コードギアス×機動戦艦ナデシコ
第十九話「償いと制約と」
「彼の者は敬虔な信徒でありました……」
暗く湿った雲が空を被い太陽を隠し、その下にいる人達の暗く沈んだ心を更に沈みこませていた。
陰鬱な空の下にいる人々の服装はいずれも黒で統一され、その表情には一様に悲しみが浮かんでいる。
「また妻にとっては良き夫であり、子にとっては良き父でありました……」
聖書を片手にした神父が粛々と鎮魂の詩を紡ぎ、それに呼応するように人々から僅かな泣き声や啜り声があがる。
アッシュフォード学園の制服に身を包んだルルーシュは、そんな人々の中から棺の前に立つクラスメイトの姿を痛ましそうに見遣った。
神父の詩が終わり、地中に埋められる棺を前にして狂ったように泣き叫ぶ彼女の母親を慰めるように肩に手を置くシャーリー。だがよく見れば彼女の瞼も赤く腫れ、肩に添える手も僅かに小刻みに震えていた。
式が終わり、参列者のほとんどが墓地から去ってゆく中シャーリーは泣き疲れた母を親類に預け、墓前の前で固まったように動かないでいた。生徒会の面々の励ましの言葉に対しても曖昧な返事を返すばかりで、あまりにもシャーリーが不安なため、ミレイはルルーシュに対して彼女に傍にいるよう命令した。
ルルーシュは皆が帰るのを見送り――途中、カレンが不安そうな表情を向けてはいたが――ルルーシュは改めてシャーリーの父親、フェネット氏の墓前で彼を悼んだ。
「シャーリー……」
何か声をかけなければと思い振り向くも、いつもの気の利いた言葉が一つたりとも出すことができなかった。焦点の合わない虚ろな目をルルーシュに向け、決壊したようにボロボロと涙を流すシャーリーを前に安っぽい慰めの言葉などなんの慰めにもならない。
式の最中には涙一つ見せなかった彼女は誰の目も憚る事のないこの場所で、大好きな男の子の姿を前にして抱きつかずにはいられなかった。
「ルル、ルル、ルル……ルル――――ッッ!!」
彼女の涙と呼応するように空から冷たい雨が降り始める。
ああ、傘をささないと。いや、その前に雨宿りのためにここから離れよう――そうルルーシュは考えて、自分の胸で泣き続けるシャーリーの肩を抱こうとするが、思わずビクリと手を引っ込めてしまう。
彼女の肩が冷たかったからではない。抱けば崩れてしまいそうなほど彼女の肩が弱かったわけでもない。自分には彼女を慰める権利などありはしないと思ったからだ。
――だって、彼女の父親を殺したのは他ならない自分なのだから。
シャーリーの父は先日のナリタ攻防戦において土砂崩れに巻き込まれ、その命を散らした。
軍の避難命令に従って麓から離れた避難所に避難していたものの、土砂の勢いは戦闘区域も超えて、安全圏と思われた避難所まで襲い掛かっていたのだ。
ルルーシュはブリタニア軍の何通りもの進軍パターンを予想して破砕機を配置した上に、迅速にこちらが動けるように土砂の流れが早くなる様調節した――そのおかげで土砂の勢いは此方の予想を超えるほどの勢いを見せてブリタニア軍を押し流した上、その勢いを止めることなく麓の避難所すらも飲み込んでしまったのだ。
――その数は優に約200人強。
今まで行ってきた『正義』の行いが霞んでしまうほどの被害者数だった。
ルルーシュは自室のデスクで淡々とそう報告するラピスの声を、腕を組みながらじっとなにかに耐えるように聞いていた。
「ま、自然の脅威を舐めすぎていたってことだね。自然災害を人為的に起こそうっていうんだから、どれだけシミュレーションを行ったところで歪みはどこかでてしまうに決まってる」
「其処の所をわかっていないのさ、そこの坊やは」
