【Side:太老】
「ちょ、ちょっと待って! 水穂さん!」
手加減抜きの一撃を次々に繰り出してくる水穂。正直、防御に専念して回避するだけで精一杯だ。
序盤から全力を出してはいるが、相変わらず容赦ない。こっちは逃げ回ることしか出来ない。
水穂も本気は出しているのだろうが、息一つ乱れていない。まだ全然、余力を残している感じだ。
「――げっ!」
ドゴン、木刀で地面にクレーターが出来るなど聞いたことがない。
木刀も、それで壊れないって、気で強化でもしてあるのか? 観客達もポカンとした表情で、俺達の戦いに見入っている。
漫画やアニメじゃあるまいし、こんなものを現実に見せられたら、それは呆けもするだろう。
と、言うか、本気で殺す気か? 幾ら俺でも、今のは痛いの一言で済まされないぞ。
「貸して!」
観客席に居た使用人から竹箒を掠め取る。こんなものでも、ないよりはマシだ。
正直、正面から戦って水穂に勝てる可能性は、極めて低いとしか言いようがない。
いや、そもそも勝ち目なんてあるのか?
何で、こんな絶望的な死合≠しなくてはならないのか?
もう、本気で勘弁して欲しい。泣き出したい思いで一杯だった。
とは言え、俺の命が懸かっている。取り敢えず勝たないととか、そう言うレベルの話ではない。
本気の水穂と対峙すると言う事は、『敗北=死』と言う方程式が背後に付きまとう。そんなレベルの戦いだ。
海賊が恐れるのも無理はない。そもそも、鬼姫や、鬼姫の副官に戦場で出会うと言う事は、彼等にとって文字通り死を意味することなのだから。
そして、俺は今、それを肌でヒシヒシと実感しているところだ。
「太老くん……」
「な、何でしょうか?」
「心配してたのに……まさか、こんな大きな屋敷にメイドを侍らせて、優雅に暮らしているとは思わなかったわ」
「いや、それは確かに否定し難い事実なんだけど、色々と事情があって……」
水穂が木刀を上段から一気に縦に振り下ろすと、直線上に強力な衝撃波が発生した。
咄嗟に回避するが、地面には縦に打ち砕かれたような、深い裂け目が出来ている。その底の見えない亀裂を見て、背中に冷たい汗が走った。
本気で水穂と対峙するのは初めてのことだが、冗談ではない。確実に、あの連中と同クラスの化け物だ。
さすがは樹雷情報局の副官、神木家艦隊司令。皇家の樹のバックアップを受け、生体強化しているとはいえ、常識外れにも程がある。
「気付いたら森の中に放り出されていて……」
(それ、俺と同じ状況です。はい、間違いなく、鷲羽の仕業です)
「散々迷った挙句、着物は駄目にしちゃって、着替えに用意してもらったのは、このメイド服」
(それ、俺の所為じゃないよね? 原因は侍従達じゃん!)
