シルフェニアリレー企画
黄昏の夢
the red world and true black
第七話
私と貴方の距離
「た……ただいま」
「おかえりなさい」
ミサトの満面の笑みを恥ずかしげに見上げながら、シンジはこれから一緒に暮らすことになるミサトの部屋へと足を踏み入れる。
「ちょ〜っち散らかってるけど、気にしないで」
それはシンジに言わせればちょっとどころでは済まない有様だった。
テーブルの上は食器・割り箸・ビン・缶・レトルト食品の乗せ皿、ピザの箱と一欠片の食べ残しなどが山積みになっていて手をつくこともできず、フローリング
の床の上にも雑誌や段ボール箱・食べ物の袋・缶ビールの山・丸めた紙くずなどが散乱している。
流し台には大量の食器が置きっぱなしになっており、ゴミを満載にしたゴミ袋も溜まっていた。
厳しい伯父のもとで規則正しい生活を送ってきたシンジにとっては頭がくらくらするような光景だった。
「待ってて、今食事の仕度するから」
立ちすくむシンジに気付かず、ミサトは帰りに買ってきたレトルト食品を電子レンジに放り込む。
待っている間に着替えるつもりか、他の部屋へと引っ込んだミサトは、ふすまの間から首だけを覗かせてシンジに言った。
「それ冷蔵庫に入れといてね」
「あ、はい……」
コンビニの袋を抱え、シンジは言われるままに冷蔵庫を開ける。
ヒヤッという冷感と共にシンジの目に飛び込んできたのは缶ビールとおつまみ。
他には何もない。
見事にそれだけだ。
そういえば今日買ってきたものも冷蔵庫にしまうべきものは缶ビールとおつまみだけだった。
この家の食事事情に冷や汗を垂らしつつ、隙間なく冷蔵庫内を占拠している缶ビール軍団に悪戦苦闘していると、不意にシンジは部屋の奥にあるもう一つの巨大
な冷蔵庫に気付いた。
こっちの冷蔵庫も使えるのであろうか。
「ミサトさん、こっちのでっかい冷蔵庫は……?」
「あ〜、そっちはいいの。まだ寝てると思うから」
「寝てる?」
ミサトの言動は意味不明だったが、ともかくこちらの冷蔵庫は使えないようだとシンジは判断した。
シンジが四苦八苦してなんとか全てのビールとおつまみを冷蔵庫に押し込み終えると、ミサトはすでに着替えを終えて強引にスペースを空けたテーブル上にレト
ルト食品たちを並べているところだった。
「さ、座って座って」
「はい……」
二人は向かい合って座り、どちらからともなく両手を胸の前で合わせる。
「「いただきます」」
と同時に、ミサトは目の前に置かれたよく冷えた缶ビールへと両手を伸ばした。
ぷしゅっ んぐんぐんぐ っぷはーーー!!!
「く〜っ! このときの為に生きてるようなもんよね〜♪」
豪快に喉を鳴らしてビールをがぶ飲みするミサト。
シンジが今まで見た中で一番幸せそうな顔をしていた。
そんなミサトの無意味な全開ぶりにたじろぎながら、食事の席にレトルトが並ぶことなど滅多になかったシンジはちびちびと箸を進める。
食事が進んでいない様子のシンジに気付いたミサトは一転心配そうな顔になって声をかける。
「どしたのシンジ君? 食欲ない?」
「あ、いえ……」
少々口ごもりながら、シンジは続ける。
「その、こういう食事に慣れてないので……」
「む〜? 駄目よ、好き嫌いしちゃ!」
「え、は、はい……」
そういう問題ではなかったのだが、身を乗り出してきて叱り付けるミサトの迫力に押されてシンジは肯定の返事を返す。
するとミサトはにっこりと笑顔になった。
「楽しいでしょ」
「は?」
ミサトの唐突な言葉にシンジは思わず聞き返す。
「こういう賑やかな食事。楽しいでしょ?」
「はあ」
ミサトの言わんとすることは理解できた。
伯父のもとでの食事は確かに静かなものだった。
しかし楽しい?
目の前の女性はビールをがぶがぶと飲み続け、妙なハイテンションで何事かをまくし立て、出されている料理はオールレトルト。
楽しい、だろうか?
