春が来て新学期を迎えた、夜見山北中学校は体育館で始業式があり校長からの挨拶があった。
整列してその校長の話を聞く生徒達、と言ってもその大半が校長の話が長くてウトウトしている。
思わず立ったまま寝てしまい教師に頭を殴られてしまう生徒。
新しい中学三年生は受験に向けての気合いを入れていた。
始業式が終わると新しいクラスの教室に向かって廊下を歩いていた。
親しい友人と同じクラスになって喜ぶ生徒や友人と違うクラスになり落ち込む生徒。
それでも指定された教室の席に着くと前や後ろの席の生徒と楽しげに会話をしていた。
教室の机は少し古い物もあれば新品の物もある。
だが、三年三組の窓際の一番後ろの席だけなぜかとても古くなっていて傷だらけであった。
ほとんどの生徒がその事に気づいていただろう。
その席を指定されたのは学年で一番大人しくて印象が暗い女子生徒だった。
少し茶色っぽい髪を耳の後ろでハーフアップで結んでいて目尻が垂れているタレ目という感じで眼鏡をかけた榊原志恵留(シエル)。
志恵留だなんて珍しい名前なのに至って目立たなくて友達もほとんどいない生徒だった。
志恵留は自分の机と椅子に違和感を感じつつもゆっくりと席に座った。
座ると手で滑らせるように机を撫で始めた。
志恵留はそこである文字に気が付いた。机の左端に青いペンで「死者は、誰?」と書かれていた。
志恵留はそんな文字を気味悪がり、ペンケースから100均で買った消しゴムで消そうとしたがやっぱり消えなかった。
するとその後すぐに三年三組の新しい担任と見られる若い女教師が入って来た。
美術教師で志恵留が一年生の頃から知っている教師だった。
胸の位置まである黒いシャギーの入った髪で色白で華奢でいやに線の細い美しい女性の見崎鳴だった。
いつもどこか不思議な雰囲気で大抵の生徒たちの目に留まる。
鳴は黒板の前に立つと前で手を組んで虚ろな目で話し始めた。
「今年からこのクラスの担任を務めることになりました、見崎鳴です。
今年は皆さんは受験で忙しいでしょうが、それよりももっと大切な事があります」
鳴の話を聞いた瞬間、志恵留を含むクラスメイト全員が凍りついてしまった。
今から三十九年前になる、その年の三年三組の生徒に夜見山岬という男子生徒がいた。
夜見山岬は勉強も運動もできてその上性格まで良くてクラスで一番の人気者だった。
そして夜見山岬が三年に上がると岬は急な事故で命を落としてしまった。
突然の人気者の死を受け入れられないクラスメイト達はこう言った。
「ミサキなら生きているじゃないか」
そしてクラスメイト達は岬の座っていた席に話しかけたり、一緒に登下校もした。
そして卒業式を迎え、卒業の記念写真をクラスメイト全員で撮った。
するとそこにはいるはずのない夜見山岬が写っていた。
そんな話を真面目な顔で言う鳴にクラスメイト達はボソボソと喋りはじめてしまった。
「先生っそれってどういう意味ですか?ただのどこの学校でもある七不思議じゃ……」
「新学期が始まり、三年三組の教室の机と椅子が一組足りなかったんです、そしてその年の三年三組の成員とその親族が立て続けに亡くなりました」
三組の生徒とその二親等以内の親族が毎月一人以上亡くなった。
そしてその年の生徒が卒業した後、一人だけ消えてしまった生徒がいた。
それは夜見山岬と一緒に亡くなった弟だった。
夜見山岬のクラスメイトの行動で三年三組のクラスが死者を招く場≠ニなってしまった。
それで三年三組だけが死に近づいて≠オまい関係者が死んでいった。
そのクラスに紛れこむもう一人=∞死者≠ヘこの現象で命を落とした生徒かその弟や妹。
そしてその後、有力な対処法が見つかったと言う。
誰かをいないもの≠ノしてクラスの人数の帳尻を合わせて≠竄黷ホいい。
一つだけ古い机と椅子に座った生徒がその年のいないもの≠ニなる。
そんな話を聞いたクラスメイト達は一斉に志恵留の方を見た。
志恵留も自分で自分がどうなってしまうのかが分かっていた。
