「恒一兄ちゃん……」
担任の見崎鳴の家に招かれた榊原志恵留(シエル)はそこでいとこの榊原恒一と久々の再開をした。
恒一とは大晦日や元旦に会うくらいでそんなに話した事はない。
リビング&ダイニングに真剣な顔で入ってくる恒一。
鳴は「どうぞ」と言ってソファーの志恵留の隣に恒一を座らせた。
恒一はゆっくり腰を下ろすと一つため息を深くした。
そして志恵留の顔を見て「いないもの≠ネんだってな」と言った。
志恵留はそんな事を言われてなぜか胸の奥がチクンと針が刺さったような痛みがした。
志恵留は言い逃れができないと思うとコクリと頷いて俯いてしまった。
恒一は志恵留から視線をそらして膝の上で手を組んで前かがみになって考え込んだ。
鳴は先ほどとは変わらない表情で二人のやり取りを無言で見ていた。
「僕も十三年前に同じような経験をした、でも結局はうまくいくはずもなかった……」
「いないもの≠やっても無駄なの?」
「成功率は50%失敗率は50%……半々ってところ……」
十三年前に三年三組だった二人はその時の事を話し始めた。
恒一が何も知らずに五月に転校してきて鳴へのクラスの反応に違和感を感じていた。
五月の終わりに桜木ゆかりと母親の三枝子が同じ日に別々の事故に遭って亡くなってしまった。
そこから次々とクラスの関係者が死んでいった。
そこでやっと恒一は災厄≠フ事について知った。
志恵留はその話を聞くと何やら寒気がした。
「その……災厄≠フ被害に遭わないためにはどうすればいいの?」
「……千曳さんの話によれば夜見山から脱出すればほぼ℃は免れるよ」
対処法を聞くと少しだけホッとした様子の志恵留。
緊張で喉がからからになったのか手元のレモンティーを飲む志恵留。
恒一も同じように鳴が用意してくれたレモンティーを飲んだ。
鳴は眼だけが下を向いて左目の眼帯に左手の指が触れた。
こんな行動は学校でもよく見かける志恵留。
正直言うとどうして眼帯をつけているのかを聞きたかった。
志恵留が一年生の頃からずっと外さない眼帯の下はどうなっているのかを聞きたいが少し怖かった。
恒一は鳴の眼帯を見るとすぐに視線をそらしてしまった。
何やら鳴と恒一の間に異様な空気が流れ始めた。
志恵留は何気なく「中学の頃は仲良かったんですか?」と尋ねてみた。
恒一は「えっ」としたような顔で志恵留を見ると口をモゴモゴとさせている。
鳴は静かに頷くと「私に話しかけてくれるのは榊原君くらいだった」と言った。
志恵留は数回頷くと部屋の窓の横にあるアンティークの古そうな時計に目をやった。
時計の針は午後六時三十分を差していた。
志恵留の家の門限は七時で遅くなると怒られてしまうので慌てて自分のカバンを手に取った。
「す、すみませんっもうそろそろ帰らないと……」
「そう、じゃあ送って行きましょうか?」
「いえ、大丈夫です……失礼しました」
志恵留はソファーから立ち上がると鳴に丁重に一礼をして部屋から飛び出した。
しばらくすると鳴は部屋の窓から走って帰る志恵留の姿を見ていた。
恒一も同じように鳴の隣で志恵留の帰って行く姿を見つめていた。
雨が降った後なので志恵留は何度か水たまりを踏んでいた。
鳴は窓を少し開けると湿っぽい匂いが鼻をツンとさせた。
鳴は黙って窓を閉めると振り返って窓にもたれ掛かった。
「榊原君、今年は成功すると思う?」
「どうだろうね、誣いて言うなら失敗すると思う……最近失敗が立て続けに起きているからね」
「私も同じ、いつ私が被害に遭ったっておかしくないもの……」
遠い目で足元を見つめる鳴の瞳には何かを予知するかのような闇が潜んでいた。
恒一はそんな鳴の姿を心配そうに見ていた。
鳴の頭の中では志恵留がこのまま無事に帰れるかどうかを心配していた。
どこかで事故に遭って四月の死者≠ニならないだろうか。
恒一も同じように悲惨な結果を気にしていた。
