【Side:ユキネ】

「鬼……鬼が……」

 私はずっと夢を見てうなされていた。原因は彼女――柾木水穂との訓練にある。
 彼女の実力を直に見ておきたいと、軽い気持ちで訓練に誘ったのが失敗だった。

「ほら、避けないと本当に死ぬわよ?」

 地面を這いつくばって、転がるように惨めに逃げ回る私。力、速さ、技、あらゆる面で彼女には遠く及ばない。
 そもそも、彼女に戦いを挑むという行為自体が、愚かな選択だったとしか思えないほどの圧倒的な力の差が其処にはあった。
 太老が凄いと言うのは分かっていたつもりだったが、こんな相手に互角の試合を繰り広げていたのかと思うと言葉も出ない。
 とてもではないが、私程度では微塵も勝ち目などない。
 私が死に物狂いで逃げることしか出来ない戦いですら、彼女にとっては準備運動にも満たない、単なる遊びにしかなっていないのだから――

「剣の腕は中々のものだけど、その他が全然駄目ね。
 力、速さ、それに経験も足りてない所為か、判断力や洞察力も今一つ」

 上には上がいると言う事は、自覚しているつもりではいる。それでも、聖機師の中で、上位に入る実力者だと言う自負はあった。
 しかし、彼女は格が違う。その戦い振りは、まさに鬼神。戦人と呼ぶに相応しい実力を、彼女は兼ね備えている。
 その外見に惑わされてはいけない。人の姿をしてはいても、中身は鬼≠サのものだ。
 それほどに、常軌を逸した強さを彼女は持っていた。

 太老といい、彼女といい、『マサキ』と姓のつく一族は、皆、こんな力を持った人達ばかりなのか? と、私の脳裏に疑問が過ぎる。
 もし、そうだとすれば、とんでもない一族だ。彼等の胸三寸に、世界の命運が握られていると言っても過言ではない。

「丁度よかったわ。暇を持て余していたところだし、しばらくは私が鍛えてあげる」
「え……でも、そんな事をしてもらう訳には」

 正直、訓練の度に生死の懸かった戦いなどしたくはない。
 彼女は汗一つ掻かず、ニコニコと微笑んでいるが、私はただ逃げ回っていただけで満身創痍になっている。
 こんな訓練に毎日耐えられるはずがない。例え耐えられても、正気でいられる自信がない。

「遠慮しなくていいのよ? ほら、マリアちゃんの護衛を続けるなら、ちょっとでも強くなっておいた方がいいでしょ?」

 それはそうなのだが、彼女基準のちょっと≠ニ言うのが不安でならない。
 足元にも及ばないどころか、遊び相手にすらなってないような状況なのだ。

「ユキネちゃん用の訓練メニューを考えないといけないわね。大丈夫、私に任せておきなさい」

 とても安心など出来るはずもなかった。

【Side out】





異世界の伝道師 第53話『デート裏の陰謀』
作者 193






【Side:太老】

「……何で、こんな事になってるだ?」

 俺は、屋敷より北東に足を運んだ場所にある、領地内でも一番大きな街に買い物に訪れていた。
 同行しているのはマリア、水穂、そして――

「太老様、このチリドック≠チて食べ物凄く美味しいです!」
「私はこのチョコレートシェイク≠チて言うのが好みかな。甘くて冷たくて美味しいし」
「太老様、これも頼んでいいですか? 月食バーガー≠チて言うの」
「ああ……もう、好きに頼んでくれ」

 侍従三人揃えば姦しいと言うべきか。彼女達は、水穂を助けてくれたメイド隊の三人の侍従達だ。
 丁度、出掛ける間際、偶然にも彼女達と顔を合わせたのが運の尽きだった。
 まあ、同行すること自体は別に悪くない。彼女達には、水穂を助けてくれたお礼もちゃんとしたかったし、良い機会だとは思った。
 とは言え、俺から言い出したこととは言え、幾らなんでも遠慮なく食べすぎだ。
 そう、ここはタクドナルド、通称タックのマサキ領支店。現在、彼女達は俺の奢り≠ナ、タックの食べ放題≠ノ殉じている。

(早まったかも知れない……)

