榊原志恵留(シエル)が自宅の近くの担任の見崎鳴の自宅の人形ギャラリーを訪れた。
三階建てビルで楕円型のウィンドウには上半身だけの少女の人形があった。
その人形に魅せられてギャラリーの中に入って行く志恵留。
ギャラリーに入る直前にチラッと見えたのが、黒い看板にクリーム状の文字で「夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。」という店名があった。
ドアを開けるとドアベルが鈍く響き、志恵留はその音に少しだけ驚いてしまった。
中は外見と同じで仄暗いというような雰囲気で間接照明を基調としている。
入ってすぐ見えたのが、部屋の奥にずらりと並べられた人形らしきものだった。
入ってすぐに何だか魂を吸い取られそうな雰囲気を感じた志恵留。
「いらっしゃい」
志恵留の隣から客を迎える声がして、志恵留は隣をパッと見た。
入って左、ショーウィンドウの裏側に当たる場所に細長いテーブルがあり、その向こうに人影が見える。
店内の薄暗さにその人物の顔を目を細めてみる志恵留。
そこには鈍色の服を着て老眼鏡をかけた白髪の老女の天根だった。
天根がいるのはテーブルというよりカウンターのようなところで、上にはレジスターがある。
その手前に小さな黒板が立てかけてあり、黄色いチョークで「入館料\500円」と記されている。
四月頃に鳴につれられて一度だけやってきたギャラリーだが、じっくり見ると不自然な雰囲気だなと思う志恵留。
天根は俯いたまま「中学生かい?だったら、半額でいいよ」と薄く唇を開けて言った。
志恵留は「はい」と言うとスカートのポケットから偶然入っていた小銭をカウンターに差し出した。
天根はしわだらけの手で代金を受け取るとようやく志恵留の顔を見て言った。
「奥にソファがあるから、くたびれたら座ってお休みなさい、他にお客さんもいないし……」
志恵留は天根に頭を下げると、奥の方へと進んで行った。
店内というよりかは館内と言える部屋は薄暗く流れる音楽は照明と同様に仄暗いチェロの音楽だった。
志恵留は聞き憶えがあるなと思うと、巨匠の古典的名曲だと思いだした。
奥へ進むと人形達が志恵留を迎えてくれるように無数の人形が置かれていた。
佇んでいたり、腰かけをしていたり、横たわっていたり、驚いたように大きく目を開いていたり、まぶたを閉じて物思いに沈んでいたり、まどろんでいたり。
人形の奥は美しい少女の姿をしているが、中には少年や動物も飾られていた。
人と獣が雑じったような不思議な造形ものもあった。
人形だけではなく壁には幻想的な風景を描いていた油彩画が目立つ。
人形達をじっくり見ていると、リアルな感じもしつつ実はリアルではない。
人のようで人とは違うという妙な感覚に囚われてしまう。
志恵留はガラスの棺に入れられて横たわっている白いドレスを着て、周りには薔薇の花びらが散らばっている人形に目をとめた。
白い肌で虚ろな目はウィンドウとの人形と同じ深い緑色をしていた。
志恵留がかなり幼いころに読んでいた絵本で「白雪姫」を思い出してしまう。
まるで人形が想い人をこのガラスの棺の中でずっと待っているような雰囲気だった。
志恵留は意識的ではなく自然と深呼吸をしていた。
志恵留は人形の元にある製作者の名前を記載した札を見ると「霧果」と書かれていた。
志恵留にはどうも聞き覚えのない名前だったので、まだあまり名前を知られていない人形作家なのだろうかと思った。
一番奥まった隅の壁に「こちらにもどうぞ。」と書かれた貼り紙と矢印を見つけた。
志恵留は一瞬、足を止めると矢印の向いている方向の斜めに下りて行く階段に目を通した。
入っていいのかとうろたえながら、カウンターの天根の方に目をやると天根は俯いたままだった。
志恵留はもう一度、貼り紙を見ると息を飲んで静かに階段へ向かった。
地下に設けられていたのは一階よりは狭く、穴蔵めいた空間があった。
階段を降り切るり床に足を一歩置いてみると、ギシギシと頼りない音がした。
かなり古いのだと思うとゆっくりと両足を床に置いて前へと進んだ。
冷気のせいもあるが、進むごとに何やらエネルギーを吸い取られるような感じがした。
中にはアンティークなカードテーブルや肘掛椅子の上にキュリオケースや暖炉のマントルピース、あるいは床に直接数多くの人形達が置かれていた。
ウィンドウと同じように上半身だけがテーブルの上に置かれているものもあった。
胴体だけが椅子に座らされていたり、頭部や手首ばかりがいくつも飾り棚に並べられてある。
暖炉の中には幾本もの腕が立てられて、椅子や棚の下からは幾本もの脚が突き出ている。
説明すればグロテスクというか悪趣味のそしりを逸れそうにないが、志恵留には不思議とそう言う感覚は無かった。