あれから一週間がたった。
志恵留はあの古い机と椅子に座って授業を受けていた。
志恵留は苦手な地理はきちんと受けておこうと思っていた。
得意教科は教室を抜け出して第二図書室で自分で勉強をしている。
教室にいると何だか息苦しい感じがして嫌だった。
クラスメイトも同じだろう、ただただ死に怯えて授業中は誰一人として私語をしようとは思わない。
教科担当教師の声だけが教室を流れて他は隣のクラスの騒がしい声が遠くの方から聞こえてくる。
その声さえも耳障りだと思う生徒も多かった。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、生徒達はクラス委員長の掛け声とともに一礼をした。
志恵留は席に座ると教材を机の横に置いていたカバンに入れて次の教科を調べた。
次は数学で志恵留にとっては得意教科だった。
次の時間はまた第二図書室へ行こうと立ち上がり教室のドアへと向かった。
ドアへと向かっている途中、志恵留は誰かとぶつかってしまった。
ぶつかった衝撃でぶつかった相手が持っていた本の山が床に散乱してしまった。
志恵留は慌てて「ゴメンなさい」と言い本を拾い始めた。
ぶつかった相手の顔を見るとそれは図書委員の篠原南だった。
いつも明るくて運動神経が良く、ショートカットの髪がとても爽やかだった。
篠原は志恵留を見るなり青ざめた顔をして後づ去りをした。
志恵留も自分がいないもの≠セったことをすっかり忘れていてようやく拾ってはいけないと思いだした。
周りもその事に気づいて沈黙の空気が流れた。
するとクラスの男子達が篠原を見てプッと吹きあげて笑った。
「ダッセェー篠原が一人で転んでるぞー!」
「えっ……あぁ、ちょっと笑わないでよ!」
笑っている男子達に突っかかる篠原、男子も篠原も微妙に曇った顔をしていた。
志恵留は拾い上げた本を床にゆっくり置いて急いで教室から出た。
危なかったと思うと今さら心臓が破裂しそうな感じがした。
志恵留はしばらく廊下の脇に座り込んでいると教室から誰かが出てきた。
クラスの男子の沼田郁夫と重盛良太だった。
沼田は左胸を手で押さえて苦しそうにフラフラと歩いていた。
そんな沼田を補助するように「大丈夫か?」と言って歩いている重盛。
沼田は幼いころから体が弱くてちょくちょく保健室に行っている。
沼田は一瞬だけ志恵留のほうを見るとすぐに視線をそらした。
志恵留も心配だったが関わってはいけないので第二図書室に向かった。
第二図書室にはいつも通りに部屋の奥のカウンターに座っている司書の千曳。
千曳は志恵留を見ると「また来たか」と呟いた。
志恵留は少し頭を下げると本棚の方に向かった。
千曳はカウンターから立ち上がると窓から外を眺めていた。
「この間、君のいとこの榊原恒一君が学校に訪ねて来てね、いろいろ心配していたよ」
「そ、そうですか……恒一兄ちゃん、東京住まいなんですけど大丈夫なのかな……」
「そうか……あぁ、そうかそうか、榊原君は十三年前の約束を守っているのか……」
「約束?」
「あぁ、彼は十三年前のもう一人≠セった副担任で自分の叔母の怜子くんに東京で彫刻家になるとか約束していてね……」
千曳は懐かしそうでどこか悲しそうに外を眺めて言った。
志恵留は「それで彫刻家に」と心の中で思っていた。
志恵留は恒一から幼いころに三神怜子のことはよく聞いていた気がするが今となっては全くない。
恒一も怜子のことを忘れてしまったと言う証拠だ。
志恵留はずっと気になっていた事を千曳に尋ねてみた。
「あの、十三年前ってどういう人が亡くなったんですか?」
「んん?あぁ、それならこれに載っているよ」
千曳は奥から一冊のファイルを持ってくるとパラパラと開いた。
とあるページを開くとカウンターに置いて志恵留に見せた。
そこには一九九八年度のクラス名簿が載っていた。
