「はあ……」

朝食の席にて、シエスタはため息をついた。
先程から、たいして食事も進んでいない。
貴族と平民、しかも給仕が同席するのは奇妙な光景だが、それもルイズらしいことだとサイトは嬉しく思えた。
貴賎など、高貴なる魂の前では霞むものなのだ。
もっとも、ルイズもシエスタには主と給仕の関係以上に、友人としての感覚があることも特筆すべきことだろう。
ただ、シエスタは気づいていないようだが、今日のルイズは少々バツが悪そうにして、何も言っていない。

「はあ……なんでわたし、昨日のことが曖昧なんだろう……」

当然、薬を盛られたからである。
そのことに関してはサイトも言わない。

「シエスタ、良い女は過去を振り返らないものよ」
「いえ、振り返るとかではなく――」
「思い悩むのも大概にしないと、老けるわよ」
「――!」

その時、シエスタに電撃が走る。
やはり女性は『老ける』とかの言葉に弱いのかと納得するサイトであった。
それと同時にルイズがあまりにも堂々としているのも、問題があるような気がしないでもなかった。

「そうですね、ルイズさんの言うとおりです。わたし、良い女になります」
「ええ」

満面の笑みを、ルイズは浮かべた。
まあ、シエスタが納得しているようだし、昨日のことはこれ以上考えないのが1番だ。
サイトはルイズの笑みを見ながら、そう思った。
結局、サイトはルイズが笑っているなら、なんでもいいのかもしれない。


朝食を済ませた後、サイトはルイズと何処に行くのかを検討することにした。
こういう時、サイトの方から話を振らないとルイズに叱られるのだ。
ルイズは中庭の端で、優雅にお茶を楽しんでいた。
昨日は気づかなかったが、中庭にはささやかながら、茶会ができるようにスペースをとってあるようだ。
簡素なテーブルに椅子、また、それを覆うようにパラソルがある。
パラソルは少々、手の込んだ良いものを使っているようだ。

「失礼してもよろしいですか?」
「あら、あんたから来るなんてめずらしい。いいわ、一緒に楽しみましょう」
「では」

サイトは空いている席に座った。
丁度、ルイズと相対する位置だ。

「いつも、朝食後はここで?」
「そうね。雨とか、曇でもない限りはいるわ」
「なるほど」

サイトは微笑んだ。

「何よ」
「いえ、昔のルイズからは想像のできないことでしたので」
「それは、私が文化的な人間ではなかったと言うわけ?」
「まさか、そうではありません」
「じゃあなによ?」
「貴女にも余暇を楽しむ時間できたことが、嬉しいのです」
「ば……馬鹿ね、あんたは、そんなことで一々喜ばなくていいのよ」

ルイズは少々照れたように答えた。
無自覚にサイトはこのような物言いをするから、ルイズも驚くことはあるのだ。

「それより、何か用があるのでしょう?」
「はい。今日のご予定をお聞きしたく」
「ああ、そのこと」
「はい」
「実はまだ決めていないのよ」
「そうなのですか?」
「これといって、ね。私としてはあんたと一緒にいるだけで、正直満足だし」
「もったいないお言葉」
「ということで昨日のつづ――」
「さて、早くどこに行くか決めましょう」

間髪いれずに、サイトはルイズの言葉を遮った。

「もう、冗談よ」

ルイズは微笑し、紅茶を一口のんだ。

「わかっています」
「ま、じゃあ今日は適当に街を歩いてみましょうか。予定を立てるなんて、軍の中だけで十分」
「貴女がそうおっしゃるのならば」
「決まりね。じゃあ今から一時間後に出ましょう」
「仰せのままに」




「羨ましいって言葉がありますよね」
「え? ああ、うん」

サイトは中庭を去ってわずか10分ほどで支度を終えた。
そして応接室で新聞を読んでいたところ、はたきを持ったシエスタが入ってきていきなり言ってきたのだ。

「突然、どうしたの?」

新聞をたたみ、読むことをやめる。

「わたし、ルイズさんがあんなに楽しそうにしているのを初めて見ました」
「そんなに楽しそうかな」
「楽しそうでしたよ。今朝から、どことなく感じていましたけど。さっきだって、ルイズさんの部屋から鼻歌が聞こえましたし」
「そうなんだ。でも、それと羨ましいって言うのがどうやってつながるの?」
「いえ。別にルイズさんが楽しそうであることが羨ましいのではありません。わたしはサイトさんが羨ましい、と言うか妬ましい」