否定する要素はない。
楽しいのかも知れない。
「ね? パーッとやろ、パーッと。シンちゃんも飲む?」
飽きもせずにビールを飲みつつ今まで口をつけていた缶ビールを突きつけてくるミサト。
その誘いは丁重に断って、シンジはこれからの生活に想いを馳せる。
まずテーブルと床の上に散らばっているゴミを全て片付けなければならない。
掃除機をかけて雑巾がけして、この地域はゴミは何曜日なのかな?
自分が与えられた部屋の整理もしなければならないし、台所を料理ができる場所にするのは骨が折れるだろう。
今までは作ってもらってばかりだったけど、これからは自炊を覚えないと。
……………………
マイナスなイメージばかりでヘコたれそうになる。
しかし見たところミサトの生活能力は0だ。
自分が頑張らなければこの家は地球最後の魔境と化す。
シンジが悲壮な覚悟を決めていると、すでに空き缶の山を築き上げていたミサトが思い出したよう言った。
「あ、そうそうシンジ君。大事なこと忘れてたわ」
「はい?」
シンジはおもむろに突き出されたミサトの握り拳を見つめてポカンとなる。
ミサトは酒臭い息を吐きながらニッと笑った。
「生活当番決めなきゃね。公平にジャンケンで」
重ねて言うが、見たところミサトの生活能力は0だ。
シンジは悟りきったような表情でジャンケン勝負に臨んだ。
「風呂は命の洗濯よ」
ジャンケン勝負に圧勝し、さらにハイテンションになって酒を煽るミサトと反比例するように小さく縮こまって辛気臭い顔になっていくシンジに、ミサトは風呂
を勧めた。
ミサトのノリについていけないシンジを、ミサトは『あんなこと』があったばかりだから嫌なことでも思い出しているのだろうと勘違いしたらしい。
あの夜、ミサトはボキャブラリーを総動員してシンジの活躍を褒め称えたのだが、なぜか彼は沈んだ様子のままだったのだ。
「嫌なことは全部水に流してらっしゃいな」
「はあ」
促されるままに風呂場へ向かう。
荷物をあけるのはメンドくさいのでバスタオルだけ借りて脱衣所に入り、制服を脱いでいく。
すると突然浴室の戸がピシャンと開け放たれ、中からずぶ濡れのペンギンが出てきて身体を震わせて水切りをし、何食わぬ顔で脱衣所から出て行った。
……………………
もう一度言う。
浴室からなぜか突然ペンギンが現れてシンジのことなど歯牙にもかけずにそのまま出て行ったのだ。
「…………え〜と……」
シンジはしばらくブリーフに手をかけたままの姿で固まっていたが、やがて今のは幻と思うことに決めたようである。
浴室の中を慎重に確認し、他に異常がないことを認めると、シンジはほっと胸を撫で下ろして再びブリーフに手をかけ……
「シンジ君〜?」
「!?」
ミサトの声と共に脱衣所の戸が開かれる。
ミサトは戸の隙間から首を覗かせて用件を伝えた。
「さっきのペンギンね、ペンペンっていうの。もう一人の同居人よ。仲良くしてあげてね」
「は……はあ……」
言いたいことを言い終えるとミサトはさっさとリビングに引っ込んでいった。
あとにはブリーフに手をかけたままの姿で固まったシンジだけが残された。
「…………へっくし!」
まだ荷物を運び込んでいない為に何もない真っ暗な部屋、一つだけポツンと置かれたベットの上に横になって、シンジは近所迷惑にならないようイヤホンをつけ
て音楽を聴いていた。
いつもは心を和ませてくれるお気に入りの曲も、今夜の彼の心には寂しさしかもたらさなかった。
ごろんと寝返りを打って天井を見上げる。
その天井は知らない天井。
「当然か。この街で知ってるところなんてないんだから」
そう呟いた彼の頭の中に、今日一日自分を引っ張りまわしてくれた自分より一回り年上の女性の声がリピートする。
「『ここは貴方の家なのよ』……か……」
ここは自分の家。
そう言われても、シンジには実感が湧かなかった。
それはまだここに慣れていないからなのか、それともここは自分に相応しい場所ではないと感じているからなのか、それはシンジ自身にもわからなかった。
しかし以前いた伯父の家が自分の居場所だと思っていたのかというと、正直言って肯定はできない。
あそこは自分の居場所ではない。
捨てられた自分が、巡り巡って行き着いた場所。
迷惑にならないように隅の方で縮こまって、手を煩わせない良い子になって、言われるままに逆らわずに生きてきた。
他に行き場もないのに、そこは借り宿だった。
自分はお客さんだったのだ。
『ここは貴方の家なのよ』
「……なんでここにいるんだろう」
それは父親に呼ばれたから。
「なんで今更、僕なんかを呼んだんだろう」
EVAに乗せるため。
使徒を倒す為。
「EVA……使徒……」
自分はEVAに乗って使徒と呼ばれるものを倒す為にこの第3新東京市に呼び出された。
EVAは使徒を倒す為に作られた汎用人型決戦兵器だと聞いた。
では使徒とはなんだろう?
