Prologue



 古今東西の英雄は、その活躍を語り継がれて今も人気を博していることが多い。今時(こんじ)、トリステインとの大戦では初戦の劣勢を覆し、勝利へと導いたカナン将軍が英雄に当たるだろう。
 カナン将軍の偉大な功績は当然、語り継がれて然るべきものだ。彼の武勇は聞く者の胸を躍らせ、奮い立たせてくれる。
 しかし、ここで読者諸氏に考えてほしい。偉大な英雄が生まれる時、それはほぼ間違いなく国が未曾有の危機に迫った場合だ。それはたとえば国全体の飢饉(ききん)、政治的混乱、戦争など……
 今回の場合の危機とは隣国との戦争だ。敵は強力無比、ハルケギニア大陸最強のトリステイン軍だった。
 戦争に敗れた今、彼らトリステイン軍には昔日(せきじつ)の強さなどがないと言うのが専門家たちの共通認識だ。彼らは自らの魔法だけに溺れ、科学の力を軽視したがために国力を大きく落とすことになったのだ、と。
 まるで国のことに関心のない王、自らの私欲のために戦争を起こした臣、戦功をはやるあまり無謀な作戦を行なった将、最後まで国家の流す情報に騙され続けた民、これだけの条件がそろえば負けて当然だと、私も考える。

 読者諸氏は昨今のトリステインを知るに「すでに軍事においてトリステインは脅威ではない」とか「トリステインは滅亡するよりない」などと考えたのではないだろうか?
 慢心は必ず、自分を裏切る。勝って(かぶと)()を締めることが重要だ。彼の国を反面教師に私たちの国が本当に間違っていなかったのか、また自らの意思で内省(ないせい)することは必ずしなければならない。
 そして今こそ私は皆に思い出して欲しいのだ。かつての貧国であったガリア王国が豊かになったのは何故なのか、ということを。
 名君ジョゼフ一世のもと、我々は「負けるものか」との気概を持ち、下を向かず努力をすることによって貧国から脱することができたのだ。
 そしてついに我等は軍事大国トリステインを破り、新たな歴史を刻み始めた。新たな英雄として、我が国にはカナン将軍が生まれた。

 この時点で反省すべき所はない。そうかもしれない。だが、未だにトリステインは常備二十万にも及ぶ兵力を有している。斜陽にある彼の国であるが、こちらが油断をすればいつでも我々の喉笛を裂きにくることであろう。
 何よりも私は、彼の国にも敗北しながらも「英雄」にふさわしい活躍をした者がいたこを忘れられない。
 ガリア―トリステインの攻守が逆転した以降の戦闘においても無敗。清廉潔白(せいれんけっぱく)であり、高潔な志を持った士。
 その者の有する力は多くのガリア将兵も認め、畏怖した。あの英雄カナンですら彼に比肩する指揮官はいなかった、と後に語っている。
 だが、それだけでは我々は彼を英雄として見ることはなかったのではないだろうか。何より彼を英雄――いや「非業の英雄」として我々が認識するに至ったのは、彼の身に降り掛かった様々な悲劇を知ったからなのかもしれない。

 ゆえに私の頭の中にはどうしても彼の存在がある。その存在が忘れられない限り、私はトリステインを決して侮ることはできない。
 彼ほどの傑出した人物を生み出した彼の国の土壌にはまだ、気高き「騎士道」精神が残っているのだ。
 そして、今でこそ廃れたと言われる「騎士道」を再発見させた彼の功績は、何よりも大きなものだと私は断言する。
 墜落したはずの貴族の誇りがどうして彼の「騎士道」として蘇ったのか、もしくは育まれたのか。その点にこそ、大きな経済成長を続け浮かれている我々に教訓を与えてくれるのではないだろうか。


 ハンス・B・ウィリアムズ 『百合と魔術 トリステイン王国の騎士道』より 序文





T 五月二十四日 モンタルバンの夜は明ける




 規範というものは社会において重要である。人々に要らぬ軋轢(あつれき)を生まぬためにも、規範は守るべきものだ。
 ルイズはモンタルバンの街に入ってより、その規範がかけているように思えた。一見、ルイズたちが歩いている中央の通りは小奇麗にされていて、人もきちんとした身なりをしている。
 しかし、所々に映る路地の入り口などには客引きと思われる人間が立っていて、しかも路地のほうは衛生的にも問題があるように見受けられた。

