「誰なの?足りなかった六月の死者≠チて……」
「……それは―――……」
夜見北中学の校舎の三年三組の教室で昼食を食べようとしていた榊原志恵留(シエル)にいとこの榊原恒一から携帯電話に電話がかかってきた。
恒一は震えるような口調で電話をかけてきた。
恒一が三年三組に所属していた十三年前の六月の死者≠ェ一人だけ足りなかったという。
ずっと今までは恒一に記憶では六月の死者≠ヘ水野猛の姉の沙苗が職場で事故死しただけだと思っていた。
だが、それは違う記憶で本当はもう一人いたと恒一は言う。
志恵留はその人物が今年のクラスに紛れこんだもう一人=∞死者≠ネのだと思っている。
恒一は言葉を詰まらせると、息を呑んでその人物の名前を口にした。
「タカバヤシ……タカバヤシ・イクオって言う男子生徒だった」
志恵留の耳にはそんな名前が飛び込んできた。
志恵留はその人物の苗字ではなく、下の名前に気を取られてしまった。
どこかで聞き覚えのある名前、と言うよりもずっと聞いてきた名前だった。
志恵留は思わず電話越しに恒一に「はい?」と首を傾げてみた。
恒一にはそんな志恵留の姿は見えないのだが、恒一は志恵留の表情を見透かしたように思った。
恒一は気がおかしくなりそうな志恵留に構わず、どんどん話を進めて行った。
「六月六日に自宅で心臓発作を起こして亡くなったんだ……水野さんが亡くなった直後で、本当なら全く憶えているはずなんだけど……」
「名前……」
「ん?」
「その、タカバヤシさんの下の名前って……」
「うん、沼田君と同じ字を書く……郁夫って言ってた」
恒一は携帯電話を握りしめると唇を噛みしめて志恵留の反応を待っていた。
思ってもいなかった名前を口にされて志恵留は訳が分からなかったが全てを察する事が出来た。
クラスメイトで今は心臓発作を起こして入院している沼田郁夫の苗字は母方の苗字で両親が離婚する前までは違っていた。
沼田の父方の苗字は何と言っただろうか。
そんな事を考えていると徐々にその名前が脳内に文字として浮き上がってくるような気がした。
思い出してしまいたくないような気がしたが、志恵留の脳内には「高林」という文字が浮き上がって来た。
志恵留はその文字をかき消すように横に首を振ると恒一に「何て字を書くの?」と問いかけてみた。
「高い林って書いて、高林だった」
あっさりと返って来た言葉だったので志恵留は廊下の壁にもたれ掛かった。
廊下の冷たいコンクリートの床に座り込むと貧血でも起こしそうな気がした。
同姓同名という線もないとは限らないが、限りなく沼田がもう一人≠セと思えた。
両親が離婚したのが二年前だとすれば、十三年前は高林郁夫と名乗っていた。
それが沼田が死んでから何年か経って両親が離婚して、母方に引き取られたと改竄されて沼田郁夫となった。
よくよく考えてみれば高林が死んだのは心臓発作が原因で、沼田も幼いころから心臓が弱い。
志恵留は沼田がもう一人≠セと思うと電話を切ろうとした。
その時に恒一は慌てて志恵留に「沼田君は違う」と言いきった。
「沼田君が高林君だとすれば、僕の記憶の改竄がなくなったと言うのが引っかかる……たぶん、四月から八月の時点では死者≠セったと思う」
「四月から八月……じゃあ、今は?」
「……改竄が消えて、高林郁夫の存在が僕の記憶に残っているとすれば、たぶん死者が変更≠ウれたと思う」
志恵留は恒一が言っている意味がはっきりと分かるような気がした。
十年前の三組に所属していた小野寺修哉は、四月から七月の死者≠セった栖川奈々子が七月からは違う生徒が死者≠ノなっていたという現象。
栖川奈々子が死者≠ニしてではなく、本当に生きている人間として蘇った。
そして七月に亡くなってしまった生徒が新たな死者≠ヨと変貌してしまった。
実際に栖川奈々子は今でも生きていて、栖川奈々子が本来に十年以上前に亡くなったと言う記憶と記録がなくなっている。
栖川奈々子が死んだ年に三組の成員だったと言う記憶と記録は全部消えている。
そんな現象はそれからもずっと続いていると分かった。
それなのに誰もそんなあまり例を見ない現象を三組の成員に報告をするというすべを出さなかった。
もしもその現象が今起こったとすれば、沼田は本当に生きている人間となる。
だとすれば四月から八月にかけて知らず知らずのうちに亡くなった生徒がクラスに紛れこんだもう一人≠ニなる。
「とりあえず、第二図書室の三組の名簿をいれたファイルに、高林郁夫の名前が九八年度の名簿にあったら、沼田君は違う」
志恵留は恒一の話をそこらへんまで聞くと電話を切ってすぐさま立ちあがった。
どこへ向かうかも迷わずに旧校舎にある第二図書室に自然と走って行った。
昼休みで行き交う人は志恵留が慌てて走っているのを見て誰もが唖然としていた。
