Prologue



「総隊長とは一度だけ、直接お会いできた。総隊長はとても優しく、下士官である私にも偉そうにしなかった。親しく話をしてくれた。この人が本当に敵を一千名以上撃破した、トリステイン軍史上最強の将軍だとはとても思えなかった。体格も特段優れているわけではなく、一体、この人のどこに、赫奕たる戦果をあげられる力があるのか、と不思議であった」

 元トリステイン軍兵員会 『異国の騎士』 「第三章 騎士の実像」より抜粋。


 書物を閉じ、彼女は目を伏せた。まったく、自分の知っている、かわらない彼の姿を想像し、彼女は思わず口元を緩めた。
 過去の英雄とは普通、あら探しされて、ただの人となるのが相場であるが彼は違ったようだ、と彼女は安堵していたのかもしれない。
 それと、ちょっとした嫉妬でもある。彼は間違いなく特別な愛情を彼女に注いでくれたのだが、それも他の人にもある程度適応されているのが、口惜しく感じられたのだ。
 彼女が知らない、彼の一面が書物に語られていたことも嫉妬の原因だ。逆に、彼女しか知らない彼の一面もあるのだが、それは関係なく悔しいらしい。
 今も目を瞑る彼女の脳裏には、優しい彼の笑顔が映されている。その笑顔を取り戻すことが、彼女の夢である。
 果たして、彼女は夢を叶えることができるのか。今は誰も、知らない。




T 四月十八日




 四月はまだ空気に肌寒さを残す。
 だが、かつての戦争の傷跡など微塵も感じさせない王都、トリステニア。人々の表情は穏やかで、まるで過去の戦いなど忘れてしまったかのように見える。
 ほんの一年前には、戦争をしていたのに、だ。
 そんな市井の人々を横目に、ため息をつく女性が一人。
 腰のあたりまで伸ばした桃色金髪に、端正な顔立ちの、妙齢の女性である。客観的な評価として美人と言える。

 しかし、それ以上に女性を印象づけるものとして、左目にかけたモノクルと彼女が座るカフェの椅子の横、立てかけられた杖がある。
 どうやら、彼女は不幸にも身体に不自由があるらしい。
 だが、人々は彼女が美しくあることに驚き、目を向けても、彼女がいわゆる廃兵であることには驚かず、去っていく。
 それはもしかしたら、良いことなのかもしれない。世界が違えば、棄民と同じく扱われるような廃兵が、街中にいたとしても咎められることはない。
 それだけで幸せだと思えることが、良いことなのかも分からない。ただ、死んでしまうよりは、数倍マシだ。

 人間、生きていれば苦もあるが。それと同等に楽があるものである。
 閑話休題、彼女は街中のカフェでただのんびりしていたわけではない。それは、彼女に向かい小走りでやってきたメイドを見ればわかる。待ち合わせだ。
 彼女はメイドの姿を一瞥し、可笑しく思えるのだったが事も無げにすることにした。彼女はメイドの主人だからだ。

「お待たせしました」

 メイドは向かいに座った。手にした封筒の中身を広げ、主に見えるようにする。

「どうだったかしら」

 ざっと、彼女が見た限り目当てのものはない。

「それが、やっぱり今もガリア方面への旅行はないそうです。そもそも、海外旅行を扱っているお店が少なくて……」
「やはり、ね。まったく、面倒だわ」
「申し訳ありません。折角、ルイズさんも街中までいらっしゃったのに」

 彼女、ルイズに対してメイドは平に謝った。

「いいえ、気にしないで。私もたまには街に来たかったのよ。それよりご苦労様。シエスタも何か飲む?」

 メイド、シエスタをねぎらう意味でルイズはメニュー表を差し出した。一瞬、シエスタは躊躇したが受け取る。

「やっぱり、戦争の影響もあるみたいでした」

 メニュー表を見ながら、シエスタはボソリとつぶやいた。

「そうね」

 ルイズも同意するように、言った。
 今日、ルイズが街に来た理由は、隣国ガリア王国への旅行プランを探すことだった。
 戦争が始まる前は、トリステインでも普通に海外旅行をする者はいた。と言っても、それは基本的に貴族の子弟だけであり、一般大衆に至っては国内旅行だけであったが。
 だが、もしかしたら貴族向けの外国旅行プラン、ガリア方面へ行けるかもしれない、そう思って足を運んだのだが、それは結局空回りであったわけである。
 旅行代理店としても、貴族を海外に出して死なれたらどんなことを言われるかわかったものではないから、出さない。保険など、あっても貴族の保証の前には焼け石に水なのだ。

