――シュッシュッ! 樹の枝を削る
 ――ガリガリ! 樹液の結晶を削る

 俺は今、水鏡のブリッジで黙々と工作に打ち込んでいた。
 材料は、水鏡から採取した枝と、樹液が結晶化して出来た塊。お馴染み、皇家の樹のキーの材料だ。
 何で、こんな事を黙々と一人で、こんな場所でやっているかというと、誰もブリッジに入れないからだったりする。
 そう、瀬戸の女官は愚か、契約者の瀬戸自身もブリッジへの立ち入りを水鏡に拒まれているのだ。
 俺に下された命は一つ。水鏡の枝と樹液を採取し、それでキーを作って肌身離さず身に付けておく事。

「あのな……説得してくれとは頼んだけど、ここまでしろとは……」

 光が不規則に飛び交い、ブリッジを照らし出す。先程から、船穂と龍皇と遊ぶのに夢中になっている水鏡。俺の話など聞いちゃいなかった。
 まあ、何となくこうなるのではないか、と予想はしていた。水鏡も悪気はないのだ。
 コイツ等は動物や人間の子供と一緒だ。こんな方法に出たのも、恐らくは飼い主のやり方を見て、学習しただけの事だろう。
 普段から飼い主の外道なやり方を見ている水鏡の説得や交渉が、多少強引な方法になっても、瀬戸の場合は因果応報という奴だ。

「俺に頼みに来た時の鬼姫≠フ顔……引き攣ってたもんな」

 あれは間違いなく怒ってた。八つ当たりも甚だしい事だが、明らかに行き場のない怒りを俺にぶつけてきていた。
 聞いた話によると、皇家の船の前で半日、水鏡のご機嫌取りをやっていたのだとか。
 それでも解決しないので、俺に泣きついてきた、と言う訳だ。さぞ、屈辱だったに違いない。
 正直、後の仕返しを考えると怖かった。

「よし、決めた!」

 こうなったら、皇家の樹の教育をきちんとしようと思う。
 もうちょっと人間界の常識と言うモノを身に付けさせないと、俺に被害が及んでからでは遅い。
 これは躾だ。人間と共存していくというのであれば、何も知らないでは済まされない。
 大体、本来なら皇家の樹のマスターや、コイツ等を生み出した津名魅がきちんとやっておくべき事だった。
 もうちょっと飼い主らしく、母親らしく、きちんと教育できなかったのだろうか?

「船穂、龍皇、こっちに集合だ!」

 そうと決まったら即行動。キーを作る片手間、船穂と龍皇、それに水鏡を交えて最低限の一般常識を教えていく。
 しかし、疑問符を浮かべ、眼をパチクリさせながら話を聞いている船穂と龍皇を見て、余り幸先がよいスタートとは言い難かった。

【Side out】





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第22話『狙われた太老』
作者 193






【Side:瀬戸】

 水鏡は、情報収集能力と解析能力に置いては、第一世代の樹を上回る力を持っている。
 故に、水鏡が使えなくなる事は、私と樹だけの問題では済まなくなる。
 神木家――私の私設情報部は、樹雷皇の持つ樹雷の正式な情報部の能力を上回っている。それは、有能な女官達の力も然る事ながら、水鏡の力があってこそだと言えた。
 水鏡のストライキは、樹雷の情報処理能力を大幅に低下させ、国家の中枢機能に影響を与えかねない重要な問題だ。

「全く……水鏡があんな行動に出るなんて……」
「瀬戸様の真似をしただけじゃないですか?」
「――くっ!」

 水穂の一言に、何とも言えない感情が湧き起こる。前に鷲羽殿が言っていた『因果応報、自業自得』の言葉が頭を過ぎった。
 とは言え、この元凶となったのは間違いなく、太老≠フ力だ。
 皇家の樹との親和性の高さ。報告書で知ってはいたが、まさか水鏡まで影響を受け、しかも私を脅迫してくるとは思ってもいなかった。

「余程、太老くんの事が気に入ったんですね。船穂と龍皇も懐いているようですし」

 懐いている? 水鏡を抑えられたという事は、樹雷の国家機能の半分を人質に取られたのと同じだ。
 情報とは力であり、最大の武器だ。本人にその気がないのが幸いだが、使い方によっては樹雷を、いや銀河を手にする事が出来るほどの力を、彼は手にしているという事。
 こんな事を、絶対に外部に知られる訳にはいかない。彼の利用価値を跳ね上げると共に、今以上に彼とそして樹雷すらも危険な立場に追い込む諸刃の剣。しかし、水鏡を人質に取られている現状では、私から彼をどうこうするなどという事は出来なかった。
 結論から言えば、正木太老を外敵から守る事が、樹雷を守る事に繋がるという、何とも皮肉な状況。彼を宇宙に連れ出す時点で、最初から覚悟はしていた事だが、まさかこれほど厄介な問題になるとは考えが及ばなかった。

