コードギアス 共犯のアキト
第六話「暗闇の想いと誓い」
「神聖ブリタニア帝国、第十七皇位継承者ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア様、御入来!」
守衛の言葉で重く巨大な扉が重々しく開き、小さな人影が謁見の間の中心を貫く真紅の絨毯の上をゆっくりと歩む。
その周りに並び、頭を下げるのはブリタニアの貴族達。
しかし、忠誠を誓い礼を尽くす態度とは裏腹に、その表情には隠しきれようもない悪意と隔意が見え隠れしていた。
「マリアンヌ皇妃が宮殿内で殺められたと聞いたが……」
「なんでも皇妃自ら選出した御付きの騎士が犯人だとか……」
「かの閃光も武勲はあれど、人を見る目は無かったということですかな」
耳に飛び込んでくるあからさまな侮蔑に激昂しそうになるのを堪え、ルルーシュは歩を進める。
しかし貴族達のよく回る口はなおも続いていく。
「妹姫様は?」
「なんでも心の病で目を患ったとか……」
「それでは政略にも使えないでしょう」
「ルルーシュ様の芽はもうありませぬな」
小さく、しかしはっきりと聞こえたその言葉に、ギリと歯をくいしばって耐える。
そう、ナナリーはあの殺害現場に「偶然」居合わせたらしい。おそらく信頼していたテンカワが母親を殺した光景を間近に見てしまった故に、精神的ショックを受けたのだろう。
ナナリーはテンカワを信頼していた。それにテンカワと一緒にいたラピスとも凄く仲よくしていた。なのにそんな彼等からこんな仕打ちを受けるなんて――――
ルルーシュは悲しみで足が止まりそうになりながらも、ひたすら赤い絨毯の上を進み、玉座の前まで辿り着いた。
目の前に鎮座するのは、ルルーシュの父親にしてブリタニア皇帝――シャルル・ジ・ブリタニア。だが多くの諸侯貴族の前とはいえ、息子を見る紫紺の瞳はどこまでも冷たかった。
「皇帝陛下、母がみまかりました」
子供心に父に慰めてほしかったのかもしれない。喪失の悲しみを父と共有したかったのかもしれない。
「だから、どうした」
「だから!?」
「そんなことを言うためにお前は、ブリタニア皇帝に謁見を求めたのか? ――次の者を、子供をあやしている暇はない」
だから、死んだ母に対してあまりにも無慈悲な、そして悲しみという感情すら感じさせない父親の言葉に、ルルーシュはついに激昂した。
「父上! なぜ母さんを守らなかったんですか! それに犯人は分かっているというのに、何故何も手を打たないのですか!」
父親に怒りの感情そのままに問いかけるルルーシュ。
しかしシャルルはまだいたのか、といった具合にルルーシュを見遣るとたった一言。
「弱者に用はない」
それだけをきっぱり言い切った。
「……弱者?」
「例え我がブリタニアの騎士や皇妃であろうとも、国から逃げた者や死んだ者には権利など無い。皇族とはそういうものだ」
つまり既に死んだ母親などどうでもいい、既に国から逃げ出したテンカワなどどうでもいいということか。
それはつまり、お前は母を――――マリアンヌを愛していなかったという事か。
家族を顧みず、ただ冷徹な玉座を奪い合うだけの醜い争いの頂にあるのがブリタニア皇帝だというのなら――――そんなものはこちらから願い下げだ。
「なら僕は……皇位継承権なんていりません! あなたの跡を継ぐのも、争いに巻き込まれるのももうたくさんです!」
皇子の思わぬ言葉に一斉にどよめく貴族達。
しかし、シャルルはその言葉に全く動じることもなく、寧ろ塵芥を見るような眼でルルーシュを見下している。
「――――死んでおる」
