【Side:太老】

 青々と澄み渡っていた空は、煌びやかな橙色の空へと風貌を変えていき、太陽の位置は西へと大きく傾いている。
 陳留に到着したはいいが、時刻はもう夕刻に差し掛かっていた。

「ここが陳留か、活気があって良さそうな街だな」

 噂通り活気に満ちた賑やかな街のようで、市からは夕飯の買い物客の話し声や商人達の活きの良い呼び込みが、あちらこちらから聞こえてくる。しかしそれも後半刻ほど経てば止み、夜の静けさに包まれるはずだ。
 こちらの世界には街灯といった物が無く、夜に成れば月明かりが頼りと成る。こちらでの明かりといえば室内では油皿に火を灯し、野外では松明(たいまつ)といった物が主流で、油自体が貴重品なため街全体を明るく照らし出すといった贅沢な真似は出来ない。
 日の出と共に目を覚まし、暗くなった後は夕飯を食べて寝るだけ、という生活。
 そのため、治安の問題などからも夜は外出する人が少ないなど、あちらの世界とは色々と生活様式も違っていた。

「確かに活気はありますが、想像していたよりも田舎というか……街灯も整備されていないのですか?」
「凪さんダメですよー。あそこが特殊なんです。普通は街灯どころか水道もありませんよー」
「うっ……すみません。最近は、商会での生活が普通になってしまって」

 やはり外史という事で、正史よりも発達した文明が存在する事は確かだが、それも所詮は『科学技術』と呼べるレベルの代物ではない。
 そうした事もあって発電機の製作に想像以上に時間が掛かった事もあり、街灯が設置されたのは最近の事だが――
 凪や風の言うように正木商会が拠点を置く村には、地下水を汲み上げて造った水道≠ェ完備されていた。
 本来なら、こうした技術介入は銀河法で禁止されている違法行為なのだが、ここは異世界なのでそんな細かい事を気にしていても仕方がない。
 第一、ろ過装置も通していない生水を飲んで、お腹をくだしでもしたらそちらの方が問題だ。
 最低でも、水と明かりくらいは何とかしないと不便で仕方がなかった。

 それに一応は考えて行動している。世界のバランスを大きく狂わせるようなオーバーテクノロジーを供給するつもりはない。
 技術水準を地球の近代レベルに抑えているのもそのためだ。とはいえ、余り凄い事をやろうと思っても俺一人では出来る事に限界がある。
 知識と技術はあっても、それをカタチにするために必要な機材を製造するのに必要な設備や職人がいない。発電機の製作にも、最低限の要求を満たせる機材を用意するために、商人や豪族達のツテを利用して手先の器用な職人を集めてもらい機材の加工と製造を手伝ってもらわなければ、とてもじゃないが俺一人では不可能だった。

 勿論、開発する物は生活に密接に結びつく物だけに限定している。
 兵器を作成するつもりもなければ、商会で管理している技術を兵器転用目的で他国に供給するつもりもない。
 そのために『技術開発部』なんて物を商会内に設立し、技術の漏洩を防ぐ対策も施してあった。
 それに商会の技術を兵器に転用しようと考えても、それを実現させるためには相応の知識が必要となる。
 はっきり言って初期段階にも達していない、この世界の文明レベルでは到底不可能な事だ。
 多少の近道は出来たとしても、理解と技術が追いつく頃にはそれは脅威ではなくなっている。

「陳留はこれでも活気のある大きな街だという自負があったのだが……」
「うちは腕の良い職人を大勢抱えてますしね。そうしたカラクリには強いんです」
「ふむ……今度、是非ゆっくりと見せて頂きたい」
「構いませんよ。州牧様が許可してくださるなら、街灯と水道くらい陳留に設置しても構いませんし」

 夏侯淵が唸るのも無理はない。
 陳留の人達には馴染みがないものだろうし、こちらの世界の標準的な生活様式に慣れ親しんでいる人達にとっては、便利ではあるが無理に必要のないものだ。尤も一度慣れてしまうと、先程の凪のように元の生活に戻る事は難しくなるが……。
 しかし、俺は現代人だ。正直な話、今更文明の利器を捨てて原始的な生活に戻れるはずもなかった。
 そうして徐々にではあるが、俺にとって『住みよい世界』が実現しつつある。
 鬼姫や鷲羽(マッド)から解放されて悠々自適≠ノ生活する機会を得たのだ。この機会を楽しまない手はない。

