悪夢のようなあの日から一週間が過ぎようとしている。
夜見山神社へのお参りに参加した生徒のほとんどが夕見ヶ丘病院に入院している。
話によれば、校舎内で暴走したクラス委員長だった牧野優奈に襲われた生徒が大半。
体の一部を包丁で刺されたり、階段から突き落とされたりなどの重傷を覆っている。
もっとも重傷だったのが、背中を三ヶ所ほど刺された久遠美沙。
久遠はあの後手術を受けて、何とか一命を取り留めて今となっては友人たちと会話もできるほどに回復。
久遠は自分の病室で、火災がある前に自然気胸で倒れた福島美緒と話をしている。
久遠は腰辺りまである黒髪を頭の後ろで束ねて黄色い寝巻を着ている。
福島も気胸の事で「胸腔ドレナージ」という処置を行われた後で胸腔内に入れられた細いチューブを取った後である。
福島の気胸の原因は母親と姉の死からの過剰なストレス、と医師は判断した。
福島もそれに関しては否定せずに、これからは何でも相談しようと決心をした。
そして病室にやって来たのは福島以外では、金森栞や佐藤俊也がいる。
金森は左腕に大火傷をして今は左腕に包帯を巻いて病院に通っている。
火事の影響で金森は腰辺りまで長かった黒髪を焦げてしまったので、肩の位置までバッサリと切ってしまった。
本人は「短いのもいいかも」と笑顔で答えているようだ。
友人の辻村百合香と君島美嘉を失った後で、まだ心の傷を癒えていないようだが前を向いて将来を見つめたいと思っている。
佐藤は友人の下村拓哉を牧野に殺害された後に、逃げて家庭科室の爆風で校舎の外に吹っ飛ばされて全身打撲。
左足を骨折したのだが命には別条はなく、今は元気にしている。
一方、牧野に襲われて二階の窓から飛び降りた七瀬理央は別の個室で入院している。
全身打撲で命には別条はなかったとのことでもう少し入院すれば退院が出来る。
七瀬は退屈な狭い個室で備えられているコイン投入式の小型テレビで昼の番組を見ている。
そんな時に病室のドアの辺りで「やめろ」と言う聞き覚えのある男の声がする。
七瀬は首をかしげながらドアの方を見ると二人ほどの人影が見える。
「やめろ……押すんじゃない!」
「行っといで!」
そう言う口論じみた会話を聞いていると、ドアから見憶えのある男子が入って来た。
真面目そうな黒ぶち眼鏡で髪は短髪の黒髪で黒いジャンパーを着て下は少しダメージの入ったジーンズ。
松葉杖をついていて病室に入って来た瞬間、「あっ」と声を上げる。
七瀬はその男子が八神龍だと分かると八神と同じように「あっ」と声を上げる。
八神はどうしていいのか分からないようでオロオロしている。
「あ……げ、元気にしてたか?」
初めに発した言葉がそれで、八神は照れくさそうに髪を掻きまわしている。
七瀬はそんな八神を見てプッと吹きあげて笑う。
「何それー、アンタが落としたからこんな事になってるのに元気にしてたか?≠チて」
「う、うるない!僕だって怪我してるんだよ」
「あれくらいで骨折とか無いわぁー」
「お前は入院してるだろうが!」
「私はか弱いレディーだから仕方ないのよ」
「どこがか弱いだ!」
顔を合わせれば口喧嘩の二人を病室の外でこっそりみているのが、内場七夏。
内場は千曳辰治によって救出された後、病院に入院している。
あの後、寝たきりだった榊原志恵留(シエル)と和解をして、沼田郁夫にも「疑ってゴメン」と謝罪をした。
沼田はすぐに内場を許してこの件に関しては全て解決した。
ただ一つの心残りとしては、木下翔太が自殺をしてしまったと言う事。
それでも内場は木下の分まで元気に生きようと決心をしている。
今だってなかなか七瀬の病室に入れない八神の背中を押して無理矢理入れされたり強引な部分はある。
