青柳 詩葉
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「―――とりあえず現状の確認から始めましょう」
ナデシコクルー達の無数の視線の中、白衣の女性が告げた。
彼女の名はイネス・フレサンジュ。他者に説明をすると云うことに生命を賭していると言っても過言ではない程に説明好きな女性だ。
彼女は辺りをぐるりと見回す。広い艦橋には、艦長であるホシノ・ルリと副長のタカスギ・サブロウタ。それからプロスペクターにゴート・ホーリー、ハルカ・ ミナトやマキビ・ハリなどに加え、他にもチラホラと。つまりは現在のナデシコの中心的クルーが集まっていた。
全員の顔を確かめてから、うん、と頷き一つ。それから背後の巨大スクリーンを、此処に注目しなさいと言うようにコンコンッと指し棒で二度叩いた。
「まず、私たちは何らかの原因により強制的にジャンプされたと云うこと」
彼女のよく響く声が全員の耳にスッと入り込んでいく。
今彼女らが何をしているのかというと、彼女が言ったように現状の確認……ようするにイネスによる説明会である。
普段のナデシコクルーならば彼女の独擅説明会が始まろうというのなら、即効で逃げ去るか、或いは彼女よりも先行して何とかして潰すのが常である。彼女の説 明は非常に長いことが多く、一度始まってしまえばノンストップで加速し続けるために逃げることすら困難なのだ。そのため基本的にナデシコクルーはイネスの 説明会という場面に対して強い拒絶反応を示すことが多い。
しかし今回はそういった様子は見受けられなかった。皆が皆真剣にスクリーンを見つめ、彼女の言葉に耳を傾けようとしている。それだけ、突然現れた事態に戸 惑っていると云うことだ。
皆が自分の言葉を聞き入ろうという姿勢にあることにイネスは嬉々とした表情を浮かべた。大の説明好きである彼女にすれば、これほどまでにありがたい舞台は 無いのだろう。だが流石に不謹慎だと思ったのか、ゴホンと一つ咳払いをすると、真剣な表情になって正面を見据えた。
「これに関しては、タイミングからアキト君のナノマシンの暴走が何らかの関与をしていると考えられるわ。何がどうなってという事は詳しくは不明。それは後 に時間をかけて解明しましょう」
言い終えてから一拍。再び辺りを見回し、特に意見が無いことを確認する。アキトという単語がでたときに一瞬ルリとラピスがソワソワとした素振りを見せた が、無視する。
それから彼女は、次にと言いながらスクリーンを示した。
スクリーンには艦の外の風景が映されていた。ナデシコが位置している場所は荒野と言えるような乾いた硬い地層が広がっている。ただ、少し奥の方を見ると、 高い断崖や凍りついたように白い大地が覗いている。イネスはまだそれについては触れず、その遥か手前……ナデシコの真横に位置する部分に指し棒を向けた。
「もはや……原形を留めていませんね……」
「………」
イネスが示した場所に映る物を見てハーリーが呟いた。その言葉にラピスが顔を俯ける。もともと破壊する予定ではあったが、こうも変わり果てた姿を見せられ るとは思っていなかった。
そこには、ひとつの大型の白い物体が転がっていた。ハーリーが言ったように、もはやそれがそれであると判別できる要素が完全に失われるまでに破壊され変形 したユーチャリスだった。
「今回のボソンジャンプの影響で、ジャンプ時無人であったがためにフィールドを展開できなかったユーチャリスは見ての通り大破。今はウリバタケ班長達が何 か使えるものが残っていないか確かめに行ったわ。できればユーチャリスの相転移エンジンと、格納したままのブラックサレナは回収しておきたいわね」
「でも、いいのかしら。本来はそれを壊すためにきたんでしょう?」
「緊急事態よ。このくらいは許されて貰わないと困るわね。あと一応許可は得ているわよ?」
ミナトの問いに答えたイネスはそう言ってプロスペクターを見た。
「ええ。そのような事を言っている場合ではありませんからな。地球との連絡がつかないことも含め、異常事態が重なっています。何が起きているかがわからな い以上、有事に備えあまり戦力を減らしたくはありません。それに破壊するとは言いましたが、始めから解体後に行う予定でした。ブラックサレナはまだしも、 ユーチャリスの各武装や相転移エンジンを破壊する必要はありませんからな。資源は大切に使うべきでしょう、はい」
「……とのことよ。許しが出ているのだから精々有効に活用しましょう。まぁ、特に言わなくとも班長辺りが勝手に漁ってくるでしょうけどね。他、特に疑問は 無いわね? ……じゃあ、三つ目に移りましょう」
イネスがスクリーンをひとつ叩くと、映像が切り替わった。
スクリーンには黒い背景の中に三つの球体が浮かんでいた。それぞれ球の中心に、地球、月、火星と書かれている。その他に各ターミナルコロニーを示す小さな マークが点々としている。
