コードギアス 共犯のアキト
第七話「黒き魔人の生まれる日」
――――終戦から七年後、皇歴二〇一七年
かつては日本の中枢都市だった東京は、太陽光パネルに覆われ真新しいブリタニアン建築に取って代わり、名を『東京』からブリタニア人居住地『トウキョウ租界』へと変えた。そして新たに租界に住み着いたブリタニア人は『日本人』いや『イレブン』を租界の外へと追い出し取って代わり、生を謳歌していた。
そのブリタニア人の子息女が通う一つの学校がある。
――――『私立アッシュフォード学園』
ブリタニア貴族のルーベン・アッシュフォードが運営する寮制の私立学校である。貴族の子息は言うに及ばず、平民やナンバーズも受け入れるというブリタニアの学園としては稀なほどオープンな気質を持った学校である。
その学園の一角にある大きなクラブハウスの玄関で、二人の少女が誰かが出てくるのを待ってるように立っていた。二人はアッシュフォード学園の女子制服を身に纏っており、一人はウェーブのかかった茶髪の少女であり、彼女の瞼は閉じられ、彼女の眼には光が差し込まれないことを示しているが、そんなことを露とも出さないほど少女は快活な様子を見せている。もう一人はストレートの腰まで届く桃色の髪とブリタニアでも珍しい金色の瞳を持つ神秘的な容姿を持つ少女であるが、その無表情故に何を考えているか分からないが、浮世離れした不可思議な魅力を持つ少女である。
「お兄様、早くしないと学校に遅れちゃいますよ」
「ルルーシュ、急いで」
「ああ、少し待ってくれ」
少女達から遅れて出てきたのは、アッシュフォード学園の制服に身を包んだ艶やかな黒髪を持つ端整な顔立ちをした少年だった。
その少年――――ルルーシュ・ランペルージは玄関で待っていた妹、ナナリーの手を取るともう一人の少女、ラピスの方には目もくれず軽く微笑んだ。ラピスはそんなルルーシュをあきれたように見ていたが、ルルーシュが玄関の方へと向き直ると同時に、ラピスも玄関の向こうに立っている二人に顔を向ける。
「それじゃあいってきます、アキト、咲世子さん」
「いってきます」
「アキト、行ってくる」
三人の視線の先にはメイドがいた。ゆったりとした黒のワンピースに白いエプロン、フリルのついたカチューシャを頭につけた正統派メイドの名前を篠崎咲世子といい、ランペルージ家に仕えるメイドである。
そしてもう一人、咲世子の隣には一人の男性がいた。黒のパンツに、上は白のストライプシャツと黒のベストを組合わせ、首元には蝶ネクタイをあしらえている。そして顔には明らかに不釣り合いな大きめのサングラス――――
「「いってらっしゃいませ、ナナリー様、ルルーシュ様、ラピス様」」
そう七年の時を経た今、テンカワ・アキトはランペルージ家の『執事』として働いているのであった。
「さて、テンカワさん。ルルーシュ様達も学校に行かれたことですし……今日こそは倉庫の大掃除をやってしまいましょう」
「流石にあの広い所を二人でやるのはどうかと思いますけど……」
「なにを仰るのです。ランペルージ家のメイドたる私と、執事たるあなたがいれば不可能はないのです」
相変わらず無茶を言う人だ、と苦笑するアキト。
アッシュフォード家の保護下の元、ランペルージという偽りの家名に仕える執事となり、既に3年。
同時に遣わされたメイドの篠崎咲世子に鍛えられ、今や掃除・洗濯・おもてなしまでそつなくこなす優秀な執事として日々を過ごしているアキト。料理はかつての精神的外傷から中々手をつけることはできなかったが、日々成長していくルルーシュを前に自分も奮起せねばと数年ぶりにようやく鍋を掴むこともできた。
アキトがこの世界にきて8年、かつての戦争から7年……このままずっとこの箱庭で平穏に過ごす、という選択肢も存在した。しかし、今は安全でもこれがずっと続くものとは限らない。寧ろ己を磨かず、このまま箱庭で過ごすことを選択すれば、いずれアッシュフォード家も後の続かない二人を皇帝に差し出し、断絶した家を復活させようとするだろう。
(そう、ルルーシュはそれを良しとしなかった……)
力無き者は淘汰される。ルルーシュはかつてブリタニアでそれを身をもって知っていた。
母を殺し、己の騎士にその罪を被せ、兄妹二人を異国の地へと売り飛ばしたブリタニアは、二人が生きており、しかも目覚めてはいないもののマリアンヌまで生きていたと知れば、どのような手段に出るか分かったものではない。
それにルルーシュは決意したのだ。ブリタニアという国を、ブリタニアという思想を壊すのだと――――だが今はまだその時ではない。ルルーシュは来るべきその日のために牙を研いでいる最中なのだ。アキトはルルーシュが起つその時までに、少しでもその助けとするため、反ブリタニア帝国活動を支援する日本の組織、キョウト六家に近づき、可能な限り助力していた。勿論、ただ力を貸すだけではなく、その報酬としてサクラダイトやエナジーフィラー。ナイトメアフレームを融通してもらったりもしているが。
(そういえば今日だったな……一番近くにいるレジズタンス、紅月グループが研究施設に襲撃をかけるのは)
時間は4時間ほど遡る。
深夜の山道――――といっても三車線ほどある広い山道の脇には大型のトレーラーが一台と二台の小型トラックが停車し、その周りに数人の男女が集まっていた。
「カレン、永田、よろしく頼むぞ」
「分かってるさ扇。せっかくナオトが遺してくれた作戦なんだ。必ず成功させてみせるさ」
「大丈夫よ扇さん。いざとなったら私のグラスゴーでみんなを守るから」
彼等は紅月グループ――――新宿を拠点とする数ある日本のレジスタンスグループの一つである。
今夜このエリア11の総督であるクロヴィス・ラ・ブリタニアが秘密裏に抱える研究所で研究している『あるモノ』を強奪するために集まっていた。
「キョウトからの支援でナイトメア用のライフルも調達できたんだし、余程のことがなければ失敗しないはずよ」
