黄昏の夢
第六話
『黒き王子は福音の子と出会う』
其処が何かの部屋であることは一目瞭然だろう。下座に男がいて、それを取り囲むように男を呼んだ者たちがいるのだから。
だが、その部屋はあまりにも異常。
呼び出された男を照らす照明以外は存在せず、部屋の全貌がどれほどなのか計り知れない。
何より、この部屋に呼んだ者たちは椅子に座り男を待っていたのではなく、ただの長方形――モノリスと呼ばれるそれに番号を振っただけの姿しか見せ ていないのだ。
「<使徒>再来か。あまり突然だな」
「十五年前と同じだよ。災いは何の前触れもなく現れる」
どの声もしゃがれた老人の声。彼らはこの世界を裏から牛耳る組織<ゼーレ>のトップに立つ者たちである。
「だがその災厄に備えるため、我々の先行投資が無駄にならずに済んだことは極めて僥倖とも言えよう」
「左様。でなければ国の一つや二つが容易く買えてしまうエヴァを作った意味もない」
「だが、彼はエヴァをまるで子供に与えるおもちゃのように自分の子供に預けたというではないか」
「子供に与えるようなおもちゃではないのだがね」
そんなはるか雲の上に存在する者たちのどうでもよい戯言を、時折交じる罵詈雑言を呼び出された男は――碇ゲンドウは表情も姿勢も崩さずただ聞いて いた。
彼にとってゼーレのトップと言えどボケた老人たちの戯言にしか聞こえない。
彼の頭の中にあることは常に一つだけなのだから。
「静まりたまえ」
「議長」
いい加減、鬱陶しくなってきた議員たち戯言をたった一人の男がたった一言で遮った。
この場ではゲンドウ以外で初めてモノリスではなく顔を見せた議長にしてゼーレの長、キール・ロレンツである。
「とりあえずは使徒の撃墜、おめでとうと言っておこう」
「ありがとうございます」
「エヴァの方も問題はないようで何よりだ」
「議員の皆様の言うように、でなければ作った意味などありません」
どちらも感情をこめずに淡々と事実だけを述べる社交辞令。
「君の息子にエヴァを与えたことに対する委員たちの怒りももっともだが、今回の議題はそれ以上に重要な事でもある」
キールの言葉に顔を映していない委員たちの顔が唖然となって呆けているに感じられた。
そう、今から話される議題はまだわかっていないが彼らにとってもこの世界にとっても一番のイレギュラー要素。
彼らが指標としている<死海文書>に登場しなかった予定外の出演者。割り込んできた役者。
キールの頭上に映し出されたのは小さな塊。膨大な熱量にさらされたせいか塗装は剥げ、いびつにひしゃげている。
キールが出したその映像に、議員たちのモノリスが困惑めいた様子を見せる。
こんな小さな欠片一つ、一体何が問題なのかわかっていないのだ。ゲンドウとキールを除く全ての議員たちが。
「……議長、この欠片がどうかしたのですか」
議員の一人が意を決して問う。
キールに楯突いたと見なされれば彼の首など数分も経たずに無くなってしまう。それでも彼は問うた。
その恐怖を押し退けてキールに意見を述べた彼を、他の議員たちは一部だけを除いて笑ったりはしなかった。
「諸君の疑問ももっともだろう。これは、ただの合成樹脂とセラミックにしか過ぎんのだからな」
議員たちが固まる。キールの言葉を受け入れるのに、誰もが多くの時間をかけた。そして理解すると同時に動揺が奔った。
そんな議員たちの動揺など気も止めず、キールは今回の本題へと続けるように言葉を紡ぐ。
「だが材質など問題ではない。この程度ならば我々の技術でも十分に作ることが可能だ」
