【Side:太老】
燃えた燃え尽きたよ真っ白に……。
気付けば首都に戻ってきていた。ショックを受けて灰になっている間に、マリアが俺を首都に運び入れてくれたようだ。
ここを出る前に手配しておいた屋敷の方も問題なく改装が済み、昨日の内に荷物を運び入れてくれたらしい。
マリアとユキネはずっと留守にしていたこともあり、フローラに呼び出されて皇宮の方に戻ったが、マリエル達は俺と一緒に商会に程近い場所にあるこの屋敷≠ナ寝泊りをした。
部屋割りなどは昨日の内に済ませたようだが、荷物はまだ全て片付いていないので、今日はその作業に時間を費やすつもりだ。
少し予定が狂ってしまったが、一日早く首都に帰ってきてしまっただけで大きな問題はない。
あのことを除けば――
「うー、頭がガンガンするわ」
「水穂様……まだ寝ていらした方がよろしいのでは?」
「大丈夫よ。熱は下がったみたいだし……昨日はごめんなさいね」
水穂は二日酔いのような状態になっていた。どうも本調子ではないようだ。
ロデシアトレの症状を中和するトリアム草は、連絡を受けて港に控えていた医師達により昨日の内に水穂に投与されたらしい。
マリアが慌てて連絡を入れた所為か、随分と大事になっていたようだが、そのことも含めて事情説明にフローラに呼び出されたのだろう。
何はともあれ水穂が快復してくれて俺も一安心だ。
昨日のような状態の水穂に数日絡まれたら、俺は間違いなく色々な意味で干からび……灰になってしまう。
そう、あんな――
「太老様も昨日から加減が優れないご様子ですが大丈夫ですか?
手伝って頂かなくても、私達だけで片付けてしまいますが……」
「いや、大丈夫。重い物もあるでしょ? そう言うのは俺が運ぶから遠慮なく言ってくれていいよ」
頭をブルブルと左右に振って、昨日のことを忘れよう、と自分に言い聞かせる。
思い起こすと、色々とトラウマが呼び起こされそうになるが、グッと我慢した。
一体何があったんだって? それを聞かないでもらえるか……。
『水穂お姉ちゃん! やめて――っ!』
『駄目よ。ほら、お姉ちゃんに身を委ねて』
やはり水穂も『柾木』の女だ、と痛感する出来事だった。
異世界の伝道師 第70話『初体験』
作者 193
「働きたい?」
翌朝、シンシアとグレースにそんな事を頼まれてしまった。
書庫整理の件は確かに手伝ってもらったが、働くとなるとまた別の話だ。
二人はまだ子供だ。ちゃんとした仕事をするには色々と早すぎる。
「でも、マリアも私達と一つしか違わないじゃないか」
グレースの言い分もある意味でもっともなのだが、扱き使っている身で言える立場ではないがマリアはこの国の王女だ。
彼女には生まれ持っての責任や役目がある。マリア自身もそのことを強く自覚し、王女であることに誇りを持っているので、俺はそのことについて余りとやかく言うつもりはなかった。
しかし、シンシアとグレースは違う。少し頭がいいかも知れないが、彼女達はそうしたしがらみとは縁のない普通の少女だ。
確かにミツキやマリエルが働いているのに、自分達だけが何もしないと言うのは気が引けるのかも知れないが、あの二人だってシンシアとグレースが働くことなど望んではいないだろう。
「でもな……」
「まだ先日の約束≠熾キいてもらってないだろ? 太老は私に借りがあるよな」
グレースにそれを言われると確かに痛い。
それにシンシアにお願いされた『父親になって欲しい』と言う願いも、俺はあれがお礼だとは思ってなどいなかった。
そんな事がなくても、俺にとってシンシアとグレースは大切な存在だ。マリエルのこともあるが、それこそ本当の家族のように思っている。
だから、二人には大きな借りがあると言う事になる。
