世界で最も有名なプログラム、というものがある。

 それは世界で最も巨大なシステムに使われているものでも、世界で最も多く使われているものでもない。
 それは、おそらく世界で最も容易であり、プログラムを学んだ全ての人が知っているプログラム。
 ただ、ある言葉を表示させるだけのプログラム。



 ルリは、マギ・システムにハッキングを仕掛けるための下準備として、設計に使用されたプログラミング言語を調べているときにふと、そのプログラム を思いだした。今でこそ電子の妖精と呼ばれるルリも、最初はこのプログラムを習ったものだった。
 しかしそれを思い出したのは、使われている言語が古いものだからか。あるいは、そのプログラムによって表示されるソレが、今の自分達に似合うものだから か。

 ルリはIFSによってゼロコンマの時間で、しかし普通にキーボードで打ち込んでも1分でできるような、そのわずか数行のプログラムを作り上げた。 そしてコンパイル、実行する。
 するとその言葉は――――ナデシコらしく、ポップ調のカラフルな色合いで表示された。



[ Hello, world. ]



――――こんにちは、世界。












シルフェニアリレー企画

黄昏の夢

the red world and true black

第十話

真昼の半永久殺戮生命体(シャムシエル)















 ルリはその言葉を眺めながら、この世界について考える。自分達の世界とかなり酷似した、しかし決定的に違う世界。使徒と呼ばれる怪獣。それの出現 を予見していたかのように準備されていた武装都市、そして数十メートルの巨大人型兵器。マクロに見ればそこが、ミクロに見ればそれこそいくつもの点が異な るが、やはりとても似ている世界。

(何もない世界で自給自足を迫られるよりは、マシだったのかもしれませんが……

 帰れるかも分からないどころか、生命の存続すら危ぶまれてはいくらなんでも気が保たない。そういう意味では、とりあえずは、この地球ソックリの惑 星で国連との提携を結び、食糧と物資の調達が可能となったことは僥倖だった。
 しかし状況は依然としてまずい。可能な限り、否、一刻も早くこの世界を立ち去らなければならない。それには諸々の理由があるが、何より、みんなの心が、 この世界に深入りしてしまわないように。
 心というものはひどく厄介だ。最善であり最悪である。そう、例えば、もし、仮に、あの使徒という怪獣によって危機に瀕しているこの世界に心が移ってし まった時に。そして私達が私達の世界へ帰る手段を見つけたその時に、じゃあさようならと帰ることができるのか。少しぐらい手助け、と思わずにいられるだろ うか。
 その心情が発生してしまうと後は雪崩落ちて行く一方だ。誰かの一言で端を発し、助けようという空気が生まれ、あるいはこの世界が救われるという、そんな 定義のしようもない状況になるまで帰れなくなってしまう。
 もっとも、こういうことを考えている時点で、既にその状況へと歩み寄ってしまっているのだが。

(私達が強力か無力か、どちらかに明らかに傾倒していれば、もしかしたら話は簡単だったのかもしれませんね。それはそれで問題が出てきますが)

「わ、なつかしいですねーソレ」

 表示されている言葉を眺めているルリの横で、ハーリーがひょこっと顔を出す。

「たしか僕も最初にそれを習いましたよ。最初だからよく覚えてます」

 突然出てきたハーリーにルリはビックリしながら、しかしその無邪気な表情を見てくすりと微笑む。

「僕、なにかへんなこと言いました?」

「いえ、そんなことないです。……どうしました?」

「あ、はい……ええと」

 ハーリーは小さく咳払いしてから、姿勢を正して言った。

「艦長。国連から要請がきています。海上に出現した怪獣……ええと、使徒を倒してほしい、だそうです」

 副長席でくつろいだ様子でそれを聞いていたサブロウタは、一拍置いてから、ルリに尋ねた。

「どうするっスか艦長。ご期待に応えてばばーって撃ち込んじまいます? それとも」

 ルリは、はい、とうなずく。

「しばらくは、静観します」





 一般のそれとは明らかに様相の違う、広い空間を保するネルフ発令所。そこで、国連による使徒への攻撃と、それをまるきり無視して進攻する使徒の映 像を見ていたミサトは、オペレーターである青葉から伝えられた報に少々の驚きを見せた。

