「牧野さんの家が火事になって、牧野さんのお母さんの遺体が発見されたって」
榊原恒一の愛車で家へと帰る途中、見崎鳴の携帯電話に学校から連絡が入った。
鳴は震える手を押さえながら携帯電話を自分の膝の上に置いた。
榊原志恵留は鳴の震える手元を見ながら状況を把握しようと必死だった。
クラス委員長の牧野優奈の母親の由美が焼死体として発見されたと言われた。
五月に入った途端、油断をしていた時に一人が犠牲になってしまった。
鳴は気を落ち着かせると携帯電話を自分のバッグに戻して運転席にいる恒一に言った。
「榊原君、今から私学校へ向かうからお願い」
「えっ……あ、うん」
恒一は車をUターンさせると夜見北中学の方へと車を走らせた。
恒一はバックミラーで気が動転している志恵留の顔を見た。
車は少し乱暴に走ると、夜見北中学の正門の前に停めて鳴が降りて行った。
志恵留は車のドアを閉めようとする鳴に慌てて「私はどうすればいいんですか?」と問いかけた。
鳴は志恵留の顔をジッと見ると「あなたは家で待機してなさい」と少しキツイ口調で言うとドアをさっさと閉めた。
恒一は鳴が正門に入って行くのを確かめると、アクセルを踏んで車を走らせた。
志恵留は後ろの窓から自分の通う夜見北中学を見ていた。
これからどうすればいいのか分からず、ただただ消えていく中学を眺めていた。
しばらくすると車は大通りに差し掛かり、志恵留の家の方向に走っていた。
志恵留はきちんと前を向いて座ると運転をする恒一を見た。
「恒一兄ちゃん、これからどうするの?」
「GW中は夜見山にいるつもりだよ、僕の祖母の家があるからそこに……」
「それからは?」
「うーん、その後も残ろうとは思うけど、仕事の時はあっちに戻るよ」
東京住まいの恒一は彫刻家で家にこもって彫刻刀でひたすら木を削っている。
恒一はだいたいは小振りのものが多く、家で作れる範囲で作っている。
恒一はここ半月は寝不足で祖父母宅に行けばすぐにでも寝ようと思った。
志恵留は恒一にずっとこの夜見山にいてほしいと言う気持ちがあった。
家に帰ると両親は仕事をしていて、母親の志乃も夜遅くに帰ってくる。
はっきり言うと不安で仕方がない。
志恵留は寂しさを紛らわすように自分の携帯電話を開いた。
特にこれと言ってメールやメッセージがあるわけではないが、インターネットを開いていた。
自分でもインターネットを開いて何をしようとしているのかは分からないがそうしたかった。
恒一はバックミラーでそんな志恵留の姿を見ると「ゴメン」と志恵留に聞こえる聞こえないくらいの声で呟いた。
志恵留は聞き取れなかったのか「何?」と笑顔で言うと「何でもない」と恒一は返した。
気が付くと車は志恵留の見慣れた場所を通り、志恵留の自宅前に停まった。
志恵留は急いで車を出ると恒一は窓を開いて「気をつけろよ」と志恵留に言った。
志恵留は恒一の言葉に泣きそうになるが涙を我慢して無理に笑って頷いた。
恒一は窓を閉めると車を走らせた。が、車は志恵留の隣の鳴の住んでいる人形のギャラリーの前に停まった。
恒一は車から降りると辺りを見渡してギャラリーの中に入って行った。
翌朝、ホームルームで牧野の家の全焼と母の由美の死亡が告げられた。
教室中が異様なほどのどす黒い空気が流れていた。
誰も言葉を発する事もなくひたすら話をする鳴の声だけが聞こえていた。
半数の生徒が鳴の声すら耳に届いていなかったのかもしれない。
ホームルームが終わると志恵留の前の席の神藤眞子が後ろを向いて「大変だね」と言った。
志恵留は「そうだね」と言うと欠席をしている牧野の席に目をやった。
前とは変らない机と椅子なのに今日は何やら寂しい感じがした。
家を失った牧野と父親と二つ年下の弟は近所の親戚の家に転がり込んだ。
いつもクラスの委員長としてこの三年三組を仕切っていた牧野が突如として母親と家を失ってしまった。
それはどれほど辛い事だかは、志恵留には分かりそうで分からなかった。
神藤も志恵留と同じように牧野の席を見ると志恵留のほうに振り返った。
「でもさ、死んじゃう確率は低いんだからっ榊原さんは大丈夫だよ」
「そ、そうかな?でも、もしもって思ったら……」
「大丈夫だよ、そうそう起こりもしない事故に遭わなきゃ大丈夫!」
元気良く白い歯を見せて笑う神藤を見て、志恵留は少しだけホッとしたような気がした。
ずっとネガティブに考えていた自分だったが、こんな事があっても前向きに考えている人がいると思うと自分も頑張ろうと思えた。
志恵留は俯いて自分の膝の上に置いた手を見ると「神藤さん」と言った。
神藤はきょとんとした顔で首をかしげると、志恵留は思いっきりの笑顔で「ありがとう」と言った。
神藤は志恵留を見ると「うん」と笑って返した。
放課後になると志恵留は部活をしていないので帰ろうと自分のカバンを肩にかけた。
すると前の席の神藤が「一緒に帰ろ」と笑顔で誘ってきた。
志恵留は誰かに「一緒に帰ろう」なんて言われた事があまりなかったので「え?」と驚いてしまった。
志恵留は辺りをキョロキョロとすると「いいよ」と慌てて返した。