カレンと呼ばれた赤毛の活発そうな少女が大型トレーラーの一角に目をやると、そこには赤錆色のカラーリングのグラスゴーが鎮座していた。
しかもその脇には、標準装備のナイトメア用ライフルまであり、唯のテロリストにしてはやけに武装が充実している。
「しっかしキョウトも凄いよな。ナイトメア一式を丸々用意するなんて」
「ブリタニア軍内部に協力者が大勢入り込んでるって言うのは嘘じゃないみたいね……」
「日本は負けたとはいえ、余力を持ったままの停戦だったしな。聞いた話じゃ日本オリジナルのナイトメアの完成も近いらしいぞ」
停戦後、日本各地に散った元日本軍人はいつか来る日本解放を信じ、その牙を研いでいた。敗戦という屈辱を迎えたにもかかわらず、各地で激しい抵抗を続けているのにはそれなりの理由がある。
宣戦布告から僅か一ヶ月というあまりにも早すぎる停戦に世界中の国々が驚愕した。その要因として超大国ゆえの物量と、ナイトメアという圧倒的な機動力を持った新兵器の投入を理由の一端に挙げる人間も多いが、実の所日本の引き際が良すぎたという点もある。初期の頃こそ頑な抵抗を続けていた日本軍だが、二週間もするとその抵抗も散漫になり、主要戦力はまるで潮が引くように姿を消していった。
そのおかげか、ブリタニアは二週間後には首都を陥落させ新しいエリアへと制定することに成功した。以後は占領政策も順調に進められ、ブリタニアの侵略の歴史に新たな1ページが加えられたのだ。そう、その内に巨大な獅子身中の虫を宿らせたまま――――
終戦後は各地で生き残った軍人が組織だった纏まりを見せ、表面上は従順の意を見せながら裏では来るべき時に備え、組織に潜り込み、情報を盗み、そして力を蓄えているのだ。このグラスゴーも開発中といわれるのナイトメアもその一端だといっていい。
そして今回の作戦、エリア11の総督でもあり、皇族に名を連ねるクロヴィス・ラ・ブリタニアが秘密裏に研究しているという化学物質……こんなものを占領下の他国で研究していたと分かれば、例え巨大帝国といえど世界中から非難を浴びることになるだろう。その結果、エリア11がどのような立場に立つかは分からないが、交渉のカードとして確保するには十分な代物だ。そのためにはなんとしてもこの作戦を成功させなければならない。
「時間だ、行くぞ」
リーダーの扇がそう言うと同時に全員が沈黙し、己に課された任務を果たすべく目的の場所へと散って行った。
「ルルーシュは?」
「まぁたリヴァルがどこかに連れてっちゃて……」
「また代打ち? ポーカーかな、それとも……」
「二人とも生徒会としての自覚がないんだから。お金まで賭けてるんですよ!」
暖かな日が差すお昼時。
四人の少女達がそれぞれ小さな弁当箱を持ち寄り、アッシュフォード学園の中庭でおしゃべりに興じている。
傍から見ても熱心にルルーシュの事を話す長く下ろした鷲色の髪を持つ少女――シャーリーに対して軽く相槌を打つように返事をするのは、このアッシュフォード学園の理事長の孫でもあるミレイ・アッシュフォードだ。
「ルルは頭の使い方を間違ってるんです。ちゃんと勉強すればもっといい成績とれるのに……ラピスちゃんもそう思うでしょ!?」
同意を求めるようにシャーリーが右に顔を向ける。
そこには目の前の弁当箱に入ったおかずを無心に口に運ぶラピスがいた。そしてシャーリーの視線に気づくと、口の中に残ったおかずを飲み込んで――――この辺り、アキトの教育が見て取れる――――ポツリと一言。
「盗んだバイクで走りだす……若い男の子の特権」
「盗んだバイク……え、なにそれ??」
そして再び弁当の攻略を開始するラピス。
暫しの間、なんとも言えない空気が少女達の間に流れるが、それを打ち消すように眼鏡を掛けた少女が戸惑いがちに声をあげた。
「でも確かルルーシュくんって最初はもっと真面目だった気がするけど……」
その少女――ニーナ・アインシュタインの疑問に、そういえばと過去を回想するミレイとシャーリー。
入学当時は端正な顔立ちと、その優雅な佇まいから彼の周りには男女問わずよく人が集まっていた。また外見こそ細く見えるものの、その実身体はしっかり鍛えているらしく、運動部からひっぱりだこ! というほどではないものの、容姿端麗・文武両道を地で行くルルーシュは正に非の打ちどころの無い『優等生』であり、彼を狙う女生徒は両手に余るほどいた。
それがいつの間にやら、無断で授業を抜けるわ、賭けごとに手を染めるわと不良街道まっしぐらの状態となり、上流なお坊ちゃんに見えるルルーシュ付き合おうとしていた女生徒達は次第に離れていった。今では悪友リヴァルと生徒会の面々くらいしか付き合わず、その他は妹のナナリーや同居人のラピスらとともに過ごす時間の方が多くなっている。未だにルルーシュを想ってアプローチをする女生徒はいるものの、以前に比べれば格段に減っているので内心ほっとしているのはシャーリーだけの秘密である。
それはともかく、何故ルルーシュは急に素行不良になったのか……。
「ルルーシュはいつも私に負けてるから」
え、とシャーリー・ミレイ・ニーナが同時に声を上げる。
「それ、どういうことラピスちゃん?」
「ルルーシュとはいつもシミュレーションゲームをやってる。今の所897戦658勝239敗で私が勝ち越してる」
ミレイはその意味を正しく理解し、ルルーシュの変貌の原因を理解した。
「えーと……もしかして、ルルが賭けごとに嵌ったのってラピスちゃんのせい?」
「――――そうともいう?」
シン……と四人の間で暫し時が止まる。
ルルちゃんって負けず嫌いだからねー等と青い空を見上げて呟くミレイ。
シミュレーションゲームと賭けごとはちょっと違うんじゃ……と小さくツッコむニーナ。
そしてむーぅ、と低く唸ってラピスを可愛く睨みつけるシャーリー。
そんな威嚇もどこ吹く風とばかりに、弁当の攻略を続けるラピス。
アッシュフォードの公園で四人の少女達がお昼時の広場で奇妙な空間を形成していたのだった。
「いやーさっすが貴族! プライド高いから支払いもしっかりしてるし言う事無いねー」