 本気で、そう思えるほど食ってくれた。
 懐に余裕があるとはいえ、目の前でこう奢りと分かってガツガツと食われると、精神的な何かが磨り減っていく気がする。
 皆の目の前で、『今日の財布は全て俺が持つ』と大見得を切ってしまった手前、今更なかったことにしてくれなどと言えるはずもない。

「あなた達、もう少し遠慮と言うものを……」

 さすがはマリエル。言う事が違う。
 だけど、マリエルとマリアが注文しているのは、タックでも一番高い『マウンテンビッグパフェちょっと特盛サイズ』だ。
 ちょっととか言いながら、軽く十人前はあろうかと言う超ビッグパフェ。
 そのパフェが机の上でドンと存在感を放ち、マリアの姿をすっぽりと覆い隠してしまっている。
 どうしても一度食べてみたかったと言う事だが、幾らなんでも、マリアとマリエルの体格では無理がある。

「マリア様、これ、とても冷たくて美味しいです」
「そ、そうですわね」

 俺の予想とは裏腹に、物凄いペースでパフェを消化していく二人。すでに三分の一はなくなっている。

(……あの小さな体の、どこに入ってるんだ?)

 三人を連れ出そうとしていたところで、今度はマリエルに見つかり、彼女も同行することになった。
 本人曰く『私は太老様の専属メイドですから』だそうだ。
 こうして、結局、ユキネを除く、いつもの大所帯で買い物に来ることになってしまった。

「太老くん、太老くん」
「はいはい……何ですか? 水穂さん」
「これ、一緒に飲まない?」
「えっと何々……『これで恋人との甘い一時を……ラブラブトロピカルジュース』って! ちょっ!」

 水穂は俺の反応を窺いながら、クスクスと笑って楽しんでいる。
 冗談ではない。これ以上、玩具にされて堪るかと俺は席を離れようとしたのだが、

「あの――こ、これください!」
「マリア様!? わ、私もお願いします!」
「じゃあ、私もお願いできます?」
『私達も是非、お願いします!』
「はい、ラブラブトロピカルジュースを六つですね」

 マリア、マリエル、水穂、そしてそれに便乗した侍従三人が我先にと手を挙げ、件のジュースを注文していた。
 しかも、俺は水穂にガシッと腕を掴まれていて、逃げようにも逃げ出せない状況に追い込まれている。

(ちょっ! この展開は、まさか!)

 ドンと俺の前に置かれる六杯の巨大なジュース。それぞれにハート型にあしらった二本のストローが刺さっている。
 全員が俺を取り囲むように座り、片側のストローに口をつけて、俺が行動に出るのを、今か、今かと待ち侘びていた。
 まさに、肉食獣に狙われている草食動物の気分だ。
 ここで、誰か一人のストローに口をつけるなどすれば、事態は更に混迷を極めた結果へ向かっていくのは間違いない。
 水穂め、また要らぬ波風を立ててくれる。俺を玩具にして、そんなに楽しいのか。

「くっ! ()くなる上は!」

 俺は六本のストローすべてを一箇所に集約し、一斉にジュースを吸い込む。
 ズズズッと言う音を立て、あっと言う間に消えてくグラスの中の緑色の液体。

(く、苦しい……)

 これぞ、本当の水責めの刑=\―それは、とても甘く、苦しい、初めての経験だった。

【Side out】





【Side:マリア】

 何で、こうなってしまうのか……。
 水穂さんだけならまだしも、気が付けばマリエルに、お供の侍従が三人も加わっていた。
 これでは、もはやデートどころの話ではない。

「『マウンテンビッグパフェちょっと特盛サイズ』をください!」
「は、はい! ただいま!」

 私はメニューの中で、一際大きく目立つそれ≠、指差して注文する。
 その商品名を耳にした店員は、驚いた様子で注文を取り、カウンターの奥へと消えていった。
 それも無理はない。この『マウンテンビッグパフェちょっと特盛サイズ』とは、ここ最近、タックに加わったばかりの商品で、十人前以上はあろうかと言う山盛りサイズのビックパフェのことだ。
 タックで一番高額な商品であることも然ることながら、注文をした多くの挑戦者達が、その山を征服することもなく散っていったと噂される、曰くつきの一品だった。