「国連からエヴァの出撃要請? ……例の宇宙船は?」

 前回の使徒との交戦時、何かが上空から超高速で落下し、ATフィールドを貫いて使徒に大打撃を与えていた。戦闘後に宇宙船からあれは当艦からの砲 撃であるという連絡が来たのがきっかけで国連は宇宙船と提携し、戦力貸与を条件に食糧援助を行っている。

「以前、当地区上空、周回軌道上で停留しています。特に反応見られません」

「国連はあっちに要請出してないの?」

 ならばこそ国連としては、国家予算級の資金を湯水のように使うネルフより、わずかな食糧と物資を提供するだけで、砲撃一つで使徒を撃退しえる向こ うをアテにしたいはずだ。それに、彼らの目的やその武力の全貌がつかめない以上、彼らについてできるだけ多くの情報を得たいはずでもある。

「いえ、出したそうですが……発射するためのエネルギーチャージに時間がかかるので、発射態勢が整うまではそちらで対応して欲しい と」

 なるほど当然、向こうもはいそれじゃあと見せびらかしたりはしないかとミサトは思ったが、そもそもが使徒を撃退しうる砲撃であることを思い出す。 ミサトは考え方を改めて、リツコに意見を求めることにした。

「リツコ、どう思う?」

「あっちの技術はまるで分からないけれど、使徒に致命傷を与えられるほどの出力だし、あれほどの大きさの口径だもの。信憑性がないとは言えないわ」

「でも、回収された使徒の残骸の中に破片が残ってたんでしょ? 報告書読んだわよ、見たこともない分子配列の合成樹脂とセラミックだったって。砲弾にしちゃあ軽すぎる気もするけど……レーザーとかならと もかく物体弾発射するのに時間が必要かしら?」

「重力加速して撃ち出すからじゃないかしら」

「じゅ、じゅうりょく……加速?」

 あまりにSF的な言葉に眉根を寄せるミサトに、リツコは細かい説明をせずに淡々と言う。

「あの宇宙船には、少なくとも外見上は遠心重力区がないわ。それなのにわりと長い期間宇宙にいるけど地球に降りてくる様子はないし、降りてきたフレ サンジュという幹部も低重力障害にかかっている様子なんて微塵もなかった。どういう方法であれ、重力制御ができているとしか思えないわ」

 リツコはやや苛立たしげに嘆息する。

「レールガンにアルミを使うように、重力加速するのにそういう材質が有効なのかもしれないわね。あくまで仮説だけど……少なくともあ の船は、実際にATフィールドを一切中和せずに砲撃で撃ち貫いた。私達がそれをしようとすれば、大まかに試算してもこの日本の発電基全てを回さないといけ ない出力よ。時間がかかるというのは納得できる、いえ、むしろそうであってほしいと思う」

……そう、よね。それだけの出力をあの宇宙船一つでまかなえるってことだものね……

 背筋を冷たいものが通り過ぎていく。ミサトは、発令所の巨大ディスプレイの片隅に映し出された、白い宇宙船に目を移す。
 アレが、今自分達の真上にいる。使徒クラスの攻撃力を持つアレが、未だヒトが生きる場所としては届かない宇宙で、悠然と構えている。アレは使徒と違い、 ジオフロントに直接侵攻しない。目的も何も分からない。そのくせ宇宙から大気圏を突き抜けて精密かつ強力な砲撃でATフィールドすら貫ける。そんなもの が、自分達の真上にいる。

(何よ。使徒よりよっぽど怖いじゃない)

