夏休みに入ると、榊原志恵留(シエル)は退屈な日々になってしまった。
夏の暑さと帰宅部の何もしようがない状況に志恵留はどうもうんざりしてしまう。
志恵留自身は「こんなことなら部活をしておけば良かった」と中学に入ってから毎年思うのだが、入ろうとは思えない。
志恵留は自分がどんくさいと思っているので、部員の足を引っ張りそうで怖いと思っている。
それに志恵留は災厄≠ノついて調べようと思っているので、部活がちらつくと邪魔に思ってしまう。
志恵留は夏休みになってから、朝に宿題をすると昼からはたまに夜見山に来るいとこの榊原恒一と会っては話し合っている。
恒一が夜見北に所属していた十三年前に何か手掛かりになる事はないかと志恵留は考えているのだ。
志恵留はこの日、暑さで寝苦しくなっていつもよりもかなり早めに目が覚めてしまった。
志恵留がベッドから起き上がる時、シーツに触れると自分の汗で湿っていた。
志恵留は「洗濯しなきゃ」と思うと着替えを済ませて、一階のリビングに向かった。
リビングには二人くらいが一緒に座れるくらいのソファが二つとソファの中央にテーブル、そして近くには液晶テレビがあった。
志恵留はソファに座るとテレビのリモコンで電源を付けると、朝のワイドショーを見た。
これと言って新しいニュースは無く、五年前の九州地方で起きた殺人事件の裁判が終わったという情報が大きく取り上げられていた。
志恵留は朝食を自分で作るとリビングのソファに座って、テレビを見ながら食べていた。
いつものようにバターをつけたトーストとミルクというメニューだった。
志恵留がトーストをかじっていると、父の陽平がリビングに顔を出した。
昨日は残業で帰りは朝方だったという陽平はかなり眠そうな顔をしていた。
陽平は志恵留を見ると自分の髪を掻き毟って「早いな」と寝起き特有のしわがれた声で言った。
志恵留は陽平の方を見ようとはせずに「うん」とトーストを食べながら答えた。
それ以降は陽平も志恵留に何かを言おうとはせずに志恵留のほうをチラチラと見ていた。
志恵留もそれには気づいていたが、陽平と目が合わないように陽平の方を見なかった。
志恵留は朝食を食べ終えると食器をキッチンに持って行き、再びソファに静かに座った。
陽平は向こうの別のテーブルの木製の椅子に座ってコーヒーをテーブルに置いて新聞を読んでいた。
志恵留は陽平を見ると、母の志乃が五月に亡くなったと言うのに全然なんとも思ってないようで苛立ってくる。
志恵留は今まで一度も陽平が志乃の仏壇に手を合わせた姿を見た事がない。
葬式の日だって一つも涙を溢さずに、親戚と会話をしていただけだった。
前々から陽平は志恵留にとって「父親」と言えるのだろうかと疑問に感じている。
志乃はそんな陽平の事を志恵留に「あれでも志恵留の事可愛いと思ってるんだよ」と言い聞かせていた。
志恵留は志乃がどれだけ陽平の事を思っていたかと思うと辛くなってしまう。
志恵留はそんな事を考えながら、ソファに横たわってうとうとし始めていた。
するとそんな志恵留の眠気を追い払うように陽平が突然思い出したかのように「志恵留」と言い始めた。
志恵留は一気に目が覚めて、ソファから起き上がると新聞を畳んでいる陽平のほうを見た。
「お前って夜見北中学の三年三組だったよなぁ?」
「ん?……そうだけど?」
意外な問いかけに少しだけ戸惑ってしまう志恵留。
それと同時に「そんな事も知らなかったんだな」と呆れてしまう面もあった。
陽平はテーブルに肘をついて右手の中指で自分のこめかみをぐりぐりと押している。
「それでさ……クラスで何て言うか……呪われた三組≠ニか四十九年前のミサキ≠ニか、そんな話、聞いたことないか?」
「……あるよ、昔っからある話で……」
「……クラスで、誰か死んだりしてないか?」
「えっ、何人も亡くなってるよ、四月からずっと……」
クラスで人が死んでいると知らなかったと言う陽平にあきれ顔で対応する志恵留。
陽平は志恵留の話を聞くと、大きくため息をついて頭を抱え始めた。
志恵留は細目で陽平を見ると、陽平は「まだあったか=vと言った。
志恵留は「まだ?」と言うと、ソファから慌てて立ちあがった。
陽平は口を滑らせたように、慌てて自分の口を塞いだが時すでに遅し……。
陽平は志恵留の圧力に負けて、唸ったような声を出すと淡々と話し始めた。
「父さんがお前と同い年くらいの頃……父さんは夜見北の三年三組である年≠セったんだ……」