パタパタと少ない調度品のホコリをはたく。
サイトからその表情は覗けない。

「ね、妬ましいって……」
「だってそうじゃないですか。サイトさんが来るまで、ルイズさんたらお世辞にも愛想はよくなかったですよ。まだ、わたし相手には笑ってくれたりしましたけど」

今朝、ルイズはシエスタに笑いかけていた。
だが、言われてみれば確かにルイズが人に笑うことなど極端に少ない。

「ルイズはそう、笑うような女性じゃないからね」
「でも、サイトさんといる時はよく笑っています」
「そうかな?」
「そうですよ!」

シエスタの手がとまる。
そしてサイトを見た。
その表情は、少々サイトからしても怖かった。

「わたしだって、これでもルイズさんと仲が良かった自負はあったのに、サイトさんがいるとそれがかすんじゃって……妬まずにはいられません」
「そ、そっか……いや、ルイズもこんなに思ってもらって幸せ者だね」
「話をはぐらかそうとしましたね」
「めっそうもない」
「ならちゃんと、聞いてください」
「はい」

思わずサイトは姿勢を正した。

「今日、これからサイトさんはルイズさんとお出かけしますね」
「はい」
「だとしたら、今日は家に帰ってこなくてけっこう」
「は……え?」
「このお屋敷に一人は寂しいですけど、一日くらいなら我慢しますので。思う存分、楽しんできてください」
「ちょっと待った。なんでそういう話になるんだ?」
「だって、わたしはお邪魔でしょう?」
「誰もそんなふうに思っていないよ」
「ですけど、ルイズさんのためなら」
「シエスタ。確かに君がルイズのことを慕っていてくれているのはわかった。でもさ、それはいくらなんでも気を回し過ぎだよ」

興奮気味なシエスタをなだめるようにサイトは言った。

「そんなことありません」
「そう意固地にならないで。そもそも、ルイズは君にそこまで気を使わせてまで、楽しもうとはしないよ。第一、そんなことをしようものならこの私自ら、ルイズの態度を改めなければならない」
「そんな! ルイズさんが楽しいのはサイトさんがいるからなんですよ? それなのにそんな仕打ちは――」
「個の幸せのために、誰かを犠牲にすることを彼女が望むかい?」
「……ッ! それは――!」

シエスタの言葉が、一瞬詰まる。
それが答えだった。

「ほら、シエスタだってわかっているじゃないか。ルイズがそんなことは望んではいないって。だからさ、私の方がルイズと一緒にて幸せだとか、そんなことはないんだよ。ルイズには、君がいて、私がいて。そして他に多くの仲間と一緒に幸せになろうと考えるさ。今日だけは、私のことを慮って一緒に出掛けてくれるのであって、何もルイズが1人楽しむものじゃない」

言葉をなくしたシエスタは、手にあったはたきを落とした。
それをサイトは拾い、シエスタに握らせた。

「1ヶ月。短いようだけどとても長い時間。君がいてくれなければ、今のルイズはいなかったと思う。ルイズには、抱えるものが多すぎたから。だけどシエスタがいて、ルイズは自分を見失わずにすんだ。それは、ルイズが孤独になろうとした時絶えず、君がそばにいてくれたから。そばにいることが、私にはできなかったから。本当、感謝しているんだ」
「……そんなふうに言われたら、わたしもう何も言えないじゃないですか」

伏し目がちになったシエスタが、つぶやく。

「でも、本当のことだと思う」
「ふふ、わたしもサイトさんに感謝されて、悪い気分じゃありません。もう、このことを言うのは止めます」
「それは助かる」

サイトは胸をなでおろした。

「でも、今日は本当に帰ってこなくても大丈夫ですからね?」

シエスタはいつものほがらかな表情に戻り、そう言った。
サイトがシエスタの突然の変りように、戸惑ったのは言うまでもない。




以外、ではなかった。
シエスタがある種、ルイズに対してメイドの範疇を越えた意識の仕方をしていても、である。
ただ、サイトとしてもあそこまでシエスタが食って掛かるとは思わなかったし、最後の一言は余計であるだろうと、内心ため息をついた。
それはさておき、そろそろ約束の刻限である。
玄関に行くと、すでにルイズが待っていた。