「相手の持ち時間も少なかったしな。それにぬるいんだよ貴族って。特権に寄生しているだけだから」
白亜のビルのエントランスからこの時間帯には些か不釣り合いな学生服姿の少年が出てくる。
一人はルルーシュ、もう一人は飛び跳ねた青い髪にライダーヘルメットを被った少年――ルルーシュの悪友、リヴァル・カルデモンドだ。
「なぁルルーシュ、今度はもっとお偉い貴族様を相手にしてみないか?」
「あまり調子に乗るなよリヴァル、貴族はプライドが高いから負かした相手を闇に葬る……なんてのもありえるからな」
「こ、こわいこと言うなよルルーシュ……」
冗談じゃなく本気であり得ることなんだけどな、と内心思うがそれを口に出すことはせず、コインパーキングの支払いをするルルーシュ。
しかしリヴァルはまだあきらめきれないらしく、しつこくルルーシュを誘う。
「どうせワル(不良)になるならもっと徹底的になっちゃおうぜルルーシュくん〜」
「だから何度も言わせるなって。俺は忙しいんだからそこまで付き合う時間もない」
「はぁ〜〜、授業が終われば真っ先にナナリーちゃんと帰ってるくせに、何をやってるって言うんだよぉ……」
「それは秘密だ」
ニヤリ、とどこか妖艶じみた笑みを浮かべたルルーシュに空恐ろしいものを感じ、両手を挙げてこれ以上の追及を止める。
ルルーシュは外見からでは華奢で貧弱なイメージを持ってしまうが、家族や特に妹の事になると物凄い力を発揮する。その昔、まだルルーシュ達三人が入学したばかりの頃、盲目という分かりやすい障害を負ったナナリーは、恐れ知らずの少年達にとっては格好の目標だったのだろう。物を隠す・投げられるなどはしょっちゅうあったらしい。
しかしそれが兄のルルーシュに知れると、能面のような表情と全てを凍てつかせるような絶対零度の目をすると、真っ直ぐ主犯格の少年の元へ訪れた後、真っ向から叩き伏せた――――ちなみにその少年はブリタニア本国でも有望なボクサーのようで、腕っ節にはかなりの自信があったのだ。そしてその後問題にならないよう、少年本人だけでなくその家族までにも『何かしら』の脅しをかけたらしく、以後ナナリーにちょっかいをかける生徒は一人もいなくなったのである。
(ルルーシュが住んでるクラブハウスにいるあの人にでも鍛えてもらってるのかな〜?)
リヴァルの脳裏に、大きなサングラスをかけた怪しい執事の姿を思い出し、それを訪ねようとしたその時。
『只今より緊急ニュースをお伝えします』
街頭の巨大スクリーンに租界で起こったテロに関する報道が流され、訪ねようとしたことは記憶の彼方へと飛び去ってしまった。
「あ〜りゃりゃ。こりゃ悲惨〜〜」
「テロ……か」
今朝のニュースから流されている一連のテロ事件とは、研究施設にテロリストが侵入し多くの人命と研究資産の一部を強奪した後、各地で連鎖的に発生している事件のことだ。ブリタニア人だけでなく、その他多くのナンバーズにも被害が出ているらしい。
そして一連のあらましをキャスターが伝え終えると、このエリア11総督であるクロヴィス・ラ・ブリタニアの会見放送を流し始めた。
『帝国臣民の皆さん、そして勿論協力頂いている大多数のイレブンの方々も――――』
しかしルルーシュはそれには目もくれず、パーキングの支払いを終えてさっさとリヴァルのバイクに取り付けてあるサイドカーへと乗り込んだ。
「あれ、ルルーシュ。会見は見ないの? 総督の姿なんてめったに見れるもんじゃないけど……」
「画面越しに見る機会ならいくらでもあるだろう? そんなことより次の授業に間に合う方が大事だ……さ、早く出してくれ」
「りょーかい」
そして死者に対して黙祷を捧げる一般市民達を尻目に、バイクは走り去っていく。
ルルーシュはチラとパーキング付近を見回すと、律儀に黙祷を捧げる人だけでなく、関係ないとばかりに歩み去る者、携帯端末片手に走り回る者……そう、帝国臣民は誰もが皇族を敬愛しているわけではない。その権威と権力の大きさゆえ表だって皇族を非難する人間こそいないものの、ブリタニアの政策に反対する「主義者」の数はかなりの数に昇る。本国に遠く離れたエリア11に大勢のブリタニア人がいるのは、日本から大量に採掘されるサクラダイトの利権目当てだけではなく、ブリタニア本国の弱肉強食の風潮に嫌気が指して、発展の著しいこのエリアに逃げ込んだというのも理由の一つである。
それが悪いとは言えない。競い合う事が人を成長させるとは言うが、それも度を過ぎれば争いの原因にもなる。理想を言えば競争するだけでなく、互いを尊重しあい共に学んで成長するのが一番なのだが、人の心はそう簡単に触れ合えるものではない。
自らの利を求め、他者を顧みず考えている事は自分の事ばかり――――交通事故が起こっても助けすら呼ばず、寧ろ事故の様子を物珍しさで写真すら撮る始末。これが皇帝の言う『前へと進む民族』の姿だと言うのか? だとしたらとんだお笑い草だ。
(尤も、俺も人のことは言えないか……)
名と身分を偽り、自分の心に蓋をして放蕩貴族相手に賭け事をしている自身も傍から見れば、無気力・無関心な民そのものだろう。寧ろ自覚しているからこそ余計にタチが悪いかもしれない。だがあの時、微かな希望とかけがえのない同士を手に入れ前を見据えたあの日から、一時たりとも己を疎かにしたことは無い。
そう、全ては優しい世界のために、自分はその日を悔いの無いように生き、来るべき日に備えるだけだ。
(だけどそれが一体、どうしてこんなことになるんだ……)
『警告する! ただちに停車せよ! 今なら弁護人をつけることが可能である!』
四方を金属の壁に囲まれたコンテナの中で、ルルーシュは激しい震動と時たま聞こえる銃声に、これが現実であると否応なしに自覚した。
「確か事故ったトレーラーの運転手を助けようとして……コンテナから乗り込んだら、急にトレーラーが動き出して、そしていつの間にか警察のヘリに追われていると……」
もしかしてこのトレーラーというのは報道であったテロリストのものだろうか?
