突然の事であった。
横断歩道を歩いていた時だ。
「え?」
車に轢かれそうになった少年を、身を挺して護ったのである。
ガシャァーン!という轟音と共に、“彼女”は吹き飛ばされしまった。
所謂、交通事故だ。
原因は飲酒運転で、運転手の過剰なアルコール摂取である。
救急車に運ばれ、“彼女”は緊急搬送された。
だが、本人は知らなかった。
この事故が、自身の人生を大きく帰る事を――。
―第一話:巫詩姫―
巫詩姫が目を覚ますと、そこは病院であった。
上半身を起こすと、窓に映った自身の姿を見ると、
「(あ…包帯?)」
顔の右側に、包帯が巻かれていた。
中学三年生の彼女は、自身に起こった事を整理する。
暦は2017年の12月中旬。
「(確かあの時……)」
学校からの帰りであった。
偶然横断歩道を渡ろうとした少年が、乗用車にぶつかりそうになったのだ。
信号は、歩道側が青。
明らかに車側が無視をしている。
コレを見た詩姫は駆け寄り、少年を守るように体を覆った。
そして次の瞬間、少年を守ったまま、彼女は撥ねられてしまう。
事故の原因は酒気帯び運転で、運転手も搭乗前に、居酒屋でジョッキ5杯分のビールを飲んでいた事が判明された。
コレが決め手となって、運転手は道路交通法違反で逮捕された。
「(そうだ……私、はねられたんだっけ……。 あの子…大丈夫かな?)」
頭の中を整理した詩姫であったが、同時に自身が助けた少年の顔を思い出す。
彼は無事だったのかと――。
少しした後、医者が訪問する。
精密な検査を受け、彼女は顔に巻かれた包帯を解く。
鏡を見ると、彼女は目を大きく見開いてしまう。
顔の右側には、額から右目の下にかけて、大きな傷跡が残ってしまったからだ。
声は出なかったが、内心では驚愕を隠せない。
「………」
沈黙するだけの詩姫であったが、同時に気付いてしまう。
「(……なに、コレ?)」
それは奇妙な“線”が、右目の視界に広がっていたのだ。
この“線”に違和感を持つ詩姫であったが、彼女に更なる追い撃ちが襲いかかった。
「実は……言いにくい事なのですが……」
医者の口から出た言葉に、彼女は更に驚愕してしてしまう。
「え……」
それは母親が、見舞いに向かう途中で事故に遭ったのだ。
原因は、運転手の脇見運転。
運転中に電話に出てしまい、そのまま信号無視を行ってしまったのだ。
小学5年の時に父親を亡くし、母子家庭で育った詩姫にとって、この話しはガラスが割れるような衝撃だった。
この瞬間、巫詩姫の心は、完全に壊れてしまった。
顔に傷を負い、母を失った詩姫。
退院できたとしても、顔の傷で周囲から白い目で見られる。
学校に来れたとしても、イジメの対象になるかもしれない。
そんな気持ちが、彼女の心を締め詰める。
だが、そんな時だった。
扉をノックする音が聞こえ、詩姫は「どうぞ」と答える。
「お邪魔しま〜す」
呑気な声と共に扉を開けたのは、実に奇妙な男であった。
全身黒い服で白い髪、両目を黒い眼隠しで覆っている。
見た目からして約20代であるが、彼は詩姫の方へと歩み寄った。
「巫詩姫さんだね?」
「はい……アナタは?」
この問いに対し、男は楽しそうに答える。
「僕は
五条悟。 キミに話しがあって来たんだ」
「?」
首を傾げる詩姫であるが、男――五条悟はこう言った。
「実は僕、キミのお母さんとは知り合いなんだ」
「え?」
とんでもない事を言った五条であったが、彼は普通に話しを進める。
「実はお母さんの家系の“巫家”は、先祖代々から伝わる退魔師の家系なんだ」
「え、初耳です」
「あ、やっぱり?」
「私が聞いてるのは、母の実家は名家と言う事と、四人姉妹の末っ子で、一番上の伯母が家を継いだ後、母は家を出たと……」
「うん、そうだよ。 ただ、その少しした後に問題が起こったんだ」
「問題?」
「三人の伯母達の家族が、家の家督争いを勃発しちゃったんだよね♪」
「………………はい?」
笑いながら、サラッととんでもない発言を放った五条。
流石の詩姫も、困惑を隠しきれないでいる。
「元々巫家は、最初に生まれた女性――つまり『長女』が家督を継ぐという仕来たりがある」
「え〜と……それで?」
「伯母夫婦も三組とも、長女が生まれたんだよね」
「……ん?」
「そしたら、三人は一斉に「自分の娘が家督に相応しい!」って言い争ったんだよね」
「……母からは、何も聞いてなんですけど…」
「うん。 キミのお母さん――
沙良さんは家督とか、後継ぎの話しに興味なかったから」
「(昔からサバサバした性格のは知ってたけど、とんでもない家柄の人だったんだ)」
今まで明かされなかった母親の素性を知り、詩姫は思わず呆れてしまう。