ルルーシュの部屋で自分の端末を操作しつつ、そういうラピスの言葉に同意するC.C.。彼女らは相変わらずルルーシュのベッドを占領して好き勝手に過ごしているが、いつもなら悪態の一つや二つをつくはずのルルーシュが今日に限っては口を噤み、一言も発そうとせず腕を組んだまま動こうともしない。
そんなルルーシュをチラと見て、これは重症だとラピスとC.C.は肩を竦める。
「いつまで呆けているつもりだルルーシュ」
そんな様子を見かねたのか、いつものように執事服を着たアキトが、厳しい声をかける。
「ああ、すまない……覚悟していたつもりだったが、いざこうして現実を突きつけられると――な」
アキトの声に対しても抑揚のない声で応えるルルーシュ。
今まで多くの命を奪ってきたルルーシュだったが、無駄に命を奪わないように作戦を立てアキト達に協力してもらい今日まで上手くやってきたつもりだった。しかし人と人の争いが思う通りにいくわけがなく、今日こうして現実を突きつけられてルルーシュの胸中は自責の念が渦巻いていた。
「こんなことで動揺してどうする。既にお前は何人もの人間の命を弄んでいるのだ。お前には立ち止まる事など許されないのだぞ」
「分かっているさC.C.、俺は既に修羅の道に踏みこんだのだからな」
C.C.が喝を入れるように強く言い、ルルーシュがそれは当然のことだと口では言うものの相変わらず彼の表情は精彩を欠いている。
そんなルルーシュをアキトは暫し見遣って溜息をつくと、サイドテーブルに置いてあったカップに紅茶を注ぎながら口を開いた。
「まぁ、今回の件は教訓にするといいさ。自分自身の戒めとしてな」
慰めるような言葉を出してもルルーシュには何の反応もない。それどころか思考の袋小路に追い込まれていくのか、その瞳には段々と虚ろになっていく。
その様子を気にした様子も無く、アキトは湯気の立ったカップをルルーシュの傍に置くとポツリと呟いた。
「それにシャーリーの父親とは面識は無かったんだろ? よかったじゃないか、顔見知りの人間でなくて」
ガタンッ!と椅子を跳ばして立ち上がり思わずアキトを睨みつけるルルーシュ。その瞳には先程のような虚無ではなく怒りの感情が覗いていた。
確かにシャーリーの父親とは面識がないが、それでも死者を蔑ろにするようなアキトの言葉に怒りを隠せずにいられなかった。
「アキト、貴様っ!」
「既に修羅の道に踏み込んだといったな」
不謹慎だと口を開こうとしたルルーシュを遮るように、アキトは畳み掛ける。
「知人の親類一人亡くなった程度で動揺するようでは、修羅道など無謀もいいところだ」
その言葉にぐっと口を噤むルルーシュ。
つい先日騎士団やキョウトの前で宣言し、そしてなにより自分自身に課した使命の前では友人の親の命など塵芥でしかないはずだ。それなのにこの体たらくでは、部下は勿論信頼できる仲間すらも見限られてしまう。ならばこれから先数多の戦で勝つためには――
「勘違いするなルルーシュ」
ルルーシュの瞳に一筋の狂気が宿るのを見たアキトは、忠告するように口を開いた。
「身近な人間の死に動揺するのは当然の事だから落ち込むなとは言わん。だがそれを何時までも引きずるな、そして飲み込まれるな。たった一人の死でそこまで入れ込むようでは、いずれ修羅道ではなく――」
そう言ってサングラスに手を伸ばして取り外し、ルルーシュの瞳を覗き込む。
「外道に堕ちるぞ」
光の射さないアキトの瞳はまるで全てを覆う闇のように暗く、そして吸い込まれそうになるほど深かった。
