Prologue




 破壊した陣地。倒した敵兵。その全ては武勇として誇示できるものだ。だが、彼は違う。彼は武勇を誇ることはしなかった。それは彼の性根に関わることなのか。
 牧歌的なのかもしれない。あるいは女々しいのかもしれない。戦争なのだ、戦果を誇らずして何が軍人か、と。しかし、彼を責めることがどうしてできようか。
 仮に彼が戦果など求めてなどいなかったとしたら、他に何の理由があったのか。それはただ、守りたいものがあったからなのかもしれない。
 ある士官は私の取材にあたり、こう語った。

「戦争もたけなわ、彼――サイト・ヒラガ君に最後に会ったのは軍令部の休憩室。そこで彼と話をしていたのだが、彼の後ろに白くぼやけたものが映って見えた。奇妙に思いつつも、当時はそれが何か分からなかったし、気にもとめなかったのだが……今なら分かる。彼の後ろに見えたのは、無数の白い十字架。彼が今まで奪い、奪われた者の墓碑(ぼひ)だったのだ!」

 背後に十字架が見えるとは穏やかなことではない。しかし、彼が嘘を言っているわけではないのは良くわかった。
 十字架に限らず、似たようなことは前述の士官だけではなく、他に取材に応じてくださった諸氏も彼に関して述べている。
 私の調べた限り、彼の軍歴が抹消されるまでにあげた戦果、敵兵士だけにして一千名以上を殺害している。しかも、非公式な戦果を合わせれば一千五百を超えるという。
 流石に一千名は誇張であろうが、たった一人の人間にしては望外の戦果を挙げたことは確かだ。

 私はオカルトを信じる質ではない。が、『戦果=殺害数』にして見れば彼の後ろ姿に十字架が見えたと言うのもあながち嘘ではないように思えてくる。
 果たして、サイト・ヒラガと言う男はどう思っていたのだろう。戦争においては人殺しが正当化されるとしても、殺害することに対して良心の呵責(かしゃく)は無かったのか。
 今となっては聞くことは叶わない。だから想像にまかせるしかないのだが、私は少なからず、彼が進んで人を殺したとは思えないのである。
 サイト・ヒラガという男の評を聞くに、彼は軍人であるには優し過ぎた、と思えてならないからだ。


 レオン・ド・ロワリエ 『サイト・ヒラガ トリステインを護った男』 より抜粋




T 五月九日




 王都トリスタニアを出立し、一日をトリステイン国内で過ごしたルイズ一行は翌日、満を持してガリア王国へと足を踏み入れた。
 馬を操るはベアトリス。車にはルイズとシエスタが乗っている。事前の取り決めで、ベアトリスが馬を操ることになったのは勿論、警護の観点からだ。
 さて、車上の人となったシエスタは窓から街、特に多くの人で賑わっているのを見とめるとにわかにはしゃぎだした。

「うわぁ、大きな街ですねぇ」

 非常にわかりやすく、完結な感想をシエスタは口にした。今しがた入った街は、ガリア王国に入ること半日と言ったところの宿場街である。
 シエスタは国外旅行が初めてなものだから、楽しくて仕方ないのだ。そんな彼女ことを知っているので、ルイズは微笑んだ。

「ここは確か宿場でも小さな部類の街なのだそうよ」
「え、そうなんですか!?」
「ええ。前に読んだ本にそう書いてあったはず」
「信じられません。ここですら私の故郷の数倍はありますよ」

「まあ、ね。ガリアは国土もさることながら、人も多い。特に昨今の人口増加は凄まじいそうよ」
「へぇ、そうなんですか。ガリア王国って、一体どれほどの人口なんですか?」
「古い統計ではあるけど。七千万人を越えているのは確かね」
「な、七千万ですか!?」

 シエスタは仰天した。

「あら、そんなに驚くことかしら?」

 対照にルイズは小首を傾げた。

「だって、七千万人って言ったらトリステインの人口の――」
「軽く二・五倍はいるわね」

 さらりとルイズは答えた。

「そんなにたくさん人がいるとは思えませんでした……しかも、小さな街ですら、こんなに栄えているし。これじゃあトリステインがいくら頑張ったところで――」
「『勝つことはできない』でしょう? 貴女の考える通りよ。ガリアとトリステインに突き立つ煙突の数を比べてみれば、戦争なんて逆立ちしてもやろうとは思わないわ」