揺れる車内で身を起こし、辺りを見渡すと幾つかの火器に工具、そして中央には突起の付いた巨大な球体のカプセルが鎮座し、奇妙な異彩を放っている。
「そういえば、トレーラーに近づいた時に何か声が聞こえたような――――」
カプセルに触れようと手を伸ばしたその時、運転席から人の来る気配を感じ、慌てて機材の陰に身を隠すルルーシュ。
しかし出てきたのは研究者がよく着る白衣に身を包んだ赤い髪の小柄な少女だった。イレブンのテロリストとは思えないような容姿を奇妙に思ったルルーシュだが、白衣を脱ぎ捨てその姿が顕になるとその姿に既視感を覚える。
(あの女は確か……)
じっと息を潜めながら自身の記憶を探るルルーシュ。しかし記憶が正解に辿り着く前に、少女はトレーラーの奥に引っ込んでしまった。だがその直後、甲高い駆動音がトレーラー内に響き渡り、その音にルルーシュは驚愕する。同時にトレーラーの後部コンテナが開き始め、その先に青い空を縫うように走るハイウェイと高層ビルディング、そして数機の戦闘用ヘリが銃口をこちらに向けたまま浮遊していた。
そのヘリに向かって鋭利な鉄の塊が噴射音と共に飛翔し、機体を貫いた。
『ス、スラシュハーケン!?』
傍のヘリに乗っているパイロットが動揺した声をあげ、開放したコンテナに目を凝らすと現れたその姿に驚愕する。
『か、完全武装のナイトメアだと!?』
力強い鋼鉄の四肢に巨大な瞳を思わせるファクトスフィア。
右腕にはナイトメア用のライフルを握りしめ、このまま戦地に赴いてもなんら違和感を感じないだろう。だが問題なのは『完全武装』のナイトメアを、軍人ではなくテロリストが運用していることだ。
当然のことながら軍のチェックというのは相当に厳しい。しかもエリア11は途上エリアとはいえ、未だ各地で小競り合いが絶えない危険地帯なため、ナイトメアにとどまらず携帯火器の使用についても厳重な管理がなされているはずなのだ。それなのに唯のテロリストがナイトメア一式をまるごと運用するという事は、軍内部に問題があるのは間違いない。
「こいつの力はお前等がよく知ってるだろっ!」
ヘリの機首下部に搭載したチェーンガンが唸りをあげて銃弾を撒き散らすが、赤いグラスゴーはランドスピナーを巧みに駆使し、左右に機体を振って回避する。反撃とばかりに胴体と腕部の付け根に備えられたスラッシュハーケンが再び空を飛び、更に二機のヘリを貫き落とす。
(このままヘリを全部落として追手が来る前に地下に潜り込んで逃げ切れば……っ!)
グラスゴーに乗ったテロリストの少女――カレンは操縦桿を握りしめるが、その願いが叶う事は無かった。
ファクトスフィアに反応、10時の方向――――そちらにカメラを向けると、一機のナイトメアVTOLがゆっくりとこちらに向かっていた。
『お前達は下がっていろ、私が相手をする』
VTOLに搭載されているのは青みがかった紫の機体で全体のシルエットはグラスゴーとよく似ている。第5世代の量産型ナイトメアフレーム「サザーランド」だ。
そして肩の色が真紅にペイントされていることから、パイロットは皇族至上主義者である「純血派」の一員であることが分かる。
『どこから流れたか知らんが、旧式のグラスゴーでこのサザーランドに勝てると思ったかっ!』
VTOLの機体ロックが外れ、サザーランドは重力に任せてハイウェイへと落下する。
しかしカレンは相手の能書きなど聞き流し、落下中のサザーランドに向けてスラッシュハーケンを放った。だがそれは、同じくサザーランドから放たれたハーケンによって弾き飛ばされ、サザーランドは着地する寸前に機体を捻って衝撃を和らげ、ターンを決めてグラスゴーと相対した。
(ハーケンをハーケンで弾いた!? それにあの機動……唯の一般兵じゃない!)