「あ、ウェイターさん。注文を」

 シエスタはウェイターを呼び、アイスコーヒーを頼んだ。ついでにルイズもエスプレッソを追加した。しかし、メイド服のシエスタがウェイターに注文すると言うのも、可笑しく思える。

「さて、どうしたものかしらね。簡単にガリアに行けるとは思っていなかったけど」
「やはり、もう少し時間を置いた方がいいんだと思います。そうすれば、少しは旅行のプランもできるんじゃないかと」
「それじゃあ遅いのよ。あまり、人が流入するようになってしまったら、探しにくい」
「そんなにかわりますか?」
「かわる。それに、あまり遅くなってしまえば、記憶が風化することにもなる」
「でも、戦争が終わってまだ一年です。性急に過ぎるんじゃ……」
「私は、あんまり気が長いほうじゃないわ」

 トントン、とルイズは机を叩いた。別に、エスプレッソが来るのが遅いと、怒ったわけではなかったが、その後ろ姿に何を見たのか、厨房はにわかに慌てていた。
 程なく、頼んだ物が来て、シエスタは苦笑いした。

「あ、はは……分かりました。これから街の反対の方の旅行店も探しに行きますね」
「いえ、その必要はないわ」
「え、どうしてですか?」
「これ以上、貴女に無駄な労力を使わせるわけにはいかないわ。あまり、やりたくなかったのだけど、他の方法をとる」

 そう言ってエスプレッソを口に運ぶ。苦々しい表情になったのは、果たしてどちらのせいか。
 それよりも、驚いたのはシエスタだ。

「他の方法なんてあるんですか? てっきり、どうしようもないから旅行店めぐりをしているのかと思ったのですけど」
「旅行代理店に比べれば、まだ確実と言えるでしょうね。あと、できれば穏便に入国したいと思ったから旅行という形で探しただけ」
「穏便に、ですか」
「そう。でも、そんな甘い覚悟じゃいけないみたいね。とにかく、今日の探索は終わり。その代わり、明日も一緒に出掛けましょう」
「あ、はい。それは構いませんけど」

 少々困惑したシエスタであったが、それでも主人であるルイズがそう言ったのだからこの話は明日に持ち越しだ。

「ところで、今日はもう時間が時間よね」
「ええ、そうですけど?」

 シエスタは手持ちの時計を確認する。時刻は既に五時を過ぎていた。

「……ついでに、夕食もここで済ましてしまいましょうか」

 そう言うルイズの手には既にメニュー表があった。どうやら、今夜はもう楽になりそうだとシエスタは思った。




U




 かつて、トリステイン王国は未曾有の危機に見舞われた。時のトリステイン宰相マザリーニは、政治に無関心であったアンリエッタ女王をいいことに先王の夢、ハルケギニア統一をするため、まず隣国ガリア王国を攻めた。
 緒戦、トリステイン軍は多数の魔法使いを基幹とした部隊を展開し、ガリア領土を占領していった。
 まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであったのだが、その攻勢も一年で停滞を余儀なくされた。
 初めこそ、戦時体制への移行が上手くいかず遅れをとったガリア軍であったが、不死鳥のごとく蘇った。
 その要因はトリステインよりも圧倒的に工業化された国の基盤であり、新兵器の登場だった。

 ガリア軍が雷管を開発し、今まで戦いの帰趨になりえなかった小銃が一挙に戦場の主となったのである。
 いかに優秀な魔法使いでも、二百メートル先から打たれれば、魔法を放つまでもなく斃される。攻勢によって伸びきっていた補給線も相まって、ガリアに深く侵入していたトリステイン軍は孤立、相互の連携も取れぬままの撤退となった。
 奇跡的に、多数の部隊がトリステイン国内に引き上げることに成功したが、そのために払った犠牲は大きく、またトリステインには既にガリアに攻勢をかけるには圧倒的に魔法使いが失われていた。
 それから、鹵獲したガリア軍の小銃を解析、トリステイン軍も模倣品を大量に配備したが時既に遅く、最後の望みをかけた『雪崩』作戦も瓦解、亡国への道を歩まんとした。
 しかし、結果としてトリステインはガリアとの講話に成功し、亡国になることはなかった。両国間最後のパッシェール要塞をめぐる一連の戦いで多数の犠牲を払いながら、ガリア国内に厭戦気分を起こさせたことが、講話に繋がった。