ギアスでもないのに余りにも暗いその瞳に一瞬恐怖し、そしてアキトの言葉から自分が更なる血を求めていたということを自覚したルルーシュは、舌打ちをついて立ち上がると部屋の外へと逃げるように飛び出していった。
ルルーシュが出て行ったのを三人が見送り、暫し部屋を静寂が支配する。
そんな中で最初に動いたのはアキトであり、一つ溜息をつくとラピスとC.C.に紅茶を入れる。二人はアキトからカップを受け取り熱い紅茶を一口飲んで気を落ち着ける。チーズとピザの具材の油でギトギトした口の中が薫り高い紅茶で洗われるのを、半ばもったいないと思いながらもそれを喉に流し込むC.C.。
そして先程アキトがルルーシュに対して言い放った言葉について尋ねた。
「アキト、先程の言葉は貴様の経験談か?」
「さてな、ご想像にお任せするよ魔女殿」
皮肉気な、そしてどこか自嘲するような笑みを浮かべるアキト。しかしサングラスの奥にある瞳までは読むことは出来ないため、C.C.にはその笑みがどのような意味を持つのか読み取ることは出来ず、ラピスは何時も以上の無表情でカップに口をつけているだけだった。
「フン、まぁいい……それにしても意外だったな」
「なにがだ?」
「あそこまでルルーシュに強く言うお前がだよ。過保護なお前の事だからてっきり適当に慰めるのだと思ったのだがな」
「何を言うかと思えば……俺は当たり前のことをしただけだ」
アキトはサイドテーブルに立ててあったフォトフレームを手に取ると懐かしそうにそれを眺めた。
フレームの中にある写真には幼いルルーシュを中心にナナリー、ラピスらと仲良く手を繋いで映っており、その後ろにアキト自身も僅かに笑みを浮かべて佇んでいる。
この他にも壁際にあるチェストやコルクボードにいくつもの写真がかけられており、そこにはランペルージ家の七年もの記録が克明に並べられていた。それをゆっくりと見回した後。
「なんてったって、ルルーシュは俺の主人であると同時に――」
そうして心の底から慈しむような笑みを浮かべてアキトは言い切った。
「大切な息子なんだからな」
雨が降り続ける租界の街中を彷徨うように歩き続けるルルーシュ。
思わずクラブハウスを飛び出してすぐに冷静になったが、流石に直にあの部屋に戻るのは気が引けた。そのため、自分の頭と心を落ち着ける意味も含めて雨の租界を一人歩いていた。
租界の人通りはまばらで、歩く人間のほとんどが雨を避けるように早足で歩いているため、他人を気にかける人間はほとんどいない。だからこそこうして落ち着いて考え事をしながら一人で歩くことができる。
(アキトの言うとおりだな、何が修羅の道だ……)
友達の肉親が亡くなっただけでここまで動揺するようでは、修羅になることなど無理に等しい。
だからといって、先程までのように更なる血を求めて外道になることだけは避けなければならない。
(結局俺はチェス盤の上を見下ろすようにしか人の命を考えていなかったということか)
指揮官としてはそれでいいのだろう。寧ろ兵士一人一人を気にかけてしまい、大勢を死なせて動揺し戦略に支障をきたすようでは指揮官失格だ。戦場では兵士を文字通り駒として認識して戦場を見渡し、自分の率いる集団を勝利に導くことこそが最上の指揮官だ。
しかし「ゼロ」としてはそれだけではだめだ。
ゼロはその名の通りブリタニアという理不尽に対するヒーローとして認識された存在だ。ブリタニア軍を倒し、苦しめられた民衆を解放し、それを希望へと導く英雄という存在は、冷徹で理不尽な指揮官とはかけ離れた偶像である。
自分で背負った業ではあるが、改めて考えると自身の立場の重さを実感してしまう。
(難しいことだな――人の上に立つという事は)