「えっ……三組って……」
「それで、父さんと母さんは同級生で……母さんは二組で災厄≠フことは知らなかった……」
志恵留は陽平の年齢を考えると、今から二十八年前に三組だったことになる。
二十八年前と言えば、十三年前同様に災厄≠ェ途中で止まった年にあたる。
志恵留は陽平が夜見北出身で、しかも三年三組だった事を初めて聞いて言葉を詰まらせてしまった。
陽平はそれでも志恵留の目を見れない状態で冷や汗をかいてテーブルの上のコーヒーを眺めていた。
「それで、父さんは母さんと同じ美術部に入部して、そこでクラスメイトの三神怜子と松永克巳も一緒に美術部だったんだ」
志恵留はその二人の名前を聞くと、志乃からも同じような事を聞いたなと思った。
「六月に、その……三神のお姉さんが亡くなったらしくて、何か……そう、夏休みにクラス合宿を行ったんだ」
「夜見山の神社にお参りしたんだって?」
「そう、それでその時は父さんも三神もマツ(松永克巳)も一緒に行って……その夜から災厄が終わった≠だ」
志恵留は第二図書室の司書の千曳辰治から松永がその年のもう一人≠死に還したから終ったと聞いていた。
それでも志恵留にはかなり興味深い内容だった。
「その前に、クラスメイトの浜口と星川がやられてて……それで、マツのほうも混乱してたみたいなんだ……」
陽平の話によるとこうなるだろう。
松永はとある生徒(陽平は憶えていないが)に呼び出されて合宿所から出て行った。
その数分後、慌てた様子で戻って来た松永に陽平は「どうしたんだよ」と言うと松永はすごい剣幕で「何でもない」と怒鳴った。
激しい雷雨で体は雨で冷え切った松永の唇は震えていた。
翌日、陽平は松永に聞き覚えのない人の名前を出されて「誰だよそいつ」と言うと松永はその場にしゃがみ込んでしまった。
その時は聞き出せなかったが、後から松永から「今年の死者≠殺した」と聞かされた。
陽平は意味が分からなかったが、それ以降誰も死ぬ事はなかったそうだ。
志恵留は前から聞いていた話だったが、改めて当時の当事者から聞くとかなり怖い話ではある。
「それで……その、松永さんはどうしてるの?」
「夜見山の近くにあるホテルで働いているらしいよ、東京に出てドロップアウトして帰って来たとか……三神のほうは夜見北の三組の担任をして死んだとか」
「そっか……どうにか話せないかな?その……松永さんと」
「ん?マツとなら話せるかもしれないぞ?父さん、マツの家の住所と働いているホテルの住所も知ってるし」
「ウソ!じゃあ、今度会わせてくれない?」
「えっ……いいぞ、今度一緒に行こう」
陽平は仕事が休みの日に一緒に行ってくれると約束をしてくれた。
それでも志恵留はそんな約束は本当に守ってくれると半信半疑で思っていた。
陽平はコーヒーを一気に飲み干すと椅子から立ち上がってリビングを出た。
しばらくすると、スーツに着替えて「じゃあ行ってくる」とだけ言い残して家を出て行った。
陽平は二十八年前の事をどうやらあまり憶えていないようだが、少しだけ憶えているようだった。
三神怜子という人物はいとこの恒一の叔母なので、恒一に聞けば何か分かると思った。
志恵留はテレビの電源を消すと、手ぶらで家を出て行った。
行くあてがあった訳ではないが、ここらへんをブラブラしていないと気がおかしくなりそうだった。
退屈感と恐怖感で外で誰かとすれ違うだけでもしないと自分が死≠ノ引き込まれそうだった。
夏の日差しは志恵留の白い肌をジリジリと焼き始めていた。
周りからは蝉の合唱が聞こえて、何とも騒がしい空気が流れていた。
志恵留の家がある「御先町」を出て「紅月町」まで行こうと思っていた。
だが、志恵留の家の近くに担任の見崎鳴の家のある人形ギャラリーが見えた。
ここには一度だけ入った事があるが、あまりじっくりと見る事が出来なかった。
中はどうなっているんだろう、いったいどんな人形があるんだろうとギャラリーに近寄った。
ビルのような三階建ての建物の壁に楕円形のウィンドウから中をのぞいた。
すると、そこには深紅の布が敷き詰められた床に置かれた、黒い円形のテーブルがあった。
その上には黒いヴェールをかぶり、両手で顔の部分をめくえいあげた姿の少女の上半身だけの球体間接人形があった。
胸元まで垂れた髪は漆黒で瞳は深い緑色だった。
まとった赤いドレスは人形同様にお腹のあたりで立ち切れた状態だった。
