『二〇十一年四月十日』
東京都渋谷区、夢を追いかけた若者たちが「上京」という言葉を使ってこの地にやってくる。
ある者は富と夢を掴んで成功する、またある者は夢に破れ、故郷へとしぶしぶ戻っていく。
例外としては、夢を掴まずにこの地に踏みとどまっている者。
現実と言うのはやっかいでこの世で最も目ざわりなものだと誰かが言っていた。
渋谷区には派手に着飾った学生たちが集っていることもある。
その証拠にここの服を売っている店はどれも個性的な洋服ばかりがある。
そんな華やかな渋谷区のとあるアパートに榊原恒一は一人でひっそりと暮らしている。
恒一は夜見山市の夜見北中学を卒業後、父の陽介が帰国して東京で二人暮らしをしていた。
高校は私立に通い、大学は見事に希望の美大に受かった。
彫刻の勉強をして大学の卒業後は彫刻関係の仕事をしようと考えていた。
だが、そんなに甘い世界ではなく恒一は一向に芽が出る気配が未だにない。
アルバイトで生計を立てながら彫刻の仕事をしている。
彫刻家なんて売れるわけがないと陽介も心配そうにしていたが恒一自身はまだチャンスはあると希望を捨てなかった。
だが、恒一も今年で二十八歳、このままではかなり苦しい状態になってしまう。
恒一の歳では売れるのは難しいが恒一にとっては焦っている状態でもあった。
恒一は小振りの作品は自宅アパートで制作をし、大きい作品となると職場で作る事が多い。
恒一はその日はアパートで夜中から明け方までひたすら木彫りのフクロウを彫刻刀で彫っていた。
小振りの作品でも細かいものとなると何時間もかかってしまう。
恒一は木屑がいっぱいのちゃぶ台の上でフクロウを掘りながら休憩の合間に夜食としてインスタントラーメンを食べていた。
恒一の指には何度も彫刻刀で切ったような傷跡やばんそうこうが貼られていた。
ようやくフクロウの形になったところで新聞の朝刊を届けに来たバイクの音がして夜が更けたと気づいた。
恒一はため息をつくと脇に置いていたゴミ箱に木屑を捨てた。
ゆっくり立ち上がり自分の郵便受けを見に行った。
中には新聞の朝刊と一枚のハガキが入っていた。
ハガキには「夜見山北中学三年生同窓会」と書かれていた。
夜見北の友人とは卒業以来会っていなかった。
連絡も一年に一度取るか取らないかくらいだった。
恒一は同窓会の日は丁度予定が開いていたので出席する事になった。
同窓会当日、同窓会が開かれると書かれていた夜見山市のホテルのロビーに向かっていた。
恒一は久々に夜見北の友人に会える事の喜びと何やら緊張感もあった。
恒一はクリーニングに出したばかりのスーツを着ていた。髪も先週美容院で切ったばかりだった。
ホテルは本日貸し切りで入り口のカウンターで届いたハガキの招待状を見せた。
カウンターに立っていたのはどこか見覚えのある顔の男だった。
「榊原君……だよね?僕の事覚えてる?ほら、前の席にいた……」
「え……あぁ!和久井君か、久しぶりだね」
カウンターにいたのは三年三組の教室で恒一の前の席に座っていた和久井という男子生徒だった。
和久井は十三年前とは変わらない大人しそうな色白な肌ですぐに分かった。
この同窓会を開いたのは和久井でこのホテルの従業員だと言う。
恒一はロビーの方へ歩いて行くとスーツやワンピースのようなドレスを着た同世代の男女が楽しそうに会話をしている。
夜見北のクラスは全部で五クラスあり、恒一が顔見知りなのは三組の生徒だけだった。
ロビーの左隅のテーブルにワイングラスを片手に話している男女が恒一に向かって手を振って来た。
恒一は手を振って来たテーブルを囲う男女の元に走っていった。
そこにはおなじみの面々が揃っていた。