志恵留はそんな周りの視線を気にすることなく、第二図書室に入って行った。
第二図書室には司書の千曳辰治が部屋の隅にあるカウンターに座っていた。
千曳は慌てた様子で走って来た志恵留を見て目を丸くして「どうした?」と言った。
志恵留は息を切らしながら「名簿を見せてください」と言うと千曳は部屋の奥から名簿を挟んだファイルを持ってきた。
千曳はファイルをカウンターの上に置くと志恵留はすぐにファイルを開いた。
何枚かページを捲っていると九八年度の名簿を見つけて志恵留は生徒の名前を一つずつ指で追って見た。
志恵留が必死に探しているとようやく「高林郁夫」という生徒の名前を見つけた。
名前の左横には赤ペンで×印があり、氏名および連絡先が記された列の右側の余白には「六月六日、病死」と書きこみがあった。
志恵留はそれを見るとホッとしたのか崩れ落ちるように床に座り込んでしまった。
千曳は不思議そうに志恵留を見ていたが、志恵留が座り込むと「大丈夫か?」と心配そうに言うと志恵留に駆け寄った。
志恵留は落ち着くと千曳に小野寺が言っていた現象と沼田についてをかなり詳しく話した。
千曳はそれを聞くと「そうか」と呟くと窓の方に寄って窓の外を眺めていた。
少し気難しそうに眉間にしわを寄せると自分の後ろに手を組んで話した。
「今まで例のなかった現象で、毎年ある年≠ノ起こるとは限らなかったので、生徒たちにも言わなかったんだ」
「その現象って十年前からですか?」
「いいや、十二年前から毎年起きているんだ……今までにはある年≠ニ同じで七回ほど起こってるんだ」
「……理由、とかはあるんですか?」
「一部の話では、十三年前に見崎くんがいないもの≠セったのを榊原君も増やしてしまった……それで何らかの現象のバランスが崩れたとか」
志恵留の質問にあっさりと答えてしまう千曳は右手で自分のうなじを摩るとため息をついた。
十三年前に何も知らずに転校してきた恒一が見崎鳴と接触を試みてそれが原因で災厄≠ェ起きたと勘違いした生徒がいないもの≠二人に増やした。
それが原因で現象のバランスが一気に崩れてそんな現象が起きてしまう。
志恵留は九八年度の名簿に目をやると「見崎鳴」と書かれた余白には「四月二十日、双子の姉妹の藤岡未咲が病死」と書かれていた。
千曳は窓から視線を逸らして志恵留を見ると「参ったな」とでも言いそうな表情で言った。
「しかし、まさか高林君がもう一人≠ニは……今は沼田君らしいけど……」
「沼田君は、違うんです……恒一兄ちゃんの記憶にも沼田君、高林君の存在があるってことは……」
「沼田君が本当に蘇ってしまった……私もそう言う結論だと思うよ」
その後も千曳は志恵留にいろいろ情報を振ってみたりするも志恵留はそれに耳を傾けようとはしなかった。
かろうじて入ってきた情報は、高林は心臓が弱くて亡くなる一年ほど前からは容態も安定してきたのだが、二・三日で体調崩して死に至る発作を起こした。
それ以上は茫然としていて全く耳に入ることがなかった。
志恵留が今年の名簿を見ると「沼田郁夫」という名前はきちんと記載されていた。
その週の休みには志恵留は沼田と神藤眞子が入院をしている市立病院に立ち寄った。
本当は「自然気胸」の検査で訪れたのだが、見舞いのつもりでもあった。
志恵留は病院に来る前にひまわりの花束を二束持ってきていた。
志恵留はナースステーションで病室を聞いて最初に沼田の病室を訪れた。
個室のドアをノックするとドアを開いて病室を見渡すと沼田がいるベッドの横には神藤がパイプ椅子に座っていた。
神藤は母と妹を失って妹の眞里に殺されかけたと言うのに明るい表情で志恵留に手を振った。
沼田は少し痩せたように見えて顔色もそうそう良いとは言えない。
それでも志恵留に微笑んで体調も良くなっているようには見えた。
「何ぃ〜志恵留ったら、私をほっといて沼田君に会いに来たのぉ〜?」
「違うよ、後で眞子の所にも行こうと思ってたよ、ほら花束だって……」
「でも、先にこっちに来ちゃったじゃん!沼田君ズルイ!」
「えっ僕に言われても……」
文句を言う神藤に苦笑をして対応をしている沼田。
本当の事を言うと志恵留は神藤を後回しにして見舞いをしようとしていた。
それに関しては志恵留も神藤に謝ろうとは思っていた。
だが、神藤もこの姿を見るとなるとやっぱり止めておこうと思ってしまった。
志恵留は神藤の横に立つと雰囲気的にはこんな話をするのは気が引けるが志恵留は覚悟を決めて沼田に言った。
「沼田君……沼田君は自分がもう一人≠セって分かってたの?」
突然そんな話を振りだされて沼田は言葉を詰まらせるとゆっくり頷いた。
神藤は志恵留に「ちょっと」と言ったが志恵留は話をやめようとはしなかった。