「それでも、助けてもらった恩を、少しでもお返ししようと思っていたら」
(良い心掛けだと思いますよ? うん、さすがは水穂さん)
肩をプルプルと震わせ、今にも襲い掛かって来そうな、物凄い殺気を俺に向けて来る水穂。
「何で、太老くんが主人なのよ! このメイド服も太老くんの趣味ね!」
「それは言い掛かりだ――っ!」
叫びたくなるのも無理はない。益々、混沌とした状況に陥っていた。
【Side out】
異世界の伝道師 第49話『力と力』
作者 193
【Side:水穂】
まさか、太老くんが、こちらの世界に居るとは思わなかった。
しかも、よりにもよって、貴族に成っていたばかりか、大きな屋敷に住み、可愛いメイドを侍らせていたなんて。
(私が酷い目に遭ってる間も、メイドさんと楽しくやっていたと言う訳ね……)
でも、ようやくすべてを理解した。この世界に私が送られて来た真の理由≠。
そう、これは神様≠ェ、太老くんに『お仕置きをしなさい』と、お告げをしているからに違いない。
「大丈夫よ。一撃で済むから、素直に悔い改め、観念しなさい」
「いや、笑顔でニコニコ言われても、全然、観念できないからっ! それに一撃で済むって何さ!」
さすがに逃げ足が早い。回避能力は一級品だ。
彼は、ここぞと言う時の勘が、恐ろしいほどに鋭い。特に身の危険を感じた時は、普段の何倍もの実力を発揮する。
それで、兼光小父様も手を焼いていた。あの小父様が、本気で逃げ回る彼には、一太刀も浴びせられなかったほどだ。
武術の腕だけを見れば、彼は決して優れている訳ではない。
弱いと言う訳ではないが、瀬戸様や、兼光小父様のような本物の達人には、彼の実力では遠く及ばない。
ただ、こと戦闘に置いて、彼は実力以上の結果を必ず導き出す、類稀ない強運と、強かさを併せ持っている。
鬼の寵児≠ニ言うのは、何も海賊との遭遇率が優れていただけで身に付いた呼び名ではない。
文字通り、それは彼の実力≠ナ勝ち取ったものだ。その実績があり、そう呼ばれるに値する根拠≠ェあったからに相違ない。
現に、これだけ攻撃を仕掛けているにも関わらず、私の攻撃は紙一重のところで回避し続けられていた。
「――っ!」
驚愕する。いつの間にか、先程、私が攻撃で作った地面の裂け目に、誘い寄せられていたのだ。
私は裂け目に落ちまいと、慌てて足を引っ込めるが、攻撃の最中だったため、バランスを崩してしまう。
太老くんはと言うと、私の木刀を仰け反るように回避しながら、迷わず、その隙間に身を落とした。
手にしていた竹箒を裂け目の間に引っ掛け、それを軸にし、反動を利用することにより、私の真横に飛び上がる。
「くっ!」
こんな手段で来るとは思わなかった。周囲の状況を的確に利用した流れるような動きだ。
直ぐ様、彼の次の攻撃に対応するため、木刀を右手に持ったまま、体を半回転させる。
だが、僅かに私の攻撃の手が遅い。
(まずい!)
そう思った瞬間、先に、彼の手が私の体へと迫り、メイド服の胸下の辺りを掴み取った。
『え?』
ビリッと言う音が広場に響き、私と彼、二人の声がハモって飛び出した。
常人の何倍もの速度で動き回っていた私達は、当然、周囲に物凄い被害を与えながら、戦いを繰り広げていた。
この庭の惨状をみれば、どう言う事か自ずと分かるはずだ。
穴ぼこだらけ、亀裂の入った地面、砕かれた岩に、真っ二つに折れた大木。先程まで、自然美溢れる美しい景観を持っていた庭園の姿はそこにはなく、台風でも通り過ぎたかのような、荒れ放題の無残な姿を映し出していた。
観客は巻き添えを避け、一次撤退。屋敷の陰から、様子を窺っているような状況だ。