 ルイズの言う通り、ガリアの工業の振興はハルケギニア大陸でも随一のものだ。まして、こんな宿場町でさえ栄えているのだから、トリステインの国力とは比べるべくもないのである。

「おっしゃるとおりですね……本当、講話できて良かったです、よね」

 最後の言葉が歯切れ悪いのは、講話までの道のりが決して楽なものではないことをシエスタも知っているからである。
 まして、講話のために犠牲になり、消えたのがルイズの使い魔なのだ。

「そうね。今やボロボロのトリステイン王国になによりも必要なのは時間。特に、国防費を削減した上で周辺国を警戒していかなければならなくて、軍備の増強が必要という矛盾が発生しているわ。幸い、ガリアも攻めてくる気は当面ないから平気だとは思うのだけど」

 シエスタの気遣いに内心、感謝しつつルイズは話を続ける。今回、旅をする国について知ることは悪くない。それに、トリステインの実情をシエスタが把握することだって重要だ。それだけで、この旅で得るものは多くなる。

「それはどういうことなんですか? 確かに、国防は大事ですけど……」
「前回の戦いで失った者。もっと言えば士官が多く戦死したのは痛手だったのよ。前衛で戦う兵の養育ももちろん大切だし、資金もいる。ただ、それ以上に士官が重要なのはわかるわね?」
「えぇと、士官と言うのはルイズさんやベアトリスさんのことですよね?」
「その認識で正しいわ」
「となると、いわゆる指揮をする人がいないってこと……それが問題、とか?」

 シエスタの回答にルイズは満足気に頷いた。

「そう、実際に作戦指揮する人間がいないのよ。指揮官のいない兵は烏合(うごう)(しゅう)、撃破は容易い」
「そんな、言い切るほどですか? 現場の人だって強い人はいると思いますけど」
「昔の戦争の仕方だったら、現場の人間の力で勝てたかもしれない。だけど今、個人の武勇のみで戦況をひっくり返すなんて無理よ。その事実を如実(にょじつ)に表したのが、両国の戦死者の数よ」

「は、はぁ……」
「ごめんなさい、少し話がずれたわ。とにかく、作戦指揮できる士官がいないのは由々しき問題。そして、先の話に繋がるわけだけど、士官というのは兵とは比べ物にならないくらい、お金がかかるのよ。それは、貴女も良く分かっているはず」
「確かに、それは分かります」

 シエスタは軍学校で働いていたおかげで、そのあたりのことは知っているので、理解がはやい。

「つまり、軍縮で予算がないから人材を育てられないんですね」
「ええ。まったく、資源も何も無い国が、よりによって人材を軽視して、痛い目にあうなんてね」

 ルイズの言うことは一々正しいが、士官の多くが貴族の子弟であったのが問題だったのは言うまでもない。
 特に彼等の誇りにかけて、屈辱的な敗北をしておめおめと祖国に帰ることを(いさぎよ)しとせず、無謀にも敵陣に突撃して死ぬ者も多かったのだ。
 だが、決して貴族の士官が全員、無駄死にしたわけではない。彼等の中には撤退時にすすんで殿軍(でんぐん)を務め、相果てた者もいる。そして、その相果てた者の多くが、ルイズの同期生であったし、また近しい年代の若手士官だった。

「まあ……人材を摩耗(まもう)して、国力をそぎ落として、それでも国体を護持できただけ良かった、そう思うしかない。本当、はやく次世代の士官が多く輩出されることを願うわ」
「そうですね。やっぱり、軍にしっかりしていてもらわないと不安ですし」
「まだゲルマニアとの同盟は生きているから、少なくとも後背を突かれることがないのは良いわね」

「帝政ゲルマニアって、何か粗野な感じがするんですけど。けっこう良い国なんですね」
「ふふ、そうね。私もそう思っていた。でも、信頼できうる個人がいたおかげでそのイメージは払拭(ふっしょく)できた。シエスタもそうでしょう?」
「はい、それはもちろん」

 ルイズの同期生にはゲルマニアから少ないながら、留学生が来ていた。ガリアとの戦争が始まって皆、帰国してしまい、それからルイズは彼等と会っていない。

「皆さん、今は何をしていらっしゃるんでしょうか」
「会えないのが寂しい?」
「そうですね、戦争が始まってからずーっと、かれこれ五年以上会っていない。ルイズさんも、会いたいと思いますよね?」
「まさか! ……と言いたいけど。私も会いたいと思う」

