あの人がくれた物なんて、なんの意味もなかった。



あの人が残した物も、なんの価値もなかった。







だって、あの人がくれた物は、あの人が居なくては意味を成さないのだから。



あの人が残した物なんて、あの人がいてくれる事に比べれば、一の価値すらもないのだから。



























機動戦艦ナデシコ

〜日常、或いはそれさえも平穏な日々〜























―――夢を見た。






それは過去の夢、悪夢のような、現実。

私はあの人を愛していた、でもそれは届かない想い、秘めるべき想い。

ただそばに居られるだけでいい、秘めてさえおけば・・・まだ家族でいられる。

そうまで思うほどにあの人を失いたくないと願った。


―――私の大切な場所、大切な人達、・・・大切な、人


空に赤い華が咲いて、世界が白と黒に変わる。

落ちていくシャトル、遠くで聞こえる誰かの悲鳴。

頭に何も浮かばない、私はただ、落ちていくシャトルを見ていた。


―――何故、と聞こえた。


他でもない、自分の口から出た言葉。


―――何故、こんなにも残酷なのか、と


なんて、残酷な事をするのだろう、

失うのならば、最初からなければ苦しくないのに、

感情なんてなければ・・・私が機械のままだったら、苦しくなんてないのに。


―――何故、こんなにも残酷な事を、あの人は私にしたのか、と





















弾かれるように瞼を開く。


見覚えのある天井―――自分の部屋だ。



時計を見れば、普段より少しばかり早い時間。

窓の外を見れば、まだ薄暗い空が見える。





私はのそのそと布団から這い出て、部屋を出る。

ドアを開けて正面、いつものようにすぐ目の前の部屋の前に立つ。

ドアにかけようとする手が微かに震えていた、それもいつもの事。

ドアを静かに開ける、音を立てないように注意して。





そこは簡素な部屋だと思った、もっとも自分も言えた事ではないが。

部屋にはほとんど家具が無い、備え付けの机と簡易な洋服ダンス、そして窓際にベッドが1つあるだけ。


そのベットの上に眠る人物を見て、私はようやく安心して表情を緩めて、小さくその名を呼ぶ。


「・・・アキトさん・・・」






―――いま、自分は幸せの中にいる。



でも、この幸せが確かな物だと、どうしても信じきれない。

あの悪夢のような日の光景を、いまでも夢に見る、焼きついて消えてくれない。

だからこうして毎日確かめる、幸せは此処にある、決して夢なんかではない、と。



本当はこのまま起こしてしまわないように静かに、傍らでその寝顔を見ていたい。

でも、まずやらなければ行けない事がある、それをしてからでないといけないのだ。



物音を立てないように静かに部屋を出ると、自室から上着を1枚取って羽織り、玄関を出た。



テンノ アキト・ホシカワ ルリと書かれた表札、その隣にあるポストを開ける。

中には新聞といくつかの広告、それに紛れて1枚の手紙が入っていた。


ルリはため息を一つ付くと、それを手に取った。


見なくてもわかる、それはかつての職場、ナデシコBのクルー達からの手紙。

内容はいつも同じ、他愛無い内容と、軍へ戻るように促す内容。





半年ほど前、クルー達にすら理由を言わずに突如軍を辞めたルリ。

でもそこはナデシコBのクルー、ルリの都合をなんとなく察していたサブロウタにより

なんとなく、で納得させられてしまった。(ただし、ハーリー等一部のルリ信奉者達は納得させきれなかったが)