 睨みつけてそう思うと、その内心を知ってか知らずか、リツコが相槌を打つかのようにつぶやいた。

「一番恐ろしいのは、やっぱりヒトなのかしらね」

……少なくとも、私達が生き延びたら、そうなるのよね」

 ミサトは小さく息をつく。その様子を見た冬月は、苦く笑いながら言った。

「さて、その恐るべき人間達は手を出さないわけだが。どうするかね、葛城ミサト一尉?」

 試すような冬月の物言いに対して、ミサトは一拍の後、凛と答えた。

「ここはネルフです。ネルフはネルフが保有する戦力で対応します」

「彼らには頼らんと?」

「イレギュラーをアテにしてるようじゃ、未来はありませんから」

 冬月は目を閉じて、小さく笑った。







 イネスはネルフによってアキトにあてがわれた、アキトの部屋にいた。そしてその手には手の平サイズのディスプレイが付けられた小さな機械があり、 それをじっと見つめている。たまにメモにスラスラとペンを走らせたり、考え込んでいる様はとても理知的であるが、絨毯の上に座りこんでベッドをデスク代わ りにしているからか、妙な可愛らしさがある。
 同じ部屋で、アキトはイスの背もたれに前向きにもたれかかってその様子を見ていた。しばらくは、そう久しくもないのに変に懐かしく感じる美しい横顔を眺 めていたが、イネスが忙しそうなのに自分は退屈で、イネスがあまり真面目に見ているものだから、つい子どもっぽい悪戯心が働いてしまい、小さく笑いながら 言った。

「二度目……いや、三度目ですかね」

 それを聞いたイネスは、ディスプレイを見たまま、思わずかぁっと顔を赤くする。そして複雑な感情を入り混じらせた切れ長の目をキッとアキトに向け ると、バイザーを透過してアキトと目線が合ったので、少し視線を外して言った。

「誰かさんのせいで、ああいった再会には少々感情の制御がきかないのよ」

「はは……さりげなく痛いとこ突きますね」

「なら茶化さないの。少し後悔してるんだから」

「どうして?」

 相変わらずナチュラルにこういうことを聞くあたり、やっぱり人間根っこは変わりにくいものなのねとイネスは思った。

「どうしてもよ。とりあえず、次はないようにしたいわ」

「それはちょっと残念だなぁ」

 イネスはやや温度の高いため息をついてから、気を入れなおしてディスプレイに視線を戻す。そして、無意識にやや意趣返しの意を込めて、意識上はな るべく慎重に言った。

「私なんかに気を遣う前に、ラピスちゃんに気を遣ってあげなさい」

 愉快そうにしていたアキトが、少し息が詰まらせたのが、視線を向けていないイネスにも分かった。

「ラピスは……その、確かにないがしろにしてきましたが」

「それもあるけど、そのことじゃないわ」

 意図を計り損ねて首をかしげるアキトの様子を見て、イネスは気を重くした。

「あなたは一度、ナデシコで目を覚ましたんだけど、その時にひどく錯乱してね。心配して駆け寄ったラピスちゃんを突き飛ばしちゃったの。人の知覚で きる”世界”っていうのは自分の生きる範囲って話があるけれど……そういう意味ではあの子にとってあなたは世界にも等しかったから……突 き飛ばされたことで何もかもに拒絶されたと思ったのね。手の付けられない、重度の自閉症になってるわ」

…………そんな」

 イネスは長いそのまつ毛と共に、目線を上げる。アキトの表情、声。いつかの刺々しさが消え失せ、ずい分と弱々しい……否、優しい彼 に戻ってきている。
 イネスは何故か楽観視してしまっている自分を戒めながら、強めの語調で言った。

