コードギアス 共犯のアキト
第十話「優しい時間」
突然だが、アッシュフォード学園には数多くのクラブ活動がある。
貴族の一種必須ステータスでもある乗馬は元より、野球・サッカー・テニス・ラグビー等の各種運動部。そして料理や音楽といった文化部。そして地雷同好会や七転八倒同好会といった何を活動しているのかわけのわからない同好会も含めるとかなりの数に上る。故にこの広いアッシュフォード学園には各場所に様々な運動施設が存在しており、生徒会が今いる場所もそんな施設の中の一つである。
木造の柱に漆喰の壁、瓦や障子といった旧日本の趣を色濃く残した道場。その中では生徒会の面々が見守る中――
「ええーーーいっ!」
「ほわあぁーーっ!?」
兄であるルルーシュが妹のナナリーに盛大に投げ飛ばされていた。
「いつ見てもシュールな光景ねぇ」
見た目中学生の少女が高校生、下手すれば大学生にも見えなくも無い男をポンポンと投げ飛ばしているのだ。
常人がいればまず目を疑う光景である。
「しっかしテンカワさんもよくナナリーちゃんに武術なんて教える気になったよなぁ」
「目が見えないということはかなりのハンデになりますし、ナナリー様も一時期それでイジメられていたことがありましたから」
中央の赤い畳で囲われた場所から少し離れた場所にルルーシュやナナリーを除いた生徒会の面々が集まり、各々は執事姿のアキトが淹れた緑茶に口をつけたり、茶菓子の煎餅や饅頭に手を伸ばしている。思ったよりも広い武道場内のすぐ傍にある茶室は絶好のくつろぎスペースとなっており、珍しい日本風のお茶や菓子が出されるとあって、生徒会の面々はよく利用しているのだ。
「尤も、教えた私もあそこまで大成するとは思ってもみませんでしたけど」
元々はナナリーに何かあった時のための保険程度でルルーシュと共に武術――勿論木蓮式柔である――を教えていたが、ナナリーはメキメキと腕を上げ、今ではルルーシュを追い抜いて、先程のように身長差で言うと30cm以上はあるルルーシュを綺麗に投げ飛ばすほどだ。流石に目が見えないために道場に通って他人と試合をしたりはできないが、自分の身を守るには十分すぎる力量といえる。
日本に来て数年は、母親を失い目の光すらも失ったため長らく沈んでいたため大人しい少女と言うイメージが強かったが、幼少の頃はアリエスの離宮でよく走り回る程の活発さを持っていたのだ。恐らく武術を通じて持前の快活さを発揮したのだろうと思われる。
アキトがそんなことを考えながら道場に目をやると、投げ飛ばされたルルーシュが立ち上がってで再びナナリーと組んでいた。
「さぁお兄様! あと10本ほどお付き合い願います!」
「ま、待ってくれナナリー……少し休憩を……」
だったら素直に畳の上でへばっていればいいのにわざわざ立ち上がって組むとは、可愛い妹の頼みは断わらないルルーシュらしいとも言える。
しかしそんなルルーシュに対して、ラピスと会長のミレイは清々しいまでに無慈悲だった。
「ルルーシュ、それが終わったら約束のチーズケーキお願い」
「この後更にお茶の用意までしろというのかラピス!?」
「あ、ルルちゃん。私達の分もお願いねぇ」
「会長、今の俺にはあなたが悪魔に見えますよ……」
白い胴着姿のまま、がっくりとうなだれるルルーシュ。
精も根も尽き果てたといった感じで若干背中が煤けている。そんなルルーシュを不憫に思ったのかシャーリーがルルーシュの元へ駆けよって彼を励ました。
「だ、大丈夫だよルル。私もお手伝いするから!」
「あぁ……ありがとう。シャーリーだけだよ、優しくしてくれるのは……」
「え、いや、そんな、お礼だなんて……」
わたわたと手を振って顔を赤くするシャーリー。それを生徒会の面々――特にミレイは面白そうに眺めていた。
「やぁれやれ、シャーリーも素直になればいいのに」