「治安が悪いようです、この街は」

 ベアトリスが小さな声で、ルイズに注意を促した。

「そのようね。シエスタ、あまり私やベアトリスから離れ――」
「はいっ」

 シエスタは言うまでもなくルイズの手を握った。

「……別に、そこまでしなくてもいい」
「だって、離れないほうがいいんですよね?」
「まあ、ね」

 ベアトリスは二人のやり取りに苦笑しつつ、少しだけ前を歩くことにした。警戒を怠らず、有事に備えて胸に忍ばせてある短剣もいつでも出せるようにしておく。

「それにしても、どうしてこの街はこんなに空気が悪いんでしょう」

 シエスタが比較するのは、どうしても王都トリスタニアになる。確かに、王都の空気に比べればとてもではないがモンタルバンの街の空気は悪いと言わざるを得ない。

「大国ガリアとしても、目の届かないところはあるでしょう。まあ、これも社会勉強だと思いましょう」

 ルイズだってこの街に流れる空気は好ましくない。ただ、彼女からすれば戦場に流れる殺伐とした空気を浴びるよりは余程マシだった。

「えぇ!? こればっかりはあたし、早く宿に行きたいですよ」

 外出が好きなシエスタにしてはめずらしい発言だ。怖がる彼女にあえて無理強いする必要もないとルイズは判断した。

「そうね、じゃあ早く宿屋を探しましょう。ベアトリス」
「わかりました。ただ、宿ならば中心街にある大きめの建物にしましょう」

 ベアトリスは辺りを見回しながら、そう言った。彼女としては通りにある宿は危険が多いと判断してのことだ。

「少し、急ぎましょうか」

 ルイズはシエスタの手を強く握り返した。何か、嫌な予感がしたのだ。ルイズの言葉に呼応して、二人は歩調を早めた。



 できれば予感は外れてほしかった。しかし、ルイズの願いと裏腹に厄介な事態になった。ルイズ一行がモンタルバンの中心街に差し掛かってすぐのことだった。

「そこの三人、ちょっと待て!」

 街では見慣れない人物であろう三人を一人の憲兵(けんぺい)が呼び止めたのである。

「やはり見たことのない顔だな。貴様ら、一体どこからやって来た?」

 少々、まずいことになった。ルイズはそう思った。

「私たちはアルカニスの街からここに来ました」

 ベアトリスが対応して、身分証明証と通行証を見せた。

「むむ、確かにこの証明証は全て本物だ。しかし……」

 憲兵はそれを受け取り確認したが、どうにも納得はしていないようであった。

「やはり女三人だけで旅をしているなど怪しいな。最近はこの街もやたらに人が流入するせいか、風紀が乱れておってどうしようもない。お前たちもそのお(こぼ)れに与ろうとしている者たちではあるまいな?」

 憲兵はまさしく、三人のことを出稼ぎに来た娼婦(しょうふ)だと断じたのである。これにはすかさずベアトリスが反論した。

「いくら私たちが女だけで旅をしているからと言って、そのような決め付けはおかしくありませんか? こうやって証明証だって提示したのですから、私たちがもう拘束されるいわれはありません」
「き、貴様! 本官に向かってそのような口を聞いてよいと思っているのか!」

 まさか口答えするとは予想もしていなかったのだろう、憲兵は怒りをにじませた。

「ちょ、ちょっとベアトリスさん。まずくないですか……?」

 シエスタが後ろからベアトリスの袖を少し引いた。

「いいえ、何もまずいことはありません。私たちの潔白は証明されているのですから。私が何よりも許せないのは、この男が姉様のことを暗に愚弄したことです」

 ベアトリスは振り向きもせずにシエスタに答えた。そしてより強く、憲兵を(にら)みつけた。

「そ、その反抗的な態度! 貴様たち、やはり不当な目的でこの街に来たのだな!」
「断じてそのようなことは無いと言っているでしょう。さあ、はやく証明証を返してください。私たちは貴官に時間をくれてやるほど、暇ではないのです」

 さらに怒りを募らせる憲兵にベアトリスは一歩も引かなかった。さすがに大戦を生き残った軍人だ。しかし、この発言は火に油を注ぐようなものだった。

「ベアトリス、そこまでにしなさい。貴女らしくないわ」

 見かねてルイズもベアトリスに注意する。

「私は至っていつもの通りですよ、お姉様。悪いのは相手のほうです」

 さすがにルイズに(たしな)められて、ベアトリスも振り向いたものの、彼女を見て逆にルイズは驚いた。
 憲兵が怒っているのは火を見るより明らかであったが、まさか妹もその瞳に怒りの炎をもやしているとは思わなかった。
 だが、それ以上に憲兵の我慢が限界だった。三人に無視されていると思ったのか、顔を紅潮(こうちょう)させて叫んだ。