「実は一度だけ実家から電話があったらしいんだけど、「自分は子供を後継ぎにする気はないから除外して構わない」とか言ってたよ」
「(そういえば……母の実家には一度も行った事はなかったな。 逆に父の実家には、何度か行った事があるけど)」
幼き日の記憶を辿りながら、詩姫はそんな事を内心で呟く。
「それで、五条さんは私に何か?」
「実はキミのお母さんから「自分に何かあったら、娘をお願いしたい」って頼まれてね、キミを僕が勤めている学校に入学させたいと思ってる」
「え?」
「進路希望、まだでしょ?」
「ええ…まあ……」
「勿論、キミにその気があるならの話しだけど」
不敵に笑みを浮かべるが、詩姫は少し考えていた後、
「お願いします」
すぐさま返答したのである。
「それじゃ、来年の三月末までに準備をしてね」
「あの、その学校って、名前はなんて言うんですか?」
校名を尋ねられ、五条はすぐに答えた。
「東京都立呪術高等専門学校……だよ♪」
それだけ言い残し、彼は病室を出たのである。
病院を出た五条は、一台の車に乗り込む。
「お疲れ様です」
運転席には、眼鏡をかけたスーツ姿の男が座っていた。
「どうでしたか?」
眼鏡の男――
伊地知潔高が尋ねると、五条もすぐに答える。
「医者の話しじゃ、3日後には退院できるそうだよ」
「そうですか。 しかし、驚きました」
「何が?」
「例の巫家の少女と、七海さんの任務先が同じ病院だなんて」
「そうだね。 今回の任務は、七海に頼んで、僕も同行するよ」
「それで、どうするんですか?」
「夜まで待つよ。 それまで、何処かで時間潰しとこ」
「分かりました」
そんな会話をしながら、二人が乗った車は、駐車場を後にした。
その夜。
寝付けなかった詩姫は、五条が訪ねてきた事を思い出す。
「勢いよく言っちゃったけど、大丈夫なのかな?」
そんな事を考えながえていたのだが、ある事に気付いた。
「!?」
それは僅かながら、鳴き声が聞こえたのである。
「(誰かいるの? でも――)」
因みに詩姫の病室は、二階にある個室であるため、彼女以外の患者はいない。
ベッドから降り、声が聞こえた方角へと足を運ぶ。
「確か、廊下の方だったよね」
ゆっくりと扉を開け、廊下へと出る。
「気のせい…だよね?」
そう思っていたのだが、まさにその時である。
ゴシャァァァン!という音が、どこかで聞こえたのである。
「何!?」
驚いた詩姫は、音が聞こえた方角へと駆けだす。
「(確か、一階の方だったはず!)」
階段を降りた詩姫は、驚きを隠せないでいる。
「何、アレ?」
一階のロビーに向かうと、そこには血塗れの看護師と、
「キヒヒヒヒヒヒ……」
大きなトカゲの様な異形の存在だった。
明らかにこの世の生物ではない。
そう直感した詩姫であったが、同時に看護師の方へと視線を向ける。
「(まだ息がある!)」
ゆっくりと足を運ぶ詩姫だったが、異形は視線を彼女に向けると、
「キシャァァァァァァ!」
彼女へと襲いかかったのだった。
駐車場に車を止め、車内からスーツ姿に髪が七三分けの男が降りて来る。
「すみません、七海さん。 無理な頼みを引き受けて貰って」
「いえ、構いませんよ」
七三分けの男――
七海健人は、自身に謝罪をする伊地知を宥める。
「とりあえず。 その少女の無事と、患者や医師達の安否確認。 そして呪霊の討伐……それで良いですね?」
「うん、任せたよ♪」
後から降りた五条は、七海からの確認に首を縦に振る。
しかし、その時だった。
ゴシャァァァァン!という轟音が、入り口から聞こえたのである。
「!?」
三人が視線を向けると、何かが転がって来た。
「くっ!」
それはなんと、巫詩姫であった。
「え、詩姫!?」
「もしかして、あの子ですか?」
「みたいですね」
詩姫の姿に驚く五条。
そして彼女の姿を見た七海と伊地知は、すぐさま察しがついた。
だが、それと同時に、
「シャァァァァァ!」
異形の怪物が、ゆっくりと歩んで来たのだ。
呪霊――。
人々の持つ『負の感情』によって生まれた『呪い』が、生物の姿となって現れた存在。
その呪霊が、詩姫に襲いかかろうとしていた。
先程の襲撃によるものか、彼女の額には血が流れていた。
「………」
ゆっくり立ち上がった詩姫は、視線を呪霊へと向ける。
同時に、彼女は右目で強く睨む。
すると右目の視界には、例の“線”が現れ、更に呪霊にも存在する事が判明した。
「(やっぱり、幻覚じゃなかった)」
右目に映るものにだけ存在する“線”。
「(もしかすると……使える?)」
何かを思いついた詩姫は、すぐに辺りを見渡す。
すると偶然、五条の姿を目にした。