「何いってんのよリヴァル、色恋沙汰なんてそう簡単に進展したら面白くないじゃない。こういうのは時間をかけてゆっくりと少しずつ仲を深めていったほうが丸く収まりやすいのよ!」
「んで、当然会長はその間に二人をいじくりまわして遊ぶんですね?」
「勿論♪」
本当に楽しそうな顔で頷くミレイ。彼女の視線の先では、いつまでもシャーリーといちゃついていたルルーシュに痺れを切らしたナナリーが、ルル−シュに近寄ると強引に投げ飛ばして再びルルーシュを畳の上に沈めていた。それを見て再び慌てるシャーリーに、「いっぽーん」とどこか抜けた声を出すラピス。傍から見ている分には本当に面白くて仕方がない。
「それにぃ、こっちはこっちで何かと面白そうだしねぇ」
チラリとミレイが横を見ると、ニーナが可愛らしい湯呑みを口につけ、もじもじとしながら執事のアキトに話しかけていた。
「あ、あのテンカワさん……この緑茶美味しかったです」
「そうですか、それはようございました。今度お越しになられた際には、玉露という最高級の緑茶を淹れてさしあげましょう」
ニーナにそう微笑みかける黒いバイザー姿の執事にぽ〜っと見とれるニーナ。
執事服さえ着ていなければ即刻通報するような怪しい人だが、ニーナにとっては憧れの王子様そのものらしい。
(ちょおっと年はいってるけど、悪い人じゃなさそうだもんね)
あの大きなバイザーは正直どうかとも思うが、聞けば視力補正用の器具だというから、それならば仕方ないとも思う。
それにあの執事は、過去にニーナを誘拐犯から救ってくれた恩人でもある。自分だけ家のSPによって助かり、ニーナを置き去りにした過去があるため、できることなら彼女の事を応援してあげたい。
(それにラピスちゃんも絡んで色々と面白くなりそうだわ♪)
加えてラピスもアキトにべた惚れしているとミレイは踏んでおり、その証拠に時たま道場にいるラピスが凄い目つきで二人を睨んでいるのを目敏く目にとめている。ニーナとラピスのどちらがあの執事を射止めるのか、これからの恋の波乱に胸を弾ませるミレイ・アッシュフォードであった。
「ナナリー様はお休みになられましたか?」
「あぁ、よっぽど疲れてたんだろうな。ベッドに潜り込むと5分と経たずに眠ってしまったよ」
「生徒会の皆さんとお茶をするのは随分と久しぶりでしたからね――もちろんルルーシュ様も含めて」
「だからと言って、ああやって稽古で発散させるのは勘弁してほしいがな」
「でしたらもっとナナリー様との時間をとるべきかと……それに稽古の方ももう少し注力なさってほしいですね」
これはとんだやぶ蛇だったかと苦笑するルルーシュ。
時計の短針は既に10を回った頃で、学園内にあるクラブハウスの周りには既に人気が無く、夜の暗闇が穏やかな静けさを作り出している。そのクラブハウスの一室――ルルーシュの部屋には、ラフな服装で個人端末をいじくるルルーシュとシャツとスラックスというこれまたラフな格好でお茶を淹れるアキトの姿があった。
暫し流れる穏やかな時間。しかしそれはルルーシュの問いかけによって一瞬で切り替わる。
「それで、避難民達の様子はどうだ、『アキト』?」
「――クロヴィス殿下の例の放送もあって、住民の6割は脱出に成功させることができた。女子供や老人、それと若い人間の何人かは近隣のゲットーに住まわせて、残りは各地のレジスタンスグループである程度面倒見ることになった」
ルルーシュの言葉を受けて口調を切り替えるアキト。
ここからは明確な主従関係ではなく、ただのルルーシュとアキトとしての会話。真に信頼する間柄だからこその会話だ。
「6割……あれだけの戦闘でそれだけ残っただけ僥倖というべきか」
大まかな数字で正確ではないがな、と付け加えるアキト。
侵攻が始まってすぐは軍の展開が早いこともあり、広範囲にわたって被害が出ていた。しかしゲットーでは思った以上に建築物の老朽化が進んでおり、人が住んでいる区域はごくごく限られていたため、前もって日本人の動向に気を配っていたアキトは早い段階で住人の確保ができたのである。しかしそれでも、この戦いで失われた人名は4桁を上回っていた。
