【Side:太老】
「皇家の樹? 随分と大きいな」
声の先には一本の巨大樹があった。第一世代とは言っても若い船穂や、若木同然の龍皇とは比べ物にならず、水鏡よりもずっと大きい。
穏やかな光を放ち、丁寧に挨拶を交わすように語りかけてくる大樹は、どこか落ち着いた雰囲気があり大人びていた。
精神の幼い、子供ばかりの皇家の樹の中で、コイツだけは違う。随分と成熟した樹のようだ。
――ギュルルルル!
「……うっ!」
そんな時、腹の虫が鳴り、深い溜め息と共に大樹の前に座り込む。
実のところ、かなり長い間彷徨っていた事もあり、咽も渇いているし、腹も空いていた。
街で何かを食べるつもりで出て来ていたので、昼食も何だかんだで抜きになっていたのだから無理もない。
「――っ!」
そんな時、大樹の枝から光が舞ったかと思うと、空から樹の実が降ってきた。
それを慌てて掴み取り、先程からずっと光を放っている大樹の方を見上げる。
「これ、くれるのか?」
どうやら、さっきの大きな腹の音を聞かれていたらしく、気を利かせてくれたようだ。
手に持った果実を見て考える。折角くれた物を粗末にするのも悪い気がするし、それに皇家の樹の実といえば、美味しいと評判の『神樹の酒』の材料に使われている、という貴重な樹の実だったと思う。それを考えると、益々腹が減ってきた。
――バシャバシャ、と湖の水で軽く洗い、折角だし、試しに一口食べてみる事にする。
「おおっ! これ、無茶苦茶美味いな!」
何だか、どこかで味わった事のあるような味だが、本当に美味しかった。
鼻を刺激する芳醇な果物の香り、採れたての瑞々しさと甘さが口の中一杯に広がる。
神樹の酒が美味しいと評判になるのも、納得の味だった。
「……え?」
夢中になって頬張っていると、空から『お代わり』とばかりに大量の果実が降ってきた。
物凄い高さから落下してくる無数の果実を、慌てて地面に落ちる前に跳び上がり空中で拾い集める。
危なかった……あんな高さから地面に落下したら、潰れて食べられなくなるところだ。
「くれるのは嬉しいんだが、これは……」
両手一杯に抱えた沢山の果物。幾ら、美味しいとは言っても、一人で食べられる量じゃない。
それに、これから帰り道も探さないといけない、というのにだ。
「え? 帰り道が分かるのか!?」
俺の問い掛けを肯定するように光を放つ大樹。すると俺の目の前、樹の太い幹の部分にゲートのような物が現れた。
どうやら、『ここに入れ』と言っているようで、その先が天樹の外に繋がっているであろう事は、大樹の言葉からも嘘ではない事が感じ取れる。
やはり、こいつは船穂達とは違うようだ。皇家の樹の中にも、ちゃんと話が通じる奴がいてくれた事が嬉しかった。
「助かったよ! お土産までこんなに貰っちゃって、本当にありがとう!」
礼を言うと、『また遊びに来い』と言わんばかりに光を放って答える大樹。
皆へのお土産を沢山貰った上に、帰り道まで用意してくれて、感謝してもしきれないほどだ。
相手が人間ではない、とはいえ受けた恩に変わりはない。この御礼は、後日ちゃんとしよう、と心に誓った。
【Side out】
異世界の伝道師/鬼の寵児編 第24話『皇家の樹の実』
作者 193
【Side:水穂】
「太老くん、どこに行ってたの!? 心配したのよ!」
「うっ……すみません。散歩に出掛けたら迷子になっちゃって」
「でも、何もなくてよかった……侵入者の件もあるから、何かあったんじゃないかって……」
「……心配を掛けて、すみませんでした」
夜も更けた頃、何事もなかったかのように太老くんが帰宅した。この天樹で、太老くんの姿を見失うなど、本来ならありえない事だ。
各エリアへ通じる入り口には警備の者だっているし、皇族関係者が住む区画は特に厳重な警備と監視下にある。樹雷の監視網から外れ、行方不明になるなど絶対にありえない話だった。
しかし、現に太老くんは忽然と姿を消した。それには瀬戸様も予想外だったらしく、珍しく慌てていたくらいだ。
直ぐに捜索隊が組まれ捜索が開始されたが、太老くんの姿は疎か、痕跡一つ見つける事が出来ずにいた。
先日の侵入者の件もある。太老くんに何かあったのではないか、と嫌な想像が頭を過ぎったほどだ。
本来、誰にも気付かれず侵入者がここに入る事自体ありえない、というのに、今度は太老くんまで――
樹雷のチェック機構が出し抜かれた事など、ここ数百年一度たりともなかったと言うのに、この有様だ。
ましてや瀬戸様が出し抜かれるなど、滅多にある事ではなかった。
「太老くん、どこに行ってたの?」
「うっ……えっと、色々と彷徨ってたからどこってのはちょっと……」
何だか言い辛そうに口籠もる太老くん。何か、それほど言い難い事でもあったのだろうか?