 だが、総人口の一割以上を失ったトリステイン軍の国力は凋落し、ガリアが再度の攻撃をすればトリステイン王国は失われていたに違いない。
 実際、戦力差を見ればガリア王国は容易にトリステインを併呑できた。できたのだが、それをためらわせるだけのことをやってのけた部隊が、トリステインにはあった。
 その部隊の名はトリステイン軍北部軍管区選抜独立軍団。辺境の地に住む北方民族で構成されていた、今はもう、無い部隊。

 かの部隊はまたの名を『才家軍』と言った。


「ふぅ」

 ルイズは書斎で本を読んでいた。机の上に並べられている本はすべて、この一年の間に発刊されたガリア戦争に関連するものだ。
 どれもこれも、似たような内容ばかりで飽々としてきたところに、シエスタが入ってきた。

「ルイズさん、お風呂の準備ができました……って、また読書なさっているんですか」
「ええ、まあね」
「何か目新しいものはありましたか?」
「全然。どれもこれも、似たような考察ね。戦争を集結に導いたのは近衛隊の働きが云々」
「やっぱり、そうですか。未だに検閲がされているのでしょうか」

 検閲とは物騒な話だが、ほんの一年前には検閲、情報統制、反戦的な者の投獄をしていた現実がトリステインにはあった。

「流石にそれはないわよ。検閲されていたなら、アンリエッタ女王を悪く言っただけで投獄ね」
「その点も、変わりない評価なんですね」
「ま、女王陛下が何もしなかったことは確かだし」

 ルイズは肩をすくめた。それは、アンリエッタ女王と遠縁であること、それをして諌めることのできなかった自分がなんだろうかと思ったからに他ならない。
 ルイズがこれまで読んできた本のほとんどの大筋はこうだ。

『政治に無関心であり、いつも後宮にてお戯れ遊ばれた陛下であったが上に起きたマザリーニ枢機卿の暴挙。もしも、陛下が有能とは言わずとも、一言開戦はならぬと言ってくださればトリステイン二百万将兵の命を失わずに済んだ。陛下が停戦の御聖断を果たせたのはひとえに近衛隊の、アニエス中将の尽力によるものである。』

 そんな簡単にことが済めば、戦争なんて誰もやりはしない。それどころか、戦争を盛んにやれと囃し立てたのはかれこれ本の筆者自身であり、国民の総意であった。
 ルイズとしては、世の中が嫌になるには十分過ぎる内容なのである。
 だが、それでもルイズは本を読む。その本に『トリステイン軍北部軍管区選抜独立軍団』の情報があるのではないかと、思うからに他ならない。

「それにしても、ルイズさんもよくこれだけの本を読めますね。あたしは数ページ見ただけでめまいがしますよ」

 シエスタは積み上げられて山になった本の、一番上を手に取り開いた。そして、すぐに眼を瞬かせ、閉じ、元の場所戻す。

「いくら何でも堪え性が無さすぎよ。貴女もたまには本を読みなさい」

 ルイズは微笑み、読んだところのページに栞をいれ、閉じた。

「ええ……あたし、学術書はちょっと……」
「何も、こういう物を読めとは言っていないわ」

 バスっと、本を机に起きルイズは背伸びした。

「小説でいいから。たまには文章を見るのは悪くないものよ」
「ぜ、善処します」

 そう言いつつ、シエスタの表情はちょっと固かった。

「さ、それより湯浴みと洒落こみましょう」

 モノクルを外してこれも机の上において、立ち上がる。杖は必要ない。すぐにシエスタが横に来たからだ。

「今日は外出したから、丁寧に洗いますからね」
「それくらい、一人でできるわよ?」
「まま、いいじゃないですか。それくらい」
「いや、そう言われても」

 ルイズとしては自分でできることは、自分でやりたいと思うのだが、シエスタはいつもお風呂に関してはそれを許さない。
 確かに、水場は滑って危ないとか、理由はあるのだが。

「うふふふ。いいから行きましょう」

 妙に笑顔なシエスタの内心では、ルイズを可愛がると言った側面があった。確かにルイズは主であり、尊敬しているのだが。それとは別に、だ。
 シエスタがルイズより一歳年長であることが理由としてある。しかし、それ以上にルイズの細雪のごとく細やかな美しい肌、一糸も乱れぬ絹の髪に魅了されていた。
 この後、ルイズは浴室で言いようのない恐怖を覚えた。逆に、シエスタの表情は恍惚としていた。