「ええい、あれやこれやと屁理屈をこねおって! 貴様ら全員逮捕だ! 詳しい事は詰所で徹底的に吐かせるからな!」

 売り言葉に買い言葉、ベアトリスはなおも憲兵に歯向かった。

「どうぞお好きに。ただし、私たちは何もやましいところはありません。私たちの潔白が証明されたならばその時、貴官には謝罪を要求しましょう。勿論、姉様を侮辱したことを、です」

 どっちにしても、ベアトリスの怒りは収まらない。ルイズを馬鹿にされてしまっては歯止めもきかない。
 ルイズはこの旅で初めて、先行きが怪しくなったと思った。睨み合う二人を見て軽くルイズはうなだれ、シエスタはそんなルイズの肩を優しく抱いた。




U 武装解除命令




「それで、これからどうするの?」

 憲兵に連れてこられた詰所の一室に座らされる中、ルイズにしては珍しくベアトリスを批難する口調だった。

「ご、ごめんなさいお姉様……私としたことが、冷静さを欠いていました」

 ベアトリスも先ほどまでの行いを恥じているのかうつむきがちで謝った。

「まあまあ、ベアトリスさんの気持ちを()んであげてください。ベアトリスさんは、ルイズさんを馬鹿にされたことが許せなかったんですから」

 シエスタがベアトリスを擁護する。

「はあ……あのね、憲兵の言葉には貴女たちも含まれていたのよ? なのに、私が含まれたことだけを問題にして短慮をおこすなんて、どうかしている」
「しかし姉様――」
「『しかし』じゃない」

 ルイズはピシャリとベアトリスの言葉を遮った。

「私だって、怒っているのよ、あの憲兵には。私の可愛い妹と、メイドを愚弄するなんて。だからこそ、もうそうやって自分たちをないがしろにするのはおやめなさい。私にとって、貴女たちは特別なのだから」

 ルイズの言葉に、思わずベアトリスは涙腺(るいせん)が緩んだ。それを見ないように、ルイズはベアトリスの頭を自分の胸に引き寄せた。

「あーあ、泣かせた。ルイズさんは天然の女たらしですね」

 シエスタが場を和ますために、わざとおどけたことを言った。

「貴女もこうしてほしいの?」
「いえ、私の場合は一緒のベッドで――」

 シエスタが全部言う前にルイズはスパーンとでこを打った。

「ちょ、酷くないですか!? ベアトリスさんとあまりに仕打ちが違います!」
「ふざけたことを言うからよ」

 ルイズは笑った。するとベアトリスもルイズから離れた。

「ふ、ふふ……お二人とも、こんなところでおふざけにならいでください」

 表情も明るく、もう涙はない。空気をかえることのできるシエスタはまさしく有能なメイドだ。

「そうね……ま、でもこれから本当にどうなるのかしら。証明証だって偽造ではないから捕まる可能性はない、として……できることなら早く開放されたいわ」

 程なく、先程三人に絡んできた憲兵がきた。しかし表情に落ち着きがなかった。理由はすぐに分かった。彼に続いて入って来た男が答えだ。後から来た男の階級は、襟元の章より明らかに憲兵よりも上であった。
 憲兵は男が注視する中、三人の前に来ると一度頭を下げた。

「……こちらの不手際で、不快な思いをさせた。謝罪する」

 謝意を告げるや、くるりと踵を返し、後ろの男に答礼するとさっと憲兵は部屋を出て行った。

「成る程、上役はしっかりしているのね」

 ルイズは男に聞こえない声で呟いた。憲兵の謝罪で隣のベアトリスも、多少は溜飲(りゅういん)を下げたようだ。
 すぐに男は近づいてくるとまずルイズを見、それからシエスタ、ベアトリスと視線を動かして直立不動になって敬礼をした。
 その敬礼の仕方は見慣れたトリステイン軍人のものであった。

「部下の失態もそうなのですが、貴方たちにお話したいことがございます。つきましては私の部屋までご同行願えますでしょうか」

 男はそう言った。



 男はアンドレ・フリーバリと名乗った。彼はガリア軍人であり、このモンタルバンの街では、詰所の周囲を取り締まる憲兵隊の長をしているとのことだった。
 詰所にある彼の執務室に三人は通されると、すぐに珈琲が出された。見た目はそれほど濃くはない。目の前に座るアンドレはそのまま珈琲を飲んだが、ルイズらは砂糖とミルクを入れた。
 一息ついたところで、アンドレは話を切り出した。

