【Side:エメラ】
武術大会にあの『天の御遣い』や『黄金の聖機人』で噂に名高い、ハヴォニワの正木卿が出場なされると言う話は、直ぐに聖地を駆け巡った。
あの正木商会の支部が聖地に姿を見せ、大会運営の裏方として動いていた事も、その噂の信憑性を高める一番の要因となっていたようだ。
大会まで後二ヶ月――急ピッチで作業が進められていた。
「もう、試されてみましたか? 可愛らしいお人形がついた『プリン』というデザート」
「ええ、とても口当たりが良く甘くて、それにあの人形のモデルってマリア様やラシャラ様なのでしょう?」
「何でも、『ぬこ』という愛称で親しまれているらしいですわ」
すれ違った女生徒達が噂していたのは、最近聖地の中に出来た『コンビニ』という店で売られているデザートの事だ。
目移りしてしまうほどの様々な商品が一箇所に集められ、聖地では見た事もない珍しい物が買えるとあって、学院に通う子女達の間で人気となっていた。
それに、価格もお手軽で、いつでも好きな時に必要な物が手に入るという事もあって、聖地の中で働く従業員の方々にも重宝されているようだ。
ハヴォニワでは既に極当たり前の物として、人々の生活の一部に欠かせない物となっているそうだが、確かにその話にも納得が行く内容だった。商いに関しては専門外だが、客の心を上手く掴んだ素晴らしい商法だと思う。
以前に話題となった『タクドナルド』といい、正木商会、いや太老様の考えられる物はどれも発想豊かで、購買意欲を駆り立てる物ばかりだった。
正木商会が僅か一年余りで、その勢力をここまで拡大した理由。ハヴォニワがシトレイユに迫る勢いで経済成長を遂げている原因にも、それを見れば納得が行く。
「くそっ! ぬけぬけと、こんなところにまで土足で入ってくるとは!」
最近のダグマイア様は、特に機嫌が優れないご様子だった。
その理由は分かっている。正木商会の聖地進出と、武術大会に太老様が出場なされるからだ。
ババルン様より、聖地を出る事を固く禁じられ、軟禁状態にあるダグマイア様。
その原因を作った太老様を逆恨みし、その恨みを日々募らせていた。
「ですが、生徒会、それに学院の承認を得て決まった事ですし」
「五月蠅い! 俺に意見するな、と何度言ったら分かる!」
このように、ダグマイア様のためを思い、私が幾ら忠告をしても聞き入れてはもらえない。
ババルン様や、ダグマイア様の叔父に当たるユライト様にも、ダグマイア様が暴走しないように目を光らせて置いて欲しい、と仰せつかったが、それも難しいと覚悟を決めていた。
これまで、太老様に言われた言葉を胸に、どうにか心を入れ替え、立ち直ってはくれないかとダグマイア様に苦言や進言をしてきたが、その尽くは失敗に終わっていた。私の言葉など、怒りで我を失ってしまっているダグマイア様の耳には届かない。
太老様という絶対的な強者を前にし、今までは太老様が聖機師でないという事でどうにか保てていた自尊心も打ち砕かれ、男性聖機師の中でも特に優れた有能な聖機師であるという最後の誇りも傷つけられ、優れた者への嫉妬や、強者への憧れ、メスト家の跡取りであるという精神的重圧。様々な要因が重なって、ダグマイア様は以前にも増して、力に傾倒する考えを抱くようになっていた。
「この上、万が一、奴が聖武会で優勝するような事があれば……その前に何としても奴を始末――」
「なりません。そのような事をすれば、お立場を悪くするだけです。ババルン様にも、厳重注意を受けたばかりではありませんか」
「このまま奴の好きにさせろ、とでも言う気か! お前はただの従者なんだ! 意見などせず、黙って俺の言葉に従ってさえいればいい!」
太老様の命を狙ったところで、それが成功するとは私には到底思えない。以前のように失敗を繰り返すだけの事だろう。
そうなれば、立場を悪くするのは他の誰でもない。ダグマイア様ご自身だ。
前回は、事実上何のお咎めもなく、あの程度の処分で済んだ。しかし、その所為でババルン様の怒りを買い、こうして軟禁状態にある事を忘れてはいけない。次に何かあれば、ババルン様も決して庇い立てはしてくださらないだろう。
あの件で何もお咎めがなかったのは、太老様やマリア様が決闘騒ぎやダグマイア様のなさった事に関して、敢えて目を瞑って追求なさらないでいてくださったからだ。
それに感謝するどころか、恩を仇で返すような真似、絶対にあってはならない。
次も、太老様が恩情をくださるとは限らないのだから……いや、太老様が許してくださっても、周囲はダグマイア様を責めるだろう。
今よりも一層立場を悪くするだけで、ダグマイア様に得はない。
「お願いします。絶対に早まった真似はなさらないでください」
私は深く頭を下げて、ダグマイア様にお願いをした。
これで聞き入れて頂けない場合、私も覚悟を決めなくてはいけないだろう。
一度目は許して頂けた。しかし、二度目はない。ダグマイア様を止められなかった責任は、私も負わなければならない。
そうでなくては、信頼して任せてくださった太老様に、二度と顔向けが出来ない。