「遅いわよ」
「申し訳ありません、少々、悩むことがありまして」
「悩むこと、ねぇ。別にそんなに悩まなくても平気だと思うわよ? さっきシエスタが大急ぎで私のところに来て『夜をお楽しみ下さい、うふふ』って薄気味悪い笑顔で言ってきたわ」
「またしても、悩みごとが増えましたよ」

吹っ切れたシエスタはちょっと怖いと、サイトは思った。

「流石、夜中まで遊びはしないけど。まあ、あんたにとっては残念だろうけど。ねえ、送り狼さん?」
「あだ名でここまで馬鹿にするのは、貴女だけですよ」
「あらそうなの? じゃあ他の子達はどうやってあんたを馬鹿にしたのかしら」
「その馬鹿にするという、前提条件が間違っているとは認識してくださらないのですね」
「ええ。男って言うのは、何時まで経っても女の前では馬鹿になるものよ」
「それが馬鹿にすることに繋がりますか……」

確かに、サイトがルイズを相手にてんで駄目なのは、誰の目から見ても明らかではある。

「それにしてもあんた、もう少しまともな服装をできないのかしら。それじゃあ、どこぞの傭兵と大差ないわよ」

ルイズが指摘した通り、サイトの服装は洒落ていない。
いつもどおりの全身黒の服の上にコートを羽織っているだけで、またコートがトレンチタイプなので輪をかけて地味になっている。
これではいい顔が台無しなのだが、サイトとて理由なくしてこんな格好をしているわけではない。

「これは有事に備えてのことです。ルイズもそう華美な服装はしないと思いましたし」

ちなみにルイズはいつものように白いブラウスと、裾に折込が少々施されたロングスカート、その上にダッフルコートのよそおいである。
足は、ショートブーツで露出はほぼ無いと言っていいだろう。

「悔しいけど、言い返せないわね」
「いいではないですか、それで。私としましては、貴女が目立ちすぎるのも困りますから」
「それは、どういう意味で?」
「警護がしにくくなりますから」
「本当に、それだけ?」

ルイズがジーっとサイトを見つめる。
耐えかねてサイトは二の句をついだ。

「貴女が他の男性の目に映るのは嫌ですから」
「はじめからそう言いなさい」

腕を伸ばし、サイトの鼻先をデコピンではねた。

「だから、いつも恥ずかしいと申しているではないですか」
「なんでこう、あんたは奥手と言うか、恥ずかしがり屋なのかしら」

ルイズは嘆息した。

「私の国では、男とはそうあるべきでしたから」
「ま、確かに馴れ馴れしいよりはマシよね。さて、そろそろ行きましょうか」
「はい」

さり気なくルイズの前に出て、玄関の扉を開く。
細かな配慮だが、これができない者は多い。

「ありがとう」

悠然と歩き、ルイズはサイトに礼を述べた。
サイトは何も言わず、微笑んだ。




外に出ると冷たい空気が迎えた。

「今日あたり雪が降りそうね」

空は、曇天である。

「そういえば、今年はまだ雪が降っていません」
「稀に、こういうことがあるのよ。ま、雪が積もると自動的に事故も増えるからけっこうなことだと思うけれど」
「ですね」

二人並んで、歩き出す。
行く先は街中の商店街である。
街道に出ると人々の往来が見えた。

「左でしたよね」
「そうよ。そうすれば30分くらいで着くわ」
「意外と長い距離ですが、馬車をお使いにはならないのですね」
「そんなことしたら、あんたと並んでいられる時間が減るじゃない」
「嬉しいお言葉ですが、警護する身としては少々困ります」
「もう、警護とかそんなことは忘れなさいよ。それじゃあ一緒に歩いている私がつまらないわ」

さっさと、ルイズが歩き始めた。

「お、お待ちください!」

サイトは慌ててルイズの横に並んだ。

「お怒りはごもっとも。ですが我が主の安全を願うのは使い魔として当然ではありませんか」
「あのねぇ……」

ルイズが心底呆れたような声を出した。

「いくら私がこの国の筆頭公爵家の娘だとして、誰が襲撃するのよ? 家督はエレオノール姉様が継ぐ。それに、私はすでに退役しているから軍部に対する影響力だって無い。むしろ、襲われる確率が高いのはあんたの方よ」
「貴女は、ご自分の見目麗しさをご存知ないのですか?」
「はあ?」

