榊原志恵留(シエル)はここ最近になってから、とある悪夢を見るようになってしまった。
夜遅くに寝ていると、志恵留は夢の中で真夜中の夜見北中学の校舎を歩きまわっている。
志恵留の予想では校舎は三年三組の教室のあるB号館だと思われる。
誰もいない夜の校舎をいたすら行くあてもなく彷徨っている志恵留。
しばらく歩いていると二階の廊下に差し掛かると志恵留はふと歩いていた足を止めた。
志恵留の目の前には、クラスメイトが志恵留のほうを向いて立っていた。
全員が魂の抜け落ちたような目をしていて志恵留は不気味に感じて後づ去りをしてしまった。
「死者は、誰?」
どこからともなく響いてくる歪な声に志恵留は後ろを向いたり辺りを見渡したりした。
何度かその声が響くと志恵留はようやくその声が担任の見崎鳴だと分かった。
言葉を何度も聞いているうちに志恵留が使っている古びた机に書かれた「死者は、誰―――?」と言う落書きを思い出した。
志恵留は思わず「分からない」と言って俯いてしまった。
志恵留がそう言った瞬間、鳴だけでなく目の前にいたクラスメイトが同じように言い始めた。
何人ものの声が重なって「死者は、誰?」と聞いてくる。
志恵留は気が狂いそうになって耳をふさいで蹲ってしまった。
それでも止まない声に押しつぶされそうな気がして志恵留は立ちあがろうとした。
その瞬間志恵留の腕を何か冷たい物が掴みかかって来た。
腕を掴まれただけなのに身動きが出来ずに志恵留は後ろを振り返って腕を掴んでくる人物を目にした。
それは青白い顔をして左胸を押さえて苦しそうにしている沼田郁夫の姿だった。
沼田は今年の四月から八月までの死者≠ナ十三年前に病死をしていた。
沼田は志恵留の腕を掴んだまま離さずに薄く口を開いた。
「死者は……君」
そう言われた瞬間、志恵留は悲鳴を上げて起き上がった。
夢かとホッとすると志恵留はベッドの脇の棚の上の目覚まし時計に目をやるともうそろそろ起床の時間だった。
志恵留はベッドから降りると先ほど見た夢を思い出して寒気がした。
自分が死者≠ネはずがないと思いたいが、疑ってしまう自分がいるのが本心であった。
今回は昔に災厄≠ナ亡くなったわけではなく今年の災厄で亡くなった≠ニいうのが妥当だ。
誰が死者≠セとしてもおかしくない。
沼田が本当に蘇った時に死んだ三組の成員が新しい死者≠ニなる。
志恵留にはそんな思い当たるような事はないが、実際にはどうなのかと思う。
自分が気づいていないだけで本当はもう生きていないんじゃないか。
思いたくもない解釈をしながらも志恵留は制服に着替える事にした。
あんな悪夢を見た後に学校に登校するのは何だか変な気はするが仕方ないと思いながら志恵留は学校に向かった。
校舎の廊下を歩いていると何人かの同級生とはすれ違うのだが、三年三組のクラスメイトだけは出くわさない。
何だかおかしいとは思うのだが、今さら何かを不思議に思っても仕方ないと思いゆっくり歩いて行った。
志恵留がようやく教室に入るともうすでにクラスメイト達は席に座っていた。
教卓の後ろにはクラス委員長の牧野優奈が立って何かを話していた。
志恵留の入って来たドアとは違う黒板に近い方のドアのところには鳴が腕を組んで様子を窺っていた。
志恵留が突然教室に入って来た事には教室のほとんどの人が志恵留のほうを向いた。
それでもすぐに視線を牧野のほうに戻して座り直す。
志恵留もすぐに自分の席に座ると前の席に座っている退院したばかりの神藤眞子の肩を軽く叩いた。
「どうしたの?皆早い時間から……」
「志恵留、実は……副委員長を決めようってなって……」
コソコソと話をしていても牧野は一切口出しをしないで説明をしていた。
副委員長だった増尾拓真が死んで、新たに副委員長を決めようとなったがどうやらまだ決まっていないようだった。
男子達は顔を少し伏せてなりたくないような表情をしていた。
責任重大な委員長と副委員長の役割をやるのは圧力があるという理由が多いのだと思われる。
すると前の席の方で一人の男子生徒が「はい」と言って手を挙げた。