たった一言。その言葉はたった一言だけにも関わらず、ルルーシュの身体を固まらせた。
――――いや、シャルル本人から放たれる圧倒的な威圧感が、ルルーシュを容赦無く降りかかっているのだ。
「お前は、生まれた時から死んでおるのだ」
ゆっくりと玉座から立ち上がり、ルルーシュの目の前まで降りると威圧するように立ちはだかるシャルル。
その圧倒的な威圧感は正に王。ルルーシュは父親から放たれるプレッシャーから、恐怖のあまり立ち竦んでいた。
「身に纏っているその服は誰が与えた? 家も食事も、命すらも全て私が与えたもの! つまり、お前は生きた事は一度もないのだ! しかるに、なぁんたる愚かしさっ!!」
「っっ!!」
通常の人間ならば暴論とも言える物言い。しかし、傲慢極まりないその言葉も、王たる彼にかかればそれは正論へと昇華する。
その傲慢を真正面から受けたルルーシュは思わず後ずさるが、亡き母と妹を公衆の面前でこき下ろされ、この上自分までも無様な姿を見せるわけにはいかないと、その場で踏みとどまって、眼前に立ちはだかる父を――――皇帝をその紫紺の瞳で睨み続けていた。
その様子にほう、と僅かに感情の片鱗を見せるシャルルだが、それもすぐに露と消え先程と同じような冷たい瞳でルルーシュを見下ろしている。
「貴様の瞳は死んではおらぬようだな……しかしルルーシュよ、既に皇位継承権を捨てたお前には権利など無い。ナナリーと共に日本に渡れ――――皇子と皇女ならば、良い取引材料だ」
はっとなり、父親を見上げるルルーシュ。
よりにもよってこの時期に日本? いまやブリタニアと日本の関係は世界中のだれが見ても剣呑そのものだ。この状況下で限りなく敵に近い相手に、国の皇子を送り込むなど常人では考えもしない事だ。
周囲の貴族からは驚愕と哀憐が入り混じった声がそこかしこから上がっているが、皇帝の意見に口を挟むような真似をする人間がいるはずもない。
寧ろ、今回の件であぶれた利権にどのようにあやかろうかと、口元を緩める人間の方が多いくらいだ。
そう、皇族だけではない。ブリタニア貴族もまた、力というものに媚びへつらい、隙あらばその力を以て弱き者を食い物にするのだ。
そして今、皇帝の目の前に新たな獲物が献上された。
第十七位という、皇位継承権としては下位もいい所だが、生前のマリアンヌの功績によってルルーシュを支持する貴族は多かった。それが今回の継承権放棄により、その貴族は必然的に勢力を弱めることになるだろう。思わぬおこぼれに。多くの貴族達はほくそ笑んでいた。
しかしルルーシュは自分が父に捨てられた事も、貴族共の餌にされようとなっていることも知りながら、それについて気を取られることが無かった。
(確かに俺はブリタニアに捨てられた――しかし俺達の行先は日本……其処に行けば母さんを殺したアイツの――テンカワの事が何か分かるかもしれない)
そうだ、あの憎き男がいるであろう国に直接赴くことができるのなら、ある意味それは僥倖だ。
今の自分では手も足も出ないだろう。もし出会えば為す術もなく殺されるだろう。しかし、いつかその時のために牙を研いでおくことはできるのだ。
例え幼少の身なれど、この身体に流れるのは愛憎絡み合った皇族の血。必ず母の仇を討ってみせよう。
無謀とも言える決意をその身に宿し、用は済んだと最早視線をなげかけることすらしない父を背にその場から立ち去るルルーシュ。そして下嘲た笑みを浮かべる貴族達を尻目に謁見の間を退出した。
(そして覚えておけ。テンカワを殺したら……次に殺すのははお前たちブリタニアだ!)