だが投げ出すことなどできはしないし、人に任せることもできない。
これは自分自身だけでなくナナリーのため、そして昔からついてきてくれるアキト達のために始めた戦いである。『ギアス』を自身に授けたC.C.との契約も果たさなければならず、改めて自分を信じてくれたカレン達の信頼にも応えなければならない。
――いや違う。
これは自分の望んだことだ。アキトらが傍に居たおかげで人の温かさを知り、自分がナナリーやラピスらと共に平和な世界で暮らしたいから世界の変革を望んだ。C.C.との契約は結局の所切欠の一つに過ぎない。
カレン達とは目的が一致したからこその協力関係だったが、今では志を共にする立派な仲間の一人だ。彼等の信頼が心地よいからこそ彼等の信頼に報いたいと自身が思っている。
世界を変えるという願いに対して自分に課せられた枷は途方も無く重い。それを友の肉親の死によって再確認させられた。だが共に戦う仲間がいるからこそ自分は戦えるのだ。それをアキト達が教えてくれた。
(やはりアイツが居てくれてよかった)
ふうっと大きく息をついて気持ちを落ち着けたルルーシュ。
雨の冷たさが頭を冷やしてくれたのか、飛び出した時に比べて大分落ち着くことができたが、これから直に帰るのもなんだか気まずい。
適当な店で暖をとろうかと思ったところで、突然飛び出した通行人とぶつかった。
「……っと、失礼」
咄嗟に謝罪の言葉が出て、相手の顔を見てみれば酷く見覚えのある顔だった。
栗色の髪に端整な顔を雨の滴で濡らしていたが、それはほんの少し前に命がけで助けた親友の顔そのものだった。
「……スザク?」
「ルルーシュ!?」
野暮ったい私服を着た枢木スザクは思わぬ親友との再会に驚きつつも、喜びの表情を浮かべるのだった。
「ルルーシュが無事で安心したよ……被害者リストに君の名前や写真もなかったから生きているとは思ってたけど、あれから全く連絡が取れなかったからね」
「それを言うならこちらもだ。命からがら戻ったらお前はいつの間にか殿下の誘拐犯になってたしな――まぁそれはデマだったわけだが」
思わぬ再会に喜んだ二人は、そのまま最寄のカフェに入ると飲み物を頼みつつお互いの近況を話し合った。
スザクはシンジュク事変の折にルルーシュと別れてからずっと無事かどうかを気に病んでおり、ルルーシュもゼロとしてスザクを救出した後はずっと会えずじまいだったのだ。
「君は元気そうだけど……ナナリーはどうしているの?」
「目は相変わらず見えないままだが元気にしている。アキトやラピスも一緒にいるおかげで日本に来たばかりの頃に比べると随分明るくなったよ」
「そっか、テンカワさん達も一緒なんだ……」
「なんだ。相変わらずスザクはアキトが苦手なのか?」
ニヤリと意地悪そうな表情を向けるルルーシュ。
スザクは七年前に枢木神社でルルーシュが世話になっていた頃、突然現れたアキトの姿に怪しい奴め!と食って掛かった事がある。流石に大人顔負けの身体能力を身に着けていたスザクといえども所詮は子供の体で、あっさりと捻られてしまったが。
その後も枢木家の敷地内だけでなく、道場で藤堂も交えて何度も戦いを挑んだものの一度も勝つことができなかった。加えてアキトは藤堂と違い実に嫌らしい戦い――良く言えば実戦的な――をするため、それまで藤堂の実直的な戦法を学んでいたスザクにとっては本当に苦手な相手だったのだ。
「あの人はなんていうか、奥底が読めないイメージがあるからね。まぁラピスの悪戯が付随してたからっていうのも理由の一つだけど」
「ああ……」
