SLGでの移動
SLGは移動戦闘を繰り返すだけの誰でも楽しめるかんたんな遊びです(挨拶)。
・移動≒作戦?
単に「移動」と記述すると誤解を招きますが、私たちSLGamerにとっての移動とは即ち『作戦』に他なりません。将棋で言う先手、後手に当たる、SLGでプレイされる各軍「手番」の作戦行動を総称してよく、移動の直訳でもある“ムーヴ”と表現されます。『良いムーヴには良いダイスが付いて来る』という半ば願望も込め語られる言葉にはSLGの本質が集約されています。ダイスロールでの戦闘はSLGの華ですが、戦闘解決という用語からも当然ながら、直前の移動により事前に予定されている戦果以上の結果は絶対に導けませんし、AEやAR、攻撃側全滅や後退といった、戦場では頻発する最悪と呼ばれる事態にも対処出来なければ作戦の名に値しません。作戦の誤りを戦術で覆す事は出来ない、とも言われますが、微視的には、移動/戦闘がこれに該当します。移動力範囲の敵に慢然と接敵前進する、射界内の弱敵を探す、敵機のケツを追い求める……もしかしたら既に“敵手”の術中にあるのかもしれません。因みに、作戦行動から移動の要素を抽出し芸術の域まで達したSLGが先の将棋でありチェスである事は説明不要ですね。
ではその移動、つまり作戦は如何になされるべきであるのか、ということになりますが、個々の事例は戦場の数、星の数ほど存在するものの原則は1点に集約されます。これも物凄く当たり前ながら敢えて明言しますと、『勝利』の為に、です。そしてどのSLGにも銘記されている、『勝利条件』の達成を目的とします。SLGでの移動はこれに向けて行われているのです。
・勝利に向かって
以上を踏まえるとSLGのプレイ中、実は筆者もしばし口にしてしまう、勝利条件何だっけ、という台詞ほど間抜けでナンセンスな台詞はありません。電子ゲームでは珍しくない、各軍何れかが全滅するまで、などという戦いはSLGではまずありませんし、敵戦力にどれだけ損害を与えてもその戦場での『勝利』には全く関係しない、という場合も多々あり、そうした時には時間を空費する事で敗北、という結果が往々にしてついて回ります。包囲に成功したら華麗に無慈悲に完膚なきまでに殲滅!というのはSLGamerの性といいますか率直な人情と思われますがしかし、それに要した1、2ターンが勝敗を分ける、あの時包囲に留めて主力を前進させておけば、という感想戦、反省は誰でもいつかは経験する事でしょう。目先の“小利”に幻惑されると真の『勝利』から見放されます。
事例として小誌前々回、Vol.8付録の『トブルク強襲1941』の勝利条件は8項の各段に、「トブルク攻略」(サドンデス:枢軸軍の無条件勝利)「英軍の西方突破」(サドンデス:英軍の無条件勝利)「街の数による優勢」と記されていますが、部隊をいくつ撃破したら何点、等は特にありません。極端なハナシ、最終ターンで後手の英軍が壊滅しても枢軸軍プレイヤーが街を一つも占領出来ていなければその時点で英軍の圧勝です。もっとも本作の場合戦闘後前進が存在するので『全滅』だとダメですが……。
この勝利条件から、英軍の作戦方針はトブルクの死守を前提として、各街ヘクスの堅守となり、枢軸は逆です。その手段として実行されるのが戦線の構築、維持という戦術行動であり、それ自体は目的ではありません。また本作の戦闘後前進ではZOCを無視出来るので両軍とも意図しない形での部隊の突出、孤立という戦局が予期されますが、その好機、敵戦力を叩く機会に恵まれたとしても反撃に要する“移動”が本当に最終的な勝利に結びつくのかについて冷静にいま一度確認すべきかもしれません。
他方小誌前回、Vol.9の『第二次ソロモン海海戦』にはあー、えーと、ルールブックへの記載は無くVPトラックも存在しないんですが(汗)2.3.2項に「ユニットの情報」でユニット右上の数値が勝利ポインツだよんと説明している通りに殺ったもん勝ち、最終ターンに合計得点が多い方が勝ちです判るよね?。海戦、そして空母戦らしい先手必勝見敵必殺と要求される作戦行動は極めて簡明ですが、索敵結果によっては空振り等もあり悩ましいトコロです。
・移動/戦闘が意味するもの
