コードギアス 共犯のアキト
第二十一話「籠の中の奇術師」――後編
ゼロとの取引現場としてマオが指定したのは、ゲットーの外れにある半壊したスタジアムだった。
スタジアムの周囲には高い建物が見当たらず、狙撃の心配がほとんどない上に、屋内に入れば外へ逃げることの難しい構造になっているため、今回の取引としては特上の場所となっている。
既に肩を赤く染めた純血派のサザーランドの機影があちらこちらに配置されており、ゼロが来るのをいまかいまかと待ち構えている。
そして通路の一角にはランスロットの姿もあり、白銀の装甲を煌めかせて悠然と立っているが、搭乗するスザクの顔色はそれに反してずっと青ざめていた。
(僕は……一体どうすればいいんだ)
モニターに目を向けると、スタジアムの中央に添え付けられた舞台に、真っ白な拘束服を着せられ両腕に枷をはめられたナナリーの痛ましい姿があった。
突然基地に現れた女学生の姿に軍の誰もが驚いたが、特に驚いたのはその女学生――ナナリーの正体を知っていたスザクの方だった。
部隊を指揮するマオに何故ナナリーを浚うような真似をしたのか聞いてみれば、彼女がゼロの仲間だというとんでもない事を聞かされた。
だがスザクはそれを信じることはできなかった。
親友の妹がゼロの仲間と言うことは、兄であるルルーシュもその可能性があるのだ。いや、寧ろ幼少の頃に分かれた境遇を考えれば彼自身がゼロでもおかしくはない。そうすると自分は唯一の親友に銃を向けなければならなくなる。そうでなくとも、ここでナナリーがそのまま解放してもらえなければ、ゼロの仲間として彼女が処刑されてもおかしくはない。
なんとかして彼女を人質に使うのを取り下げてもらおうと説得を試みたものの、それはマオの残酷なまでに心を抉る言葉によって切り捨てられた。そう、自分の罪そのものを晒されてしまったのだ。
ほんの数時間前に起こった出来事を、スザクは思い返す。
「な、何故そのことを……」
「お前ウザイんだよ。正しい方法? 間違ったやり方? なんでお前如きが人のやり方にいちいちケチつけるんだ。子供みたいな屁理屈こねて間違って、大勢の人間に尻拭いされて今を生きてる卑怯者の癖に」
日本人の上層部でもほんの一握りの者しか知らないことを何故この男が知っているのかという疑問も、自分の罪悪の根元であるソレを突きつけられては疑問に思うこともできない。
「そんな、僕は……俺はそんなつもりじゃ」
「お前の言う安っぽい正義は結局自分が救われたいだけの自己満足に過ぎないんだよ。そんなものを他人に押しつけるなんて迷惑以外の何物でもない」
マオの責め立てるような言葉に何も言えず、スザクは眼を見開いていた。
視界は揺らいで唇は乾き、心臓の音が早鐘を打つように耳の奥で響いている。自分の過去、自分の罪、自分の記憶の全てを曝け出され、マオの言葉一つ一つが鋭利な刃となって赤子のように脆くなったスザクの心を犯していく。
終には自力で立つことすら不可能となってその場に崩れ落ちる。だがマオはそんなスザクを冷たく見下ろしながら、もう用は無いとばかりに言い捨てた。
「お前はずっとそうやって自分を痛めつけてろ。そうしたところで誰もお前を救ったりはしないけどね」
それだけ言うとマオは話は終わりとばかりに手で追い払うような仕草を見せると、端末を手に持ってその場から立ち去ろうとする。
「あぁ、そうそう……死ぬのはいいけどこの作戦が終わってから勝手に自殺してよね。お前みたいなのでも立派な戦力なんだからさ」
最後にそう付け加えると、マオは悠然とその場から立ち去っていった。後に残ったのは、マオによって己の心を曝され、穢されてまい顔をくしゃくしゃに歪めたスザクだけだった。
「僕は……僕はっ……!!」
『枢木一等兵』
「はっ……エルンスト卿!?」
ほんの少し前の醜態を思い出し、伏せていた所にラウンズのドロテアから声がかかる。
ランスロットとモノケロスの両機はコロシアムの両端にある巨大な搬入口に待機しており、エナジーを落とされている。
モニターに映る彼女の顔は、いつもの厳しい表情とは違っており珍しいことにこちらを心配しているようだった。
『昨日から随分と憔悴しているが大丈夫なのか?』
「あ、いえ、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
イレブン上りの自分を気遣う兵などほとんどいなかったため、ドロテアの言葉にスザクは幾分か気を紛らわすことが出来た。恐らく彼女も元は名誉の軍人だったために、色々と気を利かせてくれたのだろう。以前怒ったときは、たまたま自分が彼女の古傷に触れたためだからだろうと考えた。