それでも内場自身は「これが私の個性」と開き直っている。
夜見山北中学校の火災による死亡者「夜見山新聞」
・辻村百合香(15)……C号館の三階と二階の間の階段で転落した際に手に持っていたカッターで喉を突きさして死亡。
・下村拓哉(15)……牧野優奈に背中を刺されて死亡。遺体はA号館の一階の廊下で発見。
・君島美嘉(15)……牧野優奈に腹部を刺されて死亡。遺体はC号館の二階の廊下で発見。
・牧野優奈(15)……下村と君島を殺害し、校舎に火をつけてC号館の二階の廊下でむき出しになったコードに首をひっかけて感電死。
・木下翔太(15)……A号館の一階にて手に持っていたカッターで喉を引き裂いて自殺。
および五名が死亡し、いずれも火災による焼死者はいなかったとの事。
牧野優奈がなぜあんな暴走をしたのかは今となっては不明、警察側は母親を失った事による精神状態をきたしたのが原因と見ている。
そして辻村百合香と木下翔太の行動の意味は未だ不明。
どちらも手にカッターを持っていて、喉を刺しての死亡となっているのだが、なぜカッターを持っていたのかは生徒および教師に聞いても不明だそうだ。
夜見山北中学校の火災は酷く、消防隊に寄る消火活動も虚しく旧校舎と特別教室棟以外の三つの校舎はほぼ全焼。
事件の模様は、その場にいた夜見山署の刑事の赤沢泉美(28)の証言をもとに書かれたものである。
この学校では三年三組と言うクラスでは呪い≠フ噂があると言われている。
四月には重盛良太が事故死、六月には篠原南が水死、八月には増尾拓真が肋骨骨折による肺の出血死、同じく八月には神藤眞里が母親を殺害後自殺。
九月には福島美緒の姉の美奈(17)が美緒の体育祭を観覧中に事故死、二人の母親は十月に担任の見崎鳴(28)に重傷を負わせた後に自殺。
いずれもこの短期間でクラスの関係者が立て続けに死亡している。
調べによれば、三十八年前からクラスの関係者が不穏な死を遂げている。
どうやら三十九年前に起こった「夜見山一家焼死事件」と関連しているようだ。
三年三組の噂の種は、三十九年前に三年三組だった夜見山岬(当時15)の死のようだ。
三十八年前の三年三組で死んだはずの夜見山岬の一つ年下の弟がクラスに紛れこんでクラスの関係者が月に一人以上が死んだと言う噂がある。
それ以降も、二年に一度の割合でこの現象が起きている。
噂の紛れ込む死者と呼ばれる者はこの現象で命を落とした生徒か弟か妹だと言われている。
十三年前には例外で十五年前に水死した担任の三神怜子(27)が副担任として紛れ込んだとの事。
学校側はこの噂に関しては口を濁らせるばかりで真実は闇に葬られてしまった。
榊原志恵留(シエル)はこの記事を自分の病室でベッドに腰掛けながら読んでいる。
思った以上に大きな記事でついこの間に記者と名乗る男に事情を聞かれたばかりだった。
志恵留は「分かりません」と言うしかなく、この記事に関してもさほど興味はない。
志恵留はあの後、内場七夏に刺された背中の傷と気胸の影響で倒れてしまった。
死者≠フ神藤眞子(榊原志乃)を憶えているものは志恵留と沼田郁夫以外はいない。
クラスの名簿を見てもクラスにいたのは神藤眞子ではなく妹となっていた神藤眞里。
第二図書室の司書の千曳にも死者≠ヘ神藤眞子と名乗る志乃だと言ってある。
そんな事をぼうっと考えていると、病室のドアがノックされる音がして「どうぞ」とドアに向かって言う。
入って来たのは担任の見崎鳴といとこの榊原恒一と沼田。
鳴は入院中に病院を抜け出した事で医師には恒一と共に説教をされたようだ。
沼田は木下に刺された腹部と心臓に負担が掛かったことで志恵留の隣の個室に入院している。
鳴は志恵留の方に寄ると「大丈夫?」と聞いて志恵留は「はい」と返事をする。
