【Side:水穂】
『それで、シロとクロが捕まえた侵入者さん達、どうしたらいいですか?』
「領地に駐留している軍に引き渡して、こちらに送ってもらえるかしら?
後のことは、こっちで全部やっておくわ」
『分かりました。水穂様――太老様に、たまには領地に帰ってきてください、って言っておいてくださいね』
「軍事訓練の件もあるし、それに農業用工作機の導入や都市開発の件もあるから近い内に行くことになるとは思うけど、ちゃんと言っておくわね。あなた達は引き続き、本邸の管理と領地運営をお願い」
最近、領地の屋敷に間諜≠ニ思しき侵入者が度々目撃されるようになった、という報告を、本邸に残してきた侍従達から受けていた。
何となくそうなることは予想していたのでバイオボーグを残してきたのだが、その二匹に『シロ』と『クロ』という名前をつけてペット扱いしている侍従達の度量の大きさには感心した。
しかし、彼女達に可愛がられて、バイオボーグの方も張り切って仕事をしてくれているようなので、細かいことは気にしないことにする。
結果が伴っているのであれば、些細な問題を気にしていても仕方ない。
「でも、侵入者の数が随分と増えてきたわね。
向こうはバイオボーグに任せておいて大丈夫だとしても、こちらも対策を講じておかないと」
実のところ、太老くんがシトレイユ皇国に出張に行った隙を狙って、この首都の屋敷に侵入を試みた不届き者がいた。
屋敷の四方には、アカデミー製の探知用センサーを設置してあるので、侵入者があれば直ぐに分かる。
私は当然として、ミツキも並の侵入者に後れを取るようなことはない。
ましてや、相手は生体強化も施されていない初期文明人。捕獲その物は簡単だった。
しかし、こうも頻繁に侵入者があるようでは、幾ら対処が簡単だとは言っても、何らかの対策を講じておく必要はある。
ずっと私やミツキが、屋敷に詰めている訳にもいかないからだ。
「シトレイユ皇国からの間諜が殆どね。後は、教会が次に多いか」
尋問など面倒なことをしなくても、向こうから持ってきている機材で記憶を読み取れば良いだけのことなので、大体どこの間諜かを突き止めることは難しくない。
所詮は捨て駒、大した情報を持っている訳ではないが、それだけでも相手の出方を窺うことは出来る。
シトレイユ皇国からの間諜はある程度予想していたことなので、今更驚くような内容ではなかった。問題は、教会の方だ。
先史文明の遺産を管理し、各国に供給する聖機人の数を制限する権利を持つ巨大な組織。
国を隔てた、聖機師同士の婚姻を取り持っていたりもしている。
聖地での修行というのも半分は名目に過ぎず、そこで一人前の聖機師として認められなければ、他国の聖機師と婚姻を結ぶことが出来ないなどといった制限がつくのも、各国の聖機師を志す者達が挙って聖地に通う一番の理由となっていた。
「……明らかに何かある、疑ってください、と言わんばかりの組織よね」
伝統と格式、風習と文化、聖機人という絶対兵器を盾に『条約』という名のルールに縛られている教会と各国の関係。
各国の戦力バランスを意図的に調整し、何か目的があって態と競わせているようにも見える。
太老くんにちょっかいを掛けてきているのも、そこに何らかの思惑があるからだと、私は推測していた。
シトレイユ皇国の動向も気に掛けなくてはいけないが、教会の方も楽観視は出来ない。
正直な話、これほど胡散臭い組織は他にない、と言うのが私の率直な感想だ。
この世界の制度を担う元凶とも言える組織だ。
太老くんの存在が世界の均衡を崩し、教会の意志にそぐわないと判断すれば、間違いなく敵側に回ってくるはず。
聖機人という力を管理し、諸国に多大な影響力を持っている分、教会の方がシトレイユ皇国よりもずっと厄介な存在と言えた。
「何れにせよ、準備は早めに済ませておいた方がよさそうね」
いざ、事が起こってから準備不足で対処が遅れたのでは目も当てられない。
さすがにゼロから何もかもを準備するのは大変だが、太老くんのためにも、ここは手を抜く訳にはいかなかった。
【Side out】
異世界の伝道師 第102話『交渉役』
作者 193
「分かりました……はい、では失礼します」
通信を終えた少女は、眼鏡の縁を軽く指でなぞり、深く溜息を吐いた。
彼女の名は、リチア・ポ・チーナ。現教皇の孫に当たる人物だ。
そして、ここは聖地の学院、その生徒会室。
彼女は今年度から上級生の仲間入りをし、栄えある生徒会長を任せられていた。