「最初にまず、謝罪をさせてください。私の部下が貴女たちに不快な思いをさせてしまいました。申し訳ございませんでした」

 アンドレは深々と頭を下げた。彼は憲兵と違い、とても礼節を分けまえた人物だと三者は思った。

「お気になさらないで。職務上、仕方のないことですよ」

 ルイズはいつもの口調とは違う、フランクな口調で言った。

「痛み入ります……」

 アンドレは頭をあげた。そこで彼は一瞬ルイズの顔を見て「はて?」という顔をしたが、すぐ元に戻った。それより部下の非礼を詫びることのほうが大切だからだ。

「重ねて、謝罪申し上げます。それと、こちらとしては一応貴女たちに質問しなければなりません」
「ええ、私たちに答えられることならば、何でも」

 ルイズは快諾した。

「ありがとうございます。では単刀直入に。そこにいらっしゃるお方は、トリステイン軍人でありますね? 階級も上位であるとお見受けします」

 ルイズはさしも驚くことなく、ベアトリスに会話を促した。ベアトリスは首肯(しゅこう)し、話を継ぐ。

「確かに、私はトリステイン王国軍に所属する者です」
「身分証明証の出身にクルデンホルフ領出身と明記されておりましたのでもしやと思っていましたが、やはりそうでしたか。かの地方は多数の軍人が輩出される地域ですからね、貴女の身のこなしも軍人然としていましたからもしやと思っていたのです。それでは貴女の階級をお教え願えますか」
「トリステイン軍所属、ベアトリス・カルデン少佐。これでよろしいでしょうか」
「貴女の年齢で少佐。これは失礼な振る舞いを……」

 アンドレはベアトリスの階級の高さに驚いたようだ。と言っても、彼自身まだ若いと言える部類ではある。

「気にしないでください。それよりこちらからも質問があります。貴方は一体何者なのですか? 敬礼の仕方といい、クルデンホルフ領のことを知っているといい、とても一介のガリア軍人であるとは考えられません」

 トリステインの地域のことを知っているガリア人は少ない。と言うのも、トリステインは多数の貴族によって領地が分割され、覚えにくいからだ。

「ああ、そうですね。確かに私は貴女のおっしゃる通りの存在です。だからこそ、私は貴女たちにお話を通すべきなのではないかと思いまして。その、カルデン少佐」
「堅苦しい言葉は抜きに。ベアトリスで結構です」
「では……ベアトリス殿、他のお二人は貴女のお連れの方でよろしいですか」
「その認識で構いません。この方は私の義姉ルイズ・ド・ジャルジェ、そして姉様のメイドであるシエスタ・サザーランドさん」

 ベアトリスは簡単に二人の説明をした。名前がそのままではあるが、ルイズの場合は本名を隠しているので問題ない(その点だけでいえば、あの身分証明証は偽造であるが、あまりにルイズの身分が高位であるため秘匿やむなしとなっている。ベアトリスも同じ理由)。
 しかし、アンドレは再度驚くことになった。

「は、はぁ……只者ではないと思っていましたが、貴族の方であらせられましたか……」

 アンドレはルイズを見て目を丸くしたようだ。ルイズが「貧乏貴族ですよ」と言うと、彼は素に戻った。

「ともすれば貴女たちは何か重要な任を負っているのでしょうか? ベアトリス殿やその姉上、お付きの方がこのガリアを旅なされている理由をお聞きしても?」

 ベアトリスはルイズを見て、彼女が頷いたのを確認した。

「私たち、と言いましょうか。姉様が実は軍の戦史編纂部(せんしへんさんぶ)に所属しておりまして。この街に来たのはもちろん、トリステインの軍隊が街に駐留したという事実をもとに訪れたのです」

 アンドレの素性がわからない以上、今は事前に作っておいた表向きの目的を言うまでだった。

「そうですか、戦史の編纂。では私の話にも興味を持っていただけるかもしれません」

 アンドレは戦史編纂で納得したようだ。それにしても、彼は一体何者なのか。その答えは彼自身が答えることになった。

「私はもともと、この国の出身ではありません。それはもう皆さんにもお分かりでしょう。私の故郷はこの街よりも遥か北、トリステイン王国の騎馬民族が住まう地です」

 アンドレの一言で合点がいく。トリステインの人間を前にして、驚くこともないはずだ。しかし、気になることもあった。

「貴方がトリステイン出身だとして……貴方が私を前にしてトリステイン軍式の敬礼をしたのは」
「それは私がかつて、ベアトリス殿と同じトリステイン軍人であったからです。元トリステイン王立陸軍、北部軍管区選抜独立軍団、第一歩兵連隊に所属していました、アンドレ・フリーバリ准尉であります」

