十一月に入ってからも担任の見崎鳴は一向に目覚める気配もない。
クラスの担任代理としてクラスの関係者となった風見智彦は前とは変らない態度を取っている。
そんな風見は十三年前のクラスメイトだった榊原恒一に事情を聞かされている。
恒一は今年の四月に行われた同窓会で風見は塾講師≠セと聞かされていたのでどういう事かと少し怒っているようだ。
恒一は直接出勤中の風見に会って事情を聞く。
「風見君……四月は塾講師≠ニか言ってたよねぇ?なのに何で学校教師?」
「言ってなかったっけ?僕、今年からようやく学校教師になれたんだ、それまではずっと塾講師のアルバイトしてて……」
「聞いてない!」
夜見北中学に差し掛かる曲がり角の前で恒一は冷淡に受け流す風見に手を焼いている。
冷淡な風見の話では、恒一以外の人のほとんどがその事を知っているらしい。
それを聞いた恒一は「何も知らなかった」と嘆いている。
そんな恒一の様子を見て鼻で笑う風見は「遅れるからもう行くね」と言うと行く手を阻んでいた恒一を避けて曲がり角を曲がる。
恒一は慌てて「待って」と言うのだが、風見は歩く足を止める事はない。
不貞腐れたような気持ちで恒一は左手首にはめている腕時計を見るとあと数十分ほどでホームルームが始まる時間。
恒一はこれ以上追いかけるのもクラスの人に迷惑だと思って止めようと思う。
腕時計を見る際に少し捲った袖を戻すと夜見北中学の制服を着た男女と目が合うと彼らとは違う方向に歩く。
どこへ向かおうとは一応決めていて、行く先は古池町にある母方の祖父母の自宅に久々に足を踏み入れる事にした。
古池町の祖父母宅は前に訪れた時とは全く変わった様子もなくいつも通りの雰囲気。
恒一はインターホンを鳴らすと祖母の三神民江が玄関から出てきて「あら、いらっしゃい」と笑顔で出迎えてくれる。
民江は恒一を自宅に上げると「急にどうしたの?」と靴を脱ぐ恒一に尋ねる。
恒一は靴を玄関の隅に置くと屈めていた身を起こして「ちょっとね」と曖昧な返事を返す。
そんな返事に首をかしげる民江を他所に恒一は祖父母宅の縁側を歩いて母親の理津子とその年の離れた妹の三神怜子の仏壇のある和室の前に立つ。
緑側は日が差し込んで明るいはずなのにその和室だけは妙に薄暗い。
恒一は和室に入ろうとすると仏壇の前に呆然と座っている祖父の三神亮平が「恒一か?」としわがれた声で言う。
その声と同時に足を止める恒一は「あっ」と言う声を漏らすと亮平の隣に座る。
「久しぶりだなあ、恒一……最近全然こっちに来ないなぁ」
「何言ってるの?お祖父ちゃん、僕一昨日来たばかりじゃないか」
「そうだっけなぁ……」
少し認知症の亮平はぼうっとしているような感じで仏壇を眺めている。
隣に座っている恒一も正座をして仏壇を見ると、線香に火をつけて鐘を鳴らす。
静かに合掌をすると数秒ほどすると合掌を止めてもう一度仏壇を見る。
「可哀想になあ、理津子も怜子もなあ」
亮平は先ほどよりも身をかがめるとそんな言葉を何度も繰り返す。
その言葉は十三年前にも聞いた事のあるような気がするのだが良く思いだせない。
恒一は亮平の邪魔にならないように立ちあがると縁側をまた歩いて民江のほうに戻ろうとする。
その時、縁側に吊るされている鳥籠の中から九官鳥の「レーちゃん」がバサバサと羽を動かす。
十五年ほど前に怜子が亡くなった後にペットショップで飼って来たレーちゃんの名前は怜子にちなんでつけられたそうだ。
「どーして?レーちゃん、どーして?ゲンキ、出してネ」
十三年前からずっとレーちゃんが繰り返して言うこの言葉。
これを聞くとなぜだか十三年前の出来事を思い出せそうな気がする。
そう繰り返しながらバサバサと鳥籠の中で暴れるレーちゃんを放っておいて恒一は民江の方に戻る。
まだ玄関の方にいた民江に恒一は「もう行くね」と言うと玄関の隅に置いていた靴をはき始める。
民江は恒一の方に寄ると「もう行くのかい?」と不満そうな表情で言う。
靴を穿き終えた恒一は眉間にしわを寄せる民江を見て「うん」と呟く。
「元々すぐ戻る予定だったし……それにお見舞いもしなくちゃ……」
「お見舞い?あぁ、確か恒一ちゃんの中学の頃の同級生の女の子だっけ?……この間刺されて今も眠ったままなんだってぇ?」
「まあね」
「嫌だねぇ、早く元気になったほしいものだけど」
鳴の話は一応民江の耳には入っていたので気遣っているようだ。
「そうだね」とだけ言い残して玄関を出ようとする恒一を引きとめた民江はキッチンの方に向かう。
