【Side:美瀾】
この策、儂は成功すると確信していた。
正木太老が儂の話を受けようが受けまいが、結果的に一定の成果を得られると考えていたからだ。
儂の提案を呑み、銀河アカデミーに彼が来る事になれば連盟の大きな力となる事は間違いない。実力は勿論だが、鬼姫の傍から麒麟児を引き離すだけでも、それはそれで十分すぎるほどの効果が期待できる。
あれだけの逸材、GPでも銀河軍でも引く手数多のはずだ。九羅密家が更に発展するための良い礎となってくれる事だろう。
そして彼にはちょび丸の事件以降、信用が低迷している儂の権威を回復するための駒になってもらうつもりで居た。
例えこの提案が受け入れられ無かったとしても、儂にマイナスは無い。噂の『鬼の寵児』が彼だとすれば、鬼姫がこの事態を指をくわえて黙って見ているはずもなく、鬼姫が手を出してきた時点でそれが正木太老と鬼姫の関係を決定付ける証拠となる。
どういう意図があってかは分からぬが、鬼姫は『正木太老』の存在を出来る限り秘匿したがっているのは事実だ。
相手が知られたく無い情報を握るという事は、交渉を有利に進める上で大切なカードとなる。
そして正木太老は、儂の予想が正しければ鬼姫にとって切り札≠ニ言える存在だと考えていた。
(どちらにせよ。儂の有利は動かん)
美咲生の持ってきたデータが無ければ、ここまで話はスムーズに進まなかっただろう。
軍にも何か別の思惑があるのだろうが、儂の利益に繋がっているのであれば、そこを敢えて詮索しようとは思わない。
儂一人の力で鬼姫の裏をつけるなどと自惚れてはいないつもりだ。
これまでに何度、苦汁を舐めさせられてきたか。だが、ようやく仕返しの出来る機会を得たのだ。
何があろうと、折角訪れたこのチャンスを逃すつもりはなかった。
『美瀾様、通信が入っております』
「ん? 誰からだ?」
『哲学士タロの秘書だと名乗られておりますが、如何致しましょう?』
「なっ! 哲学士タロだと!?」
哲学士タロ――この名前を知らない者は今の連盟には一人として居ない。
現在のGPの隊員の多くは、必ず哲学士タロの恩恵を受けていると言っても過言ではないからだ。
検挙率が大幅にアップする原因となった新装備の数々。更にはGPアカデミーへの入隊希望者の大幅な増加。
彼の生み出した発明品の数々は銀河規模で大きな経済効果を上げており、その影響は経済全体の実に七パーセントに達するとまで専門家に示唆されている。現在最も勢いのある哲学士であり、白眉鷲羽の再来とまで言われている有名人だ。
だが、その正体は一切謎に包まれていた。
男か女かも分からない。顔は疎か、本名や出生すら明らかにされておらず、MMD財団も最重要機密として取り扱っている謎の多き人物だ。
その正体と知っている人物は、連盟内部でもかなり限られていると思われる。姉さんは多分知っているだろうし、哲学士タロの名前で販売されている会社はどこも銀河アカデミーの直轄会社だ。その点からも、銀河アカデミーの理事長も彼の正体を知っているはずだ。
最も、幾度となく周囲からその質問が飛び交ったが、その二人は一度も口を割る事は無かった。
そして周囲も無理に聞き出そうとはしない。いや、出来ないと言った方が正しい。その理由は哲学士タロの存在が現在のGP、いや連盟の命運を握っていると言っても過言ではないからだ。
哲学士タロが保有する資産とパテント。
その一部でも凍結された場合、経済の混乱は勿論だが連盟やGPに与える影響は計り知れない。
たった一人の哲学士がそこまでの影響を与えるものか、と疑問に感じるかもしれないが、現在のGP隊員の急激な増加は哲学士タロの影響なくしては語れず、検挙率の高さは彼の発明品に頼り切っている部分が多い。
しかも一種の新興宗教と言っても構わないほどの絶大なカリスマ性で庶民の心を掴んでおり、万が一にも彼と敵対した場合、一般人からの強い反抗も予想された。
「……繋いでくれ」
それ故に対応を間違えると危険な相手だ。
相手が哲学士タロの代理を名乗っている以上、儂も連盟の代表を担う一人として会わないという選択肢はない。
『ご無沙汰しております。美瀾様』
「なっ! 御主は!?」
驚きを隠せず、思わず声を上げて席を立ち上がる。
立木琥雪――儂も何度か顔を合わせた事があるが、樹雷琥珀の採掘権を有しているという竜木家の縁者。
樹雷でも有数の家柄の後継者で、経済界でその名を知らぬ者はいないほどの有名人。
趣味がこうじてジュエリーショップの経営補佐をやっている、という話を以前に聞いた事がある。