 アンドレはよどみなく、もともと自分が所属していた部隊名を述べた。三人は驚いた。彼の言うことが正しいのならば、ルイズたちにとっては計り知れない恩恵をもたらすかもしれない。
 トリステイン軍が選抜軍団を編成したのは戦争末期のただ一度、しかもその軍団の長に任命されたのが――

「サイト・ヒラガの率いた軍」

 無意識に、ルイズはサイトの名を出していた。アンドレはルイズがサイトの名を出したことがいたく嬉しかったようだ。

「そう、あの軍団に私は所属していました。戦史編纂をなされる上で、どうしても総隊長のことは外せないでしょう?」

 嬉しそうな表情で彼は語る。

「私の所属する部隊はこのモンタルバンの街に駐留していました。その時の私は一介の小隊長に過ぎませんでしたが」

 アンドレは襟元の階級章を恥ずかしそうに触った。彼が身につけている階級章はガリア軍大尉を表している。

「身の上話で恐縮ですが、私は最初トリステインが敗北したことが信じられなかった……今まで戦ってきたのは、全てはトリステイン勝利の、もっと言えば私たちの故郷(ふるさと)を守るため、豊かにするためなのだとの思いがあってこそ。『(ひら)大沃野(だいよくや)、これが王国の生命線だ』とよく街中でも叫ばれていたように思います。だから、何も得ることのなかったあの戦争に、何の意味があったのだろうかと」
「トリステインが敗北したと決め付けるのはいかがなものでしょうか? トリステインとガリアは講話によって戦争を終結させたのですから」

 反論したのはベアトリスだった。彼女は両国間の最終決戦の部隊で戦った。それだけにトリステインがそう簡単に敗北したものと決めつけられるのには抵抗があった。

「いえ、敗北です。それは貴女たちトリステインに住まう人々が何よりも知っていることなのではないですか?」

 ベアトリスだって頭ではトリステインが事実上の敗北をしたことくらいわかっている。なお納得が出来ずに口を開こうとするところをルイズに制された。

「確かに、私たちだってトリステインが勝てなかったことは理解しています。でもそれを認めてしまったら今日日(きょうび)、トリステインでは暴動が起こること間違いなしですから」

 ルイズが言ったこと、それも間違いではなかった。トリステイン国民が事実を受け入れることができているなら、何でサイトが『国家の反逆者』となろうものか。
 誰もが多くの家族を、同胞を失った。誰もが悲しみに包まれたのだ。戦争によってあげた華々しい戦果もあった。だが、その勲の蔭には常に誰かの死がつきまとい、熱に浮かされた民も現実に打ちのめされた。それに輪をかけて事実上の敗戦を受け入れたなどと国民に告げれば、トリステイン王家は妥当され、内戦へと突入していただろう。

「もしや、未だにトリステインでは情報統制がなされているのですか?」

 アンドレの問にルイズは頷いて答えた。

「そうですか……それでは一体、我々のことはどのように伝えられているのです? いや、我々などよりも気になるのは総隊長のことです。総隊長は一体?」
「貴官を含む独立部隊とその総隊長、サイト・ヒラガ中将はもはやトリステイン国内に存在しません。トリステイン王国を滅亡の一歩手前まで追い込んだ大罪人、サイト・ヒラガならばおりますが」

 説明しながらルイズの胸は張り裂けそうであった。だが、局地的な衝撃ではアンドレのほうが大きかった。彼の顔はまるで自分の身に降りかかった災厄を呪うかのような面持ちであった。

「何故、総隊長が反逆者になるのです? 生命を賭して、祖国のために戦った総隊長が反逆者だと言うならば、私など売国奴以外の何者でもない」
「かの戦争の責任の在り処は既に清算し終えました。国家に仇なした内務卿マザリーニ以下数十名の宮廷の者が処刑、乃至(ないし)身分を剥奪した上での公職追放になりましたから」
「それは、大臣らの話でしょう? 肝心の軍部はどうなのです? 彼ら中枢にすら、責任はあるでしょう」

 アンドレの眼には(すが)るような気持ちがあった。だが今、ここにいる誰もが彼の気持ちに答えることはできない。いや、ルイズたちではなく、他の誰でも。

「……確かに、軍令部スタッフ含めトリステイン軍人の訴追も免れませんでした。彼らは自分たちの保身のためにポワチエ大将他、前線指揮官の大多数を予備役に追いやり、貴方の指揮官、サイト・ヒラガも同じく戦犯としてその役職を全て取り上げられました。ただ一つ、誤算があったとするならばその後に保身を図った軍令部のスタッフも皆、予備役に編入させられたことでしょう」