数ヶ月後、日本のとある神社へと続く階段に、ルルーシュとナナリー二人の姿があった。
「ナナリー、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。ただ、目が見えなくなってお兄様のお顔が見れないのは辛いですけど……」
延々と続く石造りの階段を、ルルーシュがナナリーの手を引きながらゆっくりと登る。
折しも季節は、秋の気配が僅かに感じられる残暑の厳しい最中。石段の周りが背の高い木で覆われているとはいえ、延々と続く石段は容赦なく二人の体力を奪っていた。
だが二人はそんな気配を微塵も見せず、しっかりと繋いだ手を決して放すことなく、目的の場所へと向かっていた。そう――――『枢木神社』へと。
ブリタニアと日本の関係は最早爆発寸前。互いの国境線で睨みあいを続け、いつ戦争が始まってもおかしくない状態であった。
そんな中で二人が日本に送り込まれた……否、売り飛ばされた先がこの枢木神社だった。そして、そこはこの日本国の首相、「枢木ゲンブ」の実家でもある。
開戦間近の敵国の皇子を引き取ることに、どんな意味があるのかは、未だ幼いルルーシュにも分かりかねていた。
唯一つはっきりとしていることは――――この日本でも自分達兄妹の周りは敵しかいないという事だけだ。
十分後、二人はようやく長い階段を昇りきり、自分達がこれから住むであろう邸宅へと歩を向ける。
鬱蒼と生い茂る木々をナナリーの手を引きながら歩き、目的の場所につくと同時にルルーシュは愕然とした。
「ここが俺達の住む処……」
「お兄様、どんなお部屋なのですか? 私達が住む新しいおうちは」
それは家と呼ぶにはあまりにもお粗末な『土蔵』だった。
年季が入っていると言えば聞こえはいいだろうか。黒ずんだ染みにささくれ立った木製の柱。元は純白であったろう漆喰の壁も所々がひび割れており、周囲の景色も相俟ってまるで幽霊屋敷の様だ。
「……ちょっと小さい木造の建物だけど、僕達二人で住むには十分な広さだよ。少し散らかってるけど掃除すれば十分綺麗になるだろうし、周りには緑もいっぱいあるから健康的な生活が送れそうだよ」
苦々しい顔をしながらも声だけは明るく振る舞い、ナナリーにそう告げる。
嘘は言っていない。元は土蔵だけあって、中はそれなりの広さがあるだろうし、徹底的に掃除を行えば少なくとも人間が住める環境にはなるはずだ。
明るい口調で話したものの、ルルーシュの声に苦々しい感情を感じ取ったのかナナリーが不安そうな表情をする。それを見て、純白の綺麗な家とでも言って少しでも気を紛らわすべきだったかと考えるルルーシュだが。
(いや、ナナリーはテンカワに騙されて光を失ったんだ。どんな小さなことでもナナリーに嘘はつきたくない)
ほんの僅かな嘘でもつけば、今のナナリーの心には深刻な傷跡を残す可能性がある。
これ以上ナナリーに負担をかけないためにも、日常生活でも言動には注意しなければならない……そんな事を考えていたその時、すぐ近くに人の気配を感じた。
「誰だっ!」
振り返ると、そこにいたのは白の胴着に黒の袴という出で立ちをした茶髪の少年だった。
年の頃はルルーシュと同じくらい。胴着を着ているせいか可愛らしいというよりも凛々しいという言葉が似合う少年だ。
しかしその少年の目からは、興味や好奇心といった年相応の感情は全く見出す事は出来ず、寧ろその眼は嫌悪の感情しか感じられない。
「ふん、ブリタニアはやっぱり泥棒の国だな! 俺のお気に入りの遊び場を奪っていくなんて!」
その言葉でルルーシュは目の前の少年の正体に気付いた。
この枢木神社内で、オンボロでも蔵一つを遊び場なんて呼べる人間は限られてくる。
「お前……枢木首相の息子か」
「俺にはスザクって名前があるんだ、覚えておけブリキ野郎」
最初の出会いは最悪なものだった。
片方は憎しみと嫌悪を、もう片方は警戒と冷徹な理性を以て相対した。
これが、後にルルーシュの唯一の親友であり、最悪の敵となる男、枢木スザクとの出会いだった。