……だからスザクはドロテアに対して尋ねてみた。
「エルンスト卿、一つよろしいですか?」
『ん、なんだ?』
「このような事を聞いてはいけないと分かっているのですが……」
『なんだ、言いたいことがあるならハッキリ言え』
スザクは意を決して尋ねてみた。それは今回の作戦の事についてだ。
「このような罪の確証のない民間人を人質にするやり方を、軍は本当に承認したのでしょうか?」
『……枢木、今のも含めて会話のログは全て削除しておけよ』
「え? あ、ハイ」
ドロテアの言葉の意味を理解すると端末を操作し、通信機のレコーダーをOFFにする。
両者ともそれを確認すると、ドロテアはため息を一つついて話し始めた。
『いくら無茶がまかり通るブリタニアでも、容疑が確定していない人間を好きにできるはずはない。こんな大部隊を動かして囮作戦をやるなら、少なくともコーネリア殿下の承認が無ければ不可能だ』
「ではこの作戦は不当なものであると!?」
『少なくともマオが持っている命令書は本物だ。この作戦にブリタニアの上層が関わっているのは確かだろう。私が今回の作戦に参加しているのはコーネリア殿下の要望であのマオを調べて欲しいと頼まれたからだ。でなければ、好き好んでこんな作戦に参加したりするものか』
ラウンズ自らがこれは不当な作戦であると言い切ったことで、スザクの瞳に光が灯る。だが彼女の言葉には、同時になにやら陰謀めいたものも感じ取れた。
恐らくモノケロスとランスロットの二機が離れて待機されているのも、こちらが反抗的な態度をとっているというのもあるだろうが、ドロテアがマオを疑って見張っている事も関係しているのだろう。
コーネリア総督だけでなく、本国の貴族まで関わってくるとなると只事ではない。これではドロテアに協力を要請して作戦を中止、せめてナナリーを人質に使うことを止めさせる事も不可能だ。
『あの女学生が貴様にとってどんな人物か聞く気はないし興味も無いが、名誉としてブリタニアに忠を尽くすのなら、この程度はこなせなければ話にならんぞ』
「Yes……My Lord」
こちらの思惑を見透かされた気まずさもあり、スザクは素直にそう答えるしかなかった。
『確認しました、ゼロです』
『ふふん、ちゃんと捕虜は連れてきてるかな?』
『拘束服を着た緑髪の女が運転しており、ゼロはその隣に……それとカプセルらしきものが車両後部に乗っています』
数時間後、もうすぐ日付が変わろうかと言う頃にコロシアムの正面を警備するサザーランドからゼロが現れたとの報告が入った。マオがその様子をミーミルのモニターに映し出す。
オープンルーフの車をC.C.が運転し、助手席にはゼロが座っていた。後ろには人一人が入っているだろうと思われるカプセルが添え付けられている。
『おっけ〜。じゃあ通しちゃって』
『了解です』
サザーランドが先導する形で車をコロシアムへと誘導する。
マオはモニターに映るC.C.の顔を愛しそうに見つめ、今まで見せたこともないような蕩けた表情を向けている。
(あぁ、美しい……やっぱり君は最高だよC.C.! 待っててね、すぐにそんな男から離してあげるからね。さて、どんな作戦で来たのやら――ほほぅ、これはこれは)
範囲内に入ったゼロの思考を良読み取るが、マオはその結果にほくそ笑んだ。
そうする内に車がスタジアムの中まで誘導され、ゼロとC.C.が車から降り、中央に備え付けられた白く高い舞台を見上げる。舞台の中央にはマオの搭乗するサザーランド・ミーミル、そしてそのすぐ横には拘束服を着せられたナナリーがぐったりした様子で台に支えられる形で立たされていた。
ルルーシュはその痛ましい姿を見て、すぐに駆け寄って声をかけてやりたい衝動に駆られるが、迂闊に動くわけにも行かないため歯を食いしばってそれを押さえ込む。
『よぅこそ〜ゼロ。約束通りC.C.とクロヴィス皇子を連れてきたようだね』
同じく舞台に上がっていたマオからそのような声がかかり、ゼロは忌々しげにそびえ立つミーミルを見上げる。
『しかも僕が指示したように兵も用意していないようだし……やっぱりそれだけこの子が大事なのかな?』
マオはルルーシュの思考を読み取り、彼が本当に策も何も用意せず単身乗り込んできたことを嘲笑う。仮面で隠されて分からないが、その下に苦渋に満ちた表情があるかと思うと、その愉快さに笑みを隠し切ることが出来なかった。