ちゃんと見たわね? と問いかけ、頷きが返ってくるのを眺めながら彼女は指し棒でスクリーンを再度叩く。すると、火星を除いた他のマークが少しずつ黒く なっていき、最後には背後の闇と同化して消えた。
「これが今私たちが置かれている状況よ。……地球に月は疎か、各ターミナルコロニーに火星の施設。その他諸々、全てに連絡がつかないわ」
言って、更にスクリーンを叩く。今度は火星までもが闇へと沈んで行き、ナデシコと書かれた小さなマークだけが浮かび上がってきた。
「完全な孤立無援状態ね。もしかすると、これからは補給することすら不可能かもしれない。先ほどプロスさんが言ったように事態解明までは資源を大切にして ほしいわ」
「少し……確認をして良いか?」
熊のような大男が声を放ちながら挙手した。
イネスは彼のほうに顔を向け、一度頷く。それから一拍置いて口を開ける。
「なにかしら。ミスター・ゴート」
「ああ。連絡がつかないと言ったが、それはジャンプの衝撃による此方の通信機器の破損と云うことではないのだな?」
「そうね。一応その可能性も考えて、班長達がユーチャリスの解体に行く前に見てもらったわ。結果、特に壊れてはいないそうよ。あと……確認も兼ねて班長に 通信機を持たせておいたのだけど、繋げた方が良いかしら?」
「頼む」
「オーケー。……マキビ・ハリ君。手伝いをお願いできるかしら?」
「え……? あ、―――はいっ!」
いきなり指名されて慌てるハーリーだが、イネスの言葉を自分の中で復唱。理解する。
やや急ぎ足で通信機の前に移動し、操作を開始。間も無くウリバタケとの回線を開く。スクリーンに一人の男の背中が映る。整備主任、ウリバタケ・セイヤの背 だった。
彼の姿を認めてから、ハーリーは一度息を吸った。それからマイクに向かって声を放った。
「ウリバタケさーん、聞こえてますかー? 此方ナデシコB、マキビ・ハリです」
『―――ん? お、これ繋がってんのか? ―――おう! 聞こえてるぜー坊主! 感度良好、絶好調だ』
「班長。ユーチャリスの解体作業は進んでいるのかしら? 何か使えそうなものはあった?」
『おうよ! 相転移エンジンは運良く無傷だったぜ。ユーチャリスのあの壊れ方だ。流石に駄目かもしれねぇと思ったんだが……奇跡的にそうならなかったみ てぇだな』
ウリバタケが無意味にカメラに近づいているのか、スクリーンは彼の顔ひとつで埋まっていた。彼はイネスの問いに答えると、そこで一息つく。スピーカーから は彼の唸り声。顔には真剣な……そして苦渋に満ちた表情が浮かんでいる。
『……だが、ブラックサレナはそうもいかねぇ。格納庫が潰れちまってる』
スピーカーから響いてくるウリバタケの言葉を聞き、殆どの者は、やはりか……と思った。あそこまで破壊された物に格納されていたのだ。ブラックサレナが無 事である可能性は限り無く低い。彼が言ったように、相転移エンジンが無事なだけでも奇跡的だと言える。
だが、その中で一人衝撃を受けていた者がいた。ラピスだ。
彼女にはウリバタケが何と言ったのかが一瞬理解できなかった。理解したくなかった。……だが、それなのに思考は止まってくれない。思考を止めると云うこと を彼女自身が良しとしないからだ。だから彼女は思考する。たとえ理解したくなくとも、理解するために。
改めて始めから考え直そう。まずはユーチャリスが壊れたと云うことだ。とても信じがたい光景だったが、如何せん自分が操っていたものだ。他の者にはわから なくとも、自分は見ればわかる。アレは間違いなくユーチャリスであり、そして間違いなく壊れていた。
次に。サレナについて考えよう。何故サレナが壊れているのか? 非常に簡単だ。ユーチャリスが壊れたからだ。母艦が壊れたのだ、それもあのような形で、原 形を留めないほどに。中に格納されていたサレナが無事である筈もない。
半ば機械的に自身に質問をぶつけそして答える。そして理解。ユーチャリスは壊れ、それに巻き込まれてサレナも壊れたのだ。
彼女はうん、とひとつ頷いた。そして同時に心の中で叫んだ。ふざけるな、と。
何故こんな形で失わなければならないのか。認めない。こんな事で失うなど、認めるわけにはいかない。こんな……わけもわからない事態に幕を下ろされるな ど。自分やアキトが了承したことは、ただ単にユーチャリス、そしてサレナを破壊することではない。けじめをつけるためだ。解体され、そして破壊されるのを 最初から最後まで、一切見逃さずに見届けること。その様を心に刻み込み、墓標を立てること。平穏な日常に戻ったからといって、過去の自分たちを決して忘れ ぬようにすること。そのための重要な儀式だったのだ。自分たちに出来る……せめてもの贖罪の。それが何故。……何故こうなるというのだ!