日本を訪れて三か月余り。季節は変わり、うだるような暑さは影を潜め、かわりに心地よい秋を感じさせる風が吹くようになった。
訪れたばかりの頃は、大人も子供からもルルーシュに向けられる感情は隔意ばかりであったが、今はそれらがそれほど気にならなくなりつつある。
一番の理由はスザクだ。最初こそつっかかってばかりいた二人だが、ナナリーがちょっとした事故に巻き込まれた事から、二人の仲は急速に良くなった。
かつて身近にいた日本人――二人はそう思っている――アキトの裏切りもあって、和解した後もぎこちなさは残っていたが、一か月もするとそれはほとんど払拭され、ルルーシュとスザクの二人で目の見えないナナリーをサポートしながら、共に遊ぶことが多くなった。
特にナナリーはスザクと和解する以前からは考えられないほど活発に動き、まるで今まで圧し込めていたものを発散させるようだ。
しかしそれも無理のないことかもしれない。ブリタニアにいた頃は、よく宮殿内を走り回ってルルーシュを振り回していたことが多かっただけに、周りの良くない感情を感じ取って素直にはしゃげる立場ではなかったのだから。
だが今では、スザクの口添えもあって、枢木家の屋敷内であっても嫌な感情や言葉を向けられることはなくなったため、ルルーシュだけでなく、スザクも巻き込んで一緒に遊んだりしている。
さて、夜も更けて大人もそろそろ床へ着こうかという時間帯、ルルーシュは神社の裏手にある小さな泉の縁にいた。
既にナナリーも床に就き、今頃は夢の中でも元気に遊び回っているのかもしれない。――――いや、もしかすると悪夢に魘されている可能性もある。表面上は明るく振舞っているが、たまに影で一人泣いていることも知っていた。やはり母を殺されたショックがまだ抜けきっていないのだろう。それでも以前に比べれば随分とマシになったが……。
(まぁ、そのために此処に来たんだけどな)
この泉の畔には多くのシロツメクサが群生し、夜になって月がでてくると月の光が泉の水面に反射して、幻想的な光景を作り上げるのだ。
ルルーシュはこの泉のことをスザクから聞いて、自分の目で確かめに此処にきたのである。
「それにしてもきれいな泉だな……」
ルルーシュは湖畔に群生するシロツメクサが月光に反射し、淡く光るその様子に感嘆の息を隠せなかった。
それにこれだけたくさんのシロツメクサが生えていれば、ナナリーがよく作っていた花輪の王冠も作れるだろうし、花の香りも目の見えないナナリーにとって、随分な慰めにもなるだろう。
「何本か花を持って変えるか」
明日、またナナリーと共に此処に来よう。
そう決めてルルーシュはシロツメクサを何本か摘んで満足そうな顔をし、踵を返して土蔵へと戻ろうとした。
しかし振り返ったその時、彼の眼前に一人のの人影があることに気付いた。こんな夜遅くに一体誰かと訝しげに見ていたルルーシュだったが、人影がこちらに向かってくるにつれ、月の光によってその姿が顕わになると、ルルーシュの顔が驚愕の色に彩られた。
「お……お前はっ!」
ボサボサの茶髪に日系人の血を現す黄色い肌。更に黒いマントに顔の上半分を隠す大きなバイザー。
それはかつて、ブリタニアにふらりと現れ、そして最愛の母の寵愛を受けて栄誉ある騎士になり、そしてその信頼を剣と血をもって裏切った自身が探した最大の怨敵の姿だった。
「やはり……やはり日本にいたんだな! テンカワ・アキト!!」
「…………」
ルルーシュの激昂にも、テンカワ・アキトは何も応えない。
「今更何の用だ、既に皇位継承権を放棄したこの僕に!」
目の前の男は母を裏切り、殺し、その名を貶めただけでなく、ナナリーの眼から光を奪い自分達兄妹をこの敵国のど真ん中へと導いたヴィ家にとっての仇敵だ。その点で言えば、皇位継承者の一人を片付けたという点で、この男に指示を与えた『どこかの誰か』の目的は既に達成している。これ以上、不必要に関わる必要は無い筈だ。なのに、こうして自分の目の前に現れたということは、つまり――――
「……僕を殺しに来たのか?」