『ふっ、テロリストにしては中々やるようだな……しかしっ!』
サザーランドのアサルトライフルからリニアモーターによる青い銃火が銃身内で迸り、飛び出した弾頭がグラスゴーの装甲とハイウェイを抉り取る。
カレンも回避行動を取りながら手持ちのライフルで応戦するが銃弾は尽く回避されてしまう。
『悲しいかな、機体性能が違うのだよ!』
パワー・機動力・加速性能・旋回性能……機体性能の全てにおいてサザーランドはグラスゴーを上回り、加えてカレン自身己のナイトメア操縦技術は並以上だと自負しているが、相手のパイロットの技量もかなりのハイレベルであるため、状況を覆す事はかなり難しい。
『ましてやっ! イレブン風情がこのジェレミア・ゴッドバルトに勝てるはずが無いっ!!』
カレンは巧みに操縦桿を動かして銃弾を回避するが、サザーランドのパイロットのやかましい口にとうとう痺れを切らした。
「ならこれはどうだっ!」
『ヌッ!?』
本来のグラスゴーには無い腰のバックパックへと手を伸ばし、何かを掴み取り出すと、それをサザーランドの前方へと投擲する。
ソレは地面にペタリと吸いつき、サザーランドが近づいた途端光を発し、垂直方向へ向けて衝撃と破片を撒き散らすが、ジェレミアは寸前でサザーランドを翻し衝撃から逃れた。
『こしゃくなっ、吸着地雷かっ!』
グラスゴーが放ったそれは、かつてアキトのいた世界で機動兵器の補助兵装として用いられた吸着地雷だった。
かつては対戦車用として、そして空を飛ぶ木星蜥蜴に対しては無用の長物としてなれ果てた兵器は、未だ陸戦が主体のナイトメアに対して極めて効果的だった。底部の装甲が薄い戦車には勿論、ナイトメアに対しては高い機動力の要と言えるランドスピナーを無力化させる有効な兵器として周知されている。現に7年前の極東事変と呼ばれる対ブリタニアとの戦争でも、この吸着地雷により多くのナイトメアがその機動力を奪われ、無力化されたのだ。
そしてジェレミアの乗るサザーランドもそれは例外ではなく、直前で回避したとはいえランドスピナーに無視できない損傷を受け、追撃の手が緩められる。
「よしっ、今のうちに……」
トレーラーを運転していた永田がその様子をバックミラー越しにその様子を確認した後視線を正面に戻すと、ビルの間をランドスピナーで駆け上って現れたもう一機のサザーランドが、アサルトライフルの銃口をこちらに向けていた。
「くそっ!」
火線から逃れるために咄嗟にハンドルを切り、ゲットーへと続く道路へと進路を変更するトレーラー。
しかしそれこそがもう一機のサザーランドのパイロット――――ヴィレッタ・ヌウの目論見だった。
「フン、単純な奴らが……」
これでテロリスト達は県外へと逃れる道から、ゲットーへと押し込められた。ゲットーの外へと続く道は、反抗心の強いイレブン管理の名目でほとおんど封鎖され監視されているため、外へ出るには少なくともハイウェイを使わなければならない。関東地区の地下を走る鉄道網は厄介だが、虱潰しに探せばあれだけ巨大なトレーラーだ、すぐに発見できるだろう。
ヴィレッタは本部への通信機のスイッチを押すと、目標誘導の成功を伝えるのだった。
「ちぇっ、毒ガス探索は名誉任せでお偉方はのんびり上空待機かよ」
「腐るなよ、もし手柄を立てれば俺達の地位も上がるかもしれないだろ?」
「バーカ、あの戦争でブリタニアもあれだけ被害を出したっていうのに、そう簡単に日本人が上に上がれるもんかよ」
「でも相手はテロリストとはいえ、日本人だろ? 気が乗らねえよ……」
エリア11総督府から名誉ブリタニア人へと発せられたのは、シンジュクゲットーへと逃亡したテロリストが奪った毒ガスを奪還しろというものだった。
イレブンのテロリストを捕まえるのに、同じイレブンである名誉人を使う……その遣り方に嫌悪感を持つものはいるものの、口に出す人間は少なくともこの場にはいなかった。
彼等は現在シンジュクゲットーへと向かう輸送機の中にいる。兵士達が詰める後部座席には普段なら名誉人の兵士を統括するブリタニア兵士がいるはずなのだが、イレブンと同じ空気は吸えん等と言って操縦席の方へと席を移したため、残された名誉人の兵士達は今までの不平不満をぶつけるかのように思い思いに話していた。
「なんで同じ民族で殺し会わなきゃいけないんだよ……確かに相手はテロリストだけど、いわば日本解放のために闘ってるんだろ? 名誉の俺が言えた義理じゃないけど、そいつらを捕まえるなんて――――」
「それでも自分は……正しい方法で答えを出すべきだと思います」
そう言葉を発したのは癖下の栗色の髪を揺らすあどけない顔を持った少年だった。愚痴っていた男はその顔を見遣った。
まだ成人もしていないほど若い――――しかし彼の瞳には揺らぎは無く、少なくとも自分が持つ迷いというものはその瞳からは感じられない。
「お前……」
「テロという行為は多くの無関係な人間を巻き込みます。今回の件だって、毒ガスを抱えたままゲットーに逃げ込んだ事で、現地にいる住人に大きな危険性が生まれたんです。それに、今回の事件に関してはブリタニア人だけでなく、日本人にも多くの人間が亡くなっています。彼らにはその罪を償わせなければならないはずです」
――――そうこの僕と同じように。
その少年、枢木スザクは自分に言い聞かせるように、内心でそう呟いた。
ドガシャアアンンッッ!!
「ぬおっ!? ……くそっ、やっと止まったか」
トレーラーから伝わる振動から、ルルーシュはハイウェイからゲットーの地下鉄に移動したと予測した。携帯は圏外、連絡もつかないこの状況では迂闊に動けば自分の身が危うくなる。そう考えて時を待っていたが、どうやらその時が来たらしい。
身を隠し、暫し待つとトレーラーのサイドハッチが口を開き、薄暗いトレーラーに僅かな人工の光が差し込んでくる。しかし人が現れる気配も無い。そっとハッチの影から外を覗き込むが、辺りに人の気配は無く、僅かに残った照明が廃墟と化した地下ホームを僅かに照らすだけだった。何かアクシデントでもあったのだろう、運転席からも人が出て来る気配が無い。ルルーシュは警戒を緩め、顕わになった巨大なカプセルを確かめようと手を伸ばしたその時だった。
ブーツが砂利を踏みしめる音を聞き、咄嗟にその方向を振り向くと、ブリタニアの旧式戦闘服を身に着けた兵士がこちらに飛んでくる様子が目に入った。その常識外れの跳躍力に目を見張り、次いで浴びせられた蹴りを慌てて腕ブロックするが、威力を押し殺すことはできずコンテナの床に叩きつけられてしまう。