一人玄関に残された恒一は不思議そうに首をかしげて民江が戻ってくるのを待っている。
しばらくすると民江は少し大きめのバスケットに入ったメロンや桃などを恒一に渡す。
民江は笑顔で「その子に渡してね」と言い、恒一はバスケットの持ち手を握りしめて「ありがとう」と言うと玄関を出る。
そのまま恒一は鳴が入院している市立病院へと向かう。
鳴がいる病室に入ると前と同じように鳴の育ての母親の霧果(本名:ユキヨ)がベッドの脇でパイプ椅子に座っている。
霧果はパイプ椅子から立ち上がり恒一を見るなり恒一の手元のバスケットに視線がいく。
大きなバスケットを抱えた恒一はバスケットを霧果に「見崎さんに」と言って渡す。
霧果は堅苦しい感じに笑みを見せるとバスケットを受け取り、恒一に「ありがとう」と言う。
霧果はバスケットを病室の棚に置くとそのバスケットの中の果物を眺めている。
ベッドの脇から鳴の眠ったままの表情を覗き込む恒一は肩にかけていた大きなバッグから少し大きめの木箱を取りだす。
その木箱を霧果の座っていたパイプ椅子に置くと箱をゆっくりと開けて中から真新しい人形を取りだす。
それは異国で着られるような赤いドレスを着た金髪の少女の人形。
つい最近趣味で恒一が作った人形で、どうせならと思って今日ここに持ってきた。
バスケットの果物を眺めている霧果に恒一はその人形を渡すと「病室に飾っててほしい」と頼んだ。
霧果はそれに応じて受け取った人形を病室にあるテレビの上に座らせるようにそっと置く。
それを見た恒一は木箱をバッグにしまうと鳴の顔を覗き込んだ。
「見崎……頼む、起きて……」
マスクをつけて空気を送り込まれている鳴はそんな恒一の言葉を聞いても呼吸のしゅうしゅうという音しかしない。
恒一は一向に目覚める気配のない鳴の左手を軽く握るとゆっくり目を閉じて念じる。
鳴が目覚める事を何度も何度も呪文のように念じてみる。
それを霧果は横から何も言わずに眺めているだけ。
そんな事がしばらく続くと恒一が握っていた鳴の左手の人差し指がピクッと動く。
そしてずっと閉じていた鳴の目が開くと鳴は眩しそうに目を細めて横にいる恒一を見る。
「……榊原君?」
「えっ……見崎!?」
「……鳴!?」
「お母さんも……どうして?」
「一ヶ月くらい前に見崎が刺されて……それからずっと眠ったままだったんだよ!」
「一ヶ月?……そう、もうそんなに」
状況が分からないような鳴だったが、すぐに理解をしたようにするとため息をつく。
恒一は鳴がやっと目覚めた事に胸を撫で下ろすと、隣にいた霧果は力が抜け落ちたようにパイプ椅子に座り込んだ。
そんな二人を他所にしばらく病室を見渡す鳴は恒一に「クラスはどうなったの?」と聞く。
恒一は「え?」と声を漏らすと鳴に今のクラスの状況を知らせようと姿勢をもう一度正す。
「君を刺した福島っていう生徒のお母さんが自殺して……それからクラスは風見君が担任代理を務めてくれたみたいだよ」
「そう……風見君が……それなら良かった」
「でも、見崎も風見君が夜見北の教師だって知ってたんだ」
「えっ榊原君知らなかったんだ」
風見と同じように鼻で笑う鳴は天井を見つめる。
そして恒一に「風見君も巻き込まれちゃったね」と少し悲しげな声で言う。
その言葉の意味を悟った恒一は「そうだね」と言うと黙り込んだ。
鳴が意識を取り戻した事はすぐさま三年三組の生徒にも伝えられた。
その時は丁度三時間目の授業の最中で、生徒指導の教師から三時間目の担当教師に伝えられてクラス全員に伝わった。
その事はクラス全員が喜んで鳴が十一月の死者≠ノならなかった事が不幸中の幸い。
榊原志恵留(シエル)もその事はとても嬉しかっただろう。
席に座ったまま椅子から立ち上がって飛びはねて喜びそうにもなった。
志恵留の前の席に座っている神藤眞子は「よっしゃー」とガッツポーズで喜んだ。
それを見た担当教師は「見崎先生が戻ってくるのは来年の三学期あたりのようです」と言う。
それを聞くと志恵留はそれまでは今と同じように風見が担任代理としてクラスの関係者となる。
それはどうも複雑なような気もする志恵留。
昼休みには昼食を終えると志恵留は神藤と沼田郁夫と七瀬理央と八神龍とで教室で輪を囲んで話している。
鳴が意識を取り戻した事はもちろん、来月のお参りについても話している。
「良かったよねぇ、見崎先生の意識が戻って」
と言い始めたのが神藤に負けないほどポジティブな七瀬。