V 四月十九日




「何よ、これ」

 明くる朝、ルイズは朝食の席で眉根を寄せた。

「もう、ルイズさん。食べる時には新聞を読まないでくださいって」

 性格にはルイズが読んでいるのは新聞ではなく、トリステイン軍から発行されている機関紙だ。退役軍人であるルイズが無理を言って取り寄せているものである。
 科学の発展は凄まじいが、未だに新聞として広めるには紙は高価にかわりなく、現時点では機関紙であってもルイズのような富裕層に限られている。

「あ、ええ。ごめんなさい……」
 傍らに立つシエスタにたしなめられ、素直に謝ったがルイズはどうにも心ここにあらずであった。

「ルイズさん? どうかしたのですか? もしかして、お料理が不味かったですか?」
「そんなことは無いわ。いつもどおり、美味しいわよ。ただ」
「どうかしましたか?」
「ただ、ちょっと記事に驚くことがあってね。読んだ方が早いわ」
「はあ、そうですか」

 ルイズから新聞を受け取り、一面を読む。するとシエスタも仰天した。
 記事には、ガリア国内で武装解除命令を受け、捕虜として扱われた元トリステイン軍兵士がガリア軍に編入されることに決まったと、報じられている。

「これ……! ガリアで武装解除された部隊って!」

 シエスタは興奮して、思わず手にしたお玉を放り投げそうになった。

「落ち着きなさい、シエスタ。まだ、希望を持つには早計よ」

 ルイズはあえて平静に言った。

「でも、これってもしかしたら、もしかしますよ!?」
「わかっているわ。これで俄然、私たちがガリアに行く意味ができた。ともすれば、やはり奥の手を使う。シエスタ、昼過ぎに出掛けるわよ」
「分かりました。馬車を手配しますか?」
「それには及ばない。ここからそう遠くないところ、よ」


 昼食を簡単に済ませた後、ルイズはシエスタと一緒に王宮の方へと向かった。ルイズの家は王都の中心地からやや外れたところであり、王宮まで歩いて十五分程度だ。
 道行く街並みにかわりなく、人々の声で賑わっている。シエスタは頭の中で、帰りに夕食の準備をしようと考え、楽しんでいた。
 逆に、ルイズはあまり街並みに興味を示すでもなく、杖も使わずさっさと歩いている。およそ、彼女が傷痍軍人だとは思えない。それくらい、しっかりとした足取だ。杖も、保険として持っている程度である。
 ルイズは周りに目を移さないが、街に住む人々は逆だ。ルイズとすれ違った人は例外なく振り返る。何度見ても、やはりルイズは絶世の美女であることは変わりない。無骨な印象を与えそうなモノクルでさえ、彼女がつけていればその美貌を際立たせる宝石へとかわる。
 ブラウスの上からコートを着ているので分かりづらいがスタイルも大層良くて、まさに完璧だ。

 ルイズだけではなく、シエスタも元々愛嬌のある可愛らしい顔立ちをしている。出で立ちこそメイド服であるが、ちょっとめかし込めば一気に化けることは間違いない。
 この二人がどこに行くのか。王宮に行っても問題ない(ルイズは王族の血を引く)二人であるし、街中で買い物なども普通に考えられる。
 だが、目的は王宮ではなくその近くにある施設であった。門の前では物々しい格好をした兵士が二人立っている。

「ここは……国防省じゃないですか」

 トリステイン国防省。それは、一年の改革を経て変わった軍の中枢。ここにはトリステイン軍のすべての部署が集約している。

「ええ、そうよ」
「こんなところに、一体どんな用があるんですか?」
「妹に会うのよ」
「はい?」

 シエスタはそう言いつつも、もしやと思った。ルイズがヴァリエールの三姉妹の末っ子である。にもかかわらず、ルイズが妹呼んではばからない者が一人だけいることをシエスタは思い出した。


 シエスタが思ったよりも簡単に、国防省の建物の中に入ることができた。
 これも、ルイズが元軍人であることもさることながら、救国の英雄であることが大きい。言わば、職権濫用とも言えたが。
 それからルイズは迷うこと無く若手士官がひしめく営舎へと向かった。