(問題は曹操との対談をどう乗り切るかだよな)

 風に言われるまでもなく、自分でも『ちょっとやり過ぎたかな?』という自覚はあったので、いつかは領主に呼び出されるであろう事は覚悟していた。
 その領主……エン州の牧が曹操だった事を幸運≠ニ見るべきか不運≠ニ見るべきかは、謁見の結果次第だ。
 覇業を志しているだけあって隙を見せれば、利用できるだけ利用され、あるだけ搾り取られかねない相手だけに油断は出来ない。
 しかし合理主義者のように見えても、覇業を成し遂げるという大命と為政者としての使命感を持ち、常に人の上に立つ物としての立ち居振る舞いを要求される曹操にとって、多少の無理難題は言えても理不尽な要求をする事は出来ないはずだ。
 実のところ、曹操のところに来ようと考えたのには、その辺りの打算もあった。
 例えば袁術や袁紹などといったバカのところにいった場合、確かに扱いやすいかもしれないが、その話し合いにすらならない可能性もある。周囲の目や風聞など気にするようなタイプの人間ではないからだ。

「太老様、ずっと気になっていたのですが……その背中の荷物はなんなのですか?」
「ん? ああ、州牧様への土産物だよ」
「土産?」

 凪が疑問に思い、尋ねてきたのは俺が背中に背負っている大きなリュックサックの事だ。
 こんな物で買収できるとはさすがに思っていないが、何事も第一印象が大切だ。
 向こうから呼び出されたとはいっても、州牧のところに挨拶に行くのに手ぶらで行くのもどうかと思う。大した物ではないが『技術開発部』で開発した便利な道具を幾つか手土産に持ってきた。
 上手く行けば曹操の興味を惹く材料になると考えたからだった。


   ◆


異世界の伝道師外伝/天の御遣い編 第5話『覇王を試す者』
作者 193






【Side:華琳】

 ――この乱世の時代に大陸統一という覇業を成すため私は力を蓄え、虎視眈々と独立の機会を窺っていた。
 我が名は『曹操(そうそう)』、字は『孟徳(もうとく)』、真名は『華琳(かりん)』。今はここ陳留という街で州牧≠ニして領地を治めている。
 陳留の城の玉座に座り、部下からの報告に静かに耳を傾ける。現在、私は一つ大きな悩みを抱えていた。

「華琳様。正木太老が到着したと衛兵から連絡がありました」
「そう……それじゃあ、秋蘭を呼びなさい。皆は謁見の準備を」
「御言葉ですが、本当にお会いになるのですか? 何処の馬の骨とも知れない男に……」

 桂花(けいふぁ)は納得が行かないといった様子で、私にそう聞き返した。
 彼女の名は『(じゅん)イク』、字は『文若(ぶんじゃく)』、真名は先述の通り『桂花』といい、私に仕えてくれている軍師だ。軍略、政治、経済とあらゆる知識に精通し、この曹操に仕えエン州の民のためによく働いてくれている……のだが、極度の男嫌いで正木太老を城に招く事に、誰よりも強く反対の姿勢を示していた。
 相手が嫌いな男≠ニいう事も気に食わない理由にあるのだろうが、軍師である自分よりも優れた成果を上げた者が、ただの商人であった事が悔しいに違いない。尤も、あの男をただの商人≠ニ例えるには余りに稚拙すぎた。

 民達の間で『天の御遣い』などと呼ばれ、この乱世に舞い降りた希望の象徴として称えられている男。それだけであれば世迷い言と切って捨てる事も出来るが、現にその男は目に見える多大な成果を残していた。
 拠点を置くこの陳留よりも北部の村の方が活気があり税収が高いなど、人の流れは陳留にではなく正木商会のある近隣の村へと向かっていた。
 それに商会の抱える自警団の練度は、我が陳留の兵士よりも高いというのだから驚きを隠せずにはいられなかった。
 事実、それを裏付けるかのように次々に盗賊・山賊討伐を成功させ、エン州の治安は驚くほど向上していた。
 その結果、天の御遣いの噂を聞きつけ流れ込んできた民や商人の数は日に日に増すばかりで、それが領地を活性化させ急成長させる原動力へと繋がっていた。