ラピスが思考の海にはまっていると、スピーカーからは、あー……、とウリバタケの困ったような声が聞こえてきた。自分の言葉によって訪れた沈黙の意味を 悟ったらしい。スクリーンに映された彼の顔は、何かを深く考え込んでいるようだった。何度も唸り声を上げながら、たっぷり三分、思考を続けた。それから三 度頷き、ゆっくりと口を開く。
『……まあ。完全にイカレてなきゃの話だが、……なんとかしてやる』
「―――え?」
予想外の言葉にラピスは俯いていた顔を上げた。
「……なお……るの?」
『―――おいおいおい。嬢ちゃんよぉ、このウリバタケ・セイヤ様を甘く見てもらっちゃあ困るぜ? 男に二言はねぇ。さっき言ったように完全にイカレてな きゃの話ではあるがな、必ず直してやろうじゃねぇか。―――この俺様に限ればな、時間と機材さえあればピッカピカのサレナちゃんの出来上がりよ!』
「ちょっと班長……そんな安請け合いして―――」
『―――黙れよイネスの姐さんよ。直せるか直せないかは関係ねぇ。俺は直す。それだけだ。何か悪いかよ?』
「……!」
明るくおどけていた顔が瞬時に真剣なものに変貌する。ウリバタケの声には何事も受け付けないと云う固い意志が感じられた。さすがのイネスもこれには押し黙 るしかない。
それから彼はラピスの名を呼んだ。彼側の通信機のモニターにちょうどラピスが映るところまで誘導する。そして、ゆっくりと、言葉を選んで話しかける。
『嬢ちゃん。ブラックサレナは直してやる。これはもはや決定事項だ。後になってやっぱり無理でしたなんて言うもんなら、そんな俺は死んでいい』
「……ん」
静かに頷くラピス。その様子を眺めながらウリバタケはだがな、と付け加えた。
『ユーチャリスは無理だ。……嬢ちゃんにもわかるだろうがアレはもう戦艦じゃねぇ。ただの金属の塊だ』
「あ……」
理解はしていたが、他人から改めて言われることでより一層深く刻まれる。心にぽっかりと穴が開いたような気さえした。
それから少しすると、再びこの理不尽に対する怒りがわいてくる。
ラピスは何故と問う。何故こうなるのだろうと。自分達は贖罪をすることすら許されないというのか。
そうしてラピスが再び顔を俯けた。
それを見たウリバタケはふむ、と頷く。そして目を瞑り良く考える。どうしたものか、と。ウリバタケには見えていた。ラピスの顔が俯く寸前、彼女の表情が怒 りに染まったのを。
何故と思ったが、考えてみれば簡単だ。つまりはそういうことか、と一人納得する。これで方針は決まった。あとは組み立てるだけだ。
彼はもう一度ふむ、と頷いた。この少女の心境はだいたいわかった。最後に必要なものは始めの一言だ。そして思い出す。この少女は、罪人テンカワ・アキトと 共にいたのだと。
そこで答えは出た。ああ簡単だ。これもまた非常に簡単なことだ。何故かと、そう問えば良いだけだったのだ。何故この少女はあの男について行くのかと。
『嬢ちゃんにとってテンカワは何だ』
唐突にウリバタケが言った。
その突然の問いにラピスは何の迷いも見せなかった。何故そんな流れと関係の無さそうな問いを放つのかはわからない。だがその問いに対する答えだけはわかり きっていたからだ。そう、その問いの答えはひとつしか存在しない。
ラピスは俯いていた顔を上げ、右手を胸に当てる。それから正面のウリバタケを見据えて答えを放つ。
「―――私はアキトの目、アキトの耳、アキトの手、アキトの足」
そして、と彼女は言った。
「アキトは―――私の全て。私の全てはアキトの為にある」
ラピスの言葉に周囲がざわめいたが、すぐに静かになる。そんな雰囲気ではないと察したのだろう。
ウリバタケは一度頷き、ならば、と問うた。
『何故こんなところで止まってる。嬢ちゃんは、ただサレナやユーチャリスが壊れるのが嫌だってわけじゃねぇんだろ? けじめをつけるために、こんな異常事 態に勝手にケリつけられんのが嫌だってんだろ?』
「……どうして?」
『んな顔してりゃあ誰でもわかる。……それでだ。テンカワと嬢ちゃんは過去を忘れねぇために、て意味でけじめをつけようとしたんだろ? そうやって罪を背 負って生きていこうと決めたんだろ? それで自分たちの罪の象徴が勝手に壊されて、本気で怒ったんだろ?』
「……うん」
『そうだ。それはいいことだ。……だがな。そいつはひとつ、大きな事を間違っている。だからそれを教えてやる。いいか良く聞けよ? 二度は言わねぇから な? それじゃあわかったならとくと聞け―――けじめがつけられないのをサレナやユーチャリスのせいにするんじゃねぇ』
「―――っ! 私は……!」
『違う、なんて言わせねぇぜ? 嬢ちゃんは、罪の象徴が勝手に壊されたことに怒ったと、そう言ったんだからな。つまりはそこに重点を置いちまってるんだ よ。そしておかしな思い込みをしてる。そのけじめの儀式をしなければ贖罪はできない、と。そこがそもそもの大間違いなんだよ。そんなものはな、ひとつの区 切りでしかねぇ。始めから覚悟が出来てる奴はそんなこと思いやしねぇんだよ。ただ黙って刻んでいくだけだ。そしてな? テンカワのやろうはそれがわかって る。復讐を心に決めた時から、ずっと刻み続けてるんだよ。今こそすったもんだの挙句にナデシコに帰ってきちゃあいるがな』
一息。
『そう、これが嬢ちゃんとテンカワの違いだ。……それじゃあわかったなら改めて言わせて貰うぜ。何故こんなところで止まってる。嬢ちゃんはテンカワが自分 の全てだと言ったな。なら何故奴の隣に立っていない』
「私は―――」
ウリバタケに言い返そうと口を開くが、続く言葉が出てこない。
わからない。その為何故わからないのだと思考すると、更にわからないと云う答えが帰ってきた。
「―――!」
そしてその事に驚愕する。他ならぬ自分のことなのに。アキトに関係することだというのに。なのに関わらずわからないなど。