「マリエル! こうなったら、あなたも付き合いなさい!」
「え、で、ですがマリア様!」

 こうなったら自棄食いだ。前から一度食べてみたかったパフェだし、丁度良い機会だと思った。
 お兄様の奢りと聞いて、次々に思い思いの物を注文する侍従達を見てか、マリエルは遠慮をして飲み物以外、何も注文しようとしない。
 ここで無理にでも誘わなければ、彼女は何も注文しないだろう。
 それでは、お兄様が気にされるのは間違いない。

『今日の財布は全て俺が持つ』

 と仰ったのは、お兄様なりの彼女達への気遣いだと、私は察していた。
 侍従の彼女達は、私達のように金銭的に恵まれている訳ではない。
 使用人なのだから、それは当然の事ではあるが、彼女達に荷物を持たせて、食事中も傍に立たせておくような真似を、好まれるお兄様ではない。
 だから、敢えてお兄様はそんな事を言い出した。同じように、街での買い物を彼女達にも楽しんで欲しいと思われたのだ。

 昔からの知り合いだからと言って、水穂さんだけを特別扱いするようなお兄様ではない。
 そこに、私やマリエル達を含めることで、どこまでも平等に、私達のことを扱おうと配慮されたに違いない。
 大衆的なタックを昼食の場に選ばれたのも、出来るだけマリエル達が遠慮をせず、注文をし易いようにと考えられたからだ。
 ここで、私達が下手に遠慮をしても、お兄様を返って困らせてしまうことになるだけだろう。

「ご注文の『マウンテンビッグパフェちょっと特盛サイズ』です」
「う……大きいですわね」
「……マリア様。これは、どこから口を付ければいいのでしょうか?」

 ドンと机の上に置かれたパフェの存在感を前に、身を後に引いてしまう。
 私が隠れてしまうほどの高さを持ったジャンボパフェが、目の前で巨大な存在感を放っていた。
 どこから手を付けてよいやら、全然分からないほどの大きさだ。実物を見るのは初めてだが、とても十人前とは思えない。
 正直、失敗したかも知れないと後悔しつつ、手と口を黙々と動かし続けていた。

「マリア様、これ、とても冷たくて美味しいです」
「そ、そうですわね」

 三分の一ほど食べ進んだところで、私のペースは一気に落ちてしまっていた。
 見通しが甘かった。大好きな甘い物であれば、十人前くらい二人でなら、大丈夫だと予想していたのだ。
 一方、マリエルはその小柄な体のどこに入るのか? と、言うくらいのハイペースで黙々と食べ続けていた。
 本当に美味しそうにパフェを頬張る彼女の姿を見ていると、それだけで、こちらのお腹が一杯になってくる気がする。

「マリア様は、お食べにならないのですか?」
「え、遠慮なさらないで、どうぞお食べになってください」

 とてもではないが、そろそろ限界だ。正直、しばらくはパフェを見たくないと言うのが本音だ。
 結局、残りはすべてマリエル一人で食べてしまった。あの小さな体のどこに、そんな量が入るのか? 不思議でならない。
 それに、他の侍従達もよく食べる。このまま、タックのフードメニューを、三人ですべて平らげてしまいそうな勢いだ。

(侍従……いえ、メイド≠ニ言うのは、どんな体の構造をしているのかしら?)

 女体の神秘、いやメイド≠フ凄さを思い知ったような気がした。

【Side out】





【Side:太老】

 正直、しばらくはジュースを飲みたくない。
 あのシュワシュワとした緑色の液体を見るだけで、吐き気が込み上げてきそうだ。

「大丈夫ですか? お兄様」
「……何とかね」

 散々な出費だったが、予定の物はちゃんと買えたので、取り敢えずは由とする。
 とは言え、マリアが心配してくれるように、正直、無茶をやり過ぎた。
 一杯、二リットルはあるビックサイズのジュースを六杯だ。
 しかも、場の空気に圧され、勢いで一気に飲み干してしまったため、その殆どは俺の胃に収まっている。
 気分が悪くなって当然だ。マリアは心配した様子で、俺の背中をさすってくれている。
 マリアの優しさが、胸に染み渡るようだった。