すぐにブリタニア兵士が押さえ込もうとするが、直前に蹴りを放ちそれを後ろに下がって回避する隙にルルーシュは立ち上がった。恐らく自分もテロリストと間違えられているのだろう。ルルーシュはこのまま下手に抵抗すると射殺される可能性もあると考え、両手を軽く挙げた。
「待て、俺はこのトレーラーが事故で止まったのを見て救助しようとして乗り込んでいただけだ。服を見ればブリタニアの学生と分かるだろう? 右ポケットに生徒手帳とIDがあるから確認を――――」
「……ルルーシュ?」
しかしブリタニア兵士から返ってきた反応は予想外のものだった。
驚いたような口調で自分の名前を呼ぶと、ヘルメットを外し顔を顕わにした。その顔は7年前に見知って別れたきりの既知友のものだった。
「スザク……!?」
「ルルーシュ……無事だったんだね」
「その格好……お前、ブリタニアの軍人になったのか」
「君こそ、どうしてテロリストなんかに……」
「だから俺は巻き込まれただけだと言って――――」
いるだろう、と続けようとしたその時、カプセルから眩い光が洩れ、真中から左右に割れるようにカプセルが開かれた。
スザクはヘルメットにぶらさがったガスマスクを躊躇なく外すとルルーシュの口元へと持っていき、少しでも毒から身を守るようにコンテナの床に押し倒す。しかし押さえつけられたルルーシュは見た。眩い光と共に現れたのはガスの粒子ではなく、白い拘束服に身を包み腰元まで届く長い緑髪の少女だった。
「これはっ!?」
「毒ガスじゃ……ない?」
漏れ出た光が収まると、ドサリと固い金属の床に倒れ伏す少女。ルルーシュとスザクは少女の元へと駆け寄り、拘束具を外そうとする。
これのどこが毒ガスなのだ? ブリタニアはこんな少女一人を探すためにナイトメアまで出すのか? 力無き少女にこのような仕打ちをしてまでブリタニアは何をしようというのだ? スザクへ遠まわしに軍から離れろと言いつつ、少女の拘束具を解除するルルーシュ。スザクもそれを手伝いつつ、苦々しい顔をしていた。そしてそれに応えようとしたその時、二人に複数の光が突き付けられた。
「この猿がっ、名誉ブリタニア人にそこまでの許可は与えられていないぞ」
毒ガス探索を名誉軍人に命じ、発見の報を聞いて現場に来た親衛隊だった。
「しかしこれはっ、毒ガスと聞いていたのですが――」
親衛隊の元に駆け寄り抗弁するスザクだが、言い訳無用と切り捨てられる。
そんな最中、ルルーシュは状況を打破する方法を必死に考えていた。恐らく腕に抱かれたこの女性はブリタニアの暗部。それもとびっきりの劇薬にも等しい闇だ。このままでは目撃者として消されるのは必須――――そう考えていた矢先だった。
「これでそこのテロリストを射殺しろ」
予感的中。それにしても自分達の手を汚さず、あくまでそれをイレブンに行わせるとはとんだ下衆だ。
ルルーシュはどうにかして逃げる為に必死で頭を回転させる。上官の命令は絶対、これはどの軍隊でも不文律だ。スザクもそれは例外ではなく、銃を受け取り迷いながらもそれをこちらに向けることになるだろう。だが、時が経とうとも親友の絆は切れることは無い。ルルーシュはスザクが自分を撃つために近寄った所を説得し、上手く隙をついて脱出を図ろう――――そう考えた。
しかしそれはスザクの一声で停止せざるを得なかった。
「自分はやりません。民間人を……彼を撃つようなことは」
(スザク……!)
友人の自分をかばうような言葉にルルーシュの涙腺が刺激されるが、今の状況でそれはマズイと頭の片隅で警鐘を鳴らす。
「そうか――――では死ね」
「え……?」
パンッとうす暗いホームに小さくも甲高い音が響き、そしてスザクの身体が力を失ったように地に付した。
呆然とその様子を目に焼き付けるルルーシュ。先程七年ぶりに会えた親友は、ブリタニアの軍人によってその命を散らされた。再びルルーシュはブリタニアという巨人によって大切の者を摘み取られたのだ。それも今度は己の眼前で……。
「見た所、ブリタニアの学生の様だが運が無かったな。学生を殺した後、お前達は女を確保しろ」
「「「「「Yes, My load」」」」」
小銃を構えてこちらに向かってくる軍人達。逃げ場を失い、友を失ったルルーシュは最早その場に蹲ることしかできなかった。
しかし蹲る二人に手が伸ばされたその時、傍のコンテナから微かな火が洩れ、それがトレーラー全体に行き渡っていくのを目にし、ルルーシュは女性を抱えたままその場に伏せる。
「日本……万歳」
幻聴か、そんな声が聞こえたような気もするが、それは直後に起こった爆発によってかき消されてしまうのだった。
「逃げられただと!? なんのための親衛隊だ!」
『も、申し訳ありません!』
租界とゲットーの境目には親衛隊を送り出した本体、G−1ベースが配置されていた。
これは極めて珍しいことであった。G−1ベースは戦場の指揮所に使われるもので、指揮官の皇族や貴族を乗せる移動要塞だ。それがわざわざテロリストの鎮圧のために出てくるという事は、それほど奪われたものが重要だという証拠でもある。
「作戦は次の段階に移行だな……」
「し、しかし殿下……」
そう言ったのは指揮所の上方に備え付けられた玉座に座るクロヴィス・ラ・ブリタニアだ。
しかしその表情は苦悶に満ち、明らかに苛立っていた。そして何かを決心したのか、壇上から降りると、己を見上げる部下に向けて高らかに宣言する。
「最早一刻の猶予もない――――ナイトメアを出せ! オーガーもだ! シンジュクゲットーを壊滅せよ!!」
それが殺戮の始まりを告げる合図となった。
アッシュフォード学園のクラブハウス、そのとある一室でラピスは大きなモニターと端末を前に目を走らせていた。
しかしキーボードに置かれた手は全く動いていない。それもそのはず、その端末はIFS仕様の物でユーチャリスに積んであった端末をこの部屋に持ち込んで使用しているのだ。そしてその端末から得た情報の一つにラピスの表情が僅かに動いた。
「アキト、これ……」
後ろを振り向き、後ろに立つ執事服を着たアキトにその情報を見せた。普段はランペルージに仕える執事として過ごしているため、ラピスに対しても臣下の礼をとる必要があるのだが、今この部屋は彼等二人のみ。その必然性は無く、アキトはラピスの傍らに寄ると、モニターを覗き込んだ。
「ブリタニア軍がシンジュクに大規模な部隊投入……理由は?」