しかし、突如軍を辞めたとはいえ、クルー達にとってルリはかけがえの無い仲間である。

こうしてたまにルリの元へクルー達から手紙が届く事が、クルー達からの人徳の高さを表していた。



と、ここまでは美談である。



そこまでクルー達に慕われる名艦長、しかしそのルリが軍に残した功績もまた、絶大な物であった。


かつて軍最強と言われたナデシコBも、ルリが抜けた事により最近はすっかり落ち目になったこともあり。

クルー達の出した手紙は、ルリをなんとか呼び戻したい上層部の手によって巧妙に書き換えられ、

半分はそのまま、半分は戻ってくる事を促すような文に書き換えられて届けられていた。





手に取った手紙、それに目を通す事もなく、ルリはビリビリと手紙を破り始めた。

たまに送られてくるかつての仲間からの手紙、ルリはそれを全て読まずに破り捨てる。

自分を慕うかつての仲間からの手紙、それはルリにとって

『わずらわしいもの』でしかない。

ルリにとってこの手紙は、彼のそばに居られる事に憂いをもたらす物でしかない。








最初の1度だけ目を通したクルーからの手紙、そこに書かれた自分に軍に戻るように促す文章。

それが上層部の手によるものだという事も、ルリは知っていた。

だけど、ルリにとってこの手紙はいらない物、手に入れた幸せを壊してしまうかもしれない物。














―――全ては過去に捨て去った物。

私にとって大切なものは、あの人と過ごした記憶と、あの人と過ごす現在だけ。






ナデシコB、それはあの人を失った私の・・・私という存在を保つための、仮初の居場所。

でも、もうそんな物はいらない。

私は本当の居場所を手に入れた、ユリカさんが居たときのように遠慮する必要もない。

だってあの人は何もかも忘れてくれたのだから。

だから私も全てを捨ててきた、もう邪魔者は居ない、誰にも邪魔はさせない。






ようやく手に入れた幸せ、ようやく手に入れたチャンスを、『テンカワアキト』を


この手から放すのだけは、絶対に嫌だ。


私の全てをあの人に捧げて、それであの人だけがそばに居てくれるなら、私はそれだけでいい。


他の全てを捨ててでも、あの人だけが残れば、私はそれでいい。


この幸せを邪魔するモノがあれば、どんな事をしてでも排除しよう。





愛している


愛している


愛している




世界の誰よりも必要で。


世界の何よりも尊くて。


世界の全てよりも大切な、私にとって唯一の人。




―――この思いをなんと言おうか。


恋―――というには、あまりに重過ぎる。

愛―――というには、あまりに黒く暗い想い。


執念、妄執・・・そんな言葉では足りない。





―――例えるなら、狂気。




狂気に至る愛・・・そう、この想いは『狂愛』







だから、軍であろうと昔の仲間であろうと、彼と共にある生活に『過去』を持ち込まれては迷惑なのだ。

だから彼が気づく前に全て消し去る、最初から何も無かったように。


これを終えたら私はいつもの様に朝食の準備をする。

そして、起きてきた彼に微笑んで、いつものように―――











まだ日も昇り切っていないような早朝、玄関先で毎朝手紙を破り捨てる少女。

その姿を毎朝見つめる視線があった。

他でもない、少女の住む家の2階に寝ていたはずのアキトという青年の物。




先ほど少女が来た時、ほんの微かな床の軋む音で目が覚めてしまったのだ。

彼女は部屋の中までは入ってこないから、そうやって毎日寝たふりをする事にした。

静かに入って来るという事は、俺を起こさないようにしているという事。

何故毎朝こんな事をしているのか、何故隠そうとしているのか。








何か、大切なことを忘れているような気がする。

でも思い出すことは出来ない。

それは辛いことなのだろうか、それとも楽しいことなのか、

それすらも曖昧で、思い出そうとするたびに頭に霧がかかってしまう。

ただそんな考えすら、彼女の顔を見るたびにどこかへ追いやられる。

彼女の事を少しでも考えるだけで、次の瞬間にはその事を忘れている。

大切な事だとわかっていて、無意識に思い出す事を拒否しているような違和感。

だから俺にはそれが、ただ『思い出せないのか』それとも『思い出さない』のか、それすらもわからない。

何故ならこの思考すら、彼女の顔を見ればきっと、頭から消えさってしまうのだろうから。


なら何も気にしなければいい、彼女は思い出さない事を望んでいるのだ。

だから何も聞かず、何も見なかった事にする。





これが終わったら彼女は朝食の準備をする。

だから俺は朝食が出来上がる頃に階段を降り。

そして、朝食を作っている彼女に微笑んで、いつものように―――




「おはようルリちゃん」

「おはようございます、アキトさん」




それが、自分と彼女の、当たり前の日常。













タイトロープのように不安定な幸せを過ごす2人。