「ようっ榊原、憶えてっか?俺、勅使河原だよ」
「そりゃあ、憶えてるよ……なんせ一番目立ってたからね」
十三年前と変わらずお調子者な勅使河原直哉は恒一の肩をポンポンと笑いながら叩いていた。
恒一は「相変わらずだな」と思いながら苦笑していた。
「それくらいにしとけ勅使河原、榊原君が困ってるだろ?」
「まぁいいんじゃないの風見君、中学の頃を思い出して僕は嬉しいけどなぁ」
クラス副委員長だった風見智彦は冷静で勅使河原には辛口だった。
風見は勅使河原の肩を引っ張ると自分の眼鏡を指でクイッとあげた。
その隣では望月優矢が微笑みながら勅使河原と風見のやり取りを見ていた。
望月はあの頃よりは身長は高くなっているが童顔なのは全く変わっていなかった。
恒一は十三年前を思い出して思わずプッと笑ってしまった。
いろいろ会話をしているとそれぞれの今の職業についての話題になった。
「俺は普通に会社員、榊原は?」
「僕は美大を卒業して彫刻家……と言っても全然売れてないんだけどね、風見君は?」
「僕は地元の進学塾の講師だよ」
「風見らしいなッ望月は?」
「えっ僕は知美さんのお店を手伝いながら絵を描いたりしてる……」
恒一は勅使河原が会社で働いている事に一番驚いていた。
その他はみんな想像ができるような感じの職業だった。
望月は頬を赤らめながら腹違いの姉の知美の店の事を語っていた。
話が盛り上がっている中、恒一はたびたびロビー内をキョロキョロとしていた。
見崎鳴の姿が見当たらずにずっと不安げにロビー内を見渡していた。
みんな外見が変わってしまっていて昔の知り合いを探すのにも一苦労だった。
そんな恒一の姿に気が付いた勅使河原はニヤニヤしながら「さては見崎を探してるのか?」と言った。
恒一は慌てて頬を赤らめながら「違う」と言って手元にあったシャンパンを一口飲んだ。
すると、後ろから「見崎ならここよ」と言う聞き覚えのある女性の声がした。
振り向くと見覚えのある赤毛の紫の膝丈のドレスを着た赤沢泉美が腕を組んで立っていた。
その後ろには左目に眼帯を付けて胸元まである長いストレートの黒髪をした黒いスーツを着こなした見崎鳴がいた。
「赤沢、お前昔とちっとも変ってねぇなぁ何だっけ確か刑事になったとか、前より逞しくなったな」
「逞しくて悪かったわね、勅使河原……」
赤沢は自分をからかう勅使河原の頬を指でつねると勅使河原はふざけたように「痛い」と言っていた。
そんな二人を苦笑しながら見ていた恒一は改めて鳴を見た。
十三年ぶりの再開だが鳴は冷静というかクールというか前とは全然変わらない雰囲気だった。
ずっと俯いていた鳴はゆっくり恒一の顔を見上げた。
「久しぶりだね、見崎、元気にしてた?」
「うん、榊原君も元気だった?」
「まぁね、おかげ様で彫刻家にはなれたけど芽が出なくてねっそういや見崎は何の仕事をしてるの?」
「……美術教師、今は出身の夜見北で三年三組の担任≠してる……」
見崎が言った「三年三組の担任を務めている」と言う言葉にその場は凍りついてしまった。
夜見北の三年三組と言えば災厄≠ェ起こっている。
クラスにいるはずのない死者≠ェ紛れ込んで、その年の三組の成員とその二親等以内の親族が毎月一人かそれ以上が死んでしまう。
死ぬのは生徒だけではなく、クラスの担任教師も同類だ。
恒一の年もその災厄で何人ものの死人を出してしまった。
だが、その死者が死んで十三年前の災厄≠ヘ八月で止まった。
恒一達は卒業するとその時の記憶が薄らいで行っていた。
今となってはその年の死者≠ェ誰だったのかすら憶えていない状態だった。
恒一は鳴の発言に持っていたワイングラスを落としそうになってしまった。