アキトに挑んでは負け、それに追い討ちをかけるようなラピスの無邪気な悪戯には、ガキ大将で名を通したスザクも辟易していた。しかし一緒に暮らしているルルーシュにとっては今尚続く頭痛の種であるため、笑い飛ばすことが出来なかった。
そして男同士の会話など一通りの近況を話せば大概終わってしまう。
なのでルルーシュは運ばれたばかりの紅茶で唇を湿らすと、スザクに対して気になっていたことを問い質した。
「スザク……お前まだブリタニア軍にいるのか?」
「……ああ」
やはり、とルルーシュは心中で思い尚もスザクに問い質す。
「何故ブリタニア軍なんかに? お前のことだ、金や僅かな特権を得るために入ったんじゃないだろう?」
「……既に作られた秩序の中で出来うる最大限の事を考えた結果だよ。テロのような無差別な武力ではなく、中から変えるために……そのために軍に入ったんだ」
「――馬鹿かお前は」
そうきっぱりと真正面から言い切ったルルーシュにスザクは憮然とした表情を向ける。
「いくら君でも馬鹿は酷くない?」
「いいや、言わせてもらうぞ。日本人がブリタニアを中から変える? ガチガチの国粋主義な上に古くからの貴族皇族が幅を利かせるあの国で、敗戦国の人間が何ができるっていうんだ」
その言葉に反論できず、俯くスザク。ルルーシュはその様子に気付きながらもなおも言葉を続ける。
「かつてお前と同じようにブリタニアの中で手柄を上げて、国を取り戻そうとしたナンバーズがいた。だがそいつはブリタニアにいいように使われて出世はしたものの、祖国の人間を数多く殺して恨みを買い、自分の国に二度と帰る事が出来なくなったんだ」
スザクはその人物をよく知っていた。つい先日その本人に投げ飛ばされた記憶が甦り、苦い顔をするスザク。
「……知っている。ラウンズのエルンスト卿の事だろ?」
「知っているなら話は早い。そういう分かりやすい前例があるのに、何故そんな道を選んだんだお前は!」
ルルーシュの厳しい問いに暫し沈黙したスザクだったが、静かにポツリと答えた。
「間違った方法で得た結果に意味なんてないからだ……テロのような乱暴な方法で国を取り戻そうとすれば、多くの命が失われてしまう」
少し前ならば自信を持って言えた言葉が、今では酷く弱々しく同時に空虚な夢のように聞こえてしまう。ルルーシュもそれに気付いているのか、依然厳しい表情を向けたままで口を開く。
「スザク、お前の言う間違った方法とはなんだ?」
「だからそれはテロという――」
「テロは確かに悪だ。人質を取って無闇に人の命を奪う輩は許されざる存在だ。だが、純粋に国の解放を願い行動する人間も存在する。それを全て悪というのはお前の一方的な物の見方だ。ブリタニアの中から変える方法を正しいと言うのも、お前の勝手な言い分に過ぎない」
お前が言っているのは自分勝手なわがままだと言外に言われてかっとなるも、ルルーシュの言う事を否定できず口を噤んでしまう。
「間違えるなよスザク。正しいとか正しくないとかを判断するのは自由だが、それを他人に押し付けるな。戦争なんてものは国同士の正義のぶつかりあいだ。そこに個人の理念なんてものが入り込む余地は無いんだ」
そう、それが例え一国の皇子であろうとも国と言う巨人の前には人一人の力など塵芥に等しい。
どれだけ声高に正しいことを主張しても、その本人に力が無ければそれは唯の雑音に過ぎない。だからルルーシュは力を求めたのだ。世界を変えるために、そして自分の主張を貫くために――
「自分の正義をもう一度よく考えろ。自分が何を成したいのか見つめ直せ。なにが正しいのか何が間違っているかを論じるのはその後だ」
「僕の成したいこと……」