何故、私がこんな話を突然したかと言えば、ようはそれだけの力が交錯している戦場だと言う事を、知って欲しかったからだ。
だから、この状況も――
「いや、水穂さん? 態とじゃないよ?」
「…………」
勢いをつけて回転している所に、服を強引に手掴みされたことで、私の着ていたメイド服は殆ど原型を留めないほど、破れ、千切れ、宙に四散してしまっていた。
多くの使用人達が注目し、固唾を呑んで見守る試合の場で、私は半裸にされたのだ。
何か、彼が言い訳をしているようだが、もう私の耳には届いていない。
余りの怒りから、手に思わず必要以上の力が籠もってしまい、握り締めていた木刀の柄が、バキッと言う音を立てて、粉々に砕け散った。
小さく、「ヒィ」と言う悲鳴を上げて後退る太老くん。しかし、私は彼を許す気も、逃がす気もない。
「ちょっ! ま――」
彼の言葉を最後まで聞かないまま、私は左足をドンと、力強く大地に踏みしめ、掌底を彼の鳩尾に向かって放つ。
ドゴンと言う、鈍く、大気を打つような巨大な音が聞こえたかと思うと、太老くんは空を舞い、凄い勢いで離れの温泉の方へと飛んでいった。
星になった彼を、ポカンとした表情で見送り、観客達は呆然とした表情で固まっている。
「……ちょ、ちょっとやり過ぎちゃったかしら?」
我に返ったのは、肩を震わせ、怯えたような表情で私のことを見る観客達に、気付いてからのことだった。
【Side out】
【Side:太老】
「落下地点が温泉で助かった……」
不幸中の幸いと言う奴だ。自業自得とはいえ、あの勢いで地面に叩きつけられたのでは、溜まったものではない。
まだ、腹の辺りがジンジンと傷む。水穂を怒らせるものじゃないと、本気で後悔していた。
何とか、命があっただけ、マシと言うものだ。
正直、こうして生きていること自体が、奇跡のようなものだと俺は思っている。
「まったく、太老くんが悪いのよ……あんな……」
「返す言葉もありません……」
俺は今、代えのメイド服に着替えた水穂に、屋敷の書斎で怪我の治療を施してもらっていた。
態とじゃないのだが、衆目の前で脱がせてしまった以上、言い訳が出来ない。
足元にまで注意を払う余裕がなく、地面の裂け目に足を取られて落下したかと思えば、手に持っていた竹箒が引っ掛かったお陰で危機を脱した。
そこまではよかった。だが、バネの反作用で勢いよく飛び出してしまったため、水穂の真横に飛び出てしまい、慌てて逃げないとと体の向きを変えた瞬間、手が水穂の服を掴んでいたのだ。
後のことは、知っての通りだ。
水穂を引ん剥き、その水穂にお仕置きとばかりに掌底を打ち込まれ、俺は宙を舞って温泉へと弾き飛ばされた。
「はい、終わり」
「このくらい、放って置いても大丈夫と思うけど……」
「駄目よ。それに、私も少しは、やり過ぎてしまったと反省してるのよ……」
ドヨンと暗い影を落として、肩を落とす水穂。取り敢えず、治療を受けながらだが、俺の方の事情は掻い摘んで水穂には話した。
彼女も気がついたら、こちらの世界に居たらしく、鷲羽と鬼姫が関わっていると言う事は確かなようだ。
二人して何を考えているのか? 俺ばかりでなく、水穂まで、こっちに送る理由が掴めない。
正直、この世界が、本当に『異世界の聖機師物語』の世界と繋がっているのかと言う、疑問さえ出て来た。
色々と狂い始めている気がする。この世界に最初に来るのは剣士だったはずだ。
それが、俺が最初に来て、次は水穂。この世界の結末が、どんなものかは知らないが、確実に狂い始めているはずだ。
ここまでイレギュラーが続くと、本当に剣士が来るのかどうかも怪しく感じる。
もし来なかった場合、俺と水穂が、その役目を演じることになるのだろうか?