……この男ならわかるのだろうか。
そう考えて、スクリーンに映る男を見た。男はこちらが見ていることを確認してひとつ頷いている。
『わかんねぇだろう? そうだ。その筈だ。嬢ちゃんはまだわからない筈だ。そう考えたことが無いだろうからな。だからこそだ。考えろ。只管に考えろ。俺は 答えを教えてやる気はないが、幸いここには親切な奴らが多いからな。行き詰った時にヒントぐらいなら教えてくれるだろうさ』
「―――!」
え? と頭に疑問を浮かべつつ周囲を見渡すとそこにはナデシコの主要メンバー達がいた。そして、その全員が彼女へと視線を向けている。その時ラピスは聞い た。こいつの言うとおりだ。頼りたくなった時は遠慮なく頼れ、と云う声を。音として出された声ではないが、それは、それよりも明確な言葉として聞こえてき た。
皆の後ろの方では整備班の代表として残った男達が、そうだ俺たちに……この整備班に是非とも聞きたまえ! そしてその後には撮影会を! おお! ―――お お! 悩める少女萌えー! などと興奮のあまりか心の中に抑えておくべきものを大声で叫んでいた。そして次の瞬間には音もなく忍び寄ったリョーコに蹴り飛 ばされて床に転がっている。
『お前らもう一寸頑張れよ! 美少女の写真しゅ―――』
「―――ウリバタケ?」
『―――っ!? と、ともかくだ!』
女性クルー全員の殺気の篭った声にたじろぎながらウリバタケはラピスを見る。
『時間はあるんだ。たーっぷりと考えな。―――ん?』
彼の背後から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。ユーチャリスの内部から叫んでいるのか声は小さくて聞き取れない。ウリバタケはしゃあねぇなぁ……とこぼしてから 声のするほうへと消えていった。スクリーンには代わりにひしゃげたユーチャリスが大きく映される。
内部では解体作業が続けられているのか様々な機械の作動音が聞こえてくる。先ほどまではあまり気にはならなかったが改めて聞くとかなりの騒音である。当 然、その騒音にかき消されてウリバタケの声など聞こえるはずもない。……のだが、不意に、中から雄叫びが響いてきた。ウリバタケの歓喜の叫びだった。
クルーたちが何だと思っていると、大きく音を鳴らしながら走ってくるウリバタケがスクリーンに現れた。左の口の端を持ち上げて笑っているのがわかる。そし て走る勢いそのままに、通信機に飛び掛るようにして現れた男は、やはり勢いそのままに大きく叫んだ。
『格納庫の解体が完了したぜ。ブラックサレナは外部装甲はさすがに駄目だったが、中身はしっかりと生きてらぁ!』
次の瞬間。
艦橋に怒声にも似た歓声が響き渡った。
ある者は良かった……、と。またある者はウリバタケめ命拾いをしたな、と。またある者はこれでもしもの時の経費が浮きますな、と。
そして皆の後ろの方では何時の間にか蘇った整備班の代表として残った男達が、主任の阿呆が! こんな美少女に無駄な心配をかけるとは何たることか! いや しかし、この驚きの表情は! おお! ―――おお! 萌えー! などと興奮のあまりか心の中に抑えておくべきものを再び大声で叫んでいた。そして次の瞬間 には再び音もなく忍び寄ったリョーコに蹴り飛ばされ、更に宙に浮いている間に計十二発に及ぶ空中コンボを決められて床に叩きつけられている。
「………」
『………。まぁ、なんだ。さっきも言ったように時間はタップリとあるんだからゆっくりと考えな。―――さて。俺のほうはそろそろ作業に戻らせてもらうぜ? お前らには暇人に見えるかもしれんがこれでも忙しいもんでな』
「嘘はいけないわよ班長」
『黙れチキショウ。それじゃあ切るからな、と―――』
ウリバタケはそうやって逃げるように回線を閉じた。やや顔が青くなっていたことをみると、床をベッドに倒れこんでいる整備員達を見て明日は我が身か……と 考えていたのかもしれない。
その光景を見ながら、イネスはふぅ、と溜息をついた。なにやらおかしな展開になってしまったが一応は終わった。ふと話の中心にあった少女を見ると、何事か を深く考えているようだった。
イネスはそれを見て大丈夫だろうと結論付けた。もし本当にどうしたらいいかわからなくなったら他の人に聞くだろうし、彼女の方から聞かなくとも周囲が放っ ては置くまい。
うん、と頷いて、それから手を叩いて音を出す。パンッと乾いた音が二度鳴り響き、その音を聞いて周囲のざわめきが消えていった。バラバラになっていた…… もとい大半はリョーコへと集まっていた視線も全てイネスの元へと戻る。
「とりあえず、他に通信関係についての疑問はないわね? ミスター・ゴート」
「ああ。わざわざすまない」
「いいえ。それじゃあ、次は四つ目ね」
そう言って今は何も映していないスクリーンをコツンと叩く。すると始めにユーチャリスを映した時と同じ、やや奥まで地表の様子が窺える映像に切り替わっ た。それから特定の部位に指し棒を向ける。今度はユーチャリスでなく、隅のほうに映る地表……凍りついた白い大地へと。
「これから言うことは今私達が体験している異常事態の中で最も重要なことよ。はっきり言ってしまえば全てが集約されていると言ってもいいわね」
改めてそう告げられた言葉に皆が緊張するのがわかった。彼女は全てが集約されていると、そういった。そのことを考えると彼女が何を言うつもりなのかが理解 できるからだ。他の全てを集約できる事態などそれしかないのだから。
そして、皆の反応を確かめてから、彼女はそれを口にした。
「―――今、私達がいる場所が火星の北極であること。そして本来遺跡がある筈の場所に、遺跡が見当たらないと云うこと」
●
場は静まり返っていた。