 戦争の要因には当然、軍令部の作戦指揮能力、遂行能力様々な点が問題視された。近衛軍の刷新に伴い人事整理を行う任についたアニエス中将は、腐りきった軍令部にもメスを入れたのである。

「そうですか……総隊長はもう、トリステインの軍人ですらなくなられたのですね……あの方ほど、誰よりもトリステイン王国の安寧を願い、戦った人はいないでしょうに」

 アンドレは肩を落とした。彼にとって、いや彼に限らず選抜部隊の兵員は皆、総隊長であるサイトを慕っていた。それだけに彼の本国での処遇には忸怩(じくじ)たる思いがあった。

「立派な軍人であった、と私は思います」

 落胆するアンドレを気遣うように、ルイズはサイトを讃えた。しかしそれも、付け焼刃的なものだ。
 だからルイズは思い切って、違う方向に話を持っていくことにした。

「私たちはまだ旅を初めて間もないですが、どうにもこの国ではトリステイン軍を憎めども、サイト・ヒラガ本人を憎む者は少ないように思いまして。前に訪れた街では明らかに、サイト・ヒラガを題材にした演劇までひらかれていた。彼が占領した都市の一つで、です」

 それは勿論、アルカニスの街でのことであった。しかしアンドレは、そのことには特に驚く風でもなかった。

「それも総隊長の統治方式のお陰です。もっとも、総隊長が信任された部隊員たちの規律によって統制された行動によるものもありましたが。先ほどの話を蒸し返す失礼をお許し頂きたい。しかし、貴女たちが勾留(こうりゅう)されたことは、すなわちこの街の治安がまだ回復していない証拠でもあるのです。何より、我々が来た時この街の治安はもっと酷かった」

 アンドレは当時の状況を掻い摘んで説明した。麻薬の密売、武器の密輸云々……それだけのことが起きていれば、街は荒廃し、人の心もボロボロになる。

「決して我々の行いが正しいとされるわけではないですよ。当然、この街を占領した意味だって、一介の准尉であった私にも理解はできます」

 アンドレは前置きをした。軍隊は慈善団体ではない。第一義に国民国家の財産を守るべきものなのだ。サイトはトリステインの國體護持のために四つの都市を占領した。全ては停戦交渉を有利にすすめるため。

「しかし、総隊長はトリステインを守るだけではなかった。総隊長は占領地域の治安維持を考え、多くの兵を残していったのですから」

 サイトが占領した街は四つ。一箇所に二千名、合計八千名の兵員を残していったのである。

「つまり兄……サイト・ヒラガ中将が部隊を多く残した理由はいらぬ混乱を街に、市民に残さぬためにと」

 ベアトリスはアンドレの話で納得した。そもそも、ベアトリスはガリア首都を前に兵力を割き続けた兄の行動が不可解に思えた。しかし当事者に聞いてみればその地に住む人々のためというのは、なんとも彼らしいと。
 ルイズは薄々、サイトが兵を街に残した理由に当たりをつけていた。それはまさしく彼女が愛するサイト・ヒラガという男の行動だった。

「全くもって、総隊長のお人柄の良さと言ったら。このガリアでも有名ですからね。残念ながらトリステインではもう総隊長のことが語られることはないのでしょうが……」
「ちょっと質問をいいですか?」

 出し抜けにシエスタが声をあげた。

「私に答えられることでしたら何でも」

 アンドレは当然、快く引き受けてくれた。

「ありがとうございます。じゃあ単刀直入に聞きますけど、アンドレさんはサイト中将が戦死なされたと思いますか?」

 さらりとシエスタはとんでもないことを聞いた。ルイズとベアトリスは目を丸くしてシエスタを見ていた。アンドレも少々、驚いた様子であった。
 この質問はアンドレがサイトの指揮する部隊の兵員だったとわかった時から聞こうと思っていたことだった。こういった時、シエスタの度胸は遥かに主を越える。

「それは、どのような意味で?」

 アンドレは神妙な顔つきでシエスタに聞き直した。逆にシエスタは普段通りの物腰だ。

「聞き方が悪かったですね。アンドレさんは中将が生きているのでは、と思ったことはございませんか。どうにもおとぎ話のようなことですけど」

 この旅の確信とも言えることであった。しかし、どうにも答えを考えあぐねているアンドレを見て、ついにシエスタの勇気にほだされルイズも自分の思いを告げることにした。

「ほんの、些細なことでも構いません。あいつが……サイト・ヒラガが生きている可能性はないのでしょうか? 私はどうにも彼がただ為す術もなく死んだとは考えられない」

 ルイズ今日一番の真剣な顔であった。アンドレもついに何かを悟ったような顔つきになった。

「正直なところ、私はもう総隊長が生きているとは思えません。それはガリア国民の大多数が考えていることと一致しているはずです」
「そう、ですか……」

 ルイズは急に身体から力が抜けるのがわかった。縋るような可能性で旅に出た。それに、どんな結果になっても大丈夫だと思っていた。しかし実際に、サイトのもと戦った人間から望みがないだろうと言われて、落胆するのは無理もない。
 シエスタはわずかにルイズに寄り添い、彼女の身体を支えた。こういう時の配慮も決して忘れない、彼女がいてくれて本当にルイズは助かっている。
 アンドレはルイズが落ち着いたのを見て、言葉を続けた。