神藤はそんな志恵留を見てぶわっと噴き出して笑ってしまった。
神藤と志恵留は教室を出ようとすると、神藤が「ちょっと待ってて」と志恵留を止めた。
神藤は教室にいる沼田郁夫に声をかけると沼田は頷いて志恵留のほうにやって来た。
「あのねぇ私と沼田君、家が近所なんだっだからよく一緒に帰ってるの」
「へぇそうなんだ」
「神藤さんは僕の家の隣の隣なんだ」
いつも通りの弱弱しい声で言う沼田はゆっくり歩きながらついてきた。
志恵留はげた箱で自分の靴を取ると少しだけ伸びをした。
神藤は帰り道、二人に楽しげにいろいろな話題の話をしていた。
テレビの話だったり、学校の先生の話や生徒たちの噂などを笑顔で話していた。
志恵留と沼田は笑いながら神藤の話を聞いていた。
三人は川のある土手にくると川が反射して光るオレンジ色の夕焼けが見えた。
志恵留と神藤は綺麗だなと思ってその夕焼けを眺めていた。
その隣では沼田が気分が悪そうに俯いて夕焼けを見ようとしなかった。
志恵留はその事に気づくと「どうしたの?」と沼田の顔を覗き込んで言った。
沼田は少し汗をかいて自分の左胸に手を当てると「何でもない」と無理に笑っていたが苦しそうな表情をしていた。
「ちょ、ちょっとこの場所に来ると気分が悪くなるんだ」
「えっそうなの?」
「うん、沼田君、ここに来るといつもなんだ」
志恵留は慌ててこの土手から離れようと小走りで土手を離れた。
沼田は走れないので少し前かがみになって後から歩いてきた。
沼田は土手を離れると落ち着いたのかゆっくりと深呼吸をすると「もう大丈夫」と笑った。
志恵留と神藤はホッとすると、向こうから「志恵留」と呼ぶ聞きなれた声がした。
志恵留は声の主のいるほうに目をやると、そこには母親の志乃が手を振る姿が見えた。
志乃はヒールで走りにくそうに小走りで来ると神藤と沼田のほうと見て首をかしげた。
志恵留は慌てて「クラスメイト」と言った。
志乃は笑顔で二人に挨拶をすると、二人も気を使ったのか丁寧にお辞儀をして挨拶をした。
志乃は沼田の顔を見るとジッと近くで沼田の顔を睨むように見た。
沼田は少し慌てた様子で「何ですか?」と言うと志乃は頭をかい眉間にしわを寄せた。
「ねぇあなたどこかで会ったことない?」
「えっ……いえ、別に」
沼田は首を振って否定をするが、志乃は会った事があると言っていた。
志恵留は志乃に「街で会ったんじゃない?」と言うとあまり納得していないような表情で「そうかも」と志乃は言った。
志乃は仕事帰りだと言うと先に家へと走って行った。
志恵留は後からゆっくり行こうとそのまま二人と話しながら帰って行った。
『二〇十一年五月十七日』
中間試験の範囲を知らされてクラスメイト達は落ち込んでいた。
今年は受験があるので、中間や期末試験に良い点数を取っておかないと受験に響いてくる。
志恵留は近くの進学高校を第一志望としていたので勉強は一年の時から頑張っていた。
神藤は範囲表を見ながらため息をついていた。
「あーぁ、テストってあれだよねぇ……いいよね、榊原さんはっ絶対推選受かるでしょ?」
「うーん、どうだろう?私も最近成績落ちてきてるし」
「えー、学年三位なのにぃ?」
「えぇっどこでその情報を……」
あれから志恵留は神藤をよく話すようになり、志恵留は前よりも充実した学校生活を送っている。
志恵留が成績が落ちたと言うのは、二年の一学期は学年一位だったのに三位に落ちたと言う事だ。
神藤は理由を聞くと「どういう悩みだよ」とツッコミ、志恵留を睨んでいた。
そんな事を話していると志恵留の机の横に掛けてあるカバンの中の携帯電話が鳴った。
志恵留は神藤に「ゴメン」と言うと教室を出て通話ボタンを押した。
電話の相手はめったに電話をかけてこない志乃だった。
志恵留は「珍しいね」と言うと志乃は震えるような声で話を始めた。
「あのね、志恵留……お母さん、今仕事場の近くからかけてるの……それでね」
「ん?何?」
「じ、実はね、この間……ほら、沼田くんだっけ?会った事があるって言ってたでしょ?」
「うん、そうだね」
「それでね、どこで会ったかが思い出したの」
志乃は仕事場の近くのバス停でベンチに座って電話をかけていた。
震えたような声で手を震わせている志乃はとても怯えているようだった。
電話はなぜかノイズで途切れ途切れになっていた。
志乃はその沼田とどこで会ったかを言おうとした。
その時、バス停の手前で居眠り運転をするトラックが走っていた。
トラックは明らかにおかしな感じで走っていて、まっすぐには進めていない。
志乃は電話に気を取られていてトラックに気づいていない。
他にいた人達は誰もが事故を起こすと予測していた。
そこで休憩をしていた工事現場で働く男性が110番に電話をかけていた。
「その……会った事があるのがね、実は……」
そう言いかけた時、トラックがバス停に突っ込んできた。
志乃は目の前に現れるトラックを見て悲鳴を上げるとトラックはバス停に突っ込んで堀に当たった。
通行人は全員が驚いてトラックの方に駆け寄った。
トラックの下からは志乃の腕と大量の血が流れ出していた―――……。