神藤も沼田に関する話は事前にクラス委員長の牧野優奈から聞いていた。
沼田も神藤と同じように牧野からその話は聞いていた。
俯いたまま沼田はか細い声で「発作を起こした時に言おうと思ってた」と呟いた。
八月に沼田が神藤発作で倒れる寸前に沼田は志恵留と牧野に「今年の死者≠ヘ」と言っていた。
おそらくその時に自分がクラスに紛れこんだもう一人≠セと言おうと思っていたのだろう。
志恵留にはそんな解釈がどうも気にかかって仕方がなかった。
もしも沼田が自分が死者≠セと分かっているのなら、今までの死者≠ニは異なってしまう。
死者≠ヘ記憶も感情もあって自分が死者≠セと全く気付いていないはずだ。
志恵留は沼田に「いつから気づいてたの?」と聞いた。
「……七月にお祖母ちゃんが亡くなった時、自分もこんなことがあったなって思ったんだ。それで自分が本当は生きていないって思ったんだ……」
「……何で、それ」
「怖かった……何だかそれって人殺し≠ンたいで、今まで四月からずっと月に一人以上の人を殺したみたいで……榊原さんのお母さんだって」
罪の意識に耐えられなくなって告白しようとしたが、発作を起こしてしまったそのタイミングを失った。
しかも沼田は何らかの理由で本当に蘇って、別の誰かが死者≠ニなってしまった。
それを知って沼田はホッとするという気持ちにはなれなかっただろう。
自分のせいで人が死んで、他の人が死者≠ノなって自分が生きた人間となってしまった。
沼田はそんな罪悪感を伏せておくのか明かしてしまうのかをずっと迷っているうちに志恵留がそれを突き止めてしまった。
沼田はそんな事を考えて自分の左胸をずっと摩っていた。
「沼田君は……その、十三年前の出来事は憶えてる?」
「うん、君のいとこの榊原君の事も、一度か二度くらいしか話した事はないんだけどね」
いつだったかお盆の日に沼田と恒一が顔を合わせた時に恒一は「どこかで会った事がある」と言うような事を沼田に言っていた。
それは十三年前に同じクラスで話した事があったからだ。
それでも志恵留には一つだけどうも解釈できないことが脳内をよぎっていた。
志恵留の亡くなった母の志乃が沼田を見て恒一と同じように「会った事がある」と言っていた。
あれは本当に勘違いか記憶違いだったのかと疑問を感じていた。
志恵留はたまらず沼田に「お母さんと会った事がある?」と聞いてみた。
「……榊原さんのお母さんは、たぶん……僕のお姉さん≠カゃないかなって思うんだ」
「お姉さん?でも、どうして……」
「僕の改竄された記憶では、両親が離婚して……お姉さんはお父さんの方に引き取られたって……」
志恵留は志乃との会話を思い出すと沼田の事を語るような言葉が思い当たる。
「十三年前に弟が亡くなった」「三年三組だった」と言っていたような気がした。
志乃の旧姓を考えてみると志乃は「高林」と言っていた。
死んだ弟がもう一人≠ニして蘇っても志乃には沼田が死んだ弟だと認識は出来なかった。
それも崩れてしまった現象のバランスの影響だと言えるのかもしれない。
志恵留が深く考えてみると志乃がどうして沼田を高林郁夫と認識できなかったかを解釈ができるような気がした。
「お母さん、きっと沼田君が亡くなった時にすごく悲しんだんだと思う……だから、沼田君を自分の弟だって……」
「……そう、かな」
あまりの悲しさに志乃は自分の弟はもう死んでるとしか思えなかった。
現象もバランスが崩れている影響も原因の一つだが、本当はそれが一番有効的な解釈と言える。
亡くなった沼田の母親の郁代の事は憶えていると思う。
それでは沼田の父親は沼田を見て自分の息子と判断したのだろうか。
「僕もね、正直言うと彼女をお姉さんだって思ってなかったんだ……っていうよりもお姉さんの顔が分からなかった……」
「それも崩れた現象の影響……って事でいいんだよね?志恵留」
「たぶん、二人の記憶の改竄が曖昧だったんだと思う」
今は沼田も志乃についてはきちんと憶えている。
そして今はもう死者≠ナはなくてきちんと生きた人間なのだ。
志恵留は振り出しに戻ったような気がして目眩がしそうかった。
そんな志恵留の気持ちを悟ったように神藤は「誰なんだろうね死者≠チて」とパイプ椅子にもたれ掛かって言った。
新たに変更されてしまった死者≠突き止めない限り、この災厄≠ヘ止まる事はない。
沼田ではない誰かが入れ替わりに死者≠ニなってクラスに紛れこんでいる。
もしかしたら、それは志恵留自身とも考えられなくもない。
志恵留はふと思ってしまう。
死者は一体いつ変更されてしまったかと言う事だった。
おそらく八月下旬から九月の上旬と志恵留には思える。
今年の八月下旬から九月の上旬に亡くなった生徒、それは一体誰か―――……。