朝日に染まったカーテンを少し指で開けて、榊原恒一は窓の下をのぞいた。
いつもと変わりのない風景、ランドセルを背負った幼女三人と通勤中のサラリーマンやOLが小走りで通って行く。
昨夜も徹夜で彫刻の仕事を進めていた恒一。
一睡も出来ずにもう半月もこの状態が続いている恒一は疲労がたまっている。
若手の彫刻家が売れるのはかなり難しい事で、若いうちはこんな生活が続くと覚悟をしていた。
恒一はカーテンを閉めると頭をかいてあくびをしながら部屋の中央にあるちゃぶ台の後ろに腰を下ろした。
恒一は何気なくちゃぶ台の上に置かれていたテレビのチャンネルのボタンを押した。
恒一の家のテレビはアナログでもうすぐ地デジに変えようと思っていた。
最近のテレビのCMではほとんどが地デジに変えろと言う警告のようなものが多い。
恒一は貯金をしていた金を使おうと考えてこの後銀行に行くつもりだ。
恒一はちゃぶ台に置いていたトーストに苺ジャムを付けようと苺ジャムの瓶に手を伸ばした。
恒一は朝食の作業をしながらもテレビのワイドショーのコメンテーターの声はしっかり聞いていた。
恒一はコメンテーターの言葉を聞いて手に持っていた手に持っていたトーストを落としそうになった。
ワイドショーの内容を語るキャスターやリポーターの話はおおまかに言うとこんなものだ。
夜見山市の夜見山北中学校の重盛良太、十五歳が掃除中に事故に遭って亡くなった。
掃除場所は中庭で校舎の壁に立て掛けてあったガラスが突風で倒れて割れた派遣が重盛の心臓に突き刺さった。
キャスターは眉間にしわを寄せて手元の台本を読んでいる。
恒一は急いで夜見北中学に通う年の離れたいとこの榊原志恵留(シエル)の携帯電話に電話をかけた。
電話をすると志恵留はすぐに電話に出て「恒一兄ちゃん?」と発した。
どうやら登校中らしく、志恵留の声のほかに数人の人の声と車の走る音がした。
「志恵留!?さっきテレビで見たんだけど、お前のクラスメイトで、えっと……」
「重盛君でしょ?うちのクラスの男子だよっ私ね、その現場見てて……」
「本当!?まさかそれって災厄≠ゥ?」
「みたい、見崎先生もそう言ってるし……私の役割も中断されて……」
志恵留と電話中にノイズのような音がした。
夜見山は電波が悪いのは知っていたので少しだけイラッとしたが特に気にしなかった。
志恵留は最後に「今度直接話そう」と言うとノイズ音が酷過ぎて電話が切れてしまった。
恒一は電話を切ると次にテレビの電源を切って考え込みながらトーストをかじった。
考えながら食べていたトーストは味がなくて貧相な感じだった。
恒一は志恵留に「土曜日にファミレスで会おう」と言った送信メールを見た。
土曜日は明日なので自分の車を出そうと思うと携帯電話をちゃぶ台の上に置いた。
榊原志恵留は恒一との電話がノイズで切れてしまうと携帯電話をカバンに忍ばせた。
志恵留は学校の校門に入ると真っ直ぐに校舎へは向かわずに中庭に立ち寄った。
重盛良太が亡くなった場所には誰が置いたのか花束と重盛のカバンがあった。
志恵留はそこにしゃがみ込むと静かに瞳を閉じて手を合わせた。
志恵留は重盛の死を目辺りにして、その夜はとても魘されていた。
次は自分が死ぬかも知れないという恐怖感で一睡も出来ずに目の下にはクマが出来ている。
志恵留が手を合わせている途中、後ろから「榊原さん」という弱弱しい声が聞こえた。
志恵留は目を開いて振り向くと、花束を抱えたクラスメイトの沼田郁夫が立っていた。
日焼けのない白い肌で鼻のあたりには薄らそばかすがある。
重盛と沼田は仲が良くて、体の弱い沼田はいつも重盛に助けられていた。
沼田は少し黙り込むと「大変だね」と呟いた。
「そうだね、これから毎月死人が出ると思うとね……」
「次は僕かも……体弱いし、そうじゃなくてもいつ死ぬか分かんないよ」
「そんな……縁起でもない事言わないでよ、きっといい対策方法が見つかるって」
志恵留は落ち込んだ沼田に微笑みかけると沼田は微笑み返した。
沼田は花束を供えるとしゃがみ込んで手を合わせた。
沼田は手を合わせている時、ずっと泣きだしそうな顔をしていた。
自分の親友の死を目辺りにして平然といられる人などいるはずがない。
沼田が立ち上がると隣で「ホームルームが始まりますよ」という声がした。
それはこちらへ歩いてくる担任の見崎鳴だった。
鳴はチラッと花束の供えられている方を見ると肩を落として志恵留の肩をポンと叩いた。
鳴はそのまま校舎の中へと入っていった。
志恵留は沼田に「教室へ行こう」と誘うと沼田はコクリと頷いて教室へと向かった。
授業中に志恵留はずっと自分の机を気にしていた。