それでも、幸せという言葉に縁遠い2人には、試練が訪れる運命。










「ホシノルリにテンカワアキトだな、一緒に来てもらう」



夏も近くなったある日、衣替えの服を買いに街へ出た帰りの事。




―――テンカワアキト―――ホシノルリ―――




その名―――そして向けられた銃口。

次の瞬間。

心臓から大きく高鳴るほどに跳ね上がる音が全身にまで響き渡った。







倒さないと、いけない・・・敵を、やつらを・・・じゃないと、守れない、負けたら、守れない、だから敵を・・・






―――殺さなければ―――


















「アキトさん!!」





「っ・・・!?」




「もう、これ以上は・・・死んでしまいます・・・っ」



「えっ・・・?」



気がつけば、ルリが必死で腕にしがみついていた、周りには血まみれで倒れる男達、

そしてルリが止めようとしていた俺の手の先には

顔の判別が出来ないほどなので確証はないが、最初に話しかけてきた男らしき人物がいた。

男は痙攣している事で、ようやく生きているのを確認できる、恐らく障害が残るであろうほどの大怪我を負っていた。




「・・・これ、は・・・」



確認しなくても理解はしていた。

感覚が覚えている―――骨を砕き、肉を裂く感触を。



それでもその事実を信じたくなくて、ルリに問いかける。

自分の感覚は信じられなくても、ルリの言葉ならば、信じられるはず。

否定して欲しい、そう必死に願いながら。



「俺・・・が・・・?俺がやった・・・のか・・・?」




――――――



口に出した瞬間全身が総毛だった。

全身が小刻みに震え、周りの血が自分に迫ってくるような幻覚を見る。

理由のわからない恐怖心が頭を満たし、激しい頭痛となって脳を沸騰させる。



「あ・・・ああっ・・・うあああああああっっ!!」



(怖い!!・・・ああ、なんだよこれ・・・夢・・・現実・・・?)



カチカチと歯がぶつかり合う音が聞こえる、全てを否定するように目をきつく閉じた。



(誰か・・・!!誰か助けてくれ!!誰か・・・ルリちゃん・・・っ!!)



世界が反転したような恐怖の中で、いつもそばで微笑んでくれた少女に縋った。


ずっとそばに居てくれた少女、自分を愛してると言ってくれた少女、それは、自分が守りたいと思ったはずの人。




(そう・・・だ・・・!!ルリちゃん!!ルリちゃんは!?無事なのか!!?)



そう思った瞬間、身体の震えがピタリと止まり、視界はクリアになり、周囲の血が動きを止めた。


そしてようやく、痛いほどにきつく腕にしがみついていた、その存在を思い出す事が出来た。



「ルリちゃん!!怪我は!?どこも怪我して・・・っっ!!!!」




「もう・・・大丈夫ですから・・・っ」


「あ・・・」





「帰りましょう・・・アキトさん・・・私達の家に・・・」



包み込まれた彼女の身体は、何故か懐かしいと思った。



―――いつだったか、どこかで、こんなことがあったような―――




右手に、彼女の右手が重なる。

そして熱い衝撃が右手から全身に一瞬だけ走り、同時に意識が霧に包まれるように薄れてゆく。




――――帰りましょうアキトさん。私達の、私達だけの、世界に――――




最後、意識が消える瞬間に、そんな言葉を聞いた気がした・・・。

























「もうここには来るなと言っただろ・・・ルリちゃん」

「はい、ですから今回で最後です、ここに来るのはこれで最後にします」

「・・・そうか」



「貴方は、自分を許すつもりはないんですね」

「・・・そうだ、俺は俺自身が許せない」

「何故ですか?」

「何故?奪い、守るために奪いつくしてきた、俺が俺を許せばその行為を容認する事になる、それだけは出来ない」


「死んだ人に想いなどありません、貴方が貴方を許しさえすれば罪も罰も全て無くなるんですよ」

「馬鹿な、そんなこと・・・っ!?」

「ええ、認めませんよね、だから・・・忘れてもらいます、罪も罰も全て」

「ぐっ・・・!?」


「貴方の罪は私が代わりにずっと覚えています・・・だからもう、貴方は休んでください」

「・・・っ・・・なに、を・・・ルリ・・・ちゃ・・・」


「帰りましょう・・・アキトさん・・・私達の家に・・・」






















ミシリ―――と、床の軋む微かな音に目を覚ました。


目を開くと、視界が滲んでいるのがわかる、寝ながら涙を流していたのだろうか。




でも何か―――大切な夢を見たような気がした。


きっとそれは酷く悲しい夢。

目の前の誰かが酷く悲しそうにしていて。

それを見ているだけの自分もまた、空虚であり、とても物悲しい夢だった。



カチャリ―――と、ドアノブを回す音、すぐさま思考をそちらに切り替える。


(―――ああ、『いつものように』彼女が部屋に来る時間か)


