の貝殻を砕いて撒いたのだ」
「貝殻、ですか」
「そうだ。貝殻は、塩を撒かれた土地を再生させるのに必要だ」
「知りませんでした」
「知らないのも無理はない。この北の地に住む人々も、土壌を再生させるということは全くする気がなかった」

無理もない。
北の民は元々、騎馬民族だから耕作をするわけではない。
ゆえに、今までも畑は荒れたままだった。
そこにサイトがやってきて畑の再生をして、4年である。
もう四年か、それともまだ4年か。
いずれにせよ、この地はまだ完全に再生したわけではない。
それでも少しずつ、畑で作物が取れるようになった。
イグナイトは少し思案した。

「私はまだ学ぶものがありますね」
「そうだ。今のうちに、多くのことを学んでおくのだ」
「はい、そうします。ところで兄さん、聞いてもよろしいですか」
「何だ」
「サイト兄さんは、この地の出身なのですか」

返事に窮する質問である。
答えるかどうか迷った。
しかし、敢えてイグナイトのためにと話すことにした。

「私は、元々トリステイン王国の人間ではない。とても遠い国からやってきた」
「遠い国、そこで兄さんは色々なことを学んでいたのですね。書見などで、貝殻のことなど日常の知恵を?」
「そうだな。私も昔、本だけは読んだ」

サイトは昔から、古書を読むのが好きだった。
そこで、人としてどうあるべきか学んだと言っても過言ではない。

「その国は、物が溢れとても豊かで、平和だったよ。国に住むものは等しく裕福で、自由も保証されていた」
「良い国ですね。ガリアとは大違いです」
「確かに、物の豊かさだけならば。だが、心はガリアやトリステインの人々に比べてとても貧しい」
「心が?」
「ああ、私も含め」
「分かりません。裕福でなぜ、心が満たされないのでしょう」
「物があれば、それで確かに物欲は満たされよう。しかし、本当の意味で心が満たされるには物だけでは駄目だ。志、それがあの国の人々には無いように感じられた」

自分で言っておいて、私もあちらでは志を見出せなかったな、とサイトは思った。

「志。確かに、それがなければ抜け殻と同じだとは思いますが」

イグナイトは躊躇するように語尾が弱くなった。

「何だ?」
「私を含め、子供達は今日を生きることだけを考えてきました。私達にも大層な志があるとは思えず」
「志に大きさは関係ない。君達は生きるために懸命だった。何より、ティファニアと共に、頑張って生きようと。立派な志だと思う」
「では、今の私達にはサイト兄さんこそが志、いや、生きる意味になりますね」
「なぜ?」
「皆、ティファニア姉さんが好きだったように、同じくサイト兄さんが好きだからですよ。最近では私が稽古をつけてもらっているのを知って、皆騒いでいます。僕達も混ぜて欲しいと」
「私はむしろ、恨まれていると思った」
「まさか、誰もサイト兄さんを恨んではいません。……もしかして、サイト兄さんが子供達のところに来ないのは、それを気にして?」
「……まあ、な」
「それは杞憂です。何なら今から、子供達に会ってください」

イグナイトは立ち上がり、サイトに手を差し伸べた。

「もう夕食の時間だが?」
「尚更です。一緒に食べてくだされば、皆喜びましょう」
「そう、か」

イグナイトの手を握り、立ち上がる。
その手は土で汚れていたが、暖かさがあった。




子供達との交流も、ありがたいものだった。
サイトの心は、どことなく危ういところがある。
それはかねてよりルイズが、いや他の者も気づいているだろう。
彼は軍人であるには優しすぎるのだと。
戦争に従事せず、畑を耕し、子供等と共に暮らしているのが似合う。
だが、戦争なのだ。
勝たねば、全てを失う。
それが今回のサイトの5階級特進につながった。
サイトには力があったからだ。
『ガンダールヴ』と呼ばれる者の力。
それはかつてハルケギニアに魔法を伝えたと言われる、始祖ブリミルの使い魔が所有していた紋章の力。
その力はできる限り隠蔽されてきたが、今となっては関係ない。
しかし、不思議なのがどうしてサイトが『ガンダールヴ』であると分かったか、である。
確かにサイトの軍学の才能は抜きん出ていて、戦果もあげていた。
だが、それで『ガンダールヴ』だとつなげる人間がどれほどいたか。
軍学校においても、知っている者はルイズと、一握りの教官、校長だけだったはずである。
考えられるのは、自分の栄達のためにサイトの情報を売った者がいるということだ。
そう考えたルイズの予想は、まさしくその通りで当たった。
ルイズとしてはできる限り、サイトに将として戦って欲しくなかった。
抱え込むものが多くなる、それだけでサイトの心は壊れていく。
だから、ただ、自分の傍にいてくれればいい。
それも今、叶わないことであるが。