「事態が落ち着いたら、すぐ、ラピスちゃんの所に行ってあげなさい」

……はい」

 重々しくうなずくアキトに、イネスは、負の意味合いの無いため息をついた。

…………さて、その話はもう終わり。今は私達のやるべきことをしましょう」

 そう言ってイネスは手元の機械のディスプレイへと、何度目かになるが視線を戻した。なお、今現在イネスはこの機械によって盗撮盗聴をしている。

 イネスは使徒出現の報を受け取った際、慌しげに廊下を駆けていく発令所に出入りする人間の一人に、ナデシコから持ってきたある特殊なナノマシンを 撃ち込んでいた。それは、そこそこ金のかかるものである割に比較的短期間しか使用できないものであり、ハンディタイプの身体検査機でも引っかかるような脆 弱なシロモノではあるが、ある特殊な機能を持っていた。
 それは、対象の脳に取り付いて、視覚情報と聴覚情報を外部に転送する機能。
 自分達の世界では使い道が非常に限定されるものであるが、この世界では非常に有用なシロモノだった。ちなみに、もちろんこの部屋に設置された盗聴器や監 視カメラ等は無効化している。

「イネスさん、この世界で、いま西暦何年でしたっけ?」

 イスからベッドに移動して、イネスの横でディスプレイを見ていたアキトは、ふと疑問が湧き、そう尋ねた。

「2015年よ。私達の世界だとかなり上位の富裕層とはいえ、民間人がようやく宇宙に行けるようになった頃ね」

「その割には、ずい分と立派ですよね」

 イネスはそう言われ、ディスプレイに視線を戻した。ちょうどナノマシンが取り付いた誰かがぐるりと発令所内を見回していた。

「ええ、正直驚いたわ。設備もそうだけど、これだけの人数で回せるのね」

 少人数で回せるということは、システムが洗練されており、人間がやる仕事が少なくて済むようにしてあるということだ。それに、確かこの年代だとデ ジタル式フォン・ノイマン型コンピュータであり、ハードウェアの処理能力向上に行き詰ってきていた頃のはず。処理速度も遅い。それなのにこれだけの規模を この少人数で回せるなんて、時代を考えれば最先端のさらに先を行くものである。
 もっとも、ナデシコ、オモイカネとルリを鑑みれば、ずい分とチャチではあるけれど。

「そういえばアキト君、技術協力は断ったって言ってたけど。どう断ったの?」

 アキトが技術協力を打診されたと言っていた件を思い出し、イネスは尋ねた。アキトは思い出しながら、指折り理由を挙げていく。

「まずは俺の独断で決めていいようなことじゃないということ。次に、俺自身にはほとんど知識や技術がないこと。あとは技術協力による見返りの不満で す」

「確かに、情報ならルリちゃんがハッキングして手に入れられるし、あのロボットの技術は興味が引かれるけど、今の私達に必要じゃないわね。私達の技 術や情報を渡してこちらの戦力が知れるのも問題だし、こちらを拿捕しようだなんて考えられても困るし」

「ええ。……ああでも」

「なに?」

「いえ、カン違いだとは思うんですが。どうも……口振りが、俺個人に対してのものだったのが気がかりでした」

 イネスは、科学者、医者、国連へ出向している幹部という諸々の立場から、その言葉が気になった。

「断っても、気が変わったらまた連絡をと言われましたし、妙に好意的というか…………いやまぁイネスさんやセイヤさ ん、ルリちゃんならともかく、俺が持つ技術なんて高が知れてますし、そもそも俺一人が協力だなんて馬鹿げた話もないと思ったんですが」

「そう、ね……

 黙りこくるイネスに、アキトは首をかしげる。

「なにか意味があると思いますか?」

……まだ、なんとも言えないわ。でも何にしろ、意識を改めておいた方がいいかもね」

 イネスはディスプレイを注視する。発令所の様子を見る限り、ルリは打ち合わせ通り、ナデシコはギリギリまで手を出さないと通達したようだ。


 ――――現状、私達の交渉材料は戦力だけ。それなのに一度安請けあいしてしまえば、次もその次もお願いってことになる。もしそれで グラビティ・ブラストが効かないことがあったらわたし達の立場は危うくなる。だからギリギリまで出し惜しみをする……ということですか。

ええ、そもそもこちら側でさえ完璧な解明が出来ていないモノを向こうが分かるわけがないわ。てきとーに嘘並べて誤魔化して当面を凌いでちょうだい。 私達には時間が必要だからね――――