「――!」

 ドサッ! と気が滅入っているところに、私の前に山のような書類の束が置かれた。

「えっと、林檎? これは、何かしら?」
「水鏡様がストライキを起こした期間で発生した情報処理の遅滞分と、それに伴って発生した被害の報告書です。皆、何とか遅れた分を取り戻そうと手作業で頑張っているんですから、瀬戸様も責任を感じておられるのなら、よろしくお願いします」

 どんどんと運ばれてくる書類の山。正直、今日中……いや、一週間掛かっても終わるか分からないほどの書類の束が積み重なっていた。
 水穂の方をチラッと見るが、視線を逸らし、気付いてないようなフリをして黙々と自分の仕事をしている。

「うっ……」

 目の前の林檎からも、嫌なプレッシャーが滲み出ていた。
 先日の海賊討伐で裏資金にかなりの余裕が生まれたというのに、その後に予定外の損失を出し、しかも他の機能が麻痺しかねないほどの仕事量が沸いてでたのだ。林檎の機嫌が悪くなるのも無理はない。
 不本意ではあるが、林檎の言葉通り、目の前の書類に目を通す。今の林檎に逆らうのは得策ではない、と私は判断した。

「では、こちらもよろしくお願いします」
「ま、まだあるの!?」
「情報部、経理部共に、時間も人手も足りなくて、てんてこ舞いになっているんです。それでも、少ないくらいなんですよ?」

 もう、前が見えないほどに積み重なった書類を見て、深い溜め息しか出て来なかった。
 彼を宇宙に連れ出した事で得られたメリット≠ヘ確かに大きい。海賊討伐で、これ以上ない多大な成果を上げていると言える。
 しかし、長期的な目で見れば、どう考えても私の方が被ったデメリット≠フ方が大きかった。
 西南殿という前例で、ある程度は分かっていた事とはいえ、『確率の天才』を扱う事の難しさを、今更ながら私は痛感していた。

【Side out】





【Side:阿主沙】

 柾木阿主沙樹雷――それが儂の名だ。銀河一の軍事大国、樹雷の国皇と言えば知らぬ者はいない。

「ううむ……」

 儂を悩ませているのは、先日あのクソババア≠ェ連れてきた『正木の麒麟児』とか呼ばれている眷属の少年の事だった。
 船穂と美砂樹が随分と入れ込んでいるようで、儂に仕事を押しつけて地球へ度々訪問しているのも、息子や娘に会いに行く以外に、この少年が目的の大半を占めている事は気付いていた。
 まあ、それに関しては納得の行く部分もある。天地同様、樹雷の最高機密に指定されている少年。
 儂に船穂と美砂樹、それに鬼姫と限られた者しか知る事が出来ない機密を、あの少年は有していたからだ。
 まだ、あのクソババアは儂にも何かを隠している様子だが、間違いなくこの少年は樹雷の行く末を占う意味で、重要で厄介な存在だ。
 書き換えられたという宙域の存在。そして、ダ・ルマーギルドの件。
 何れも、未だに信じられない話ばかりだが、あれだけの状況証拠を突きつけられては信じない訳にもいかなかった。
 現在、最も扱いの難しい厄介な問題を抱えているのは、間違いなくこの少年だ。

「何故、儂がこんな事を……」

 だが、そんな事よりも厄介だったのは、船穂と美砂樹の二人があの少年に入れ込んでいる事だった。
 公的には、少年の事はただの眷属として扱う必要があり、その機密故に隠さなければならない以上、大々的に謁見をするなどといった目立つ行動は控える必要がある。美砂樹が最後までごねていたが、国を挙げての歓迎やお披露目を行わなかったのもそのためだ。
 それでなくても『正木の麒麟児』の名は樹雷皇家、そしてそれに仕える者達にとって有名なモノとなっている。過度な特別扱いは、情報の漏洩を招く恐れがあった。
 鬼姫が自分の庇護下に少年を置いたのも、他国への情報操作と口止めを兼ねての事だ。
 だというのに、美砂樹のバカは神木の別宅に少年を迎え入れ、更には機密の事を考えて『正木太老など知らん』と言う儂に向かって、ジーッと延々に五時間、涙ぐみながら睨みつける始末。船穂は船穂で助けてくれようともせず、静観を決め込んでいた。

 ――何故、儂だけが悪者になっておるのか?