「それで、アキト? 俺に黙ってレジスタンス活動をしていたのはどういうわけだ?」
現状を報告し終え、次に尋ねられたのは自分が今まで行ってきたことに対してだ。
しかしこの疑問は当然のものだろう。二人は共犯者とはいえ、ルルーシュはアキトの主でアキトはルルーシュの騎士であり、簡単にいえば上司と部下の間柄。その部下が上司に何も知らせず、勝手に事を進めていたのだから確かにこれは問題である。しかしアキトはそんな事をおくびにも出さず、飄々と答えた。
「君がいつか立つべき時のための下地を作っていただけだ。いざ決起しようとしても日本の抵抗勢力が全滅していたのでは意味が無い」
「成る程、では随分と昔から行っていたわけだな」
真っ直ぐとアキトを見据えるルルーシュ。
バイザーに隠されてアキトの瞳を覗き込む事は出来ない。一瞬『力』を使うべきかと思案したが、相手の瞳が見えないのでは些か不安が残る。加えて信頼する騎士にそんなことはしたくなかった。
「……まぁいい、結果的にこちらの不利益になるようなことじゃないしな。しかし俺に一言くらい言ってもいいだろう?」
「いずれ詳しいことは時が来れば話す――俺からも一ついいか?」
「なんだ?」
「あの戦闘でルルーシュは巻き込まれたから手を出したんだろうが……これからどうするつもりだ?」
「勿論――ブリタニアをぶっ壊す」
「……予定ではあと1・2年は先だった筈だが?」
準備も何も無く突然戦闘に巻き込まれたルルーシュだが、何かしらの行動を開始するのはもっと先で、今は地力をつける事と情報を集めることが最優先だったはず。
アキトは突然の計画の変更に、ルルーシュになにがあったのかと訝しみ、それが表情に出ていたのか、ルルーシュがその疑問に答えた。
「……力が手に入った。これがあれば計画を大幅に前倒しすることができる」
しかしそれはアイキトにとって満足のいく回答ではなった。
「力とは?」
「まだ話すことはできない。俺自身、この力についてよく分かっていないからな――時が来れば話そう」
「――そうか、分かった」
主がそう言うのならばこれ以上深く聞くのは止めざるを得ない。
それに自身もルルーシュに秘密で活動していたため、お互い様と言える。
「それで、まずはどう動く?」
「それを言う前に見せたいものがある……ついてきてくれ」
そう言ってルルーシュはデスクから離れるとジャケットを羽織り、部屋の外へと歩を進める。どうやら屋敷の外に出るらしい。アキトも上着を羽織り、静かについていく。
クラブハウスの外に出て裏道から学園を抜け、街灯が僅かに光を灯す人通りの少ない通りを静かに歩き、十分も歩くとルルーシュはとりたてて特徴の無いないアパートメントの前で歩みを止めた。
「ここだ」
ポケットからカードキーを取り出し端末のスリットに通すと、カチリとロックが外れ扉が開く。
どうやら見た目に反してセキュリティはしっかりしているらしい。中は小奇麗なアパートそのものといった感じだが入居者はいないらしく、人の気配は全く感じられない。しかしルルーシュは迷いなく通路を進むと突きあたりの部屋の前で立ち止まり、キーを通して扉を開けてアキトに中に入るよう促した。そしてアキトはそこで意外な人物との対面を果たす。
「ほう……」
白い拘束服に身を包む金髪紫眼の若い男性。しかしその顔はなんとも見覚えがあるものだ。
それもそのはず。彼はつい昨日、顔こそ合わせていないが先のシンジュク・ゲットーの戦闘でブリタニア軍の指揮を執っていたクロヴィス・ラ・ブリタニアの姿だった。
話は昨日――24時間程前に遡る。
「これでいいのかい、ルルーシュ……?」
「結構です、殿下――いえ、兄上」
ゲットー殲滅作戦の司令部、G−1ベース。