そう思い、寝たふりをしてやり過ごす。


彼女が部屋を出て、再び扉が閉まった時には

先ほどの夢は霧に包まれたように思い出せなくなっていた。

残った涙の跡も、すぐに乾いて消えるだろう。



きっと、もうそれを思い出す事は無いのだろう、全ては過去に置いてきてしまった物。

いまの自分には、もうそれを取り戻す事は出来無いのだ。

何よりも彼女がそれを望んでいるのだから、俺はそうしてあげたい。



でも不満が無いわけじゃない。

記憶が無い、ということで悲観することは実の所何も無い。

亡くしてしまった物は確かにあったのだと思う。

しかし、それはすでに失われた物。

ここにいる自分は『それを失った自分』であり、それ以外何者でもない。

無くした事で欠けてしまったというなら、これから得た物で埋めていけばいいだけの話。


ただ、唯一だけ、残念に思うことは、自分を慕ってくれるルリという少女に、

『失ってしまった自分』はどれだけの事をしてあげられていたのか、それがわからない事。

まあそれも、『ここに居る自分が』記憶を『失う前の自分』よりも沢山の事を

『これからの自分』がしてあげていけばいいだけの事なのだから。




でも、それも急ぐ事はない。

急いで変えてしまえば、彼女を、もしかしたら自分をも傷つける事になるかもしれない。

ならまだしばらくは演じていよう。



そして、いつものように玄関先に行く彼女を見届け

朝食の出来る頃に階段を降りて―――




「おはよう、ルリちゃん」

「おはようございます、アキトさん」




何も無かったかのように微笑む彼女に、

何も無かったかのように微笑み返す。








――――それが、自分と彼女の、当たり前の日常――――













後書き


こんばんわ。(書きあがりが夜なのでw)

読んでくださった方、ありがとうございます、感謝☆


さて、今回2つのテーマにて構想を考えました。


ちなみに表のテーマは『日常』でお送りしました。

結構むずいもんすねw短くなってしまいましたし。


さて、裏のテーマは『狂愛』

『狂愛』というテーマは私の原点であり、全ての小説の元となっておりますが。

この文章を書くまでに約1年もかかってしまいました(笑えない)




それではまた次回どこかで。  著者 雪夜

感想

雪夜さん記念作品を頂きありがとうございます♪

お話として書かれているルリ嬢の根源的な渇きとでも言えばいいものは切込みがかなり効いていますね。

ルリ嬢にとってアキトがどういう存在であるのかによってその辺りも変わってくるわけですが…

記憶の無いアキトを前に罪を認識してしまう事も間違いの無い事でしょうしね。

全て抱えて何事も無かったかのように振舞うのでしょうが…

どこかでパンクしてしまわないと良いですね。

確か に手段に多少は問題があったかもしれません。

しかし、それを補って余りあるほどにアキトさんは大切です。

この世界が終わっても、アキトさんだけは生きていてほしいとすら思うほどに…

ですが、それではアキトさんが摩り切れてしまいます。

出来ればこれからも幸せな世界で暮らせますよう。

私は祈り続けています。

それはそうだね…アキトが幸せになるには結局記憶を奪うか世界から消えるかするしかないと言う事かな…

あま り認めたくない事ですが、アキトさんの悲しみや憎しみ、そして罪の重さはアキトさん自身を追い詰めます。

復讐の為に強くなったとはいっても、敵が居なくなり、そしてただ自分の罪と向かう会う日々では心が摩り減っていくでしょう。

最後に待っているのは緩慢な死か自殺…

もちろん、そのままにするつもりは無いですが、アキトさんにはそういう性質も備わっていますから。

だから、限界を超えたなら、その心の重荷を下ろしてあげなければいけない…

だけど、普通の方法では無理ですから、これも一つの方法だと思います。



 

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