調子に乗ってミーミルの左手に握らせたライフルの銃口をナナリーに向けてみれば、その反応が更に劇的になる。
「止めろマオッ!」
『ハイハイ、分かってるって。しかしよく眠ってるねぇこの子。流石に麻酔をかけすぎたかな?』
ゼロの反応には満足するが、肝心の人質が無反応なためそれだけが不満であった。
この少女を連れ去る際には大人の軍人が手を焼くほど暴れていたため、業を煮やした軍人の一人が暴徒用の鎮静剤を注入したのだ。大人一人に対して使ったのなら半日と立たずに目を覚ます程度の量だったが、成人前の女性には結構な量だったのだろう。未だ目を覚ます様子が無い。
『さて、人質のもう一人についてだけど……カプセルの中身は見えたかな?』
『現在確認中……間違い有りません、クロヴィス殿下ですっ!!』
思考を読んでカプセルの中身がクロヴィス皇子だとは知っていたマオだったが、確認のために純血派のサザーランドに中身の確認をさせていた。やはり実際に目で確認してみないことにはこちらも純血派の人間も納得しないものなのだ。
兎に角これでパーティーの準備は整った。
『おっけ〜、それじゃあ交渉開始というこうか』
「交渉? こちらに兵は一人も許さず、そちらはナイトメアをぞろぞろと引き連れて交渉とは、平等とは言い難いな」
それが精一杯の皮肉であることは勿論マオは承知済みだ。何も手を出せないからこそのせめてもの抵抗の意思。
だがマオとしてもそれくらいの強情さは持っていないと面白くない。
『策も何も持ってない癖にその強情さは大したもんだね。まぁ君の言う事も尤もだ。これから始まるのは交渉じゃない、命を懸けたゲームさ!』
「……ゲームだと?」
『そ、君は得意だろ? 特にこのゲームはさぁ』
言葉と同時に舞台の下に待機していたヴィレッタが盛り上がっていたシーツを取り外す。
そこにあったのは、ルルーシュにとってはあまりにも見慣れた卓だった。
『何、簡単なことさ。チェスで見事君が勝てばそこの女の子共々解放してあげるよ』
マオの言葉に僅かながらも仮面の奥の瞳に光が灯る。チェスの腕前だけならば誰よりも自信があった。これならばなんとかできるかもしれない。そんな淡い希望がルルーシュの心に芽生えるが――
『だーけーどー!! も・し・も、君が負けたら女の子が辿る運命は蜂の巣だよ。だから、精一杯頑張ってねぇ』
「……くっ!!」
そう、相手はこちらの心を読み取るギアスを持っている。C.C.から教えてもらったように、もしこちらの深層意識まで読み取ることが出来るというのなら苦戦は必至。懸かってるのは己の命ではないが、代償は自分の命よりも大切な家族。なんとしても負けるわけにはいかない、と仮面の下で歯を食い縛る。
もし出来ることなら、対局中にマオを撃ち殺してやろう――火器の類は一切身に付けることを許されなかったが――とも思ったが。
「マオ! 貴様傍の私についてはお構いなしか!」
『安心していいよ騎士ヴィレッタ。君の安全はこの僕がきっちり保証するよ。だからちゃんと指示を聞いて打ってね』
「貴様の何を信じろというのだっ……!」
卓を挟んでゼロの向かいに立つのは何故かマオではなく純血派の制服を着た女性騎士――ヴィレッタだった。
「代打ちだと? 何故貴様がナイトメアから降りて打たない」
『僕の安全の為だよ。君の事だからどこに工作員や狙撃手を配置しているか分からないからねぇ』
「臆病者めっ……!!」
『あはは! なんとでも言うがいいさ。さぁ、ゲームの始めよう! まずは僕からだ!』
こちらの反論を無視し、マオはゲームの開始を告げた。
目の前の騎士にギアスをかければなんとかなるかと考えもしたが、彼女はシンジュク事変でナイトメアを奪う際に既にギアスをかけている。恐らくマオはそんな考えもお見通しだったのだろう。
ヴィレッタは不承不承とマオの指示に従うと、白の駒を手に取り盤上へと動かした。
最早ここまでくれば小細工は不可能と考え、ゼロは意を決して黒の駒を手に取るのだった。
「ぐうううぅぅっ!!」
『ほらほらぁ、君の駒がどんどん無くなっていくよぉ』
時間にして十数分。たったそれだけの時間で、盤上の黒の陣営はボロボロになっていた。
とられた黒の駒は既に5つ。キングを守る駒は悉く潰され、こちらから攻め込んだ駒もあっという間に食われてしまった。
『くふふふ、どんなに頭の中で策を巡らそうと無駄さ。僕とミーミルの前ではどんな事も隠し通すことはできないのさ』
ヴィレッタがマオの指示通り駒を操り、また黒の駒を一つ取る。ヴィレッタは目の前で成す術も無くゼロが負けていく様を複雑な気持ちで見ていた。