考えられないことではなかった。
亡き母、マリアンヌはその美貌だけでなく、己の力と謀略を持って並み居る他の后妃達を退け、ブリタニア皇帝の寵愛を一心に受けていたのだ。その事に深い恨みを持つ后妃達が、マリアンヌの血を引く子供達を亡き者にしようとするのも考えられないわけではない。もしそうなら、自分は何の抵抗もできずここで死ぬ事になるだろう。目の前の男はあのナイトオブワンにも匹敵する力量を持つのだから。例え自分の身辺に凄腕のSPがいたとしても、瞬く間に蹴散らされることになっていただろう。
僕はここで死ぬのか――――
そんなあきらめの言葉が脳裡によぎったその時、テンカワ・アキトは口を開いた。
「『お前は生きた事は一度もない。故に死んでいる』」
「っ!!」
「ブリタニア皇帝の言葉だったな。それを踏まえた上で君に問う……君は死んでいるのか?」
そう言うとテンカワ・アキトは淀みない動作で銃を取り出し、ルルーシュにその銃口を向けた。
「ナナリーやユフィと笑い合い、マリアンヌに甘え、そしてブリタニア皇帝シャルルに、絶望と怒りを感じたルルーシュは死んでいるのか?」
銃口をピタリと向けられ、淡々と吐かれるその言葉に何も言葉を発せなくなるルルーシュ。
しかし引き金を引かず、このような問答をするということはすぐに自分を殺すつもりはないということだ。
だが、もし下手な答えを示せば自分の額に風穴が空くことは間違いない。それだけは実感出来る殺気が目の前の男――テンカワ・アキトから発せられている。
……ならばその問いに答えよう。
先程自分は確かに死を予感した。それだけの恐怖を感じ、動くことができなかった。
しかし自分はただ怯えるだけの子羊に過ぎないのか?……いや違う。
「僕は……俺は死んでなんかいないっ!」
自分の無力は誰よりも理解している。己の身を守る術さえ無い事も分かっている。
だからといって、このままなにも得る事ができずにただ野垂れ死ぬ事だけは、絶対に御免だ!
何故ならばそれは、あの男が言ったように、正に『死んでいる』事なのだから。
「ナナリーのためにも、母さんの仇を討つためにも俺はこんなところで死ぬつもりはない!」
自分の身には衣服以外何も無い。しかしその瞳からは銃という暴力すらも超越した力があった。
己に怒りと絶望しかないというのならそれを糧にしよう。その糧をもって己の力へと変えよう。その糧から得た力の先に何があるのかまだ分からない。しかしそれが、その力こそが自分自身を生かし、ブリタニアの反逆する原動力となるのだ。
テンカワ・アキトはその答えに満足するように、口元を歪めた。
「それでこそ、俺が見込んだ皇子だ」
ルルーシュに向けていた銃口を下ろし、ホルスターに仕舞うアキト。
そして今度は背を向けて呼び寄せるように声をかける。
「くるといい、君に見せたいものがある」
そう言ってその場から歩み去るアキト。
ルルーシュはそんなアキトの行動に、どう対処すれば分からなかった。普通なら自分の母親を殺した犯人の言葉を素直に聞くはずがない。そんな事は目の前のアキトも分かっているだろう。なのに、有無を言わさず付いてこいとはどういうことだろう。
常識的に考えて、ついていく必要はない。しかしその常識外れの行動がある種の秘匿性を持たせ、ルルーシュの警戒を和らげていた。
(俺を殺さずにいるのも何か理由があるということか)
だったらその真意を確かめてやろうではないか。
ルルーシュは闇の中へと消えていくアキトの背中を見失わないよう、しかし油断無く付いていった。
暗闇の中を歩くこと凡そ十分、ルルーシュの視界に森の中には似つかわしくない白い楕円型のオブジェが飛び込んできた。
家や小屋といったものではなくなにか巨大な装置、もしくはカプセルのように見えた。
「ユーチャリスに積んでいた医療用ポッドだ。君をあそこへ連れていくわけにはいかないから、こうして直接持ってきた――――中を見るといい」
そう言ってルルーシュを促すアキト。
