深夜、リニスは日課の日記をつけていた。
この日記は、リニスが使い魔になってからずっとつけているものだ
[○月×日晴れ、フェイトとプレシアが和解してからもうすぐ一ヶ月になります。以前では考えられない程、二人は笑顔になり、その笑顔を見ると、ようやく私の願いが報われたと、実感出来ます。これも彼―――レイヴンのおかげです。最初は、ミグラントと知った時、危険な人物と思いましたが、この数週間で、わりと面倒見が良いお兄さん、という印象が強くなりました。ただ、意外と生活リズムがだらしなく、今日はアルフが起こしてくれたから良かったですけど、下手すれば昼過ぎまで寝ている事があります。ミグラントの方は皆こうなんでしょうか?]
ここまでリニスは楽しそうに書いていたが、段々と悲しい表情を浮かべていた。
[フェイトとプレシアの悩みは無くなりましたが、新たに悩みが出てきました。
それは、プレシアが患っている肺結種の事です。こうしている間も、プレシアの体を蝕んでいます。
しかし、プレシアは集中治療は受けず、薬で何とか保っている状態です。
彼女が言うには、残りの時間をフェイトに使う事だそうです。ならばと、私はプレシアに、私との契約を破棄して欲しいと言いました。
私が存在しているだけで、プレシアの負担が増します。ならば、私が消えれば、彼女の負担が軽くなると考えたのです。
しかし、プレシアはそれを了承しませんでした。
その上、私との契約を延長すると言ったのです。
私は何故と言うと、彼女はこう言いました。
『そんな事をすればフェイトが悲しむわ。それに、私は貴女に何もしていないもの。こんな自分勝手な主に尽くしてくれた貴女に・・・・・』
その言葉を聞いて、私は涙を流しました。嬉しいのと悲しいのとで――。
結局私はダメな使い魔です。自分の主を苦しめてばかりで、その苦しみを和らげる事も、代わる事も出来ないですから・・・・・]
日記に、リニスの涙が落ちる。リニスは慌てて涙を拭いた。
「ダメですね・・・・・少し頭を冷して来ましょう」
リニスは立ち上がり、部屋を出た。
屋敷は静まり返った廊下を抜け、玄関ホールに着き、扉に手をかけようとした時、後ろから声をかけられた。
「こんな夜遅く、何処に行こうとしているんだ?」
振り替えると、そこにはレイヴンがいた。
「いえ・・・・・ただ夜風に当たろうと・・・・・」
「こんな夜更けに、女が一人で出歩くものじゃない。俺も一緒に行こう」
「一応、私は使い魔ですけど・・・・・」
「使い魔だろうがなんだろうが、女には変わらないだろう?」
「まぁ、そうですが・・・・・」
「なら行くぞ」
「ちょ、ちょっとレイヴン!?」
レイヴンはリニスの手を引き、強引に屋敷の外に出て行った。
二人は夜道を歩いていた。
空は満天の星空とミッドを照らす二つの月が浮かんでいた。
「わぁ〜凄いですね。星があんなに―――」
「お前、ずっとここに住んでるのに、夜空を見るのは初めてなのか?」
「夜は出歩かないようにしていたんです。それに・・・・・今まで、そんな余裕がありませんでしたし・・・・・」
リニスは、レイヴンと出会う以前の事を思い出す。
プレシアの狂気、フェイトの出生の秘密。それらを含めて、彼女はずっと板挟みの状態だった。
とても、夜空を見る余裕は無かった。
「そうだったな・・・・・すまん、嫌な事を思い出させた・・・・・」
「別にいいですよ。貴方は、そんな私達を救ってくれたんですもの―――」
ある日現れたミグラントの青年。リニスは最後の望みを託した。
自分でも無く、フェイトでも無い第三者に救いを求めたのである。
自分の声では耳を貸してくれないプレシアでも、第三者の声なら耳を貸してくれるかも知れないと思い。リニスは青年に望みを託した。