 ルイズの友人はだいぶ少なくなってしまった。それでも、今も会いたい、会える人がいるのは幸せなことだ。その点はシエスタも同じである。
 しかし、ルイズにはそれ以上に思うことある。

「だけど、一番近くに一番信頼できる友人がいる。だから皆に会えないことは寂しくないわ」

 ルイズにとっての親友は目の前、ここにいる。それがどれほど幸せなことか、ルイズは戦争を通して痛感している。

「面と向かって言われると、恥ずかしいです」

 シエスタは照れて、頬を赤くした。そんな彼女の姿を見て、ルイズは薄く笑った。

「頼りにしているわ」
「お任せください」

 シエスタは笑顔で答えた。

「それで、今日のご予定はどのようになっているのですか?」
「今日はこの街で泊まるわ。焦ることはないしね。宿に着く頃にはまだ時間もあるだろうし、周辺を散策でもしましょうか」
「ルイズさんは、この街をご存知で」
「いいえ。ただ、知識としては把握しているわ。地理と、大体の街のあらましも」

「嘘、ではありませんよね……ルイズさん、それも全部本の内容を暗記したっていうわけですか?」
「古いものだったけど、地図が併記されていた本があったの。おかげで結構、覚えやすかったわよ」
「そう難しいことをしれっと言うところが恐ろしいですね。あたしにはちんぷんかんぷんですよ」
「そう言われても困るわ。まあ、後でベアトリスに地図を見せてもらいなさい。そうすればある程度、この国の地理が分かるわ」

 ベアトリスは馬車を操っている。ゆえに彼女が地図を持っているのは当然だ。その地図も実はアニエス大将から貰った軍の機密品(の模造品)であるが。

「ど、努力します……」
「そんなに暗記とか、嫌なものかしら。ただ覚えるだけなら簡単なものだと思うけど。貴女も私の身の回りの世話では驚くべき記憶力を発揮するのだから、できない筈はない」
「それは違いますよ、ルイズさん」
「何がかしら」

「あたしが覚えていられるのは、主であるルイズさんのことだからです」
「そ、そう……?」
「はい! それこそルイズさんのことなら何だって知っていますからね! 好きな食べ物からスリーサイズまで! 上から八十二、五十六――」
「ちょっと! なんでそこまで把握しているのよ!」

 ルイズは誰もいないにも関わらず、咄嗟(とっさ)にシエスタの口を塞いた。

「むぐ……! いきなり苦しいですよ!」

 シエスタはすぐに逃れて、不平を口にした。

「私の個人情報が筒抜けなのはおかしいわ。私は、そんなことを教えて……まさか?」

 ルイズは自分で言って、ある結論にたどり着いた。そう、考えてみれば彼女はルイズの身の回りの世話係、そして、洋服ですら彼女任せなのだ。

「もうバッチリですよ! 何でも任せて下さい!」
「……前言撤回、私の傍にいるのは親友ではなくストーカーだったのね」

 ルイズは疲れたような声を出した。

「主のことを把握するのは、使用人として当然のことですよ。ただ、最初にスリーサイズを聞いた時は驚きましたけどね」
「……へえ、どうして?」
「だって、学生の頃に比べて大きくなっていたんですから! いや、グラマラスなのは結構なんです、よ……ルイズさん?」

 話しているうちに、ルイズは下を向いていた。それはそうだろう、なにせルイズは学生時代からシエスタに身の回りの世話をさせているわけではない。
 ただ、なんの考えも無しに言ってしまうシエスタは天然と言うべきなのかどうか、判断に迷うところではある。

「もう、大方予想はついていたのだけどね」
「あ、あの……怒りました?」
「いいえ、怒っていないわ。ただ、一つ聞かせてもらうけど。貴女に私の個人情報を教えたのはあの『香水』よね?」

「な、なぜ分かったんですか!?」
「どうせ、こんなくだらない情報を教えるのは彼女以外いないからよ」
「そんな、くだらなくありません! いったい、あたしがどれほど苦労して教えてもらったことか!」

 すごい剣幕でシエスタは反論した。ルイズとしてはそこが問題ではないのだが。

「苦労してまで知ることじゃないでしょう」
「ならば、あたしがルイズさんの寝室に入って下着を漁ってもよかったと言うのですか?」
「例えが極端よ。そんなこと、貴女がやるわけない」

