八月に入ると学生たちは気が抜けて、いろんなことを怠けてしまう時期。
夏の暑さや夏休みと言う一ヶ月以上に及ぶ長期休暇でやる気を見せようとはしない。
そんな中、榊原志恵留(シエル)は早起きをして出勤前の父の陽平にこの間の約束≠ノついて聞いた。
「お父さん、松永さんには……夏休み中に会えるといいと思うんだけど……」
スーツに着替えてネクタイを締めている時に突然志恵留に問いかけられて「んん?」と眉間にしわが寄る。
そしてその約束について思い出すと「ああ」と今ようやく思い出したかのように言った。
陽平はネクタイを締め終えると、隣にいる志恵留のほうを向いて少し咳払いをした。
「……ああ、二十一日だったらあいているから、その時に連れて行ってやるよ」
「本当?だったら、クラスの友達も一緒にいい?他にもこの現象≠ノついて知りたがってる人いるから」
「うん、いいぞ……まぁ、詳しい話は明日な」
そういうと足元に置いていたスーツケースを持つと、陽平は玄関へと向かった。
志恵留も後を追うように玄関へと向かい、靴を立ったまま穿いている陽平を見ていた。
そして陽平は靴をはき終えると「行ってきます」と軽く微笑んだ。
志恵留は陽平の言葉に少し驚きつつも「行ってらっしゃい」とすぐに返した。
陽平は志恵留の返事を聞くと、すぐにドアを開けて出て行った。
志恵留は寂しくなった家の中を見渡すと、和室にある母の志乃の仏壇へと向かった。
志恵留は朝食の残りを供えると線香に火をつけて顔の前で手を合わせた。
仏壇には志恵留が大好きだった志乃の優しい笑顔が写真として残っている。
志恵留は志乃の笑顔を見ながら「もう少しで災厄≠熄Iわるかもしれないよ」と微笑んで言った。
志恵留には写真の志乃が軽く頷いたように見えて志恵留も返事をするように頷いた。
そして志恵留は愛用の白いショルダーバッグを肩にかけると家から出て行った。
ショルダーバッグから一枚の手の平よりも小さな紙切れを取りだすと紙切れを見ながら夜見山の街を彷徨う。
志恵留が住んでいるのは「御先町」という街で紅月町というバス停に向かう。
バス停には他には部活に向かうであろう女子高生や杖をついて腰を曲げた老婆がバスを待っている。
数分するとバスはバス停で停まり、志恵留はそのバスに乗り込んだ。
乗客は先ほどの女子高生と老婆だけで先に乗客は一人もいなかった。
志恵留は左の窓際の前から三番目の席に座ると窓の外をぼうっと眺めていた。
車内は静かでバスのエンジン音しか聞こえなくて、聞こえるとしたら一番後ろの席に座っている女子高生二人組の話声くらいだろう。
そんなにうるさいと言えない話声なので志恵留も気にすることなく外を眺めている。
バス停に停まるごとに車内に響き渡るアナウンスは運転手の独特な声だった。
渋いと言うか濃厚というような、そんな声でアナウンスをする運転手。
そしてアナウンスで「古池町」と流れた時、志恵留はハッとして椅子から立ち上がるとバスを降りた。
バスを降りた後、志恵留はひたすら先ほどの紙切れを見ながら「古池町」を歩いた。
何度も町と紙切れを交互に見ながら歩いていると、緩やかな坂が目の前にあった。
志恵留は「この先か」と呟くと坂を登っていった。
そんなに疲れるほどの坂ではないが、運動神経のない志恵留にはとてつもなくしんどいものだった。
志恵留が息を切らして向かった先は、一つの和風というような少し古い一軒家だった。
家の前には門があり、そこには「榊原」と石に彫られている。
志恵留は門にあるインターホンを押すと一人の老女が家から出てきて門の前にいる志恵留を入れた。
老女は民江は「志恵留ちゃんだよねえ」と微笑むと家に招き入れて奥の部屋の方に連れて行った。
中は外見と同じように和室が多くて何だか懐かしいような雰囲気が漂う。
民江は奥の和室に志恵留を入れると「ゆっくりしていってね」と言ってその場を離れて行った。
部屋の中にいたのはいとこの榊原恒一と神藤眞子、沼田郁夫の三人だった。
三人は和室の中央に円を描くようにして座っていた。