「五条さん!」
「うん?」
「何か、武器になるようなものある? 出来れば刃物で」
コレを聞いた五条は、伊地知に呟く。
「伊地知。 確か、フルーツナイフ買ってたよね? 鞘付きの奴」
「え、はい。 買いましたけど?」
「貸して?」
「え、分かりました」
そう言うと伊地知は、袋から取り出したフルーツナイフを五条へと渡す。
ナイフを受け取った直後、五条は詩姫へと投げ渡した。
「詩姫、使って!」
投げ飛ばされたナイフを、詩姫は迷いなく受け取る。
そして鞘を抜き、ナイフを逆手に持ったのである。
ナイフを構える詩姫を目にし、伊地知が慌て出してしまう。
「ごごごご五条さん! 何を考えて!?」
「落ち着けよ」
呆れながら彼を窘める五条に対し、七海は冷静な態度で尋ねる。
「何を狙ってるんですか?」
「まあ、見てなって」
もったいぶる五条であるが、何故か不敵な笑みを浮かべた。
そんな中、詩姫と呪霊の戦闘が始まった。
「シャァァァァァァァ!」
呪霊は大きな腕を振るうも、詩姫はそれを避ける。
「(そこ!)」
更にナイフを振るい、“線”に沿って呪霊の腕を切断したのだ。
切断された呪霊の腕は、その場で宙を舞う。
「斬った!?」
「っ!?」
コレには伊地知も七海も驚愕を隠せない。
対照的に五条は、更に口角を上げる。
「やっぱりね……『
覚醒』してたんだ」
「ギギャァァァァァァァ!」
腕を切断され、叫びを上げる呪霊。
その光景に、七海がある事に気付いた。
「なっ!? 再生しない!?」
呪霊は名前の通り、呪いの力による負のエネルギー『呪力』で体を構成させている。
だが詩姫に切断された腕は、どういうワケか再生していない。
「再生“しない”というよりは、再生“出来ない”だね」
五条がそう言う中、詩姫の様子が一変する。
「(コイツを一撃で仕留める。 何か……急所を!)」
なんと左目にも例の“線”が見え、呪霊の腹部に大きな“点”が視えたのだ。
「そこね!」
一瞬で間合いを詰め、“点”の部分に刃を突き刺した。
「ギシャァァァァァァァァァァ!」
コレによって、呪霊は完全消滅したのである。
目の前の光景に伊地知は驚きを隠せない。
「な、ナイフだけで…呪霊を!?」
「……五条さん、彼女の何を知ってるんですか?」
改めて七海に問われ、遂に五条は口を開いたのだ。
「巫家の人間には稀に、眼に映る者の生命を色で見分ける能力を持つ子供が生まれるんだ」
「眼で?」
「うん。 一族の人達は、その眼を『
命火の
魔眼』と呼んでるそうだよ。 命火の魔眼はサーモグラフィーカメラのように、生命を色で認識する事が出来るんだ。 体が『赤』の時は『強い生命』。 『黄』色は『平均』、『青』は『弱った生命』。 『黒』は『死亡』って感じでね。 因みに呪霊も『黒』だよ」
「成程。 しかし――」
「“命火の魔眼”だけでは、呪霊を倒せない――でしょ?」
「はい」
七海の疑問に対し、五条は更に話しを進めた。
「実はね、命火の魔眼には、とんでもない進化が隠されてるんだ」
「進化?」
「そう。 生死の境を彷徨うほどの瀕死から目覚めた時、更なる変異を遂げる。 その名は、『
直死の
魔眼』だ」
「直死の魔眼?」
「この世に誕生した時から、万物には必ず『死』が内包されている。 生物に限らず、物質にも、概念にも、そして時間にも存在する。 直死の魔眼には、万物の『死』という概念を、“線”と“点”という情報で捉える事が出来るんだ」
「つまり彼女には、その万物の『死』が視える……という事ですか?」
「そう。 “線”をナイフでなぞれば、金属ですら紙きれのように切断でき、中心部である“点”を突けば、消滅させる事ができる。 呪力を使わなくても、呪霊を祓う事も可能だ」
「知っていたんですか? 彼女がその魔眼持ちだという事を?」
「いや。 けど、彼女が巫家の人間だと知った時、まさかとは思った。 でもまさか、手にしたばかりの魔眼で、ここまでやるとは思わなかったよ」
凛と立つ詩姫に視線を向け、五条は楽しく笑う。
「良いね。 良い感じにイカレてるよ、あの子」
こうして巫詩姫は、人生で初の呪霊討伐を成功させたのだった。
時は流れ、2018年の4月上旬。
「…よし」
巫詩姫は、呪術高専の制服に袖を通す。
そして右目は、魔眼を隠すために眼帯をつけている。
母と住んでいたアパートを去り、外へと出た。
門の前には、五条悟が待っており、
「お!渡した制服、似合ってるね」
「どうも」
「それじゃ、準備は良いかい?」
「はい。 宜しくお願いします!」
「こちらも、宜しくね」
彼と共に車に乗り、その場から去ったのである。
こうして彼女の、呪術師生活が始まったのだった。