体育祭を一週間後に控えて練習が始まった。
今日は朝からずっと体育祭の練習や準備ばかりで、ほとんどの生徒が疲れ切っていた。
榊原志恵留(シエル)も運動音痴と言う事で朝からずっと憂鬱そうな表情をしていた。
九月に入っても夏ほどの日差しで肌は日焼けをして水を浴びればヒリヒリと赤く腫れでしまう。
志恵留は体育の授業でもそうなのだが、髪型はいつもの耳の後ろでのハーフアップではなくポニーテールだった。
女子は髪が長い生徒が多いので、ほとんどがポニーテールかツインテールだった。
神藤眞子も肩くらいのセミロングを低い位置でまとめて束ねていた。
今日一日は開会式の練習や種目ごとの説明や練習をメインに行われた。
練習の最中には、男子生徒だけでクラスごとの休憩や観覧をするテントを組み立てていた。
志恵留と神藤は休憩中に備えられたテントの下で持参してきた水筒のお茶を飲んでおしゃべりなどをしていた。
「しっかし暑いねぇ、もう九月なのにぃ」
「温暖化の影響じゃないの?冬になったら、急に寒くなるらしいよ」
「えっうそー!」
「本当、温暖化は夏はとことん暑くて、冬はとことん寒いんだよ」
「何それー信じられないっ」
神藤は夏の暑さにやられて熱中症でも起こしそうに顔を赤くしていた。
志恵留は練習中に脱水症状でも起こしたら大変だと水分補給はきっちりしていた。
クラスの一説では、体育祭の本番か練習で誰か脱水症か熱中症を起こして死ぬんじゃないかと囁かれていた。
そのためほとんどの人が帽子や水筒を二つ以上は持参をしていた。
志恵留も帽子と水筒は一つだがもう一つペットボトルを持ってきていた。
「でもさ、やっぱり行事はちゃんとやるんだね……行事で誰か亡くなったりしないのかな?」
「一昨年は、確か体育祭で三年三組の先輩が亡くなったよね?」
「そうそう、何か私の友達の部活の先輩で、何か熱中症で本番にリレーの最中に倒れて……」
一昨年で当時志恵留達は一年生で初めての体育祭だったのだが、三年三組で一人の女子生徒が熱中症で亡くなっていた。
しかもそれが本番だったと言う事で女子生徒が倒れた時にその場は混乱をしていた。
そんな「三年三組の呪い」というような事があったというのは志恵留は全く知らなかった。
ただ「ミサキ」の話は学校の七不思議の一つのような類いで噂では聞いていた。
噂としては人それぞれ違うのだが、そういう生徒がいてそういう事があったと言われていた。
大体の人が信じていなかったのだが、今となっては信じざる追えない状態になった。
志恵留は練習中もずっとそんな事をひたすら考えていたのだがそんな事を考えている余裕もなかった。
昼休みになると志恵留は昼食を終えて旧校舎の第二図書室を訪れた。
練習でもグラウンドの隅で見かけた司書の千曳辰治がカウンターにいつも通りに座っていた。
千曳は「また来たんだね」と言うと志恵留の考えを悟ったように部屋の奥から三年三組の名簿を挟んだファイルを引っ張り出してきた。
そしてファイルをカウンターの上にそっと置くと志恵留はゆっくりとファイルを開いた。
志恵留が真っ先に開いたのは十三年前の名簿で志恵留は何となく名簿に載っている名前を見ていた。
今ももちろん名簿には「高林郁夫」と言う名前と×印も六月六日に病死という記入も残っていた。
千曳は志恵留の横からファイルを覗き込むと「高林君?」と呟いた。
「知ってるんですか?」
「あぁ、突然の発作で亡くなったと聞いたからね、たまにこの第二図書室にも来ていたよ」
「そう、ですか……」
「彼がどうかしたのかな?」
千曳は何気なく聞いたようだったが志恵留は言葉を詰まらせてしまった。
現在三組の所属している沼田郁夫と十三年前に死んだ高林郁夫が同一人物だと言っても良いのかと考え込んでしまった。
考え込んだ末に志恵留は千曳にならいいだろうと思って千曳の顔を見て言った。