ルルーシュはカプセルに近づき手を添えて、硬質ガラスの向こうを覗き込むと思わず息をのんだ。
「母さん!?」
アップにしていた黒い髪は下ろされ、赤みを指していた健康そうな肌は白を通り越して青白くなっているが、その容貌は紛れもなく母、マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアのものだった。
「生きて……いたんだ」
呆然となりながらも、徐々に母の生を実感し無の奥が熱くなる。
しかしそれは次のアキトの言葉で霧散した。
「あぁ、生きている……『肉体的には』、な」
「どういうことだ?」
「体に残っていた弾丸は全て摘出し、手術も問題なく終わった。だがここ数ヶ月の間、マリアンヌが起きる気配が全く無い」
アキトが言うにはブリタニアを脱出した後、ユーチャリス内での応急処置には限界があったため、日本の救急病院で手術を行い、それが終わると小康状態のマリアンヌを引き取ってそのまま雲隠れしていたらしい。黒い髪を持つため外見上は日本人に見えないこともないが、見る人が見れば明らかにブリタニア人であると分かる。
しかもマリアンヌは皇妃という身分があるだけではなく、日本との開戦を望む一派の先鋒でもあるのだ。
此処最近で態度を変えたとはいえ、シャルル皇帝の意に従い秘密裏に開発中の陸戦機甲兵器(言うまでもなくナイトメアのことである)の先駆者であるという事実は否定しようがない。
そこで、マリアンヌの正体が露見し騒ぎが大きくなる前に病院から連れ出し、ユーチャリスの医療用カプセルに放り込んでマリアンヌの目が覚めるのを待っていた。
しかし一週間、二週間と日が経つにつれ、流石にこれはおかしいと気付いた。
体内に残っていた弾の摘出手術をほぼ完璧に近い形で終え、その後の処置も問題なく済んでいるはずなのに全く目を覚ます兆候が無い。
超人的な身体能力を持つ彼女ならば、一週間と経たずに目を覚ますはずなのだが、白雪姫の如くただ昏々と眠るだけだ。
「まるで、魂だけが抜け落ちてしまったようだよ」
ルルーシュはアキトの言葉を聞いて暫し沈黙し、そして熟考する。
アキトの目的は何だ? ブリタニア貴族に取り入ること。否、それならば母に組入った時点で目的は達している。
取り入ることが目的だとして、母殺害の犯人も別にあるとしたら迷わず他の貴族に取り入るはずだ。表だって仕えずとも、今後主力となるであろうナイトメアの情報を手土産とすれば、他の貴族も無碍にはできない。
それをせず、そこに打算があったとしても、わざわざ危険を冒してまで、それもブリタニアという国から指名手配された身で死にかけの母を救ってくれた。
そして今はこうやって意識が無いとはいえ、会えるはずも無かった母に会う事が出来たのだ。
「テンカワ、母さんをこんな風にしたのは誰なんだ」
「子供だ……しかし唯の子供とは考えにくい。マリアンヌとも顔見知りだったようだしな。名前は確か……V.V.」
母の顔見知りの子供となると、それほど多くはないはずだ。
精々が宮殿内の皇子皇女くらいのものだが、アキトは彼等と頻繁に顔を合わせている。なのにそれらの名前が出てこないという事は、少なくとも皇族ではないのだろう。
なにより、テンカワの告げた名前からして恐らくそれはコードネーム……間違いなくブリタニアの抱える闇の一部だろう。
「俺は、母さんをこんな目にあわせた奴を絶対に許しはしない……それに母さんを見殺しにしただけでなく、俺達を見捨てたブリタニアを許しはしない!」
それはルルーシュの中で、ブリタニアという国に対する嫌悪が明確な憎悪に変わった瞬間だった。
今までは死んだ母に対しての無碍な仕打ち、自分達兄妹への明確な隔意を示した父と、その他の嫌みたらしい貴族達へのへの反抗だった。
だが事実はどうだ。犯人だと教えられた男が実は彼こそが母の命を助けており、貴族・皇族白々しい笑みの裏では幾多の命を奪っているのか知れたものではないし、死者と
その系譜に対して唾を吐きかけるような処遇しか下さない。そんな連中が国の中枢を占めているブリタニアに憎しみが宿っても不思議ではない。