それは誰も教えてくれなかった。
皆は言う。
使徒は人類の敵だ。
倒さなければならない敵だ。
お前はEVAに乗って敵を倒せばいい。
そういうことじゃない。
あれはなんなんだ。
どうしてあんなものが存在するんだ。
どうして人間の敵なんだ。
どうしてこの街に攻めてくるんだ。
どうして戦わなくちゃいけないんだ。
大人は何も教えてくれない。
言われるままに、シンジはEVAに乗った。
そして殺した。
胸の、肋骨のようなものに包まれた、血のように赤い色の球体に、逆手に持ったナイフを突き立てて。
球体はあっけなく一撃で砕け散った。
(その瞬間、僕はこの手にぬるりとした感触を確かに感じたんだ!)
それは血だった。
EVAがナイフを握っているのと同じ右手が、返り血で染まっていた。
真っ青に。
使徒の流す青い血で、シンジの右手は汚れていた。
実際には使徒のコアは血なんて流していないし、コアが潰れてすぐに使徒は光の柱の中に消えた。
しかしLCLに満たされたエントリープラグの中で、シンジは確かに自分の手が青い血の返り血で汚れているのを見た。
幻でも何でも、使徒の青き血はシンジの記憶の中にしっかりと刻み込まれていた。
思い出しただけで鳥肌が立つ。
冷や汗が流れ、体ががくがくと震える。
暗闇の中で、シンジは自分の右手を見つめた。
闇の中にうっすらと浮かぶ白い手の姿、青く濡れてはいない。
(この手で僕は……僕は…………)
そのとき、部屋の戸が開け放たれ、外の電灯の光が部屋の中をうっすらと照らし出す。
シンジは思わずMDプレイヤーを止めてとっさに眠ったフリをしてしまった。
「シンジ君……」
ミサトの声だ。
ミサトは戸を開けたまま部屋に入ってこようとはせず、そのままシンジに声をかけた。
「貴方は人に褒められることをしたのよ。誇ってもいいことだわ。……がんばってね」
それだけ言ってミサトは部屋の戸を閉める。
閑散とした部屋が再び闇に包まれた。
『正午のニュースをお伝えします』
正面のモニターに衛星から傍受した主に日本で報道されているニュース番組が数十局分一斉に映し出されていた。
代わり映えのしないニューススタジオの中央に腰を下ろして手元の記事を読み上げるアナウンサーの声が幾重にも重なってブリッジ内に響く。
『先日の第3新東京市で発令された特別非常事態宣言に関して、政府の見解は――――――』
ニュースを読み上げるアナウンサーは老若男女様々ではあるが、内容はどれも似たり寄ったり。
原因不明の爆発事故が起きたこと、どこどこの地域に被害が出ていて幸いにも犠牲者は一人もいないこと、事故現場付近で行われていた国連軍の演習は事故とは
なんの関連もないことなどを平坦な声で口々に伝えた。
「どうなってんだ? あの化け物や紫色のロボットのことはなんにも言ってねえじゃねえか」
パイロットスーツのまま待機していたリョーコが怪訝そうな声を上げる。
それにうんうんと相槌を打ちながら、ヒカルも疑問の声を漏らす。
「そうだよね〜。怪獣と正義のヒーローが戦ってヒーローが勝ったんだから、もっと盛り上がってもいいと思うんだけど。誰も見てる人がいなかったのかな
〜?」
「ヒーローが勝ちを拾った……」
ぼそりと呟くイズミを無視して、これらのニュース映像を拾ってきたイネスが口を開く。
「目撃者がいなかったとは考えにくいわ。口封じされたか、それともマスコミに規制がかけられたのか、ともかく関係者各位はあの日の出来事を世間に伝える気
はないようね」
「報道規制、ですか。どうやら怪獣と戦うヒーローなんていう単純な構図ではないみたいですね」
艦長席に座るルリは難しい顔でハアとため息をつく。
次々と浮かび上がる問題に頭を抱える弱冠16歳の艦長にミナトは心配そうな視線を送る。
アキトが突然飛び出してそのまま行方不明となり、ラピスは相変わらず自分の部屋に引きこもったままだ。
この上ルリまでが心労で倒れてしまっては、この頼れる者もない見知らぬ世界でナデシコBは精神的支柱すら失うことになり、秩序は崩壊するだろう。