ならば、ならば何故この小さな塊が議題にのぼるというのだろうか。
そんな議員たちの言葉にならない質問に、キールは表情を崩さず言葉を紡ぐ。
「そう、諸君らの思うようにこの程度のものが何故議題にのぼるのか不思議でならないだろう。
事実、私とてこんなものに興味は微塵もない。が、これが発見された場所が問題なのだ」
「と、言いますと?」
「これは昨晩の第三新東京都市、すなわち使徒の撃退現場より発見されたのだ」
一瞬で議会に衝撃が奔った。
使徒を破壊した場所にいたのはエヴァと使徒のみ。使徒の構成物質はまだわからないがエヴァの装甲はそんな安っぽいものではない。
本来なら存在し得ないはずの小さな塊。だが確りとそれは今この瞬間に存在している。
そのことから導きだされる結論は一つ。
「まさか、あの場所に何者かが介入していたと」
「その通りだ」
今度こそ、議員全てに動揺が奔った。口々に喚き立てて意味のない推論を幾度と繰り返す衆愚の群れを視界から排除してキールはこの映像を入手した張 本人
「碇、例の映像を」
キールと喋って以来、ずっと黙っていたゲンドウに命じ
「はい」
たった一言だけを発してゲンドウは手元のパネルを数回叩いて操作する。
使徒に掴まれ光のパイルを連続して撃ち込まれる初号機。
ひび割れる頭部装甲。抵抗出来ない初号機。
もう一撃、もう一撃で装甲が砕けて光のパイルが初号機の頭部を貫き通す寸前、突如として響く爆裂音と画面を覆い尽くす爆風。
それはつい先日、初号機の初陣の映像だった。
「スローで再生する。もう一度よく見たまえ」
結果的に勝ったとはいえあまりも無様な戦いを見せる初号機に忍び笑いをもらす(一部は明らかに侮蔑の視線をゲンドウに向けている)議員たちに嘆息 し、キールはもう一度同じ映像を今度は超スローで再生する。
ゆっくりと再生される同じ映像。何度見たところでまったく同じ映像なのだから変化などあり得ない。
「……ぬ?」
だが一人の議員が違和感に気付いた。爆裂音と爆風が生じる寸前、夜の闇に紛れていることとスロー再生ながらなおブレているためわかりにくいが桃色 の何かが上から落ちてくる姿を。
「なんだ今のは」
「まさか議長。先ほどの塊は」
「左様。この塊はその黒い<何か>のものと断定できる。既にネルフが詳細を調べるために動いている」
そうだなとバイザーの奥に隠された双眸がゲンドウに問う。
ゲンドウは小さく頷く。無論、肯定の意である。
「では碇。任せるぞ」
「はい。私たちの悲願<人類補完計画>も万事滞りなく進んでおりますのでご安心ください」
「その言葉、信じよう。本日はこれに解散」
キールの言葉で議員たちのモノリスは一斉に消えていく。
最後に残ったのはキールとゲンドウのみ。
「碇、もう逃げられんぞ」
キールが去り際に残した言葉に、ゲンドウは低く小さく笑って応えるだけだ。
「良かったのか、碇。彼女を目覚めさせないで」
議員たちの小言を聞き終えて招集された部屋から出てきたゲンドウに、彼の秘書役であり同じ目的を持つ同志の冬月が問う。
その一番最初の目的が今回で成らなかったことに、彼は少し危機感を抱いていた。
対するゲンドウからは表情も感情も揺らぎは見当たらない。否、そもそもだ、この男にはそういったものを期待するだけ無駄というもの。
あの人を失ったその時から、ゲンドウの心の時間は停止したまま凍りついている。
「大丈夫ですよ冬月先生。使徒はまだまだやってくるのですから<アレ>が目を覚ます機会は、いくらでも存在していますよ」