ゼロを捕まえることが目的だったのは間違いないが、マオの操り人形のまま終わるのはどこか納得がいかなかった。だからと言ってマオの指示に背くわけにもいかず、ヴィレッタはこうしてマオの言いなりになって手を動かすしかなかった。
『さぁさぁさぁさぁ、後一手で君の大事なお姫様が目の前で穴だらけになっちゃうよ? どうにかしないと全てが終わっちゃうよぉ』
盤上の黒の陣営は既にほぼ詰みの状況に陥っている。まだ動かせる駒はあるものの、どれも即チェックに繋がる手しか残っていない。それに例えどんな奇抜な手を出したとしても、心を読まれてしまうこの状況ではほとんど無意味となる――もう手詰まりだった。
ルルーシュは拳を握り締め、搾り出すようにして声を震わせた。
「もう……止めてくれ」
『ん〜? 何か言ったかなぁ。もっとはっきり大きな声で言わないと聞こえないよぉ?』
「
認める! 私の負けだ!! だから頼む、彼女を解放してくれ……」
懇願するようなその声を聞いて、ヴィレッタは目を見張る。
半ば分かっていたこととはいえ、あれだけの計略とカリスマを持ったゼロをこうまで容易く落としたのだ。
マオの卑劣さを改めて実感し、同時にここまでゼロを執着させるあの人質の少女に今更ながらに興味が沸いた。
『
ひゃはっ……ひゃあっはっはっはっはっは!! ようやく負けを認めたねぇ、ゼロ! 君の心の底からの敗北宣言、確かに聞かせてもらったよ!』
一方マオはルルーシュの敗北宣言を聞いて、心底嬉しげな笑い声を上げている。
『安心するといい。君は生きたまま連れて帰らなきゃ彼に怒らるからね。君の命は保証してあげるよ』
(彼?)
恐らく始めて口にしたマオの背後関係。やはり一軍を率いる権限を持つ彼の後ろには黒幕がいたらしい。
マオの言葉を聞いて遠くでゼロ達の様子を観察していたドロテアも通信機越しにそれを聞き、眼を鋭くする。
だがマオはそんな周囲の様子を気にも留めず、嫌に耳に残る笑い声を出しながら言葉を続けた。
『……でもねぇ、それじゃあ僕の心が収まらない。このままじゃ、C.C.を奪われた悲しみや憎しみをぶつけることが叶わないまま君を差し出さなきゃならない』
「まさか……止めろマオ!」
ゼロはマオの意図を悟ったのか、狼狽した様子で舞台に駆け寄ろうとし、マオはその様子を見て益々笑みを深くする。
そう、自分から大切な女性を奪った人間に対しての復讐は、同じ苦しみを与えることでようやく成し遂げることが出来るのだ。だから――
『だから君への罰はこの子の命で許してあげるよぉっ!!』
「やめろーーーーーっっ!!」 ミーミルの持つライフルの銃口がナナリーへと向けられ、同時にゼロの絶叫がスタジアムに響き渡る。
その魂の奥底を砕くような叫びをBGMにマオがトリガーを引こうとしたその時――
周囲を包囲するサザーランドが一斉に爆発した。
『!? な、なんだ!!』
自分でも知ることの出来なかった突然の事態に当惑するマオ。
周囲に目を向けると、信じられないといった表情をする。
『ナイトメア部隊が……全滅だと!? ミーミルで強化した僕のギアスを出し抜けるはずが……!』
そう、ミーミルによって強化した自分のギアスなら半径約1kmでも近づけば即座に相手の心を読み取る自信があった。
構造物の関係上狙撃はありえないし、ミサイルならばギアスより先に設置したレーダーが感知する。だが相手はピンポイントでこちらの戦力のほとんどを無効化したのだ。 ルルーシュの心を読んでもこの襲撃については知らないようであるし、一体どんな手段で攻撃してきたと言うのか。
そうしてマオが思考の渦に飲まれているその時、サザーランドの残骸から這い出すように蠢く物体が姿を現した。
黄色いカラーリングのボディに四本の足、そしてグラスゴーにも似た赤い四つの目を持つその機影。
「あれは……確かバッタ?」
『無人兵器か!? じゃあなんでレーダーに引っかからなかったんだよ!!』
即座にルルーシュの心を読み取り、それがなんであるかを理解するマオ。
七年前に存在した量産型ナイトメアのデザインの元ともなった無人兵器。なるほど、それならばこちらのギアスが意味を為さなかったのも納得がいく。だが兵器である以上は熱源を持っており、必ずレーダーに引っ掛かるはずだ。それが何故――
その時、虫の羽ような音が辺りに響き始めると同時に、目の前の空間に虹色の光と粒子が広がり始めた。
「この光は……!?」
『これはっ……空間跳躍!?』
そしてルルーシュの心だけでなく、彼に仕えていた騎士の心を読んでいたマオもそれがなんであるのかを理解していたが、実際にそれが目の前で起こったため驚愕を顕わにする。