恒一はゆっくり立ち上がると「待ってたよ」と言って三人の輪の中に座らせてもらった。
神藤の左隣で沼田の右隣りに座り、恒一も志恵留の正面らへんに座ると中央の古びた缶に目を向けた。
恒一はゆっくり缶を開けると中には十数枚の写真が入っていた。
「これって……恒一兄ちゃんのお母さんの写真?」
「うん、お母さんと妹の怜子さんの写真……確かこの中に例の写真≠ェ入ってると思うんだ……」
恒一は写真を取り出すと、一枚一枚捲って例の写真≠探していた。
他の三人の視線は一気に写真を捲る恒一の手元に集まった。
そして何枚か捲った後に恒一が「あった」と声を上げて三人は身を乗り出して恒一が持っている写真を見た。
その写真はモノクロ写真で、夜見北の制服を着た生徒たちが並んで写っている。
恒一は「これ」と言って一番右端の男子生徒を指差した。
その生徒は他の生徒と同じように笑っているが、何だか漂っている≠ニか浮かんでいる≠ニいう違和感がある。
神藤は写真をじっくり見ると納得したような表情をして言った。
「これが四十九年前のミサキ≠ヒ……」
「うん、姓はこの都市と同じ夜見山≠ナ夜見山岬≠チて言うんだ」
「男子生徒だったんだ……てっきり女子生徒かと……」
沼田は女子生徒かと思っていたと言う勘違いを自分で苦笑していた。
志恵留が夜見山岬の他の生徒を見ていると、恒一の亡き母の理津子が見えた。
理津子も三年三組の生徒で夜見山岬をいるもの≠ニした人間の一人でもある。
それが何だか不思議と悲しいというような表現があうような気が志恵留はした。
そして恒一はもう一枚の今度はカラーの写真を取り出してモノクロ写真の隣に並べた。
「これが二十八年前の写真……怜子さんが中三の時の卒業写真だよ」
写真には理津子と顔の似た怜子という女子生徒が写っていた。
志恵留はその他にある人物≠探して目を泳がせていた。
そして志恵留の目に留まったのが、とある男子生徒だった。
男子生徒は優等生というか眼鏡をかけて真面目そうな感じがする生徒だった。
恒一はその生徒を真剣に見る志恵留を見て「ああ」と驚いたように言った。
「志恵留の両親がこの年の卒業生か……」
「うん、お父さんは三組で……お母さんは二組だったらしいけど」
「じゃあ、榊原さんのお父さんから何か聞いたりしてない?」
「いろいろ……夏休みの合宿について……松永っていう生徒の事とか」
恒一は自分の叔父でもある陽平を見ると、その隣にいる松永克巳を見た。
ごくごく普通な平凡というか地味な生徒だが、この生徒こそが一番有効な対処法を残した張本人である。
志恵留がひたすら二十八年前の写真を眺めていると、神藤が一番新しい写真を見つけて手に取った。
神藤は何だろうと思って手に取ると、これもまた三組の卒業写真のようだった。
そこには見覚えのある男女の生徒が写っていて神藤は唖然とした。
そして息を飲んで恒一に「これって恒一さんの卒業写真ですか?」と恒一に写真を見せて言った。
恒一は少し言葉を詰まらせると頷いて気難しそうに目を逸らしてしまった。
十三年前の恒一と担任の見崎鳴が写っている写真だった。
その写真にはもちろん、死に還ったその年のもう一人≠フ三神怜子は写っていない。
それでも志恵留は十三年前と二十八年前の卒業写真を見比べてみるとどうも奇妙な感じに見えてしまう。
それは神藤も沼田も同じように感じていた事だった。
恒一は三人の違和感に気づくと、俯いて両手を握りしめて唇と噛むように言った。
「その二枚の写真には……その年に死んだ生徒が写ってるんだ」
恒一の思いがけない言葉に三人は言葉を失った。
一瞬にして部屋の空気は凍り付いて写真を持っていた志恵留は写真を落としてしまった。
この写真には死んだ生徒≠ェ写っている、そう思うと気味が悪くなってしまう。
写真を見る限り、何人か死んで人数が少なくなっているはずなのに写真には満員に写っていた。
一部の生徒は夜見山岬と同じように青白くて漂っているように立っていた。
三人はどれが死んだ生徒なのかを一瞬で見分ける事が出来た。