玉座が添えられた作戦司令室にはルルーシュとクロヴィスの二人以外人影は無く、指令室は不気味な静けさに包まれていた。
「言われたとおりにしたんだから、そ、そろそろ銃をおろしてくれないかルルーシュ。兄弟の再会にそんなものは相応しくないだろう?」
「何を仰いますか兄上。我々ブリタニア皇族にとって、兄弟や姉妹の絆など数多の血で塗れた醜いものでしょう」
クロヴィスの懇願を冷たく一蹴するルルーシュ。血が繋がっていないとはいえ、数年ぶりの兄弟の再会だというのにクロヴィスを見つめる眼には肉親の情など一欠けらも宿ってはいない。一般兵士の服装に身を包んだルルーシュの右手には拳銃が握られており、その銃口は真っ直ぐクロヴィスへと向いている。
敵陣の大将の元に単身乗り込むという危険を冒してまでルルーシュがクロヴィスに求めるもの――
「貴方に聞きたいことは唯一つ。俺達の母、マリアンヌを襲うよう指示を出したのは兄上なのですか?」
「なっ……馬鹿を言うな! 何故お前達親子を私が手を下さねばならない! それにあれの犯人は忌々しいイレブンのあの騎士だろう!?」
予想外の問いかけに一瞬息をとめるが、即座に否定するクロヴィス。
だがクロヴィスは姦計に長けた貴族(ハイエナ)が群がる宮殿で育った生粋の皇族。ルルーシュがその答えを素直に受け止めるはずも無かった。
「それは母を疎ましく思った他の貴族のデマでしょう。それに奴は……テンカワ・アキトは母上を殺したのではなく、命を救ったのです」
「なん……だと……?」
「事実、おれは留学先の日本でテンカワと出会い、意識が戻らないものの母と対面することができました」
「そんな馬鹿な!!」
信じられないといった表情でルルーシュを見つめるクロヴィス。
それがマリアンヌが生きていた事に対してなのか、それともテンカワ・アキトという(クロヴィスにとっては)イレブンとルルーシュが協力していた事に対する驚きなのかはルルーシュには判断がつかなかった。
このままでは埒が明かない。そう判断したルルーシュは今一度クロヴィスを見据え、右眼に宿った『力』を解放した。
「今一度聞きます、兄上。『母上を襲うよう指示を出したのは何処の誰ですか?』」
赤い鳥を右眼に宿しそれを解放する。するとクロヴィスの表情は先程とは打って変わり感情を失くしたように無表情になった。『力』が効いた証だ。この『力』には何人たりとも抗う事は出来ない。それが例え軍人だろうと皇族だろうとひれ伏すしかない正に絶対王者の力。
現在母を襲った犯人について分かっているのはV.V.という名前と子供のような容姿と言う事だけ、せめて裏で糸を引く奴の手がかりさえ掴めれば……。
「さあ、早く答えを――」
急かす様に答えを促すルルーシュ。
クロヴィスは玉座に座ったまま『力』を使った影響からか顔を伏せて暫し沈黙していたが、おもむろに顔を上げると口を開くことなく――懐から取り出した銃を自らのこめかみに向けた。
「何をっ!?」
ルルーシュは咄嗟に手に持った拳銃の銃口をずらして引き金を引いた。弾はクロヴィスの拳銃に命中し、その衝撃で拳銃は司令室の床に甲高い音をたてて転がった。
しかしクロヴィスは転がった拳銃を拾おうとよたよたと身体を動かしている。それを見た後のルルーシュは、ほとんど反射的に近い行動だった。
即座にクロヴィスの背中に組みつくと腕を首に回し力を込める。なおも拳銃をとろうと暴れるクロヴィスだが完全に決まった状態だったため、手足をバタつかせる事しかできない。そうして十秒ほどした頃には、クロヴィスは完全に落ちていた。
後は気絶したクロヴィスを背負って『力』を使いながらG−1ベースを抜けだすと、要人を運ぶ黒塗りの車の運転手を見つけて同様に『力』を使い、このアパートまで運んできたのだ。勿論『力』を使った際にこの事を忘れるように言っておいたのは言うまでも無い。