一瞬の間があってマオは慌ててライフルをその光に向けるが、それよりも早く黒い影が迫りライフルを弾き飛ばすと同時にミーミルを蹴り飛ばし、大きくその間合いを広げた。それと同時に月の光がコロシアムに差し込み、闖入した影が顕わになる。
闇に溶けるような漆黒のカラーリングにエステバリスとほぼ同じ全高。だがシルエットはエステバリスのそれではなく、怪物然としたその姿はどちらかと言えば紅蓮に瓜二つで、顔の部分もそっくりだ。更に目に付くのは背中に飛び出た二つの突起物で、よく見ればそれは大きな外部ブースターであることが分かる。
機体の特徴を分かりやすく言うならば、『翼の生えた黒い紅蓮弐式』だろう。その機体をよく知るルルーシュは呆然とした様子で呟いた。
「この機体は『新月』……ということはアキトか? 一体何故――」
『ゼロ、俺は君の声を頼りに馳せ参じた』
『新月』と呼ばれた機体に乗った黒騎士――アキトは両手に持った大型ブレードを構えてミーミルを牽制しつつ、ルルーシュに答えた。
その答えにルルーシュはハッとすると、ポケットに入れた鏡を取り出し、それを見てようやく事情を理解した。
「そうか……そういうことか」
『お前……まさか!』
「んふふふふ〜、思った以上の成果じゃないの。この新型のバッタちゃんは」
「これも全てゲフィオンディスターバーの応用のおかげ」
一方、コロシアムから数キロ離れたトレーラーではキセルを携えた褐色肌の女性が、映し出す映像とデータを見て満足そうに微笑んでいた。ラピスはそれを何時も通りの無表情で眺めつつバッタ達に残敵を処理するよう命令を下している。
作戦はこうだ。作戦概要についての記憶をギアスで消したゼロがマオの元へ乗り込み、ゼロに注意が払われている内にゲフィオンディターバーを搭載してステルス性能を備えたバッタを敵のナイトメアのすぐ傍に配置。ゼロの叫び声を合図に戦力を一気に無効化、同時に新月はボソン・ジャンプでマオを強襲し、ナナリーの安全を確保するという筋書きだ。
「普通なら一基じゃそれだけの性能は発揮できないんだけど、あのサイズに加えてエナジー機器を使っていないからかしら。想定以上のステルス性能を与えることが出来たわ」
「新月も思った以上にいい数値を叩き出してる。流石はラクシャータ」
「そこまで褒められるようなモノじゃないわよ。アンタ達の技術は元がいいからねぇ」
「でもそれを理想値に近づけるのは単純に技術者の腕」
「褒め言葉として受け取っておくわぁ」
ステルス性能を加えた無人兵器のバッタに、ボソン・ジャンプ機能を加えた新型の(ハイブリッド・マシン)機動兵器――これらはアキト達の持ち込んだ異世界の技術と、この世界のエナジー技術を融合した結晶だ。それを直前に褐色肌の女性――ラクシャータが持ち込んでくれた事で、この電撃的な作戦を決行することができた。
この作戦の影の主役はラクシャータと言っても過言ではないだろう。
「それにしても後ろから一気に強襲するなんて随分えげつない真似をするわねぇ」
「可愛い妹を誘拐したんだから、それ相応の報いは受けてもらう」
無表情でサラリと恐ろしいことを言い、それを傍で聞いていた黒の騎士団の技術団員は、唐突に現れて我が物顔でオペレートマシンを操るラピスに背筋を寒くするのだった。
(そう、どうやら俺は自分自身にギアスをかけてこの作戦の記憶のみを消去したようだな。心の声が絶対的な情報と信じたお前の負けだ)
『くっ……おい、枢木にエルンスト! さっさとこいつら始末しろよ!!』
予想もしていなかった襲撃に戦力のほとんどを失ったが、ランスロットとモノケロスの二機は通路の奥に配置していたため襲撃を逃れていた。二人が此方の腹を探っているのは分かっていたので離れた所に配置していたのだが、それが皮肉にも唯一の友軍となってしまっていた。
だが二人からの返事は芳しくはなかった。
『申し訳ないがマオ殿、クロヴィス殿下に流れ弾が行かぬよう先にコイツラを倒すのが先決でしてね』
『マオ殿、ここは一旦引きましょう! こちらの被害が大きすぎます!!』
配置はされていても起動すらしていなかったために初動が遅れ、二機はスタジアム中を蠢くバッタに手間取り思うように動くことが出来なかった。
蹴散らすのは簡単ではあるが、スタジアムの舞台上にはゼロだけでなく同僚のヴィレッタ。更にはクロヴィス殿下が眠ってると思われるカプセルがあるため迂闊に暴れることが出来なかった。
(ヴィレッタも肝心な時に気絶しやがって……!)