二人が頑張ってくれなければ、あんな僅かな期間で書庫整理など終わるはずもなかったからだ。
あの目録があれば、残してきた侍従達も随分と仕事が捗ることは間違いない。
「はあ……分かった。その代わり、俺の頼みも聞いてくれないか?」
「交換条件って訳か……分かった」
グレースから言質は取ったので、以前から考えていたことを二人に話す。
「二人とも、ちゃんと学校に行くこと。それが俺の提示する条件だ」
「へ?」
「……?」
グレースは目を丸くして呆然とした様子で、シンシアはよく分かっていないのか首を傾げていた。
マリアが立場上、普通の学校には行けないために、必要な勉強など全て家庭教師で済ませていることは俺も知っている。
しかし、シンシアとグレースの二人は別だ。ずっと考えていたのだが、二人の年齢なら学校に通っているのが普通だ。
学校に行かない理由に、頭がいいとか、勉強する必要性がないとか、そんなのは理由にならない。
同世代の子供達に囲まれて勉学を共にすることは、二人にとっても良い経験になるはずだ。
「本当はミツキやマリエルと相談してから二人には話すつもりでいたんだが丁度よかったな」
「いや、ちょっと待て、太老!」
「何だ? 一度、了承した言葉を取り消すのか?」
「――うっ!」
結局、力なく肩を落とし、俺の話を受け入れるグレース。
シンシアとグレースの制服姿。さぞ可愛いのだろうな、と想像を膨らませ俺は表情を綻ばせていた。
【Side:ミツキ】
太老様から話があると書斎に呼び出されてみれば、そこにはシンシアとグレース、それにマリエルの姿もあった。
マリエルが手にしたファイルと睨み合い、何やら難しい顔をしている。
「太老様、お話は分かりました。二人を学校に通わせたいと言うお気持ちは、とてもありがたいのですが……」
「……学校?」
私が状況を飲み込めずに困惑した様子でいると、マリエルが手に持っていたファイルを私に手渡し見せてくれた。
そこに書かれている内容は確かに驚くべきものだった。
――ハヴォニワ王立学院
ハヴォニワの歴史上最も古い伝統と格式を持つ、王政府直下の学院の名だ。
当然そこに通う学生ともなれば、家柄もよく格式も高い貴族の子女ばかり。
学費だけでも平民が通うような学校とは桁が違う。とてもではないが、平民がおいそれと支払える額ではない。
「来年、マリアが聖地の学院に入学するって話を聞いてね。
なら、ここで単位を取得すれば、そのまま聖地の学院に通えるって言うからさ。
シンシアとグレースの二人なら、中途入学でも十分にやれると思うしね」
太老様の口から聖地≠フ名前を聞いて、当時の記憶が思い起こされた。
確かにこの学院に入学さえすれば、聖機師でなくても聖地の学院に入学することは可能だろう。
聖地の学院は謂わば、一流の統治者を育成するための修行の場。聖機師を除けば、各国の王侯貴族ばかりが通う由緒正しき学院だ。
特権階級にある方々ばかりが通う学院とあって、あそこも学費が並みの額ではない。
それにただ金を支払えば入学できると言う訳ではなく、身分を証明する何らかの証≠ェ必要となる。
極普通の平民が通えるような学院ではないのだ。
「太老様、お気持ちは嬉しいのですが私達にはとても、そんな学費を支払えるような蓄えは……」
二人を学校に通わせてやりたいと言う思いは確かに私にもあるが、これはさすがに不可能だ。
だから、この話をお断りしようと太老様にそう返事を返したのだが、
「学費なら心配することはないよ。二人の分は俺が出すから」
「そ、そんな! そこまでして頂く訳には――」
「二人の父親をやるって約束したしね。だったら、このくらいの面倒は見させてくれないかな?