「ルリルリ? 少し休んだ方がいいんじゃない?」
「そうも言っていられません。事態は急を要するのですから」
現在ナデシコBの周囲には国連軍のものと思われるいくつもの監視衛星が回遊魚のようにぐるぐると周回している。
今のところ攻撃は仕掛けてきていないし、もしミサイルなり何なりを撃ち込まれてもディストーションフィールドを持つナデシコなら致命傷には至らないであろ
う。
しかし四六時中監視されているのは気分のいいものではない。
アキトのエステバリスの地球降下によってその存在を地球側にアピールしてしまったナデシコBには2つの選択肢があった。
その場に留まるか、とんずらこくかだ。
そしてルリ艦長はその場に留まってあえて監視の目にその身を晒すことを選択した。
意図したものではないとはいえ、無所属の戦艦が謎の機動兵器を地球に送り込んで戦闘を行ってしまったのだから。
あの街を破壊していた化け物と同一視されてもおかしくはない、逃げてしまえば言い訳が効かないのだ。
ならばこちらは誠意を見せなければならない。
二度と地球に降りられなくなりたくなければ。
乗組員を危険に晒すことにもなる苦渋の選択だった。
この世界の政府を敵に回すことは地球に降りたアキトの身をも危険に晒すことになる。
艦長として、ホシノ・ルリとして、この船のクルーも大切な人であるアキトも守らなければならない。
これから地球側との交渉が行われるにあたり、少しでもこの世界での自分たちの待遇が良くなるように善処しなければならないだろう。
ルリは知っているのだ。人間が異質と感じるものに対して見せる残虐性を。
いつもの事務的なやり取りだけでなく、相手の自分たちに対する好意を引き出すためのやり取りが必要になる。
それは政治的な外交交渉にも通じるものがある。
(こういうことはユリカさんの方が……いえ、いない人を当てにしてもしょうがありませんね)
ミスマル家の令嬢としてきちんと教育を施されてきたユリカなら、そういった付き合いの作法や常識を心得ていたことだろう。
しかしルリは自分がそういった駆け引きに向いていないことを自覚していた。
仲間内では時折愛嬌を見せることもあるが、よく知りもしない相手に愛想よくご機嫌伺いできるほど彼女は器用ではなかった。
部下や一部のファンの間ではそれでも大人気だったが、上層部や別組織の人間にはすこぶる評判が悪かったものだ。
だが、苦手だからといって役目を放棄できるような立場でもない。
彼女はこの船の艦長であり、最高責任者であるからだ。
「この間の戦闘で見た通り、あの第3新東京市とかいう街は、建物を地下に隠したり兵装ビルからミサイルを発射したりあんなロボットを持ち出してきたりと、
明らかに戦闘が起こることを想定した造りになっている。要塞都市といったところね。
見たところこの世界では人間同士の戦争は起こっていないようなのに、あの街だけが異常なほどの武装がなされ、あの怪物、以後M1(Monster1)と
呼称するけど、このM1もまっすぐにあの街を目指していた。
核クラスの爆発にも耐える化け物、その化け物をたった一機で倒した紫色のロボット、そして突然目覚めてM1に突っ込んでいったアキト君。
次から次へと驚くことばかりだけど、とりあえず目下の問題は地球側との接触。これに失敗すれば、最悪この世界の軍隊と戦争することにもなりかねない。
それは両者にとってなんの益にもならない。交渉は穏便に進めなければならないわ」
イネスの長広舌を右から左へと流しながら、ルリはちょび髭をちょいちょいといじっていたプロスペクターに向き直った。
「プロスさん、交渉の際には付いていて頂けますか?」
「ええ、もちろんです。フォローはお任せください」
にこりと微笑むプロスペクターにルリはホッと胸を撫で下ろした。
交渉のプロである彼がついていてくれれば心強い。
この世界の情報は集められるだけ集め、オモイカネとの交渉材料の検討は何度もした。
あとは実際に会って話してみるしかない。
