【Side:アラン】
「おや、君は……確か、ダグマイアさんの学友のアランくんでしたか?」
「はい、ご無沙汰しています。あの……ダグマイアは?」
「彼なら自分の部屋にいますよ。ただ……うん、まあいいでしょう。訪ねてあげてくれますか?」
ダグマイアを訪ねてメスト家の独立寮に顔を出すと、侍従やいつもダグマイアに付き従っている従者のエメラではなく、彼の叔父に当たるユライト先生が出迎えてくれた。
ユライト・メスト――学院に勤める教師で、優秀な聖機工を輩出する事で知られているメスト家の現当主、シトレイユの宰相ババルン卿の弟君に当たる方だ。
体が弱いという事だが、自身も優秀な聖機工である事で知られ、その女性を惹きつける甘いマスクと気さくな性格から、女生徒からの評判が良い教師だった。
ただ、男子生徒からの評判が良いか、と問われれば微妙だとしかいいようがない。
ダグマイア然り、ユライト先生然り、メスト家は大貴族の一つに数えられるほど家柄もよく、現当主に至っては現在のシトレイユの宰相にまで上り詰めた実力者だ。
その息子であるダグマイアや、弟に当たるユライト先生も、メスト家の名に恥じぬ高い実力を有しており、女性受けをする容姿をしている。
その上、男女どちらにも優しく、人当たりの良い好ましいに性格をしている事もあって、二人の評判は上々だった。
故に妬みから男子生徒の中には二人を――いや、特にユライト先生の事を嫌う者も少なくない。
特にユライト先生の場合、体が弱い事を理由に、聖機工としてシトレイユに仕えるというメスト家の本分を全うしないまま一線を退き、家に反して学院の教師となった事もあって、その上で一見、軽いその態度から女性に媚びているように思われがちなユライト先生の事を、ダグマイアやその取り巻き達は嫌っていた。
俺はダグマイアの友人ではあるが、この先生の事をそれほど嫌っている訳ではない。正直に言えば、どちらでもいいというのが正しい。
人生など人それぞれだ。聖機師として生まれた時から、ある程度生きる道が決まっているとはいっても、全く選択の自由が無い訳じゃない。
その僅かな可能性の中で、ユライト先生が選択した道は彼だけのモノだ。
その人の人生や生き方にまで干渉して、俺は否定する気にはなれなかった。
(ダグマイアは嫌っているようだが……根は悪い先生じゃないしな)
優しいという事は、見方を変えれば面倒見のいい先生だ。
相談すれば親身になって話を聞いてくれるし、そこらの規則や常識で凝り固まった頭でっかちの教師よりも親しみやすく、融通が利く事でも知られている。そうした部分が、ユライト先生の評価を高めているのも事実だ。
俺も、この先生のそうしたところは嫌いじゃない。
「では、失礼します」
ユライト先生の許可をもらって屋敷の中に足を踏み入れる。
――コンコン
ダグマイアの部屋の前までやってきて、扉を何度もノックしてみるが一向に返事がなかった。
「ダグマイアいるか? 入るぞ」
ユライト先生は『部屋にいる』と言った。不審に思った俺は、声を掛けて扉を開いた。
「だ、誰だ!? く、くるなっ!」
「っ! ダグマイア、俺だ!」
「やめてくれ……お願いだ。俺は……俺はっ」
何かに怯えた様子で体を小刻みに震わせ、床に蹲っているダグマイア。こんなダグマイアを見るのは初めての事だ。
先日の前座試合以降、部屋に籠もったまま出て来なくなった男子生徒が大勢いるという話だったが、ダグマイアも同じようになっているとは思いもしなかった。
怪我の方が酷くて、いつもの自主訓練にも出て来ないのだとばかりに考えていたからだ。
「ダグマイア、しっかりしろ! もう、試合は終わったんだ」
あの黄金の聖機人の事は、確かに俺もショックだった。
あれがトラウマにならないか、と尋ねられれば答えに困ってしまうが、逆に圧倒的すぎて自分と比較するのがバカらしくなってしまうほど、あれは常軌を逸していた。そう、早い段階で俺は諦めてしまっていた。
逆にそれがよかったのかもしれない。余りに現実離れしすぎてしまっていたため、未だあれが夢ではないか、と思える時がある。
分かった事は、正木卿が『天の御遣い』などと称されている理由。そして、その化け物じみた実力だけだった。