それでも、どうせ元々空気みたいな存在だった志恵留は制服のスカートの裾を握りしめてため息をついた。
鳴も志恵留の方に目をやった。
「榊原さん、いいですね?皆さんも榊原さんに話しかけたりするような事は控えてください。先生もそうします」
ゆっくりと瞳を閉じて息を吐く鳴。
志恵留は自分がまるで殺されてしまったかのように抜け殻となってしまった。
その日から、ちょくちょく話しかけてくれた女子生徒さえも誰一人として志恵留に話しかけようとはしなかった。
志恵留がいないもの≠ニなって一週間がたった。
志恵留を存在しないように振る舞うのは三年三組の生徒だけで他のクラスの生徒は話しかけてもいい事になっていた。
とは言えど、親にすら相談をしてはいけないと言う決まりなので正直きつかったりする。
自分がきちんと役割をまっとうしないと誰かが死んでしまうと言う重圧≠竍疎外感≠ナいっぱいだった。
志恵留は自分が存在していないという環境をいい事にたまに授業を抜け出していた。
元々成績のいい志恵留は誰もこない旧校舎の0号館の第二図書室で本を読んだり、教材を持ってきて勉強をしたりしていた。
第二図書室の隅っこのカウンターには白髪の野暮ったい黒緑の眼鏡に黒い服を着た少し年老いている男が座っている。
名前は千曳と言い、この第二図書室の主≠ニも言われている司書だ。
千曳は志恵留が来るたびに「また来たんだね」とボソッと言った。
志恵留は最初は気味が悪かったが、今となってはそんなに悪い人でもないかと思っている。
司書である千曳は志恵留をいないもの≠ニして扱わないくてもいいのでたまに会話をしたりする。
千曳はふと「この学校が出身の親戚の方はいる?」と聞かれた。
志恵留は少し考えて「います」と言った。
「それって榊原恒一っていう人じゃない?」
「はい、そうです。私のいとこで十三年前にここを卒業しています、転校生なんですけどね」
「知ってる、彼も君と同じ三年三組でね……担任の見崎先生と一緒にいないもの≠していたよ」
「えっ見崎先生が三組?いないもの≠チて一人なんじゃ……」
読んでいた本を片手に不安そうに千曳の顔を見上げる志恵留。
千曳は口をモゴモゴさせながら困ったような顔でうろたえている。
そして少し悩んでから、いとこの榊原恒一が転校してきて何も知らずにいないもの≠セった鳴に接触を試みた。
そして五月の終わりごろに女子のクラス委員長だった桜木ゆかりとその母の三枝子が亡くなった。
その後に水野猛の姉の沙苗が亡くなり、止む追えず恒一も一緒にいないもの≠ニなってしまった。
志恵留はその話を聞くと「その年の卒業アルバムが見たい」と言いだした。
千曳は「いいよ」と言うと部屋の奥から埃まみれになった一冊の卒業アルバムを持ってきた。
卒業アルバムには「九八年度卒業生」と書かれていた。
ページをパラパラと捲っていると恒一らしき男子生徒が写真に写っていた。
ごくごく平凡な顔立ちで少し頼りなさそうな雰囲気の恒一。
年に一、二度会う程度のいとこの恒一だが一回見ただけでこの人だとはっきり言える。
そしてその隣には眼帯を付けたシャギーショートボブの少女が立っていた。
おそらくこれが鳴だろうと思えた。今も変わらぬ眼帯で不思議な雰囲気の鳴。
何枚か捲っていると志恵留はある事に気が付いた。
「千曳さん、あの……この年の担任の先生はどうしたんですか?」
「あぁ、久保寺という国語教師でな、七月に脳梗塞を患った母親を殺害して生徒の前で自殺を図った……」
どこにも写っていない担任らしき教師。
千曳はあの時の事を薄らとしか憶えていないが、あの時の事は普通なら生徒たちには一生のトラウマとなってしまう。
しかし、この災厄≠ナは卒業をするとその当事者たちの記憶は時と共に消えて行ってしまう。
久保寺があんな無残な死に方をしても誰一人としてはっきりとは憶えていない。
志恵留は事情を聞くと「そうですか」と俯いて呟いて卒業アルバムをゆっくりと閉じた。