正直、それは勘弁して欲しい。
水穂なら、十分に役目をこなしてくれそうではあるけど、俺は自信がない。
正直、実力だけで言えば、水穂の方が、剣士よりも適任だろう。
「じゃあ、太老くんも、何でこの世界にいるのか分からないのね?」
「ええ……異世界だと言うのは確かだと思うんですけど、俺も、水穂さんと状況が同じような感じでしたしね」
俺の場合はマリアが、水穂の場合は侍従達の助けがあったからよかったが、正直、森の中に放置プレイは勘弁して欲しいと思う。
下手をすれば森の中で遭難して、何日もサバイバル生活を余儀なくされたと言う事だ。
そのことだけは、水穂も同意見のようで、俺の苦労を分かち合ってくれた。
何れにせよ、俺達だけで元の世界に帰る術は、今のところ、何もないと言う事だ。
水穂もその辺のことは承知しているようで、だから身銭を稼ごうと、仕事の口利きを侍従達にしてもらったらしい。
働きながら、この世界の情報を仕入れ、向こうの世界に帰るための解決の糸口を、少しずつ探っていくつもりでいたようだ。
さすがに色々と考えている。行き当たりばったりの俺とは大違いだ。
「でも、太老くんが貴族、それも商会の代表ね」
「似合わないでしょ?」
「そう? 性格はあれだけど、能力的には結構相応しいんと思うけど」
性格に問題があるのは否定しないらしい。
こう言う、気心の知れた身内に対する、明け透けとした遠慮のない物言いは、非常に水穂さんらしいけど。
何だか、久し振りに、隠し事なく話せる人と出会った気がする。俺の良い部分も、悪い部分も知り尽くしている水穂だ。
細かく内容を話しただけではないが、大筋のことは、それだけで察してくれたのだろう。
「どちらにせよ、これからどうするか考えないといけないわね」
「ああ、そうだ。予想通りなら、水穂さんも聖機人に乗れると思いますけど、それは内緒にしておいた方がいいですよ」
「え? 何故?」
事情を取り敢えず説明する。聖機師の義務や、この世界の大まかな風習や伝統などを掻い摘んで。
何だか呆れた様子で聞いていたが、それがこちらのルールなら仕方ないと、水穂も首を縦に振ってくれた。
元の世界に帰る手段がない以上、ここで問題を起こすのは得策ではない。
そのことは、水穂も分かっているはずだ。
「でも、もしもの時は太老くんが貰ってくれるんでしょ?」
「え……」
ドキッとする笑顔で、そんな事を言う水穂を見て、胸の動悸が激しくなる。
「冗談よ。そうなる前に、早く帰る手段を見つけないとね」
「あはは……そう、ですよね」
ちょっと残念だと思ったのは内緒だ。
鬼姫の件がなければ、水穂は美人だし、気立てもよく賢い上に、艦隊指揮から家事までこなせる、フローラ以上の優秀な人物だ。
傍目には、これ以上ないくらいの優良物件なのは間違いない。
ただ、彼女と一緒になることのデメリットの方が大きすぎて、何かと難しいだけで、其処さえカバー出来るのであれば、水穂ほどの女性は、そうはいないだろう。それだけは、俺も認めていた。
まあ、鬼姫の問題をカバー出来て、先程の死合≠見て分かるように、水穂のすべて≠受け入れるだけの度量が、男にあればと言う条件が付く。
正直、普通の男では彼女の相手は務まらないと言うのが、俺や兼光、彼女の周囲の人々、共通の見解だ。
「じゃあ、太老くん、よろしくお願いするわ」
「でも、本当にいいんですか? 俺の従者として働くだなんて……」
話し合いの結果、水穂は俺の専属従者をすることになった。マリエルと同じように、仕事の補佐兼、護衛を務めてもらうと言う事だ。
以前は俺が、鬼姫や水穂の小間使いのような立場だっただけに、立場が逆転したようなものだ。
仮にも樹雷の艦隊司令、情報部の副官、更には『柾木』の姓を持ち、皇家の樹との契約も済ませている樹雷の皇族≠フ彼女を扱き使うなど、幾ら無遠慮、無頓着な俺でも、多少は気にする。
「こっちのルールに従うのなら、それが一番でしょう?
だから、太老くん、しっかり私を守って頂戴ね」
「…………はい」
守る必要性があるのか甚だ疑問だが、同郷の好みで衣食住の世話くらいはしてもいいだろう。
そもそも、向こうでは水穂の世話になりっ放しだったし、これを恩返しだと思えばいいことだ。
取り敢えず、マリア達には、『水穂と二人きりで話がある』と言って、彼女を書斎に連れ込んでいたので、後で事情を説明する必要がある。
異世界人だと言う事は話さないまでも、水穂が俺の同郷だと言う事は、説明しておく必要がありそうだ。
「はあ……」
知り合いに会えたことは嬉しかったが、これからのことを思うと、少し憂鬱でならなかった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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