そしてアキトがそんな憎悪にまみれた少年をそのまま放っておくわけがない。
「ならば俺は君が振るう剣となり、君を守る盾となろう」
「……どういうことだ?」
「元々俺はマリアンヌに選ばれた騎士だ。彼女は自分自身の在り様を変え、世界を変えようとしていた。それこそシャルルの意思を曲げようとしてまでな」
「父上のっ!?」
ルルーシュからは父に対して従順にしか見えなかった母が、その実反意を示していた事に驚愕と同時に喜びを覚えた。――事実は少しばかり異なるのだが、今はそれを論じる時ではない。
「もし、君がマリアンヌの意思を継ぐというのなら――――」
アキトはルルーシュの前で跪き、左腕を前に差しだすように構える。
それはブリタニア皇族への選任騎士となる誓いの儀を模したものだった。
「俺の力を君に預けよう」
先の言葉、剣となり盾となる、という言葉も選任の儀に使われるものだ。
つまりテンカワ・アキトは、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアに対して騎士の誓いをするということだった。
今の二人の間には身分の差も、力関係さえ無い。普通ならば大人のテンカワ・アキトがルルーシュをいいように使う事もできるだろう。なのにこの男は母を助けただけでなく、無力な子供に剣を捧げると言っている。本国の騎士でもこれほどの人物は数えるくらいしかいないだろう。
ならば自分はその忠義に応えなければならない。
「テンカワ・アキト……汝、ここに騎士の誓約を立て、騎士として戦う事を願うか」
「Yes, Your Highness」
「……汝、我欲を捨て大いなる正義のために剣となり、盾となることを望むか」
「Yes, Your Highness」
暗闇の森の中、およそ似つかわしくないその場所で黒い皇子と黒い騎士の誓いは続く。
「……我、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは汝、テンカワ・アキトを騎士として認める」
日本の神社の外れ、深く暗い闇の森の中、母の眠る医療ポッドが放つ僅かな光が、新しく生まれた一人の騎士と一人の主の主従関係を祝福していた。
そして森の中で行われた宣誓の儀から数ヶ月後――――二〇一〇年八月一〇日、ついに神聖ブリタニア帝国が日本へと宣戦布告する。
圧倒的な物量差と初めて投入された人型自在戦闘装甲騎ナイトメアフレーム『グラスゴー』
その圧倒的な戦闘力と機動性によって、日本の戦線は瞬く間に蹴散らされ、降伏を余儀なくされた。
『エリア11』――――それが占領下となった日本に新たに付けられた名前であった。
自由と権利、誇りと尊厳を捨てることを余儀なくされ、日本は長い混迷の時代へと突入し、ブリタニアは新たなエリアの獲得を高らかに宣言した。
だがブリタニアにとって、この戦争が予想以上の消耗を強いられた事に関して、知る人間は少ない。
ナイトメアの特性を知り尽くしたような日本軍の戦力配置、効率的に戦力を消耗させるトラップの配置等でナイトメアフレームの消耗率は当初の予定を15%も上回った。
それでもその物量差に抗う事は出来ず、結果的に見ればブリタニア軍の勝利に終わったのだが、戦争に参加した人間は口を揃えてこう言い残す。
『日本人は手強い、そして日本には黒い死神がいる』
――――黒い死神。
それは、戦闘中どこからともなく現れ、ブリタニアのナイトメアを次々と撃破していく謎の人型機動兵器のことである。
ナイトメア以上の体躯を持つ其れは縦横無尽に戦場を駆け、時には日本の軍人を手助けしブリタニアを散々手こずらせた。しかしたった一機で戦局をひっくり返す事は出来ずにそのまま終戦を迎え、同時に黒い死神はその姿を消した。
だが、この黒い死神の存在こそがブリタニアに日本の底力を感じさせ、日本がまだ牙を隠し持っているという恐怖にも似た懸念を抱かせたのだ。
そして七年の時が経ち、物語は再び一人の少年へと焦点を当てていく。