「え!? あ、まあ、そりゃそうですけど」
「……今の驚きの声に関しては、聞かなかったことにしてあげるわ」
「あ、あはは……」

 と、真面目なのか不真面目なのか判断に迷う話を二人がする間に、馬車は宿の前に到着した。




U




「随分と賑やかでしたね、お姉様」

 宿の待合席で待つ間、ベアトリスは言った。当のルイズは渋い顔をする。

「別に私が望んだことではないわ。ただ、シエスタが、ね」

 シエスタ本人は今、宿の手配のためにカウンターの方に行っているのでいない。

「仕方ありませんよ。シエスタさんは昔からお姉様の熱狂的なファンですから」
「そう言う問題かしら?」
「そう言う問題です。最も、お姉様はご自分がどれほど人気であったのか、知らなかったのでしょうけど」
「私の知る限り、いや感じた限りでは恐れられはしたものの、好意を寄せられたことはないわ」

 ルイズはいっそう、不機嫌な態度を隠さなかった。

「そうなのですか? 私の周りには、お姉様のファンクラブらしきものまでありましたよ。男女問わず、参入していましたね」

 ベアトリスはルイズの学生時代、一号生徒の頃しか知らないから無理もない。が、実際ルイズは入学してから、二号生徒の終わりまでは畏怖こそされはしても、好意を寄せられることはなかった。
 ルイズの態度が変わったのは一号生徒になってから少ししてからであった。ベアトリスはルイズの実直な性格が好きであるから、何らルイズに人気があることを疑わなかったが、ルイズの他者に対する態度はお世辞にも()められたものではなかった。

「……複雑な気分になるわ」
「心中お察し致します。確かに告白されたことがないのは、お気の毒だと思いますが」
「何でそう思うのよ」
「それはお姉様自身が一番、分かっていらっしゃると思います」
「……」

 ルイズは、ベアトリスの言わんとしていることを理解し黙った。

「失言でした。申し訳ありません」
「いえ、いいのよ。それより――」

 ルイズはこちらに向かってくるシエスタを見とめた。

「ここは宿泊する以外、目的はあまりないわよね。だから、シエスタと話して、周辺の街を見て回ろうとしたのだけど。ベアトリスもどうかしら?」
「私は護衛です。姉様の行く所、どこへでも付いて行きます」
「そんな堅いことを言わないの。確かに、貴女には護衛ということで来るように言ったのは私だけど」
「性分ですから」

「性分、ねぇ。貴女、そこまで堅物ではなかったと思うわ。まるで、誰かの真似をしているよう」
「そう、でしょうか」
「なんとなく、ね」
「姉様が、気にしすぎなのですよ」

 ベアトリスは薄く笑った。だが、どこか表情に影がさしていたのもたしかだ。ほんの一瞬のことで、ルイズは見逃していた。

「それより、お出かけするならば、早めに致しましょう。さすが、暗くなる前には宿に入ってもらわないと困りますので」
「ええ、分かったわ。ちょうどシエスタも記帳を終えたようだし」

 振り向くと、確かにシエスタがこちらに向かってきていた。まだ心なしか浮ついているように、ベアトリスは見えた。それが、たまらなく羨ましかった。



 宿泊先から周辺は、賑わっていた。これから行く宿場街でもこのようなものだと聞き及ぶ。ガリアはやはり強大な国なのだ、とベアトリスは思いながら前を往くルイズとシエスタを見ていた。
 二人は出店などを物色している。その姿は貴族の子女とお付きのメイドと言うより、仲の良い友人に見えた。
 今のままなら、何ら襲撃されるようなことはない。問題があるとすればルイズらの容姿が優れすぎていることくらいだ。容姿端麗(ようしたんれい)、完全なる美(ベアトリスの主観)の義姉(ぎし)、まして、シエスタも愛嬌(あいきょう)のある可愛いらしい顔立ちであるから、目立たないほうがおかしい。
 だが、誰とても話しかけてこようとしないのは、ベアトリスが以上ともいえる殺気を周囲に放っているからだ。おかげで、話しかけられた店員の幾ばくかは、気圧(けお)されて引きつったような顔をした者もいた。