「お前が頑固者だと言うことは今に始まったことじゃないから、直に軍を抜けろと言ってもお前はできないだろう。だからじっくりと考えて改めてお前のやりたいことを聞かせてくれ」
ルルーシュはそう言うとスザクに一片の紙切れを差し出した。スザクがそれを受け取り開くと、綺麗な字で携帯電話の番号と住所が書かれていた。
「私立アッシュフォード学園……」
「今俺達が世話になっている所だ。機会があれば来るといい。ここよりも上手い茶を飲ませてやるよ」
もっとも淹れるのは俺じゃなくてアキトだがな、と言うとスザクは信じられないというような顔をし目を丸くした。その様子にルルーシュは思わず笑みを零すと、またなと一言残しカフェを後にした。
スザクは去って行ったルルーシュを暫く見遣った後、紙片に視線を落とすと先程の言葉を脳裏に刻み込むように繰り返し心の中で呟くのだった。
小降りになった雨の中を一人歩き、ルルーシュは思う。廃墟となった地下鉄で七年ぶりに会い、劇場での仮面越しで言葉を交わし、そして今日落ち着いた場所で会話してスザクは随分変わったと改めて感じた。七年前は唯我独尊を地で行くガキ大将そのもので、勿論ナナリーやラピスら少女に対して暴力を振るうような乱暴者でもなかったが、他人をあそこまで気遣い、ましてや自分を殺してまで尽くそうとする姿など想像も出来なかった。
会話をしてみてなんとなく思ったのは、どうもスザクは自分自身を責めているのではないかと感じたということだ。ブリタニア軍に入ったのは自分に対する枷だとでもいうのだろうか。だがこればかりはスザク自信が打ち明けでもしない限り協力は出来ない。
(それに、俺も人のことばかり気にかける余裕もないしな)
つい先程までは自分も失意のどん底にいたのだ。そんな自分が今のスザクをとやかく言う筋合いはないだろう。
とりあえずは帰った後に色々と嫌味を言ってくるであろう桃髪と緑髪の天使の如き悪魔をやり過ごす手段を講じなければと、妙に気合を入れて帰路へとつくルルーシュだった。
勿論、クラブハウスに着いた途端二人の魔女に盛大にいじられたのは言うまでもない。
「くそっ! こいつも違ったか」
闇夜が空を覆い尽くそうする間際の時間に、ヴィレッタは租界の路地裏でうずくまる学生服の少年を蹴り上げると興味は失せたとばかりにその場を後にした。ヴィレッタの表情には隠しようもない苛立ちの感情が浮かんでいる。
ヴィレッタは純血派が崩壊した後もたった一人でゼロの調査を続けており、今また容疑者の一人を締め上げたばかりだった。その学生は
私立の学園に通う不良学生で、頻繁にゲットーや租界の裏町に出入りしていたためヴィレッタが密かにマークしていたのだ。しかし結局は他の学園の不良達と共に馬鹿な遊びや薬に手を出す程度のチンピラでしかなかった。ゲットーに出入りしているのも、イレブンをいたぶるためだけで、ゼロと繋がるような情報は何一つ持っていなかった。
(残るはコイツだけか……)
懐の手帳から一枚の写真を取り出し、そこに映る学生の少年を見下ろすヴィレッタ。
写真には美しい黒髪と紫の瞳が特徴的な美しい少年が微笑んでこちらに視線を向けている。それは先日行われたナリタでの救助活動で一人の被害者の家族から密かに手に入れた写真だった。ヴィレッタはその写真に写る少年がどうしても記憶に引っ掛かっていた。
(あの時、サザーランドから降りた直前に見た学生がコイツだという保証は無いが……やはり気になる)
キューエル卿の助力によってピックアップした容疑者は先程の不良学生で全て終わった。これから先は自分一人でゼロの正体を突き止めねばならない。
しかしそんなことができるだろうか?