いないもの≠ニなった生徒に設けられる机は一番古くて鉛筆の落書きやコンパスで穴を開けたあとがある。
志恵留は重盛が死んでいないもの≠フ役割をする意味がなくなって普通の生徒に戻った。
いつものように旧校舎の第二図書室へは行けずに退屈そうに窓の外を眺めていた。
窓の外から見える自転車に乗っている中年女性をジッと見ていた志恵留。
見ていた時にその女性はバランスを崩して自転車ごと倒れてしまった。
女性はすぐに立ち上がると自転車を戻してすぐにその場を走っていってしまった。
志恵留はそんな女性の姿に笑いそうになるがグッと堪えてニヤけるくらいで押さえた。
志恵留は重盛が座っていた席に目をやると何の変わりもなく机があっただけだった。
花瓶を置いたりするのではなく、ただそのまま机が残っているだけと言う寂しい感じだった。
人が死んでも教室の机には花瓶を置いたりできないので志恵留は気味が悪くなってすぐに視線をそらした。
視線をそらした時に見えたのが授業を受ける沼田の姿だった。
志恵留はしばらく沼田を見ていると沼田は志恵留に気づいて志恵留と目があった。
志恵留は頬を赤らめて目をそらすと沼田も黒板の方に視線を戻した。
志恵留は授業を進める担当教師の顔がとても青ざめているのにやっと気付いた。
あんな事があったのだから気味悪がってもおかしくないだろう。
志恵留は真面目に授業を受けようとペンケースからシャーペンを取り出し、ノートを書き始めた。
『二〇十一年五月三日』
土曜日の正午に志恵留は恒一と待ち合わせをした夜見山の広場にいた。
広場には大きな噴水があって子供たちはそれを見に広場へ来る事があった。
志恵留が待っているとクラス委員長の牧野優奈が「榊原さん」と声をかけてきた。
牧野は部活があったのか制服姿でカバンを肩にかけていた。
志恵留は牧野に初めて話しかけられたので「はいっ」と声が裏返ってしまった。
牧野はクスクスと笑いながら志恵留のほうに駆け寄って来た。
「牧野さん、部活だったんですか?」
「そ、演劇部よ」
「へぇ、じゃあヒロインとかするんですか?」
「やだなぁ、ヒロインなんて出来ないよ」
お互いに笑いあいながら会話をする二人。
志恵留は牧野がこれほど気の合う人だと分かると少しホッとしたような気分だった。
牧野は「何してるの?」と首をかしげると志恵留は「人と待ち合わせ」と答えた。
牧野は上品に微笑みながら「誰と?」と聞いてきた。
志恵留は普通に「いとこと」と答えると牧野はガッカリしたような感じだった。
「ふぅん、恋人とかじゃないんだ」
「へ!?ち、違います!」
牧野の言葉に志恵留は頬を赤らめると慌てて首を振った。
牧野はクスクスと面白がるように笑って肩からずれ落ちそうなカバンをかけ直した。
志恵留は牧野に「今から帰るんですか?」と言うと微笑んで「お母さんと出かけるの」と言った。
牧野は噴水の隣にある時計を見ると慌てた様子で「バイバイ」と言って走って行ってしまった。
志恵留も慌てて手を振って牧野が見えなくなるのを確認した。
その後すぐに恒一は息を切らしながら志恵留のほうに走って来た。
恒一は車で来ていて渋滞になり、遅れてしまったと志恵留に言い訳をした。
志恵留は怒ったように眉を寄らせて腕を組んだ。
そんな時に鳴が「遅れてゴメンなさい」と言いながらこちらに歩いてきた。
鳴はいつもは黒っぽいスーツだが、今日だけは白い華やかなワンピースを着ていた。
恒一はそんな鳴を見て頬を赤らめて「よう」と目を合わせないように言っていた。
鳴は恒一の反応に疑問を感じていたが、志恵留には何となく恒一の反応の意味が分かっていた。
「じゃ、じゃあさぁ、近くのガストで食べながら話そう」
志恵留と鳴は恒一に案内されて広場の近くにあるガストというファミレスに入った。
恒一はガストの駐車場に自分の車を停めていた。
店内に入ると肉の焼ける食欲をそそるような匂いが充満していた。
若い店員が「いらっしゃいませ」と元気よく三人に言った。
お昼時で店内は満席で待っていたら二十分は掛かるほどの人数だった。
志恵留はどちらかと言うとせっかちで、こう言うのを待つのが嫌いだった。
志恵留はガストのハンバーグは食べたいが待てないので「他にしよう」と恒一に言った。
すると恒一は「大丈夫だって」と言って自信たっぷりに笑いかけた。
恒一は近くにいた若い女性店員に何やら話すと女性店員は「どうぞ」と言って案内をされた。
案内された席には恒一や鳴と同い年くらいの男女が座っていた。
志恵留は赤毛の髪をした目つきが鋭い女番長のような振る舞いの女性の隣に座らされた。