「実は……この高林さんとクラスメイトの沼田君は同じ人なんです」
「沼田君が?……あぁ、そうか……」
「今年のもう一人≠ナ……でも今は、あの現象で……」
「うん、話は大体分かったよ、しかし彼がねぇ」
千曳はカウンターから窓辺に寄ると後ろで腕を組んで窓の外を眺めた。
志恵留はそんな千曳を目で追うと視線をゆっくりとファイルに戻した。
そして志恵留は名簿のページを何枚か捲ると気になる生徒の名前が目に飛び込んできた。
十年前の名簿に「栖川奈々子」という生徒の名前が記載されていた。
本当は栖川はもっと前に亡くなった生徒なのだが、この新しい現象で本当に蘇ってしまった。
その年の名簿の下の余白には死者の名前はなかった。
その年の死者≠ヘその年に亡くなった生徒で、前の年に死んだ生徒ではないので余白に書く必要がなくなった。
そんな事は十二年前から続いていて余白は空欄ばかりだった。
志恵留は十二年前の名簿から現在までのをパラパラと捲ってため息をついた。
それと同時に第二図書室のドアが開く音がして志恵留は少しビクッと身震いをしてしまった。
千曳も窓からドアの方に目を向けると、入って来たのは沼田郁夫だった。
沼田は千曳に軽く頭を下げるとカウンターにいる志恵留と目が合った。
沼田は驚いたような表情をしたが、すぐに表情を戻して志恵留の方に近寄って来た。
「それ、三年三組の名簿?」
「うん、千曳さんが四十八年前から今までのを全部このファイルに挟んでるんだって」
志恵留の説明を聞くと沼田は黙って名簿を十三年前のものにページを捲ると真剣な表情になった。
沼田がずっと見ていたのは「高林郁夫」という名前だった。
自分の両親が離婚してしまう前の名前が記載されていたと言うのはきっと衝撃的な事だっただろう。
千曳はゆっくりと志恵留達のほうに歩んでくると再び名簿を覗き込んだ。
そして真剣に名簿に視線を落とす沼田の横顔を見ると肩を落とした。
「確かに君が高林君だね」
「分かるんですか?」
「十三年前の記憶は一応それなりにあるんでね、顔さえ見れば分かるよ」
千曳はそう言うと前かがみだった体を起こすと眼鏡をはずしてズボンのポケットからしわの入ったハンカチで拭いた。
そして拭き終えるとハンカチをポケットに戻して眼鏡をかけ直した。
志恵留は少し間を置くとファイルをゆっくりと閉じて千曳に渡した。
千曳はファイルを受け取ると「さっき内場さんが来てたよ」と言った。
志恵留と沼田は目を丸くして「内場さんが?」と首をかしげた。
「対策係らしいね、いろいろ聞いてきてね……彼女も私の経緯は知ってるらしいから」
「四十九年前の三年三組の担任が千曳さんだった事ですか……」
「手掛かりとかね、そう言う事を聞いてきたけどあんまり役には立てなかったよ」
志恵留は千曳に「そうですか」と言うと視線を床に落とした。
対策係の内場七夏が千曳に聞いてきたとしたら、何か事件でも起きそうな気がしてならなかった。
志恵留はそうは思うのだが、クラスメイトを疑うというのも気が引けるのでそれ以上は考えなかった。
千曳は黙り込んでしまった二人を見て「来週の体育祭は頑張りなさい」と言った。
『二〇十一年九月十四日』
体育祭当日、グラウンドには全校生徒と教師の他に生徒達の保護者もビデオカメラを持って集まっていた。
志恵留は父の陽平が休みを取れたと言う事で応援に来てくれたそうだ。
志恵留は保護者達を見ていると、志恵留に向かって大きく手を振る陽平の姿が見えた。
少し恥ずかしい気もするが志恵留は陽平に軽く手を振り返した。
良く見ると陽平の周りにはいとこの榊原恒一の他に陽平の兄で恒一の父の陽介もいた。
志恵留は恒一達にも手を振ると恒一も手を振り返して来てくれた。
開会式が始まると校長先生の話が長くて志恵留はほとんど内容が耳に入っていなかった。
開会式が終わってテントに戻ると何人かのクラスメイトが深くため息をついたりタオルで汗を拭いて水筒のお茶を飲んでいた。