そう、失った機会は二度と戻らないのだから――今は、ダグマイア様を信じる他になかった。
【Side out】
異世界の伝道師 第138話『前座試合』
作者 193
【Side:ラン】
「ラン様、武術大会の先行販売分の集計結果がでました」
「あのさ、やっぱりラン様ってのは……」
「いえ、そう言う訳にはまいりません! ラン様は聖地学院支部の支部長でいらっしゃるのですから!」
以前に余計な事を言ったお陰で、支部の代表に祭り上げられてしまった。
しかも、それを水穂が『面白そうじゃない、頑張ってみなさい。太老くんには言っておいてあげるから』などと言って、軽く承認してしまったのがトドメとなった。
お陰で、あの水穂や太老に認められたという事で、先日の話に信憑性が増し、噂に拍車が掛かり、辞退しようにも逃げるに逃げられない状況に追い込まれてしまった、と言う訳だ。
太老の従者や、ブックメーカーだけならまだしも、商会の支部長なんて大任……はっきり言って予想外もいいところだった。
「やっぱり太老様が一番人気だね。事前予想通りか」
「それも当然かと、太老様の噂はハヴォニワだけでなく、大陸中に広まっていますし」
聖地で実施された先行販売分の賭け札の売り上げは、予想通り太老が一番人気となっていた。
こちらに損失が出るほどではないが、やはり噂というのは大きい。これも、『天の御遣い』のネームバリューだろうか?
他の試合はともかく、太老が出場する試合に関しては、殆ど太老に賭けが集中していた。
「こうなるような気はしてたんだけどね……」
本来であれば、自国の聖機師や所属する派閥の聖機師を応援する物だが、勝負事となると皆シビアな反応だ。
この数字を見る限り、表向きは自国の聖機師を応援したくても、皆、内心は太老が優勝すると思っているのだ。
ある意味で予想通りと言える展開だが、これではブックメーカーとして旨味がない。
「ですが、本当によろしいのですか? 下手をすれば、諸侯の反感を買う事になると思うのですが……」
「今回は賭けよりも寧ろ、『天の御遣いの存在を諸侯に知らしめる事にある』って水穂様も言ってたし、別にいいんじゃない?」
そう、聖地への進出や賭け試合は勿論だが、今回の一番の目的は、各国の諸侯に太老の実力を示す事にあった。
そのために、最も分かりやすく有効な方法として、武術大会での優勝が目標に掲げられているのだが、それだけでは未だインパクトに欠けると言うのが水穂の判断だ。
太老を敵に回す事の恐ろしさ、ハヴォニワと敵対する事が自国にどれだけ不利益をもたらす事か、それを認知させる必要があった。
「ですが、幾ら太老様でもこれは……」
「まあ、大丈夫じゃない? 生徒会や学院の許可は貰ってあるし、生徒からの要望もある。武術大会を盛り上げる前座としては、これ以上ないくらい盛り上がるだろうしね」
侍従が難色を示す理由は、当日のプログラム。そこに書かれている前座にあった。
太老と、学院側から選出された男性聖機師二十名による前座試合。通常であれば、一対二十などという数字、勝負にもならない圧倒的な戦力差だ。
大陸一の大国と呼ばれるシトレイユ皇国ですら、教会から供与されている聖機人の数は約五十体余り。その他の周辺諸国が所有する聖機人の数は、多くても二十体に満たない。平均して十体余りの聖機人を保有するに留まっている。
これは、国力に応じて教会から供与される聖機人の数が、十体から五十体ほどと決められているためだ。
今回、太老が相手をする事になる二十という数は、聖地が保有する戦力の約半分に当たる。たった一機で相手に取れる数ではない。それが、どれだけ有能な聖機師であろうとだ。
ましてや、戦いの舞台となる闘技場は、林立する柱と喫水外の檻に囲まれた、逃げ場などない限定された空間。
歴史上、『達人』と呼ばれた聖機師ですら、苦戦を強いられ困難を極めた舞台だ。普通に考えれば、そんな不利な状況で太老が勝つなどと誰も思わないだろう。
「まあ、見てな。あたしが、この世界で一番敵に回したくない男の実力を」
しかし、水穂は確信している様子だった。
それにマリアも、マリエルも、そしてあたしも――太老の事をよく知る誰もが、太老の勝利を信じて疑わない。
「しかし、まんまとこっちの思惑に乗ってくれた、このダグマイアという男には感謝しないといけないね」
「ラン様……余り、そのような事は」
「ああ、仮にも男性聖機師様だったね。心配しなくても、本人の前では気をつけるよ」
こいつには見覚えがあった。以前に太老に決闘を挑んで、これでもかと言うくらいコテンパンに伸された奴だ。
あれだけ徹底的に打ちのめされたにも拘わらず、真っ先にこの話に飛びついてきたのはコイツだ。しかも、一対二十という数に膨れ上がったのも、こいつが他の男性聖機師を煽り、こちらを挑発してくれたのが原因だった。
どうやって、こんな一見無謀とも言える前座試合を認めさせようか、と考えていた矢先の事だったので、逆にこちらとしては助かったとも言えるのだが、学習能力がないというか、懲りないというか、生身では無理でも聖機人でなら勝てるとでも思ったのだろうか?