聖地の生徒会役員と言えば、各国の王侯貴族ばかりが在籍する学院の花形とも言える存在。
その中でも、上級生の初年から生徒会長を任せられている彼女は、一際、特別な存在と言っても間違いではない。
現教皇の孫である、という政治的な立場も勿論関係しているが、それ以上にリチアという少女は、教皇の直系の中でも突出した類い希な知略と才覚を持ち合わせていた。
次期教皇とも噂されるほどの資質を秘めていることからも分かる通り、多生几帳面で融通の利かない性格が玉に瑕だが、その執務能力は高く、能力に見合ったリーダーシップもあるので生徒からの信頼も厚い。
聖地学院の生徒会長として、申し分のない能力と資質を、周囲の誰もに認められていた。
それ故に、彼女も成り行きで生徒会長を演じている訳ではなく、この仕事に誇りと責任を持っている。
「リチア様、一息入れられては如何ですか? 御茶をご用意しましたので」
「そうね。頂こうかしら」
リチアの従者と思しき少女が、疲れきった様子のリチアを気遣い、そう声を掛けた。
従者の少女は、予め用意してあった、茶葉のいい香りが漂う温かな紅茶の入ったカップを、リチアへと差し出す。
「ふう……落ち着くわ」
「先程の通信、教会本部からですか?」
「ええ、お爺様よ。『夏休みにハヴォニワに行って欲しい』と頼まれてしまったわ」
今、通信で話をしていた人物は、現教皇、彼女の祖父に当たる。
聖地は七月の半ばから八月の末までの夏季期間、異世界の風習に習って『夏休み』を取ることが慣例となっている。
その間、学院の寮に残り、自主鍛錬や学業に励む者も入れば、一ヶ月余りの長期休暇を利用して、旅行に行く者や祖国に帰る者も少なくない。
「ハヴォニワ……ですか?」
「ええ、あなたにも私の従者として行ってもらうわよ、ラピス」
基本、聖地は精神鍛錬、修行の場とされていることもあり、王侯貴族や男性聖機師を除く下級生は、夏休みといえど、余程の理由がない限りは聖地を出ることは許されない。
例外として許されることがあるとすれば、キャイアのような王侯貴族の護衛騎士や、エメラのような従者として公務に同行せざるを得ない理由がある場合のみだ。
ラピスと呼ばれた少女も下級生。
リチアの従者という立場でなければ、本来は聖地をでることは許されない立場にあった。
「でも、何故ハヴォニワに? 来年入学なされる予定となっているマリア様のことですか?」
「いえ、そちらは何一つ問題はないわ。こちらも受け入れの準備は出来ていますし、あちらも了承されていることですから、それよりも――」
先程、通信と一緒に送られてきた人物の資料を立体映像に映し、ラピスに見せるリチア。
そこには、最近、聖地でも話題となっている人物の姿が映し出されていた。
「正木太老さん。今、大陸中で話題をさらっている人物よ。名前くらいは、あなたも聞いたことがあるのではなくて?」
「それは勿論。学院内でも、この方の噂で持ちきりですから」
聖地の学院にも、正木太老の噂は広く知れ渡っていた。
ハヴォニワの大貴族で、市場経済に大きな影響力を持つ大商会の担い手。今や、大陸中の諸侯が注目するほどの人物だ。
更には両国の皇族とも親交が深く、有能な男性聖機師であるというのだから、注目を集めない訳がない。
彼が聖機師であるという事実が知れ渡ってからと言うもの、その話題の方向性は更に具体的になり、聖地で修行を送る聖機師達の興味は、彼がいつ学院にやってくるのか、というところに尽きていた。
男性聖機師といえど、聖機師である以上、聖地へ修行に訪れることに例外はない。
来年度はハヴォニワ王国のマリア姫や、シトレイユ皇国のラシャラ姫が入学する予定となっており、そして既に学院に通われているシュリフォンの姫を合わせれば、三国の姫が集うことになる。
それに教皇の孫娘であるリチアと、聖地に集う王侯貴族の顔ぶれは錚々たるものとなっていた。
その中に、現在大陸で一番注目を集める時の人、正木太老の学院入学の話は、生徒達の関心を大きく惹いていた。
太老は今年十七になる。学院に通い始めるにしては遅すぎる年齢だ。
それに、マリアが来年度入学する予定となっていることも、予想を立てる上で大きかったのだろう。
来年度、彼がマリアと共に入学してくるのではないか、と予想を立てている者達も少なくはなかった。
「その太老さんが、入学を渋っているらしいわ。教会の招聘を拒否したらしいのよ」
「まあ……」