思わずルイズは頓狂な声をあげた。

「たとえ貴女が家督を継がず、軍部に影響力がないとして。その容姿を見、欲望に負け襲いかかる暴漢がいないとも限らないではないですか。私は後者を非常に警戒しているのですよ」
「……そこまで私の身を心配しているなら、いっそのこと私を『お姫様抱っこ』とやらで運んでくれない?」

恥ずかしさを紛らわそうと、ルイズは軽く冗談を言ったつもりだった。

「なーんて、じ――」
「それもよろしいでしょう」
「ちょ、ええ!?」

サイトはルイズをひょいと抱きかかえてしまった。
そのまましっかりとした足取りで歩く。
そんな二人の姿を周りにいる人々は皆、好奇の目で見ている。

「こんなことしたら、目立つわ。と言うか、恥ずかしいのだけど」
「貴女のおっしゃることを、実行したまでです」
「……変なところが鈍いわねぇ」
「そう言われましても」
「その、これだと逆に警護しづらいでしょう?」
「それはそれ。これはこれ、ですよ」
「なんだか、あんたにしては珍しく矛盾した回答に聞こえる」
「駄目でしょうか」
「いいえ、たまにはいいものよ」

そう言って、サイトの首に手を回す。

「……せっかくだから、このまま街までお願いしようかしら」
「お安いご用です。貴女を運ぶのならば、地の果てまでも」
「大げさねぇ」

サイトとしては大げさなことではない。
ルイズの頼みならならば本当に地の果てまで行くだろう。
ましてサイトは見た目では分からないが、屈強な身体を持った軍人だ。
ルイズを抱えてずっといることくらい、苦でもない。
ただ、今はそのルイズの軽さがたまらなく悲しかったが。

「でも、こうしていると野戦訓練のことを思い出すわ。あの時も、貴方は私を抱えて目標地点までたどり着いてくれた」
「そんな時も、ありましたね」
「知っている? あの後私がとても苦労したこと」
「知っていますよ。なにせ貴女は熱病でとても苦しんでいましたから」
「はずれよ」
「え?」
「はずれもはずれ、大はずれよ。確かに私は熱病で苦しんだけど、それは3日寝ていれば何とかなったもの」
「では、何に苦労なされました?」
「今の状況と同じであったことと、その後、私を誰かさん看病したと言うこと」
「私のせい、ですか?」
「そうよ。後でモンモランシーから聞いたけど、あんたあの時ものすごく取り乱したそうじゃない」
「そうでしたかな」
「挙げ句の果てには医者を押しのけて『私が看病するんだ! 邪魔者は消えろ!』なんて大声で言ったそうね」
「まったく記憶にございません」
「丁度、その言葉をマリコルヌが録音したらしくて、後で私も聞くことができたけど」

同期のマリコルヌは当時として珍しく、蓄音機を持っていたことをサイトは思い出した。

「……まさか、そんな都合よく録音なんて」
「モンモランシーが指示して録音させたそうよ。これは面白くなりそうだからって」
「いつか、モンモランシーとはじっくりと話す必要がありそうですね」
「それはそれよ」

段々、サイトは当時のことを思い出してきた。
考えてみれば確かに、自分でも笑えるくらい取り乱した記憶がある。

「……」
「嬉しかったわよ、それはもう。でもその後よ、問題は。多数の女性士官候補生が私のところに押しかけてきたんだから」
「なぜです?」
「分からないの? 今、あんたのせいだって言ったじゃない」
「そう言われましても」
「あんたって、そういう所が女泣かせよね」
「人聞きの悪い」
「そうとしか言いようがないわ。一部の熱心な子なんて、本気で泣きながら私の胸倉を掴んできたもの」
「なんですって? どうして私に相談してくださらなかったのです」
「相談、と言うかあんたが出たら余計にややこしくなるからよ」
「だから、なぜ?」
「埒が明かないわね。じゃあ簡単に聞くけど、私以外に異性として意識したことがある人は?」
「いません」

サイトは即答した。

「それが答えよ」
「え?」
「視野狭窄と言うか……まあ、罪な男ね」
「褒め言葉ではありません」
「当然よ、褒めてないもの。でも、そんなあんたを夢中にさせた私の方が、もっと罪深いのかもね」
「?」

サイトの頭には疑問符が浮かんでいた。
しかし、ルイズに夢中であろうことは紛れもない事実だと、サイトは思った。



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