「男でも女でも、それが仕官ではなく商人であったとしても、成果を上げた者には正当な評価をする。言っている意味くらい分かるでしょう?」
「しかし、素性の知れない男です! 『天の御遣い』などと言う名で人心を惑わし――」
「くどい! この曹孟徳に世間の笑いものになれと言う気か!」
「――!」

 秋蘭も心配していた事だが、確かに『天の御遣い』と称えられ民からの信頼も厚い正木太老という男は、私の覇業の前に障害となる可能性がある危険な相手だ。
 しかしそれを理由に正当な評価を下さず男を軽々しく扱えば、間違いなく民の疑心の目は私へと向けられる。
 一度芽生えた疑心は簡単に消せるものではない。疑心は不信へと変わり、『曹孟徳は商人一人を恐れ、権力を振りかざす事でしか男一人御しきれなかった』などと噂が流れれば世間のよい笑いもの。そんな事になれば曹孟徳の名と評判は地に落ち、世間は私の事を『臆病者、卑怯者』と罵るだろう。そうなれば大義を失い、覇業を成す前に我が道は閉ざされてしまう。

「その男が本物の天の遣いであろうとなかろうと関係はない。人心を惹きつける力を持ち、商才に満ち溢れているというのなら、その才能を我が覇業の力とするまで――寧ろ、そんな男がどこの勢力にもなびかず、ただの商人で居る事の方が危険よ。それが分からない、あなたではないでしょう?」
「はい……」
「正木太老は曹孟徳の客人。その客人に対し、如何なる暴言も中傷も許されない。皆も、その事を肝に銘じなさい!」

 それは桂花だけでなく、謁見の間に居る忠臣全員に発した警告だった。
 私の予想が正しければ、一筋縄でいくような相手ではない。味方に引き込めなければ、今の私では逆に呑み込まれかねない危険な相手だ。
 だからこそ、僅かな隙も見せる訳にはいかない。感情で動く訳にはいかなかった。秋蘭を遣いに出したのもそのためだ。

 桂花は確かに有能な軍師ではあるが、感情的になっているようでは話にならない。
 桂花と同じく相手が商人という事で、しかも素性の知れない男である事で、それを低く見て考えている者達も同様だ。
 だからこそ、正木太老を賓客として扱う事で誹謗中傷を黙殺する狙いがあった。
 この曹孟徳の客人を誹謗中傷するという事は、主君の顔に泥を塗るという事だ。こうして警告を発したにも拘わらず、まだ何かをいう愚か者がいれば、そんなものは我が末席に必要無い。即座に首を刎ねるつもりでいた。
 全員が深々と頭を下げ、私の指示に黙って従う。そこに私情の差し挟む余地など一切無かった。

【Side out】





【Side:太老】

 風と凪は城の外で待たされるものとばかりに思っていたのだが、従者も同行して構わないとの話だったので御言葉に甘えさせてもらう事にした。
 だが思った以上に扱いが良くて驚いた。そもそも拒否する事も出来ない雰囲気で一方的に呼び出されたものだから、もっと高圧的な態度で来られるものとばかりに思っていた。
 しかし待たされている間も豪華な客室に通され、今も三十人近い侍女達に付き添われながら曹操の待つ謁見の間へと向かっているところだ。ちょっとした賓客待遇と思っていい。

「風ちゃんは、どう思う?」
「曹操様は例え平民であっても、能力のある者はきちんと評価される方だと聞いていますから、まあこれも想定の範囲内かとー」
「見た目で判断しない、って事だよな。さすがは覇王≠ニいったところか」
「覇王……ですか。お兄さんは曹操様の事をどう思っているのですかー?」
「エン州の牧で大陸に名を馳せる英傑だろ? 陳留に来ようって言ったのも、彼女の領地なら安心だと思ったからだし」
「それは曹操様なら、この乱世を鎮め天下を取れるという事ですかー?」
「んー、それはどうかな? 良いところまでは行くだろうけど、今のままじゃ無理っぽいし」