「ルリちゃんはマギ・システムから少しずつ情報を抽出して分析してる。私も私の仕事をしないとね」

 情報は得られればいいものではない。情報には、それが何を意味するかを示す情報も必要だ。
 例えば誰かのスケジュール帳を盗み見るとする。4月11日に「H.B.」と書いてあった。4月11日に「H.B.」。しかしスケジュール帳のどこをみて も「H.B.」が何を意味しているのか分からない。それを探るには、別のアプローチが必要となる。
 まぁ、この例の場合は、スケジュール帳の持ち主が交際している相手である、盗み見た当人のHappyBirthdayであったという惚気話なのだが。

 とにかく、こちらにとって情報を得ることは容易い。だが、それが何を意味しているのか、どういうことなのかという分析が必要なケースがある。その ために、イネスは今こういう行動を取っているのである。

「っと。これ、使徒の映像ですね」

 取り付いた人間が、使徒の映像へと視線を移している。体内に潜伏するという特性上、好きなように内部が観察できないのがこれの欠点である。アキト は使徒の姿をしげしげと眺めながら、言った。

「前回のとはずい分と違うんですね」

「そうね。前のは人型だったけど……今回のは、まるでH.G.ウェルズの宇宙人ね」

 イネスも同様に使徒を眺める。巨大、という言葉さえ表現するには不適切な気がする、ドームほどの大きさの体躯。そのくせ浮遊してゆっくりと進攻し ている。
 正直、頭が痛い。

「ふふふ、断言できるわ。古代火星の技術を解明する方が、この意味不明巨大生命体の生態の解明より簡単よ絶対」

「そ、そうですね……?」

 イネスの異変に慄くアキトをよそに、イネスは”何故”を切り捨てて事実を受け止めた上で、考える。
 アレが生命体とするのならば。

…………いえ、この世界が私達にとって虚数宇宙だとするなら、アレは古代火星文明の生体ないし生体を模した兵器という可能性も)

 イネスは頭を振る。虚数宇宙には”ありうる全ての可能性”が内包されている。この世界は自分達の世界とは違うのだから、当てはめた考え方は好まし くない。そうだ、そもそも古代火星文明が存在するかどうかの確認も取れていないのだ。当初は混乱していて失念していたが、火星に遺跡がなかったという事実 はまずい。火星から木星周辺宙域まで捜索して古代火星文明の有無をはっきりさせないと、今後の方針が変わってしまう。

(絶望的な事実ばかりじゃないことを、祈るわ)












 L.C.L.がコックピット内を満たしていく。
 呼吸が可能な水。この水がいったいどういうものなのかは知らないけど、例えるなら今の僕は、母のお腹の中で羊水に包まれた胎児だろうか。
 否。
 その例えは不適当だ。
 だって、こんなにも、不快だ。



 シンジはゆっくりと目を開ける。

「目標、第三新東京市に侵入しました」

「エヴァ、出撃位置へ移動開始」

 シンジは気分が悪かった。気分というのは機嫌であり、胸の内で踊る虚無感が気持ち悪くて、胸を潰したい気さえしていた。
 まったく、先刻のドロップキックによる爽快な気分が台無しであった。ここがL.C.L.の水の中でなく路上ならば、唾を吐いて壁を思いっきり蹴りたかっ た。

「シンジ君、150秒後に発進させるわ。いいわね?」

「いいですよ、どうぞご自由に」

 シンジは反抗心から慇懃無礼に、そして従順に従う。そのまま不機嫌を募らせながらぼぉっと待っていると、発進のカウントが始まった。

…………

 ともすれば自身の命のカウントダウンともしれないが、シンジは非常に落ち着いていた。まるで他人事のように、数字を眺めている。エヴァを動かせる という、あまりに狭義過ぎる自由を少しだけ待ち遠しいとさえ思っている。とにかく何か感情をぶつける矛先がほしいと思っている。そんな現実逃避じみた考え を持っていた。

