「ですが、それはあくまで推察です。本当のところ、総隊長と共に戦った兵はほぼ全員戦死したので、当時の状況がわからないと言うのが正確なところです。ガリア王国も、終戦間際に王都周辺で起きた戦闘については徹底した緘口令(かんこうれい)を敷いているので事実は末端の私にわかることはありません。ですから――」

 アンドレは一呼吸おいた。

「ですから貴女たちは王都を目指す前に一度、ヴァレンナへと立ち寄るべきです。あの街にはモンタルバンとは比べものにならない程、トリステインの兵士が残っています。それに、もしかしたらもっと有益な情報を得られるかもしれない」
「根拠はあるのですか?」

 ベアトリスが聞いた。確かにサイトの報告書が途絶えた地点がヴァレンナだけに、重要であることはわかっている。しかし、アルカニス、モンタルバンとそこまで良い情報が入ったとは言い難かった。

「ヴァレンナに駐留した部隊だけが唯一、武装解除命令を受諾した時に帯剣を許されました。それが根拠です」

 それは根拠としてはあまりに薄いものであった。しかし、ルイズたちはその根拠に心当たりがあった。

「帯剣……そうか、サイトも同じことを、ガリア軍に許したことがあったわ」

 ルイズは、そこに一筋の光明を見出した。シエスタもベアトリスも同様に気がついた。アンドレはそんな三人を見て、これで私からの話は全て終えた、と言い、三人を見送った。



 詰所を後にした三人の背はどこか和やかであった。もう夕方で、宿すらまだ取っていないにも関わらず。

「人生、何が起こるか予測できないものですね!」

 シエスタが嬉々と語る。彼女はもう、詰所に連れていかれたことをかけらも気にしていなかった。

「そうね。案外、物事はうまくいかないほうがいいのかもしれない」

 ルイズはシエスタに同意しつつ、やはりまだ憲兵に食って掛かったことを気にしていたベアトリスの頭を撫でた。

「ちょっと姉様、私もう子供じゃないんですから」

 そう言いつつも、ベアトリスも次第に笑顔になった。彼女も結果として、サイトに関しての情報を得られたことには満足していた。

「ふふ。何はともあれ、善は急げよ。今日はここに(とど)まるけど明日、即出発よ」

 ルイズは景気よくそう言ったが、そうはさせまいとシエスタが口を挟む。

「それは駄目ですよ、ルイズさん」
「どうして?」
拙速(せっそく)(たっと)ぶあまり、ルイズさんの健康が害されては意味がありません。この街はともかく、次の場所では最低三日、お休みしてもらいますからね」

 そんな暇が、と言いかけてルイズはやめた。どうせシエスタと口げんかしたって、負けるとわかっているからだ。
 それに、部隊が駐留しているとなれば、ほんの二三日のズレくらいでどこかに行ってしまうということも早々ないだろう。サイトへの手がかりを掴みつつあるルイズには自然と、余裕が生まれていた。

「分かったわ。でも本当にこの街は一日だけでごめんだわ。もう憲兵に捕まるのは懲り懲りだしね」

 いたずらっぽくルイズは言った。ベアトリスの頭をこれでもかというくらいワシワシとした。

「姉様、それは言わないでくださいよ」

 ベアトリスはもう勘弁して、と哀願の眼差しであった。しかし、今日のところはベアトリスを少し、可愛がってあげることに決めたルイズであった。
 夕日によって作られた人影は、仲良く三つくっついていた。




Epilogue 『才』の旗の下




 アンドレは詰所から三人が見えなくなるまでずっと見送った。それから詰所内に戻ると、すぐにルイズを勾留した憲兵が寄ってきた。

「隊長、本当によろしかったのでしょうか」
「何がかね。彼女たちの身の潔白は紛れもない事実であっただろう」
「ですが、奴らはトリステイン人ですよ? つい最近まで敵国人だった者をみすみす――」
「それを言うならば、私もそうであるが?」