一方、唯一無事であったヴィレッタは爆発の衝撃かその破片をぶつけたのか、頭から血を流し気を失っておりこちらの声に何の反応も示さない。生きているのか死んでいるのか定かではないが、そんなことはマオにとってはどうでもよかった。
重要なのははこれだけの数の相手に、自身が孤立無援ということだ。
『くそぉっ! どいつもこいつも役に立たない屑どもがっ!!』
『マオ! 貴様はここで消えろっ!!』
そう悪態をつくマオだったが、そんな隙をアキトは見逃さない。
新月を駆って即座にミーミルとの間合いを詰めると両手に持った大型ブレードを一閃するが――
『舐めるなよ! このミーミルは只のナイトメアじゃないんだ!』
それを後ろに跳んで回避すると、サザーランドとは思えないほど軽快な動きで次々と跳躍し、一段高い客席部へと着地する。
『ミーミルの機体性能は第七世代並だ! 僕のギアスとこのミーミルに簡単に勝てると思うなよ!!』
マオはそう言うと両腕のスタン・トンファを展開し、戦闘態勢を取る。
なるほど、改めてミーミルのシルエットを見ると通常のサザーランドとは違うことが分かる。コックピットブロックを除いた部分はサザーランドとほとんど同じだが、間接の稼動範囲が量産機とは比較にならない上、関節部には人工繊維を用いたと思われる筋肉が見え隠れしている。先程の機動を見る限りでも、第七世代並の能力を持っているというのは嘘ではないようだ。
(だが甘いな……いかに優れた機体を持ち、心を読めると言っても)
『言いたい事はそれだけか?』
アキトは新月の体を低く沈めると、IFSを通じて背中のスラスターに火を入れる。
燃料用に精製した流体サクラダイトが反応すると、それは即座に爆発的な力となって放出――新月の機体を一気に加速させた。
マオは相手が突っ込んでくることは心を読んで勿論分かっていたが、その速さがこちらの知覚を大きく上回っていたため、スタン・トンファを振るう暇もなく、あっけなく両腕を斬り落とされてしまった。
『なっ!?』
(新月の早さとアキトの技量の前では無為に等しい)
武器を失いこれ以上の戦闘は不可能と判断したマオは即座に逃亡を図る。
だがアキトはそれを見逃さない。これ以上マオを放置するとどんな卑劣な手を打ってくるか分かったものではない。
逃走に映ったサザーランド・ミーミルの背中に向けてブレードを持ったまま両腕を向けると、紅蓮弐式にも装備してある速射砲を二門並べた双門速射砲を発射した。
計四門から発射された砲弾は瞬く間にミーミルを蜂の巣にするが、スクラップになる直前にマオはコックピットブロックを脱出させてスタジアムの外へと逃亡する。
アキトはそれを見て追跡しようとするが――
「追う必要は無い。既にアイツが向かっている」
『む……そうか』
ルルーシュの言葉を聞いてそれを中断し、周囲を警戒し始めるアキト。
一方舞台に上がったゼロはナナリーの拘束を解き、ぐったりとしているナナリーを抱きかかえると脈や怪我の有無を確認する。だが目立った外傷は無く、動かないのは麻酔をかけられて眠っているだけらしい。それを確かめるとルルーシュはようやくと言った様子で安堵の息を吐いた。
『それが貴様の新しい機体か、黒騎士』
その声に咄嗟に反応し、振り向くゼロと新月。
視線の先には爆発の残り火に照らされた蒼と白の騎士――ランスロットとモノケロスの姿があった。
アキトは油断無くブレードを構えて速射砲を前に突き出し、臨戦態勢を取る。
『今ここでやりあうつもりか、ドロテア』
『そうしたいのは山々だが、この状況は些か分が悪いな』
周りを見れば、ランスロットとモノケロスの周囲を包囲するようにバッタ達が銃身を向けているため、二人は迂闊に動くことが出来なかった。それにクロヴィス殿下というカードを未だ向こうが持っている以上、強引に手を出すことも出来ない。
この状態で黒騎士を相手にするほど、ドロテアも酔狂ではなかった。
『それに、これからあの男の尻拭いもしなければならん。戦いは次の機会を待つことにしよう……帰投するぞ、枢木』
「……っ、待て、枢木だと!?」
ドロテアの言葉から聞きなれた名前が飛び出し、思わず呼び止めるゼロ。
それに反応したのかランスロットがゼロの方向に向き直った。
「まさか白騎士に乗っているのはお前なのかっ、枢木スザク!?」
『ゼロ……』
そうしてスピーカーから聞こえてきたのは、やはり以前再会したばかりの親友の声だった。