 とは言え、少年の事が気にはなっていたのは確かだ。
 一度でも会えば、美砂樹も取り敢えずは機嫌を直すはず。そう考えた儂は姿を隠し、神木家の別宅に忍び込む事にした。
 こう見えても、昔は随分とやんちゃをしたもので、天樹の抜け道などは殆ど熟知している。
 護衛の目を誤魔化し侵入する事など、儂にとっては朝飯前だ。

「――るだろ」

 別宅に忍び込んだ儂は、少年に会うため、少年の部屋を探した。そうすると、二階の一室から男の声が聞こえてきた。
 この家には少年と、水穂が保護者として同居しているだけと聞いている。だとすれば、男は少年一人。
 ここに少年がいると判断した儂は、ドアノブへと手を掛けた。しかし――

「船穂、ダメだって、こらくすぐったい!」

 扉の向こうから聞こえてきた『船穂』の名前を耳にして、儂は思わずドアノブに掛ける手を離した。
 船穂が来ているという事は、美砂樹も、と考えたからだ。
 しかし、それだけならばいいが、『ダメ』とか『くすぐったい』とは何だ……。

「俺の教育が行き届いてなかったか……やっぱり、まだまだ躾が必要みたいだな」

 更に聞こえてきた『教育』と『躾』という言葉。

(――部屋の中で何が行われている!?)

 船穂に限ってそんな事はないと思いたいが、『まさか、儂に黙って若い男と密会を……』という嫌な想像が頭を過ぎった。
 しかし、確かにそれならば、少年へのあの入れ込みようにも説明がつく。
 そんなバカな事が、と儂は頭を抱え、ヨロヨロと後の壁に背をついた……その時だ。

「お兄ちゃんの部屋の前で何をやってるの!?」
「――子供? まて、儂は!?」
「問答無用っ!」

 小さな少女が、儂に気配を感じさせず廊下に立っていた。
 しかも、儂がステルス機能を使って姿を消していたにも拘わらず、それを的確に見抜き、子供とは思えない速度で一足で距離を詰めてきた。

「ぐあっ!」

 子供と思って侮っていたのが失敗だった。
 儂の防御をすり抜け、鳩尾に放たれた掌底は、一級の闘士……いや、美砂樹クラスのスピードとパワーを秘めていた。
 苦痛で表情歪め、その攻撃力で廊下の奥へと弾き飛ばされる。

「あっ! 待ちなさい!」

 弾き飛ばされた勢いで近くのガラス窓を破り、咄嗟の判断で直ぐに逃亡を図った。
 あの家に、あんな規格外の子供までいるとは完全な誤算だった。
 暗くて少女の顔まではよく見えなかったが、あの力は一介の闘士のモノではない。皇家の樹の力か、特別な生体強化を受けた者である事は間違いなかった。
 恐らくは、少年の護衛として送り込まれた神木家縁の者……。

「くっ! 一先ず退くしかないか!」

 こんなところで騒ぎを起こした事がバレるのは拙い。
 美砂樹や船穂ばかりでなく、あのクソババアに何を言われるか分かったものではなかった。
 先程の船穂の件が気になるものの、抜け道を使い、急いでその場から離れる。

 正木太老――その名が、儂の頭から離れる事はなかった。

【Side out】





【Side:太老】

「――お兄ちゃん、大丈夫!?」
「桜花ちゃん、何かあったの?」
「『何かあったの?』じゃないよ……今、部屋の前に不審者がいて」
「……不審者?」

 泥棒だろうか?
 樹雷も物騒だな、と部屋に飛び込んできた桜花の話を聞いて思った。

「何してるの?」
「船穂と龍皇の躾をしてたんだ。意思はちゃんとあっても、これじゃあ何も知らない人間の子供と一緒だし、一般的な常識が欠落してるから、それを仕込めば少しはマシになるんじゃないか、と思って」
「お兄ちゃん、それ……躾じゃなくて芸を仕込んでるんじゃ?」

 器用に玉乗りをしている船穂に、宙からぶら下げた輪を潜り、遊んでいる龍皇。
 最初は確かに躾をしているつもりだったのだが、なかなか言う事を聞いてくれないので、遊びながらなら覚えるのも早いのではないか、と思って脱線し始めたのが失敗の始まりだった。
 こういう事だと、非常に物覚えの良い二匹。俺の右手の薬指で輝く水鏡の指輪もキラキラと光りを放ち、そんな二匹と一緒に楽しんでいる様子だ。
 こうして見ると、本当に手の掛かる子供の相手をしている感じだ。親の大変さが、何となく分かった気がする。

「侵入者か……桜花ちゃんは何ともなかった? 怪我とかしてない?」
「私は大丈夫だよ。こう見えても、結構強いんだから!」
「それでも、危ない事はダメだよ? 桜花ちゃんが怪我とかしたら、皆、悲しむんだから」
「えっと……それは、お兄ちゃんも?」
「当たり前だろ? 一緒に暮らしてる家族なんだから、心配に決まってるじゃないか」
「う、うん」
「でも、心配して駆けつけてくれたんだろ? ありがとうな」

 桜花の頭を撫でながら、そう言った。
 危ない事をしたのは感心できないが、心配して駆けつけてくれた行為は、素直に嬉しかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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