それもその筈だ。彼女……イネスが放った言葉はそれだけ大きな意味を持つものだったのだから。この説明会自体が今わかっていることを纏めたものなので、遺 跡が見当たらないと云う事は皆わかっていた。しかし、それでもやはり絶句せざるを得ない。
一体どれだけの時が経っただろうかと、皆がそう思うほどの長い静寂が続いた。
と、その時。艦橋と廊下を繋ぐドアの向こうから女性の声が聞こえてきた。声は二つ。一つはやや太めの聞き慣れた声。もうひとつはやや高めの少女の声だろう か。廊下をこちらに向かって歩いてきているのだろう。徐々に声は大きくなっている。そしてついには艦橋と廊下を隔てるドアが開き、一人の女性が姿を現し た。
聞き慣れた声の方の正体、見慣れたコック服に包まれた熟年の女性だ。
「―――ホウメイさん?」
名前を呼ばれた女性は目の前の光景に一言おや、と声を上げた。
彼女からしても見慣れた顔であるナデシコクルー達の全視線が自分へと集まっていたからと云う事と、妙に皆が静まり返っていたからである。
「一寸間が悪かったかい?」
「……いえ。それよりも、なにかあったのでしょうか。先ほど誰か他の人の声も聞こえてきましたが……」
「あぁ、そのことで知らせて置く事があるのさ。黙っておいても良かったんだけど、あまり良くないことになってるみたいだからね」
そう言って彼女は背後、皆からはまだ見えない廊下の奥のほうに声をかけた。すると影からゆっくりと、ルリと同い年辺りであろう一人の少女が現れた。顔を俯 けているため、表情はよくわからない。
そして、その少女見て一人が悲鳴のような叫びを上げた。
ミナトである。
「……ユキナ!? どうして此処に……!」
「―――!?」
少女……白鳥ユキナは大声にビクリと体を震わせた。予測はしていた。此処に来る時点で。此処には確実にミナトがいるのだから。
しかし。しかし、それでも体を震わせずにいられなかったのだ。予想通りであるが故に、かえって自分は何て事をしてしまったのだろうと、そう強く感じたの だ。
正直なところ今この艦に何が起こっているのかなど全く知らない。ホウメイが言うところだと途轍もなく大変なことが起こっているらしいと、それだけだ。それ がどの程度のことなのかはやはりわからない。情報が少なすぎて自分の基準に当てはめる事すら出来ないのだ。ただ、今この瞬間に、ミナトの声を聴いた瞬間に わかったことが一つある。自分が此処にいることに対して、彼女があのような悲痛な叫びを上げるような事態である、と云う事だ。
……やっぱり怒られるんだろうなぁ。
ユキナは漠然とそう思った。
自分は此処にくる必要があった。客観的に見れば大げさだと言われるだろうが、それでも自分には必要だったと言える。しかしそんなものは相手からすると何の 関係もない。
俯いていた顔を上げてみると、何時の間に移動したのか目の前にはミナトがいた。顔を見ると、表情を読み取ろうとするまでもない。明らかに怒っている。
「……ごめんなさい」
とりあえず謝る。ミナトに効果は無いだろうが、その他のナデシコクルーに対して必要なことだ。何せ自分は―――。
「密航、だね。食材が減っているから調べてみたら見つけたんだけど」
つまりはそう云う事である。
恐る恐る再びミナトを見ると同時、はぁ……と溜息が聞こえた。ミナトが額に手を当てて首を振っているのが見えた。言葉に訳すならば仕方ないわねぇ……、と いったところだろうか。一息つくと、それから彼女はイネスの方に顔を向けた。
「私は席を外すわね。一寸……いえ、色々と聞かないといけないことがあるから」
「ええ。そうしてちょうだいな。こっちでのことは後で説明しに行くわ」
「ん、ありがと。……さてと。それじゃあ私の部屋に行きましょうね、ユキナ?」
ミナトはそう言ってユキナの肩をガッシリと掴んでいる。逃がさないわよ? とでも言いたげだ。
彼女はそれから皆に向かってじゃあね〜、と明るく手を振りながら、そしてユキナを引きずるようにして退室していった。軽やかな鼻歌交じりで。ついでに何か 悲鳴のようなものも混じっていた気もするが総員無視の方向である。
ホウメイはその光景に苦笑しながら、なにか軽い物でも作っておくから終わったら食べにおいで、と言ってミナトを追うように退室していった。廊下へと消える 寸前、イネスがその時にでも説明しよう、と伝える。
廊下とのドアが閉じると、艦橋には妙な沈黙が残った。ただ先ほどまでのような暗い印象は無い。ミナトが気を利かせてくれたのだろう。周囲にはユキナを心配 するような……というよりは笑いを堪えているような気配が漂っている。
ありがたいことだ、とイネスは思う。彼女自身ユキナのことでいっぱいいっぱいであろうに。
当然、その行為を無駄にすることは無い。イネスはさて、と一息吸うと手を鳴らして視線を集める。台風は去った。嫌な空気を吹き飛ばして。だから説明を続け よう、と。
やや緩みつつある頬を引き締めゴホンと咳払いをする。それから大きく息を吸って口を開く。
「……後のことは適任者に任せて、説明を続けましょう」
スクリーンを叩いて画像を変更する。遺跡があるはずであろう場所、隅のほうにある地表が拡大されたものだ。当然そこには遺跡などない。あるのは凍りついた 大地だけである。
「この座標にあるはずの遺跡が消失したと云う事。このことには幾つかの仮説が立てられるわね」
ビシッ! と効果音がしかねない勢いで左手の指を一本だけ立てて突き出す。同時にスクリーンの映像を切り替える。
スクリーンには遺跡が映っていた。ただし左側半分だけに。beforeという文字と共に。そしてそこから右半分のafterとあるだけで他に何も映ってい ない部分に矢印が向いている。
「第一に、遺跡がボソンジャンプにより何処かに飛んでいったと云う事」
「………。ありえますか、それ……?」
「ありえなくはないかもしれない、程度ね。ただ今回の場合、私達ナデシコ側がジャンプしたと考えられるから、ほぼありえないことになるわね。それで、第二 の仮説に続くことになるわ」