自己言及的な冒頭にも掲げましたが、SLGが体現を目指す元来の現象は一見混沌そのものであり、両軍が律儀に行儀良く順番に移動/戦闘のシークエンスを実施、などは当然しません。総ての事象が同時並列、多発に進行しているのが現実の戦争であり戦場である事はわざわざ質すも野暮なハナシで、無法の代名詞である戦争をルールに従い再現という外野からすると自己矛盾では? という懐疑もSLGに対する無理解の一因でしょうか。電子ゲームの1ジャンルであるRTS、リアルタイムストラテジーが提供する“世界”が同時進行する情景、互いに移動しながら交戦し兵站も維持確保あるは阻害される様なイメージはかなりの臨場感、素人目にはある種の説得力がありますが、私たちSLGamerは軍隊という組織がもっともお役所的な官僚組織でもあり、戦場にもたらされる混乱や理不尽の過半もそこに依拠する別の側面を知っています。つまり、本来秩序的であるべき作戦行動や命令が無数の文書となって飛び交う移動/攻撃そのものは形式的かつ整然と実施されますが、自軍や作戦司令部、“その時点”では正しい事が敵や前線、“その後”に対しては間違い、という不可避に自然発生する錯誤や齟齬に満ちた戦場の日常に偶発性まで加えた結果、成否はダイスのみぞ知るという、現象の要素を整理し抽象化による再現を目的とする現在のSLGスタンダードである『タイムスライス』型のシステムは、故に、戦争と戦場の実態に即した、実際的な再現手法であるのです。或いはムーヴまでが両軍作戦指揮官にとって文字通り、上意下達が完璧に実現する理想空間に描かれた“机上の作戦計画”であり、ダイスロールの結果が“前線からの戦況報告”として冷厳な実際を現実化する、総じてSLGは戦争と戦場のメタファーであるとの解釈も可能です。SLGで表現される移動についても同様な考察によりその意図が伺えます。
・システムとしての移動
いわゆる『マップ』、地図上の図形が単なる画素では無く情報として機能し戦場やそこに配置された戦力に対し様々な影響を以て関与する『地形効果』を持つデザインの作品では、地図に引かれた『線』が、道路他移動設備とされ、「部隊が道路に沿って移動すると移動力倍加」等の特典が与えられるのは一般的なルールです。部隊が縦列を組み路上を行軍している画像を見た経験がある方でしたら、道路に沿っての移動とはそのユニットは実際にはそのとき要するにアレをしているのです。道路地形上で部隊が渋滞、はSLGでは日常の光景ですよね。実際に戦闘隊形、移動隊形の隊形変換を持つデザインも珍しくありませんし、二次大戦以降の戦術級では歩兵が乗車しているのか下車しているのかは重要ですね。以前のZOC(Zone of Control/支配地域)とも関連しますが、だから敵のZOCに侵入した部隊は移動を停止し戦闘隊形により敵と対峙、拘束されるのです。戦場や戦況によってはZOCへの侵入や離脱に移動コストを消費する、或いはZOCからZOCへの移動についての許認可、また移動や地形は季節や天候、西部戦線は晴天、ところにより爆弾が降るでしょうと様々な影響も受けます。有名なところではロシアの泥濘、春の雪解けにより両軍とも部隊は泥沼で身動き出来なくなります。海戦、空母戦でもスコールや曇天が敵であったり味方であったりしますね、当時の航空戦力は全天候、とはまだ程遠かったもので。
・戦争技術と移動
芸術とまで呼ばれたナポレオンの戦争は、皮肉にも自ら創始した国家総力戦による数の論理と、唯一抗し得る自身の天才に存するボトルネックから破綻しました。当時の命令伝達は馬か伝書鳩といった処です。電信と鉄道が個人の天才に拠らない分進合撃を技術により可能なさしめタンネンベルグの大勝がもたらされ、海まで続く塹壕で膠着する戦線を突破すべく開発され投入された鉄の怪物はその後無線によって発せられる命令に応じ従来とは比較にならない高度な機動力を持つ機械化戦力に成長します。