よく観察して見ると、上着で包んだ何かを両腕に抱えているのが確認できた。
「太老くん、それは?」
「ああ、お土産の果物です。後で、皆さんで召し上がってください」
「え……ありがとう」
そう言って、私に手に持っていた果物を包んだ上着を手渡す太老くん。市場にでも寄ってきたのだろうか?
何れにせよ、無事に帰ってきてくれた事が、今は一番嬉しかった。
話さない、という事は何か理由があるのだろう。
今日のところは疲れているだろうし、ゆっくりと寝かせてあげる事にした。
「本当にすみませんでした。おやすみなさい」
「おやすみ、太老くん」
もう一度丁寧に頭を下げると、二階の自分の部屋に帰っていく太老くん。
その後ろ姿を見送って、『ふう……』と一息つく。
「水穂さん! 太老様が帰られたのですか!?」
「林檎ちゃん……」
バタンッ、と大きな音を立てながら扉を開け放ち、玄関を駆け抜けて居間に飛び込んでくる林檎ちゃん。
自ら捜索隊を指揮して、今までずっと外を捜してくれていたのは彼女だった。
「ええ、今は疲れて部屋で休んでるわ」
「そうですか……よかった」
緊張が解け、力が抜けたのか、その場にペタンと膝をつく林檎ちゃん。太老くんの無事を確認し、安心したのだろう。
先日の侵入者騒ぎで、警備態勢の見直しと強化を話し合っていた矢先の事だ。
私達の居ない間に賊の侵入を許し、太老くんを危険に晒した事を彼女は悔やんでいた。
だからこそ、今回の失踪騒ぎは相当に堪えたに違いない。
「水穂さん、それは?」
「太老くんがお土産に、って果物を買ってきてくれたの。疲れたでしょう? 折角だし、一緒に頂きましょう」
「太老様が……はい、是非頂きます」
見た感じ、かなりの量があるようなので、捜索に加わってくれた林檎ちゃんの侍従達にも振る舞う事にした。
太老くんも『皆さんで』と言っていたので、私達だけで頂くのも悪い気がしたからだ。
「…………え?」
「どうかされたのですか?」
包みを開けて、固まった私を訝しみ、林檎ちゃんが包みの中身を覗き込んできた。
「……え?」
同じように林檎ちゃんも固まった。
いや、それも無理はない。だって、これは――
「皇家の樹の実……冗談でしょ?」
「……太老様、こんな物をどこで手に入れてきたんですか?」
林檎ちゃんが、『どこで手に入れてきたのか?』と疑問に思うのも無理はない。
皇家の樹の実は、簡単に市場に出回るような物でもなければ、連盟加盟国の国家元首といえど滅多に口に出来る物ではない希少品だ。
ましてや果実酒などに加工した物ならともかく、果実の状態でこれだけ揃っているのを目にする事など、まず殆ど無い。
実をつける樹は、最低でも水鏡のように巨大な成熟した樹でなくてはならない。水鏡ですら、滅多に実をつけるものではなく、少しずつ取れた樹の実を保存し、それを酒などの原材料に使用するのがやっと、というのが現実だった。
ここにあるだけでも金額に換算すれば、とんでもない額に上るのは間違いない。
「……これを頂くのですか? そのまま?」
「うっ……」
林檎ちゃんの一言に、私も『流石にそれは……』という気分に陥る。
侍従の娘達も、皇家の樹の実など滅多に目にする事が出来ない希少品を前に、困惑するやら驚くやら何とも言えない表情を浮かべていた。
しかし、太老くんはこれを『お土産』だと言った。しかも、『皆さんで召し上がってください』と――
「全員、一切れずつ頂きましょう……」
それならば、太老くんの心遣いを無碍にするような事もない。しかし、本当にどこに行ってきたのだろうか?