「ここね」

 目当ての一室、そのドアのネームプレートには『ベアトリス・クルデンホルフ』と書かれていた。
 コンコンと、ドアをノックすると中から「どうぞ」と声が聞こえた。ルイズが扉を開ける。

「ごきげんよう、ベアトリス」

 後ろに控えていたシエスタはプレートの名前を見て納得していたので、特に何も言わない。

「ル、ルイズお姉様!?」

 むしろ部屋の主、ベアトリス・クルデンホルフ少佐はまさかの人物の登場に慌て、手にしていたペンを落とした。
 彼女はルイズが来るとは思っていなかった。これはしかたのないことだが。
 そもそも、ルイズが事前に話を通すこともなかった。今日、行くことを決めたばかりであったし、それに旧知の彼女を驚かせたくもあったからである。

「何故、斯様な場所にいらっしゃったのです?」
「入用よ」
「入用? ま、まあともかく。そちらにおかけになってください」

 ベアトリスが差したソファにルイズは座った。ぎこちなさはない。シエスタは隣に、ベアトリスは仕事机から離れ、テキパキとお茶の容易をしてルイズの向かいに座る。

「ご用件があるのでしたら、私からそちらに向かいましたのに」
「思い立ったのが今日だったし、早く問題を解決したかったの。早速、本題に入らせてもらうわね」

 ルイズはベアトリスに朝読んでいた機関紙を渡した。

「トリステイン軍報。と言うことは、用件は捕虜の件ですか」

 ベアトリスは機関紙を開くこともなく、ルイズの意図することに気づいた。シエスタは流石、と言ったような顔をした。

「その通りよ。ただ、記事に書かれている内容だけでは分からないことが多いの」
「と、言いつつもお姉様もシエスタさんもおおよそ検討はついているようですね。確かに、この捕虜と言うのは北部独立軍団の者です」

 その発言に二人はやはり、と得心した。

「詳しい経緯は私も分からないのですけど。しかし、捕虜一万二千名が恩赦され、しかも敵国に編入されるなんて古今東西の軍事史を紐解いても例はありません」
「そうなんですか?」

 シエスタは単純に疑問を浮かべた。

「ええ、普通は敵国人、まして兵士の者を編入しようとは思いません。将官だけ、ならば納得もいくし、例もあるのですが。兵卒まで一括してと言うのは」
「へぇ……なら、どうしてガリア王国は捕虜を編入したのでしょう?」

 例がないと言われたので、余計にシエスタには意味が分からなくなった。

「私も理解しかねます。ですが、これでガリア王国はまたしても軍の強化に成功したと言えますね。これでまた、我が軍の悩みが増えました」

 現在、ただでさえ隣国ガリアとトリステインの軍事バランスは崩壊している。そこに、はっきりとわかる形で軍備拡大されたのだからトリステイン側としては戦々恐々としている。
 捕虜だった者たちはトリステインの地理に明るい。それだけでも脅威であるのに、捕虜がトリステイン軍の中でも精鋭だったことは更に大問題だ。

「現状、戦争が起こることはないわよ。相手だって、それなりの痛手を負ったもの。それに、ガリアは国民の同意無しに開戦はできない。未だ自国の諸都市を占領された恐怖は残っているはずよ」
「お姉様の言う通り、ではあると思いますが。常見、最悪の場合は想定しておかないと……」
「その姿勢で良いのよ、ベアトリス」

 ルイズは出来の良い妹を褒めた。軍人とは国民とその財産を守るためにある。だから、楽観視など問題外なのだ。トリステインはその楽観視のせいで、前の戦いでは痛手を負った。

「お褒めに預かり光栄ですわ。それで、この捕虜の件とお姉様のご用件にいかなる関係が?」
「私が前に言ったことを覚えているかしら。ガリアへと」
「旅に出る、と言うお話ですね。覚えています」
「なら話が早い。貴女には私がガリア王国へと行けるように手配してもらいたいのよ。渡航理由は適当に」
「分かりまし――え? 何ですって?」

 二つ返事で同意しかけて、思わずベアトリスは聞き返した。

「だから、ガリア王国に行くのよ。昨日街中の方でガリアに行く方法を探したけど駄目だったの。密航は論外だし。だとすれば、後は軍に働きかけてもらうしかないじゃない」
「奥の手って。かなり行き当たりばったりですよね……」

 シエスタも呆れたように言った。

「仕方ないでしょう? これ以外に方法が思いつかない」
「は……まあ、無理を言えば何とかなる、でしょうけど……それにはルイズお姉様も相応の対価が必要になりますよ?」