 先程、ルイズに自分らしくないと言われたことが、ベアトリスは不満だった。
 ベアトリスは確かに、昔はそこまで軍律に厳しく、自縄自縛(じじょうじばく)するようなことはなかった。あくまで、軍律を守っているならば、自分らしくしていようとしていた。
 それができなくなったのは戦争が終わってからのことである。ベアトリスは戦後、自分を厳しく律し、何事にも客観的に判断を下すようにしてきた。

 原因はある。ガリア戦争末期、最後の一大会戦でベアトリスは殊勲(しゅくん)をあげた。しかし、それに伴う被害も大きかった。勇猛果敢(ゆうもうかかん)にも突撃を繰り返した結果だから仕方ない被害であるとは言えたが……
 ベアトリスの副官など、直近のスタッフはほぼ生き残り、戦後もベアトリスのもとで働いているが、兵卒の戦死傷者は四割(全滅認定)を超えてしまった。
 悔恨(かいこん)が渦巻く彼女に、より深く根ざすことが起きた。それが、サイトの消息が分からなくなったことであった。

 ルイズもシエスタも悲しんでいたが、ベアトリスも例外なく、サイトが消息を断ったことを悲しんだ。
 通りかかった出店の姿鏡に自分が映る。今の私は卑屈な顔をしていないだろうか、と思う程にベアトリスの心はやつれていた。
 誰もサイトがいなくなったことに、責任など持てない。それは主人であるルイズであっても、友人のシエスタであっても。決してベアトリスだって、サイト消息不明の責任などとれない。

 だが、ベアトリスの心のどこかで、自分がドジをしたばかりにサイトが死んだ(あるいは無謀な突撃をした)と思っているのだ。
 それはもう、責任どころの話ではなく、自虐だった。
 道を歩く。その中で、否が応でも耳には往来の人々の声が聞こえてくる。当然、戦争に関する話だって聞くが、ガリアでは概ね暗い話は聞かない。

(戦勝国の余裕、か)

 心の奥底でベアトリスは、やはりトリステインは敗戦したのだ、と思った。トリステインの街中では、全体、明るさは取り戻したものの、ここまで活気はなかったし、家族を失った者が多くいた。
 ルイズとシエスタが小物店の前で立ち止まった。それをいいことに、ベアトリスの思考は少しだけ、昔に飛んだ。
 ベアトリスは戦争が終わってすぐ、戦死した部下の身内に遭遇したことがあった。その時に言われたことは、今も鮮明に覚えている。
『貴女も、あの味方殺しの「サイト・ヒラガ」と同じなのだ』と口汚く罵られ、弔慰(ちょうい)を告げることもできず、ベアトリスは立ち尽くしたものだった。

 彼女が何よりもショックを受けたのは、部下を戦死させてしまった自分の不甲斐なさもさることながら、サイトが完全に、トリステイン国内で『悪』だと認識されていたことだった。
 この世に正義の味方などはいない。そんなこと、ベアトリスだってわかっていた。だが、サイトだけは長らく続く戦争、両軍における唯一の良心だと思っていたのに、それが根底から覆されたような気がした。
 義兄は、流言飛語(りゅうげんひご)に惑わされ、ことが終われば崇めていたものすらこき下ろす、こんな者たちのために戦っていたのか、と思うと腸が煮えくり返る思いになり、同時に途方も無い虚脱感が襲った。サイトをこんなふうに追いやったのはまた、自分の属する軍の諜報機関だったからだ。
 そこで、シエスタに花飾りをあてられ照れている、ルイズを見やった。

(姉様だってサイト兄様に対する世間の冷たいあたりようは知っているはずなのに)

 どうして、あれだけ明るく振舞っていられるのか、不思議だった。
 ガリアにきて、まざまざと国の在り方の違いを見せつけられ、打ちのめされた自分とは大違いだと思った。

(だけど、姉様だって内心は……)

 気丈な義姉を見ると、今も頼もしく思える一方、無理をしていると思う自分がいると、ベアトリスは理解した時、なぜこの旅に行くことを、肯定したのかとの、またしても深い悔恨の念が生じた。