 アンドレは憲兵の言葉を遮った。

「それは……隊長はもともとトリステイン人じゃないとおっしゃっていたじゃないですか!」

 この憲兵を含め、詰所に勤める者は全てアンドレの出自を知っていた。彼がトリステインでも最下層民として見下されてきた北の民だということを。

「そうだな、確かに俺だって昔は憎かったさ」

 いつもの上官としてではなく、一人の人間としてアンドレは口を開いた。多くの北の民は、未だにトリステインに併合させられたことに恨み節を抱いている。それはアンドレだって同じだった。

「だったら、何故!」

 憲兵は詰め寄った。彼はかつて戦争で、弟を失っていた。彼に限らず、トリステイン兵によって家族を殺された者は皆、トリステインのことを憎んでいるのだ。だから彼は旅券を見たところで、ルイズたちを連行することに決めていた。
 しかしアンドレはまったく動じない。それどころか、懐から煙草を取り出し、火をつけた。一息吸ってから、憲兵に向き直った。

「それはな、俺たちが忠誠を誓っているのはトリステインではなく、ただ一人の人間だからだよ。そして彼女たちは、その人の大切な人たちだからだ」

 それは暗に、ルイズたち以外のトリステイン人なら釈放しなかったという意味に取れたし、アンドレもそのつもりで言っていた。

「お前たちに言ったよな、俺たちはいうなればトリステイン軍じゃない。俺たちが崇拝するサイト総隊長の下結成された『才家軍(さいかぐん)』の兵だ。俺たちが戦ったのは何も國體護持だの、大層なものじゃない。ただ同胞のため、家族のために戦った。もっと言うなら、俺たちはサイト総隊長のために戦ったんだ」

 アンドレを含めた北の民の兵は皆、サイトのことを敬愛していた。だけに、彼らはサイトを死なせてはならない、汚点をつけてはいけないと必死になって戦った。その思いは今も変わらず、もしサイトが生きているとなれば、今すぐにでもガリアを裏切ることができた。
 そうさせないのはすべて、サイトの高邁(こうまい)な理想を彼らが汲んだからであり、またトリステインに対する不審があったからでもあった。

「だからこの件はもうお終いだ。わかったならさっさと仕事に戻れ」
「はっ……」

 まだ納得はしていないようではあったが、あの三人だけは特別だったのだと憲兵は思い直し、持ち場へと去っていった。
 アンドレは紫煙を燻らせながら、あの日、才家軍の旗揚げを思い出した。

「格好良かったよな、総隊長は」

 アンドレは鮮明に、サイトの演説を思い出せた。彼の言った一言一言を漏らさず口にすることができる。
 サイトが『この旗は決して倒れることはない』と掲げた『才』の旗。今、かの軍旗はガリア軍元トリステイン兵部隊の旗印として継承されている。あの旗を見る度、アンドレはふらりとサイトが現れたりするのではないかと、ふと考えることがある。
 ルイズに言った『可能性はない』というのは、彼のどこか屈折した心が嘘をついたのである。

 一本目の煙草を吸い終え、二本目に火をつけた時、アンドレはルイズらのことを思い出した。
 最初は記憶があいまいで、わからなかったがすぐに彼女が誰であるのか思い出した。
 長い桃色金髪。鳶色の瞳。真っ直ぐな眼差し。その特徴はまさしくサイトの主、ヴァリエール公爵家の令嬢ルイズであると。

「人生何があるかわからんものだ」

 まさしく侯爵家令嬢など、雲の上の存在。アンドレが一生話すこともないはずの人間だ。しかもそんな彼女がたった一人、生存など限りなくゼロに近い男を探すというのだ。
 つくづく、何があるのかわからないとアンドレは笑った。ひとしきり笑うと、アンドレはまだ吸いかけの煙草を携帯灰皿にグリグリと押し付け消した。

「さて、と。俺も仕事に戻るか」

 アンドレはそう言いつつ、もう一度だけ外に出た。そしてルイズたちが去った方を向き「幸運を」と一言つぶやき、今度こそ詰所の奥へと消えていった。




あとがき
これからお話は中盤、そして後半へと差し掛かっていきます。
具体的な進捗状況としては、ここまででお話は丁度折り返し地点を迎えたというところです。
私としてはここで是非、皆さんのご意見ご感想を頂き、今後の方針等に役立てていきたいと愚考する次第であります。
閑話休題としまして、ようやく最近は本文から某海洋冒険小説のクセが抜けたのかな、と。
異例の成功と魅惑的な姿を(誰かしらに)取り入れてみたかったのですが、やはり難しくて駄目でした。
ただ、結果としてはそれで良かったのかもしれません。



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