あながち、ダグマイアが試合前に言っていた『悪魔』という例えも、間違っていないとさえ思えるほどに。
「落ち着くまで傍にいてやる。だから、ゆっくりと自分を取り戻せ、ダグマイア」
「ア……ラン」
学院に通う男性聖機師の中でも、聖機師として特に高い資質を持ち、常に男子生徒の中で『首席』の位置を独走している有能な男性聖機師。それがダグマイア・メスト――この学院の生徒達が持つ、世間の一般的な評価だ。
だが、こいつがその評価の裏で、並々ならぬ努力を続けている事を俺は知っている。
ダグマイアと古くから付き合いのある俺には、今、ダグマイアが抱えている絶望と恐怖が、少しだけ分かるような気がした。
生まれて初めてコイツは、才能と努力だけではどうしようもない、絶対に勝てない相手に出会った。それも、自分よりも遙かに優れた男性聖機師に。
(ダグマイア、お前はこんなところで終わる男ではないはずだ)
ダグマイアにとってあの正木卿は、自身の存在や、これまで築き上げてきた価値観を脅かすような、そんな相手だったのだろう。
だが、この壁を乗り越えなくてはダグマイアはダメになる。何とか立ち直って欲しい、友人として、そう願わずにはいられない。
しかし、誇り高く、自信家で――常に上を目指し、前を向いて歩いているような男の面影は……そこにはなかった。
【Side out】
異世界の伝道師 第146話『家族計画』
作者 193
【Side:太老】
「ランを残してきて、よかったんですか?」
「支部長として能力も問題ないし、職員からの人望もある。太老くんが学院に通うようになるまでにやってもらいたい事が、まだ山ほど残ってるしね」
あのランが聖地学院支部の支部長になった、というのは驚かされたが、更に驚いたのが、『職員や侍従達の信頼も厚く、とても人望がある』という点だった。
出会った頃のランを知っている俺としては、信じられない進歩だ。いや、進化と言ってもいい。
スリから大商会の支部長への大躍進は、自伝を出せばベストセラー間違いなしの人生逆転の成功劇だ。
実のところ、ランを従者にしたのは皆も知っての通り、特に彼女の躍進を願っての事ではない。
あの時は視察に連れて行く従者が必要で、他になり手がいなかったので成り行きでランを従者にしただけだった。
(まあ、結果オーライだよな)
スリなど止めて更生して欲しい、とは考えていたので、結果的には望み通りになってよかった。
教育係に、マリエルばかりか、マリアと水穂までついたと聞いた時には驚いたが、あのランが手に職を付けて真面目に働くまでに成長したのだ。
今だから言える事だが、三人に任せて本当に良かった、と思う。
「彼女がいないと寂しい?」
「賑やかな奴でしたから、数ヶ月とはいっても会えないとなると、やっぱり少し寂しいかな? 何だかんだでいって、従者としても役立ってくれてましたし」
「あら? 従者なら、もう一人いるじゃない。ランちゃんがいない分も、私がしっかりと太老くんのサポートをしてあげるわ」
「あの……水穂さん? ちょっと、顔が近いような」
「態とやってるんだもの。どう? 少しはドキドキする?」
吐息が触れるほど近くに、水穂の顔があった。
ハヴォニワの首都に向けて走る列車の中。皇族や大貴族が利用する、シックで落ち着いた雰囲気のある貴賓用車両には、他の乗客の姿はなく、今は俺と水穂の二人だけだ。
メイド服の隙間から覗かせる、紅潮した艶めかしい水穂の肌が、いつもとは違う怪しげな雰囲気を醸し出していた。
「いや、さすがにこれ以上は冗談で済まないというか……」
「冗談じゃないもの。はぐらかさないで、太老くんは私の事が嫌い?」
「嫌いじゃないですけど」
「じゃあ、好き?」
「いや、そりゃ、どっちかというと好きですけど……いや、そういう事じゃなくて!」
「なら、問題ないじゃない」
問題大ありです。『据え膳食わぬが男の恥』という男の本能と、水穂と関係を持つと漏れなく付いてくるオプション(鬼姫とアイリ)の事が頭を過ぎり、俺は本能と理性の狭間で激しい葛藤を余儀なくされていた。
水穂は確かに美人だ。時折見せる年齢を思わせない可愛らしさにも、グッとくる事があるのは認めよう。