立候補したのは対策係の一人でもある木下翔太だった。
牧野は木下の方を一瞬見ると「他に候補者はいませんか?」と言うと男子達はお互いの顔を見合わせた。
何秒か間が開くと「それでは新しい副委員長は木下君です」と言うと鳴と立ち位置を変えた。
鳴は教卓の後ろに立つと教卓に手をつけて少し暗い印象で話をし始めた。
「新しい副委員長も決まったと言う事で、これからも頑張って行きましょう。
四月から不幸なことが続いていますが、きっと何とかなると信じて、来年の三月には全員で元気よく卒業しましょう」
ホームルームもかねて行われた副委員長決めが終わると鳴は教室から出て行った。
一時間目の時間まであと十分ほどあるのでほとんどの生徒が立ち歩いていた。
神藤は体を後ろに振り向かせると志恵留に「大変だよね」と言い始めた。
「死者≠熾マわっちゃったし、これからますます心配だよ……」
「うん、眞子は大丈夫なの?その……怪我とか」
「あー、大丈夫!眞里ったら、心臓とかそこらへんを狙ってなかったからねぇ」
神藤はわざと笑顔でふるまっているが本当は誰よりも心に傷を負っていたと思える。
そんな神藤に何も出来ない無力さに志恵留は悲しくなってしまう。
本当は神藤だけではなくてクラスメイトのほとんどが無理をして元気にふるまっているのかもしれない。
誰もが不安に押しつぶされそうになりながらもいつも通りに友人と接することで不安を振り払おうとしている。
志恵留も本当は少しだけ無理をしているのかもしれない。
本当は今にも泣きそうになって「死にたくない」と叫んでもおかしくない。
でも、そんな事をしたらもっと災厄≠酷くしてしまうかもしれない。
だから泣いたりしないと心に決めていた。
いつものように地味というか普通すぎる授業が終わると昼休みに入った。
志恵留はずっと一人だったが、今日からはまた神藤を一緒に弁当を食べる事にした。
志恵留が神藤と机を向かい合わせにすると対策係の内場七夏が志恵留に近寄って「ちょっと」と言って手招きをした。
志恵留は訳が分からなかったが、内場について行くと廊下まで出てきた。
内場は廊下の隅で立ち止まると鋭い目つきで志恵留を睨んだ。
「榊原さん、この間牧野さんと話してたよね?」
「え?はい……」
「何の話してたの?神藤さんとか沼田君の事?それとも災厄≠フ事で何か分かった訳?」
内場の強引な質問攻めに困り果てて志恵留は「いや」と小さく呟くしかできなかった。
そんな志恵留の様子に少しだけ苛立つような表情をした内場は大きくため息をついた。
「言っとくけど、そう言う事は対策係のほうに言ってほしいの……」
「えっ……は、はい……」
「それと、何かいろいろ嗅ぎまわるのやめてくれる?そのせいで、酷くなってるのに……」
内場は志恵留が調べるから災厄≠ェ酷くなっているのだと言い始めた。
志恵留は内場に言い返そうとは思うのだが、それも本当のことかもしれないと思ってしまう。
志恵留が調べれば調べるほど被害は広がるばかりだった。
それでもやはり調べないともっと酷くなると思っている。
志恵留はそう言いたいのだが内場の圧力に何も言い返せずにうろたえていた。
「内場、それくらいにしとけって、榊原さんも困ってるし」
「翔太……もういい!」
突然木下が駐在に入ってきて志恵留は「助かった」と思った。
内場もこりたのかすぐにその場を立ち去ってしまった。
志恵留は木下に「ありがとうございます」とすぐに頭を下げた。
木下は笑顔で「いいよ」と言うと立ち去って行く内場の姿を眺めていた。
志恵留は不思議そうに「二人って前から知り合いですか?」と問いかけてみた。
「えっ……ああ、うん、小学校からの幼馴染」
「そうなんですか……」
「前はさぁ、あんな風じゃなかったんだけどよっ中学に上がってからあんな感じなんだ」
木下は茶髪よりも黒っぱい髪を照れくさそうにかきあげた。
志恵留が何となく頷いていると木下が笑顔で「敬語は禁止」と言ってきた。
志恵留は木下にずっと敬語を使っていた事を思い出して「ゴメンなさい」と思わずに言ってしまった。