ゲンドウは冬月にそう応えて部屋を後にする。その声音は今まで無骨で無機質なものではなく、恋人を待ちこがれる男の様。
そして恋人を迎え入れるために不可欠、彼の目的を完成させるための道具、その手入れをしなければならないのだから。
道具の手入れを怠ればどこかで齟齬が生じてしまい目的通りに事が運ばなくなる。
そうならないようにするないため、何よりゲンドウ自身に縛り付けておくためならば彼はどんな道具の手入れも怠らない。
例えそれが、人の形をしていようとも。
「あの……ミサトさん」
不安げにミサトに尋ねるシンジ。現在、ミサトの言う<いい所>に向かってズタボロになったルノーの中。
後部座席にはシンジの歓迎会のために購入された食品類や飲料の山。構成は主におつまみとビール。
ガタガタと揺れるルノーを走らせること約十分強。二人は街が一望出来る丘の上にいた。
今は既に夕暮れ時であり昨日の深夜に使徒が襲撃してきたこともあってか、人の姿はまったく見当たらない。
夕焼けに染まる町並みは都会にありがちな乱立するビルが遥か遠くにしかなく、ただの原っぱのように広々としている。
所々が機械で彩られているだけにその寂寥さがより一層感じられるような、そんな街。
「……寂しい街ですね」
そう感じ取ったシンジは素直にそれを口にする。
だがミサトはシンジの言葉に笑顔を返すだけで何も答えない。それどころか腕時計を見たままなのだ。
(どこがいい所なんだ)
口には出さずに心の中で思わず悪態をついてしまう。
思わせぶりな口調でいい所と言われたからもっとこう、子供の想像つかいないような所に連れて行かれると思っていた。
だが現実は何もないただの機械な面が広がる広い地平だけ。
「時間だわ」
「え?」
腕時計から顔を上げてぽつりと呟くミサトと何が時間なのかわからず聞き返すシンジ。
直後、鳴り響く警報。ついさっき、使徒が襲来した時には聞かなかったそれにビクッと体を縮めて目をつむってしまう。
そんなシンジの様子にミサトは仕方ないかとも思う。なにせ、いきなり戦えと言われてエヴァンゲリオンに乗らされたのだ。
トラウマになってない方がどうかしている。
そしてそのトラウマを除くためのメンタルケアを、彼女は自ら買って出たのだ。だからこそこの場所を選んだ。
「大丈夫よ、ほら見てみて」
ミサトに言われてシンジはゆっくりと目を開いていく。
この場所なら、戦う理由を見出すことも可能かもしれないという希望と彼女の願望。
良い人を演じながら自分の半分近い年齢を戦わせる悪い大人たち、そう思わせないためにもっともな理由を与えることが出来るこの場所なら、と。
「うわぁ……」
視界に広がる光景に感嘆のため息がもれた。
機械に彩られていると思っていた場所からせり上がってくるビル群。
落ち行く夕日を背にそれらがせり上がってくる様は、まるで神話に登場する神殿や建造物を彷彿とさせる神々しさがあった。
「すごい……ビルが」
その光景にシンジは完全に呑まれていた。
いや、この美しくて神がかった光景を初めて見て呑まれないものなどいないだろう。
それほどこの丘から見える街の光景は、美しかった。
「これが使徒迎撃戦用戦闘都市、第三新東京市。私たちの街よ」
迎撃? 戦闘用? 二つの不穏な単語も今のシンジには届いていない。
ただ呆然と、その神懸かりな光景に目を奪われ続けるだけ。
「そして貴方が守った街よ」
今の一言でシンジはようやく我に返った。
守った? 誰が? 僕が? どうやって? あのロボットで?