「結局、十二月の死者≠ヘ五人でしたか……」
志恵留は落ち込んだ様子で言うとすかさず鳴が「厳密には六人」と言う。
志恵留は鳴の発言に首をかしげると鳴の後ろの恒一と沼田も不思議そうな表情でいる。
「六人」と言う言葉に志恵留は「あと一人は誰ですか?」と聞く。
「木下君の妹」
「えっ」
「木下君の三つ年下の妹だったそうだけど、木下君のご家族に話を聞いたら、今月の三日に自宅で病死していたらしいの」
「三日……お参りの前日、木下君そんな事一言も……」
「……妹は病弱だったみたいで、今年に入って調子が良くなって退院したみたいだけど、今月に入って体調を崩して……」
挙句の果てに無くなってしまった、そのくらいは志恵留は悟ることができる。
鳴の話では、木下は妹を失った悲しさから志恵留と沼田を殺害するのを止めて自殺したと思われる。
志恵留は今でも木下が自分の目の前で喉を切り裂いている姿が目に浮かんでくる。
そんな事があったのかと志恵留は何だかやりきれない気持ちでいっぱい。
落ち込んでいる志恵留を見て鳴は何を思い立ったのか、牧野に話題を切り替える。
「牧野さんのご家族にも話を聞きました。牧野さん、どうやらお母様が亡くなった後くらいから精神状態が芳しくなかったとか」
そんな事を言われると返って病室の空気を重くしてしまうのではないかと志恵留は思う。
それでも、牧野に関してはよく分かっていない志恵留は話を聞きたい。
志恵留はコクコクと鳴の話に頷きながら聞いている。
「それで、八月に増尾君が亡くなった後くらいから、様子がおかしかったらしいの……今住んでいる牧野さんの自宅の自室からは遺書らしき手紙も見つかって……」
「遺書?」
志恵留はそう鳴の話に割り込むと鳴は「そう」と言うように頷く。
牧野は最初から死ぬ気であんな行動をとったのかと志恵留は疑問に感じる。
「内容としては死者≠死に還す事と、ある程度殺して災厄≠ェ止まらなかったら、自殺を知るって言う感じだった」
鳴はそう言うと軽くため息をついて、志恵留も鳴と同じようにため息をつく。
志恵留が殺されかけた時も牧野は増尾の事を言っていたような気がする。
志恵留も牧野と増尾のコンビはお似合いだとは思っていたので、その勝手な想像が本当だったかと志恵留は思う。
増尾の死が牧野の精神状態を変えたと思うと志恵留にも責任があるかと思ってしまう。
牧野の暴走の発端がそう事だと思うと志恵留は再びため息をつく。
「あの……先生」
そう切り出したのはずっと黙っていた沼田。
「夜見北は、どうなるんですか?」
それは志恵留も気になっていた事で、鳴は沼田の方を振り返ると少し黙りこむ。
何か落ち込んでいるのか、ホッとしているのかどちらかの様子。
「校舎が0号館とT棟以外が全焼しているので、来年の三月まではT棟の空き教室を使うけど、四月からは廃校となるそうよ」
鳴がそう言うと他の三人は「えっ」と声を漏らす。
廃校と言う事はこの災厄℃ゥ体もなくなってしまうと言う事となる。
それは本来なら良い事なのだが、何だか今となっては寂しいような気もする。
「先生達はどうするんですか?」
そう問いかけたのは同じく沼田。
「他の学校に移る、風見先生は南中方で、私は東京方面の学校に……」
それならば志恵留は何となくホッとしたような気がする。
他の残った一、二年生はだいたいは夜見山南中学の方に転校するか、もしくは夜見山の外の学校。
三年生は高校に行くので支障は出ないが、出身中学が無くなるのは何だかいやに寂しい。
そう思いながら今までの災厄≠ナ死んだ生徒達の事を考えている。
すると鳴はふと思い立ったように死者≠ノ関する事を聞く。
「今年の死者≠ヘ神藤眞子って言う……榊原さんのお母さんだったそうね」