拘束服も手錠ももしもの時のために用意していたため、クロヴィスが目を覚ます前に着替えさせてこの状態に至る。
「恐らく催眠や暗示で、事が漏れそうになると口を封じるよう仕向けていたのだろう……思った以上に厄介な相手だ」
「しかし交渉のカードとしては使える」
情報を引き出す事は出来なかったが、クロヴィス・ラ・ブリタニアという皇族の価値はこの世界においてかなり高い価値を示す。
既にクロヴィスが姿を晦ましている事は政庁の方でも知られているだろうから、暫くは慌ただしい事になっているはず。黒幕を引っ張り出すことはできずとも、このエリア11では強力な切り札となる。
「問題はいつそれを切るかだ。今の段階では迂闊に手札を切ることはできん……暫くは様子見だな」
クロヴィスはまだ目覚めない、いや目覚めさせない。いまだあの『力』の影響下に置かれている場合、意識が戻った途端に舌を噛んで死ぬ可能性もあるからだ。見張りをつけようにもアキトは執事の仕事もある上、四六時中張り付かせるわけにもいかない。関係の無い一般人に『力』を使って見張りにつかせるという手もあるが、人一人が姿を消すとなると足がつく可能性もある上、この『力』についても詳しいことが分からない状態では無闇に使用するのは憚られた。
やはり真っ先に必要なのは人――戦力にも策謀にも欠かすことのできない人材だ。
(まずは赤いグラスゴーのパイロット――カレン・シュタットフェルトから切り崩してみるか)
カレン・シュタットフェルト――ブリタニアでも有数の名家、シュタットフェルト家の令嬢。
体が弱いらしくアッシュフォード学園に出てくるのは極稀で激しい運動を行う授業も専ら見学で済ましている。しかし成績は上位に食い込むほどで、麗しい容姿と穏やかな性格、何より名家の箱入り娘というブランドもあって、学園の男子生徒からも人気が高い。
そんな彼女が何故日本のレジスタンス等で活動しているのかと思ったが……なんてことはない、実は彼女は日本人とブリタニア人のハーフで、シュタットフェルト家にいるのは表向きの身分で裏では反ブリタニアの活動家として活躍しているらしい。尤もシュタットフェルト家の財産を存分に利用するといった事はせず、あくまで日本人として愚直に活動している辺り、直情的な性格が見て取れる。あの戦闘の活躍ぶりからも、裏方と言うより前線で身体を張っている方が向いているのだろう。
例の『力』を使えば素性や目的などは簡単に割り出せるだろうが、あまりそれに頼り過ぎるのもよくないと考え、リヴァルやシャーリーら生徒会のメンバーからそれとなく聞き出し、ラピスにも協力してもらってなんとかここまで情報を掴む事が出来た。
「いやぁ、ルルーシュ君もお目が高い」
「ルルってばもしかしてカレンさんに気が……!?」
「ルルーシュもようやく腰を落ち着ける気になったのね」
……まぁ外野がなんやかんやと喧しかったがそれは丁重に無視した。
さて、相手の情報は出揃った。後はどのように接触するべきか――
場所は変わってエリア11政庁。
その政庁の正面ゲートで黒塗りの車両が検問でチェックを受けている。しかし普段なら一つの検問がその奥に更に二つ三つとあり、三重の検問を敷いているのが見て取れる。しかし黒い車両に乗る人物はそんな厳重な警備にも関わらず、まだまだ甘いと酷評している。
「文官は手ぬるいな。こんな型通りの検問など、何の役にもたたん」
「確かに……あの厳重なG−1ベースから殿下を誰にも察知されずに連れ出した相手にはこの警備も有って無きの如しでしょう」
クロヴィスが行方不明となり、暫定的に指揮官の役目を代行しているジェレミア・ゴットバルド辺境伯とその副官ヴィレッタ・ヌウ。
例の殲滅戦においてクロヴィスから下された停戦命令を奇妙に思い、作戦司令室に向かってみると何故か部屋の外には将軍をはじめとする司令部の面々が顔を並べていた。