今思えば、馬鹿げた行動であった。家庭の問題を、赤の他人に解決を頼んだのだから―――。
しかし彼は、自分の命を賭けて、見事リニスの望みを叶えたのである。
「救ってくれたって言うのは大袈裟だ。偶々プレシアが望む物を俺が持っていただけで、偶々アリシアが蘇がえり、プレシアを正気をにした。感謝するなら神にしろ」
「それでも、貴方が協力してくれたおかげですよ。本当にありがとうございます」
リニスは、深々と頭を下げた。レイヴンは少々照れくさそうに―――。
「止めてくれ。そういうのは柄じゃない」
「あらあら、意外と照れ屋さんなんですね」
「ほっとけ」
そう言って、レイヴンはそそくさと歩き出し、その後をリニスはクスクスと笑いながら追った。
二人はしばらく夜道を歩いていると、レイヴンの口が開く。
「それで?今度は何に悩んでいる?」
「え!?」
リニスはドキリとした。
確かに彼女に悩みがある。しかし、それを悟られるとは思ってもいなかったからである。
「な、何でそう思うですか?」
「気づいていないと思うが、顔に涙の跡が残っているぞ」
「そ、そんな筈はありません!ちゃんと拭・・・・・あ!」
リニスはしまったと思ったが、既に後の祭りだった。
「やっぱりな、そんな事だと思った」
「酷いですよ!カマをかけるなんて!」
「あいにく、俺はミグラントだからな、カマをかけるなんてお手の物だ。それで、今度は何に悩んでいる?」
「そんな事をする人には教えません!」
リニスは頬を膨らませながら、そっぽを向いた。
「別に、言いたくないなら言わなくていい。だけどな、あまり抱え込まない方がいいぞ?」
そう言って、レイヴンは何も喋らなくなった。
二人は無言のまま歩き出した。やがて、リニスはおもむろに口を開く。
「・・・・・やっぱり、聞いてもらっていいですか?」
レイヴンは無言で頷く、そしてリニスは語る。プレシアの病状の事、自分という存在が、プレシアを苦しめている事を。
「私は・・・・・一体どうすれば・・・・・」
「どうもこうもない、本人がそう言っているだから、別に良いんじゃないのか?」
「・・・・・ですが、私には耐えられないんです!プレシアが苦しむのを、黙って見ることしか出来ないなんて・・・・・」
リニスの目に、涙が溢れてくる。
自分の主が苦しんでいるのに、何も出来ず。その上、彼女に負担をかけている自分の存在に、リニスは嫌気がさしていた。
「私なんか・・・・・いなくなってしまえばいいんです・・・・・」
パァン!と音が鳴った。
リニスは唖然としたが、やがて理解する。レイヴンに頬を叩かれたのだと―――。
「レイヴン・・・・・」
「二度とそんな事を言うな―――」
レイヴンは眼は、明らかに怒っていった。
彼は普段、感情を表にださないのだが、この時の彼は明確に表せていた。
「いいかリニス、どんな生き物だって、何かしらの迷惑を掛けて生きている。人間、動物、植物だってな。それが生きる事だと、俺は思う」
「・・・・・で、ですが!」
「ですがじゃない!仮に、お前がいなくなったら、フェイトやアルフが悲しむ事を考えないのか!?」
「・・・・・」
レイヴンは優しく、リニスを抱きしめた。
「どんな命でも、終わりは必ず来る。それまで、精一杯生きてくれ。お前はちゃんと生きているんだから―――」
「レイヴン・・・・・」
「俺で良ければ、何時だって愚痴を聞いてやるし、胸を貸してやる」
「ふふ、ありがとうレイヴン。それじゃあ、もう少しだけ・・・・・こうして良いですか?」
そう言うと、リニスはレイヴンを抱き返した。
レイヴンは少し動揺したが、平静を装った。
「・・・・・お前の気が済むまで良いぞ」
夜の山道で、二人は抱きあった。
彼女は安らぎを求め、彼は安らぎを与えた。
鴉と山猫の抱擁はしばらく続いた。