志恵留はその等身大の上半身だけの少女の人形に魅せられ、呼吸をするのを忘れるほど驚きに満ち溢れていた。
中には同じような美しい人形があるのかと興味と言うよりは、もっとすごい感覚で吸い込まれるように建物のドアを開いた。
『二〇十一年七月二十七日』
夏休みに入ると、だいたいは家にいないと怒られてしまう沼田郁夫。
外に出ようとは思うのだが、同居している叔母の郁子と担当の医師は許してくれるはずもない。
毎日のように病院へ通っていたが、最近になっては週に一回程度に変わった。
沼田自身は「もう大丈夫」と言うのだが「もしもの事があったら」と言われて外に出してはくれなかった。
幼いころから体が弱くて学校も休みがちで外で友達と遊ぶ、ということは全くなかった沼田。
今日もいつものように家でテレビをぼうっと見ているだけだった。
終業式から志恵留とは会っていないので寂しいなと思いながら退屈な家の中を何となく一時間ごとに歩きまわってみる。
昼食を済ませると、沼田の家に祖母の峯子が突然家にやって来た。
峯子は先ほど持病も検査で市立病院の帰り道についでに寄ったという。
峯子は家に上がると和室のテーブルに郁子が出してくれたお茶を一口飲んだ。
沼田もその向かいに座ると正座をして峯子の顔を見た。
「お祖母ちゃん、持病って心臓だっけ?」
「そうよぉ、たぶんねえ……そのせいで郁夫ちゃんの体が弱くなってしまったんだろうねえ……お母さんも私の病気を受けづいちゃったみたいだしね……」
湯のみをテーブルに置くと申し訳なさそうに俯いて言う峯子。
沼田は「そんなことないよ」と言いつつも、実際に「遺伝」なのだと思っていた。
沼田の亡くなった母の郁代も心臓の病気で、沼田も心臓の病気だ。
やはり病気と言うのは「遺伝」だと思う事が多い。
郁子は郁代の妹で体の状態はこれと言って病気は無く、少し貧血をしやすいと言うだけでそんなに体が弱いわけではない。
郁子は沼田の隣に座ると「そんな暗い事言わないでよ」と峯子に言った。
峯子は再びお茶を飲むと、湯のみを両手で持ったままお茶の水面に映る自分の顔を眺めていた。
「郁代もねえ……旦那さんと別れなかったら、きっと今も生きていただろうに……何でだろうねえ」
「ちょっ……そんな事言わないでよっ姉さんが死んだのは……」
郁子と峯子の妙なやり取りを黙って聞いていた沼田は郁代がどれだけ苦労をしてきたかと考えた。
突然、父親と別れて母一人子一人で暮らしていたが、二年前に急病で亡くなると郁子と二人暮らしになった。
郁子は郁代のように病気で死なせたくないと必死なのだと沼田も十分承知だった。
郁子は眉をひそめて、テーブルの中央の器に入っていたせんべいを取るとバリバリと食べた。
食べかすが落ちるたびにそれを手で一点に集める郁子。
峯子もせんべいを一枚取ると、小さな一口で食べ始めた。
沼田も二人を見て何となくせんべいを食べると、醤油の甘辛い味が舌に染みついた。
せんべいを食べているとテーブルの上にある湯のみのお茶があうなと思う。
峯子は先ほど病院に行ったのだが、医師からは「特に異常はない」と診断された。
ここ数年は調子が良い峯子は「これが最後の神様の贈り物かねえ」と言っていた。
郁子は「縁起でもない」と言うと峯子はしょんぼりとした顔でお茶を飲んでいた。
郁子は立ちあがると峯子と自分が飲み終えた湯のみを持ってキッチンへと向かった。
峯子は正座していた足が痺れたのか、足を崩すと左足をさすった。
「郁夫ちゃん、大変かもしれないけど、高校は行くんだよぉ……お祖母ちゃん、応援しているからねえ」
「う、うん……ありがとう……」
ため息をついた峯子は呼吸が次第に荒くなって左胸を抑え始めた。
沼田は「お祖母ちゃん?」と言うと峯子の方に駆け寄ろうと立ちあがろうとした。
すると峯子は「うっ」と呻き始めて、テーブルに手をついて横に倒れた。
心臓のあたりを強く抑えると苦しそうに呻き、転がるように身をひねった。
沼田は峯子に駆け寄ると峯子を揺すったり、背中をさすったりした。
どうすればいいのか分からずに、キッチンにいる郁子に向かって精一杯の大声で叫んだ。
それに気づいた郁子は峯子を見るとすぐに家の子機電話で119番に電話をした。
沼田は救急車が到着するまで峯子の背中をさすって「お祖母ちゃん」と叫んでいたが、峯子は救急車が到着する五分前に息を引き取った。
七月の死者は、一人目が沼田峯子となった―――……。