その後、二人は教室に戻ると神藤は慌てて「大丈夫だった?」と聞いてきた。
「内場さんに呼び出されたんでしょ?何か言われた?」
「えっ……いや、別に」
本当はいろいろ言われていたが、心配をかけてはいけないと思って言わなかった。
隣にいた木下も神藤には何も言わずに「じゃあね」とだけ言うとどこかへ行ってしまった。
神藤は木下と一緒だった事に目を丸くして「志恵留ったら沼田君から木下君に乗り換えた?」と言いだした。
志恵留は頬を赤くして「馬鹿」と神藤に言った。
そうこうしていると昼休みの時間がなくなるので席に座って弁当を食べた。
今日も志恵留は自分で作った弁当を食べて自分で満足していた。
一方神藤は祖父母の家に預けられたので、祖母が作ってくれたと言う弁当を食べた。
食べ終えると志恵留は丁重に手を合わせて「ごちそうさま」と言うと弁当をケースに入れた。
志恵留は何となく教室を見渡すと教室の一番隅に一人で弁当を食べている生徒を見かけた。
その生徒は沼田郁夫でよく考えてみれば学校では大体が一人でいるような気がする。
元々地味でとっつきにくいと言う理由で孤立している事が多い。
志恵留も一年生の時から人とは会話をしないほうだが、友達がいないわけではなかった。
沼田はどうなのかと思うのだが、聞くに聞けない。
志恵留は席から立ち上がると沼田のほうに歩いて行った。
沼田は志恵留のほうを見ると首をかしげて「どうしたの?」と問いかけてきた。
「えっと、沼田君ってあんまり誰かと一緒にいるってことが少ないなって……」
「うーん、人見知りが激しいからね、それに……実際にはクラスのみんなとはほとんど知り合いじゃないし」
沼田の言葉の意味、それは十三年前に病死をして今年の死者≠ニして紛れ込んだ。
それは三年になるまでは皆とは全く知らない者同士だったと言う事だった。
志恵留はそう言う思いもあるんだなと思ってそれ以上は何も言わなかった。
沼田は机に肘をついて頭を抱え出した。
「あのさ、榊原さん……僕、この間発作を起こした時……夢の中で誰かと会った気がするんだ」
「会った?それって……誰だったの?」
「分からない……だけど、知っている人だったと思うんだ」
沼田の言う会った人と言うのが新しい死者≠セとしたら……。
それが分かったら全てが解決するかもしれないと思った。
それでもやはり改竄がされているのかその人物が誰だったのかを思い出せないようだった。
もしかしたら死者≠突き止める鍵となるのが沼田なのではないかと志恵留はその時思った。
その日の帰りのホームルームで鳴から来週の体育祭についての説明があった。
こんなときでも行事はあるのだなと志恵留もクラス全員が思った。
ホームルームでは誰がどの種目にでるかと言う話し合いが決行された。
志恵留は運動が苦手なのであんまり乗り気ではなかった。
女子だけでクラス委員長の牧野の席に集まって話し合いをした。
志恵留は話し合いを聞いているだけで余った種目に出ようと思っていた。
結局志恵留は「男女混合リレー」に出場する事になってしまった。
正直言うと嫌だと言うのが本音だが、志恵留は仕方ないかと思って文句一つ言わなかった。
運動が得意な神藤は自分から大トリでもある「リレー」に立候補した。
順調に役割が決まると、最後に実行委員からいろいろ説明があった。
説明を書いた紙を片手に黒板の前で話をするのは実行委員長の八神龍だった。
真面目な優等生で黒ぶちの眼鏡が印象的で、落ち着いた雰囲気の男子生徒だった。
八神の隣には他の実行委員の七瀬理央と君島美嘉だった。
七瀬は明るくてクラスのムードメーカー的な感じでショートヘアーの髪で少し小柄な女子生徒。
君島はどちらかと言うと大人しくて少し大人びた雰囲気でウェーブの長い黒髪が綺麗で華奢な女子生徒。
説明が終わると三人は揃ってお辞儀をすると自分の席に戻った。
志恵留はぼうっとしながら話を聞いていたが、何だかその体育祭で不穏な出来事が起きそうな気がした。
最後に鳴からもう一度説明があるとそこでホームルームは終わった。
その時の鳴の表情はいつもよりも重苦しいような感じだった。