ゼロ一人ならなんとかなるかもしれない。だがゼロの傍にはあの黒騎士が控えており、更にはクロヴィス殿下も人質に取られている状況だ。たった一人でやるには余りにも荷が重すぎる状況だ。やはり此処は他の人間に
(いや、何を今更怖気づいている。他の人間の手を借りれば手柄を横から掻っ攫われるのは目に見えている! それにこれは私一人でやらなければあのイレブンを――)
「だったらさぁ、僕と協力しない?」
「――誰だっ!?」
咄嗟に太腿のホルスターから拳銃を引き抜くと声のした方向に銃口を向けるヴィレッタ。ビルの影に隠れて相手の顔は分からないものの、其処には確かに人がいる。頬に流れる汗の感触を感じつつ、油断なく銃を構えるヴィレッタ。そしてトリガーにかかった指をゆっくりと引こうとし――
「おおっとぉ、いいのかなぁ? 唯一の手掛かりを撃っちゃって」
その声と言葉の意味に眉を寄せ、トリガーから指を離した。
「……何者だ貴様は」
「そんなに睨まないでくれよぉ。それに僕はただの善良でかよわい一般人なんだからさぁ」
飄々とした態度に僅かに苛立ちを募らせるが、それを表情には出さず先程の言葉の意味を尋ねた。
「……唯一の手がかりとはどういうことだ?」
「僕はねぇ、お姉さんの思っているようにそいつの正体を知っているんだよ。ただそいつの傍には常にこわ〜いお兄さんがいるから、迂闊に近寄れないんだよねぇ」
ヴィレッタは男の言葉を聞いて、それがゼロと黒騎士の事を指しているのだと思ったが、簡単にその言葉を信じたりはしなかった。
「ほう、それならば軍や警察にでも言えば済むことだろう」
「それだと僕の気が収まらないんだよ。僕自身の手でそいつをとっ捕まえて苦しめて、僕のものを奪ったことを後悔させてやらないとね」
そういう男の言葉にはどこか狂気を感じさせるような響きが感じられ、ヴィレッタの身が僅かに震えた。
しかし男の言葉から察するに、相手はゼロを捕まえた後自らの手で殺すつもりのようだ。だがそのような真似を許せばクロヴィス殿下の行方は分からなくなる上、こちらの手柄も失うことになる。そう考えると――
「大丈夫だよ。抜け駆けなんてしないし、ゼロの身柄は後でちゃ〜んとお姉さんに渡すからさぁ」
(……っ!)
まるでこちらの考えを読み取ったように核心をついてくる謎の男。
ヴィレッタが不気味なものを見るような目で睨みつけるが、男は気にした様子も無く言葉を重ねる。
「お姉さんにして欲しいことは唯一つ。お姉さん軍の人間でしょ? ナイトメアを何機か都合して欲しいんだよねぇ」
なるほど、私に近づいたのは軍の戦力をあてにしていたからか、と納得するヴィレッタ。だがそれが簡単にできれば苦労は無い。
「軍の人間とは言っても私は唯の一平卒だ。そう簡単にナイトメアを何機も調達できるわけ無いだろう」
「あぁ、その辺は大丈夫。この命令書があれば好きなようにすることができるよ」
そう言って男はピッと一枚の紙をこちらに投げて寄越した。
いぶかしみながらもヴィレッタは銃口を男に向けたまま、その紙を拾い上げて目を走らせその内容に驚き、目を丸くする
(将官クラスの命令書だと!? この男……何者だ!?)
書類には実在する将官のサインが書かれており、一通り目を通しても怪しい所は見当たらない。偽造の可能性も高いが本当の軍人であるヴィレッタから見ても本物と遜色ないものだ。
目の前の男はどう考えても正規の軍人ではないだろうが、このような書類を用意すると言うことはバックには軍上層部、もしくは強力な組織がついているのだろう。そいつらの思惑が何処にあるのか分かる術も無いが、自分一人ではどうしようもないこの状況下では手を借りるほか無いと判断する。
ヴィレッタは銃口を下ろすと、男の提案を受け入れる事に決めた。
「――いいだろう、協力しようじゃないか」
「交渉成立〜」
そう言って男はビルの影から躍り出ると自分の姿を顕わにした。
白い中華の趣きを感じるコートを身に纏い、そのコートと同じような白い髪。そして目を引くのが目元を覆う大きなバイザーとヘッドフォンだ。その珍妙な格好の男を胡散臭気に見遣るヴィレッタに向かって、男は仰々しく言った。
「あぁそうそう、僕の名前を言ってなかったね――マオっていうんだ。よろしくぅ」
バイザーに隠された瞳の奥に赤い鳥の文様を浮かばせた男――マオは楽しそうな笑みを浮かべるのだった。