「はい、眞里さんは眞子の妹って事になってました」
「……私は、もう憶えてないけれど……そう言う事だったのね」
やはり鳴も神藤に関しては全く憶えていないようで、恒一もどうやら神藤の事は憶えていない。
今年の四月から志恵留の前の席の生徒は神藤眞里であったとなっている。
その他の記憶も記録も全部、神藤眞子なんて人物は存在しなかったとなっている。
志恵留から事情を聞き終えた鳴と恒一は沼田を残して病室を出る。
鳴は福島の母親に刺された傷が治っていないので未だに入院中の身である。
鳴と恒一は廊下をゆっくりと歩きながら話している。
「結局、今年の災厄≠熄Iわって災厄℃ゥ体も終わったって事か……」
「そうね、まぁそれが一番良い事じゃないの?」
そう言う鳴に恒一は「ハーァ」と大きく伸びをすると吹っ切れたような表情をする。
これで全部終わりかと思うと疲れが一気に来るような気がする。
「そういえば、見崎は東京に転勤するんだ」
「うん、だからあの家も出て、東京で一人暮らしかな?」
鳴は天井の方を見上げながら語っている。
恒一は鳴の言う「あの家」が御先町の人形ギャラリーの三階の自宅だとすぐに分かる。
だとすれば、育ての母親の霧果(本名:ユキヨ)が心配をするなと恒一は思う。
「榊原君、私の病室に飾ってある、あの人形……ありがとうね」
鳴は自分が意識が戻っていない時に恒一が作ったと思われる蒼い目の赤いドレスを着た女の子の人形の事を言う。
恒一は一瞬「え?」と首をかしげると、あの人形の事かと思って照れくさそうに微笑む。
「ねえ榊原君、私が東京に行ったら、街の案内してくれる?」
「え……あっ、うん、僕で良ければいいよ!」
そんな事を話し合っている鳴と恒一は頬を赤らめている。
そしてエレベーターホールのエレベーターに乗って鳴の病室のある階まで行く。
そんな様子を影で見ていた勅使河原直哉と風見智彦と望月優矢と赤沢泉美は二人をからかうように笑っている。
「あの二人……まだゴールインまでいってなかったのかよっ」
そう笑って言うのは勅使河原。勅使河原はあの火事で右肩を火傷した。
そう言う勅使河原の隣で足を負傷した風見は銀緑眼鏡のブリッジを中指で押し上げて言う。
「そう言う勅使河原は、赤沢にちゃんと言えてないだろう」
「は?ちょっと、勅使河原、私に何を言う気?」
相変わらずの赤沢は眉間にしわを寄せて腕を組んで勅使河原を問いただす。
本当に赤沢は勅使河原が何を言いたいのか分かっていないような様子。
まだ心の準備ができていない勅使河原は苦笑をしながら口を濁されて対応に困っている。
「えっと……おい、風見!そう言うお前はどうなんだよ!」
「僕は、まだまだ独り身でいるつもりだよ……望月は?」
「えっ!?ぼ、僕は……」
望月は突然の風見のフリに頬を赤らめてモジモジしている。
美少女のような顔をして年上好きの望月は心配しなくとも良いなと風見は思う。
はっきり言うと十三年前から少しの成長もない、と言うのが見ていて分かるだろう。
志恵留は一人で病院の屋上で鉄柵にもたれ掛かるように立って夜見山の町並みを眺めている。
屋上からは夜見北中学のグラウンドが見えるが、校舎は燃え尽きた後。
それを眺めていると今までいろんな事があったなとふと思ってしまう。
あの時、志恵留は死者≠フ神藤―――志乃を鉄パイプで殴って死に還した。
もう災厄≠ヘ止まったと言うのに、志恵留はどうしても神藤の事が忘れられない。
そして最愛の母親の志乃も同時に死に還したと言うのが志恵留にとって一番つらい事だ。
志恵留は今となっては、志乃が自分を見守ってくれるために神藤眞子としてクラスに紛れこんだのだと思ってしまう。
―――何か、困ったことがあったら私に言いなよ!