「毒ガスを奪ったテロリストの殲滅だって」
それにしてもこの規模は大き過ぎる。
ナイトメアだけでも50機以上投入されており、テロリストを鎮圧するにはあまりにも過剰戦力だ。しかし情報を読み続けることで、その真意が分かった。恐らく毒ガスの回収という名目で、ゲットーを殲滅するつもりなのだろう。終戦後でもその奮闘ぶりから士気高いイレブンを監視するため、各地のゲットーには多くの兵士が目を光らせている。しかし廃墟同然とはいえ、ゲットーは元々日本の都市群なのだ。その監視範囲は広大であり、それに割く人員や装備も馬鹿にならない。
そこで今回の騒ぎに乗じて区画整理でも行おうという腹積もりなのだろう――――ゲットーに住む日本人を人とも思っていないその行いには反吐が出る。
「キョウトはなんと言っている?」
「此処までの展開になると手がつけられない。だから手を出す必要は無い、だって」
「つまりは見捨てるということか」
小競り合い程度ならば支援はするが、これ程の大規模な戦闘では小さな一レジスタンなぞひとたまりもない。ならば、余計な戦力の消耗を避けるため余計な介入はしないという事らしい。理屈は分かるがそれで納得できようはずもない。
「むざむざ殺されるのを黙って見るつもりもない……エステを出す。サポート頼むぞ、ラピス」
「分かった」
そう言ってクラブハウスの裏に秘密裏に隠されている格納庫へと向かうアキト。アッシュフォード家には既に根回しを済ましており、マリアンヌが復活した暁には没落した家を再び召し上げる事をルルーシュが約束しており、マリアンヌに大恩あるルーベン・アッシュフォードは快く協力を受け入れてくれた。
ユーチャリスはその巨体故、海に面し地図に記されない巨大ドッグにあるが、エステバリスともう一つの機動兵器――――かつてのマリアンヌが搭乗したガニメデも保管されている。ガニメデは公式においても有名な機体なため、時折学園祭に使用していることもあり、機動兵器の保管場所は特に不審がられることもなく済んでいた。
格納庫に小走りで向かう途中、アキトは未だ帰ってこない己の主君の身を案じていた。
(ルルーシュ……ゲットーに行ってなければいいんだが)
そのルルーシュは、あの地下鉄ホームでの爆発によって沈下した地盤に巻き込まれ、更に下の階層の路線へと逃げ込み、ここからなんとか脱出しようと必死に走っていた。そう、拘束服を着た例の少女と共に――――
「くそっ……一体何なんだよお前は!」
動きにくいその服のせいで、足取りの覚束ない少女の手を引きながら走るルルーシュ。そのペースも少女がついていけるギリギリの速度を維持している。
「お前の……せいなんだろ、この…騒ぎはっ!」
走りながら怒鳴っているせいか、息は乱れ荒々しく呼吸するルルーシュ。だがその脳裏には理不尽な仕打ちを繰り返すブリタニアへの純粋な怒りがあった。
(それだけじゃない、あいつらスザクまでっ……!!)
唯一と言っていい親友の死に、ルルーシュも動揺を隠しきれない。しかしここで立ち止まっている暇はない。あの親衛隊達はこの少女を確保するためにアチコチを探し回っているはずだ。同時に目撃者である自分を消すためにも。正直このまま少女を置いて逃げ出したい気持ちもあるが、ブリタニアにここまでさせるこの少女を放って逃げ出す事は出来なかった。
「……こんな所で死んでたまるか」
ブリタニアに一矢報いる。そのために今まで生きてきた。その志がこの身体を突き動かす限り、自分は止まりはしないのだ。
生きる執念に満ちた瞳をぎらつかせながら走るルルーシュの横顔を、緑髪の少女は何かを図るかのように、ずっと眺めていた。
辿り着いた出口の先は血の海だった。
恐らく襲撃から逃れて避難していたゲットーの住人だろう。しかし殲滅命令が出された今、このゲットーに住むイレブンには女性や子供であろうとも容赦無く処刑される。それは先程泣き声をあげた子供に対し、躊躇なく引き金を引いた親衛隊員を見たことからも証明される。どうやら相手は地図を頼りに出口の一つ一つを虱潰しに探しているらしい。
(相手は七人……まともにやりあっては逃げ切れない)
ルルーシュは僅かではあるが武術を齧っている。講師は怪しげなバイザーを身につけた真っ黒黒助の不審人物だが、講師としての腕は確かで、そのおかげでルルーシュも並の兵士相手なら1対1でも勝てる自信はあった。だが流石に足手纏いを抱え、あれだけの人数では仕掛けても自殺と同じだ。ルルーシュは別の出口を探そうと、覗き込んでいた階段から降りようとしたその時――――
ピルルルルルッ
場違いな携帯電話の音によってルルーシュの目論見は再び崩れ去った。
「ルルーシュの奴……切った」
手に持ったピンク色の携帯端末を不機嫌そうに睨みつけるラピス。
かかったと思った途端、電話を切られてしまった事に、ラピスは酷くおかんむりだった。
『ラピス、可能ならルルーシュの安否を調べてくれ。俺はキョウトになんとか戦力を送り込むように連絡を取った後、現地のレジスタンスと合流するために連絡をつけるからよろしく頼む』
そうアキトからお願いされたから折角連絡をとりつけたのに、一言もなく切るとはどういう了見だろうか。
「帰ったら、おしおき」
もし生きて帰っても、ルルーシュの身に壮絶なおしおきが下ることが本人の知らぬ処で決定した。
「ぐはっ……!」
「よく頑張ったな、流石はブリタニア人だと褒めてやろう……しかしこの女を確保した今、お前に待っている運命は死、だけだ」
少女の身柄を奪われ、倉庫の片隅の壁に叩きつけられたルルーシュ。
天井は過去の銃撃の名残か、いくつもの穴があき、その穴から光が漏れてルルーシュを照らしていた。
「ふん、テロリストの末路には中々仰々しいシチュエーションじゃないか……さて、もういいだろう。じゃあな」
「っっ!!」
思わず目を瞑り、死を覚悟するルルーシュ。しかし銃の引き金が引かれるその直前――――
「殺すなーーーーーッッ!!」
捕えられた緑髪の少女がルルーシュの前へと躍り出る。そして撃ちだされた銃弾は無慈悲に少女の額を貫いた。
その血がルルーシュの頬にかかり震える手でそれを拭い、目の前で起きた事に呆然とする。
男が何か喚いている。思いがけず死んでしまったとか、イレブンに暴虐を受けて死んだ事にしようとか聞こえたが、そんなことはルルーシュの耳には全く入っていなかった。ゆっくりと血が広がるのを目にしながら、少女の遺体に手を伸ばすルルーシュ。
(死んだ……? 俺のせいで?)