閉じた瞬間、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
志恵留は放課後、部活に入っていないので帰り道を一人で寂しく帰っていた。
この道はあまり人通りが少ないので元々一緒に帰るような人はいなかった。
空を見上げると雨が降りそうなほどどんよりとした空が広がっていた。
傘を持ってきていないので早く帰ろうと志恵留が思った時、志恵留の鼻先に冷たい雫が落ちてきた。
雫が落ちると思いっきりザァーと言う音で激しく降る雨。
手に持っていたカバンを頭に乗せて身を屈めながら走っていく志恵留。
走っていると地面が湿気っぽくて水たまりを通るとビシャンと足に水が跳ねる。
息を切らしながら走っていると電柱に「御先町(ミサキチョウ)」と言う町名の標示を見かけた。
一瞬、字は違えど担任の見崎鳴の事を思い出した。
この先に志恵留の自宅がある。一軒家でそこそこ広い家だった。
父親が公務員で母親は薬剤師という恵まれた環境にある。
だからか家に帰ったとしても誰も家にはいない。
そんな事を考えていると足を滑らせてその場に倒れてしまった志恵留。
すぐに起き上がるが体はずぶ濡れでとても冷えていた。
なんだか自分が他の人とは違う別世界の人間のような気がしてかなりの孤独を感じた。
雨と混じり合って頬をつたって流れる涙。
すると先ほどまで体を滝のようにうっていた雨が志恵留の体をうたなくなった。
見ると志恵留の頭上にビニール傘が見えた。
後ろには鳴がしゃがみ込んで志恵留に傘をかけていた。
志恵留は一瞬呆気にとられたが我に返ると慌てた。
「せ、先生……私の事、無視しなくていいんですか?」
「決まりは学校だけ、それに私の家は榊原さんの近所よ」
鳴は志恵留の手を引いて無愛想なコンクリート造りの三階建ての雑居ビルめいた建物に招いた。
入口の前には「夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。」と黒塗り板にクリーム色の塗料でそんな文字が書かれている看板があった。
中に入ると扉の脇にカウンターがあり、一人の老婆が座っていた。
鳴は老婆に「私の教え子の榊原さん」と志恵留の肩をポンと叩いた。
老婆は「そうかい」とウンウンと頷いていた。
鳴は志恵留のほうを見ると「私の大伯母さんの天根」と老婆のほうに手をかざした。
志恵留は天根にペコリとお辞儀をした。
そして中へと案内され、部屋には美しい人形達が並べられていた。
たが、中を歩いていると少しだけ頭の中がくらくらするような感じがした。
それでも先々と早歩きになる鳴に必死でついて行く志恵留。
周りにある人形を気にしつつも鳴に追いつこうと必死に歩いた。
鳴は部屋の奥へ行くと薄暗い階段を上っていった。
志恵留も階段を上ると階段は頼りなくギシギシと音を立てていた。
階段を上り切るとそこにはリビング&ダイニングが見えた。
中央にはテーブルと大きなソファーがあり、鳴に案内されるがまま志恵留はソファーに座った。
ソファーはフカフカとしていて、とても座り心地がいい。
鳴は奥にあるキッチンでティーポットを手に取り、紅茶缶を棚から取り出した。
志恵留はずっと辺りを気にしていて周りには普通の家具が並べられていた。
そうこうしていると鳴がトレーにレモンティーを乗せて持ってきた。
テーブルにレモンティーの入ったティーカップを並べて志恵留はすぐにレモンティーを一口飲んだ。
飲むと口いっぱいに甘さとレモンの酸味が広がった。
鳴も志恵留に向き合うようにソファーに座って自分用に持ってきていたレモンティーを飲んだ。
そしてため息をつくと「入ってきて」と扉に向かって言った。
志恵留も扉の方に目をやると扉がゆっくりと開いた。
そして入って来たのは志恵留が見覚えのある若い男性が入って来た。
「……志恵留」
「恒一兄ちゃん……」
それは紛れもない、いとこの恒一だった―――……。