「ねえ、ベアトリス。これ、私に似合うかしら?」

 シエスタがあてがった髪飾りをつけ、ルイズはベアトリスに向いた。しかし、ベアトリスはまったく反応できなかった。彼女が見ているのは、違うルイズだ。

「……ベアトリス?」

 軽く、肩をつかんで揺すられて、ようやくベアトリスは気がついた。

「……あ。はい、何でしょうか?」

 考えごとのせいで、ルイズの声に一回で反応できなかった。

「貴女、本当に大丈夫? どうにも上の空で。体調が悪いなら、正直に言って頂戴(ちょうだい)。宿に戻るから。ねえ、シエスタ?」
「はい。お辛いようでしたら、肩をお貸ししますよ」

 シエスタは明るく請け負った。しかし、ベアトリスも本当に体調が悪いわけではない。

「……ごめんなさい、お姉様。でも、体調は悪くありません。ご心配なさらず」
「本当に?」
「はい、大丈夫です」
「なら、良いのだけれど。あんまりにもぼーっとしているから、転んだりしないか心配だわ」
「まさか、護衛の私がそんな――」

 そう言って動いた瞬間、ベアトリスは足を滑らせて頭を打った。

「ベアトリスっ!?」
「ベアトリスさん!」

 近くにいるはずのルイズとシエスタの声が、どこか遠くから聞こえてきて、意識は暗転した。




V 心の在り処




 目を開けると、見知らぬ天井が見える。それからすぐに、上体を起こして辺りを見回した。そしてベアトリスは自分が宿の連れて来られたのだと理解した。
 頭をさすると、ずしんと、まだ重い痛みを覚えた。だが、同時に包帯もまかれていることから、処置もされたこともわかる。

「何をやっているんだろ、私……」

 護衛のためにルイズについてきたはずが、逆に足を引っ張るようなことをしてしまった。それが悔しく、ベアトリスは思わずベッドカバーを強く握りしめた。
 コンコンと、ドアをノックする音がして、ベアトリスは拳を(ゆる)めることができた。

「どうぞ」
 ドアが開くと、ルイズが現れた。足に不自由があることを感じさせない歩調でベッドの横にくると、椅子に座った。

「気分はどうかしら」
「問題ありません。ただ」
「何かしら」
「護衛の身でありながら、かような失敗、面目ありません」

 ベアトリスは痛みを無視して、深々と頭を下げた。そんな様子を見て、ルイズは嘆息した。

「また、謝った」
「え……?」

 ルイズはベアトリスの手を取った。ベアトリスは顔をあげる。

「貴女はガリアに来てから、いえ、この宿場にきてから様子がおかしくなった」
「そうでしょう、か」

 ごまかすように言おうとしたが、声はどうしても震えてしまった。

「……私、貴女に何かしてしまったかしら。だったら謝るわ。だから、どうかそんな思いつめた顔をしないで」

 ルイズはぎゅっと、ベアトリスの手を強く握りしめた。ベアトリスを本気で心配しているからこそ、力が入ったのだ。
 ベアトリスには、そんなルイズの優しさが嬉しく、また痛かった。そして、どうして姉様はこんなにもお強いのだろう、と思った。

「……お姉様は先の大戦、どのようなお気持ちで戦われましたか?」

 唐突に、ベアトリスはルイズに質問をした。その声は、どこか無機質な響きを持っていた。

「気持ち? それは一体……」
「おかしな質問ですよね。私もそう思います。ですが……ですが、私は未だに過去の清算ができていないのだと、ガリアに来て痛感しました」

 ベアトリスはルイズの手を握り返した。ベアトリスの手は、少し震えていた。

「私は、サイト兄様のことが大好きです。強くて、優しくて。いつもは怜悧(れいり)な表情を崩さないけど、時折見せる、あの陽溜(ひだ)まりの明るさを(たた)えた笑顔が、大好きで」
「そう、なの」
「だけど……いえ、だからこそ、私は怖くなりました、この旅が」
「理由を話して、くれるかしら」
「……はい」

 それからベアトリスは、先まで考えていたこと、自分の思いを、滔々(とうとう)とルイズに述べた。話終えたあと、しばらくルイズは黙ったままだった。

「貴女の苦しみはよく分かる。確かに、サイトは戦犯として扱われ、もはやトリステイン国内で彼を快く思う者は少ない」

 ルイズが次に話したことは、ただの事実確認に過ぎなかったが、ベアトリスにはおおいに意義のあることだった。
 なぜなら、ルイズもサイトに対する世間の認識を、知っていたことを示すのだからだ。そして、知っているなら何故、との思いがベアトリスには込み上げる。