「閣下、軍令部から電文がきました」
執務室に入るなり、マティアス中佐は報告した。
「王都か」
静かにそれだけ、サイトは答えた。
「はい。既に兵士には出立の準備をさせています」
「よろしい」
「それでは、私も準備がありますので失礼させて頂きます」
「ああ」
ドアの閉まる音を聞いて、サイトは目を閉じた。
結局、オルニールには一ヶ月滞在することになった。
少しでも兵士を生き残らせるために、出来得る限りの調練はした。
後は、実戦で学ぶしかない。
オルニールの地の土地改良も、少しは進んだ。
そもそもが、軍管区の外れの、さらに上に位置する場所だ。
土地は荒れたままだった。
土地改良事業は、兵員に取られた北の民の代わりに、ガリアの難民がすることになり、結果としては失業対策の形となった。
王都の文官からも、作物が収穫できる土地にすれば、そこは自分達の物にしてよいとの許可を得ていた。
オルニールの地は、これで大丈夫だという気がサイトにはしていた。
自分が死んだとしても、誰か他の貴族が後任で来るわけはない。
北の地で領地を得たのはサイトのみで、それも北の民に信頼されていて、兵員をかき集める口実として拝領しただけのことである。
編成された軍団には、サイトが将軍であるから名をつけることができる。

そこでサイトは、北の地とかつて憧れた将軍にちなみ、『才家軍』と名付けることに決めていた。
軍旗は白地に『才』の一文字である。
こちらの世界では記号にしか見えないだろうが、それで良かった。
軍旗は単純で、分かりやすい方がいいのだ。
また、才家軍はトリステイン軍の部隊と他にも違うところがある。
軍旗もさることながら、まず兵員の装備が全て黒色である。
8万人の兵員のうち、半数近くの3万人が騎兵であることも他と違う。
トリステインがいくら工業化をしたとして、流石に現代における戦車などは作るにいたっていないので、騎兵は使いようによってはまだ有効なのだ。
騎兵の機動力で、サイトは今まで戦いに勝ってきたと言って過言ではなかった。
その機動力のおかげでサイトの率いる部隊は今まで、損耗率が3割を越えたことがなかった。
これも騎兵が有効であることの証であったし、何より他部隊の損耗率が軒並み七割を超えていることからして、サイトの率いる部隊の損耗率は奇跡的な数値である。
しかし、今回の出兵ではそうはいかない可能性の方が高い。
今までならば中隊規模であったから全体の掌握も容易にできた。
だが、今回は8万人を越える大部隊の指揮官である。
自分の意思が行き届かないところは、あまりに多い。
目を開けて、手元にあった書類を取る。
分厚いその書類は、全兵員の名が記載されているものだった。
書類の重さではない、違う重みをサイトは書類から感じた。




1ヶ月のうち、後ろの1週間でサイトは大いにティファニアの遺子達と交流した。
そして、ティファニアの分も、この子等を守らねばならないと固く決意した。
出征前日に、サイトは子供達に「どんなに離れていても、私は君達の兄である」と言った。
そうしたら、子供達には「お父さん!」と口々に言われ少々サイトはがっかりした。
だが、少なからず子供達は自分に心を開いてくれていた、と思うことでサイトがオルニールの地で心残りはなくなった。
後は死力を尽くし、戦うだけなのだ。
そして人々の自由を獲得すると言うルイズの願いを叶えられれば、もはやサイトには生きている上で心残りなど存在しない。
第二の故郷はこれから、少しずつ回復していく。
その手助けも、やはり戦争を早期に集結させ、兵役で取られた人々を開放し、自由にすることだ。
はたして、オルニールを出立する日がやってきた。



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