テントには前日に用意したパイプ椅子が並べられていて、出席番号順に座っていた。
まず第一種目に神藤が出場する「リレー」が行われて生徒達は大声で応援をしていた。
志恵留も大声までとはいかないが、志恵留にしては大きな声で応援をしていた。
アンカーには神藤が走って、そのかいあったのか三組が一着でゴールをした。
その後もいろいろな種目が行われて、志恵留の「男女混合リレー」では志恵留が途中で転んでビリではなかったが五クラス中四着になってしまった。
他の三年三組の出場者は志恵留を責めてはいなかったが、志恵留にとっては泣きたいほどショックだった。
志恵留はテントに戻る前に転んだ時に怪我をしてしまった足に保健の先生にバンソウコウを貼ってもらった。
遅れてテントに戻ると神藤が志恵留の肩を叩いて「ドンマイ」と言った。
そんな神藤の言葉もふてくされているようでならなかった。
志恵留は次の種目を見ていると、内場七夏が志恵留を睨んでいるのが見えた。
志恵留は先ほどの事を怒っているのかと思って「ゴメンなさい」と言うように俯いた。
その時に後ろに座っていた沼田が「大丈夫?」と立ちあがって聞いてきた。
「足は大丈夫だけど、心はズタズタ……内場さんは怒ってるみたいだし」
「大丈夫だって、内場さんもそういうつもりじゃないんだってば……」
「そうかなぁ?」
志恵留と沼田が会話をしている時、前に座っている内場はそれを鋭い目つきで見ていた。
テントの横では帽子を深く被って半そでにハーフパンツの担任の見崎鳴が立って観覧をしていた。
鳴は応援をするというよりもただ普通に観覧をしているだけだった。
お昼の休憩で志恵留は父の陽平や恒一達と一緒に体育館で弁当を食べていた。
陽平と志恵留の弁当は志恵留が作ったものだが、恒一のは恒一の手作りだそうだ。
「志恵留、お前見事に転んだな」
「それを言わないでよお父さん……結構ショックだったんだから」
「まぁ、予想はしてたよ」
「恒一兄ちゃん、酷い!」
志恵留は転んだ事を言われておにぎりをやけ食いして泣きそうな顔をした。
恒一は笑って「ゴメンゴメン」と言っていたが、志恵留の機嫌は直りそうにもなかった。
志恵留は食べたおにぎりを飲みこむと、体育館を見渡した。
クラスメイトの一家も何人か見かけて神藤も祖父母と一緒に食べているのが見えた。
そして体育館の隅の方で、叔母と見られる女性と一緒に弁当を食べている沼田を見かけた。
志恵留は沼田が誰かと一緒に楽しそうに話しているのをあまり見た事がなかったので不思議な感じがした。
志恵留があまりにも同じところをぼうっと見ているので恒一も志恵留の視線の先を見た。
恒一は「なるほど」と沼田が高林だと薄れ薄れの記憶を辿って分かった。
一度か二度しか話した事はないのだが、消滅をしてしまった記憶にも少しだけ残っている記憶のかけらがあった。
そして陽平も志恵留の視線の先を見ると「志恵留……」と具合が悪そうな顔をした。
志恵留は陽平に「どうしたの?」と慌てたように言った。
「志恵留……お前、まさか今見てた男の事……」
「なっ……馬鹿!違う!」
「その慌てっぷりは……やっぱり」
「だーから、違うってば!」
陽平はひたすら具合が悪そうに言うと志恵留は頬を赤らめて全否定をする。
志恵留は口では否定をしているが、内心はどうなのかと言うと何とも言い返せない。
そんなやり取りも苦笑しながら見ていた恒一に「ようっ」と言う恒一が聞きなれた声がした。
恒一は声のする方を見ると、十三年前のクラスメイトだった勅使河原直哉やその他の面々がいた。
その中には鳴もひっそりといた。
「あれ、勅使河原達どうして……」
「出身校の体育祭を観覧だよっ」
勅使河原が二カッと笑うと隣にいた風見智彦と望月優矢が微笑んで頷いた。
後ろでは赤沢泉美が腕を組んで軽く微笑んでいた。