「私は、今回の旅に反対は致しませんでした。それは、姉様と一緒で、私もほんのすこしでも可能性があるのなら、それにかけてみるべきだと思ったからです。だけど」
「だけど?」
「この旅の果て、サイト兄様に会ったとしても、サイト兄様が私たちのことを覚えている可能性は、限りなく低い」
「そう、ね」

 ルイズの声音が、少し弱いものになった。ベアトリスの言ったことが、正しかったからだ。
 確かにサイトは、最終決戦の前までにかなりの記憶を失っていた。ルイズにはそんな素振りは見せなかったが、ルイズは主だ、気づかないわけがない。
 まして、昔はまだ豊かであった感情、特に悲しむ、と言うことを彼は忘れていた。そこまで――

「『ガンダールヴ』の代償はかなり進行していた。貴女の考えた通り」

 不意に口に出された言葉に、ベアトリスははっとした。ガンダールヴとはハルケギニア大陸にまことしやかにささやかれる、伝説的戦士に与えられた称号だ。

「それは、伝説のことだけではなかったのですか?」
「違うわ。『ガンダールヴ』は確かに存在した。それがサイトよ。かつてハルケギニア大陸に忽然(こつぜん)と現れては、災厄をもたらすとされた破滅の使者」
「待ってください。それが本当ならば、伝説の通りにサイト兄様は狂戦士へと変貌(へんぼう)――」

 そこまで言ってベアトリスは気づいた。過去、最後にサイトに会った時に聞いた『同期達の声も思い出せなくなってきた』と言っていたことに、そして酷く無感情な顔をしていたことに。ベアトリスは合点がいった。あの聡明(そうめい)な義兄が、大切な仲間を忘れるはずもなく、ましてあんな表情をするわけがない、と。

「ではあの時、既に兄様は……」
「記憶の一部を欠損していたのよ。感覚も、かなり失っていた。後は、サイトの理性がどこまで持つのかの問題だった」
「どうして、姉様はそこまで分かっていながら、兄様を戦地へと、死地へと向かわせたのです」

 ベアトリスは感情をむき出しに、抗弁した。

「ならば、この旅の目的は何なのですか! ただ、死においやった兄様への贖罪(しょくざい)なのですか!」
「そうね、そうかもしれない」

 ルイズは力なく言った。

「確かに私は、サイトが『ガンダールヴ』であり理性すらも失いかけていた彼を止めなかった。いいえ、止めることはできなかった。あの時の彼を、どうやっても止めることなんて誰にもできなかったでしょう」
詭弁(きべん)です。兄様ならば、ルイズ姉様のことは絶対に聞きました」
「なら、サイトを助けたところでサイトの部下達はどうなるのかしら」
「それは……」

 ベアトリスの語気が少し弱くなった。

「サイトの生命(せいめい)は、もう私一人のものではなかった。サイトの肩には、サイトの仲間、大切な人への思い、そして今まで奪った人の生命が掛かっていた。どうして私、女の恋慕(れんぼ)ごときで止めることができようかしら」

 ルイズはため息をついた。

「いいえ、これこそ詭弁……私だって本当は、サイトを引き止めたかった。だけど、そんなわがままを押し通すには、私達は大人になり過ぎたのね。国だとか、大儀だとか、そんなことがちらついて、たった一人に向ける愛すら偽った。そんな私が、今こうやってサイトを探しに来た。卑怯よね」
「……そこまで、責めるつもりでは。ただ、私は」
「分かっているわ、ベアトリス。この旅に来て、私も戦争の愚かさを改めて知った。そして、だからこそ、どうあってもサイトのことを探して、真相を確かめなければならないのよ」
「たとえ、見つけたとしてもサイト兄様にはき――」
「ええ、そうよ。だけど……だからこそ、私は探さなければならない」

 ベアトリスの不安を切り、ルイズは断言した。

「結局、私は身勝手な主人よね。散々、酷いことをした。それでも、いつまでもあいつなら、何食わぬ顔で帰ってきてくれると思っていた。たとえ『ガンダールヴ』だとしても、その呪縛(じゅばく)すら打ち払ってくると。だけど、現実はそうさせなかった。一重にこれも、私がサイトに甘えていてばかりだったから、起きたこと」

 ふと、ベアトリスは握るルイズの手が振るえていることに気づいた。そして、ベアトリスは理解した。やはり、姉様もサイトがいなくなったことが、悲しいのだと。
 そして、たまらない不安が駆け抜けたと思うと、ベアトリスはルイズに抱きついていた。