そのとき、ウィンドウボールに囲まれて作業に従事していたハーリーが、ウィンドウを閉じるのももどかしい様子で大慌てでウィンドウから顔を突き出し、艦長
席のルリに報告した。
「艦長! こちらの呼びかけに国連からの返答が来ました! 交渉を行うことに同意し、会談の場を設けてくれるそうです」
「そうですか。とりあえず第一関門突破ですね」
これで問答無用の攻撃を仕掛けられることはなくなった。
ブリッジのクルーたちの緊張がほんの僅か緩む。
「な〜んか、ファーストコンタクトにやってきた宇宙人みたいだよね、私たちって」
「実際向こうにとっちゃそんな感じだろ」
ヒカルの軽口にサブロウタがやれやれと肩をすくめて見せる。
「そういえば私たちって、この世界の人たちにとっては未来人か異世界人なのよねぇ。あんな怪獣みたいなのもいたし、他に宇宙人とか地底人とかいてもおかし
くないのかも」
ミナトはそう呟いて、自分の台詞がおかしかったのか『うふふ』と笑いをもらした。
その横で通信士の真似事をしていたユキナがガバッと立ち上がって悪戯を思いついたような顔でまくし立てる。
「ねえねえ、それじゃあさ、火星の後継者とか名乗ってみようかあたしたち!」
「あはは♪ それいい!」
「おいおい、勘弁しろよ〜」
「どうせならM78星雲からやって来た正義の使者とかにしようぜ」
「光の超人というよりは宇宙漂流者だけどね」
こんな状況でも冗談を言い合うクルーたちの様子を見て、ルリは咎めるよりも先に頼もしいなと思ってしまった。
このメンバーならどんなことが起きても笑って切り抜けられるような気がする。
これ以上頼もしい者たちは他にはいないだろう。
自分にはもったいないくらい、最高の仲間たちだ。
(だからこそ、彼らの期待には応えないと)
ルリは心の中で決意を固め、ハーリーに指示を飛ばした。
「ハーリー君、先方に会談の日時と場所の確認を。できるだけ早く話し合いの場を設けて欲しいことを伝えてください。こちらは最大級の誠意を持って会談に臨
むとも」
「了解!」
打てば鳴るような弟分の返事に気を良くして、ルリは目の前に広がる母なる地球をきっと見据えた。
あの胎内に自分たちは還ることができるのか、先に降下したアキトは無事でいるのか、そして最終的に自分たちは元の世界に戻ることができるのか。
不安は次から次へと沸いて来るが、この仲間たちがいれば大丈夫。
自分は一人ではない。
そして、もうただの少女ではない。
ルリはその小さな身体に誰よりも大きな意志の力を秘めていた。
(さて、どうしたものか……)
精密検査を無事に終えたアキトは閑散とした病院内を当てもなく彷徨っていた。
五感の働きが鈍いのは相変わらずではあったが、その他に身体には異常は見られず、退院するか大事をとって入院するかは好きにするように言われた。
入院費は病院の側で都合してくれるらしい。
アキトの体内のナノマシンの一つでも採取してオーバーテクノロジーの解析に利用する気だろう。
実際障害を抱える身としては行く当てもなく放り出されるよりは病院に置いて貰った方が助かるのだが、ここでじっと療養していても状況が好転するわけではな
い。
着せられていた真っ白な病人服を脱ぎ捨て、いつもの上から下まで真っ黒な姿に戻った彼は、清潔な白一色に支配された院内では酷く浮いていた。
病室の前を通りがかったときなどは『死神が出た〜!?』などと怯えられてしまったりもした。
看護婦や医者なども気味悪がって近寄ろうとしない。
彼が幾つものコロニーを襲撃したテロリストであることに気付かれたわけではなかったが、異様な存在感を醸し出す彼にかつてのように気軽に話しかけてくれる
ような者などいなかった。
真っ白なリノリウムの床の上を音もなくスッスッと滑っていく黒衣の怪人、そんな白昼夢や怪談じみた存在と化していた彼の後ろからキュラキュラと音をさせな
がら近づいてくるものがあった。
気配を感じて振り返ってみると、それは患者を乗せた移動式ベッドを押す看護婦だった。
ベッドに寝ているのは頭に包帯をぐるぐる巻きにした病的なまでに白い肌の青髪の少女だ。
(ルリちゃん……?)