「うわぁぁぁ!!ひ、ぁ、うゎぁぁあうわぁぁぁあああ!!」



もっとも、その現実逃避は、追い縋る現実によって無惨にも引き戻されてしまうのだが。










――――結果から見れば、彼はよくやったと思う。

「う……うぅ、ぐす、うぐっ………うぁ」

 確かに、過剰な弾幕により敵の姿を確認できなくなったのは、戦術的に見てあまりに拙い。その後の逃げ腰も、ほとんど無抵抗になぶられたのも、取り 繕いようもない失態だ。民間人をエヴァの中に入れるだなんて筆舌に尽くし難い暴挙としか言い様がない。
 だが、それらは彼の最善だった。世界の誰もが敵わない使徒というヒトの敵と、15にも満たない子どもの彼が何の覚悟もせず、ロクな訓練も受けずに戦っ た。その中で、彼は彼ができるようにして、形振り構わず必死に勝利という結果を出した。
 しかし。彼のすすり泣く声だけが、戦闘の事後処理で慌しい司令室に響いている中。彼に声をかける者はいなかった。










「あまりに、壮絶だな……

 発令所の誰かの目を通して事の一部始終を見ていたアキトは、椅子に腰を落としてそう感想を洩らした。

「あれは子どもが出していい声じゃ、子どもがしていいような目じゃない……

 あの叫び声、あの目。嫌なものが脳裏と胸の中を掠めて行く。5年前の火星の惨状がフラッシュバックする。

「この世界は、大丈夫なのか……?」

 イネスはアキトの言葉を聞きながら、しかし必死に得られた情報を整理していた。胸部の結晶体を攻撃されて死亡した使徒。それに、あまりに生物的過 ぎるエヴァという兵器。飛び交う用語は生物学のそればかり。「常識」と「ありえない」という前提を取っ払えば、どうしてもその結論に至ってしまう。
 アレは、ヒトの形をした生命体だという結論に。

(あんなに巨大な生体兵器? 21世紀初頭に? 他の技術は大して変わらないレベルなのに?)

 あまりに突出し過ぎている。異常だ。しかし、だがしかし、ありえなくはない。ありえないだなんてことはない。何故ならば。

(私達の場合における古代火星文明と同じように、この世界にはオーバーテクノロジーをもたらした外的要因が存在する……?)

















「今日であれからもう三日か……

 音は激しく勢い強く、第三新東京市に雨がふりしきる。放課後の校舎は妙に静かだ。窓を開ければ雨音しか聞こえず、窓を閉めても雨音ばかりが聞こえ る。その中で、使徒との戦闘中に碇シンジがエヴァの中に入れた民間人の片方、鈴原トウジは窓の外を眺めながらつぶやいた。

「オレ達がこってり絞られてから?」

 もう片方の相田ケンスケは、ノートPCのキーボードを叩きながら抑揚のない声で聞き返した。

……あいつが学校に来んようになってからや」

「あいつって?」

 分かりきったことをあえて聞くケンスケにため息をつきながら、トウジはケンスケの方に顔を向けた。

「転校生や、転校生。……あれからどないしとんのやろ」

 ケンスケはキーボードを叩く手を止め、トウジを見る。八つ当たりのようにぶん殴って、それで蹴り飛ばされて失神して恥かかされて大層お怒りになっ ていたのにまぁ、と思う。

「心配なの?」

「いや別に、心配ちゅうわけや……あのアホ、ワイのこと蹴り飛ばしよったしな。でもなぁ……

「でも?」

「いや、なんでワイらんこと助けたんやろなって思うてな。ワイは……その、殴ってしもたし。ほんであいつも腹いせに不意討ちかまし よったやろ。大笑いしとったって聞いたし」