そう思うと自然と笑みが浮かんでくる。
確かに怖かった。足がすくんで指も腕も足も震えて恐怖と極度の緊張で心が砕けそうになって、神経に直接響く痛みに泣き叫びたくもなった。
それでも、それでもこうやって“守った”と言われると嬉しいものがあった。
今まで誰にも必要とされなかった自分が、初めてと言ってもいい、誰かのために役に立てたという事実が、何よりも嬉しかった。
「さ、今度こそ私たちの家に帰って歓迎会をするわよー♪」
今までの神秘的空気を一撃で打ち砕くミサトの軽い言葉に、思わず苦笑をもらしてしまう。
けどそれが今のシンジにはちょうど良いのかもしれない。
知らない土地。知らない人。知らないモノ。全てが知らないことだらけのこの世界。
ここで変に暗くされるよりも無理に明るく振る舞ってもらった方がいい。
「あのミサトさん……」
「ん? なぁに?」
「私“たち”の家って?」
ミサトの家のはずがどうしてシンジの家のように扱われているのだろという、とても素朴な疑問。
他人の家なのだからシンジはただのお客様。ミサトの家にお邪魔する側なのだ。
歓迎会というのも単にシンジが第三新東京市に来たことを祝うものだと思っている。
が、ミサトの返答はシンジの予想を斜め45°をいくものだった。
「あら? シンジ君は新しい同居人なんだから私“たち”の家で間違いないわよ」
またも呆然としてしまうシンジ。
しかしよく思い出してみればミサトが電話していた時に、引き取ることをどうこう言っていたような気がした。
その時はよく知らない人について行っていたからほとんど聞き流していたので、詳しくは思い出せないが。
「でも、僕なんかがお邪魔して」
「でももストもなーいの。そ・れ・に、お邪魔じゃなくて新しい家族を迎えるようなものなだから、お邪魔しますじゃなくてただいまって言うのよ?」
有無を言わさない強気な言葉であったが、それでもシンジの心に暖かなものが溢れてくる。
家族。
それはシンジが一番欲しくて欲しくて仕方なくて、でも一番遠いところにあったもの。
「……はい。あの、これからお世話になります。ミサトさん」
知らず、シンジの顔は柔らかくなって微笑んでいた。
「うんうん。さ、今度こそ私たちの家に帰るわよ!」
「はい!」
山にかかる夕焼けを背景に、二人しておんぼろルノーに戻ろうとした矢先のことだった。
ガサッ
「あれ?」
「ん? どうしたのシンジ君」
「いえ、あの、そこの林の中でさっき物音が」
「そう? 空耳じゃない?」
「そう……ですよね」
そう自分に言い聞かせながらもシンジはどうしても林の中が気になって仕方なかった。
まるで磁石のN極とS極が引き合うかのように、あるいは動物の雄と雌が自然と寄り添うかのように。
そう、林の中にいる<何か>とは何故か切っても切れぬ縁、比翼の翼、連理の枝、シンジはそんな感じがしていた。
「……やっぱり気になります!」
「あ、ちょっとシンジ君!?」
ミサトが引き止めるのも聞かずにシンジは林の方へと走り出す。
そのすぐ後をミサトも追う。もし、シンジが聞いた物音がネルフに敵対する組織から使わされた者なら一大事である。
まだ情報は漏れていないはずだが万が一という言葉もある。
「ミサトさん!!」
シンジの慌てた声にミサトは軽く舌打ちしていつでも懐に隠した拳銃を撃てるようにして、シンジが入っていった林の中に自分も入っていく。
「……人?」
そこには全身真っ黒の怪しさ大爆発な男(?)が倒れていた。あまりにも怪しすぎるその出で立ちにミサトが眉をひそめるのも当然だろう。
だが彼のすぐ傍で必死に呼びかけるシンジの声に呆然としているわけにもいかず、
「どいてシンジ君」
冷静に呼吸と心臓の鼓動を確認する。安定した呼吸のリズムに心臓の鼓動が服の上からもミサトの手へとしっかりと伝わってくる。
シンジの心配そうな視線がミサトと男の間を行ったり来たり。
「……大丈夫よ。どういう理由かわからないけど気を失ってるだけみたいね」
「よかった……」
「とにかくこんなところで寝かせてられないわね。病院に運ぶからシンジ君も手伝って」
「あ、はい」
体格からミサトが男を背負い、シンジがそれを後ろから支えるという形になって二人はルノーの後部座席に乗せ、病院へと走らせる。
(なんだったんだろう……さっきの変な画面)