 対価、と言えば聞こえが良いがベアトリスが意味するのはお金のことである。トリステイン軍は善意の集団ではない。それに、今は予算もカットされており資金不足なのが現状であった。

「それならば問題ないわ。覚悟はしていたし。善良なる市民からのお布施、と言う形でいいのよね?」
「平たく言えばそうです」

 ベアトリスは苦笑した。流石はルイズと、言いたそうでもある。

「よし、これでガリアに行く目処がついたわ」
「即決ですね、ルイズさん」
「迷うことではないからよ。それに、急がないと捕虜だった彼らが軍務について、話を聞けなくなるかもしれない」
「話、と言いますと?」

 ベアトリスが尋ねた。

「あいつのことを知っている彼等の話は聞く価値がある。もしかしたら、行方だって分かるかもしれない」
「成る程。では早速手配致しましょう。それで、何名分でしょうか?」
「三人よ」
「三人。お姉様と」

 ベアトリスはシエスタを見た。

「私はメイドですから、もちろんついて行きますけど。身の回りのお世話もありますし。だけど、あと一人はどなたですか?」
「護衛よ。流石に私とシエスタだけでは不安があるわ」
「そう言うことでしたら、護衛に関しましても私が手配致しましょう。腕利きの者を――」
「護衛なら決まっているわ」
「これは失礼しました。では、その者を護衛に致します。お名前は?」

 ルイズは退役軍人だ。前の戦争で多くの戦友を失ってはいるが軍内には多数知り合いがいる。
 その中からだろうとベアトリスは思っていたのだが、予想は外れる。なぜなら、ルイズがベアトリスを指差したからだ。

「あの、それはどう言う……?」
「どうもこうも。護衛は貴女よ、ベアトリス」

 当惑するベアトリスをよそに、今日一番の笑顔をルイズは見せた。


 二人が国防省を出ると、既に日差しは傾いていた。用向きの他にもいくらか話したので思いの外、時間が立っていた。

「ベアトリスも快諾してくれたことだし。どうにか、ガリアには行けそうね」

 ルイズは軽く背伸びをした。

「快諾、のようには思えませんでしたけど」

 シエスタは苦笑いした。

「悪いとは思っているわ。でも、他に頼める人がいないのは確かよ」
「そうですか? 同期の方とかも」
「仮に頼めたとして、私用に付き合わせるのは良くないわ」

 ルイズは歩を進めた。シエスタも後に続く。しかし、何が良くないのかシエスタには分からなかった。
 ルイズの軍学校同期、第七十期生は皆仲が良いことでも有名だったからだ。

「同期の方々も、安否を気にしていらっしゃると思いますけど」
「気にしているから、こそよ」
「はぁ……」

 同期生が皆、気にしているのは確かにシエスタの言う通りだ。それをわかっているからこそ、ルイズは同期生を巻き込みたくなかった。
 そもそも人探し、見つかるのかどうかも万が一の可能性。半端な希望を持たせ、見つからなかった時にまた、深い絶望を味わうなら近親の者だけにとどめる、そうルイズは思っていた。

「それより、ベアトリスが言うには手続きやら何やらで早くても一週間はかかると言っていた。その間に、私たちも旅支度をしておかないといけないわね」
「はい、その点は任せてください。不肖シエスタ、しっかりと支度を整えたいと思います!」
「妙に意気込んでいるわね?」
「そりゃあそうですよ。やっと、前に進めるわけですから」
「前進。そうね」

 シエスタの言葉にどことなく、ルイズは引っかかりを覚えた。人探しの旅、ルイズは自分が本当に前に進んでいるのか分からなかった。過去の話を追うこと、それが果たして前進であるのか、と。
 だが、今は前に進む、進まないに関わらず動く時だと、割り切ることも重要だとルイズは思い直し、疑念を振り払った。

「じゃあ今日は前進のお祝いに、盛大な夕食にしましょう。昨日外で食べてわかったけど、シエスタが懇切丁寧に作った料理の方が数段美味しいわ」
「ありがとうございます。じゃあ、今から買い物をして帰りましょう。ルイズさんの好きなものを何でも作りますから!」
「あら、嬉しい」
 シエスタの明るさにつられて、ルイズも顔がほころびた。


 それから二人はベアトリスを招き、ささやかなパーティーをした。さながら壮行会と言ったところであった。



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