その彼女が哲学士タロの秘書≠名乗り現れた。その事実に、儂は驚愕を覚えずにはいられなかった。
【Side out】
異世界の伝道師/鬼の寵児編 第74話『真っ黒な人達』
作者 193
【Side out】
【Side:水穂】
突然の事もあって、琥雪さんが仕事を辞めた事を知る者は少ない。そして太老くんと琥雪さんの関係を知る者はもっと少ない。
ましてや彼女が、太老くんの秘書をしている事実を知る者は極僅かだ。
先日、樹雷に訪れたばかりの美瀾様がそれを知るはずもなかった。
そこで私達の打った手は一つ。哲学士タロの名前を使い、美瀾様に会談を申し込む事。
内容は問題ではない。このタイミングで『哲学士タロ』の名前を使って美瀾様にコンタクトを取る事こそが重要だった。
頭の悪い方ではない。当然ながら何故、このタイミングで哲学士タロがコンタクトを取ってきたかを考えられるだろう。
今までずっと秘匿され続けてきた哲学士タロの正体。代理を立てるとはいえ、直接会談を申し込んでくる事など殆どなかったと言って良い。だからこそ、余計に疑問は膨らむ。何故、このタイミングで、と。
だが、これだけピースが揃えば自ずと見えてくるはずだ。
瀬戸様、太老くん、そして哲学士タロの関係が――
「哲学士タロの正体に気付いたとして、美瀾様はそれでも手を出せると思う?」
「分かってて仕掛けたのでしょ? 水穂さんも人が悪い。無理でしょうね。深入りする事も躊躇されるはずです」
そう、林檎ちゃんの言うように美瀾様は哲学士タロの正体に例え気付いたとしても手が出せない。
いや、それに気付く、もしくが疑惑を抱いただけで手が出せなくなると言った方が正しい。
哲学士タロの所為で追い詰められ後のない銀河軍ならともかく、立ち位置がGPよりであり九羅密家の当主である美瀾様は、第一に連盟全体の事を考えその利益を重視しなくてはならない。
哲学士タロの正体が言及されない背景には、その存在が連盟にとってタブーとされている理由があるからだ。
圧倒的な影響力。無くては成らないほどの価値。哲学士タロによってもたらされる数字では言い表せないほどの多大な利益は、連盟にとって欠かせない物となっていた。
「迂闊な事をすればGPが、いえ連盟が割れる事になりかねない。相手からすれば非常に扱いの難しい人物だと思います」
「僅か数年でここまで組織内部に深く入り込んだ太老くんの影響力も驚くところだけど、鷲羽様や瀬戸様の事だからそれも読んでいたのでしょうね」
「ええ、太老様の実力を考えれば情報規制を敷くにしても限界がある。だとすれば問題は、情報を知られてしまった後の対処法ですから」
「それが哲学士タロの本来の役目。例え、太老くんの秘密を知ったとしても口に出来るはずもないか……」
あの哲学士タロすらも、太老くんの存在を秘匿し、周囲を黙らせるための手札の一つ。本命を隠すための隠れ蓑に過ぎない。
その事を考えるとどれだけ先を読み、いつから準備を進められていたのか……鷲羽様と瀬戸様の先読みの凄さを思い知らされる。
いや、やはり一番凄いのは太老くんか。この計画は太老くんの実力があって、初めて可能な事だ。
これだけ大掛かりな布石を打って尚、それを隠れ蓑にして影響力を及ぼす太老くんの力は規格外と言っていい。
瀬戸様が太老くんの力を必要としつつも、彼の存在を隠したがる理由にも頷けるというものだった。
「では、琥雪さんはこのまま哲学士タロの秘書≠ノ?」
「それが一番でしょうね。そろそろ情報部を使っての情報規制にも限界が出て来ている。哲学士タロの名前を使えば、まだ時間はかなり稼げると思うし、少なくとも上層部は抑えられるはずよ」
「確かにそうですね。太老様は良い意味でも悪い意味でも目立ち過ぎますから」
林檎ちゃんが心配するとおり、太老くんは色々な意味で目立ち過ぎる。彼ほど秘匿するというのが難しい。利用する上でリスクの高い人物は他にいなかった。
しかし取り敢えずこれで、美瀾様は迂闊に太老くんに手出しが出来なくなった。
今のところ確信ではなく疑惑だろうが、それだけで十分牽制になる。これ以上、強引な手には出られないはずだ。
とはいえ、はい分かりました、と素直に諦められる美瀾様ではないだろう。
太老くんに直接手出しが出来なくても、瀬戸様との交渉の材料に使えそうな情報を得ようと躍起になるはずだ。
今回の訪問も、一番の目的はそこにあったはず。誰の入れ知恵かは大凡の見当がつくが、太老くんに目を付けたのは確かに良い着眼点だ。