それに何も無償でって訳じゃない。学業優先にはなるけど、二人には俺の仕事も手伝ってもらおうと思ってる。
学費は、その報酬ってことで受け取ってもらって構わないから」
そこまで言われると、さすがに断り辛いものがあった。
太老様がシンシアとグレースのことを、心から気に掛けてくださっていることが分かっていたからだ。
仕事の手伝いが報酬とは仰っているが、子供二人が働いたからと言って、簡単に返せるような額ではない。
私達が少しでも気にしなくてもいいようにと、そんな風に気遣ってくださっていることは間違いなかった。
「分かりました。二人のこと、よろしくお願いします」
「母さん!?」
「太老様の心遣いを無碍にする訳にはいかないわ。あなたも、この意味が分かるでしょう?」
「……はい。太老様、よろしくお願いします」
マリエルも私に続いて太老様に深々と頭を下げた。
きっとマリエルも私と同じことを考えているに違いない。また、大きな恩が出来てしまった、と。
親子揃って、この恩にどう報いていけばいいのかが分からない。しかし、このままと言う訳にはいかなかった。
いつまでも太老様の優しさに甘えている訳にはいかないのだから――
【Side out】
【Side:太老】
マリアに通信で連絡を入れ、二人の学院入学の件を相談すると、この王立学院のパンフレットを直ぐに送ってくれた。
本来は貴族の子女しか入学が許されない格式高い学院らしいのだが、俺が二人の後見人と言う事で申し出れば、簡単に審査が通るだろうと教えてもらった。
それに来年にはマリアも聖地の学院に赴くと言う話だし、この学院の卒業生であれば聖地の学院に通うことも可能だと言う事なので、俺は丁度いいかと考えていた。
(聖地の学院って全寮制なんだよな。以前にそれで、ユキネとマリアも離れ離れになったって言うし)
あちらは完全に全寮制とのことなので、マリアも一人では寂しいだろう。
従者としてユキネを連れて行くのかも知れないが、それでも知り合いがユキネしかいないと言うのは、きっと心細いに違いない。
だが、シンシアとグレースが一緒に学院に通えることになれば、少しでも寂しい思いをしなくて済むはずだ。
それにシンシアとグレースにとっても、知っている人がいると言うのは心強いことに違いない。
上手く行けば、二人の実力なら飛び級も可能だろうし、マリアと一緒に聖地に入学することも可能かも知れない、と俺は考えていた。
(大体この額でも、まだ少ないくらいなんだよな)
学費は確かにそれなりの額ではあるが、二人にやってもらった書庫の仕事の対価として考えれば、それほど大きな金額でもない。
あの二人の能力なら、十人分、いや二十人分以上の文官と同じか、それ以上の働きが期待できるので、その給与を支払っていると思えば、まだこれでも少ないくらいだった。
これからは学業優先とは言っても、それなりの働きが期待できることは間違いない。
そこは子供だからと言う理由で正当な報酬を支払わない、と言う訳にはいかない。
さすがに大きな金額を子供に直に手渡すのは躊躇するが、そこは聖地の学院の学費と必要な物を揃えるために貯金に回して置いてやれば問題はないだろう。
「で、私に二人のことを任せたい……と?」
「あの二人にマリエルと同じように、侍従の真似事をさせる訳にもいかないでしょ?
二人の情報処理能力を役立てるなら、水穂さんのところが一番と思って」
「確かにあの二人のことは私も目をつけてたけど……そう、学校ね」
「だから、学業優先で頼みます。あんまり扱き使わないでやってください」
「大丈夫、心得てるわ」
水穂のことは信用しているつもりだが、水穂の仕事振りに触発されてシンシアとグレースが無理をしないとは限らない。
そこだけは注意を促して置いた方がいい、と俺は考えていた。
仕事に気を取られて、学業が疎かになるようでは意味がない。
二人のメインはあくまで学校に行くことだ。幾ら仕事が出来るからと言って、子供を扱き使うような真似は俺もしたくはなかった。
まあ、水穂もその辺りのことは、よく理解してくれていると思う。彼女も何だかんだで言っても子供には優しい。
以前に天地の幼い頃の写真を嬉々とした表情で披露してくれたこともあるように、そこは心配していなかった。
しかしどう言う訳か、俺の成長を綴った隠し撮り写真集が水穂の部屋から出て来たことだけが、今でもずっと謎として残っていた。
そんな物をどこから? と考えると碌でもない答えしか出て来ない。
とは言え、水穂が頑なに口を閉ざして教えてくれないので、俺もそれ以上追及しようがなかった。
あれ、ちゃんと処分してくれたんだろうか?