「つまり、転校生がオレ達を恨みこそすれ、助ける道理なんてない?」

「まぁ、んー、なんかちゃう気がするけどそんな感じ」

 トウジは窓の外を向く。

「ケンスケ、お前ケンカってしたことあるか?」

「無きにしも非ず、ってとこかな」

「さよか。ワイはな、まぁこんな性格やからお前の知らんとこでも結構やっとる。せやかてな、相手を殺そうってとこまでやるケンカは知らん」

「だろうね。……で? 転校生がやってるのは殺し合いだって言うんだ?」

「いや、そうやなくてやな。……あの化けモンに人間様が対抗しようって思ってもやな、それは殺し合いとちゃうやろ。戦争や。生存競争 や。卑怯も何も無い、一人で勝てんかったら数で畳むし、反則技も容赦無く使う。負けたら死ぬさかいな。……でも、あいつのやってるんは殺し 合いや」

……結局殺し合いなんだろ? どう違うんだよ?」

「せやからな、化けモンと人間様何億人がやる戦争やのにな、あいつはあのロボット使うて殺し合いのレベルまで持ってきて、一人で殺し合いやっとるん や。言うたらその人間様何億人の戦争を肩代わりした一人っきりの殺し合いや。せやけどあいつは……乗りたくて乗うとるわけやない言いよる」

……つまり、何が言いたいのさ」

「いや、ほら、せやから…………あー」

 目を合わせず窓の外を見たまま、考えと言葉に詰まったらしいトウジに、ケンスケは心の中でため息をつく。そしてキーボードを叩くのを再開する。

「トウジは不器用なくせに、強情だからね。謝りたいんならあのとき別れ際にでも謝っとけば、三日も悶々とせずに済んだのに。……ほ ら、転校生の電話番号」

 ケンスケは小さな紙切れを差し出す。

「心配だったら、かけてみたら?」

 トウジはしばらくその紙切れを見ていたが、ややあって眉間にシワを寄せながら、ぶつくさと何やら文句を垂れながら奪い取るように紙切れを手に取っ た。面倒な奴だなぁと、わざわざ調べておいたケンスケは内心で笑った。





 2人がいた校舎とは別の校舎の、学校に一つだけ備え付けられた公衆電話の前にトウジはいた。10円玉を入れようとして、しかし100円玉を入れ、 紙切れにかかれた電話番号に電話をかけはじめる。数字の書かれたボタンを押すたびに電子音が鳴る。全部押すと、コール音がしだした。

…………

 20回ほどコール音がしたが、繋がらない。トウジは受話器を置く。100円玉が音を立てて出てきた。しばらくそのまま公衆電話を眺め、そしてまた 100円玉を入れて電話番号を押した。コール音が鳴り始める。

…………

 30回ほど待った。繋がらなかった。受話器を置いた。100円玉が音を立てて出てきた。
 家に、いないのだろうか。何をやっているんだろうか。何かあったのだろうか。
 そうぐるぐると考えて、考えたところでどうにもならないと思って、トウジは公衆電話を後にした。途中で100円玉を取るのを忘れたことに気付き、戻って 取って、無造作にポケットに突っ込んでまた後にした。









 碇シンジが姿を消したのは、それから二日後のことだった。

 

























超遅れました。犬です。
リレー難しいですね。感覚的にいえば、自分の頭の中とは違うところで考えてる感じ、というか。
皆さんの話から読み取って考えなければならないので、文とか展開が非常に書き辛かったです。
ちょこちょこ文がなんか変ですし。時間かかった割に量少なくて、戦闘とかその他諸々端折りましたし。ダメな子ですみません。
とりあえずナデシコ勢にも進展あるようにはしましたが、伏線ばっか膨らんでる気がしてなりません。

さて、このリレーSS「黄昏の夢」も次回の作家さんにてようやくひと巡り。
次回は順番的にはラストランナー、折沢崎椎名さんです。
なぜ彼がラストなのか。
なぜなら、カッコイイからです。

私とは比較にならない、いえすみません比較するのもおこがましい超絶素敵作家さんなので乞うご期待。
では、ネクストランナーの椎名さんにバトンを。



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