「お、おい見崎、それマジかよ……今年からか?」
「……そうだよ、今年から受け持つことになったの……今年もね教室の机と椅子が一組足らなくて、今年はある年≠轤オいよ」
慌てている恒一達を他所に鳴は至って冷静で他人事のように語っていた。
今年ももちろん誰が死者≠ネのかは分からない。
ただ、分かっているのはいないもの≠ノするのが誰かと言う事だけだ。
「今年のねいないもの≠フ生徒は、榊原志恵留(シエル)って子なの……」
「シエル?……変わった名前だな、榊原って……」
勅使河原が恒一の顔を青ざめた顔でチラッと見た。
恒一は志恵留という名前の人物は知っていた。
恒一は冷や汗をかきながらかすれたような声で「僕のいとこ」だと言った。
陽介の弟の娘の志恵留は恒一のいとこで歳も十三歳も離れていた。
志恵留とは赤ん坊の頃に一、二度会った程度であまりよく知らなかった。
それでも自分の親戚が三年三組の生徒≠セというだけでも身震いをするほど恐ろしかった。
自分は三親等の親族なので災厄≠ェ及ぶ範囲ではないが自分の叔父や叔母、そして志恵留本人が巻き込まれると思うと居ても立っても居られない。
「ねぇその……志恵留は今、どこに住んでいるの?」
「……夜見山市の私の家の近所、ほら榊原君がよく来てくれたあの人形屋」
恒一は色彩のなくなった記憶をたどって「夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。」と言う人形屋を思い出した。
鳴の母、といっても義理だがその母親の霧果(本名:ユキヨ)が主の店。
恒一はよくあの店に通っていた。
美しい人形達に魅せられていつの間にか常連になっていた。
鳴は「いないもの≠作っても意味がないかも」と少し不安げに言った。
恒一も十三年前の事は災厄≠フ影響の記憶の消滅で死者≠ノついての記憶だけがなくなっていた。
「そういや、俺らの年のもう一人≠チて誰だったんだっけ?」
勅使河原がそう言うと全員が一斉に考え出した。
恒一もその年に起きた災厄≠ナ死んだ人たちのことしか薄ら記憶にない。
恒一はいつの間にか汗で着ていたスーツがビッショリになっていた事に気が付いた。
恒一を含む五人があと少しの所で頭痛がして思い出せない。
赤沢はイライラしたように腕を組んで渋い顔で眉間にしわを寄せて考え込んでいた。
望月は頭を抱え込んで「確か美術教師だったような」と呟いた。
誰一人思い出せない中、鳴がゆっくりと口を開いた。
「美術教師で三組のあるはずのない副担任の三神怜子先生……」
五人は一斉に鳴の方を見た。
鳴はコクリと頷くとスカートのポケットから一枚の紙を出した。
紙は四つ折りになっていてそれを開けるとそれはクラス名簿だった。
しかも、それは十三年前のものでその年に亡くなった生徒のところにはバツ印が書かれていた。
一番下の余白には後からペンで書いたらしき文字で「死者:三神怜子」と記入されていた。
恒一はクラス名簿を受け取り全員に回して見せた。
「見崎、これって君が書いたもの?」
「うん、死者の名前くらい憶えておこうと思って……」
恒一は三神怜子という名前には確かに聞き覚えはあったがどこで聞いたかは分からない。
ずっと身近にその名前は存在していた。
十三年前に夜見山に引っ越してきた時もその名前がそばにあった。
恒一は瞳を閉じて何度も三神怜子という名前を自分に呼び掛けてみた。
すると、頭の中で一人の若いストレートヘアーの大人びた女性が恒一に向かって微笑んでいる映像が見えた。
恒一は瞳を開くとようやくそれが誰だったかを思い出した。
「その人……僕の叔母の怜子さん―――……」