殿下に先の停戦命令について話を伺おうとすると、将軍たちが頑として部屋へ入れなかったため、不審に思って無理やり押しいるとそこには殿下の姿は無く、空っぽの玉座があるだけだった。
殿下がどこに行ったのかを司令部の人間に問い詰めても知らぬ存ぜぬの一点張り。それならまだしも、記憶に無い等と言う不遜な輩もおり、ジェレミアはその場にいた人間を問答無用で縛りあげ、直ちに捜索を開始した。しかしG−1ベース内はおろか周辺区域にもその姿は見つけることはできず、既に24時間が経過している。
「ジェレミア卿、あの名誉ブリタニア人の事ですが……些か性急すぎませんか?」
「分かっている。しかし殿下が行方不明となった今、早急に手を打たねば取り返しのつかないことになる……だが、相手側から何の要求も無いという事は、殿下はまだご存命の可能性がある証でもある」
このままではマズイとジェレミアは適当な人間を見つけて犯人をでっち上げることにした。
ジェレミアとてそれがその場凌ぎの対応策であるという事は承知している。しかし現場には手掛かりや痕跡すら無く、目撃情報も皆無な状態ではどうしようもない。しかし本当に殿下が誘拐されたというのならとっくに犯行声明なりなんなりの反応があるはずなのだがそれが全く無い。ならば相手側からのアクションを待つよりも、こちら側から相手を誘い出すまでだ。その餌となるのがあの男――枢木スザクである。
調べてみればあの男、旧日本最後の首相の息子という大層なネームバリューを持っている。その経歴から犯行動機は十分考えられる上、その血筋からイレブン達からの反応は必ずあるはずだ。生贄としてこれ以上相応しいものはない。
「あの厳重な警備の中、誰の目にも触れずに殿下を連れ出したからには内通者は必ずいるはず――」
「そうだ。だからあのイレブンを使ってその不届き者を炙り出してやる」
(そしてあの黒いナイトメア……奴はあの不忠者のテンカワ・アキト、もしくはその関係者に違いない。もしのこのこと現れるようであれば、私自らの手で八つ裂きにしてくれる!!)
全ては敬愛する皇室のために……その志の元、ジェレミアはずっと生きてきた。それを汚したイレブン達には慈悲を与える気など無い。
腕を組み真っ直ぐ前を見つめるジェレミアの瞳は、怒り――いや、それすらも生温い憤怒と言う感情で染まっていた。
「ナナリー、お風呂入ろ」
「あ、ラピス姉さん、もうそんな時間ですか?」
タオルと入浴道具を持ったラピスがリビングで咲世子と折り紙を折っていたナナリーの腕を引っ張り、仲良く手を繋いで浴室へと向かう。咲世子はその様子をにこやかに笑いながらいってらっしゃいませと言って見送った。
普段はメイドの咲世子が目の見えないナナリーを風呂に入れているが、年が近く保護欲を刺激する妹の存在はラピスにとってもかけがえの無い物らしく、稀にラピスが代わりに一緒に入ることが何度かある。ナナリーには目が見えないというハンデがあるため、じゃれあったりすることはできないが仲良く洗いっこする程度ならば特に問題は無かったりする。
アッシュフォード学園に備え付いている浴場には流石に負けるが、それでもクラブハウスの浴室は二人で入るには十分すぎる広さを持っている。また目の見えないナナリーのために四方の壁には手摺りが設けられており、床も滑りにくいタイルで敷き詰められている辺り、いかに彼女が大事にされているかがよく分かる。尤もラピスもその中の一人なのだが。
ラピスはナナリーの頭にゆっくりとお湯をかけながら柔らかい栗色の髪を手でほぐすように優しく洗う。ナナリーはそれにされるがままになっているが、顔が緩んでいる事から察するに、中々に気持ちがいいらしい。その後頭を洗い流してラピスも自分の身を軽く洗った後湯船につかり、暫しの間浴室には穏やかな時間が流れる。
「……ねぇ、ラピス姉さん」
「なに?」
「お兄様とアキトさんがここ最近隠れてなにかをやっているようなのですけど……ご存じありません?」