電撃戦やソ連軍の無停止進撃ドクトリンに代表される第二次大戦以降の作戦規模以上での流動的な戦局の様相を移動/戦闘の単純な二項で表現するのは限界があります。では、機械化部隊に実際と同じアドバンテージを与えよう、というのが『機械化移動/二次移動』等のルール表現です。早いハナシが機械化、戦車や乗車歩兵で編成された機甲師団に代表される快速部隊は徒歩の歩兵に比較してより早く多く動けるよね、というコトです。欠点は無論プレイの煩雑化。一例として作戦級最高峰の一作とされる『ウクライナ’43』では、移動戦闘関係だけでも赤軍第1移動、第1戦闘、独軍対応移動、赤軍第2移動、第2戦闘、次ドイツ軍……という正直初心者からしたらシークエンスを眺めるだけでプレイ以前に何かが折れてしまいそうなカンジです。加えて強行軍に河川強行渡河、航空支援に忘れちゃいけないZOCボンドともう盛りだくさんで、いえだから最高傑作であり面白く、実際に盤上で動かしてみると一見煩雑に思われる種々の要素が実に無理なく有機的に連関し表題である独ソ東部戦線、南部ロシアの戦場で1943年夏から秋に繰り広げられた『機動戦』が見事に表現された、いやもうコレしかないでしょうという太鼓判が押されるに至った評価も大納得なのですが……複雑な事象を複雑な手法で解決してしまった悪弊は否定出来ません。対して、と申しますか前出小誌『トブルク強襲1941』では、機械化部隊に対し移動を伴わない「第二次攻撃」という能力を付与することでこれを表現しました。全軍による攻撃での突破口の形成と続く機械化移動/攻撃による敵戦線側背への戦力展開、包囲殲滅という図式は確かにその通りで魅力的かつ美しい、ですが手順と作戦要素が倍加しまして正直めんどうっちゃ面倒です、皆様スキルと気合とお好みに合わせてどうぞ。
陸戦以上に技術の洗礼を受け様変わりしたのは海戦です。古来より海戦は原則、運動戦で決してきました。衝角戦から移乗戦闘の古代、風任せ、にならない様に風上を制する帆船時代、戦闘艦の火力が左右の舷側で最大効率を発揮する関係から、敵の頭を抑え如何に縦射を叩き込むかという伝統は二次大戦まで受け継がれましたが、上記まだまだ限定的ながら火砲射程のはるか遠方から投射される航空戦力に水上艦、殊に文字通り主力艦であった戦艦が屈服すると従来の装甲艦は無意味と戦闘艦艇は押し並べて全部が駆逐艦の様な紙装甲に、というか現代の海上主戦力といえば駆逐艦、あとフリゲート、コルベットなどかつては補助艦の扱いであったもので巡洋艦などの大型艦は数えるほどの数と国しか保有していません。そして主兵装は航空戦力の使い捨て版とも言えるミサイル、誘導弾となりました。作戦規模での海上戦力の展開については未だ重要ですが、連綿と培われてきた海上での運動戦という要素は現代ではほぼ消滅したと言って良いでしょう。二次大戦の砲撃戦か、通は帆船での風の読み合いも好みますね。
空戦も短い歴史の中で、戦技が総ての格闘戦からエンジンパワーと機体強度に任せた一撃離脱、同様にエンジンパワーで機動性を補う形でのハイ・ロースピードヨーヨーと、形は変えながらマニューバを基軸に成立していたのですが、ミサイル、そしてレーダーの登場で、レーダーレンジの外から一方的に制空権を奪取という、実に効果的で決定的ないかにも米国らしいF22みたいなものまで昨今では登場してしまい、ミサイル壊れたとかいってるおおらかなナム戦らへんが遊んで面白い空戦の範囲ではないでしょうかと。
・戦争と移動とSLG
日本国内の戦争芸術といえば代表例の一つは太閤秀吉の『中国大返し』でしょうか。秀吉がいずれ参着する事は想定済みとはいえまさか10日で、という光秀にとっては作戦構想上では正に時空間的な意味での奇襲となりました、が、これをSLGで再現するのは難しそうですね、10日後に来ると事前に判っていれば奇襲は成立しませんので。SLGのムーヴは互いの勝利条件からも逆算の範疇にあり敵手の心理的陥穽を衝く、つまり奇襲の実現はイベントにでも頼らない限り相当困難であると言え、単なる奇手、悪手ともなりがちですが、試行により史実の可能性を探るのはSLGが持つ重要機能でもありますのでそう自己弁護しつつやっちまったと思いながらやってしまいます筆者は。必要な戦力を必要な時に展開するのが移動という作戦行動です。その成否はともかくこれを自覚的に実施するかしないかは、自戒を込めて、例え敗北をすら愉しめる余裕があるにせよSLGの醍醐味を知っているかいないかの大きな差異であり、恐らく1SLGamerであれば取り組むだけの価値ある魅力的な要素でしょう。
あと、あまりに有名な例の『兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを賭ざるなり』は、決して長考を揶揄してるんじゃないと思います、たぶん。
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