―――いいよねぇ、榊原さんは頭が良くて。
憎まれ口をいつも叩いていた神藤の笑顔が今でも忘れられない。
志乃のようにいつも笑って明るく元気に振舞っていた神藤。
―――志恵留は優しい子よ、でもお父さんに似て神経質なところがあるわねっでも、頑張り屋さんなのはお母さんにかしら?
志恵留は神藤と志乃の事を思い出してたまらずその場で大泣きをしてしまう。
いつだって側にいたはずの二人がもういない。
志恵留はその場に座り込んで声を上げて泣く。
「お母さん……眞子……」
子供のように泣きじゃくる志恵留はそこから五分くらいは同じように泣いていたと思う。
いつまでも泣いていられないと思って志恵留は涙を拭うと立ち上がって鉄柵を持って町並みをもう一度見渡す。
すると、後ろから「榊原さん」と呼ばれ、志恵留は振り返るとそこには沼田が立っている。
「あっ沼田君……」
「ゴメン……何か話しかけられなくて……」
志恵留は沼田に泣いているところを見られたと頬を赤らめてしまう。
沼田は志恵留の隣に同じように鉄柵を持って町並みを眺める。
「誰も憶えてないんだよね……神藤さんの事」
「私達だけ、か……」
「……さっきね、お姉さんの昔の写真を見たんだ……やっぱり、神藤さんに似てた」
沼田は遠い目で眺めている横顔を志恵留は横目で見る。
神藤と昔の志乃の顔が似ていると言う事は、そう志乃が神藤で間違いがない。
「でも、どうして眞子が死者≠セって分かったの?」
「ん?うん、火事を見た時の神藤さんの表情……それで分かったんだ」
「えっそれだけで?」
「うん、十三年前に……僕が発作起こして死ぬ寸前に、お姉さんの必死な顔が……神藤さんと似てて……」
志恵留は沼田の話を聞くと「ふーん」とコクコクと頷きながら「そうなんだ」と言う。
決め手は鳴の左目の義眼で死の色≠ェ見えるようになったのがそうらしい。
避難をしている最中に鳴の眼帯が外れて、そこで神藤を見た時に死の色≠ェ見えたそうだ。
でも、神藤は避難をした後にどこかへ行ってしまって鳴が死に還す事が出来なかったそうだ。
「私達も……眞子の事、忘れちゃうのかな?」
「……そうだね、先生達も三神怜子って人の事は憶えていないみたいだし」
志恵留はそう沼田に聞くと何だかガッカリしてしまう。
出来る事なら、神藤眞子と言う生徒がクラスにいた事を少なくとも自分だけでも憶えていたいと志恵留は思う。
でも、きっと恒一達も同じ気持ちだったのだが、憶えていない。
やっぱりどうあがこうとも記憶は徐々に消えていくものだと志恵留は思う。
そんな事を考えていた志恵留の表情を見て、沼田は何となく気まずそうにこう切り出す。
「実はね……僕、卒業したらアメリカで大きな手術を受けるんだ」
「えっ……」
「かなり大きな手術らしくてね、当分は日本に帰ってこれないかもしれないだ……もしかしたら、手術で死んじゃうかも……」
苦笑しながら言う沼田を見て志恵留はどう声をかけていいのか分からずにいる。
志恵留が沼田に言ったのは「そっか」と言う素っ気無い言葉。
それ以外に思いつくような言葉がない。
「だからね……手術が成功して、日本に帰ってこれるまで……榊原さんに待ってて欲しいんだ……」
「えっ?」
「大切な人だから……帰ってこれたら、真っ先に榊原さんのところに行きたい……だから」
沼田は照れくさそうに頬を赤らめて、志恵留の目を真っ直ぐに見ている。
志恵留はそれを聞いてその先を聞く前に「うん」と頷く。
「待ってる……絶対待ってるから、だから……頑張って」
用意していた言葉ではないのだが、すっと頭に浮かんできたのがこの言葉。
絶対に待っていようと、志恵留はそう心に誓うと沼田と指切りをする。
きっと帰って来てくれる、そう信じて志恵留は「頑張って」と告げる。
―――きっと、帰って来てくれるよね?
志恵留の中学校生活の最後を告げるように肌寒い風が志恵留の長い髪を靡かせる。