七瀬は大げさに体で気持ちを表現しながら話している。
「じゃあ、七瀬は見崎先生が十月か十一月の死者≠ノなるって思ってたのかよ」
「八神君……そこまで言うと七瀬さんに怒られるよ」
おちゃらけた七瀬に釘を刺すように言う八神を引きとめようとする沼田。
毒舌な八神は沼田に「それは七瀬が鬼だと思ってるから?」とかけていた黒ぶち眼鏡のブリッジを指で上げる。
八神に釘を刺された沼田は苦笑しながら「そうじゃないよ」と弱弱しく言う。
それを聞いていた七瀬本人は「八神!」と怒鳴り付ける。
それを見ていた神藤は七瀬に「まあまあいいじゃん」と笑い飛ばすように言う。
「何よぉ眞子は黙ってて!これは私と八神の問題なんだからね!」
「男子には勝手に言わせとけってっ」
「眞子の言うとおりだよ、七瀬さん」
「エルちゃんも黙ってて!」
そっぽを向いて腕を組む七瀬。
それを見た八神は「馬鹿だ」と鼻で笑うと再び眼鏡のブリッジを上げる。
七瀬はなぜか八神に言い返す言葉が浮かばずに絶句している。
いがみ合う二人を見て志恵留は話題を変えようとお参りについての話を出す。
「そういや、皆はお参りどうするの?結局……私は行くけど」
「うーん、私は行くよ、クラスのためなら絶対行く!」
「あっ私も!クラスのためだし、エルちゃんや眞子とも一緒に話したいし」
「馬鹿だな七瀬、まぁ僕も行くよ」
「ぼ、僕はやっぱり……行くよ」
と言う事はここにいる全員が参加をするということとなる。
そうなると志恵留は心強いなと思って気軽に参加ができそうだ。
志恵留はふと黒板に目をやると黒板に書かれた本日の時間割を見る。
六時間目の授業は週一で行われるロングホームルームで、これでお参りについて説明がある。
おそらく説明をするのは風見だと言う事は言わずとも分かる。
そんな事をぼんやりと考えていた志恵留に神藤はこう聞く。
「そういや、風見先生って志恵留のいとこの同級生だったんでしょ?」
「えっそれ本当?エルちゃん」
「う、うん……中三の時、こっちにいとこの恒一兄ちゃんが転校してきてそこで……」
「転校?じゃあ、榊原さんのいとこの……恒一さんは中三の時、何組だった?」
「……三組、しかも転校してきたのがちょっと遅れて五月で……事情を分かってなかったらしいよ、初めは」
志恵留の話に「そうか」としか言えない三人は曇ったような表情をする。
一方沼田は具合が悪そうな表情で下を向いてしまう。
沼田はおそらく自分が十三年前の六月に死んだ「高林郁夫」だと知られたくないのだろう。
その事実をクラスで知っているのは志恵留と神藤とクラス委員長の牧野優奈だけである。
その他のクラスメイトは誰もその事実を知らない。
もしもそれが知られてしまったらやっかいな事になってしまうと志恵留は考えている。
六時間目なると席に座って教卓の後ろに立っている担任代理の風見の話を真剣に聞いている。
教室中が重苦しい空気になるとその中で風見は話し始める。
志恵留も呼吸一つをするだけで精一杯なくらい緊張をしている。
そして風見の手から前の席の人からプリントが配られて志恵留の手元にもプリントが渡される。
志恵留は渡されたプリントに視線を落とすと大まかにその内容を黙読する。
「実行は見崎先生から聞いているように、十二月四日の午前九時にこの教室に集合して、午前十一時に神社へ向かいます。
この日は他のクラスは土曜日なので休みで、次の週の月曜日に代休と取ります。
持ち物はお弁当と水筒、あとは雨具やタオルなどです。バスで移動をしますので、車酔いをすると言う人は酔い止め薬を……」
話の内容は遠足などと同じようなものだった。
違った部分と言えば風見の話す声のトーンが遠足などよりも低いという点。
それとかなり重要な事であると言う事。
「知っていると思いますが、参加不参加は自由です。都合が付く人だけ、参加をするように……。
それと、集合から神社に向かうまでの時間はクラスで現象についての話し合いなどを決行してください。大まかには自由時間と言う事で」
志恵留も気になっていた空白の時間は自由時間と言う事。
そんな時間はいるかと正直志恵留は思うのだが、別にそれでもいいとも思う。
志恵留は教室の時計を見るとまだ十分ほど時間は余っているのだが、風見の話はこれで終わり。
教室の空気はそれから徐々に重くなって、この余った時間で「質問」と手を挙げる生徒はいないほどだ。
もちろん志恵留もそんな事を出来るはずもなかった。