「……ベアトリス?」

 ルイズは怪訝そうに尋ねた。もう、表情が見えないのをいいことにベアトリスは頬を濡らす。

「ごめんなさい、姉様。私もわがままだ……」
「あら、どうして?」

 優しく、慈しむ声でルイズは尋ねた。空いた手は、ベアトリスを抱きしめ返すには十分な余裕があった。

「……私、この旅が終わったら、姉様がどこかに行ってしまうような気がして。それが、たまらなく怖いんです」

 ベアトリスが何よりも嫌だったこと。それは、これ以上大切な人を失うことだった。

「大丈夫よ、私はどこにも行かないわ」
「……本当ですか?」
「ええ」

「本当の本当に……?」
「ええ」
「う、ぅ……姉様……」

 ベアトリスはルイズが強く、自分を抱きしめてくれたことを感じるとそれこそ(せき)()ったように泣いた。

「泣き虫さん……でも、大丈夫。私は、絶対にどこにも行かない。だから安心して、今は泣きなさい。私の可愛い、可愛い妹」

 ルイズのささやく声が、ベアトリスの耳朶(じだ)に響いた。そのまま、ベアトリスは涙を流し、いつしか疲れてまぶたも自然に下がっていった。



 妹の寝顔は、ルイズの眼には穏やかに映った。そっと、ベアトリスの頬に手をやると「ん……」と身じろぎをした。
 本当に気持よく寝ているようだ、と確認してルイズは安心した。同時に、ベアトリスに申し訳ないと思っていた。
 今まで、ベアトリスが今日のような思いを抱えてきていたことに気がついてあげられなかった。それが、姉として不徳の致すところだと恥じた。

「私のせいで……ごめんね」

 聞こえないと分かっていたが、ルイズは謝罪を口にした。
 サイトがいなくなったことが辛いのは自分だけではなかった。まして、ベアトリスはサイトを憎むべき対象に差し替えた組織にいる。だから、憤懣(ふんまん)たる心境だったのは間違いない、とルイズは思った。
 同時に、よくぞ耐えてくれたとの、安堵した面もあった。もしも、ベアトリスが感情を制御できなくなり、軍内で殺傷事件でも起こそうものならば、いかに祖国の英雄と言われども退役軍人のルイズでは、身内の拘束力の強い軍隊から彼女を救い出すことは不可能だ。
 だからこそ、この旅の新たな目的として、ベアトリスの心のわだかまりを無くすことも、ルイズの中に増やされた。
 決して嫌なことではなかった。そんなことよりも、大切な妹をずっと傷心のまま放置することの方が、ずっと嫌だった。

「ふぁ……」

 急に、ルイズにも眠気が襲ってきた。まだ旅が始まったばかりだから、疲労も蓄積していた。それに、ベアトリスの悲しみを受け入れるのに、精神力を使ったせいでもある。

「シエスタには、もう言ったし……」

 独り言をつぶやくと、ルイズはベアトリスのベッドに潜り込んだ。最初から、そのつもりで来ていたのだ。
 背中合わせに寝ようと、ルイズは軽く背を向けようとして、やめた。胸元に、妹の顔が埋められたからだ。

「可愛い寝顔」

 そう言うと、ベアトリスの頭の下に、そっと自分の手を潜り込ませた。いつしか、自分に対して、サイトがそうして落ち着かせてくれたように。
 すると、ベアトリスはいっそう相好(そうごう)を崩して、ルイズにしがみつくようになった。そこで、ルイズは気づいた。

「起こしてしまったかしら」
「……いいえ」

 ベアトリスはそれだけ言うと、また寝息を立て始めた。

「ふふ」

 ルイズはひとしきり笑うと、眼を閉じた。
 明日は、ついにサイトの足取がはっきりと分かる場所に行く。それまでに、しっかりと英気を養っておこう、と思った。
 最愛の妹と一緒に眠ること、それが今のルイズには最良の静養だったと言えた。




あとがき
 ヤマグチノボル氏の訃報を聞き、大変驚きました。私にとり、氏の作品はとても大好きなものでした。また、さきごろは氏に回復の兆しがあるとの報告があっただけに、何だか信じられない思いでもあります。この場にて、氏のご冥福をお祈りします。



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