「そう言えば太老くん……」
「何ですか?」
「先日のこと、覚えているわよね?」
それは三日前のあのこと≠言っているのだろう。水穂がこんな聞き方をするのなら、それしかない。
あの事件が原因で、この三日間、俺達はまともに顔を合わせることも出来ないでいた。
とは言え、いつまでもそんな状態でいられるはずもない。
ようやく気持ちに整理をつけ、顔を合わせても平気なようになったと言うのに、ここに来て蒸し返すような話。
やはり水穂も、相当に気にしていたに違いない。
「俺は……気にしてませんから」
「気にしてないのっ!?」
「いや、全然気にしてないことはないんですけど!」
「太老くんが初めてだったのに……」
それを言われたら弱いが、俺も初めての経験だった。
しかし、こう言う初めては男の俺よりも、女の水穂の方がショックも大きいのだろう。
熱の所為とは言え、あんな痴態を晒してしまったんだ。彼女が思い悩むのも無理はない。
「このままじゃ、お互いにいつまでもスッキリしませんよね……」
「そうね……有耶無耶なままじゃ、ずっと引き摺ったままだと思うし……」
とてもじゃないが、忘れられるようなことではない。ましてや、なかったことになど出来る話でもない。
鬼姫やアイリに知られれば、確実に酒の肴にからかわれることは間違いないのだが、水穂にばかりさせて何もなしと言う訳にはいかない。
男として、責任はきちんと取るべきだと俺は覚悟を決めた。
◆
「水穂さん……」
「太老くん……」
そうして息が触れ合うほど近付き、肌と肌を重ねあう俺と水穂。
「ああぁ! そこ……太老くん、やっぱり逞しいわね……」
「水穂さん、もうこれ以上は……」
「駄目よ。そこはもっと強く、ああ……いいっ!」
部屋の外にまで聞こえそうな艶っぽい喘ぎ声を上げる水穂。
扉の外で、何かガタガタと物音が聞こえたような気がしたが、気の所為か?
「太老くん、次は腰の方をお願いね」
「分かってますよ……鬼……瀬戸様にも随分とやらされましたしね」
そう、俺が水穂にやっているのは全身マッサージだった。
何か勘違いしていた奴。少し頭を冷やしてくるといい。
あの日、暴走した水穂に下着一枚の状態まで引ん剥かれた俺は、疲れを取ってやると言う名目で体中を弄くり回され、マッサージ地獄を体験させられてしまった。
以前に鬼姫とアイリが、水穂に酒を飲ませることを渋っていた理由がようやく分かった。
あのマッサージは、はっきり言って危険だ。何が危険って、あのマッサージを味わえば分かる。文字通り天にも昇る気持ちで、真っ白に燃え尽きること請け合いだ。
鬼姫とアイリの二人は、そのことを知っていて態と避けていたのだろう。
水穂曰く、男性に全身隅々までマッサージを施したことは、あれが初めての経験だったらしい。
それで気恥ずかしくなって照れた様相を浮かべていたのだが、正直、そんな初めての男にはなりたくなかった。
確かに筋肉の疲れは取れたが、体の感度は異常によくなるし、精神的に色々なものを擦り減らしてしまったことは間違いない。
俺も、瀬戸に随分とやらされたことがあって、水穂ほどではないがマッサージにはそこそこ自信があったが、さすがにマッサージ一つであそこまでの芸当は不可能だ。柾木家の恐ろしさの片鱗を味わった気がした。
「そう言えば、剣士くんも凄く上手いらしいのよね」
「ああ、それなら俺も聞きましたよ。美星さんがその被害にあって、足腰が立たなくなったとか……」
何かと器用な剣士のことだ。マッサージが上手いと言うのも、どこか納得の行く話だった。
とは言え、その話が噂になってからは、誰も剣士にマッサージをさせようと言うものはいなくなっていた。
全員が、第二、第三の被害者になることを恐れたからだ。
「一度も二度も同じだし、また私もやってあげましょうか?」
「遠慮しておきます……水穂さんにやられると仕事になりませんから」
剣士といい、水穂といい、俺は二度と柾木家の人間のマッサージだけは受けない、と固く心に誓っていた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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