未だ目覚める気配のない男を心配しながらも、シンジは男に触れた時に脳裏に見えたテレビ画面のような何かが気になっていた。
画面は砂嵐で何も映っていなかったが、ひどく嫌な感じがしたのは確か。
見てはいけない、けれど見たくてしかたない。
そんな矛盾した気持ちを抱かせられた不思議な画面。
(……気にしても仕方ないよね)
さっき見た不思議な画面を頭の片隅からおいやって流れて行く景色をぼんやりと見ている内に、シンジはいつの間にか眠ってしまっていた。
「ま、色々とあったものね。おやすみなさいシンジ君」
次に起きた時にはもう、不思議な画面のことは覚えていなかった。
(…………俺は、一体)
部屋全体が純白に彩られた部屋で、唯一の黒を彩る男が薄らと目を開いた。
体の下全体に何かがある感触から、自分がどこかに寝かされていることはすぐに把握できた。
(……くそ、バイザーは)
視界を確保して周囲を確認しようとしたが、彼の視覚と聴覚を補助するものがないため目に映るのは明暗の強弱のみ。
光の明暗は天井と左側が極端に明るくなっていることから、ここがどこかの部屋で左側に窓が配置されている構図になっていることを把握する。
そしてより詳しく知るために必要なバイザーを手探りで捜索するも目当てのものは見つからない。
人にとってもっとも重要な二つの器官がろくに働かない今、彼は再び自分の体を預けているものへと倒れる。
まず考えるのはここがどこかということ。少なくともナデシコの中でないことは明白。
ナデシコの中ならばバイザーは常にかけられた状態になっている。つまり、ここは全く見知らぬ場所ということ。
火星の後継者の残党にでも捕まったかとも思うがその可能性も却下された。
もしそうならば彼は今頃五体満足でいられない。すぐさま処刑されるかナデシコをおびき寄せる餌にでもされているだろう。
(……とにかくどうにかしてナデシコに連絡を取らないとまずいな)
ひどくあやふやで曖昧な記憶しかないのだが、確かにエステのコクピットに跳び、そこからどこかへ向かって落ちていった記憶がある。
無意識的に跳んだせいでエステがどうなったかも覚えていない。無事ならばリリィあたりが反応を見つけてナデシコがすぐ迎えに来てくれるだろうがそ うでないなら絶望的。
彼自身から連絡する手段を色々と考えなければならない。が、あいにくと彼はナデシコ共通の通信手段、コミュニケを持っていない。
(ハ、どっちにしろ連絡は絶望か)
自嘲めいた嗤いが漏れる。だが絶望的状況など既に慣れきっているのだ。
それに今も生かされている以上、自分に何らかの利用価値があるということぐらいは彼にもわかる。
だったら意地汚いと言われようとも生き抜いてみせる。それが彼の覚悟であった。
(ん? 風向きが変わった?)
視覚、聴覚、味覚はほとんど機能しなくても触覚だけはしっかりと生き延びている彼の肌が風の流れが変わったと言う。
ここは部屋、そして風向きが変わる、つまり誰かが扉を開いてここに入ってきたということだ。
現れた影の数から人数は三人。小さな物音程度にしか聞こえないが何か話し合っていることがわかる。
(試してみるか?)
話が通じる人ならばよし。そうでないならばそれまで。
ある種の賭けを彼は迷うことなく敢行する。
「……すまないが、バイザーを」
人影が慌てたような感じを醸し出すが彼に関係はない。あるのは成か否かの二択。
「バイザーがないと目も見えなければ耳も聞こえない」
こんなことを言われてバイザーをかけない人間など、彼を実験動物と扱う者以外いないだろう。
ここの人はそういった類いの者たちとは違うようで、彼の顔に何かがつけられる感触と共に視界と音が鮮明に入ってくる。
彼の視界に映ったのは安堵の表情をする学生服を着た少年、難しい顔をした医者と、少し疑いの目を向ける女。
「私の声が聞こえますか?」
「ああ」
別に邪見に扱う理由がなく、医者の風貌をした男に質問をされたので素直に答える。
「長いこと眠っていたので心配しましたが、無事に目を覚まされてよかった。
彼らが、倒れていた君を見つけてここに運んでくれたのですよ」
「そうか。ありがとう」
感情のない社交辞令のようなものだが、何故か少年の顔が少しだけ嬉しそうになったことに彼は少し不思議に思えた。
もっとも、彼自身が素直に礼を口にすること自体が珍しいのだ。