「毎年卒業式にの集合写真に写るんだ……だから、毎年死んだ生徒の場所は開けておく……この年だってそうだった」
三人が再び写真に視線を戻すと、死者だと思われる生徒を見た。
左端にいるのが桜木ゆかり、その下にいるのが杉浦多佳子。
真ん中の一番上にいるのが中尾順太、右端の一番下にいるのが前島学。
前島の隣が米村茂樹、教師と見られるのが担任の久保寺だと思われる。
二十八年前の写真にも名前は分からないがその年に死んだ生徒が写っている。
その他の生徒は普通に笑っているがどことなく緊張をしているような表情だった。
志恵留が写真を見ていると十三年前の写真に妙な違和感を覚えた。
どれもいっぱいいっぱいに並んで写真に写っているが一つだけ空いている場所があった。
一人だけ入れる場所に一つだけ空いている。
男子生徒の場所に上から二列目の右から二列目に一つだけ空いている場所がある。
「恒一兄ちゃん、ここって何で空いているの?」
「えっ……ここ?あれっ?ここは確か……もう一人死んだアイツが」
恒一が何かを言おうとした瞬間、外から何やら雷が落ちるような物凄い音がした。
そして恒一の口が止まると頭をかいてため息をついた。
志恵留が「恒一兄ちゃん?」と言うと恒一は「そっか」と自分で納得したように言った。
三人は冷や汗をかいて疑問げな表情をして恒一のほうに注目をした。
「いや……そこは誰もいなかったな、うん……その年の死者はそれで全員≠セった……」
「えっでも、さっきもう一人死んだアイツ≠チて言ってなかった?」
「それは、記憶違いだった……十三年も前≠フ話だから」
恒一はそう言うと写真を缶の中に閉まった。
志恵留は恒一が言った十三年も前≠ニ言う言葉と妙な勘違いに違和感を覚えた。
それは神藤も沼田もその違和感≠感じていただろう。
志恵留は頭がモヤモヤしながら三人にふと思い出したように言った。
「ねぇ、今度お父さんに松永さんのところまで行くんだけど、皆も行く?」
「えっ志恵留のお父さんが連れて行ってくれるの?私も行きたい!」
「じゃ、じゃあ……僕も」
「うーん、じゃあ僕も行くよ、仕事の方は何とか話しつけてくるから」
志恵留は三人の答えを聞くと「分かった」と言って微笑んだ。
恒一は深く考えて「見崎も誘っていいか?」と言った。
志恵留は即座に「いいよ」と答えると和室の窓から外をチラッと見た。
先ほど雷のような音がしたが、大丈夫なのかと少しだけ心配をしてしまう志恵留。
だが、外は晴れ晴れしい青い空が広がっているだけだった。
志恵留と神藤と沼田が恒一の祖父母宅から一緒にバスに乗って帰っていた。
「古池町」というバス停から志恵留は「紅月町」まで乗って行って徒歩で帰る。
バスには左の二列目の窓際に志恵留とその隣に沼田が座った。
その前には神藤が一人で窓際に座っているが、たまに後ろを向いて会話に入ってくる。
車内は空いていると言うよりも三人以外は誰も乗っていなかった。
志恵留は沼田と二人で話している時、少し気まずそうに「お祖母さん」と漏らしてしまった。
沼田はビクッと体を揺らすと震える唇を噛みしめて答えた。
「僕の目の前でね……最近はもう体調も良かったのに、突然発作を起こして……」
「沼田君も同じ病気だっけ?亡くなったお母さんも」
「……うん、血筋かな?次は僕かも……って言う不安はあるんだよね」
沼田は笑い飛ばしていたが志恵留にはどうも沼田が無理をしている事がはっきりと分かった。
それなのに何もできない自分がどれほど無力な人間かが目にしみるほど分かった。
その話を前で聞いていた神藤は「次は私の妹」と突然言い始めた。
志恵留は神藤に向かって「眞子?」と問いかけてみた。
神藤は少し黙り込むと大きく深呼吸をして淡々と言った。
「私の妹……眞里はね、同じ学校なんだけど二年生で、いじめられてて引きこもりなの……最近、何だか自殺行為的な事をしようとはしてるみたい」
「……それって」
「私やお母さんが止めても止めてくれない、リストカットとか……そう言うのをやってるの」
志恵留は今まで陽気だった神藤からは想像ができないほどの告白に口をつぐんでしまった。