「それじゃあ、後の事は瀬戸様に任せましょう」
「同感です。元々は瀬戸様が撒いた種ですし」
だが、そこまで私達が面倒を見る理由はない。私達としては太老くんに害が及びさえしなければ、今回の件はどうでもいい内容だったからだ。
瀬戸様が恨みを買うのはいつもの事。毎回毎回、その後始末をやらされる方は堪った話ではない。
少しくらい丸投げしたところで、文句を言われる筋合いはないと考えていた。
方法としては簡単。哲学士タロの名前を出してコンタクトを取り、『鬼の寵児』を含めたダミーが混ざった情報を美瀾様に握らせる。
哲学士タロの正体に疑惑がある以上、美瀾様といえど太老くんに手を出す訳にはいかず、その情報の真偽を確かめる事は出来ないが瀬戸様を追及するのにはある程度の餌にはなる。
美瀾様の性格からして、罠と分かっていても食らいつかずにはいられないはずだ。
そして『鬼の寵児』の情報が流れる事に関しては既に止められない物と諦めているので、太老くんと結びつける証拠さえ無ければ私達としては逆に好都合だと考えていた。
その事で好機の目に晒され、腹を探られて困るのは瀬戸様であって私達ではない。寧ろ、何の情報も与えず、根拠のない憶測で噂を広められる方が問題だ。
この際、利用できる物はなんでも利用する。太老くんの安全のためにも、瀬戸様には文字通り、太老くんに本来向けられるであろう眼を欺く囮となってもらうつもりで居た。
それに瀬戸様なら、悪評の一つや二つ今更付いたところで、今までやって来た事を考えれば大きな影響はない。
第一、私達ばかりが大変な思いをするのはおかしい。
太老くんを宇宙に無理矢理連れ出した責任はきちんと取って貰う。それが私達(女官全員)の総意だった。
【Side out】
【Side:太老】
結論から言おう。本当に何とかなってしまった。いや、何とかしてしまったと言った方が正しい。
美瀾の方から連絡があり、何やら意気消沈した様子で『あの話は聞かなかった事にして忘れて欲しい』と頭を下げてきた。
その理由は結局分からず終いだったが、どうも水穂達が何かやらかしたらしい、という事は直ぐに分かった。
(やっぱり、水穂さんと林檎さんは怒らせない方がいいな……)
琥雪はともかく、あの二人だけは絶対に怒らせないように気をつけようと思った。
さすがに予告通り『抹殺』はしなかったようだが、それでも一日で美瀾の考えを百八十度転換させたあの二人の手腕は見事と言うしかない。
一体何をしたのか分からないが、あの美瀾に頭を下げさせるくらいだし、相当にえげつない手を使ったのだという事は想像がつく。
そう思うと何をしたのか気になって仕方なかった。
とはいえ真正面から聞く勇気はないので、取り敢えず林檎に遠回しに話を振ってみた。
「そう言えば、林檎さん」
「はい?」
「殺すとか言ってたけど、さすがに冗談だよね」
「殺す? そんな危ない橋を渡るつもりはないですよ。太老様にご迷惑が掛かりますし」
少し安心した。さすがにそのくらいの良識はあるようだ。
「ご安心下さい。証拠など一切残しません。ただ、社会的に抹殺するだけの話です」
「いや、全然安心できないよ!? てか、そっちの方が極悪だしっ!」
林檎だけは絶対に怒らせまい、とこの時ばかりは思った。
正直、洒落になってない。社会的に抹殺って、一体何をするつもりですか?
しかし冗談に聞こえない。相手が九羅密家の当主とはいっても林檎や水穂が本気になれば、そのくらい本当に出来そうな気がするから怖い。
(俺、もう嫌だ。どこか静かなところでひっそりと暮らしたい……)
水穂といい、林檎といい。樹雷女性は内面が真っ黒だ。
琥雪だけはそうじゃない、と思いたいが自信がない。いや、樹雷女性の本質として黒い部分が必ずある気がする。
樹雷皇や兼光を見ていても、完全に尻に敷かれているといった感じだし。勝仁と内海なんて、どう考えてもババを掴まされている。
そう、平穏破壊フラグのキーワードは『樹雷女性』だ。
この際、一生独り身でも構わない。俺の平穏のため、絶対に樹雷女性だけは恋人にしない、と密かに心に誓っていた。
もっとも、その願いが叶うかどうかは別問題だ。その事に俺が気付くのは、まだまだ先の話だった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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