普段の彼を知る者がいたらひどく慌てたことだろう。
それはさておき医者の質問はなおも続き――
「――身体自体に治療が必要な外傷はありませんが、念の為ということで精密検査をさせていただくことになります。よろしいですか?」
もっとも、精密検査などただのお題名目。
実際は彼が身につけていたオーバーテクノロジーの数々(バイザーもその一例)の解析、及び例の欠片について最重要人物である可能性が高いことにあ る。
「ああ、構わない」
「わかりました。では、まだ疲れているかもしれませんので本日はこれで」
「行くわよ、シンジ君」
「あ、はい」
医者のもっともな言葉に少年と女が部屋から出て行く。
「あの」
今まで黙っていた少年が部屋から出る前、彼に振り返って口を開いた。
別にタイミングを待っていたわけではない。ただ、言葉を紡ぐ勇気を必死に貯めていただけ。
「どうした、連れの人はもう行ったんじゃないのか」
「いえ、そうじゃなくて……名前、聞いてなかったから」
後になって思えば少年がこんなことを言う必要はなかった。けれど口が自然とそんな事を紡いでいた。
彼も彼で答える必要などなかった。けれどそうするのが当然のように口が勝手に答えていた。
「テンカワ、テンカワ・アキト」
「テンカワ……アキトさん……あ、僕は碇シンジです」
「シンジ君ー?」
「あ、今すぐ行きます! それじゃ」
彼――テンカワ・アキトの名を刻み込むように少年は心の中で何度も反芻する。
それは連れの女に呼ばれるまで続き、シンジが気付かない内に心の中に深く深く刻み込まれていた。
「イカリ・シンジ……か」
こちらも似たようなものだった。
だがこちらはシンジと違い、まるで親の仇とばかりに昏くてどろどろとした嫌な感情が渦巻いている。
「……何故だ。何故、あんな見ず知らずの子に対して俺は」
北辰と同じような気持ちになる。
アキトの言葉は誰の耳にも届かなかった。
「気のせいだな。あんな子が北辰と同類のはずがない」
そんな自分の思いを打ち消すように、あるいは自分に言い聞かせるようにアキトは一人呟く。
「知らない天井、知らない部屋、知らない世界――か」
あとがき〜
黄昏の夢、第六話いかがでしたでしょうか。
正直な話、私みたいな駄目の上に蝶がつく蝶・駄目SS作家が主人公二人の出会いをやったんでもう不安で不安で。
そして今回、ナデシコの面々は出てきませんでした。期待していた方ごめんなさい。
きっと次のライターである浮気者さんがやってくれる(はず)ですから。
後書きとか苦手なんで、短くなりますがその辺は平にご容赦を。
感想
皆様ご機嫌麗しゅう。
リレー小説第7走者にして次話担当の浮気者でございます。
レベルの高い作者様方に囲まれて少々焦りを感じつつ、火炎煉獄さんの作品に感想を添えさせていただきます。
さて、ここまで読み勧められた皆様はお分かりかと思いますが、この『黄昏の夢』第6話で最も重要なポイントはアキトとシンジ、物語の鍵を握る二人の主人公
の邂逅でしょう。
『黄昏の夢』がただのナデシコ小説でもただのエヴァ小説でもないクロスオーバー小説である以上、自然二人の主人公たちの絡みに関心が集中します。
今回やっとの初顔合わせ、なんだか因縁やら伏線やらがある様子、今後二人の関係がどのように変化していくのか私も読者のひとりとして楽しみにさせてもらい
ます。
とりあえず次の話は私が作者ですので楽しみにしてばかりはいられないのですけれどね。伏線 ( ..)φメモメモ
そうそう、アニメ見てるときにはさらっと流してしまいがちですが、ゼーレやゲンドウの裏でのやり取りにも目を向けなければなりません。
特にエヴァはシンジ・アスカ・レイ・ミサト・加持・ゲンドウ・ゼーレなど、様々な人物の思惑が複雑に絡み合っていますからね。
そこにアキトやナデシコ勢も突っ込まないといけないんですから大変です。
最終的にどんな結末になるかは我々作者にも想像がつきません。
特異な発想力の持ち主ばかりなのでなおさらです(笑)
では、次は私の番です。
今までのsound onlyなモノリスから脱し、浮気者の全貌をお見せするチャンス。
不束者ではありますが、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
あまり期待しすぎないで次話をお待ちください。