それに家事全般が得意なばかりか、料理上手で仕事も出来る。まさに、女性の鏡ともいうべき良妻賢母な資質を持った女性だ。
これほど良く出来た女性は滅多にいない。嫁さんにするなら、水穂は確かに素晴らしい女性と言えるだろう。
だが……だが、しかしだ。
(鬼姫が水穂を手放す訳もなく……更にはアイリが義理の母に……)
嫌だ。嫌すぎる未来予想図が、俺の頭の中に描かれていた。
正直、鬼姫や鷲羽だけでも手一杯なのに、そこにアイリが義理の母として加わるかと思うと、幸せな夫婦生活どころか、あの人達に振り回される事になるであろう、碌でもない未来しか思い描けなかった。
水穂と見合いをした連中は、皆こんな葛藤を抱いていたのだろうか? だとすれば、水穂が今まで結婚できなかった理由にも頷ける。
本人が結婚をしたい、したくないと考える以前に、鬼姫とあの母親が大きな障害となっているのだから――
「ごめん、水穂さん。水穂さんの気持ちは嬉しいけど……もう少し待って欲しいというか。出来れば、瀬戸様やアイリ様を排……あの二人の事を始末……いや、問題を片付けてからにしたいんだ。それにそうなったら、水穂さんには仕事を辞めてもらわなくてはいけなくなるし」
水穂の事は嫌いではない。好きか嫌いか、という話になれば好きだ。好意を持っていると言えるだろう。
しかし、そういう関係になる前に、解決しなくてはならない問題があった。
先に述べたように、鬼姫とアイリをどうにかしないと、俺の……いや、俺達の未来は暗い。
鬼姫の副官を水穂が辞める事が最低条件。その上で鬼姫とアイリ、あの二人の目の届かぬところに逃げるか、簡単には会いには来れない場所に避難するか、そのくらいの事を考えて準備を進めてからでないと、はっきり言って水穂と関係を持つなんて勇気は俺にはなかった。
そのくらい、あの二人は俺にとって鷲羽と同様に鬼門なのだ。
「太老くん……そこまで真剣に考えていてくれてたなんて」
「分かってくれた? だから、今は待って欲しいんだけど……」
「そうよね。こういう事はちゃんとしないと、順序というものがあるものね。でも、太老くんって意外と亭主関白っていうか……それなら最初から、そう言ってくれればよかったのに。きゃっ、もう私、何を言ってるのかしら」
何だか、また変なスイッチが入ったようだが、納得してくれたようで安心した。
闘技場の後片付けがあったので、マリア達を先に帰し、俺と水穂はギリギリまで聖地に残っていたのだが、まさか帰りの列車でこんな人生の岐路に出会すとは……世の中、何があるか分からないモノだ。
何れにせよ、問題を先送りにしただけなので、向こうの世界に帰るまでにはちゃんと対策を考えておこう、と思った。
【Side out】
【Side:水穂】
こちらの世界に来て、後三ヶ月ほどで一年になる。そしてそれは、太老くんの従者になって、一年が経つ事を意味していた。
最初はどうなる事かと心配していたが、こちらの生活にも随分と馴染んできた。
それに、太老くんと一緒だと、やはり退屈しない。色々とやる事があって、樹雷に居た頃と比べても公私共に充実した毎日を送っていた。
太老くんが樹雷を離れ、いなくなってからの一年間の事を思い返すと、あの頃よりも今の方が毎日が楽しい事を実感している。
やはり、私は太老くんの事を――
「あら? 従者なら、もう一人いるじゃない。ランちゃんがいない分も、私がしっかりと太老くんのサポートをしてあげるわ」
「あの……水穂さん? ちょっと、顔が近いような」
「態とやってるんだもの。どう? 少しはドキドキする?」
頬を染め、動揺する太老くんの姿が可愛らしくて、自分でも不思議なほど積極的に迫る事が出来た。
多分、聖地で出会ったリチアの事や、闘技場の再建指揮を執る太老くんに飲み物やお弁当の差し入れをしたり、明らかにアプローチを重ねていた女生徒達に刺激されたのかもしれない。
マリアちゃん達は、既に家族同然になっている事もあり、私も彼女達の事は嫌いではないし、仕方がないと思っている部分もあるので自分を納得させる事が出来ていたが、彼女達は違う。
聖地ではっきりした事は、やはり私も女だという事だ。
太老くんに見知らぬ女性が言い寄っているのを見て、余り気持ちのいいモノではない。