左手の中指が立ち、二を示すそれに変わる。
「第二に。ここは遺跡が何らかの理由で移動してしまった未来だと云う事。……ただしこれも信憑性は低いわね」
「通信関係や、この付近の開発状態ですな?」
「ええ、その通りね。この仮説の場合、通信が全く繋がらないのは不自然よ。……途方も暮れないほどの未来なら可能性はあるけれど、それだと今度はこの付近 が開発されていないのに疑問が残るわね」
ここまでは問題は無いのよ、と彼女は続けた。
今挙げたものならば、探してみればすぐに何かが見つかるだろうからだ。問題はだ。問題は、この後の二つなのである。少なくともそのうちの一つならば、もう どうしようもない、と匙を投げたくなるようなものなのだ。
緊張のためか、大きく深呼吸をする。そうして自身を落ち着かせてから口を開く。
「……問題の三つ目よ」
指し棒が叩けば、スクリーンには濃い緑が広がる大自然が映された。ただし、勿論それだけではない。
……巨大な恐竜達と一緒に、である。
その映像を見てまさかと思っているクルー達にイネスが説明を続ける。
「遺跡が造られてもいないような超古代であると云う事」
それこそ正に最悪の事態である。人間がいない程までの過去などであれば、即ち補給が不可能だということだ。ナデシコにはそれなりの備えがあるが当然有限で ある。切らしてしまえばそれまでだ。
皆が青くなるのを見つめながら、イネスはただし、と付け加えた。
「この仮説の否定材料としてボソンジャンプが挙げられるわ。ひどく不安定だけど、一応今でもボソンジャンプが可能であるということが。遺跡の力が何処まで 及ぶものなのかはわからないけれど、少なくとも此処にそれに代わるものが無いのならば不可能なのではないか、と私は考えているわ。もし違っていても私達が 本来いた場所の遺跡の力が微々たる物とは言えども此処まで届いている、とも考えらるし、或いは何処かに遺跡と同じ力を持つ何かがあるのかもしれない」
自分の言葉を聞いてホッとするクルー達を見て更に付け加える。勿論、不安定なのが問題でナデシコを飛ばして元の時代へ、とは危険すぎて今すぐに試すことは できないと。
続けて彼女は最後に、と指で四を示しながら言った。どうせどの仮説でも最初の行動は決まっているのだからさっさと言った方がいいと思ったのかもしれない。
「最後は非常に簡単よ。最も簡単に思いつくもので、最もありえないと言えるもので、そしてそれ故に何でも有りのものよ」
それは、と彼女は続けた。
「此処が、今まで私達がいた世界と全く基盤が異なる世界であると云う事」
●
ドアが開くと同時、医務室には二人の少女が入り込んできた。ルリとラピスだ。二人とも息を上げており顔には汗がうっすらと浮かんでいる。
理由は簡単だ。全力で走ってきたからである。
彼女達二人は、イネスの説明会を終える言葉を聞くや否やこの医務室まで一切の休憩を入れずに走ってきたのだ。たとえ最短ルートを取ろうとも、ナデシコは広 い。それに彼女達はそれほど高い運動能力を持っているわけでもない。息が上がって当然といえば、当然だろう。
ここまでして彼女達を駆り立てるものは何かと言えば、奥のベッドに眠る青年である。
「―――アキト!」
「―――アキトさん!」
そう、テンカワ・アキトだ。
ナノマシンの暴走時に気を失った彼は、今もまだ目を覚ましていなかった。ベッドの隣の計器から伸びるコードを身体のいたるところに貼りつかせた状態で眠っ ている。
ボソンアウト後、イネスによって治療が行われて徐々にナノマシンや体調は落ち着きつつあるが、顔色は真っ青で決して良い状態だといえるものではない。しか しこれ以上はアキト本人の力に任せる他が無いと判断を下した彼女は、皆を集めて説明会を開いたのである。
そしてその説明会が終えるまでの間、いや今も彼の体調を見守り続けているものがいた。
『―――お二人とも、少し静かにしていただけませんか。心配なさる気持ちは理解できますが、枕元で騒がれてはマスターの御身体に障ります』
二人の目の前に突然現れたリリィはそう言って二人を押し留めた。
ユーチャリスから搬送されナデシコへと組み込まれた彼女は皆が艦橋にいる間この場所でアキトの体調を測り続けていたのだ。今の彼女はナデシコのシステム内 を彷徨う幽霊のようなもので、ナデシコのメインAI・オモイカネが許すならばシステムの一部を利用することも出来る。その特性を用いて艦内マイクから説明 会の内容を聞きながら医務室にとどまり計器の操作などが出来るということで彼女は此処に残されたのだ。
『本当にマスターを心配して下さっているのならば、お願いします。今は御自身の感情よりもマスターの御身体の事を最優先してください。……徐々に落ち着い てきてはいますが、何があるかはわかりません。出来る限り安静にしたいのです』
彼女の顔は若干赤くなっていた。怒りを示すそれである。
リリィと云う一つの個体としての感情持つ彼女だが、それでもAIであるが故に機械的に自己を作動させることは出来る。そこから出される結論として彼女達を 叱る必要があったのだろう。本来ならば彼女とて同じ立場に立つ者なのだから。
その言葉とリリィの様子を見て、二人はしぶしぶとベッドから距離をとった。これ以上に彼の体調が悪くなることは彼女らも望むところではない。
仕方なくそのまま眺めていると、不意に背後のドアが開く音が聞こえた。振り向くとそこには白衣を着た金髪の女性。
『お疲れ様です、フレサンジュ様』
「ありがとう。何か変わった事はあったかしら」
『特には何も。ナノマシンも落ち着いてきているようです』