ブリタニア軍に所属していると言っていたため、敵に回るかもしれないと思ってはいたが、流石にこれは予想できなかった。最も信頼する友がこれまでの怨敵だったという事実に一瞬呆然とするゼロ。そして次に湧き上がったのは乾いた笑みと理不尽な運命に対する怒りだった。
「フ、フハハハハッ!! まさかお前が白騎士のパイロットだとはな! あの時の借りを、こんな酷い形で返されるとは思っても見なかったぞっ……!!」
『あの時君に助けてもらったのは感謝している。だけど僕には僕自身の道がある。もし君が僕の前に立ち塞がるのならばその時は容赦しない』
スザクはそう答えるとモニターに映るゼロと抱きかかえられるナナリーを交互に見つめる。
その様子を見れば、マオが言うようにナナリーはゼロにとってとても大切な存在なのだと否が応にも分かる。
ブリタニアを憎む心と、組織を率いる類稀なカリスマ性、そして黒騎士という信頼できる配下。そしてナナリーをとても大切にする人間をスザクは一人だけ知っている。いや、寧ろ彼しか思いつかなかった。
何故、どうしてと、その名前を呼んで問い詰めたい気持ちもあった。だがスザクはそれを口にすることはせず、この作戦に対する負い目を吐き出した。
『だけどこれだけは言っておこう。彼女を――ナナリーをこのような形で利用したことは深く謝罪する……また会おう、ゼロ』
「!? 待て、スザク!!」
ゼロの声も空しく。ランスロットとモノケロスの二機は踵を返すと、ランドスピナーを唸らせてスタジアムから去って行った。
二機が完全に見えなくなると新月は警戒を解き、呆然とするゼロの傍へと寄る。
『ゼロ、彼はもしや』
「ああ、この作戦に関わっていた以上、気付いたのかもしれないな」
マオはゼロの正体を口にしなかったようだが、人質のナナリーを見た以上此方の正体に気付いた可能性が高い。
ラウンズのドロテアと肩を並べていたことから、もしスザクがその話をすればドロテアを通じてコーネリア、もしくは本国のシャルル皇帝の耳に入る可能性もある。
だがスザクはそう簡単に此方の正体をバラすことはないだろうとも思っていた。
親友だからという事で色眼鏡をかけているかもしれないが、再会した時の様子や先程の去り際の言葉から、吹聴するようなことはしないはずだ。恐らく近いうちにスザクの方から連絡があるだろう。
「……今はただ喜ぼう、ナナリーが無事であったことに」
ルルーシュは腕に抱きかかえるナナリーを見下ろし、そのあどけない顔を見てもう二度と離すまいと改めて決心し、その腕に力をこめるのだった。
「ちくしょぉ……こ、こんな所で……死んでたまるかぁっ!」
コロシアムからおよそ100mほど離れた廃ビル郡の一角。そこでマオは頭から血を流し、折れた腕を庇いながら必至に逃げていた。
脱出ブロックは廃ビルに衝突したため、大して遠くまで離れることは出来なかったのだ。
ミーミルは完全に大破し、手駒の純血派も壊滅した。ドロテアやスザクのあの態度から察するに、軍には自分を拘束するよう命令が出ている可能性もある。最早ブリタニア軍を利用してルルーシュやアキトを追い詰める事は不可能だろう。
「せっかく……せっかくC.C.を手に入れるために力を手に入れたっていうのに……!!」
「もういい……もういいんだよ、マオ」
どん詰まりの状況でマオの耳に飛び込んできたのは、凛と澄んだ美しい声だった。
ハッとして横を見れば、廃ビルのエントランスにいたのは、静かな面持ちで此方を見つめるC.C.の姿だった。
上空の穴から差し込む月の光のおかげもあって、その姿はマオにとって女神のように美しく感じられた。
「C.C.……!」
「マオ、お前の事を長い間放ったらかしにして本当にすまなかったな」
自分を気遣うC.C.の言葉に胸が高揚するマオ。
ルルーシュやあの男を放って自分を追いかけてきたと言うことは、彼女は僕を選んだのだと完全に思い込んだ。
「ううん、いいんだ、いいんだよC.C.!」
「マオ……」
最早彼の頭の中にはブリタニア軍の事もルルーシュの事も頭に無かった。
あるのはこれから過ごすC.C.との甘い生活をいかにして楽しく過ごすかということだけ。これから起こるであろう様々な出来事を脳裏に描き出し、その身に負った怪我すらも放ってマオはC.C.の傍へと歩み寄った。
「ねぇC.C.! 僕、オーストラリアに家を買ったんだ。これからはそこで僕と二人っきりで――」
「あぁ、そうだな。それも悪くないかもしれないな」