そこには数名の生徒の名前の出席番号にバツ印と名前の隣には死亡原因と日付が書かれていた。
目を通りていると「見崎鳴」という名前にだけ二本の斜線で名前が消されている。
下の余白には「死者:三神怜子」と記入されていた。
五月には桜木ゆかりという生徒が校内で事故死、同じ日に母親が交通事故で亡くなっている。
六月は水野猛の姉の水野沙苗が職場で事故死。
七月は久保寺と言う担任が自殺、そして母親が他殺。
同じ月に赤沢泉美という生徒の兄が自宅で自殺をしている。
八月には前島学、米村茂樹、杉浦多佳子、中尾順太が焼死と書かれている。
それ以降は誰も死んでいない。
「あの、どうして八月以降は死者が出ていないんですか?」
「実は八月に四人が死んだ同じ日にもう一人≠フ怜子くんが死んだんだ、しかも後から聞いたところ榊原君が死に還した……辛かったと思うよ」
千曳は恒一が死者を死に還せば災厄が終わる≠ニいう事を知って怜子が死者≠セと分かり死に還した。
この事は恒一からではなく立ち会っていた鳴から聞いた。
死者を死に還す≠ニいう方法は混乱をさせてしまうので誰にも教えていない。
今までにこの方法を使ったのは九八年度以降はない。
千曳は志恵留に「この事は内密に」と言った。
志恵留も「はい」と小さく言うと再びクラス名簿に目を落とした。
すると志恵留はまたある事に気が付いた。
「あの……もう一ついいですか?どうして四月は誰も死んでないんですか?」
「え、あぁ書き忘れてたよ、四月は見崎くんの双子の姉妹の藤岡未咲が亡くなったんだ」
千曳はそう告げると部屋の奥の方に行ってしまった。
志恵留はずっとクラス名簿を違う年度のページもパラパラと見ていた。
何人ものの人が亡くなった年もあれば誰も死んでいない年もあった。
それはいないもの≠ェ成功したかない年≠セったかだ。
だが、割合的には死人が出ている年が圧倒的に多い。
志恵留はクラス名簿を見ていると今年はどうなのだろうと心配だった。
今年は間違いなくもう一人≠ェ紛れている。
だとすればそれは一体誰かと言う事だった。
すると千曳が奥から「次の休み時間に牧野さんが来るよ」と志恵留に向かって言った。
牧野優奈は志恵留と同じクラス、三年三組のクラス副委員長である。
たまに第二図書室に本を借りに来るので鉢合わせになるとどちらかが第二図書室から逃げだす。
志恵留は牧野に迷惑をかけないように今から出ようとファイルを閉じた。
第二図書室を出ると向こうから牧野らしき女子生徒が歩いてくるのが見えた。
もう授業が終わったかとチャイムが鳴った事に気づいていなかった志恵留。
志恵留は誰もいない美術室に入ると牧野が通り過ぎるのをジッと待った。
美術室のドアのガラスから牧野が通って行くのが見えた。
向こうは志恵留の存在には気づいていなかったようだ。
志恵留はホッと息を吐くと美術室を出ようとした。
すると志恵留の右ひじが後ろにあったカバーのかかったキャンバスに当たった。
志恵留は興味本位で白いカバーを取ると中には大きな羽を背中に持った球体間接の人形らしき少女の絵があった。
油絵具だがとても透き通るようなそんな雰囲気の絵だった。
どう言ってあらわせばいいのかは分からないがそんな感じだった。
しばらく見惚れていると美術室のドアが開いた。
入って来たのは美術担当の鳴だった。
志恵留は鳴と目が合うと慌ててカバーをかけた。
「えっと……あっ」
「……」
志恵留はカバーをかけるとすぐに美術室から出た。
鳴は志恵留と目があっても何もうろたえる反応を見せなかった。
志恵留はそんな鳴を不思議に思いながら走ってB号館の教室に向かった。
一方鳴は美術室で志恵留が見ていた油絵を見ていた。
鳴はゆっくりと右手でその絵に触れるとすぐに手を下ろした。
そしてすぐに授業の始まりを告げるチャイムが鳴った―――……。