そう、と返しながらベッドの傍に佇む二人の少女をイネスは見た。聞きたいことがあるのかややソワソワとしている。イネスはそれを認め、彼女達に一つ頷きを 返した。それから宙に浮かぶリリィが映るウィンドウを眺めて、ところで、と質問をした。恐らくは二人が聞きたがっていただろう質問を。むろん自分にとって も重大なことを。
「五感の方に関しては如何なのかしら、リリィ?」
それは彼の五感についてだ。今回の異常事態は彼のナノマシンの暴走が切っ掛けである。これだけ大きなことがあったのだ。何があったとしてもおかしくはな い。イネスが行ったのはあくまで治療であったためそのあたりの細かい検査はしていない。人の手が必要なものではなくリリィだけで行えるものでもあったから だ。
この問いに、ウィンドウの中で少女は首を横に振った。それから少し躊躇うような仕草を見せてからゆっくりと口を開いた。
アキトの五感が戻っている様子は無い。むしろ今回のナノマシンの暴走による負荷で何処かが悪化しているかもしれない、と。
その答えを聞いて三人は真っ青になった。
その様子を見てリリィは慌てて三人を安心させるように、今言ったことはあくまで可能性の話です、と付け加えた。もっと整った専用の施設で精密な検査をしな ければどうかはわからない。それに本人に確かめてもらってもいないため正確な情報とはとてもじゃないが言い難い、とも。
「………」
『今のところ私達に出来ることはマスターが起きるまで待ち続けることだけだと思います。……それにしても体調の記録、必要があれば計器の操作というだけで すから、皆様はお休みになられた方が良いかと』
「………。そうね……。後は任せていいのね、リリィ?」
『はい。何かありましたら艦内放送でお知らせします』
「わかったわ。……それじゃあ、行きましょう? 艦長、ラピス」
「……そうですね」
彼女の言うことは尤もである。これ以上彼女達が此処に留まっていても事態が好転するわけではない。それにラピスはまだしもイネスやルリには他にやるべきこ とがある。今のところはユーチャリスの解体作業と各パーツの搬送を終えるまで動くことは出来ないが、あくまでそれが終わるまでだ。ここで心身ともに疲れを 増やすよりも部屋で休んでいた方が確かに有益だろう。
二人もそれを理解していたため、ベッドから離れてイネスと共に医務室を出た。出来る限り一緒にいたいとは思うが、それでこちらが倒れてしまったら元も子も ない。
医務室から出ると、イネスは早々と自室に引き上げていった。こうまで早く割り切れるのはやはり年の功であろうかなどと思いながら、ルリは自分の横に立ち尽 くす少女を見た。
「私達も部屋に戻りましょう。ここに立っていても仕方がありませんし……」
「……ん」
呼びかけると、少女は頷いてからこちらを見た。心ここにあらず、と言った具合である。やや顔も青い。
……私もこんな顔をしているんでしょうか。
そんなことを思いながらラピスを部屋へと案内する。ナデシコ居住区の奥のほうに位置する部屋。急遽アキトとラピスのために割り振った部屋のうちの一つだ。
ドアを開けてラピスを中へ入れる。自分も部屋へ戻ると伝え、頷きが帰ってくるのを確認してからドアを閉める。そしてそのまま自室へと向けて歩き出す。
ドアを閉める直前に見たラピスの顔は、やはりまだ何かを考えているようだった。
何を考えているのだろうか、と考えると、思いのほかレスポンスは早かった。
恐らくはウリバタケに言われた事だろう。
……そのことについて思う。ウリバタケが言っていた事は自分も考えておくべきものだろうと。一応、答えであろうと思うものはわかっている。……それはアキ トに対しての依存だろう。今までラピスはアキトと共にいる時間が殆どを占めていたはずだ。それによって生まれる依存。その状態がアキトの隣にいること…… 支えあっている状態にあることだと錯覚していると、恐らくそういったことが言いたかったのではないだろうか。
そしてふと思う。自分は如何なのだろうかと。自分は彼と共に歩いているのだろうかと。
答えはわからない。こればかりは相手の反応待ちである。
そんなことを思っていると、気付けば目の前には自室のドア。足はしっかりと動いていたらしい。
とりあえずドアを開き自室へと入る。
それから今までに起こったことの回想を始める。何かを忘れてしまわないように色々整理しておいた方がいいだろう。
基本はイネスの説明会の通りだ。
最終的な結論としてまずは地球に向かってみたほうがいいだろう。それから様々な方針を考えるべきだと、そういうことになった。地球の状態を見て今いる此処 がどのような場所なのかを見極める必要がある。それによってどうしなければならないかはガラリと変化するのだから。
次にアキトのことだ。何がどうなってあのようなことになったのかはわからない。ナノマシンに何かがあるのか。遺跡やボソンジャンプに何かがあるのか。それ とも自分達の知らない全く別の要素なのか。見当がつかない。
まぁ、アキトについては今自分達にできることは見守ることだけだ。今はリリィに任せよう。
最後に。今何をするべきか。
それは休むことの一つだけだろう。やや突き放しぎみだったリリィの言葉も恐らくこちらへの気遣いから来るものだろう。それを無駄にしないためにも、今は休 むことだ。
ここまで考えてうん、と頷く。大体こんなところだろう。
壁にかけられた時計を見て時刻を確認し、それからベッドにどさりと身体を投げ出す。
今は休もう。そして次に起きた時のために力を備えよう。そのときは今よりももっと大変だろうから。
目を閉じる。次に起きた時、少しでも事態が好転していることを祈って。
それでは。
―――おやすみなさい。
●
夢を見ていた。
とても、とても怖い夢を。
今ではそれが何だったのか、どんなものだったのかと云う事は思い出すことは出来ない。
怖いものであったと、それだけだしか思い出せない。
ただそれは例えようのない恐怖として刻まれている。