その少女の髪色とどこか儚げな印象から、つい先日関係修復を果たしたばかりの義妹のことを思い出す。
しかしルリの透き通るような琥珀色の瞳に対して、その少女の包帯に覆われていない左目は、覗いていると飲み込まれてしまいそうになるほど深い紅。
その血の色の瞳で、少女は振り向いた姿勢のままのアキトをじっと見つめる。
睨むでもなく、観察するでもなく、興味を惹かれたようでもない、しかし確実に見ていた。
(―――――なんだ?)
アキトは胸の奥がざわざわと騒ぐのを感じた。
少女の赤い瞳は何も映していないようで、この世の全てを見通しているかのようでもあり、全てを飲み込むぽっかりと空いた深淵のようにも思える。
朱い世界、朱い海だけが広がる世界、全てが有り 何も無い世界。
見つめていると、吸い込まれて、溶け合い、一つに、同じ、再び、全てが………………
「違う!!」
突然ヒステリックな叫び声を上げた自分にアキト自身も驚いた。
気付けば、いつの間にか自分は全身汗だくになり、肩で息をしている。
ベッドを押して横を通り抜けようとしていた看護婦はアキトの上げた声に驚いて腰を抜かしてしまっていた。
「あっ、す……すまない……」
慌てて彼女を助け起こそうとするが、ベッドの上の少女が怯えもせずにまだ自分のことをじっと見つめていることに気づくと、なぜかアキトは北辰を前にしたと
きにも見せたことがないような怯んだ様子を見せた。
アキトが少女の瞳に見据えられて蛇に睨まれた蛙のようになっていると、不意に彼女はアキトから視線を外し、廊下の奥に目をやった。
つられてアキトもそちらを見ると、カツンカツンと靴を鳴らしてこちらに歩いてくる中年の男に気がついた。
男はサングラスから覗く無機質な目でアキトを一瞥し、ベッドの上に横たわる少女に歩み寄った。
「レイ、調子はどうだ」
「大丈夫です、碇司令」
「しばらくは予備が効く。お前は養生していろ」
「はい」
「学校はどうする」
「2週間ほどで復帰できます」
事務的な口調で世間話のような会話を行う二人。
親と娘、教師と生徒、あるいは上司と部下のようにも見える。
しかしどちらも感情の起伏は感じられず、まるで台本をそのまま棒読みする大根役者のようでもある。
自分で立ち上がった看護婦と共に二人の会話を立ち聞きしていたアキトだったが、自分がこの場に留まっている理由はないことに気付き、さりげなく立ち去ろう
とする。
ところがそれを見透かしていたようにかけられた男の言葉で引き止められてしまった。
「テンカワ・アキト君だね?」
「……そうだが、なぜ俺の名を?」
足を止め、振り返りもせず訊き返すアキト。
その彼の背中に碇と呼ばれた男はフッと口元だけで微笑する。
「院長から聞いてね。行くところがないそうだな」
「……ああ」
アキトの返答を聞き終えないうちに、男はカツンカツンと歩き出した。
五感を失った代わりに研ぎ澄まされた視覚よりも信頼できるある種の感覚が、ゆっくりと離れて行く男の気配を感じ取る。
「付いて来たまえ」
怪しげな男の怪しげな誘い。
しばし逡巡したが、行く当ても無いこともあり、アキトは男の背を追うことにした。
男に従って玄関で待機していた車に乗り込み、意外なほど空いた道路を走る。
男は碇・ゲンドウと名乗った。
国際公務員だという。
もしや自分を捕まえに来たのかとも思ったが、どうも違うらしい。
ゲンドウは表紙に『NERVへようこそ!』と書かれたレポート用紙の束を放って寄越す。
「これは?」
「目を通しておいてくれ」
「と言われても、俺の視力ではこんな小さな字は読めんぞ」
バイザーによる補正があるとはいえ、アキトの視力は手元の文字すら正確に判別できないほど低下している。
何かのマニュアルらしいということはパッと見でわかったが、内容はさっぱり読み取れない。
そのことを訴えると、ゲンドウは悪びれもせずアキトの手からマニュアルを取り返した。
「そうだったな。では口頭で説明しよう」
「そうしてくれ」
「特務機関NERV(ネルフ)は使徒殲滅を目的とする国連直属の非公開組織だ。私はそこの司令を勤めている」