リチアの話を聞いて、ラピスが声を上げて驚くのも無理はない。
本来、教会の誘いを無視して聖地に来ることを拒む、という行為自体、聖機師である以上ありえないことだからだ。
しかし、現に太老は断ってきた。そして、ハヴォニワの理由としては、『正木太老を長期に渡り修行に出すことは、ハヴォニワの大きな損失に繋がる』としてきたのだ。
教会としても、断られるとは思いもしていなかったので戸惑っていた。
その理由が国益に関わること、とされれば余り無茶を通す訳にもいかない。
現に、正木商会のもたらしている経済効果は、彼の大国、シトレイユ皇国ですら軽視できないほどに大きな物となっている。
ただ、聖機師であることを理由に、聖地に修行に来ることを促すだけでよかったはずが、問題はそれほど単純な話ではなくなっていた。
下手をすれば、ハヴォニワとの間に外交問題が生じ、教会との関係に亀裂が走る可能性もある。
それだけならばまだいいが、太老はシトレイユ皇国とも親交が深く、政治、経済に密接した深い付き合いを行っている。
三大国家の内、二国との間に軋轢が生じることを、教会は、いや教皇は何よりも恐れていた。
教会内部には太老のことを危険視し、排除しようとする動きも存在する。
しかし、教皇は太老を聖地に招き入れることで、そうした強硬派の動きを抑えようと考えた。
警戒が厳重な聖地ならば、彼等も迂闊な行動は取れない。それに、監視をつけるという意味でも、あそこほど優れた場所はない。
一先ず、様子を見るということで、彼を聖地に閉じ込め、監視を怠りさえしなければ時間を稼げる、と教皇は考えていたからだ。
だが、教皇の思惑とは裏腹に、太老は大して気にも留めていないといった様子で簡単に断ってきた。
「それで、リチア様が……」
「『何としても、彼に学院に入学してもらえるよう、交渉してきて欲しい』――お爺様から、頭を下げてそう頼まれてしまってわね」
その苦肉の策が、リチアのハヴォニワ訪問という訳だ。
体面という物がある。皇族が相手ならまだしも、たった一人の聖機師の入学をお願いするために、教皇自ら訪問すると行ったことが出来るはずもない。かといって、他の者に任せられるほど生易しい交渉ではない。
この交渉次第では、ハヴォニワとの間に致命的な亀裂が生じる可能性も十分に考えられるからだ。
相手は、ハヴォニワやシトレイユに多大な影響力を持つ大貴族。
教会でも、それなりに身分のある者を使者として出さなければならない上に、そうした者達が万が一、高圧的な態度で交渉に臨んでしまえば、こうも簡単に教会の招聘を断ってきた相手だ。間違いなく、その時点で交渉は決裂してしまうことになるだろう。
教皇の孫という身分、そして聖地学院の生徒会長という肩書き、能力的にも交渉役として申し分ない力をリチアは持っている。
そう言う意味でも、リチアは最適な人物だと言えた。
「難しい交渉になりそうね」
「理由が理由ですからね。確かに、それだけの人物を何もなしに、ただ迎え入れるという訳にはいかないでしょうし。
交渉なされるのでしたら、入学までの猶予期間、それに在学期間の短縮や、聖地に居てもお仕事に影響がでないように、と便宜を図ることも考慮に入れられた方がよろしいかと」
「そうね、その線で検討してみるしかないわね。お爺様から『何としても』という名目も頂いてますし、学院長に掛け合って、出来る限りの譲歩をしてもらえるよう、お願いしてみましょう」
リチアが唯一無二の信頼を置く従者、ラピスにこうして相談をすることは珍しくない。
まだ初等二年、十四歳という若輩ながら、忙しいリチアの補佐を、ラピスは一生懸命こなしていた。
周囲に遠慮しがちで少し気の弱いところがあるが、決して仕事の出来ない子ではない。
リチアがこうして忙しい生徒会の仕事と、教会の公務、そして学業を両立出来ているのも、ラピスの的確な補佐があってこそだと言えた。
そのことをリチアも分かっているからこそ、ラピスのことを頼りにしていた。
「では、日程の調整や船の手配は、私の方でやらせて頂きます」
「よろしくね」
ハヴォニワへの訪問。そして、話題の人物との交渉。
生徒会長として、教皇の孫として公の場に出席することに慣れているはずのリチアだが、今回ばかりは事の重大さを理解しているだけに、緊張と不安を隠しきれないでいた。
……TO BE CONTINUED
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m