それほどまでに凄まじいものだったのだろう。
……だからなのだろうか。
この両の手に触れる温もりが、こんなにも、絶対に離したくないと言えるほどに愛おしく感じるのは。
意識は完全に起きてはいない。まだ夢を見ているような不思議な心地で、身体は動かない。
だからこの温もりが何であるかはわからない。
わからない。わからないが……。
―――失いたくない。
この温もりだけは。
……この温もりだけは、何があっても失いたくないと、そう思った。
そのためならば命を賭けても良いと。これを奪うものがあるならば、命を賭けてそれを打ち倒そうと。
一つの決意をすると休息に眠気がやってきた。
もう少しこのまどろみの中にいたいと思ったが、この温もりに包まれて眠れるならそれも良いと思った。
意識は間も無く閉じようとしている。もはや自分が何を考えているのかも分からない。
だから言った。完全に閉じてしまう前に。およそ無意識のうちで、一言。
「―――」
●
「―――」
二人は見た。
彼の唇が音を立てずに一つの言葉を作ったのを。
それは……感謝の言葉だった。たった五音の短い言葉。されどその言葉が意味することはあまりにも大きい。
同時に少し顔色が良くなったかもしれない。心なしか安らかな表情をしている気もする。
場所は医務室。
アキトが眠るベッドをはさむようにして右手をルリが、左手をラピスが、それぞれの両手で包み込んでいた。
ルリは半ば泣きそうになりながら良かった、と思った。そして向かいにいるラピスを見た。彼女もまた同じ思いをしているのだろう、と。結果として、ラピスも 同じだったのだろう。目頭には涙が浮かんでいる。そして、それだけではなく何かに気付いたような、そんな少し驚いた顔をしていた。
もしかすると今まで考えていたことの答えが出たのかもしれない。何故なのかという問いの。
それを確認すると、ルリは廊下へと繋がるドアへと歩き出した。自分はやることがある。自分達が休んでいる間にブラックサレナ及びユーチャリスの一部パーツ の回収は終わったらしい。後は自分の号令だけでナデシコは出発できる。
名残惜しいが、今はラピスに任せておいていいだろう。そう思い、ドアを開けて医務室を後にする。
「ミナトさん?」
「あ、ルリルリ。アキト君の様子はどうだった?」
廊下に出ると、丁度こちら側に向かって歩いてきたミナトがいた。
心配そうな顔をしている彼女に大丈夫みたいです、と伝える。リリィに、ラピスもいますから、と。
そう答えて、ふいに一つ思い出したことがある。
「ミナトさん」
「ん? なにー、ルリルリ」
「……あの後、ユキナさんどうしたんですか?」
ふと、いまミナトを見たときに思い出したのだ。あの鼻歌と悲鳴の先に何があったのだろうか、と。
当のミナトはその問いを聞いてニンマリと笑った。ニコッと何か擬音がしそうな感じで。何故かは知らないが無言の圧力をかけて。
「―――本当に、聞きたいのかしら?」
「………」
「どうしたのルリルリ? 顔色が悪いわよ?」
「……いえ。やっぱり遠慮しておきます……」
「そう。―――残念ね」
その圧力の前に聞いてはいけないと本能が判断を下した。聞けば何か良くないことが起きるぞ、と。
苦笑いをしているルリを見てミナトは何事も無かったように軽やかに笑っている。そして、笑いながら、医務室の方にルリに気付かれぬようチラリと一瞬だけ視 線を送ってから独り言のように静かに言った。
「まぁ……あの子もそういうお年頃ってことね。やけに行動が大胆な気もするけど」
そうして更に笑いを深くした。
ミナトの様子を見ながらはぁ……、と空返事しているルリに向けてそれじゃあね、と短く別れの言葉を継げて彼女は曲がり角の向こうへと消えていった。
暫くそのまま呆然と立ち尽くしていたルリだったが、ハッと自分がすべきことを思い出す。頬を軽く叩き、良しっ! と渇を入れる。それから艦橋に向けて歩き 出す。
足を動かしながら、大変なことになったな、と思う。
そしてどうなるのだろうか、と考える。
当然わからない。
わからないが、今はそれでいいと思う。後になってわかればそれでいい。今はわかるように行動するだけだ。
うん、と頷く。そして顔を上げれば丁度艦橋に繋がるドアが開ききり、こちらを見ているクルー達の顔が見えた。思ったよりも長く考えていたらしい。
さぁ、今自分が行うことは唯一つだ。
艦橋全体を、こちらに頷きを返してくるクルー全員の顔を確かめるようにグルリと見渡す。
それから大きく息を吸い皆に聞こえるように大声で叫ぶ。先へと進むために。真実を知るために。夜はもう明けたのだから。
「ナデシコB艦、地球へと向けて―――発進します!」
後書き めいた独白
こんにちは。青柳詩葉です。納品期限微妙にオーバーしました。ゴメンナサイ。
えーと、はい。とりあえず2話です。何か出来上がりました。
………。
なんかあまり書くこと無いなぁ。
―――あぁ、そうだ。
後半ほど文章が粗野になっていくのは見逃して下さい。
……ゴホン。まぁなんですか。これ以上なんか書いてもろくな事書きそうにありませんので、ここいらで止めましょう。
それでは……また次周。
はい。 次回走者のエフィンより感想です。感想苦手ですが(;゜Д゜)
えと、自分が良いと思ったのはウリバタケがラピスの心の成長(ちと違うか)を促す…説教シーンが良かったです。
なんつーか、、ラピスが本当にアキトと一緒に居たいという動機を明確化させるフラグだと思います。
ここんとこ巧く繋げられると良いなぁと思ってます。エヴァとのクロスが本格化するまで、各キャラクターの心・感情の推移がメインかなぁと思ってた矢先の第2話。
実に良い感じでラピス・ルリの想い・悩みetcが描かれていていました。
場面の切りどころ、またナデシコならではのコメディのタイミングも絶妙でした。そこの所を見習いつつ、自分も頑張りたいと思います。