だとすれば、これほど無謀で、無知で、命知らずなバカはいない、とあたしは思っていた。
「学院に通う男性聖機師の坊ちゃんってのは、皆こんな命知らずばかりなのかね?」
「太老様は、ハヴォニワだけでなく他国でも、特に女性聖機師の方々に良くも悪くも注目されていますから……聖地でも話題の中心は、いつも太老様の事ばかりですし、男性の方々にとっては面白くないのかもしれませんね」
「だとしても、器の小さい男だよ」
そういうのを逆恨みと言うのだ。男の嫉妬ほど醜いモノはない。
何れにせよ、計画の生け贄は出来た。自ら名乗り出てくれたのだから、他に人を立てるより、こちらも心が痛まなくて済む。
世界中の人々が知る事になるだろう。その目に、胸に焼き付ける事になるだろう。
正木太老の雄姿を、『天の御遣い』と称される男の真の実力を――
【Side out】
【Side:リチア】
「本当によろしかったのですか? このような事を承諾されて」
「上も色々とある、という事よ。学院長もさすがに難色を示していた様子だけど、教会本部の命令となれば、私達にそれを拒む権利はないわ」
「ですが……これでは、余りに」
ラピスが心を痛めるのも無理はなかった。一対二十の試合など、それは既に勝負と言えるモノではない。ただの集団リンチだ。
しかし、正木商会側がそれを承諾しているという事、男性聖機師達の連名による強い希望がある事、そして教会の幹部達がそれを承認した事により、学院長も私も、この暴挙を止める機会を失ってしまった。さすがのお祖父さまも、太老さんに対する内部の反発を、今回ばかりは抑えきれなかったようだ。
太老さんが、大陸一と言われるほど有能な聖機師である事は聞き及んでいる。黄金の聖機人の映像を見せてもらった事があるが、確かにあの聖機人の力は圧倒的と言ってもいいほどだった。
しかし、一対二十など、普通に考えれば勝負になるはずもない。ましてや、あの闘技場で戦うのであれば尚更だ。
林立した柱により機動力は削がれ、喫水外の檻に囲まれているため、空にも、どこにも逃げ場はない。
数で押し切られれば、幾ら実力差があろうと、彼に勝ち目などあるはずもない。だが――
「ラピス、心配しなくても大丈夫よ。多分、彼にも何か考えがあるのでしょう」
「……リチア様?」
このバカげた試合を引き受けたという事は、何らかの勝算があるからだと考えていた。
そうでなければ、説明が付かない。一度会っただけだが、それでも彼の人となりは、それなりに理解したつもりだ。
大商会を一代で築き上げ、ハヴォニワの大貴族までのし上がり、更にはあれほど圧倒的な聖機師としての資質を持ちながら、それを一切鼻に掛けない性格と、貴族や平民など分け隔てなく接する人当たりの良さ。民から慕われ、人望が厚いと言われる理由にも、素直に納得が行く人物だった。
私は立場上、数多くの人物を見てきたつもりだが、あれほどの人物はそうはいない。特に、彼には特別なモノを感じていた。
そんな人物が、勇気と無謀をはき違えるような、愚かな人間だとは、私にはとても思えなかった。
「リチア様は、太老様が勝つとお考えなのですか?」
「彼が本当に『女神様の遣い』であるのなら、そんな奇跡のような事も軽々と成してしまうかもしれないわね」
そう、考えようによっては、これで彼の真価が分かる。
私が以前から感じていた、何とも言えない嫌な予感――その予感の正体も、これではっきりとするはずだ。
結果次第では、今の教会の幹部達のように、伝統や格式、古い考えに凝り固まっていては、教会は何れ、この時代の荒波に埋没していく事になるだろう。
「ラピス、しっかりと見ておきなさい。私達にとっても、重要な意味を持つ一戦になるかもしれないわ」
「……はい、リチア様」
ハヴォニワだけでなく、教会にとっても、今は大切な時期にあるように思えていた。
しかし何があろうと、私の代で教会の歴史を終わらせる訳にはいかない。
見届けなければならない、彼の力を。そして、この世界がどこに向かおうとしているのかを――
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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