コウモリのような薄い翼を畳んで顔の下半分を隠している少年。
胴体の繋がった美しい双生児が椅子に座っていたりする。
奥に進むにつれて異様な空気というか、冷気が全身に沁み込んでいくような感じがした。
志恵留はくらくらする頭を抱えながら、奥へ奥へと進んで行った。
館内に流れるチェロの音楽が消えてしまうと、人形達の交わす囁きが聞こえてくるような気がした。
志恵留は気づくとかなり奥のほうまで来てしまったと思った。
だが、そこには今まであった人形とは違うような人形があった。
今まではどれも心が虚ろな感じだったのだが、ここからは何だか「悲しみ」というような感じがした。
何かを待っている≠ニか何かを望んでいる≠ニいうような雰囲気の人形達がある。
テーブルの上には白い天使のような翼を広げて、左足だけを抱えた人形。
瞳は緑ではなく、蒼い瞳をしていた。
蒼い瞳の人形はこれだけではなく、ここから先はずっと一緒だった。
天使の隣にはガラスの箱のようなものに無理矢理入れられたような少女の人形があった。
漆黒のドレスを着て赤い無数の糸で箱に縛られたような泣き叫ぶ声が自然と聞こえてくるような人形があった。
名前の札を見ると、先ほどとは違う「聖斗」という名前が記載されていた。
志恵留は「聖斗」という人物の人形を見ていると、一番奥にあるもの≠ノ目が止まった。
真っ黒な棺とその隣には真っ白な棺が並んでいた。
黒い棺には薔薇に囲まれた蒼いドレスを着た今までのどれよりもリアルな人形、しかも鳴にそっくりだった。
今の鳴とは違う志恵留と同じくらいの年のショートボブヘアーで緑色の瞳。
左目は髪で隠れているが、めくってしまえば見える。
白い棺には青い薔薇に囲まれた先ほどと同じ、鳴に似た人形がいた。
こちらは蒼いドレスではなく、赤いドレスを着ていた。
蒼い瞳で穏やかな表情で永遠の眠りにでもついたかのような人形だった。
二つとも似たような顔、鳴に似ているがどちらも互いに違う顔をしている。
言葉では言い表せない違いを見分けようと志恵留は必死に人形を眺めた。
「似てるって思うでしょう?」
後ろからそう言われた瞬間、志恵留は「えっ」と思わず声を上げてしまった。
振り向くとそこには見崎鳴本人が立っていた。
志恵留は先ほどまで棺の人形を見ていたため麻痺したのか、鳴の顔を直で見る事が出来ない。
鳴の眼帯のない赤い瞳の右目を見ると、いつしか吸いこまれてしまいそうな感じがしていた。
「似てるでしょう?……それ」
「え……っと、はい……見崎先生本人かと思うくらい」
「そう、でもね作家は違うの……どっちも」
「違う?作った人が?」
「そう、黒いほうが私の母の霧果……白いほうは榊原君よ」
志恵留は白い棺の人形を作ったのが、いとこの榊原恒一だと知り思わず驚きを隠せない様子。
もう一度人形を見ると、あんなに身近な人が作ったとは思えなかった。
鳴はそんなうろたえ始める志恵留を見て、クスクスと笑った。
「『聖斗』って言うのはね……榊原君の事、本人は趣味のつもりで作ってるらしいけど」
「えっじゃあ、さっきまでの人形も全部?」
「そう……お母さんが彼の作品を見て、ぜひうちに飾りたいって言ってね……」
鳴はそう言うと静かに白い棺の方に歩いて行った。
志恵留は鳴の背中を見ると「それって先生がモデルですか?」と聞いてみた。
鳴は少し黙り込むと「白のほうはね」と棺の人形の髪を撫で始めた。
志恵留は鳴の言葉に疑問を感じて「黒は?」と聞いてみた。
「こっちはね……霧果が二十六年前に生きて生まれてこなかった我が子を思って作った人形……それで、榊原君は私を思って作った……」
「恒一兄ちゃんが……どうして?」
「……きっと、私に気遣ってくれたんだと思う、孤独な私に……私をモデルに同じ人形を作ってくれた……」
そう言うと鳴は髪をなでる手をゆっくりと静かに下ろすと志恵留のほうを向いた。
何を言い出すかとドキドキしていた志恵留に鳴は「さっき沼田君のお祖母様が亡くなった」と言った。
志恵留は突然の事に「えっ」と声を漏らすと少し混乱し始めた。
鳴は志恵留から目を逸らすと「沼田君の自宅で心臓発作で亡くなった」と消えそうな声で言った。
志恵留はそう聞くと今まで忘れていた頭のくらくらする感覚が蘇ってくるように思えた。
鳴はそれに気づくと、志恵留に「上へ行きましょう」と言って上へのぼる階段へと向かった。
一階の奥の天根が言っていたソファに向かい合わせに座った二人は少しだけ沈黙が流れた。
先に言葉を発したのは俯いている鳴だった。
鳴は微笑みながら「榊原君と昔、こうやって話した事がある」と言った。
志恵留はくらくらする感覚が曳いてくると思うと「そうなんですか」と言った。
「榊原君が転校してきて、まだ災厄≠知らなかった時……不思議そうにクラスについて聞いてきた……」