 歴史通りに行けば『赤壁の戦い』で曹操は破れ、大陸統一の夢は水泡に帰す。
 そこで死ぬ訳ではないが、覇業を成し遂げるだけの力を完全に奪われ、その願いは叶わなくなるはずだ。

(どちらにせよ、侵略の危険性は曹操のところが一番薄いもんな)

 他国を侵略し、頒図を広げていく側の曹操のところに居る方が安全なのは間違いない。ようは自分から危ないところに近付かないように気をつければいいだけの話だった。
 しかし風の言うとおり、この待遇を見る限り、曹操は噂通りの人物のようだ。
 相手を見た目で判断せず、実力で判断するというのであれば交渉の余地がある相手と考えていいだろう。
 俺が欲しいのは、あくまで平穏な日常だ。そのために曹操が尽力してくれるのであれば、多少の協力はするつもりでいた。

 少なくとも、正木商会は曹操の役に立っている自信がある。
 そりゃそうだろ? 水道や街灯といった文明の利器は、あれば便利な生活アイテムだ。
 それに俺の住みよい世界を実現するためにも、これからも色々と揃えていくつもりなので領地の発展に役立つはずだ。
 しかも俺には――背中に背負った土産物(秘密兵器)もある。

「やはりお兄さんは面白いです……ぐぅ」
「ちょっ、寝るな! もう謁見の間だぞ!?」

 謁見の間へと続く扉の前で風のいつもの居眠りに驚き、思わず大声を張り上げてしまった。
 周囲にいた侍女達もポカンと呆気に取られてしまっている。

「おおっ、これは失礼。ずっと馬での移動だったので、余り寝てないのですよー」

 と侍女達に言い訳をする眠そうな風だったが、俺は知っている。
 移動中も馬の上で俺にもたれ掛かって、しっかりと熟睡していた事を――

「さあ、早く曹操様のところに……ぐぅ」
『…………』

 ダメだった。一度こうなったら風は覚醒に時間が掛かる。
 仕方がないので先程から緊張した様子でぎこちない動きを見せている凪に荷物を任せ、風はいつものように肩車をして連れて行く事にした。
 本来なら避けたかったが風を置いていく訳にも行かず、こうなってしまっては仕方がない。

「あの……本当にそれでよろしいのですか?」
「ええ、侍女さん達に背負わせるのも悪いですし」

 服の中に非常食の飴やらお気に入りの本やら仕舞い込んでいる所為か、こう見えて風の奴は意外と重いので他人に任せるのは悪い。
 それにどういう訳か定位置となっている俺の肩でないと風はグズる癖があって、凪に任せるという訳にもいかなかった。

 そして、そのまま謁見の間へと向かう俺達。

(ううん……やはり、ちょっと間抜けなだな)

 しかし幸せそうに寝息を立てる風を見ていると、どうにも起こすのが忍びなかった。
 やはり、俺は幼女……子供に甘いようだ。

【Side out】





【Side:華琳】

 どう反応すればいいのか分からず、ほんの僅かではあるが放心状態に陥ってしまった。
 まさかこんな登場の仕方をされるなんて、微塵も想像していなかったからだ。
 今まで謁見の間に、少女を肩車して現れた者など皆無と言っていい。いや、私の知る限り、そんな者など歴史上一人としていなかった。

(何かの策? 分からない……何を考えているの?)

 突っ込むべきかどうか悩んだが、相手の出方が分からず第一声の機会を完全に逃してしまった。
 城で一番豪華な客室を用意したのも、大勢の侍女達を付き従わせ案内させたのも、全ては相手に自分が曹孟徳の客人である事を認識させ、その後の対談を円滑に進め、こちらが主導権を握るためだった。
 しかし、先程まで考えていた段取りも全て白紙になり、頭の中から完全に抜け落ちてしまう。
 私の考えの斜め上を行き、ここまで見事に意表を突いた人物は、今まで出会った事がない。

(私の……曹孟徳の考えを読んだ? やはり侮れない男のようね)

 私の考えを読み、これを狙っていたのだとしたら本当に侮れない相手だ。
 現に正木太老の策に嵌り、私の予定とは大きく違って場の空気は完全にあちら側に支配されていた。

「こんな格好で失礼します。エン州の牧、曹孟徳様ですね。俺は正木太老と言います」
「聞いているわ。『天の御遣い』と呼ばれているのでしょう? 私は『曹孟徳』。あなたの言うように、この陳留の州牧を任せられているわ」
「ああ、『太老』でいいですよ。どうにも『天の御遣い』って呼ばれるのに慣れてなくて」