今日だけで二度奪われた。
一人は親友を、そしてもう一人は素性も知れない少女だが、恐らくブリタニアから追われる身の上。彼女もまたブリタニアという体制の被害者だ。
奴らは一体どれだけ俺から奪うのだ? 名を身分を国さえも捨て、親友すら奪われた。これ以上くれてやるものなんか何一つ無い。
…………いや、一つだけある。それは破壊だ。
ブリタニアという国の破壊、体制の破壊。そして存在そのものの破壊。ブリタニアをぶっ壊し、ナナリーに――みんなに優しい世界を作る。
そのためだけに今まで頑張ってきたというのにここで全てが終わる――――?
――――――――嫌だっ、こんな所で終われない!!
その心の叫びは魔女に届いた。
死んだはずの少女の手がルルーシュの腕を掴むと同時に、ルルーシュの頭の中に閃光が走った。
光が弾け、頭の中にいくつもの風景が脳に直接焼きつけるように鮮明に映し出される。数え切れないほど繰り返された戦争、躯となった我が子を抱いて泣き崩れる母親、虐殺が行われ血に染まった大地。人類の愚かしい闘争の歴史――――そして赤い鳥を象った文様に巨大な遺跡群、人形のように立ち尽くし、紋章をその身に刻んだ大勢の巫女。
『終わりたくないのだな? どうやらお前は余程生に執着があるらしい』
耳ではなく、脳に直接響くように聞こえる女性の声。
これはあの少女のものだろうか、ルルーシュは叩きつけられるように移り変わる光景を目にしながら、そんなことを考えた。
『力があれば生きられるか?』
力? 当たり前だ。例え人として高くあれど、力が無ければ人は淘汰される。
俺には力がある……しかし今のままではいずれ死を迎えることは確定的に明らかな状況――――お前にはそれを打破できる『ナニカ』を持っているのか?
そう言葉を発した後、相手の表情は見る事が出来ずどこまでも続く白い空間の先で、その女性が何故か笑っている情景を思い浮かべた。
『これは契約――――力を得る代わりにお前は私の願いを一つだけ叶えてもらう』
まるで悪魔との契約だな、とルルーシュは考える。いや、この場合は寧ろ魔女が適切だろう。
『契約すれば、お前は人の世に生きながら人とは違う理で生きることになる』
――――人とは違う理?
『異なる摂理、異なる時間、異なる命……王の力はお前を孤独にする――――それでもお前は力を望むか?』
再び脳に様々な光景が焼きつけられる。
磔にされ、火あぶりにかけられる女性。壁に追い詰められ槍衾にされる貴族の男。誰もいない雪の降る平原で一人孤独に倒れ伏す少女――――誰もが悲しみと絶望と虚無を抱えている。これが与えられた力に負けた者の末路と言うのか……?
――――下らない。
力を得たから孤独になる? 違う、力を得て他者を省みないから孤独になるのだ。
そうだ、彼等はあのブリタニアと同じだ。力を得て他人を見下し、全てが自分の思い通りになると思い込んだ哀れな道化。そうなったら最後、その者についていくのは同じく力を求めた奴や、おこぼれにあずかろうとする愚者だ。いずれその者達は力持つ者に対し反旗を翻すだろう。それが欲のためなのか、理念の違いかはともかく。
だが自分は絶対にそんな轍を踏みはしない!
「例えどんな力を得ようとも、絶対に俺は屈しない――――結んでやろう、その契約を!!」
その宣言と共にどこかで歯車が噛み合う音が鳴り、ルルーシュの左の瞳に赤い光が差し込み契約の証による力が宿るのだった。
一秒とも一時間ともとれる奇妙な体験から現実に引き戻され、ルルーシュは未だ一人で論説ぶっている親衛隊に向かって、左目を隠したまま言葉を発した。
「なぁ、一つだけ聞いていいか。お前達はその銃で何人のイレブンを……人間を殺してきたんだ?」
「何を言っている?」
銃を向けたまま、訝しげにこちらを見る親衛隊の男。
「最後の質問にくらい答えてくれてもいいだろう? それとも、あまりにも多すぎて覚えていない、か?」
「人間? フンッ、我々ブリタニア人はイレブン等というサルにも劣る畜生を人間とはカウントしない」
「そうか――――」
人を人とも思わず、与えられた特権を自分の力と勘違いする人種……自分が尤も唾棄すべきタイプの人間。
ならばこいつらにはこの『力』を試す試金石となってもらおう。
「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ――――」
「何?」
「お前達からはその覚悟も理念すらも感じられない、ゆえに――――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる……『死ね』」
開かれた瞳の瞳孔が収縮し、変わりに赤い告死鳥が羽ばたき、親衛隊達の脳裏を犯す。
そしてその先に待つのは、理不尽な命に対する圧倒的な従属感だった。
「ククッ……クフフッ――――Yes, Your Highness!!」
銃口を自ら額に首元に持っていき、笑みを浮かべながら彼等は引き金を引いた。
後に残ったのは親衛隊、そして大勢のイレブンの骸と、拘束衣に身を包んだ少女の遺体だけだった。
「これが『王の力』――――なるほど、確かにこれは人の理とは完全に異なるものだ」
ルルーシュの周りには既に人の息吹は感じられない。
力を与えてくれた少女は額を撃ち抜かれ、己を殺そうとしたものは自害――――はじめに振るった力により与えられたものはその名の通り、孤独だった。
「だが、これも所詮力に過ぎない。俺はあの幻で見た人間のようにはならない……使いこなしてやるよこの力を!!」
――――全ては優しい世界のために。
この思いの元、黒い王子は魔女と契約を交わし、黒い魔人へと変貌したのだった。