何をどう返せばいいのかが分からず、ただジッと神藤の話を聞いているだけだった。
志恵留からは前にいる神藤の表情を見ることはできないが、何となく志恵留には見えるような気がした。
すると神藤は今までの空気を振り払うように「なーんてね」とからっと笑って後ろを向いて言った。
志恵留と沼田はきょとんとしたような顔をして首をかしげた。
「冗談、冗談!そんな事あるわけないじゃんっまぁ、引きこもりなのは本当だけど、自殺とかはしないよぉ!」
いつものように陽気に笑っているが、志恵留にはそれがどういう感情なのかが分からなかった。
本当に深刻なのか、あるいは神藤が言うようにただの冗談なのか。
志恵留は考えないようにしようと思うと神藤の笑い話に付き合った。
神藤の笑顔はいつものように暖かくて、そしてどこか悲しそうな感じだった。
その日の夕方、恒一は一人で自分の車で「御先町」までやって来た。
恒一が車を止めたのが「夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。」という人形ギャラリーの前だった。
十三年前とは全く変わらない風貌に恒一はふぅと笑ってしまいそうになった。
無愛想な外見で大抵の人は気味悪がるが、恒一はためらいもなくギャラリーに入った。
中には前と同じようにカウンターの後ろに天根が座っていた。
照明で暗くて顔は見えないが顔を近づければ何となく見えてくる。
天根は「お客さんかい?」と言うと恒一は「はい」と答えた。
「入館は五百円だよ、ゆっくりしていきなさい他にお客さんもいないし……」
十三年前と変わらない対話だが、唯一変わったのが「中学生は半額でいいよ」と言う言葉がなくなったことだった。
恒一は五百円をカウンターに置くと、館内を見て回ってみた。
前とは全く色あせていない人形達が恒一を迎えてくれるように並んでいた。
十三年前は頭がくらくらしてしまったが、慣れたのかそうでもなくなっていた。
地下に進むと胴体や手足がテーブルや床、暖炉に置かれているのが見える。
全然変わっていないなと思うと、奥の方に入ると十三年前はなかった人形達が並んでいる。
緑ではなく蒼い瞳、そして札には「霧果」ではなく「聖斗」と記載されている。
一番奥には恒一が良く見ていた黒い棺の鳴にそっくりの人形の隣に白い棺がある。
その中には黒い棺の中の人形と似ているが、本当は全然似ていない人形があった。
白い棺の人形を見つめていると後ろから「榊原君?」と言われた。
後ろに立っていたのは見崎鳴本人だった。
恒一は「やあ」と言うと軽く微笑んでみた。
「よく見に来るよね……」
「うん、なんかね……自分が作った人形だけど、出来がどうとかじゃなくて、霧果さんがどう配置してくれたかが気になって」
「今年の四月から榊原君の作品を置いてるけど、あの人毎日のように見てくれてる」
「この人形……霧果さん何か言ってた?」
恒一は白い棺の人形の髪をなでると、鳴は「すごいとしか」と呟いた。
恒一は肩を落とすと「そっか」と消えそうな声で言った。
鳴はふと思い出したように「この間榊原さんが来たよ」と言った。
恒一はすぐに振り返って「えっ?」と首をかしげた。
「お母さんの作った人形もすごいって言ってたけど、榊原君のに結構ハマってたみたいだよ」
「ふーん、アイツがねぇ……」
「その人形も……榊原君が作ったって言ったら、目を丸くして驚いてたよ」
鳴がそう言うと恒一はハハァと軽く笑ってみた。
鳴は恒一の様子を窺っていると鳴の隣にある白い翼をもって左足を抱えた少女の人形を見つめた。
恒一は鳴の行動を見て「どうしたの?」と恒一もその人形に目をやった。
「この子が一番好き……何だか、穏やかじゃない?」
「うん、これね……見崎が中三の時にスケッチブックに描いてた女の子をモデルにしたんだ」
「そっか……うん、私のあの時の想像と同じね……」
鳴はそっとその人形の髪をなでると静かに微笑んだ。
恒一はそんな鳴の姿を鳴と同じように微笑みながら見ていた―――……。