「その時教えたんですか?」
「教えた……と、言っても始まりの年≠セけね……他は赤沢さんとか、勅使河原君達が教えてあげた方がいいと思ったから……」
「転校生って大変ですよね……あんな、クラスの状態に飲みこめるような人はそうそういませんませんから……」
「そうね、榊原君も半信半疑だったみたいよ……」
鳴はそう言い残すと、ソファから立ちあがってどこかへ行ってしまった。
志恵留は鳴を呼びとめようとしたがその時には鳴は志恵留の見えないところに行ってしまった。
志恵留は肩をすぼめて俯いて先ほど、鳴が言っていた「沼田君のお祖母様が亡くなった」という言葉が脳をよぎった。
志恵留はグッと両手を握るとソファから立ちあがって出口へと向かった。
カウンターには入って来たと同じように天根が静かに座っていた。
天根は志恵留がドアを開けると「また来てくださいね」としわがれたような声で言った。
志恵留は天根に「はい」と言い残すとギャラリーを出て行った。
神藤眞子は自宅の自室のベッドに横たわっていた。
先ほど自宅の電話に沼田郁夫の祖母が亡くなったと言う知らせが舞い込んできた。
七月の末だったので、おそらくこれで七月の死者は終わりだろうと神藤は思った。
これまで何人ものの人が命を落としている。
神藤は内心、次は自分が死んでしまうかもしれないと心配していた。
先ほどの知らせは連絡網で回ってきていた。
神藤の前はクラスの対策係の内場七夏だった。
少しだけキツイと言うか、何だかクラスのボスというような雰囲気の内場。
別に悪い人ではないが、目がキツイ、表情がいつも怒ったような感じなのでそう思われているだけだ。
内場は「まただってっもう!どうすんのよっ」と怒ったような感じがしていた。
四月に重盛良太が死んだときだって、いつか爆発しそうな感じだった。
これからクラスの関係者が死ぬと思うと、そりゃあそんな感じになってしまうだろう。
神藤は横たわったまま、いろいろ考えていた。
今頃沼田は一体どうしているのだろう、八月は誰が死ぬんだろう。
すると部屋のドアがノックされて、神藤の母の声で「眞子、増尾君から電話よ」と言われた。
クラス副委員長の増尾拓真は神藤の小学校からの幼馴染だった。
神藤は部屋から出ると母から子機電話を受け取ると耳にあてた。
「眞子か?さっき沼田のお祖母さんが死んだらしいが……お前んとこは大丈夫か?」
「うん、大丈夫よ……増尾のところは?」
「大丈夫だけどよ、内場から電話があって……アイツ大丈夫かよ」
「熱血な子だからね……でも、悪い子じゃないし」
「そうかぁ?アイツ、なんかさ、今年のいないもの≠セった榊原さんを何か……嫌ってるって言うか、妬んでるって言うか……ヤバいんだよ」
「そっか……私も気になってたけど、志恵留を睨んでるような感じはしたな」
「うん、それに……お前の、妹さんは大丈夫か?」
「眞里=H大丈夫よ……変な気、起こそうとはしてないし……じゃあね」
通話終了ボタンを押すと神藤は自分の隣の部屋に目をやった。
ひと際薄暗い雰囲気の漂う部屋を避けるようにしてリビングに電話を戻した。
その時、母に「これ」と言われてご飯と海老フライの乗ったトレーを渡された。
神藤は静かにトレーを持って行くと先ほどの薄暗い部屋の前に立った。
そしてゆっくり息を吸うとドアをノックして「眞里ぃ」と言った。
「夕飯持ってきたよ……今夜は眞里の大好きな海老フライだよ……」
優しい声でドア越しにいる人物、眞里に言った。
するとこちらに歩いてくる足音がすると、ゆっくりとドアが開いた。
ドアのわずかな隙間からぎょろりと片目が見えると神藤はホッとした。
そして眞里は「お姉ちゃん?」とかすかな声で言うと神藤は「そうだよ」と言った。
そして眞里は「そこ、置いといて」と言うとそれ以上は物音一つしなかった。
神藤はゆっくりトレーを床に置くとその場からすぐに離れた。
神藤は自分の部屋に入るとみせかけてチラッと眞里の部屋の方を見た。
眞里の部屋からは髪の長くボサボサで顔がほとんど見えない少女がのっそりと出てきた。
そしてトレーを部屋に入れるとドアをすぐに閉めてしまった。
眞里は神藤の一つ下の妹で、中学は同じなのだが大人しく、暗い印象なのでいじめを受けている。
そのため今年の四月から引き籠るようになってしまった。
神藤は少しだけ心配をしているが、自分がどうこう言って何かを出来るわけではない。
それを承知で放っておいている。
神藤はもしかしたら、眞里がいつかの死者≠ノなるのではないかと思っている。
神藤は部屋に入ると壁にもたれ掛かって隣の眞里の部屋の物音を聞いていた。
夕食を食べている音もすれば、何かを壁に投げつける音もする。
神藤はそれを聞いている間、ずっと「眞里」と泣きそうな声で言っていた―――……。