C.C.はマオの頬を優しく撫で、血が付着することも戸惑わずマオの身体をそっと抱き寄せた。
そんなC.C.の様子に歓喜し、マオも片腕で彼女を抱きかかえようとし――下顎に何かが押し付けられる。
「だがマオ、お前は先に逝って待っていろ――Cの世界で」
「え? しーつ――」
パアンッ
甲高い銃声がエントランスに空しく響き渡り、マオの身体がその場で崩れ落ちる。
C.C.はもう動くことの無いマオの骸を憐みとかすかな悲しみを湛えた瞳で見下ろし、その頬にそっと唇を寄せると優しく口付けた。そして二度と振り返ることなく、静かにエントランスから姿を消した。
後にエントランスに残ったのは、ただ一人の女性を追い求めた男の残照だけ。だが、その顔は心なしか、微かな笑みを浮かべているようにも見えるのだった。
「ふーん、死んじゃったんだ。彼」
薄く光の差す神殿のようにも見える何処とも知れぬとある研究所。
そこでそう呟いたのはまだあどけなさの残る小さな少年だった。その髪は白に近い金色をしており、髪の長さは少年の身長を遥かに超える長さまで伸ばされている。
「ハイ、嚮主V.V.。貸し与えたミーミルも破壊されてしまったようで……」
彼の名前はV.V.。七年前、アキトをマリアンヌ殺害の犯人に仕立て上げた少年である。
彼はとある嚮団の嚮主という役職にあり、その嚮団で数々のギアスユーザーを『作って』いた。
七年前の事件の最中、突然姿を消したアキトをギアスユーザーと思い込み、自分やC.C.以外のコード保持者がいるのではないかと密かに捜索していた所、見つかったのがあのマオという男だった。
マオは契約を果たせない者として既にC.C.に棄てられた後だったが、そのC.C.にえらく執心していたため、V.V.は興味本位で彼の身柄を引き取ったのだ。
いざ会ってみれば数々の人間の心を読んだせいか、中々いい感じの狂気をその身に漂わせていた。だがコード保持者故にギアスの通じないV.V.に面会すると、マオはC.C.と同じ存在にいとも簡単に心を許してしまい、やけに馴れ馴れしい態度で話しかけてきたのだった。
だがV.V.もマオのギアスの特性を気に入ったため、彼にはブリタニアでの高い身分に加え、『ギアス伝導回路』を備えたミーミルを差し与えた。
だがそれはマオのギアスと彼の性質を気に入っただけであり、マオ自身を気に入ったからではない。
「ルルーシュやあの男を相手にするんだからもう少し粘ってほしかったけど……まぁいいや、マッスルフレーミングのデータは十分に取れたし、ギアス伝導回路の有用性も示せたから良しとしようか」
最新鋭のナイトメアとギアス伝導回路の実働データを得るのに、マオはうってつけの存在だった。
嚮団にはギアスユーザーは多くいるが、年齢が若いためナイトメアの動きに耐えるだけの身体能力を持った人間がいなかったのだ。
その点マオは軍人ではないものの、成人であるのである程度の身体能力は備えていたしナイトメアの適応もあった。流石に第七世代の機体を自在に操るほどの能力は無かったが、単に動かせればそれでよかったのだ。重要なのは『ギアス伝導回路』の方で、常時ギアスを発動し、効果を認識しやすいマオのギアスは、データの採取に最適だった。
そう、V.V.にとって、マオは換えのきく部品でしかなかった。
そしてV.V.はつい先日拾ったばかりの新しい『玩具』に目を向けると、ニコリと微笑んだ。
「あと少ししたら君の新しい服も用意してあげるから、もう少し待っててね――ジェレミア卿」
目の前にあるのは巨大なシリンダーで、その中にはオレンジ色の液に全身を浸したジェレミア・ゴッドバルトの姿があった。
目を付けられたのはジェレミアが持っていたその憎悪の矛先――
「テン……カワァ……」
彼の忠義の心は未だ主に届くことは無く、その心さえも汚されようとしていた。
※オリジナル兵器説明
サザーランド・ミーミル
ギアス嚮団で製作された第七世代相当のナイトメアフレーム。
関節部に合成樹脂と電動シェルの芯をサクラダイト合金繊維で覆った人工筋肉「マッスルフレーミング」を搭載しており、機体性能だけならランスロット以上のポテンシャルを持っている。
また、特殊装備として「ギアス伝導回路」を有しており、これにより搭乗者のギアス能力を拡大・増幅することができる。
それ以外の装備などはサザーランドとほぼ同じ。
武装――アサルトライフル
スラッシュ・ハーケン×2
内蔵式対人機銃
スタントンファ×2