 秋蘭から報告のあった通り、食えない男だった。
 どこまでも自然体で、この私を前にしても必要以上に緊張した様子も、へりくだった様子もない。
 あの秋蘭に『一筋縄ではいかない相手』と言わせるだけの事はある。

「では、太老。あなたをここに呼んだ理由は分かっているかしら?」
「商会の事ですよね?」
「ええ、あなたはあの商会をどうして興したの?」
「半分は成り行きでしたけどね……そもそも陳留に来る事が目的だったので」
「陳留に? それはどうして?」
「そりゃ、ここが一番安全だと思ったからですよ」

 私の領地を『他よりも安全』と言い切る正木太老の言葉に私は驚きながらも、その眼を見て真偽のほどを見極めようとする。
 しかし淀みのない瞳と、はっきりした態度と口調からも嘘偽りはないように思われた。
 この乱世で安全な場所など何処にも存在しない。しかしそんな中でも、私は民が住みやすい治政の行き届いた場所にしようと頑張ってきたつもりだ。その成果を褒められているのであれば、確かに喜ばしい事だ。だが、それだけではないように思えた。
 現に今のエン州の秩序が安定しているのは、半分は正木商会のお陰という事は誰の目にも明らかだ。
 一見、褒めているようで皮肉とも取れる発言。目の前の男の真意を探るため、私は別の質問を返した。

「では、訊き方を変えるわ。あなたの本当の目的は何? あなたは陳留にきて、何を求めるつもりだったの?」
「特に何も?」
「……は?」
「敢えて言うなら『平穏』かな。ここを住みよい世界≠ノすれば俺の願いも叶うと思って」

 私はその何ともバカげた答えに呆気に取られ、またも言葉を無くしてしまった。
 この時世に『平穏』なんて夢を口にするのは、現実を直視できていないバカか、夢と現実の区別がつかないそれ以上の大バカだけだ。
 しかもここを『住みよい世界に』すると男は言った。それは陳留の繁栄を確信しているという事。自分ならば、ここを今よりも大きく出来ると、この私に向かって啖呵を切ったのだ。

(この男……そう、そういう事なのね)

 ようやく合点がいった。試していたつもりが、試されていたのは私の方だった、という事が――
 正木商会という大きな獲物も、曹孟徳を釣り上げるための餌だったと言う訳だ。何と豪快な、何とバカな男か。

「フフッ――アハハハッ! 面白い、本当に面白いわ。この時代に平然とそんな事を口に出来る大バカ者が何人いるだろうか? 正木太老、あなたには私と共に覇道を歩む資格があるわ」

 試されたというのに嫌な気が全くしなかった。寧ろ、真正面から堂々と、ここまで豪快に釣り上げられたら逆に爽快な気分だ。
 私が今まで一度も出会った事がない型の男。この男を御しきれないようでは、天下を取るなど夢のまた夢。
 文字通り、この男は私にとっての『天の御遣い』なのだろうとさえ思わせる不思議な逸材だった。

「あなたの真名≠教えて貰えないかしら?」
「真名? ああ、俺の居たところには真名って風習がなくて」
「……真名がない?」
「さっき言った『太老』って言うのが俺の真名になるのかな? この世界の風習に習うと」

 真名の事を知らなかったならまだしも、知っていたのならそれは最初から真名を私に預けていた、という事に他ならなかった。
 この曹孟徳を試すほどの人物が、その事に気付かないはずもない。
 ここまで大きな器を見せられた後では、私も誠意を示さなければ曹孟徳の名が廃る。

「華琳よ。これから私の事は『華琳』と呼びなさい」
「…………それじゃあ、華琳。これからも、よろしく」
「ええ、よろしく。太老」

 太老は私の提案に少し思案した様子だったが、にこやかな笑顔を浮かべると直ぐに私の真名を口にした。
 初めてこの私を完膚無きまでに説き伏せた男。天の御遣い――正木太老。その名は深く、私の胸に刻まれていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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