楽しげに女生徒と会話をする太老くんを見て、嫉妬やヤキモチといった感情を、確かに私は抱いていた。
「冗談じゃないもの。はぐらかさないで、太老くんは私の事が嫌い?」
「嫌いじゃないですけど」
「じゃあ、好き?」
「いや、そりゃ、どっちかというと好きですけど……いや、そういう事じゃなくて!」
「なら、問題ないじゃない」
少し強引かな? とも思ったが、はっきりとしない太老くんが悪い。
母さんに習う訳じゃないが、『そういう時は押し倒してしまえ』というのは、以前からよく聞いている話だ。
天地くんを含め、彼の周りの女性は見た目に反して純情な娘達が多いので、関係を持つまでには随分と掛かった、という話だった。
柾木家の男性は天地くんを始め、お父様や阿主沙様、皆、誠実というか奥手な人達が多い。
しかし、太老くんは違うと思っていた。以前から様々な女性から好意を持たれており、私が見ている限り、相手をするのにも慣れた様子で、彼女達のアプローチを上手くかわして見せていた。
それがどういう訳か、私の時だけは何やら歯切れが悪く、思い悩んだ様子で誤魔化そうとする。
実のところ、こういった事は以前からあった。
しかし幸いにも今なら二人きり、太老くんの本当の気持ちを知るためにも、私は大胆に迫る事にした。
「ごめん、水穂さん。水穂さんの気持ちは嬉しいけど……もう少し待って欲しいというか。出来れば、瀬戸様やアイリ様を排……あの二人の事を始末……いや、問題を片付けてからにしたいんだ。それにそうなったら、水穂さんには仕事を辞めてもらわなくてはいけなくなるし」
その太老くんの告白に、私は大きな衝撃を受けた。
太老くんの言葉通りなら、彼は私を嫌って避けていた訳ではなく、真剣に私との将来を考えてくれていた、という事だ。
瀬戸様は私の恩人ともいうべき御方。そしてアイリは私の母親だ。
問題を片付ける、というのは『ちゃんと二人に話を通してから、順序立てて二人の関係を進めたい』と言ってくれているに違いない。
その上で、私に『仕事を辞めて家にいて欲しい』と太老くんは言ってくれているのだろう。
「太老くん……そこまで真剣に考えていてくれてたなんて」
そこまで、太老くんが真剣に私達の将来の事を考えてくれているとは、思いもしなかった。
少しでも、太老くんの事を疑った自分が恥ずかしい。こんなにも私の事を想って、考えていてくれたのに。
「そうと決まったら、やっぱり早く帰る方法を探さなくてはダメね!」
「う、うん……そうだね」
ここ最近、色々な事があってモヤモヤとしていた胸のわだかまりが、一気に解消されたかのように晴れ晴れとしていた。
(あ、でも……そうなったらマリアちゃん達が可哀想よね)
そこだけは、何とかしたい。心優しい太老くんの事だ。彼女達の事が気掛かりで、『帰らない』なんて事を言い出しかねない。
そうなれば、幾ら私達の寿命がこの世界の住人よりも遥かに長いとはいっても、太老くんが納得して帰れるようになるまで、根気よく何十年も待つ事は出来そうもない。
もしもの場合、鷲羽様や瀬戸様を脅しても、世界を行き来する方法を確立するか――
幸いにも樹雷では、一夫多妻は問題にならない。最後の選択の時に彼女達が太老くんと行く事を選んでも、こちらの世界に迷惑が掛からなくて済むように、必要最低限の調整と準備だけは進めて置こう、と考えていた。
それに向こうで瀬戸様と母さんに挨拶をして、結納を済ませてから、こちらに戻ってきて新婚生活を楽しむ、という手段もある。
そのくらいであれば、事前に何の説明もなく異世界に飛ばされ、迷惑を掛けられた代価に――当然=A鷲羽様も聞いてくださるはずだ。
(今なら情報部もある。メイド隊の練度も上がってきているし、太老くんの影響力や正木商会の力を上手く利用すれば……)
まずは綿密な計画と情報収集。その次に、太老くんの目的を遂行するために必要な土台を用意する事。
関係者への根回しや調整も進めなくてはならない。後は、瀬戸様と母さん、それに鷲羽様対策も用意しておくに越した事はないだろう。
全ては私達と太老くんの未来のため――この計画は必ずやり遂げる、と固く心に誓っていた。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m