その隣には鳴が座って恒一は茶髪のチャラついた男性の隣に座った。
恒一は椅子に座ると志恵留に「中学のクラスメイト」と紹介をした。
先ほどの女性は赤沢泉美で三組のクラス委員長をしていた。
茶髪の男性は勅使河原直哉、隣には望月優矢と風見智彦がいた。
勅使河原は三人が席に座るなり、何を頼もうかと聞いてきた。
少し人見知りな志恵留は慌てて「目玉焼きハンバーグで」と心臓をバクバクさせながら言った。
一方恒一は馴れ馴れしく「僕も同じで」と言った。
結局、全員が安い「目玉焼きハンバーグ」を頼んだ。
一人前、418円の安さなので金欠の人は大体がこれを頼むだろう。
勅使河原が注文を聞きに来た女性店員に「目玉焼きハンバーグ、七つ」と指を七本立てて行った。
女性店員は全員が全員、安い同じものを頼むので少し苦笑していた。
志恵留はそれが恥ずかしくて肩を窄めてしまった。
「お前なぁ、もう少し小さい声で言えよっ」
「んだよ、風見ぃじゃあお前が言えば良かったじゃん」
「先に君が言ったんだろ?」
言いあう勅使河原と風見を見て望月は「やめなよ」と困ったような顔で言っていた。
志恵留はそんな光景を見て平然としている恒一と赤沢と鳴に「止めなくていいんですか?」と言った。
赤沢は腕を組んで「いいの、いつもの事よ」と呆れた顔をした。
恒一は水を一口飲むと「本題に入ろう」と言いだした。
「赤沢さん、重盛良太君の件はもちろん知っているよね?」
「ええ、うちの署が処理した事故だからね、まさか三組の生徒だとは思ってなかったわ」
「重盛君、まさかガラスのそばに立つなんて……それに急に突風が来て慌てたよ」
落ち込む志恵留を見て他の六人がそれぞれ顔を見合わせていた。
言葉を詰まらせたように誰一人として志恵留に励ますような言葉をかけられなかった。
どんよりとした空気の中、七人分のハンバーグが届いた。
店員は先ほどの空気を祓うような笑顔でテーブルに美味しそうなハンバーグを並べた。
七人はハンバーグをナイフとフォークを使って食べていた。
志恵留は目玉焼きの黄身をナイフで潰してハンバーグに黄身をかけた。
ハンバーグを食べるとジューシーな肉汁が口いっぱいに広がった。
黄身がしみ込んだハンバーグはとろけるような感じでとても美味い。
志恵留はハンバーグを食べると、とても嬉しそうな顔をしていた。
恒一はそんな志恵留の姿を見て少しホッとしたような感じだった。
「後から千曳さんに聞いたんだけど、対策方法って死者を死に還す≠だろ?もう一人≠見分けるのってやっぱり見崎の人形の目≠ェ……」
「ダメなの、何でか憶えてないけど、あの義眼が割れて死の色≠見れなくなったの……」
「えっじゃあ、どうするの?」
「私の予想では、もっと他に見分け方があるんだと思う」
表情一つ変えない鳴を見て、志恵留は何となく不思議と嫌な予感がした。
鳴のこの態度は前々からだが今回はこの後何かがありそうな感じがした。
全員がハンバーグを綺麗に食べ終えると勅使河原が恒一に「後はよろしく」と笑って言った。
恒一は「はぁ?」と首をかしげた。
「『はぁ?』って、お前がここで話し合おうって言いだしたんだから、お前の奢りだろう」
「えっちょっと聞いてないよ!」
慌てる恒一を他所に他の六人は先々と店を出て行ってしまった。
一人取り残された恒一はズボンの尻のポケットから財布を出して中身を見た。
中にはどこかの飲食店の割引券と1万8千円が入っていた。
料金は全部で2926円、足りるが恒一には少し痛い金額だった。
恒一はレジで料金を払うと勅使河原を睨みながら店を出てきた。
勅使河原は「悪い悪い」とふざけたように言っていた。
「あっ見崎と志恵留は僕の車で送るよ、じゃあね」
駐車場で別れるとそれぞれ自分の車に乗ったり、徒歩で帰ったりしていた。
志恵留は恒一の白いちょっと汚れのついている車に乗り込んだ。
鳴も志恵留の隣に乗ると恒一は運転席に座ってエンジンをかけた。
慣れた手つきで運転をする恒一を見て鳴は「あんまりスピード出すと事故に遭うよ」と呟いた。
恒一は「分かってるよ」と言うとアクセルを踏んだ。
車が自分の家へと進む中、鳴のバックに入っている携帯電話が鳴った。
鳴は携帯電話を取ると「もしもし」と少し黙り込んで電話をしていた。
そして鳴は驚いた様子で「えっ」と言うと電話を切った。
志恵留は鳴にどうしたのかを聞くと鳴は少し黙り込んで言った。
「さっき、牧野さんの家が火事になって、牧野さんのお母さんの遺体が発見されたの」
志恵留は鳴の言葉に言葉を失ってしまった。
運転をしていた恒一は鳴の話を聞くとギュッとハンドルを強く握った。
こうして五月の死者が一人、出てしまった―――……。