せめて、この樹の実の事だけでも尋ねて置かないと。そう、考えていた。
【Side out】
【Side:太老】
外はまだ暗い。日の出には、まだ少し時間がある。思ったよりも早く目が覚めた俺は、小腹が空いたので台所に向かった。
水穂と林檎はまだ寝ているようで、いつも掃除や朝食の準備をしてくれている侍従達の姿も見えない。
「あれ? まだ、沢山余ってるな」
水穂に『お土産』と言って渡したので、皆で全部食べてくれたか、と思っていたのだが、数個手につけただけで、まだ沢山手付かずで台所に残されていた。
口に合わなかったのだろうか? 美味しいのに、勿体ない。
「お兄ちゃん、ただいま!」
「あ、桜花ちゃん。今、帰ってきたの?」
「うん、昨日はパパとママと一緒に式典に参加させられて……」
桜花の話によると、樹雷皇立学院の兵科学生の壮行式があったらしい。
毎年やっている行事らしく、内海がそこの出身という事もあり、聖衛艦隊から何人かの代表者と共に、外宙航海実習へ旅立つ学生の見送りに行っていたのだとか。
神木家の公務なのだが、最初は兼光が内海に誘われ、その兼光に泣きつかれた桜花が殆ど強制的に付き合わされた、という話だった。
クタクタといった様子で食卓の椅子に腰掛け、机にだらしなくもたれ掛かる桜花。少し行儀が悪いが、大人ばかりの畏まった席に参加させられて疲れているのは分かる。俺もそんな事くらいで朝から五月蠅く言うのは嫌なので、今回は黙って見過ごす事にした。
それに、俺も疲れている時はよくやるので……他人の事は余り言えない。
「お兄ちゃん、何してるの?」
「腹が減ったから、何か作ろうと思って。桜花ちゃんもいる?」
「……お兄ちゃんが作るの?」
「俺だって、さすがに朝食くらい作れるぞ」
料理上手と言う訳ではないので、それほど凝った物を作る事は出来ないが、ある程度は自炊する事も可能だ。
「じゃあ、桜花が作ってあげる」
「え、でも……疲れてるんじゃ?」
「変な物を食べさせられるよりはマシだもん」
失礼な。これでも一人暮らし(前世では)の経験だってある。
食えないような物は作らないはずだ。
「じゃあ、お兄ちゃんは果物を剥いてくれる?」
しかし余程、俺は信用がないのか? 結局、それ以外は何もやらせてもらえなかった。
「太老くん?」
「太老様?」
そうこうしていると、水穂と林檎が目を覚まし、居間に姿を見せた。
「……太老くん、桜花ちゃん、そこで何を?」
「朝食の用意ですか? そのような事は私が――」
子供が二人で台所に立って料理をしているものだから、随分と驚いている様子だった。
しかし、始めてしまったものを途中でやめる事など出来ない。もう直ぐ完成するので、二人には遠慮してもらう事にした。
何でも、昨日の騒動の後処理が残っているとかで、水穂と林檎だけが残り、侍従達は昨日の内に帰ってしまったらしい。
捜索隊まで出してくれた、との事で本当に申し訳ない気持ちで一杯だった。
後で、水穂と林檎だけでなく、侍従達にも謝っておかないと……。
「お兄ちゃん出来たよ」
ベーコンエッグにハムサラダ、それにコーンスープとトーストというシンプルな朝食だが、シンプル故に難しい。
桜花の手料理は言うだけあって、俺とは比べ物にならないくらい良く出来ていた。
夕咲の仕込みだろうか?
この手際の良さから察するに、普段からかなり料理をしているに違いない。その事を褒めると――
「だ、だって、お兄ちゃんのお嫁さんになるんだもん……花嫁修業は欠かせないでしょ?」
頬を染めてモジモジと恥ずかしそうに告白する桜花。見事な藪蛇だった。
「あの、太老くん……」
「太老様、この中央に盛りつけられた果物は……」
「ああ、それは俺が切ったんだ。そのくらいなら、俺にでも出来るさ」
桜花の手料理を見た後では、本当に自慢にもならないが、綺麗に皮が剥かれて皿に盛りつけられた果実があった。
しかし、目の前の盛りつけられた果実を見て、何とも言えない表情を浮かべている二人。
そこそこ自信作だったのだが……二人の反応を見ると、やはりただ切るだけでは自慢にもならない、ということだろうか?
とはいえ、パイやケーキなどといった高度な料理が俺に出来るはずもなく。
(所詮は男料理だもんな。真面目に料理なんてした事なかったし……)
やはり料理に関しては、俺はでしゃばらない方がよさそうだ、と肩を落とした。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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