「太老様、どうしても辛いようならお車を手配致しますが……」
「いや、そこまでしてもらわなくても大丈夫だから、外の空気に当たっていれば、少しはマシになると思うし」

 マリエルも眉を吊り上げ、心配した様子で俺の汗をタオルで拭ってくれていた。
 天下の往来で、美少女二人に甲斐甲斐しく介護されているのだ。
 時折、チラチラとこちらを見てくる男共の視線が痛い気がするが、二人の気遣いを無碍にする訳にもいかない。
 それに何より、こんなに美味しいシチュエーションを見逃す俺ではない。

(羨ましければ妬むがいい。メイドを、しかも美少女を侍らす俺は、まさに人生の勝ち組だ!)
「太老くん……また、よからぬ妄想をしているわね」

 ハッ――水穂に気付かれてしまった。
 思わず本音が漏れ出てしまっていたか。とは言え、この苦しさも喜びに変わるくらい、幸福の絶頂にいるのは事実だ。
 あのジュースの件や、きつい出費は痛かったが、これのためだったと思えば、どこか諦めがつく。
 とは言え、水穂はもうちょっと自重して欲しいと思わなくはない。
 三人の侍従達が牽いているリヤカー。その後に積まれている大量の荷物の殆どは、水穂の買い物の成果だ。
 良いものを安く買う。商売人を相手に値切る精神は感服したが、幾らなんでも俺の金≠ナ物を買いすぎだ。

「太老くん、男が細かいことを気にしては駄目よ。女には時として譲れない物、必要な物がたくさんあるの」
「自覚しているのなら、少しは控えてください……」

 侍従達が遠慮ないのも、元を正せば、水穂が色々と焚き付けたからだ。
 まさか、タックのフードメニューを、三人で全て制覇するとは思いもしなかった。
 あれにはオーダーを取っていた店員の方が、冷や汗を流していたほどだ。
 割引クーポンを持って来ておいて、本当に正解だったと思う。
 これだけ、クーポンが役に立ったことも、今までにあるまい。

『こう言う時、遠慮する方が失礼に値するのよ。太老くんも男の子なんだから見得≠張らせてあげないと』

 などと言って、徐々に侍従達を懐柔していった。

 確かに、侍従の三人には何かお返しが出来ればとは考えていた。
 水穂にも先日の負い目がある分、必要な物くらいは俺が用意してやるつもりでいた。

 しかし、何事にも限度と言うものがある。遠慮がなさ過ぎるのも困り者だ。
 どうせ、水穂のことだ。確実に、これも態とやっているに違いない。
 俺を困らせて、その反応を楽しんでいると言う事は分かっている。

(……すべては計算通りと言う訳か)

 水穂が策を講じ、皆を色々と焚き付けてくれたお陰で、最初に感じていた余所余所しい壁のようなものは、皆の中から確かに消えていた。
 代わりに女性達の間に、妙な連帯感が生まれているような気が、色々としなくもない。

 まあ、そのことはいい。そもそも、マリアの不信感を拭うことが一番の目的だったので、この結果には満足している。
 しかし、その代わりに、俺が多大な犠牲≠色々と支払った気がするのは、俺の気の所為ではないだろう。
 水穂の言った『共同戦線』という言葉の意味を、しっかりと考えておくべきだったと、今更ながらに後悔していた。

 俺を餌≠ノすることで、皆の警戒心を解き――
 俺をネタ≠ノ、全員の(わだかま)りを解し――
 俺を理由≠ノ、結束力を高めることが――

 水穂の真の狙いだったのだ。
 そう、俺はまんまと水穂に利用され、策に嵌められたと言う事だ。

(フフフ……覚えていろ)

 衆目の前でメイド服を脱がせたりと負い目があった分、今までは黙ってはいたが、これだけされて引き下がるつもりはない。
 やはり、水穂はアイリの娘=A鬼姫の副官≠セ。 結局は、俺と相容れぬ者、戦う宿命にあると言う事だ。

(この恨み、晴らさずにおくべきか!)

 俺は密かに、水穂への復讐を心の中で叫んでいた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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