僅かに停止する時間。
しかしラピスは何事も無かったように冷静に答えを返す。
「さぁ……男が二人して何やってるんだろうね」
勿論ラピスは二人が何をやっているのか知っている。
それが一般的に見れば、社会に混乱を起こしかねないことも知ってるし、命を落とす危険さえあることも理解している。
そして、もしナナリーがそれを知れば凄く悲しむだろうという事も――
「私はこうしてみんなと一緒に静かに暮らしていれば十分なのに……」
愛しい兄も父親みたいなあの人も大好きな姉もみんなみんな大切な人。
だからこそ危ないことなんて絶対にしてほしくない。ここで静かに穏やかに暮らしていれば、嫌な事になんて巻き込まれずに済むのだから。
そうしてみんなで笑いあって過ごせるやさしい世界――それだけが私の望み
だけどそれはラピスにとって、それは砂糖菓子のように甘く脆い幻想にすぎない。
「……ナナリー、変わらないものなんてなに一つ無い。あなたも私もここ数年で随分変わった」
そう、人は変わる。
ナナリーは光を失った当初からは到底考えられないほど健康な体を維持している上、武術なども嗜むようになった。ラピス自身もアキト以外の人間には欠片も関心を持たなかったが、今ではこうして可愛い妹とお風呂に入るのを楽しみにするほど感情が豊かになった。
たった数年、他人と触れ合っただけで人はこれほどまでに変わる……それは自分達の環境にも同じことが言える。
「この箱庭もいつ壊れるか分からない。今でこそこうして静かに暮らせてるけど、いつブリタニアの貴族達が私達に気付くか分からない。アキトもルルーシュもそんなもしもの時のために頑張っているし努力している」
いつまでも籠の中の鳥ではいられない。このアッシュフォード学園にもずっと住めるわけではない。いつか必ず箱庭から出ざるを得ない時が来るのだ。
その時もし自分達が無力なままの兄妹だったら、その先に待つ未来は過去と同じような……いや、下手をすればそれよりも凄惨な未来が待ち受けているかもしれない。
「ナナリー、私もあなたも頑張ろう。力をつけるんじゃなくて、心を強くしよう。もし私達家族になにかあっても立ち向かえるように」
湯船につかりながらラピスはナナリーの背に回り込むと腕を廻し、彼女の身体を包みこみながら腕を絡め、優しく手を繋ぐ。
宇宙を超え、時を超え、世界を超えてやっと手に入れた家族と言う絆。この温もりを絶対に離しはしない。
二人が願うはたった一つの安らかな願い。
「「やさしい世界でありますように」」
そう言って二人はくすりとお互いに笑いあうのだった。
数十分後、若干のぼせ気味に風呂から上がった二人がリビングに戻ると、珍しくルルーシュとアキトがリビングに揃っていた。
ナナリーもいることだし、今夜は久しぶりにゆっくり話でもしようかと思ったラピス。しかし口を開こうとしたその時、二人が備え付けられたテレビに視線を注いでいるのに気付く。訝しげに視線をテレビにやると、そこには赤く大きな文字でこう映し出されていた。
『クロヴィス殿下、行方不明。誘拐か!?』
そして次に映し出された映像が出た瞬間、ラピスはニュースキャスターが流す台詞は全て吹き飛んでしまった。
白い拘束衣に身を包んだ癖毛の青年――それはかつてあの神社で共に過ごした数少ない友人の姿だった。
『今回の事件の容疑者の一人として拘束されたのは枢木スザク一等兵。元イレブンの名誉ブリタニア人です。政庁では今後取り調べを進める上で犯人グループの洗い出しを――』
何故彼がブリタニアの軍人になっているのか、それにクロヴィスの誘拐とはどういうことなのか?
突然の事に困惑するラピスに、キャスターの声を拾って事情を理解したのか顔を青褪めさせるナナリー。そんな彼女を抱きすくめながら、ラピスはチラとルルーシュの顔を覗き見て背筋を寒くした。
ニュースが放映する様子を見守るルルーシュの瞳はどこまでも冷たかったから――