鳴は相変わらず無表情で何も言わずに立っているだけだった。
すると赤沢が志恵留に「いろいろ大変みたいね」と言った。
「ま、まぁそうですね」
「神藤眞子さんの親族の事件、あれうちの夜見山署が捜査したんだけど、結構酷いものだったから……その、神藤さんは?」
「あぁ、眞子……神藤さんはあれからもいつものように元気です、元々天真爛漫な子なんで……」
志恵留はほのかに微笑むと赤沢は「ならいいけど」とふに落ちないような表情をした。
勅使河原達も同じように眉をひそめてお互いの顔を見合った。
小野寺修哉の言っていた現象の事は勅使河原達も一応耳には入っているようだった。
「小野寺さんの言う死者≠ェ替わるって言うの、私達も聞いたけどねぇ」
「僕らの年の行動が原因でそんな事になったらしいけど、今年もそうなの?」
「はい、四月から八月あたりの死者≠ヘ沼田郁夫って言う男子生徒だったんですけど、その人十三年前に病死してて」
「俺らの年に?沼田っていたっけ?」
「あっ実は二年前に両親が離婚して……元々は高林って苗字だったそうです」
志恵留が「高林」と言う名前を出した瞬間、全員の表情が曇ったようになってしまった。
望月は「高林君が」と青ざめた顔で呟くと風見も「そうか」と青ざめて呟いた。
勅使河原達は高林郁夫については憶えているようだった。
ずっと黙っていた鳴は薄く唇を開いて「今年に亡くなったはずの生徒が死者=vと言った。
それを聞いて冷や汗をかいて言葉を詰まらせて誰も何も言おうとはしなかった。
その後、勅使河原達は沼田のほうに行っていろいろ話をしているようだった。
沼田の様子では、かなり親しそうで勅使河原達についても憶えているようだった。
一緒に恒一も沼田にいろいろ聞いているようで戸惑いつつも質問には答えているようだった。
志恵留はそれを眺めながら空っぽになった弁当箱の蓋を閉めた。
午後の後半では志恵留は特に学年ごとの種目以外は出ないので少しウトウトしていた。
今のところは三組は二位のようで一位の五組とは二点差のようだった。
新しいクラス副委員長の木下翔太はクラスメイト全員に「頑張ろう」と声をかけていた。
志恵留は出来れば優勝してほしいと思っていたので応援は頑張った。
そんな事を思っていると、保護者の集団の方が大きな物音がした。
何かが倒れるようなそんな音がして、すると保護者用のテントのパイプが折れてテントが倒れていた。
志恵留は良く見ると恒一や勅使河原が慌てて「救急車を呼んで」と叫んでいた。
鳴はテントから離れて恒一達の方に駆け寄ると眉間にしわを寄せていつもは冷静なのに少しだけ慌てた様子だった。
志恵留は恒一達の方に駆け寄ると恒一に「どうしたの?」と問いかけてみた。
恒一は血の気が引いたような表情で「実は」と言いかけた。
テントの下を見ると血まみれの状態でテントの下敷きになっている女性がいた。
「さっき突然テントが倒れて、この人が下敷きになったんだ!」
「えっ……」
勅使河原は恒一に「救急車を呼んだぞ」と言った。
女性は高校生くらいで母親と見られる女性が泣き叫んで「助けて」と言っていた。
その時、沼田や神藤などの異変を感じたクラスメイトがやってきて騒然とした。
するとその集団の中に他とは違う反応をする女子生徒がいた。
対策係の一人でもある福島美緒が女性を「お姉ちゃん」と呼んで慌てていた。
すぐに救急車が到着して福島と女性と母親は救急車に乗って行った。
その一時間後、鳴の口から福島の姉が救急車で運ばれている最中に亡くなったと言われた。
体育祭が終わった後だったが、教室で鳴から説明を受けると「速やかに帰宅するように」と言われた。
福島の姉の死は教室中を悄然とさせた事態であった。
死因は下敷きになった時にパイプの一部が腹部に刺さった事による出血死だった。
こうして福島の姉は九月の死者となった―――……。