「……使徒?」
その名を聞いた途端、どういうわけか胸がムカムカしてきた。
酷く落ち着かなくなり、やり場の無い焦りが募る。
恐怖とも怒りとも取れる感情、なぜそんな感情が湧いてくるのか自分でもよくわからなかったが、少なくとも使徒という言葉に良い印象は持てなかった。
「天使の名を冠する人類の敵。青き血は、撲滅されなければならない。その為のネルフだ」
「敵……青き血……」
車はほとんど警備員のいない機械化されたゲートを抜け、トンネルのような通路の突き当たりで停車する。
そこで降りるのかと思ったが、運転手もゲンドウもそんな気配はない。
3人の乗った車は床に設置された器具でしっかりと固定され、後方の通路はシャッターが下ろされて閉じ込められる。
何事か警報が鳴り始め、一瞬の浮遊感と共に床ごとレールに沿って斜め下方へ降下を始める。
勢いのないジェットコースターのようだった。
「先日15年ぶりに3番目の使徒が現れた。奴らは近い内に再びここに攻めてくると予想される。我々は人類の砦としてこれを撃滅しなければならない」
「人類の砦……?」
「そうだ」
突然周りの風景が開ける。
地下だというのに陽の光のようなものが差し、レールから見下ろせば遥か下に青々と広がる森林、明かりを反射してキラキラと光る湖まである。
ドームのような人工物というよりは自然の地下空洞といった感じの広大な別世界が広がっていた。
「ほぉ……」
アキトはその光景に感嘆の声を漏らした。
五感が鈍くなっているとはいえ、今目の前にしているものの途方もない存在感は肌で感じ取ることができた。
「これは……ジオフロントか。これほどの地下世界は初めて見る」
「そうだ。ここが我々ネルフの秘密基地。人類再建の要。始まりと終わりの集う約束の地だ」
要塞都市第3新東京市の地下に広がる人類の聖地。
その中央にそびえるネルフ本部・セントラルドグマへと三人を乗せた車は降下していく。
下へ下へと降りていくにつれ、アキトは増大していく圧迫感(プレッシャー)を感じていた。
何か得体の知れない強大な存在感を放つものが遥か地下に眠っているような気がする。
しかしこのときは単に地下へと降りた閉塞感のせいだろうと気に留めることはなかったのだった。
どこからか唄が聞こえる。
風に乗って、地を伝って、人を介し、受け継がれていく唄が。
それは始まりの唄。
それは終わりの唄。
黒き月の大地へと降り立つ黒い王子様を迎える凱旋歌。
あとがき
浮気者のお送りしました第七話、いかがでしたでしょうか?
できる限りここまでの流れを壊さずに自分流のアレンジを加えて書きました。
エヴァのパートはほとんど原作のままで回想をちょっと変更、国連に監視されるナデシコのシーンは第10使徒のイメージです。
題名の通りミサトとシンジ、ナデシコと地球、アキトとネルフ・リリスなどの間の距離感がテーマでした。
ナデシコ・地球側の会談やネルフへと連れて行かれたアキトが今後どうなるのかは次以降の人に丸投げです。
正直どんな展開になるのかワクワクしてます。
無難にそれぞれ国連とネルフに協力するもよし、交渉が決裂して別の組織に付くなり第3勢力になるなりしてもOKです。
舞台は整えましたので次の神威さんに期待!
たぶん次私に順番が回ってくるのは1年以上先になりそうなので、ゆったりまったり待たせてもらいます( ´ー`)y―┛~~
感想っぽいなにか
どもども、次走者の神威です。
……次、どうしようか(ぁ
これ読んで最初に思ったのがそれだったり。
今回の話は比較的繋ぎっぽい感じでしたね。
話の構成も上手く、読みやすかったですねー。
ただ、空白の使い方をもうちょっと上手くすればもっと読みやすくなると思いました。
さて、交渉などで髭ン道とかを動かさにゃならんと思うと今からドキドキもんです。
ふむ、この流れだと次回は交渉・シンジ君学校で殴られる・イカ君襲来の三本になりそうですな(ぁ
イカ君迎撃は次の人に任せようかな(ボソッ
んでは、感想になりきれてない感想ですが、これにてー。